しずかちゃんのえんげきぶ。~I'll do a play Dogville~   作:はせがわ

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Chapter SEVEN ~Leaves the town,and again sees the light of day~(後編)

 

 

 心の支えであり、想いの象徴であった人形を失ったしずかは、長いこと泣き続けた。

 だがその夜の内に、よろよろと頼りない足取りで、のび太の家を訪ねる。

 彼の助言に従い、この町を出て行くと決めた事を伝えた。

 

 

「分かったよしずかちゃん、決行しよう。

 もう君に、つらい想いなんてさせないよ」

 

 自分なりに見出した、ちょっとした喜び。そしてどこかでまだ信じていた、町の人々の善性。彼らとの絆。

 その全てを失った今、もうここにいる理由などありはしない。たとえこの先にどのような困難が待っていようとも、この町にいるよりはと思える。

 とにかくもう、ここには居たくない。その旨をのび太に伝え、彼も同意してくれた。

 

「いろいろ考えてみたけど、この計画には協力者が必要だ。

 僕らだけじゃなく、もうひとり味方がいると思うんだ」

 

 あくまで客観的に、というスタンスで、のび太が自らの考えを語る。

 これはいつもの事だし、気にしても仕方ない。しずかは黙って耳を傾けていく。

 

 彼が言うには、その“協力者”には藤木が適任だろう、との事。

 だが情に訴えかけて説得するばかりではなく、彼に報酬を払う必要があるというのが、のび太の意見だった。

 彼としずかの仲は比較的良好だが、この計画にはリスクが伴うし、藤木を納得させる為にもきちんと対価を支払った方が、お互いのために良い。

 そしてその報酬の額は、彼の仕事の相場を考えても、〇〇〇ドルほどが必要だという。

 

「けど、私には〇〇〇ドルなんて、とても……」

 

 しずかは当惑する。

 この身ひとつでドッグヴィルに来て、安い賃金で働く彼女には、金など用意できるハズもない。

 

「大丈夫、それは借りればいいよ」

 

「誰から? お金を貸してもらえる人なんて、私には……」

 

「丸尾くんからさ。

 家の薬棚にヘソクリがあるのは知ってるだろう? そこにはもっと入ってるもの」

 

 確かに棚の整理を引き受けた時、隠されていたお金をみつけた事がある。

 あの時はそっと気付かないふりをして戻したが、のび太もあのお金の事は知っていたようだ。

 

「明日にでも、僕がお金の手はずを整えておく。

 君は藤木の所に行って、話をつけてきて。

 週末だし、藤木の財布はすっからかんだよ。引き受けてくれるさ」

 

 そうニッコリと笑い、のび太が力強く頷く。

 

「丸尾くんには、必ずお返ししますと……」

 

「ああ、もちろん伝えとく。心配いらないよ」

 

 この数日、しずかはこの町で孤軍奮闘していたが、彼は彼なりのやり方で自分の事を想い、しっかりと考えてくれていたのだ。

 やはり頼りになる。彼の協力なくしては、何も出来なかっただろう。少なくともここドッグヴィルにおいては、自分はまごう事なく弱者だから。

 しずかはのび太のもとに歩み寄り、そっとハグを交わす。

 

「ありがとう、のび太さん。貴方はいつも私を助けてくれる。

 こんな状況でも、掛け値なしに私の味方でいてくれたわ……。ほんとうに……」

 

 じっとのび太の顔を見つめた後、おもむろに唇を重ねる。感謝のキスだ。

 その途端のび太の手の指が、電気でも浴びたみたいにピーンと伸びて、何故か爪先立ちになったのが可笑しかった。

 けれど純朴な彼の事を、しずかは心から好ましく思う。彼女はクスリと柔らかく微笑んでから、別れの言葉を告げる。

 

「それじゃあね、のび太さん……また明日」

 

「う、うん! よく眠ってねしずかちゃん……おやすみ」

 

 

 しずかが笑顔で去った後も、のび太は暫しその場に立ち尽くした。

 

 誠実でクールな、こうありたいという理想。それと年頃の男としての悶々とした感情。

 その狭間でグアングアン揺れながら、彼は今日もひとり、茫然と佇むのだった。

 

 

 

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 翌朝、しずかは藤木のガレージに向かい、彼に協力を頼む。

 

 この計画に協力すれば、後で町の人々から責められる事もあるだろう。だから友人としてお願いする上に、しっかり謝礼を払うことも伝えた。

 

