しずかちゃんのえんげきぶ。~I'll do a play Dogville~   作:はせがわ

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Chapter FIVE ~Fourth of July after all~

 

 

 

7月4日、ある祭日の夕刻――――

 

夕方の楡通りに、遠くの草地から運ばれて来た沢山の種が、雪のように降り注ぐ

それは町を優しく包み込み、人々をメルヘンチックな気持ちにさせた

 

今日は祝祭日。皆がつらい事を忘れて、お祝いをする日だ

 

飾り付けの準備をおこなっていたしずかは、ふと食料品店の店先を見た

そこにある小さな陶磁器の人形は、あと2つ

まだお金が足りず、この2つだけは買えていないのだ

 

だがそう遠くない内に、これらも彼女の家に並ぶ事になるだろう

 

しずかは満足気に、そして愛おし気に、人形たちを見つめた――――

 

 

 

 

 

「上手だね、しずかちゃん! とっても素敵だよ♪」

 

「ありがとうたまちゃん。ふふ、胸がわくわくするわね」

 

 しずかが子供達と一緒に花の飾り付けをしていると、たまちゃんが顔をほころばせてやって来る。しばし二人で見事に飾り付けられた装飾を眺め、楽しそうに微笑む。

 

 やがてしずかが作業をしている所に、収穫用の籠を背負ったジャイアンが近づいて来た。

 いつも仏頂面な彼であるが、この日ばかりは彼も浮足立っているのか、どことなく表情も晴れやかに見える。

 

「しずかちゃん、これから2時間だけ果樹園に行かねぇか?

 日の光も気持ちいいし、少し作業をしておきてぇんだ」

 

 出会った頃こそ辛辣だったが、現在ジャイアンとしずかは、普通に会話が出来る程には友人となっている。

 彼の農園を手伝うようになってから、ジャイアンもどことなく雰囲気が柔らかくなり、俯く事なく上を向いて歩くようになった。これはとても大きな変化だ。

 

「あらたけしさん、今日はお祝いの日よ?

 貴方はとても働き者だけど、こんな時くらいは楽しまなくっちゃ。ね?」

 

 しずかは少し驚きながらも、愛想よく応える。

 一緒に作業をしているし、いつも頑張っているのは知っているが、だからこそ今日くらいはと思う。彼にもリラックスする時間は必要だ。

 

「けどよぉ……? 冬になって、みんな飢えちまったら困るだろうが……」

 

「大丈夫よたけしさん。リンゴも順調に育ってる。きっと高く売れるわ。

 貴方がいつも頑張ってるおかげよ?」

 

 ジャイアンは少しブスっとしたが、しずかに優しく窘められ、照れ臭そうに機嫌を直す。

 

「うーん。まぁせっかくだし、ちょっとだけ林檎を見てくる。今日はすぐ戻るからよ」

 

「わかったわ、たけしさん。美味しい料理を作るから、楽しみにしてて」

 

 彼が農場へと去っていき、しずかも作業に戻る。

 脚立に登り、色とりどりの花を壁に飾り付けていく。

 すると暫くして、ジャイアンと入れ違いのように、のび太がこの場にやって来た。

 

「あー……、しずかちゃん? いま時間あるかな?」

 

 言いよどむような、煮え切らない声色。

 しずかは脚立の上で、肩越しに振り返る。

 

「何かしら、のび太さん。今すぐ?」

 

「うん、出来れば。

 ちょっと話がしたいというか……いいかな?」

 

 頬をポリポリと掻きながら、こちらと目を合わせずに、思わせぶりな事を言うのび太。

 

「そう……。じゃあ手短にね?」

 

 しずかは仕方なしに、脚立から降りる。

 宴の準備はとても楽しいが、今はのび太の話が気になる。

 

 いつもの飄々とした態度ではなく、どこかモジモジしている彼の話を聞くべく、二人は食料品店の裏手にあるベンチへと移動していった。

 

 

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………………………………………………………………

 

