しずかちゃんのえんげきぶ。~I'll do a play Dogville~ 作:はせがわ
夜も更け、深夜。
ついにドッグヴィルの町に、車のエンジン音が響いた。
それからの展開は、とても早かった。
「ようこそ皆さん! 僕の名前はのび太、この町の代表者です!」
楡通りを沢山の車のライトが照らし、次々とこの場に黒い車……ピカピカのキャデラックがやって来る。
それを列を作って迎え入れる町の人々。のび太を筆頭とし、この場の誰もが正装に身を包み、客人達をおもてなししようと張り切っていた。
なにせ、しずかを引き渡せば、自分達では一生かかってもお目にかかれないような大金が手に入るのだ。
彼女が身を削りながらしてきた奉仕など、それに比べたら何のことは無い。
確かに毎夜のように代わる代わるおこなっていた“性の訪問”が無くなるのは痛いが、目もくらむような大金が手に入るのだから、藤木も好きなだけローラの売春宿に行く事が出来るだろう。何の問題も無い。
こんな田舎町でも、客人のもてなしは出来るのだ――――
それをバッチリ示す為に、町の人々は勢ぞろいで楡通りに並び、ニコニコと人当たりの良い笑顔を客人たちに向けた。
あわよくば感謝され、更に多くの謝礼を貰えるように。
「さぁ、なんなりとお役に立ちましょう!
この町にはあまり物がありませんが、貴方がたの望む物は差し上げる事が出来るでしょう。
例えばですが、この小さな鍵なんていかがです?」
沢山の車から、いかにもギャングという風貌をした男達がゾロゾロと降りてくる。
のび太は得意げに「てれれれってれ~♪」と“道具を取り出す時のBGM”を口ずさみ、ポケットからしずかの家の鍵を取り出して、見せつけるように掲げた。
「……彼女はどこだ」
「家ですよ。この鍵で閉じ込めてありますので」
ギャングの一人がのび太に近づき、低い声で訊ねる。のび太は馬鹿みたいに、そして得意げに答えた。
だがその瞬間――――この場の空気が凍り付く。
「!?」
「ッ?!?!」
「キャッ?!」
一斉に構えられる、マシンガン――――
大勢のギャング達が、無言でドッグヴィルの人々に対して、武骨な黒い銃の先を向ける。
思わず上げた城ケ崎さんの短い悲鳴が、この場に響いた。
「……どこにいる?」
胸倉を掴まれ、喉元に銃を突きつけられる。
のび太は震えあがる。このただならぬ状況に、先ほどまであんなにも期待に満ちた顔をしていた人々も、固唾を呑んでいる。
「えっ……いやあの、何かご心配事でも?
ああ、あの音だったら、刑務所の建設現場から鳴っているんです。
別に危険はありませんよ?」
鋭い眼光、地獄の底から響くような低い声。
それにすごまれて恐怖しながらも、のび太は精一杯の虚勢を張り、早口でまくし立てる。
「あんな場所に刑務所を作る必要なんて、あるんでしょうかね?
そもそも罪の定義とは、いったい何なのでしょうか?
それはとても主観的で、相対的で、実に曖昧な概念です。
国や地域によって法律が変わるように、はっきりと罪を定義することは難しい。
例えばですが、人を裁く行為を、神ではなく人間が行うのは傲慢だ、という主張もある。
これは実にキリスト教的な『自分達には裁けないのだから、とりあえず何年か拘束するだけにしておいて、あとは彼の死後にでも神様に裁かせよう』という考え方で、死刑は野蛮だとする反対論者たちがよく口にする思想ですよね。
これについて、何かご意見は?」
どこかで聞きかじったような事を喋りながら、のび太はしずかの家の方に歩いて行く。
その背中や、頭や、腹に、沢山の銃を突き付けられながら。
「あ、ご意見はなさそうですね……。
ではこの議論は、また別の機会に。さっさとここを開けちゃいましょう」
手がブルブルと震え、上手く鍵穴を差し込む事が出来ず、のび太は鍵を取り落とす。
あわあわとそれを拾い、一言「失礼」と告げてから、何とかドアを開ける。
「なんだこれは……!? すぐ外させろ!!」
のび太を突き飛ばし、いの一番に家に入った男が、しずかの姿を見て驚愕する。
彼女の頬は痩せこけ、ぐったりとベッドに横たわり、そのうえ奇妙な首輪を付けられている。
男は血相を変えてしずかに駆け寄り、激高した。
「誰だッ! どいつがやったッ!?」
「はまじ、手を挙げて。……手を挙げるんだよっ。早くっ」
おずおずと挙手したはまじが、ギャング達に首根っこを掴まれ、家の中へ引っ立てられていく。
哀れなほどに怯え、何度も転びそうになりながら彼女のもとへ来たはまじは、言われるがままに首輪に手を掛ける。
しずかの方は、何も言わずにそれを受け入れ、落ち着いた様子でベッドに腰かけていた。
「町の安全のために、拘束してただけですよ。
いや、僕らは危険人物の扱いなんて、不慣れだから……」
一方でのび太は、一生懸命ギャング達に説明していた。
やがてしずかの首から、あの醜悪な首輪が取り外され、彼女はほっとしたように痕跡をさすった。
「これは人助け、当然の行為ですっ。お金なんて受け取れませんよっ。
でも貴方がたが、どうしてもとおっしゃ……」
「――――黙れ」
「っ?!」
のび太はビクンと飛び上がり、すごすごと引き下がる。
ギャングの男はのび太には目もくれず、沈痛な顔でしずかの方を見ている。他の連中も同様だ。
馬鹿のように空気を読まず、平然を装っていたのび太だが、ここに至っては認めざるを得ない。
もしかして僕は、なにか大変な過ちを……と。
「いでぇ! ……う゛ぐっ!?」
のび太が茫然と見守る中、もう用済みだとばかりに、はまじが家から蹴り出される。彼は地面を転がり、情けなく蹲る。