 藤木は「他人の不幸で稼ぐのは……」と少し渋ったが、結局は拒否しなかった。

 彼にとっては、荷物と一緒にしずかを乗せて、町の外で下ろしてやるだけの事。少しばかりの積み荷が増えるだけで、手間もかからずに金が入るのだから。

 

 そしてしずかが心配したほどは、罪悪感なども感じていないようだった。

 加工したグラスだけでなく、彼は運送屋として、これまで様々な物を運んできたのだから。

 

「感謝します、藤木さん。ほんとうに……」

 

「いや、良いんだよしずかちゃん。

 こんな僕でも、君の役に立てるならさ」

 

 考えた結果、次の仕事の時に、しずかの脱出計画を実行する事にした。

 もうまもなく林檎の収穫時期だ。それを他所の街に運ぶときに、一緒にしずかを乗せて行くことになった。

 

 彼女は逃げるのだし、まさか助手席に乗せるワケにもいかないので、林檎の箱と一緒に荷台に隠れてもらう事にはなるが、それについては大した問題ではあるまい。

 この町から出られるのなら、例えトラックのボンネットにしがみついていろと言われたとしても、彼女は頷いたことだろう。

 

 

「ちょっとぉ、しずかちゃ~ん!? 何をしているのぉ~う!?」

 

 その時、突然この場に怒鳴り声が響き、しずかは慌てて背後を振り返った。

 

「もう時間でしょ?! なにグズグズしてるの!

 私がそうやってサボってたら、すぐ鞭で打たれるわよぉ?!」

 

 いつもの時間になっても……といってもまだ2分と遅れていないが、とにかくしずかがやって来ないのに焦れたみぎわさんが、怒鳴り散らしながらこの場にやってきて、バシンとしずかのお尻を叩く。

 しずかはビックリするが、今の会話が聞かれていなかった事に安心しつつ、彼女に向き直る。恥ずかしそうにお尻を押えながら。

 

「ご、ごめんなさい、みぎわさん……!

 少し藤木さんとお話を……」

 

「なぁ~にがお話よぉ~!

 あの子は一人でトイレが出来ないの! 知ってるでしょ~!? なのに何してるのよ貴方!

 身体が不自由でも、あの子は大切な私の娘! 花輪くんの子供なのよぉ~!?

 なめてんじゃないわよぉー! バカぁー!!」

 

 ムキ―とばかりにペシペシ叩かれ、しずかは慌てて駆けだす。ヒエーという感じで。

 

 この苦労の多き未亡人は、のび太が提案した“実例”に、誰よりも理解を示していたハズだ。あの時だっていの一番に賛同してくれた。

 しかし今はみぎわさんも、こうして奴隷のようにしずかをこき使い、怒鳴り散らすばかり。

 

 しずかは髪を振り乱しながら、一生懸命ピューっと走るのだった。

 

 

 

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 数日後、無事に林檎の収穫が終わり、しずかの逃亡の日が決まった。

 その日を明日に控え、今しずかとのび太の二人は、いつものように穏やかな時を過ごしていた。

 

「これが……最後になるね。君と過ごす夜も」

 

「ええ、今までありがとうのび太さん。感謝してるわ」

 

 これまではその軟弱さから、彼女に触れることは叶わなかった。しかしのび太は勇気を出し、なんとか良い雰囲気を作れないものかと考えを巡らせる。

 なんといっても、今日が最後。もう会えなくなるのだ。

 

 彼だって年頃の男。人並みに欲望もあれば、好きな女の子に触れてみたいという気持ちもある。それを叶えるにはどうしたら良いだろうと、普段は使わないような部分の脳までもを総動員し、必死に考える。

 

「好きだよ、しずかちゃん。僕は君を……」

 

「ええ、私もよのび太さん。愛しているわ。

 自由の身になって、貴方と再会するわ。ありがとう――――」

 

 だが、いかにも“話は終わり”という雰囲気で、しずかがこちらに背を向けてベッドに横たわる。

 

「あ、あれ? しずかちゃん?

 えっと、今日が最後なんだけど……僕ね?」

 

 内心動揺しつつも、今日はのび太もなんとか食い下がり、ベッドに横たわるしずかを覗き込む。

 まだ寝ないでくれ、君と触れたい。君と愛し合いたいんだ。なんとかそう伝えようと知恵を絞る。

 

「のび太さん。お互いを求めあうのは、とても素敵なことよ?