 

「えっと……今ぼくね? ほんと、色んな事を考えてて。

 毎日、毎日……」

 

「そう。それはさぞお疲れでしょうね♪」

 

 にぎやかに宴の準備をする人々を遠くに眺めながら、二人でベンチに座る。

 のび太はまるで、苦悩する哲学者のように……少なくとも彼はそうあろうとしながら、不器用に話し始める。

 

「君が来てから、町の人々は変わったよ。

 皆の心に新しい風が吹き、様々な事を考えたと思う。

 寛容さや、正しい道徳や、何かを受け入れる事、それを学ぶきっかけになった」

 

「……」

 

「ぼくはいつも、人について深く分析してる。

 以前はシニカルにだったけど、今はすごく良い方向に、町の人達を見ることが出来る。

 ここ何か月かで、彼らの人柄をより深く理解出来たって、そう思ってるんだ。

 けどね……? 何故か君だけは……。

 いつも君の事を考える時、僕の思考は、八方ふさがりになってしまうんだ……」

 

 要領の得ない話し方。だがしずかは口を出さずに、辛抱強く続きを待つ。

 なにかいつもとは違う、特別な雰囲気を感じながら。

 

「例えば城ケ崎さんだったら、簡単に考えが読めるよ。

 昔から知ってるし、いくらかは惹かれ合ってたから、よく分かる。

 知的な意味で、彼女の事が理解できるんだ。

 けど、彼女に対するぼくの感情は……純粋に肉体的な物だと思う。

 ぼくみたいな年頃の男が、当たり前に女の子に抱く……そんな単純な物でしか無い」

 

 なんとかして伝えよう、そして「少しでも君に良く思われたい」という滑稽さが滲む、どこか可愛げのある姿。

 のび太が宙に彷徨わせていた視線を戻し、どこか不安な顔で、しずかの方を向く。

 

「だれど、君に対する気持ちはね……? もっと複雑な物で……」

 

 そしてまた俯き、言葉は途絶えてしまう。

 のび太はせわしなく手遊びをしながら、次の言葉をうんうんと考えている。

 

「ねぇ、何が言いたいの? のび太さん」

 

「あっ……ちょっと待って。まずは自分の気持ちを、しっかり整理しないと……」

 

 のび太は焦りの滲んだ顔で、唇を噛んでいる。オロオロとしている姿は、とても愛嬌があった。

 けれど、もう待つ必要はないと、しずかはハッキリと言い放つ。

 

 

「のび太さんは、私の事が好き? 私のこと――――愛してるの?」

 

 

 のび太がたじろぐ。目を大きく開き、あわあわと口ごもる。

 

「ちょ……! あのっ!

 そ、そんな大げさな物じゃなくてさ?! なんていうかっ……その……」

 

 いまこの場には、余所から風で運ばれて来た種が、たくさん宙に舞っている。

 それを見つめながら、やがてのび太は「ふぅ」とため息をつき、降参の意を示す。

 しずかが言った事は真実だと、認めた。

 

「そう。……そうなのね」

 

 しずかの胸に、あたたかな感情が満たされる。

 彼女はニッコリと微笑み、愛おしそうにのび太を見つめる。

 

「うれしい……。

 だってきっと、私もあなたを愛してるから――――」

 

 

 暫くの間、言葉なく見つめ合う時間が続いた。

 のび太はほっと肩を撫でおろし、しずかはとても嬉しそうに、ニコニコと彼を見ている。

 

 この町に来てから、出会ってから、常に彼は自分の事を助け、味方でいてくれた。

 時に話を聞き、時にアドバイスをし、町の人達との仲を取り持ってくれた。大好きなこの町で暮らす、その掛け替えのないきっかけを与えてくれたのだ。

 

 しかもそれは、無償の行為だった。彼はこの町で唯一、自分に何ひとつ求めなかった。

 ただただ自分を手助けし、いつも寄り添ってくれたのだ。誰とも知れない自分に親身になってくれた。

 その感謝の気持ちは、いつもしずかの胸にある。あたたかな想いと共に。

 