思わず永沢や笹山さんが駆け寄ろうとするも、即座に沢山の銃口を突き付けられ、一歩も動くことは叶わない。
彼らだけではない。
今や子供達も含めた町の全員が、不安と恐怖で凍りついていた。
………………………………
………………………………………………………………
しずかはゆっくりと立ち上がり、ギャング達に付き添われながら、家の外へ出た。
彼女に取りなしてもらおうと、町の人々の何人かが声を掛けようとしたが、しずかは一瞥もくれること無く、黙って歩みを進めた。
記憶に焼き付いた音、キャデラックの重厚なエンジン音――――
それは家の中にいてもハッキリと聞こえており、彼女はたとえ目を瞑っていても、いったい町に誰がやってきたのかを悟ることが出来ていた。
不安げな表情の人々は、沢山の銃で威嚇され、しずかの為の道を空けている。
その道は、いま目の前にある、この場で一際煌びやかな車の方へと伸びていた。
しずかは硬い表情のまま、非常に重い足取りで歩みを進めていく。
「さわらないで頂戴。乗るわ」
車のすぐ前に来た時、お付きの者であろうギャングの一人が、しずかの腕を掴もうとする。きっと車に乗るのを躊躇していた彼女を見て、思わず手が伸びてしまったのだろう。
だがしずかは冷たく言い放ち、一度だけ深いため息をついた後……もう一年ぶりとなる男が待つ、後部座席へと乗り込んだ。
………………………………
………………………………………………………………
「……」
「…………」
バタンとドアが閉められてからも、しずかはだた前を向いたまま、口を開くことは無かった。
それは、いま隣に座る男も同じ。しずかと同様に、目を合わせることも無く沈黙を続けている。
フロントガラスからほのかに差し込む、ライトの薄明り。
深夜、そして銃の恐怖によって作られた静寂。二人きりの車内。
やがてその雰囲気に耐え兼ね、お互いを無視しあう我慢比べに負けたかのように、しずかが口を開く。
「……なんのつもり? 私達を撃つ前に、なにか正当な理由作りでもしたいの?」
冷たい声。いまだ交わされる事のない視線。
しずかがこの一年、決して町の人々には向けることの無かった、嫌悪感の滲む態度。
「そんなの初めて見た。
いつもなら、どんな者でも容赦なく殺すのに……。
らしくないわね、
しずかの声を受け、黒いスーツを身に着けていた老紳士が、それを脱ぎ捨てる。そして顔に張り付けていた特殊メイクの膜を、バリっと剥がした。
いま舞台に現れたのは、ドラえもん――――キテレツたちも良く知る、あのネコ型ロボット。
なぜかスーツやメイクを取った瞬間に、恰幅の良い長身だった体形は一瞬にして戻り、まるで子供のような低身長になってしまった。いつものドラえもんの姿だ。
あれかな? 何かしらの道具を使って老紳士に化けてたのかな? そもそもドラえもんって部員なの? ナレーションもやってたけど……。
でもこれは僕らにだけ見せる物なんだし、別に問題はないのかな?
キテレツは驚愕しつつもそう思うが、いち観客である彼には知る由もない。
「……撃たないよ。殺すつもりはないさ、しずかちゃん」
未だ前を向いたまま、目線を合わすこと無く、ドラえもんが小さくため息をつく。
「撃ったじゃない、私を。
私の背中に向けて! 私を殺そうとしたわ!」
「ああ……そうだね。確かに撃ってしまった。
後悔してるよ、しずかちゃん……本当にごめん」
よく見ると、ドラえもんの口元には、よく役者さんが付けているような付け髭があった。
それによって、彼がしずかの“父親役”であることが分かった。
しずかはドラえもんの一人娘であり、大きな組織の跡取りであることが示される。
かくも美しきしずかは、お尋ね者でも銀行強盗でもなく、ギャングの娘だったのだ。
「言い訳になるけれど、殺すつもりなんか無かった。
あれは君を捕まえるため、威嚇のために撃ったんだ。
けどそんな事をしても、何の解決にもならなかった……。君の信頼を失っただけだ」
恐らくは、あの一年前の始まり日、しずかはドラえもんとの壮絶な喧嘩の末に、この町へと逃げて来たのだろう。
ドラえもんはギャング団を伴ってそれを追いかけ、その最中で心ならずも発砲してしまい、しずかに深い不信感を植え付けてしまったのだ。
「どれだけ説得しても、たとえ銃をチラつかせても、君は折れなかった。
まったく……ホントに君って人は、頑固すぎるよ……」
「頑固なのはドラちゃんの方でしょう? 私の言葉なんて、聞きもしなかったくせに。
……ねぇ、私を殺すつもりが無いのなら、何故ここへ来たの?」
「あの時の話、憶えてるかい? それの決着がついてないからだよ。
話の途中だったのに、君は逃げ出してしまっただろ?」
ようやくここで、ドラえもんが彼女の方を向く。真剣な顔で、心なしかジロリと睨みつけながら。
しずかの方も向き直って、険しい顔で睨み返す。負けてなるものかとばかりに。
「あのとき君は、“ぼくのどこが嫌いか”を、たくさん言ってくれた。
けど一方的に言うだけ言って、それで逃げるだなんて、ズルいじゃないか。
だから今度は、ぼくが“君の嫌いな所”を言う番だ。
それが公平な会話のルールだって、そう思うんだけど?」
「……呆れた。そんな事を言うために、わざわざここへ?
ギャング達を連れて、捏造した手配書まで使って……。
それはそれは、ご苦労なことね。ドラちゃん?」
そう皮肉たっぷりに返した後、しずかは改めてドラえもんの顔を覗き込み、少し不安げな声で訊ねる。
「ねぇ、本当は私を、連れ戻しに来たんじゃないの……? 私に跡を継がせるために。
ドラちゃんの力は、自分のためなんかじゃない……。私を守る力が欲しかったからこそ、組織なんて物を作ったんでしょう?