 恥じることなんて無いわ」

 

「!?!?」

 

 思わず飛び上がりそうになるくらいビックリする。

 その一言に、しずかに覆いかぶさろうとしていた身体が、ピタリと止まった。

 

「けれど、それは今じゃないわ(・・・・・・・・・)

 結ばれるのは、こんな状況ではいけない。私が自由の身になり、二人が対等でなくては。

 愛しているわ、のび太さん――――私を待っていてね」

 

 

 やがてスゥスゥと、しずかの愛らしい寝息が聞えてきた。

 のび太は脱力し、ひとりベッドの片隅でへたり込む。ガックリと肩を落として。

 

 信じている。彼女を信じたい。

 でも最後になるかもしれないのだし、せめてもの想いで、しずかの背中をギュッと抱きしめる。

 ヘタレだし、しずかに嫌われたくないのでこれ以上のことは無理だが、何もないよりはずっと良いので、こうして一緒に眠ることにした。

 

 まぁ案の定というか、しずかの甘い香りや温もりのせいで、このあと一睡も出来ないまま朝を迎える事になるのだが、それはのび太の自業自得である。

 

 理想の自分と、青少年の欲望。

 のび太は最後まで、その間で揺れるのだった。

 

 

 

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 ついに決行の朝。

 しずかは心なしか晴れやかな顔で、一抱えの荷物だけを持って、早朝の楡通りへと出る。

 

 これでこの町ともサヨナラだと、万感の想いで景色を眼に焼き付けるべく家のドアを開けた。

 しかし。

 

「しずかちゃん――――」

 

 家を出てすぐの所で、たまちゃんと遭遇する。彼女はまるで待ち構えるように、楡通りに立っていた。

 

「今まで通り、家に来てね。

 子供をぶつような人にでも、出来る仕事を探しておいたから。

 この町との約束でしょ? ちゃんと働いてもらうからね」

 

 しずかはドキリとしたが、なんとか平静を装い、たまちゃんに向き直る。

 彼女の内心はともかく、その口調は普段とおりの冷淡な物だ。それになんとか返事をして、しずかは再び歩き出す。

 

「ねぇ――――なんで鞄を持って出かけるの?

 誰かに盗まれるとでも思ってるのかな?」

 

 その背中に、たまちゃんの刺すような言葉。

 しずかが振り返ると、彼女は表情を変えずに踵を返し、立ち去って行った。

 

 暫く茫然と立ち止まっていたが、しずかは早くトラックの所に向かわなくてはならない事を思い出し、また歩みを進めようとする。

 だが……。

 

「ねぇ、今日は林檎を運ぶ日だけど、グラス作りは休みじゃないわよ。

 いつも通り家に来て頂戴」

 

 入れ違いのように城ケ崎さんが現れ、冷たい声で言い放つ。

 気配もなく、まるで計ったようなタイミングの声に、しずかの身体はビクッと跳ね上がった。

 

「あんたにとっては安物のグラスでしょうけどね?

 でもここはドッグヴィルよ。みんな貧しいの」

 

 腰に手を当て、睨みつけながら告げる。

 しずかはワケも分からぬまま、なんとか表情を変えずに返事をする。いつもの時間に行きますと。

 

「じゃあお願いね、しずかちゃん。

 あ、そうそう。手が荒れたら塗り薬を教えてあげるわ。頑張ってね」

 

 そう皮肉を言ってから、城ケ崎さんが踵を返す。

 しずかはぼけっとそれを見送るが、また入れ違いのように背中から声がかかった。

 

「しずかちゃん、玄関のドアが開かないの。

 敷石を掃除しといてくれる?」

 

「あーしずかちゃんや? そこにあるクワを磨いといてくれないかねぇ?

 なんかグラグラもきちゃってるから、ついでに直しといておくれよ」

 

「みぎわさんが呼んでたブー。

 さっさと行かないと、またお尻を叩かれるよ? ちゃんと伝えたブー」

 

「しずかちゃん、かまどが煤だらけだよ。

 こんなんじゃパイが焼けない。掃除しといてね」

 

「今日は何時にやる? またおどるポンポコリン歌うから、オッサン役やってね~」

 

 代わる代わる現れる、町の住人たち。

 まだ早朝だというのに、なぜか町の人全員が、外に出てきている。子供達でさえ。

 そして通りかかる全員が、しずかに小さな用事を言いつけて去っていく。今日という日に限って!

 しずかはえも知れぬ焦りを感じながら、なんとか藤木の待つトラックのもとへと早足で向かう。

 

「おい、なにしてんだお前?