「なんというか、すごく興味深いよね、これって。

 この感情は……つまり、心理的にさ? とても面白い物だって……」

 

「ええ、すごく。興味深いわ」

 

 二人の顔は、すぐ近くにある。

 のび太は今も理屈っぽい事を言って、なんとか場を持たせようとしているが、明らかにさっきとは二人の距離が違う。すぐにでもキスが出来そうな距離。

 

 だが理性を振り絞り、その衝動を抑える。

 本当は今すぐにでも、しずかの唇を奪いたいが、そんなのは彼のプライドが許さなかった。

 自分は理性的な人間なのだと言い聞かせ、のび太は楡通りの方を振り返った。

 

「あー……そろそろ戻ろうかしずかちゃん? みんな君を呼んでるよ」

 

「そう? 聞こえないわ」

 

「……」

 

 しずかは悪戯めいた顔でニコニコと笑う。のび太はごくりと喉を鳴らして彼女の唇を見るが、ブンブンと頭を横に振って、ベンチから立ち上がった。

 

「そっか……でも戻った方が良いよ。みんな待ってるしさ?

 だから結婚しk……じゃなかった、お祝いの席で会おう。

 ……じゃあね、しずかちゃん」

 

 のび太は逃げるように、すたこらと去っていく。わざとらしく皆の所に駆け戻り、赤面した顔を誤魔化すようにイソイソと作業を手伝い始める。

 

 ベンチに取り残されたしずかは、その姿を微笑みながら見つめる。

 彼女はいま少女のように胸をときめかせて、幸せな気分に浸っていた。

 

 ピュアで、素朴で、誠実――――

 きっと衝動的な欲望もあっただろうに、葛藤しつつも彼は、理性的であり続けた。

 

 それは、彼女が住んでいた世界では決して得る事の出来ない、純粋な愛情に思えた。

 彼は心から自分を愛してくれているのだと感じ、止めどなく喜びかこみ上げてくる。

 

 これはまさに、自身がずっと思い描いていた、理想の愛の形――――

 

 この小さな田舎町には、自分が望んでいた全てがあるのだと、そう感じられた。

 

 

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 祝宴は、ジャイアンの子供達の歌う“おどるポンポコリン”の合唱で始まった。

 みぎわさんの娘さん、そして赤ん坊のアキレスも含めて、町の全員がこの場に集い、ご馳走の並ぶ長いテーブルに着いている。

 

 土橋さんが弾くオルガンの伴奏に合わせて、ドラえもんのOPやキテレツ大百科のOPなどを歌っていく。楽しそうに歌う子供達に合わせ、大人たちも一緒に喉を鳴らした。

 

「あ、しずかちゃんアレやってよ! あれ歌って欲しい!」

 

「わたしもわたしも! あれもう一回ききたい!」

 

「えっ」

 

 何曲目かの歌が終わり、お遊戯にひと段落が着いた時、しずかは突然子供達に取り囲まれ、「歌って歌って♪」とせがまれる。

 周りの大人たちは「アレってなんだろう?」とキョトンとしているが、しずかと子供達だけは理解していた。それはしずかが子供達の面倒を見ている時に、たまに歌ってあげていた曲だったのだ。

 

「そ……そんな! こんな大勢がいる場所で、あれを歌うだなんて……!」

 

「ねーいいでしょ、しずかちゃん♪ うたってうたって♪」

 

「やってやってぇー♪」

 

 満面の笑みでお願いする子供達には勝てず、しずかが「ずーん」と額に影を落としながら立ち上がる。

 そして子供達がいる場所へ行き、一緒に並ぶ。

 

 

『ピィィーーパッパ! パラッポッ!!

 パッパッ! パラッポッ!!

 ピィィーーパッパ! パラッポッ!!