もし自分が居なくなった後も、私を守れるようにって……」
「…………」
真剣な目で問い詰められ、ドラえもんが一瞬だけ目を逸らす。
けれどすぐに向き直り、とても優しい声色で、大切なしずかに語り掛ける。
「もし、そう出来たとしても……やったりはしないよ。
力ずくで連れ戻したら、前と同じになる。……君はもう、ぼくに心を開いてくれない」
「……っ」
「だから、待っているよしずかちゃん。いつまでも。
またうちに戻って、ぼくの娘に……友達に戻ってくれ」
前は、しずかの言い分なんて聞きもしなかった。
こんな貧しい時代。誰もが猜疑心に苛まれ、思いやりなど望むべくもない世界。
悪事が蔓延り、荒くれ者ばかりが跋扈する、か弱い女の子がひとりで生きるには、あまりにも厳しすぎる時代――――
だからこそ、自分の言うことを聞けと。ぼくは君のためにやっているんだと言い、ドラえもんは全ての事を一人で決めて、これまでやってきた。
保護者という立場でしずかを守りはしても、彼女の意見などまったく聞き入れずに、強固な意志を持って多くの悪事を重ねてきた。
だが今のドラえもんは、こんなにも弱々しく俯いている。
機械であるハズの彼が、酷くやつれてしまっている。
一度しずかを失ったことで絶望し、これまで縋るような想いで、必死に彼女を探し続けてきたのだろう。
子育てロボットとして、そして友達として……ドラえもんは危険な仕事をこなしながらも、ずっと男手ひとつ(?)でしずかを育て上げ、大切に見守ってきたのだ。
その限りない愛を、たしかに知っている――――
それを想った途端、しずかの瞳に、熱いものがこみ上げてきた。
「君にその気がないのは、分かってる……。
けれど、どうかぼくの権力と責任を、君に受け取って欲しいんだ。
君はか弱い女の子……でもすごく聡明だよ。
君ならきっと、この力を使いこなせる。この時代を生き抜いていける――――」
幼い頃に、不慮の事故で両親を亡くしてから、しずかはドラえもんの手で育てられてきた。
彼女の遊び相手は、ドラえもん。そして周りにいる荒くれもの揃いのギャング達だった。
それを心から感謝するも、この環境はしずかにとっての反面教師となった。
苛烈で、汚く、血なまぐさい環境。それは彼女に慈悲の心を植え付け、尊い良識という物を育んだ。
そしていつしか、彼女はドラえもんのやり方や考え方に、激しく反発するようになっていった。
顔を合わせれば喧嘩になり、話はいつも平行線。お互い意地になって歩み寄ろうともせず、時にはポカポカと掴み合いの喧嘩になる事もしばしばだった。
まぁ二人のする殴り合いなんて、よく漫画やアニメで出てくる“ケンカ土煙”の上がる、傍から見てとても微笑ましい物でしか無いわけであるが。
いまドラえもんの心の内を聞き、じんわりと情にほだされそうになる彼女だが、それでもしっかりと話し合いをすべく、気合を入れなおす。
少し戸惑いながらも、先ほどの件について訊ねていく。
「ドラちゃんは、私を愛してくれてるわ……。
でもそんなに私に、いったい何の話? 私の嫌いな所って、どこなの?」
先ほどの優しい表情は消え、ドラえもんはまたジロリと睨みながら、口を開く。
「例えば、君はぼくの事を“傲慢だ”って言っただろう?
ぼくの仕事をちゃんと理解もせず、ただ自分の中の良識だけで判断して、そう言った。
これにはすごく腹が立ったよ」
「神様に与えられた権利を奪うのは、とても傲慢なことよ。
違うかしら、ドラちゃん?」
「ああもうっ! それが君のダメな所だよっ!
傲慢なのは君の方だ! しずかちゃん!!」
あの日に交わした議論。
それが蒸し返され、二人はまた烈火の如く言い合い始める。
「私が傲慢……なぜ? それはドラちゃんの方でしょう!?
赦しの心を持たず、人に慈悲をかけることをしないもの!
どうぜこの町の人々にも、後で酷いことをするつもりでしょう?! 裁きだって言って!」
「なんにも変わってないな君は! 一年たっても!
君のお母さんは、もっとおしとやかだったよ!
お父さんだって、勇気と知恵を兼ね備えた立派な人だったのにっ!
いったい誰に似たんだ! 君は実にバカだな!!」
「なんですって!? もう一回言ってごらんなさいドラちゃん! ぶつわよ!?」
もう掴み合いに発展しそうな勢いだったが、ふいに放たれたドラえもんの刺すような言葉に、しずかは動きを止める。
「いいかい、しずかちゃん? 君は
なぜなら良識ぶって、アイツらに同情するからだ」
思わず振り上げた手が、空中でピタリと止まる。
「どんな悪い人でも、許そうとする。
貧しさのせいだとか、孤独のせいだとか言って。
責めるべきは人ではなく、環境だと言って、小綺麗な理屈をこねる。
……君に言わせれば、人殺しも強姦魔も、みんな被害者なんだ。
誰でも被害者に仕立て上げて、ぜんぶ許しちゃう」
「……」
「けどね? ぼくにとってアイツらは、
欲望のままに生き、善悪の区別もつかない、畜生なんだよ。
そんな馬鹿犬に物を教えこむには、どうすればいい? 口で言うのかい?
違うよ……。アイツらがゲロを食べないようにするには、ムチで打つしかない」
ギャングの首領としての、鋭い目つき。しずかとは比べ物にならない程の人生経験。
その言葉の深みに、思わずしずかはたじろいでしまう。
「……でも、犬は本能に従っているだけよ!
それって当たり前の事でしょう? なぜ許してあげられないの?」
慈悲、慈愛、赦すという強さ。
これまで彼女は、その信念を証明するためにこそ、たとえどんな目に合おうがドッグヴィルの人々を赦し続けてきたのだ。
しずかは狼狽えながらも、必死に声をあらげた。
「はぁ……それではダメなんだよ、しずかちゃん。
たとえ犬だって、キチンと教え込めば、トイレのやり方だって、芸だって覚える。
それをちゃんと教えてやるのが、責任ってものだろう?」
「……っ」
「車に跳ねられないように、人を噛まないように躾けるのは、犬自身の為じゃないか。
なぜ君は、馬鹿犬をほったらかしにするの? それは赦しじゃなくて“放棄”だ」
短い時間だったが、ドラえもんはこの町のことを察していた。
首輪の件や、のび太たちの証言によって、ここドッグヴィルでしずかがどんな目に合ってきたかを、おおよそ理解していた。
ドラえもんは、この町の人々がした行いを、許すつもりなど無い。
それをするのは、とても無責任な事だと、彼女に厳しく告げる。
「だから……私は傲慢なの?
ドラちゃんは、人を赦すことを、傲慢だって言うの……?」
本能のまま、欲望のままに際限なくエサを貪った、ドッグヴィルの人々。
その横暴と邪悪さを、目を逸らすように許し続けてきた自分――――
グラグラと信念が揺らぎ、震える声で問いかけるしずかに対し、ドラえもんが更に指摘する。
「バカ! そういうのが駄目だって言ってるんだ!
君のそういう物言いこそ、人を見下してる証拠だ!!」
「ッ!?」
ビクンと、しずかの身体が跳ねる。
瞳に涙を滲ませ、哀れなほど震えてしまっている。
「いいかい? 君にはね、
自分は良識的な人間だ、私ほど優れた倫理観を持ってる人はいないって!
――――だからそんな風に、『他人を許してやる』だなんて言えるんだ!!
君こそが、他人を見下してるじゃないか! 他の全ての人間を!!」
「……!」
「君が大好きだ! 誰よりも大切だ! 君の為なら死んだっていい!
――――でもこんな傲慢な考えを、ぼくは他に知らないよっ!!