 今の時期はな、農園にとって一番神聖な時期なんだ。

 まぁお前には分からねぇだろうがよ」

 

 そして最後に、カゴを背負ったジャイアンに声を掛けられる。

 しずかは慌てて「すぐ行くわ」と応え、彼もフンと鼻を鳴らして立ち去っていく。

 

 彼はいつも通りの、暗く濁った瞳。

 妻であるたまちゃんに知られた後も、彼のおぞましい行為は止むことは無かった。

 変わったのは、以前よりも用心し、狡猾におこなうようになった事だけ。この日にいたるまでの間、毎日飽きる事無く、しずかの身体を貪っていた。

 

 

「……」

 

 早足でガレージへと向かう中、しずかの心は解放感に満ちていた。

 こっそりこの町を出て行くことに、大きな喜びを感じる。もうこの人たちの顔を見なくて済むのだと、清々する想いだ。

 

 この町にある、沢山の仕事。

 しても良いとは思うが、特に必要もないこと――――

 これからはそれを、しずかではなく町の人々自身がやる事になるのだ。

 

 彼女が来たことで少しだけ快適になった生活。そのありがたさを、遠からず思い知る日が来るだろう。

 オルガンの補佐も、話し相手も、排泄の世話も、グラス作りも、掃除も、パイ作りも、全部しずかがこの半年以上も請け負ってきたのだから。

 

 特にジャイアンの性処理は、たまちゃんの役目。彼女が相手をすべきだ。

 たとえそれが愛のない、ただ性欲を満たすだけの行為だったとしても。

 あの獣のような男に孕まされ、あと何人子供ができようとも。

 

 

 

「来たわ、藤木さん。ここに乗ったら良いの?」

 

 しずかがガレージに到着すると、すでにトラックの荷台には林檎が積まれていた。

 沢山の木箱があるが、しずかが身を隠す為のスペースが空けられているのを見つけ、人に見つからない内にと乗り込もうとする。

 だがここで、藤木が待ったをかけた。

 

「ごめんよしずかちゃん、こんな事は言いたくないんだけど……先にお金を貰えるかな?

 これは運送業界の常識でね、客によっては運び終わった後で値切る人がいるから。

 だからいつも必ず、先に貰うようにしてるんだよ……」

 

 藤木は俯きながら、とても申し訳なさそうに告げるが、特にしずかは気にしなかった。

 

「もちろんよ藤木さん。じゃあこれを」

 

「ああ、ありがとう。……まぁ今回のは“仕事”じゃないけどね」

 

 昨夜のうちにのび太が借りてきてくれたドル札を渡し、改めてトラックの荷台に乗り込む。

 木箱の間にある、なんとか一人分といったスペースに身体を滑り込ませると、藤木が荷台に大きなシートをかけて、全体を覆い隠した。

 

「いいかい、しずかちゃん?

 これから出発だけど、僕が合図をするまで、絶対に出ないでよ?」

 

「わかったわ。よろしくお願いね」

 

 荷台に身体を横たえたまま、ささやき声で返事をする。

 やがてしずかを乗せた古いトラックが、大きなエンジン音を立てて出発していった。

 

 

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キャニオンロードは、蛇行して谷を下る道――――

ガタガタと激しく揺れたが、しずかはじっと身を任せ、時を待った

 

角を曲がる度に、シートの隙間から見える町の風景が、消え去っていく

それはとても慈悲深く、しずかの苦しみが終わったのを表すかのように――――

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 荷台に身を潜めて数時間が経った頃、少し空腹を感じたしずかは、傍に転がっていたリンゴを齧ってみた。

 幾ばくかは空腹を満たせたし、喉の渇きも潤う。だが特に美味しくもなければ、小ぶりだし、大した香りもしなかった。

 

 ジャイアンはいつも誇らしげに語っていたが、大した価値など無い。この林檎は、ドッグヴィルという町の価値を象徴しているように思う。

 

 大した魅力もなく、貧相。所詮この程度でしかない(・・・・・・・・・・・)

 物も、人もだ。

 

 なぜあんな町に憧れを抱いたりしたのか。先入観や、上辺だけを見て、素晴らしい物に違いないと期待をしてしまうなんて。

 本当に自分は愚かで、物を知らない小娘だ――――そうしずかは自嘲するが、もう考えても仕方ないと思い、再び瞼を閉じた。

 

 

 

 どのくらい眠ったのだろうか? トラックは延々と走り続け、やがてしずかがまどろみの中で時間の感覚を失くしてしまった頃……。

 

「……?」

 

