とある冬の日…東北新幹線、盛岡・八戸間にて…
冬の鉄道で最も影響があるものはやはり雪である。北の土地であるために雪及びその寒さへの対策は各々がしており、鉄道会社も対応はしているものの豪雪の前では新幹線は白旗を上げるほかない。つまるところ冬の間はどうしても運休が増える。また、雪が積もらずとも視界に悪影響を及ぼすほどの降雪だった場合は運休とまではいかなくとも遅延が発生することもしばしばだ。
そしてここにも、雪による影響でしばしの足踏みを食らっている男が一人。
「こっちに来たときは雪も楽しみの一つだったが…北の人々が総じて雪にうんざりする理由も分かるというものだな」
窓と座席の間にあるスペースに頭を置きだるそうにしているこの男、実のところは警察である。
現代社会、移動方法が数多く確立し人も物も簡単に遠くまで運ぶことができるようになった時代。異動というのはなにも稀なものでもない。引っ越し先の準備、荷物の運搬、生活への慣れ…面倒なことは多いものの毎年様々な会社で多くの人物が左遷やら異動やらで見知らぬ土地へ足を踏み入れることとなる。
彼もまたそのうちの一人。都会の喧騒の中で疲れた彼は自ら別の場所への異動を申し出た。見知らぬ土地、見知らぬ世界…新天地へと向かう彼は最初こそ心躍るものではあったが、今では長い長い雪により精神が消耗していた。
そもそも異動とはいえこの時期に行われることは稀である。基本的には春先、年度が変わるそのタイミングで異動というのは行われるのが普通だ。総決算を終えて卒業生、新社会人に紛れて新しい土地へと行くのが一般的である。しかしなぜこの真冬の中で異動しているのか。
「緊急を要する人員補給、ね…」
彼は手元の新聞をチラ見して呟く。
どうやら重大事件を起こした犯人が逃走し、行方をくらましているらしい。その事件は今朝の新聞でも大々的に取り上げられている。事件が発生したのは一週間ほど前だが、部類で言えば大量殺人に入る凶悪な事件としてメディア各方面もこの事件については未だにネタを擦っているようだ。彼からすればその根性を犯人捜索にも助力してほしいところではあるが、メディア各所には今までも散々迷惑を被ってきたので口には出さない。
事件の情報提供をし新聞にも犯人の特徴が乗っている。メディアの使い方としてはこれが一番なのだが、一般常識を欠いたメディアマンの中には不必要なことを書いて不安を煽ることもある。そうすると二次被害みたいなものも発生し事件の調査を遅らせることになる。昔犯人は警察が庇っているなんていう根も葉もない噂を書かれて実際に警察署に人が抗議しに来たときは、メディアは敵なのではないかとすら思ったほどである。
「動かないな…」
そんな風に過去を思い返していても一向に外の景色は変わらない。そもそも雪景色のせいで動いていても景色が変わることはないのだが致し方ない。
動くまでまだ時間がかかるだろうとひと眠りしようとしたところで、事件は起きた。
「きゃあああ!!」
「なんだ!?」
突如車内に響く女性の甲高い声。ただならぬ様子に他の乗客も困惑気味である。こういった場合彼がとるべき行動はいくつかある。
一つはここで他の乗客と共に事件の鎮圧まで動かないこと。これが一番平和である。勿論いつまで経っても落ち着かない場合はあまりよろしくないが、不必要な混乱を招くよりはいいだろう。もう一つは自分も事件現場に行き調査に協力すること。業務時間外なので警察官として協力することはできないが、何かあったときに警察で培った技術が活かされることもある。
彼の判断は早かった。急いで大きな荷物を片付けて貴重品と小さなバッグだけを持って現場に行く。これがただ虫が出て女性が悲鳴を上げただけならばよかった。しかし現実はそう甘くない。
場所は列車と列車を繋ぐ間の通路にあるトイレ。既にそこにはスタッフが数名駆けつけており、悲鳴を上げたと思われる女性は通路の隅でへたり込んでいた。そしてスタッフたちの視線の先には血を頭から流している初老の男性。車いすに座ったまま頭を項垂れている。車椅子の人が入れる公共トイレの中での事件だった。
流石は鉄道会社のスタッフといったところだろうか。男性の状態の確認、女性への聞き込み、周囲への呼びかけを役割分担して行っている。これは自分の出る幕ではなかったかなと思いつつ来た道を戻ろうとするとスタッフの一人が声をあげた。
「誰か、止血用の何かを持ってきてくれ!」
その声を聞いてスタッフルームに移動しようとしたスタッフを呼び止め小さなバッグから止血用のガーゼを取り出してスタッフに渡した。
調査や追跡のときに狭い道を通ることもある彼は常に止血ができるものを持ち歩いていた。血液が流れて証拠品に付着などしてしまったら大変なのでいつでも血を止めることができるようにするためだ。勿論今回のように怪我人を応急手当するために使われた回数も少なくはない。
ガーゼを渡されたスタッフは一瞬の戸惑いのあとにすぐさま男性に手当をしようとした。しかしあまり慣れていないのか時間がかかっているので彼はガーゼを取り上げて自分で男性に手当をした。多くの流血はそれだけで死に至ることもあるので止血は早く行うのが基本である。
「ご協力感謝します。医者の方でしょうか?」
「残念ながら警察の方ですよ。応急手当くらいならば私どももしますが怪我が酷いのでできる限り早く病院に運んだ方がいい」
特にご老体の方々は血が足りないことも多い。二十代の男性なら大丈夫な流血でもこの男性には致命的な量であることもある。この雪の中病院へと搬送するのは大変だろうが、逆にここらへんの地域の病院であればこの雪の中で搬送することにも慣れているから大丈夫だろうと判断。
「まあそういうわけなんで一応調査に協力しても?」
「はい、感謝します」
流血の様子からして確実に事件。周囲に物は落ちていないしトイレの鍵は開いていた。何者かの仕業であると考えるのが無難だろう。