ギャングのぼくもビックリだよ!」
髪の毛はないし、手だって丸っこいのに、もう「ムキャー!」と頭を掻きまわしながら、ドラえもんは叫んだ。
「何故……? なぜ慈悲深くては、いけないの……?」
「もちろん慈悲深いのは良いことさ! そんな君が大好きだ!
でもね? いつもそうじゃいけなんだよ……。
必要な時は、ちゃんと罰しなきゃ」
「……」
もう、どうやったら分かってくれるんだ……。そうドラえもんが苦心しているのがアリアリと見て取れる。
この聖女のように優しい、愚かな頑固娘を、なんとかしなくてはと。
「人はね? 自分の行動についての責任を持たなきゃいけない。
それをやってこその、人間だ。……しずかちゃんも分かるよね?」
「……」
「しずかちゃんは、もし自分が悪い事をしたら、罰を受けて反省するでしょう?
なら同じ人間なんだから、彼らもちゃんと、罰を受けないと。
さっきぼくは犬だと言ったけど……しずかちゃんにとっても、彼らは犬なのかい?
もし人間だと認めるんなら、君が自分に課しているのと同じ罰を、彼らにも与えるべきだ」
ウルウルと潤んだ瞳で見つめられ、それに負けるかのように、ドラえもんの口調が優しくなっていく。
たとえ親代わりだとしても、女の子を泣かせてしまうのは、精神的に
「ぼくが君を、傲慢だと言うのはね?
君がその“責任を取る機会”さえ、人に与えないからだ。
罪に目を瞑り、なんでも許しちゃうから……その人は反省も贖罪も出来ない。
たとえその時は良くても、きっとその人は、また同じことを繰り返しちゃう。
ずっと悪いままなんだ」
「……」
黙りこくったしずかに、ドラえもんが最後の忠告をする。
「だから、同じ人間で、対等だと思うんなら――――彼らを罰しなきゃ。
それをせずに、彼らを自分以下だと見下すこと。それこそが傲慢なんだよ」
しずかは打ちのめされた。
なんの反論もする事が出来ず、ただドラえもんから目を逸らし、下を向くばかり。
二人が並んで座る、薄暗い車内を、重い沈黙が包む。
屈したワケじゃない、信念が折れたワケじゃない。ただ何も言い返すことが出来ない以上、この議論はしずかの負けだ。
一年前ならば、きっとこんな事は無かった。しずかはその無知と蛮勇を持って、猛然と食って掛かったことだろう。
だがこのドッグヴィルでの経験が、しずかの口を貝のように閉じさせる。
あまりにも芯を食ったドラえもんの言葉に、心が悲鳴を上げていた。
「私もドラちゃんも傲慢よ……それでいいでしょう?」
そう負け惜しみのように言うのが、精一杯。
「言いたいことは、それだけ? ……ならもう帰って頂戴」
プイッと横を向き、ドアの取っ手を掴んだ。
「友達を残して、帰れっていうのかい?」
「そうよ。……ドラちゃんなんて、もう知らない。
顔も見たくないもん……」
内心は核弾頭クラスのショックを受けながらも、ドラえもんは子守ロボットとしての矜持をもって、持ちこたえる。
「そっか……。君がそう言うんなら、仕方ない。
でも聞いたところ、君はこの町に住むには、大きな問題を抱えているみたいだけど?」
「いいえ、ギャングの家で暮らすほどじゃないわ」
君ってヤツは、どれだけぼくの心を抉れば気が済むんだ……言葉のデンプシーロールか。
そう“女の子”という生き物の残酷さに恐れおののきながらも、ドラえもんは何とか涙を堪え、優しい声色を作る。
「じゃあ、少し考える時間をあげるよ。
もしかしたら、考えが変わるかもしれないし」
「いいえ、変わらないわ。無駄よ」
「そんなこと言わずにさ……?
いやー、車の長旅で疲れたなー! ちょっとひと休みしようかなー!
どら焼きでも食べてさ!」
キャデラックに常備されているどら焼きをイソイソと取り出していると、もうしずかはドアを開き、外に身を乗り出そうとしていた。
もうぼくと話す事は無いと言うのか。どんだけ容赦がないんだ君は。ここはぼくと一緒にどら焼きを食べる流れでしょうが。それで仲直りでしょうが普通。
ドラえもんは、再び恐れおののく。女の子こわいわー。
「でもしずかちゃん? 権力っていうのは、そんなに悪いものじゃないよ。
力は使いようだ。きっと
「……」
「ちょっと散歩でもして、考えておいで? きっと夜風が気持ちいいよ。
ぼくここで待ってるから。……お願いだよ、しずかちゃん」
ブスッとした顔で睨まれながらも、なんとかこれだけは言う事が出来て、ドラえもんはほっとした。
「ここに住む人たちは、厳しい環境下で、精一杯がんばっているの――――」
最後に一度だけ振り向き、しずかは信念を押し通すように、ドラえもんに告げる。
あくまで町の人々を擁護する、尊い信念を。
「うん、確かにそうかもしれない」
しかし、ドラえもんは、
「――――けど、彼らのしている事は、良いことかい?
君を愛してくれてたかい?」
………………………………
………………………………………………………………
「なによ! ドラちゃんのバカ! 分からず屋っ!」
「分からず屋はどっちだよ!? このワガママ娘!
親の顔が見てみたいよ! ぼくが保護者だけど!」
「うるさい! ドラちゃんなんか嫌いよ! 死んじゃえ!」
「死んじゃえとはなんだ! それが親に対して言うことか! さっきの慈悲はどうした!」
「バカ! バカ! ドラちゃんのバカ! バカバカ!」
「語呂が少ないんだよッ!!
なに? 君は怒ると頭が悪くなるの? 子供かっ!」
「バカ! うんち! たぬき! 青たぬき!」
「――――誰がタヌキだッ!!!!
それを言ったら戦争だよ?! 君にその覚悟はあるのか!
いつもお風呂ばっか入ってからに! 水道代がかさむんだよ!」
「うんち! たぬき! うんちブルーたぬき!
そんなだから、ネコのミイちゃんにフラれるのよ!」
「――――ミイちゃんはいま関係ないだろう!!??
え、なんで知ってるのしずかちゃん?! なんでいま言ったの?!