 突然、トラックが停止する振動を感じ、しずかは目を覚ます。

 運転席のドアが開く音が聞こえ、そこから出たであろう藤木が、しずかのいる荷台へと歩いてくるのが分かった。

 

「藤木さん……どうかしたの?」

 

 しずかが戸惑いながら身を硬くしていると、彼女の傍にあった林檎の木箱の一部が、彼によってズルズルと引き抜かれる。

 ちょうど一人分が入れる、その開いたスペースに藤木が身体を滑り込ませてきて、荷台に横たわるしずかの横に並んだ。

 

「大変だ、この先に警察が大勢いる。待ち構えてるんだ。

 予想もしてなかった……。これは思ってたより危険だよ。

 町に戻らないといけないかも……」

 

「戻る……? それはダメ! 戻ったりなんか出来ないわ……!」

 

 声を潜めながらも、しずかは真剣な声で訴える。

 戻るなど考えられない。今日の仕事を放りだした事で、しずかが町から逃げ出したことは街中に知れ渡っているハズだ。もし戻ればどんな目に合うかなど、想像もしたくなかった。

 

「もし……もしこれが正規の仕事なら。

 ちゃんとした金を貰っていたんなら、話は別なんだけど……」

 

 藤木は顔を突き合わせつつも、どこか言いにくそうに目を逸らす。

 

「お金? それならちゃんと……」

 

「違う。危険が伴う仕事っていうのは、普通より高いんだ……!

 危ない物を運ぶんだから、その分料金も割り増しなのが常識なんだよ。

 これがちゃんとした仕事だったら、君にそれを請求するだけで済むんだけど……」

 

 しずかは少し、あっけにとられた。あの「人の不幸で稼ぎたくない」だのといった言葉は、いったい何だったのか?

 これ以上進ませるのなら、もっと金をよこせ。藤木はこの土壇場でそう言っているのだ。

 

「でも、私にはお金なんて……。もう一銭も……」

 

 しずかは心底困った顔で告げる。というよりも、こんなこと藤木だって分かっているハズだ。

 雀の涙ほどの賃金で、しずかが暮らしていた事など。

 

「そっか、なら仕方ないよね――――」

 

 まるでその言葉を待っていたかのように、藤木がしずかの方に身体をにじり寄せ、肩に手をかける。驚いた彼女は後ろへ下がろうとするが、すぐに背後の木箱に背中がぶつかり、身動き出来なくなる。

 

 どういうつもり? と問うまでも無い。

 今から藤木がしようとしている事を、即座に理解する――――

 

「ねぇ……? 君は僕に言ってくれたよね?

 ローラの店に通うのは恥ずかしくないって……人生には喜びが必要だって……」

 

 まるで被害者のように哀れっぽい口調で、藤木がささやきかける。

 しずかの肩に手をかけ、決して逃がさないようにしながら。

 

「実は、今日も行こうって思ってた……。君の言う“人生の喜び”ってヤツさ。

 けどその料金はね? 危険物を運ぶ割り増し料金ほどじゃないよ……!」

 

 彼とは友人だ。毎日食事の世話をして、仲良く語り合ってきた。

 しずかはそれを思い出してもらおうと柔らかく語り掛けるが、藤木はどんどん息を荒くし、身体を密着させようとしてくる。

 ついにはしずかの胸に手を這わせ、彼女の腰に足を絡めはじめた。

 

「仕方ないんだ……! 悪く思わないでくれ……!

 僕はただ、正当な報酬を貰うだけなんだから……!

 他に方法はないっ! だからこれは、仕方ないんだよっ……!」

 

 藤木がしずかに覆いかぶさる。彼女のスカートの中に手を入れ、下着を剥ぎ取る。

 その間もずっと、自分への言い訳の言葉をつぶやきながら。

 

「藤木さん……やめて、私達は……」

 

「いま教会の傍に停まってるんだっ……! すぐ近くに人がいる……!

 声を出しちゃダメだよっ……!」

 

 もう抵抗する気も起きない。

 いま自分の身体をまさぐっている、卑怯で、哀れで、救いようの無い男に、深く失望して。

 自分はこんなつまらない人を、友人だと信じていたなんてと。

 

「僕もしたくはない……したくないんだよっ……!