 パッパッ! パラッパ! ラバラバ!!』(やけくそ)

 

 

 ――――まさかのスキャットマン。まさかのラップ。

 しずかちゃんって、普段こんな事して子供達と遊んでたんだね……と大人たちが唖然とする中、彼女の歌うアカペラのスキャットマン(土橋さんは沈黙している)が、会場のボルテージを一気に上げていく。

 

 

『――――I'm Sizuka chaaaaan!!!!』

 

 

 そこは本来「アイム スキャットマーン!」だ。

 しずかのはっちゃけたアドリブに、驚愕するドッグヴィルの人々。

 しずかが赤面しながら声を振り絞る中、子供たちがその歌声に合わせて「イエーイ♪」とばかりにダンスを踊り、身体をクネクネさせていく。

 

 いくら海外の映画が題材とはいえ、僕らと何の関係もない曲をやるのは、正直どうなんだろう? あとこの曲のチョイスって、もしかして静香ちゃんだったりするのかな?

 客席のキテレツ達は黙って観ていたが、その胸中に拭いきれない疑問符が浮かんだ。

 

 いや、それ歌えるのは凄いと思うけど。

 静香ちゃんって意外と多芸なんだね……、と思った。

 

 

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「今年はね? スピーチ用のメモを持ってきてないんだよ」

 

 やがてしずかの魂を込めた熱唱が終わり、人々が微妙な顔で拍手を贈った後……この町の年長者であるスネ夫が、皆を代表して挨拶をおこなった。

 

「読めるふりを、盲目を隠すのは、もうやめたんだ。

 だからメモなんかじゃなく、ありのままの気持ちを告げようと思う。

 つまり、何が言いたいかというとね? ……しずかちゃん、君なんだ」

 

 のび太の隣に座り、ニコニコと話を聞いていたしずかは、驚いた顔でスネ夫の方を見る。

 

「ぼくや、のび太や、あのジャイアンでさえ……。君が来てから変わった。

 君がこのドッグヴィルを、素晴らしい町にしてくれたんだ。

 微笑みの絶えない、良い町に」

 

 ジャイアンは少し不機嫌になるが、それに反論する事は無い。

 いまこのドッグヴィルでは、誰もが朗らかに笑い合い、お互いを思いやっている。それをこの場の全員が実感しているのだ。

 

「ぼくには、彼女の顔を見ることは出来ないけど……当ててみせようか?

 きっとしずかちゃんの笑顔は、この世界で一番素敵で、プリムスの放つ光のように輝いているハズだ。

 見る者すべてを幸せにする、そんな美しい笑顔のハズさ。……そうだろ、のび太?」

 

 いきなり話を振られ、少しびっくりするも、のび太は朗らかな顔で「その通りだ」と返す。

 

「やっぱりね。そうでないハズがないよ。

 楽しそうに笑う子供達や、とても柔らかくなった皆の声を聞けば、目が見えなくたって分かるんだよ。彼女は本当に、素敵な人なんだって……」

 

 盲目の瞼を閉じて、スネ夫はしみじみと感じ入るように、ウンウンと頷く。

 

「しずかちゃん、心から礼を言うよ。

 君がいてくれて嬉しい。偽らずに自分をさらけ出してくれて、ありがとう。

 みんな、しずかちゃんに乾杯だ――――」

 

 皆がコップやグラスを掲げる。しずかもそれに倣い、控えめにコップを掲げた。

 

「いつまでもこの町にいておくれ、しずかちゃん」

 

「しずかちゃん、これからも仲良くしようね♪」

 

「ぼくもだ。よろしくねしずかちゃん」

 

 沢山の人が彼女に声をかけ、しずかもそれに応えていく。

 だが決してハメを外さぬように。有頂天にならないよう気をつけながら、控えめに。

 

 女性陣の中には、この状況を快く思わない者もいるだろう。

 過剰にしずか一人が持ち上げられている、この光景を。

 今は祝いの席で、和やかな雰囲気だから、それが表に出ないだけ。もし少しでも調子に乗れば、思わぬ所から足をすくわれる事がある事を、彼女は理解していた。

 