いまキテレツ君たち見てるんだよ?!」
……と、最後に壮絶な罵り合いをした後、しずかはキャデラックの助手席を降り、楡通りに立った。
ひとり夜の町を歩きながら、のんびりと風景を眺める。
季節は秋の半ばで、少し肌寒いが、ドラえもんの言った通り、夜風が心地よかった。
「……ふぅ」
あれだけ火照っていた頬も、思考も、今はスッキリしている。
もう十分に物を考えることが出来る状態だが、しずかにはもう、改めて考えることなどありはしなかった。
「答えはもう、決まっている……。
この町を、去るしかないわ」
もしドラえもん……いやギャングの父親が、自分を殺しに来たのでなければ、きっと帰るようにと諭され、ここを去ることになるだろう。
そして自分はいずれ、ギャングの跡目を継ぐという道を歩まざるを得なくなるだろうと、その覚悟は出来ていたのだ。
自分のよく知る都会の人々と、ここの人間達には、大した違いはなかった。
あんな薄汚い世界では無く、普通の女として生きたいと願って家を飛び出したものの、それは儚い願いでしかなかった。
ならばどちらを選ぼうとも、どこへ身を置こうとも、しずかにとってはあまり変わらないのだから、今さら考え直すことも無い、ただ流れに身を任せるのみだ。
「……あら?」
やがて何気なく歩くうち、薄暗い光の中で、グーズベリーの茂みが目に留まる。
ふと立ち止まったしずかは、グーズベリーの茂みの前にしゃがみ、慈しむような目でそれを見つめる。
「綺麗……とても美しいわ」
きっとこのグーズベリは、春になれば沢山の実を付けることだろう。その光景を想像し、ほのかに笑みを浮かべる。
それが見られないのはとても残念だが、苦労して土を耕したことや、頑張って手入れをした事は、今もしずかにとって大切な思い出だ。
「……ごめんなさい、皆さん」
立ち上がり、周囲を見渡してみる。
するとそこには、しずかの動きを不安げに見守る町の人々の姿があった。
まる子、永沢、土橋さん。
卑怯者の藤木、無口な野口さん、愛らしいたまちゃんの子供達。
あの野蛮だったジャイアンですら、今はもう見る影もない。
彼らは遠くからこちらを見つめ、暗い顔で押し黙っている。自分達はどうなってしまうのだろうと、不安で仕方ないのだろう。
彼らにそんな顔をさせてしまっている事を、しずかは心から恥じる。これは私のせいなんだと。
小さく謝罪の言葉をつぶやいて、皆から目線を外した。
「きっと、私も同じだった。
だからもう、いいの……」
なぜ彼らを憎めるだろう? こんなにもか弱く、寂しい人たちを。
仮にだが、もし自分が逃亡者ではなく、この町に住んでいる側だったとしたら、きっと自分も同じことをしたと思う。弱者を攻撃し、一緒になって奪ったことだろう。
たとえ倫理的でない行いだったとしても、集団心理やその場の空気に抗うことは、きっと出来なかったように思う。
ここは辺境にある、15人しかいないような閉鎖的な町。この場所でただ一人信念を貫くこと、孤立を恐れず正しい道徳を実践することは……至難だ。
きっと善の心を育むことさえ、とても難しいのかもしれない。
人間には、悪の心と善の心、その両方が備わっている。
置かれている状況によって、そのどちらにもなりえる。
この町にやってきた当初、しずかが確かに人々から厚意を受けてたように、決してどちらかひとつだけでは無いのだ。
誰もが悪になりえ、また善になりえる。
ならばもう、何も言うまい。
しずかはその善性、そして神から授かった天性の能力により、再び前を向くことにした。
「さようなら、ドッグヴィル――――ありがとう」
この町で学んだ得難い経験、そして確かにあった楽しい思い出だけを胸に、しずかは元の町へ帰ることを、決めたのだった。
――――だがその時、突然空を覆っていた雲が途切れ、空に真ん丸の大きな月が浮かんだ。
「――ッ!」
突如として現れた、まるでポッカリと空を穿つような、巨大な月。
それは神聖で、神々しく、どこか底知れぬ不気味さを感じさせる、絶対的な存在に見えた。
そして、その月明りがこの場に差し込むと、今まで見ていた景色が一変した。
ドッグヴィルの町が、またしても違う景色を見せたのだ。
「……え?」
まず、月明りは建物の醜さを照らし出した。
ここにあるのは、とても家とは言い難い、犬小屋のようなみすぼらしい建物ばかり。
自身の記憶にある物とは似ても似つかない、貧相でボロボロの光景だ。
そして月明りは、町の人々の醜さをも照らし出す。
不気味な薄明りに照らされ、人々の顔はまるで幽鬼のよう。それはとても血の通った人間には見えず、生者を妬み、呪い、共に地獄へ引きずり込む化け物のように見えた。
そのどれもが、月明りさえ照らすのを拒むような、醜悪な物。
ここは慈悲とは無縁の、神さえ見放した、醜悪なゴミ溜めなのだ――――
「…………」
先ほどまで見ていた、グーズベリーの茂み。
春の訪れを想像し、心があたたかくなっていたハズの、それ。
だがしずかには、こんな物に実がなるなど、とても想像が出来なかった。
見えるのは、鋭い棘ばかり。触れれば手を傷つける、醜くて忌まわしい存在でしか無い。
それが、いま目の前にある、真実だ。
「私は今まで、何を見てきたの……?