 誤解しないでくれよ……! しずかちゃんっ……!」

 

 そう呟きながら、藤木がわたわたとズボンをずり下げて、しずかを突き上げた。

 

「し、しずかちゃんっ……! ぼくはっ……ぼくっ……! ううっ!」

 

 すすり泣くような声を出しながら、しずかの身体を揺らしていく。 

 情けなくヘコヘコと、みじめに言い訳を口にしながら、バカみたいに動き続けていく。

 

 その気色の悪い声を遠くに聴き、どこか他人事のように思いながら……しずかは茫然とシートの天井を見つめて、ただ時が過ぎ去るのを待つ。

 何を思う事もなく、ただ彼が果てるまでの間、力なくその場に横たわっていた。

 全てを諦めるかのように。

 

 ほどなくして、藤木は一度だけ小さなうめき声を上げた後、ヨロヨロとした動きでしずかの上からずり落ちる。

 

 彼は何度かはぁはぁと息を吐いた後、急いでもたもたとズボンを穿きなおす。そして彼女と目を合わせないままで、運転席へと去っていった。

 

 

 

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しずかは眠った。何も考えず、瞼を閉じて

 

彼女は寛大な神から、前だけを見るという稀有な才能を授かっていた

嫌なことを忘れ去れる、優れた能力だ

 

今はただ、ひたすら前だけを見よう。前だけを――――

 

 

 

 

 

「……?」

 

 やがてしずかは、そっと目を開いた。

 ここに横たわってから、いったいどれほどの時間が流れたのだろう? 薄暗闇の中、ひたすらまどろみの中にいた彼女には、知る術もなかった。

 

 だがガタガタと不快だった揺れはすでに収まっており、それはトラックが停止し、目的地へ到着した事を告げている。

 

「あぁ。やっと……」

 

 剥き出しの板の床に長時間寝転がり、しかも身動きも出来ないままでずっと揺られていたので、身体中が酷く痛む。

 きっと服を脱げば、身体中に赤い腫れをみつける事が出来るだろう。

 

 だが今、しずかの胸にあるのは、希望だ。

 あの陰鬱な日々ではなく、ようやく新たな日を迎えられるという、その喜びだった。

 

 しずかは今一度、瞳を閉じる。

 喜びをかみしめるように、手を祈りの形にし、ぎゅっと胸元に引き寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ワンッ!! ワンワンッ!!

 

 

 だが突然、遠くから犬の声が聞こえた。

 

 とても聞き覚えのある(・・・・・・・・・・)、犬の鳴き声が。

 

 

 

 

 

 

 

「林檎に愛情を持ってるとは、とても思えねぇな。……食い散らかしやがって」

 

 荷台を覆っていたシートが、勢いよく取り除かれる。

 突然襲ってきた強い光に、しずかは慌てて目元を庇う。

 

 だが手の隙間から見える人影、そして今した声の主は、ジャイアンの物――――

 それを理解するまでに、彼女は暫しの時間を必要とした。

 

「――――!?」

 

 おぼつかない視界の中、彼女がゆっくりと身を起こして、辺りを見回す。

 すると、このトラックを取り囲むように、ドッグヴィルのすべての人々が立っているのが分かった。

 

 怪訝な、冷たい瞳で、こちらを睨みつけて。

 よくも逃げたな、もう決して逃がさぬと、隙間なく退路を塞ぐように――――

 

 

「……君は知らなかっただろうけど、昨日の夜、集会があってね?

 僕達はしずかちゃん抜きで、話し合いをしてたんだ」

 

 まるでしずかを責めるような、暗い瞳で見つめながら、藤木が(・・・)語り始める。

 

「君が逃亡でもするんじゃないかって、みんな疑ってた。

 最近、なんか君の様子が変だって、不審に思ってたんだよ。

 ――――そしたらどうだ! 僕のトラックの荷台に隠れてるじゃないか!

 僕はそれに気付いて、慌ててこの町に引き返して来た、というワケさ。

 ……運送業は、中立じゃないといけないし……」

 

 しずかが茫然とする中、藤木がぬけぬけと語る。

 まるで「これはそういう事なんだ」とばかりに。彼女に釘を刺すように。一から十までを。

 

 

 ふとしずかが横を見れば、ここから少し離れた場所に、のび太の姿があった。

 彼はこちらを見ようともせず、助けようともせず、ただ黙って足元を見つめ、項垂れているようだった。

 

 彼は昨日集会があった事など、しずかには一言も漏らさなかった。この状況を知りつつも、黙って傍観していたのだ。この計画が失敗するであろう事を理解していながら。

 

 

 のび太の裏切りを知り、しずかは更に打ちのめされる。そして縋るような目で彼の方を見続ける。この町でたった一人の味方を。

 