となればスタッフが病院に連絡している間に自分は警察へと連絡しておくのがいいだろうと彼はスマホを取り出して最寄りの警察署へ連絡をした。勤務時間ではない彼は現行犯以外での逮捕ができないため犯人が見つかった時のために警察を呼んでおく必要があるのである。
「さて、状況証拠は…」
スマホから顔を上げて男性の傍へと移動する。警察はこの雪の中十数分で到着するらしい。流石は雪の国の警察だ。
男性の流血部は何者かによって殴られた痕跡がある。この状況でガーゼを外すわけにはいかないので外から見ただけの判断だが、おそらく鈍器による犯行だろう。小さなバッグから手袋を取り出して装着してから周囲の物を検品していく。多目的トイレだけあって車いす用の設備以外にも色々とおいてあるが、その中に血痕があるものや血が飛んだような跡は見つからなかった。
次に発見した女性への聞き込み。といっても流血している男性など一般人からすれば中々にショックを与えるものだからか精神的に衰弱してしまっているらしく、話は先に聞き込みをしていたスタッフから聞くことになった。発見したのは悲鳴を上げたのと同時で、女性用トイレが使用中だったため鍵が開いていたこのトイレの扉を開けたら男性が血を流しているのを発見したという。
「ま、見たまんまって感じだな」
第一発見者が犯人なんていうのはミステリーではたまにあるが、現実ではミステリードラマなんかよりはずっと少ない。現代の調査技術を基に考えるならば事件が発生したらできる限り逃げる方が捕まりにくいからだ。しかしこの電車は現在雪の中であり、乗客は外に出ることはできない。
「となればあと調べることができるのはこの男性と一緒にいた人がいたかどうかだが…」
正直なところ現在の鉄道は車椅子使用者が一人で利用するには少しばかり難易度が高い。どうしてもヘルパーが一人は必要だと思われるので多分この男性にも付添人がいたはずである。
そのことをスタッフに話してやってきたのは一人の若い男性。どうやら被害者の息子らしい。息子というのは年が離れすぎているような気もするが、よそ様の家庭事情に首は突っ込まないことが吉だ。
彼の証言だと、被害者男性は一人でトイレに行き彼はついていかなかったのだという。理由を聞いてみると被害者男性からついて来ないでくれと言われたらしい。トイレに行くだけだから大丈夫だろうと考えた矢先にこの出来事である。
「誰か男性のあとについていった人は見ませんでした?」
「僕は大介さんを見送った後は本を読んでいましたのでなんとも…」
大介さんというのが被害者男性の名前である。ヘルパーから被害者の身元の特定はできたのでその点は非常にありがたかった。
さて、そうこうしていると雪の中からサイレンの音が聞こえてきた。この音は救急車のようである。流血しているのでできる限り早く男性のことは病院に連れて行った方がいいだろう。男性の身体から得られる情報はそこまで多くないだろうし先に病院に行かせる方がよい。
被害者男性はすぐさま病院へと運ばれていった。するとそのわずか数分後に警察も到着した。予定よりも数分早い到着に彼も満足そうである。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。もしや医者の方ですか?」
「あなたたちと同業ですよ」
なぜか今日は医者に間違えられる日だ。そこまで医者らしい見た目をしているわけではないし、調査協力をするのが医者だけとは限らないだろうに変な話である。
到着した警察二人と情報交換を行う。彼の出番はここまでのようだ。
「それでは私はこれで…ん?」
自席へと戻ろうとした彼はヘルパーの男性がポケットに入れているものに目がいった。なんともポケットにいれるには不相応というか、サイズが合っていない。ズボンの上からでも形が分かるくらいには大きい。ヘルパーの男性の後ろポケットに入っていたため先ほどまでは気が付かなかったのだ。
「失礼、そちらは一体?」
「へ!?こ、これは…」
途端に言いよどむ男性。怪しさ満点である。警察二人も同じことを思ったのか男性のポケットから物品を出すように要請した。
出てきたのはルービックキューブ。なぜポケットに入っているのだろうか。もしや彼はルービックキューブの選手なのだろうか。
「ええ、まあ、趣味ですよ」
「…なるほど」
警察が手に持っているルービックキューブは何の変哲もない。しかし彼は気が付いた。警察二人のような上からの目線ではなく、横からの、光が反射するような目線だからこそ気が付いた。
「これ、何の液体ですかね?」
ルービックキューブの赤。一面だけが揃っているこの色の面の上に、不自然な液体が付着し光を反射していた。
「っ…」
「失礼します」
彼の声で警察が取り出した布でその部分を拭くと、布に付着したのは赤。ペンキや絵の具なんかではない。警察の、特に調査をする担当の者であれば仕事の上で何度も見ることとなる血の赤である。
これは確定だろう。
「署までご同行を願います」
「…はい…」
ヘルパーの男性はそのまま警察二人に連れていかれた。なお彼はそれに同行しない。業務時間外なので彼は現在は一般人だからである。
自分の席に戻り軽く伸びをする。まさか電車の中でこのような事件に巻き込まれることになるなんて…ちなみにだが分かり次第彼も警察署へと行くことになっている。参考人という立場となるが、警察署へ行くことも意見を述べることも慣れたものなので特に心配はしていない。
「はぁ、しかし担当する事件は別なんだよな…」
前哨戦のような形で巻きこまれた線路の上での傷害事件。これから更に残酷な殺人事件へと協力することを考えると少しばかり頭が痛くなるのを避けられない彼であった。
短編小説集なのでそこまで長くはないですが、依頼ということで少しだけ張り切りました