これが本当の…………ドッグヴィル」
憧れ、期待、先入観――――
その全てを失った時……しずかの瞳に、この町の本当の姿が映る。
道徳、慈悲、矜持――――
これまで必死に押さえつけ、ひたすらに耐えてきた。
だが今、まるで目の前の霧が晴れたように、この町の本来の価値が理解できる。
なんて事だ。
いままで私は、いったい何を見てきたのかと。
「ああ、
こんな物、この世界にあってはいけない――――」
しずかは今、これまでどうしても出なかった、己の疑問に対する答えを見出す。
彼らは、間違っている――――
彼らのした事は、許されないことだ――――
もし彼らと同じことをしたなら、私は自分の行いを、何一つ擁護できないだろう――――
自分が彼らから受けてきた行いは、決して許されるべき物なんかじゃない。
議論の余地すらなく、ハッキリ“悪だ”と断定できる。恥ずべき行いじゃないか。
突然、夢から覚めたように、そう気付く。
恋人に裏切られた女が、その愛を一瞬にして憎悪に変えるように、全てが反転する。
「汚い……汚いわ。
なぜ私は、こんなおぞましい者達を……」
そして彼女の悲しみ、苦痛、怒りは……ついに収まるべき場所を見つけた。
いまようやく、彼女はすべき事をしっかり理解したのだ。
「正義を行う力があるのなら……それをする義務がある。
しなければ、ならない」
目を瞑ってはいけない。義務を放棄してはいけない。
ただ許し、それを罰さない事こそが、
ほかの多くの人達のために。人間性のために。
「そして、哀れな私のために」
信念も倫理観も、誇ることは出来ない
それでもう、構わない
慈悲も、赦しも、この町には不要だ
そんなもの、
迷いは無い。今ははっきりと見える
この不気味な月明りが、ようやく彼女の目を開かせる
しずかは駆け出す
息を切らせ、ドラえもんのもとへ――――
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「どら焼きには日本茶と思われがちだけど、意外とコーヒーとも合う。
これがぼくの愛する、どら焼きの懐の深さなんだ」
「そうねドラちゃん。お腹が空いてたから嬉しい……」
車内に戻ったしずかに、どら焼きを差し出す。
彼女はそれをモグモグと頬張りながら、グイッとコーヒーを飲み干し、話を切り出した。
「ねぇ? もし私がまた、ドラちゃんの娘に戻ったら……いつ権力を与えてくれる?」
真剣な目でこちらを見ている彼女。
ドラえもんはそれを見つめ返し、表情を変えずに告げる。
「今すぐにでも」
鋭い眼光、真摯な声。
「じゃあ……今すぐ」
「うん、いいよしずかちゃん」
コーヒーカップを置き、改めてしずかに向き直る。
突然の豹変にも見える彼女の態度。心境の変化。だがドラえもんはそれを訊く事をせず、親としての包容力をもって許容する。
「私が、問題を解決するわ。
このドッグヴィルが抱える問題を……」
強い想いを感じさせる言葉だが、しずかの身体は震えていた。
ドラえもんは当然のようにそれに気が付き、いつものように、彼女の心を支える。
「まずは、山田だったかな? あの犬を撃ち殺して、壁に釘付けにしようか。
ほら、あそこのランプがかかっている壁にでもさ。
……どうだい? ここ
ドラえもんは、少しでも責任を肩代わりするように、そう提案する。
やるのはしずかの意思。だがそこに自分の意見が入れば、多少は彼女の心にかかる負担も軽減されるのではと。
しかし……。
「いいえ、それでは意味が無い。少しばかり怯えさせるだけ」
その提案は、即座に否定される。
「犬を殺したところで、彼らは更生しない。また同じことが起こるわ。
いつか、新しい誰かがやってきて……彼らの弱さを暴くから」
ドラえもんは、コクリと頷く。
なるほど、その通りだ。痛みを伴わない罰など、奴らには意味がない。
ごめんね、安らかにねと、その場かぎりの安っぽい涙を流し、そして自らの無事を内心で喜びながら、全てを忘れ去るだろう。
「だから、私にやらせてほしいの。
世の中を、せめて少しだけでも、良くしたいから――――」
祈るような言葉だった。
聖女のような、苦難を背負うことを決めた殉教者のような、覚悟の滲む声だった。
「いいよ。ぼくはここで見ていよう。……君のそばで」
「ええ。ありがとうドラちゃん」
優しい時間が流れた。
しずかと、ドラえもん――――二人が親愛を込めて見つめ合う、あたたかな時だった。
けれど……突然鳴ったドアをノックする音に、二人は現実に引き戻される。
窓越しには、ドラえもんの部下の男が立っているのが見えた。
「すいませんボス……あの“のび太”とかいう若造が、お嬢さんに会わせろって言ってまして」
その言葉に、しずかの表情が強張る。
「いくら言っても聞かねぇんです、うるさくてかなわねぇ。撃っちまいますか?」
「ダメッ! ……ドラちゃん、彼と話をさせて」
しずかは車を降り、駆け出していく。
そこには、ほのかに引きつった顔でこちらに手を振っている、のび太の姿があった。
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「や、やあしずかちゃん。秋の月夜っていうのは、心なしか……」
「なんの用? ……この期に及んで、いったいなんのつもり?」
虚勢を張ってはいるが、彼の足がガクガク震えているのが見える。
忌まわしい月の光が、かつて愛した人の醜さを、はっきりと映し出す。
「えっと……みんな怯えてるよ。子供達も可哀想だ。
君を疑うわけじゃないけど、まさか僕ら……罰せられたりしないよね?」
予想通り、縋ってきた。
自分ではなく、子供のことを出して、情に訴えている。
いったいこの人は、どういう頭の構造をしているのだろう? 自分が私にしたことを、まさかスッパリと忘れているのか?
それとも、そんなにも自分への愛に自信があるのか? 私なら許す、言う事をきかせられると、そう思っているのか?
しずかは理解に苦しむ。
愛が消え、盲目だった瞳が開いた今、彼という人間の醜悪さがはっきり分かる。
まさかこんな男を信じていたなんてと、本当に自分は愚かだったと痛感する。
「もちろんよのび太さん。安心して頂戴」
早くこの場を去りたい。もうここに居たくない。
しずかは早くドラえもんの所に帰るべく、適当な返事をした。
「はは……いや良かったよ。正直なところ不安だったんだ」
けれど、まだ話は続く。この期に及んでヘラヘラしている彼に、不快感が湧く。
「僕は……怖い。恐ろしいんだ。
別に恐れを抱くことは、罪ではないだろう?」
「ええ、そうよ」
哀れっぽく、同情を誘うように。
彼は本気で、まだしずかが自分を愛していると、信じているのだ。
「君を利用してゴメン。
どうか許してくれ、僕が愚かだったよ。
それに時として、傲慢なところがあったかもしれない」
「…………」
ようやく彼女の冷たい雰囲気を感じ取ったのか、のび太は額に冷や汗をかきながら、必死に言い募る。
「いや、確かに人を利用するのは、良くない事だけどさ……?
でもこれだけは確かだよ。君という“実例”のおかげで、
「――ッ!?!?」
しずかは硬直する。いま目の前の
「人間について、より深く理解することが出来た。
君も僕もつらかったけど、人々への啓発になったよね!
これはすごく価値のあることだよ! しずかちゃん!」
何と言った? いまこの男は、いったい何を?
自分のやった事に、
――――この私に対して! あっけらかんと!!
「や……やめてっ……!!」
しずかはヨロヨロと後ずさり、そのまま駆け出す。
もう一瞬でもここに居たくない。この人の顔は見たくない。……心が潰れてしまう!!