 だが彼は決してこちらを見ずに、黙って背を向けていた。

 

 

 

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 ここドッグヴィルで、初めての盗難が起きた。

 それはしずかが逃げ出す前の晩、彼女だけをのけ者にし、皆が集会をしている間だったという。

 

 丸尾は、自室の薬品から金が盗まれている事に気が付き、それを皆に告発した。

 それには当然のように、しずかが疑われた。町から逃亡を図り、その為の金が必要だったと思われるからだ。

 

 のび太はあの時、確かに「借りてくる」と言っていたハズだ。

 そしてしずかの伝言である「お金はいつかお返しする」という言葉を、しっかり彼に伝えるとも。

 

 断りなく逃亡したことに加え、窃盗の嫌疑までかけたれた彼女は、この件についての完全な黙秘を決めた。

 もう自分が何を言おうとも無駄だ、決して状況は改善しないという、そんな諦めもある。

 だがのび太へのせめてもの義理として、どれだけ人々から罵られようとも、全ての質問に硬く口を閉ざし、真犯人の名を告げる事はなかった。

 

 

「まったく反省の色もないなんて……なんて子だい!」

 

「信じられないわ! こんな子と一緒に暮らすなんて出来る?! 信用できないわ!

 またいつ盗みを働くか、わかったものじゃない!」

 

 

 憤慨した町の人々は、しずかをガレージに軟禁した。

 そしてエンジニア志望であるはまじに、しずかに使う“逃亡防止装置”の制作を依頼した。

 

 はまじはまず、簡単な設計図を描いた。

 それ以外の人々は、道具を作るのに必要な材料を、町のあちこちから調達してくる事で協力した。

 

 その中でも、特に藤木が積極的に動いていた。

 しずかを恐怖で縛ることによって、口封じをしようとしたのか。それとも是が非でも自身の卑劣な行為を隠したかったのか。

 彼は生来の臆病さと恐怖から、懸命にこの町を歩き回り、素材を集めていった。

 

 軟禁されているしずかの所へも、町の人々の所へも、のび太だけは姿を見せなかった。

 まるで全ての事から逃避するように、しずかへの裏切りから目を背けるように、ただひとり自宅の書斎へと籠り続けた。

 

 

 やがて数時間が経ち、ドッグヴィルに夜の帳が降りた頃……軟禁されていたしずかが楡通りへと連れ出された。

 

 しずかが教師を務め、飛躍的にエンジニアとしての技術が伸びた、はまじ。

 町の人々が冷たい目で見物する中、教え子自らの手によって、彼の最初の作品である“逃亡防止装置”が、彼女に取り付けられる。

 

「頭を下げろよ。着けやすいように髪をどけてろ」

 

 今しずかの目の前には、荷馬車に使われていたのであろう車輪、グーズベリー畑に張られていたチェーン、まる子の店のドアに取り付けられていたベル、そして犬の首輪(・・・・)が置かれていた。

 

 まずはしずかの首に、恐らく山田に使われていた物であろう犬の首輪が、はめられた。

 この首輪には鍵が付いており、自分では決して外す事が出来ない。そこからは例のチェーンが長々と伸びており、その先には大きな車輪が繋がれていた。

 

 しずかは今後どこへ行くにも、この持ち上げる事も困難なほど大きな車輪を、ずっと引きずって歩かなければならないだろう。

 走るどころか、移動にまで様々な制限がかかる。さぞ逃亡防止には効果的である事だろう。

 

「台に寝そべってくれ。これを取り付ける」

 

 しずかが言われるがままの態勢をとると、はまじがハンマーを駆使して、首輪にベルを取り付けていく。

 これは本来、店に客が訪れた事を知らせる為の物。それは犬のベルにしてはあまりにも大きく、そして不格好だった。

 だがこの貧しい町には、他に音がなるような適当な物など無い。見た目の悪さや、しずかにかかる負担などは考慮されなかった。

 

 今後しずかが動く度、歩く度に、このベルが大きな音を鳴らすだろう。

 もう隠れて盗みを働くことなど出来なくなる、という寸法だ。

 

「立ってみてくれよ。どんな感じか見るから」

 

 皆が無言で見守る中、しずかが立ち上がる。

 このベルにはカーブを描く鉄製の把手がついていて、その重みと形状に邪魔されたしずかの首は、斜めに傾いてしまっている。

 あまりにも不格好で、恐らく寝ることにも不自由するだろう。だがはまじは装置の完成に胸を張り、効果はあるハズだと言ってのけた。

 