今しずかの中で、本当の意味で信念が崩れ去る。
今まで信じていた物、大切だった物、守ってきた物……その全てが音を立てて崩壊する。
「おかえり、しずかちゃん」
車に辿り着き、バタンとドアを閉める。
ドラえもんの隣に座るしずかは、虚ろな目で前を睨みながら、暫くのあいだ押し黙っていた。
ドラえもんもそれに付き合い、彼女に寄り添うように、ただ沈黙を守る。
「――――この町は、地上から消えた方がいいのよ」
やがてボソリと呟かれた、深い絶望の滲んだ言葉。
鋭さを孕んだ、彼女の決意。
それを聞き届けたドラえもんが、車の傍に立つ部下を呼び寄せ、キッパリと告げる。
「全員殺して、町を焼け」
低い声で、はいボスと。そう部下の男が返事をした。
ドラえもんは再び後部座席に身体を預け、ふぅと深くため息をついた。これで終わったとばかりに。
「そうだわ……。ねぇドラちゃん?」
「ん、まだ何かあるのかい?」
「ある女を、今から言う通りに殺してほしいの」
キョトンとした顔でドラえもんが振り向くと、そこに一点を睨みつけたまま微動だにしない彼女の姿があった。
「一件、とても子だくさんの家があるのよ。
そこの母親が見ている前で、子供達を撃って」
ここではないどこかを見つめながら、感情の無い声で告げる。
「まず2人殺して、もし涙を堪えることが出来たら撃つのを止めるって……その女に言って」
しずかの瞳には、あのとき粉々にされた人形たちの姿が映っていた。
思い出も、真心も、全て打ち砕かれた日の思い出だ。
「でもね……? すぐ泣く女なのよ……ドラちゃん……」
しずかは、どこかキョトンとした子供のような目で。甘えるように言う。
少しだけ、涙の潤んだ瞳。憂いに満ちた美しい顔。
ドラえもんは部下に命令をした後、父親の顔で彼女を見つめる。
「ああ、一刻も早く君を連れ帰ろう。
多くを学び過ぎたね――――」
やがて、騒がしくなった外の音が、車内にも響いてきた。
ギャング達が町にガソリンをまき始め、人々は悲鳴を上げて逃げまどう。
「寒くはないかい? 何か羽織る?」
「いえ、だいじょうぶ」
「コーヒーが欲しい時は言ってね。どら焼きも、まだ沢山ある」
「ええ、ありがとう……ドラちゃん」
二人は肩をくっつけて寄り添い、お互いのぬくもりを感じながら、椅子に身を委ねる。
そんな中、部下の一人が車に寄って来て「カーテンを閉めますか?」と二人に問いかけた。
このボス専用の豪華なキャデラックには、後部座席の窓にカーテンが付いている。それを閉めれば、お嬢さんがこの惨状を見なくてすむという、部下なりの気遣いだったのだろう。
「いえ、開けておいて頂戴。……そうすべきだわ」
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ギャング達が、一斉にスーツを脱ぎ捨てる。
そこに現れたのは、
赤、黄色、緑、白、紫。
あらゆる色をしたネコ型ロボット達が空から舞い降り、手にした不思議な道具と黒い銃をもって、地上のゴミ共を殲滅する。
紅蓮の炎に包まれたドッグヴィルに、人々の上げる悲鳴が木霊する――――
「ぎゃぁぁぁあああああああああああ!!!!」
炎の中を走り、ひとりだけトラックに乗って逃げようとした藤木に、マシンガンの弾が撃ち込まれる。
彼の身体は、運転席で踊るように跳ねて、元の形が分からなくなるまでバラバラにされた。
人の弱みにつけこんではいけない。卑怯な行いをしてはいけない。
その教訓をもって、彼は絶命した。
「いいいいッ! 痛いぃぃ!! 痛いよママァァァーーーーッッ!!!!」
スネ夫は、窓の傍に歩こうとしている所を、背後から撃たれた。
倒れ込んだ彼にも容赦なく銃弾が撃ち込まれ、腕が千切れ飛び、腹から臓物がはみ出した。
彼は愛しのママを呼びながら、銃弾の裁きによって嬲られながら死んでいった。
盲目だった彼の目は見開き、最後は夕焼けではなく、血と炎を映した。
「許して! ごめんたらっ!! ……もうあたしゃ、あんなことしないからッ!!」
まる子の懇願も虚しく、銃弾が撃ち込まれた。
大切に手入れしていたグーズベリー畑は、彼女の血で真っ赤に染まった。
いくらまる子の命が養分になろうとも、これほどまでに銃弾で荒らされたなら、もう春になっても実を付ける事はないだろう。
桜色だったほっぺは、原型をとどめずに吹き飛んだ。
もうしずかに対して皮肉を吐くことも、畑を通るなと注意することも出来ない。
トレードマックだったおかっぱの髪も、頭蓋骨や頭皮と一緒に、どこぞへ飛び散っていった。
「……ッッ!!?? ……ッッ?!?! ……くっ……ああああ……!!」
まる子と折り重なるように、野口さんも倒れた。
その上から、雨のように銃弾が浴びせられた。
パイを焼く手も、もう必要ない。そもそもこの数か月のあいだ、それは全部しずかに任せきりだったのだから。
お笑い番組を観る目も、不気味に笑う口も、もう必要ない。彼女がそれをすることは二度と無いのだから。
やがて二人の身体は、境目を失くして見分けがつかなくなり、ひとつになった。
ぶちまけられた二人分の血液が、店の周囲を赤一色に染めた。
「何だよ……!? なんで僕が死ななきゃ……!! ぎゃぁぁあああ!!」
「いやぁぁぁあああーーーーーッッ!! あああああああああ!!!!」
「うわぁぁぁああああああ!!!! うわぁぁぁあああああああああ!!!!」
「やめてッ!! やめてよッ!! 殺さないで!! 殺さないでぇぇぇえええええ!!!!」
永沢一家は、寄り添い合って死んでいった。
ひと塊になって蹲ったところを取り囲まれ、百を超す銃弾が撃ち込まれた。
永沢は、玉ねぎのようだった頭部をザクロに変え、脳髄を垂れ流した。
笹山さんは胸部と喉に銃弾を撃ち込まれ、喘息だった身体は随分と風通しが良くなった。
愚鈍なはまじは手足を撃たれて、鼻水を垂らして泣いた。だがすぐ眉間に銃弾を受けて大人しくなった。
愛らしかった城ケ崎さんの顔は、沢山の銃弾を受けて穴だらけになり、グチャグチャに原型を失くした。
彼らの苦しみは、ほんの一瞬。彼らが長くしずかに与えていた苦痛に比べれば、はるかにマシな物と言える。
もう人を妬むことも、人の足を引っ張ることも、出来なくなった。
「娘だけは! どうか娘は許してッ!! この子は花輪くんのッッ!!」
愛する娘と共に、みぎわさんも息絶えた。
降り注ぐ銃弾によって、昔バレエをやっていたとは信じられないような醜いダンスをして、糸の切れた人形のように倒れた。
もう娘のオムツを縫うことも、しずかに排泄の世話をさせる必要もなくなった。
隣町に掃除婦として働きに出る必要もない。娘といっしょに、死んだ夫のもとへ行った。
「ち……近づくなっ!! ワタクシに近づくんじゃないッ!! やっ……やめ……!!」
お気に入りの安楽椅子に倒れ込み、丸尾も死亡した。
過去に多くの人を治療してきた腕は、肘から千切れて挽肉になった。
メガネも割れ、脳みそさえ吹き飛んだが、今となっては大した問題じゃない。彼はすでに医師を引退し。誰の病気も治すことはないのだから。
もうしずかを診察と称して慰み者にする事も、偉そうに知識をひけらかすこともない。
身内であるのび太が金を盗んだと知りつつ、それを隠していたという秘密を抱えたまま、彼は死んでいった。
「……主よ」
土橋さんは、神へ救いを求めながら、それも叶わぬまま肉塊になった。
おとなしかった彼女らしく、最後は断末魔の声も上げずに、静かに死んでいった。
賛美歌を弾き、聖書を読み込んでいた彼女は、ちゃんと「告げ口は罪である」ということを知っていたハズなのに。
そのせいで神様にそっぽを向かれ、大切なオルガンを汚い血で汚した罪を償いに、地獄へと旅立っていった。
「い゛て゛ぇ! お……俺の
最初に股間を撃ち抜かれ、その後全身に銃弾を浴びたジャイアンが、その血によって地面をリンゴの色に染めた。
あれだけぶっきらぼうで高圧的だった彼も、銃を向けられれば女の子のように泣き、惨めに許しを請うばかりだった。
いちもつを失い、もう二度と妻に子供を産ませることは出来ない。
女を脅し、野獣のように腰を振っていた彼は、もう欲望のままに誰かを虐げることは無いだろう。
彼は全身の血と臓物を地面に流し、大切に育てはしたがその実たいした価値も無かった林檎の養分となり、その成長に貢献した。
「ああああああああああああ!!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
二人目の子供が撃たれた時、たまちゃんは堪え切れずに涙を流した。
不安定だった彼女の精神は決壊し、ペタリと床に崩れ落ちて、慟哭の声を上げた。
彼女は、自身がしずかに強要したことを、実践できなかった。
教育者ぶってはいたが、自分にできない事を人にやらせようとするのは、明らかな間違いだ。
ブー太郎は「母さん! 母さん!」と叫び続けていたが、口に銃を突っ込まれた次の瞬間に、頭が吹き飛んだ。
まさか彼も、自分が散々コケにしていたお姉さんがギャングだったとは、夢にも思わなかったことだろう。
知能も足りない愚かな子供であった彼では、この死に方も仕方なかった。
ベッドに隠れていた、たまちゃんそっくりの女の子たちも、次々と撃たれた。
赤ん坊のアキレスがドラえもんズに抱き上げられ、即座に床に叩きつけられた後、銃弾を撃ち込まれた。
それを見たたまちゃんは発狂して泣き叫ぶが、黙れとばかりにマシンガンの掃射を浴びた後、すぐ大人しくなった。
もう冷え切った夫婦仲も、子供達への教育も、思い悩む必要は無い。
彼女の苦悩は、ようやく終わりを迎えたのだ。
しずかを虐げていた人々は、死に絶えた
誰もが犬のように鳴きながら、惨めに死んでいった
まさに
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しずかは町の終焉を見届けた後、ひとり車から降りた。
そこに立っていたのは、のび太――――
青ざめた顔で、茫然とこちらを見つめている、過去に愛した人。
「すごい……凄いよしずかちゃん……。
君の示した“実例”は、僕のよりずっと……」
しずかが手に持っている物に気付き、のび太は後ずさる。
だがこの期に及んでも、彼は冷や汗を流しながらペラペラと喋り続ける。
まるで、まだ自分の言葉には、人々の心を動かす力があると信じているかのように。
その恐怖を、掻き消そうとするように。ペラペラと。
「勉強になったよ。こんなにも恐ろしく、こんなにも明快で……いやはや参った。
君は素晴らしいよ、しずかちゃん! もう最高さっ!
……あ、もし良かったら、僕の小説で使わせて貰える?」
しずかは無言のまま、ゆっくりと歩み寄り、のび太の背後に周る。
そして彼の後頭部に、拳銃を突き付けた――――
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「自分の手で、すべきことがあるの」
炎に照らされ、赤く染まった月の下で、ひとしきり涙を流した後……しずかはドラえもんの待つ車に戻り、そう報告をした。
「確かに。
お疲れ様、しずかちゃん……。この一年のことは、帰り道にでも聞くよ」
そう頷き、しずかをそっと抱き寄せる。
父と娘、親友同士、暫くのあいだ言葉も無くそうしていた。
包み込むような、優しい時間だった。
この一年で、しずかは変わった。
見まごう程に成長し、立派な後継者として、ドラえもんのもとに帰ってきた。
それを喜びつつも、しずかの深い悲しみを想いつつ、ドラえもんは運転手を呼びつけて、車を出すように告げる。
「……ん? これは?」
その時、ふいに何かが聞こえた。
それは大きな音ではなかったが、ゴウゴウと木材が燃える音に交じって、確かに響いてきた。
そしてもう一度、まったく同じ音が響く。
今度は誰もが耳にした。しずかにはそれが“犬の声”である事が、ハッキリと分かった。
「山田だわ――――」
辺りにはもう建物はなく、何も無い道が広がっているだけ
伝道所も、食料品店も、しずかが暮らした家も、すべて燃えてしまっていた
木が一本も残っていない、かつて楡通りと呼ばれた道を、彼女は走る
そして、彼女は犬が繋がれている場所へと、辿り着いた
「生きてたのね、山田……。よくぞ無事で」
この山田という犬は、炎を逃れて奇跡的に生き残っていた。
今もしずかに対し、牙を剥きだしにして元気よく吠えている。
「お嬢、どうします? 殺しますか?」
「ダメ、撃たないでやって」
銃を構えるギャングを、そっと手で制する。
そしてしずかは身を屈め、激しく吠えられながらも、愛おし気に山田(犬)の姿を目に焼き付ける。
「隣町からも、ここの火が見えていたハズ……。
だからすぐ人がやってきて、この子を見つけてくれるわ。
このままにしておきましょう」
そう告げて、しずかはゆっくりと、立ち上がる。
隣に立ち、「なんでこの馬鹿犬はこんなに吠えてるんだ?」と頭に疑問符を浮かべる男に、寂しい笑顔で笑いかけた。
「前に骨を盗ったから、怒ってるのよ。
ごめんなさい山田。…………もうしないわ」
はたまたドッグヴィルが、しずかとこの世界から去ったのか
それは突き詰めようが無いし、きっと意味もない
だからこの疑問には、答えなどないのだ――――