「しずかさん。悪く思わないで下さい。本当はワタクシも、こんな事はしたくないのだ。

 ですが我々の地域社会を守るには、これしか方法はないのです……」

 

 しずかが首をまっすぐにしようと苦労していると、丸尾が傍に歩いて来て、申し訳なさそうな声で告げる。

 そちらに振り向く事すらままならないまま、しずかはその言葉を聞く。

 

 いかにも親身に接していますという風な、丸尾の言葉。そんな物が今のしずかに届くはずも無い。

 彼女は死んだ目をしながら、首輪のせいで俯く事すら出来ず、ただその場に立ち尽くす。

 

「よし、ちょっと歩いてみてくれよ。動けるかどうか試してくれ」

 

 そんな彼女の心など気にする事無く、はまじは飄々と指示を出す。彼の関心事は装置であり、決して彼女の事ではない。自分の作品の事で頭がいっぱいなのだ。

 

 彼に言われるがまま、しずかはその場から歩こうと試みる。首に負担がかからないよう、両手で鎖をひっぱり、その先にある車輪を動かそうとする。

 だが彼女の細腕では、それは少しばかり動くだけ。手に鎖が食い込み、それはズズズと大きな音を立てたものの、動いたのはわずか数十㎝といった所だった。

 

「おっし、成功だぜ!!

 持って歩いたり出来ないように、わざと重くしたんだよ!

 でも鎖を引っ張れば、平らな所ならこうやって移動できるだろ?

 大丈夫だよしずかちゃん、この町はどこも平らな地面だからよ」

 

 成功を大喜びする、はまじ。

 どうやらこれは、彼の想定した通りの物であるらしい。

 

 

 鎖が、自由を。

 ベルが、信用を。

 そして犬の首輪に、尊厳を奪われた――――

 

 彼女はもう、人ではない。そのような扱いはされていない。

 罪人や奴隷ではなく、人以下の畜生に堕とされたのだ。

 彼女にはめられた犬の首輪が、それを象徴していた。

 

 

「……終わり? ……ならもう行っても良い?」

 

 光のない瞳で、しずかはこの場の人々を見渡す。

 

「どうやって家に入るかを、考えなくちゃ……。

 それとも、罰として外で眠るべきですか?」

 

「とんでもありませんっ!

 あぁしずかさん……、これを罰だなんて思わないで下さい。

 ちゃんとベッドで寝られるよう、長い鎖をつけているじゃありませんか……!

 これはズバリ、貴方の為にわたくしが提案したのですよ?」

 

「……」

 

 もう返す言葉もない。この男は心の底から、自分に親身にしているつもり(・・・)でいるのだ。

 奇妙な装置で自由を奪われ、犬として首輪をされた女に対して。

 

 やがてしずかは皆に背を向けて、歩き出す。

 両手に鎖を喰い込ませ、苦労して車輪をひっぱりながら、家までの帰路を。

 

 一歩分の距離を進んでは、立ち止まって態勢を整え、また鎖をひっぱる。それを延々と繰り返す。

 しずかが動く度に、その首元からベルの音が鳴る。チリンチリンと愉快な音を立てる。

 

 その後ろ姿を、町の人々が眺める。

 ヘンテコな装置を着けられた、あまりにも美しい囚人の姿を。

 自分達以下の存在であり、なんでも思うがままに出来る哀れな雌犬を、まるでショーでも見かのように楽し気に見つめる。

 その顔に、恍惚の色さえ浮かべながら。

 

「……! ……っ!」

 

 しずかは歩く。ひたすらに鎖を引き、何も考えぬまま。

 一刻も早く家に帰り、ひとりになりたいが為に。懸命に。

 

 

 

「――――明日は朝6時ね、しずかちゃん」

 

 

 

 その背中に、笹山さんが声を掛けた。

 手の痛みに耐え、疲労から汗まみれになっている彼女に、まるで何でもない事のように。平然と。

 

 その言葉に、しずかの足が止まる。

 しずかの表情さえも、目を見開いて凍り付く。

 一瞬視界が白く染まり、何も見えなくなった。

 

「はい、笹山さん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

もう振り向くことも出来ず、しずかはこの場を後にする

 

彼女がなんとか振り絞った声は、震えていた

だがふと頭をよぎった「不審に思われてはいけない」という想い

しずかは精一杯に心を込めて、返事をした

 

逆らってはいけない。怒らせてはいけない――――

 

それはまさに、犬の言葉だった

 

 

 

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