 けれど今は、この素晴らしい日に感謝しよう。

 みんなと心から笑い合える、自らがつかみ取った居場所を想いながら、しずかは食事を楽しんでいった。

 

 

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 皆が談笑しながら豪華な料理を囲む中、店から聞こえる電話のベルを聞き、まる子が椅子から立ち上がった。

 この場の人々は誰も気にせず、思い思いに料理をつまみ、近くの者と笑顔を交わす。

 

 ふとした悪戯心か、しずかがそっと、隣にすわるのび太の手を握る。

 彼はギョッとして、必死に平静を装って前を向き続けるが、その額には沢山の冷や汗が浮いている。

 しずかは我関せずというように飲み物を口にしつつ、彼の愛嬌のある反応を楽しんでいた。

 

 

「警察だよ! いまキャニオンロードを上がって来てる! じきにここに来る!」

 

 まる子の緊迫した声により、この場の者達は現実に引き戻された。

 部屋に駆け込んで来たまる子がしずかの隣に寄り添い、優しく肩を支える。

 

「しずかちゃん、大丈夫だよ。

 僕らがちゃんと追い返すから、心配しないで」

 

 ナイトのように傍に控え、のび太はしずかを廃坑へ行くよう促す。

 不安げな顔をする彼女に、強く頷きを返し、安心させてやる。

 

 しずかが部屋を出て行った後、少しもしない内に車のエンジン音が聞こえ、この場に例の警察官が現れた。

 

「やあ、たしか関口だったかい? こんな日にどうしたんです?」

 

「俺だって祝いてぇけど、これを届けに来たんだ。

 ほらよ、新しい手配書だ」

 

 関口は伝道所の壁に歩みより、新しい手配書を張り付けた。

 何人かの者達が覗き込む中、彼が説明を始める。

 

「前と同じヤツだ。そんで失踪の原因が分かったぞ。

 どうやら西海岸で起こった銀行強盗に関わってるらしい」

 

 皆が息を呑んで見つめる中、のび太が声を上げる。

 

「それって、いつ頃に起こったんです?」

 

「2週間ほど前だよ。つかニュースでやってたろ? ラジオは聴かねぇのか?」

 

「うちでは音楽の方ばっかりですよ。なにせ辺境の町ですから」

 

 ふむ、と片眉を上げて、関口が車に乗り込む。用は終わったとばかりに、エンジンをかけた。

 

「まぁともかく、見つけたらすぐ通報しろよ。

 噂によりゃあ、けっこう危険な女らしいからな。しっかり法に従え」

 

 車が走り去った後、すぐに人々が手配書の前に群がる。

 皆一様に不安な表情を浮かべ、言葉もなく、ただ書かれた文字を見つめる。

 

 前と同じ、しずかの写真。

 だが今回は大きな文字ではっきりと、高額な賞金の数字が書かれていた。

 

 

【お尋ね者 みなもと しずか】

 

【賞金 生存の場合 〇○○○○ドル 死亡の場合 〇○○○○ドル】

 

 

 

 ギャング達は、しずかを犯罪者のお尋ね者にしてまで、なんとしても捕まえる気でいる。

 先ほど関口が言った「法に従え」という言葉、そして目の前に突き付けられた“お尋ね者”という文字が重圧となって、皆の心を揺さぶる。

 

「2週間前……じゃあ彼女は違うね。ずっとここに居たんだから」

 

 スネ夫が断言する。のび太も即座に同意する。

 

「強盗なんて、彼女がするワケがない。

 あんな優しい子が、どうやって犯罪なんか……。

 スネ夫の言う通りだ。そんなの分かり切ってるよ!」

 

 のび太が扉の方へ向かう。しずかを迎えに行き、もう大丈夫だと安心させてやる為に。

 だがその時、皆の気持ちを代表するように、丸尾が呟く。

 

 

「けれど……決して良い気はしません」

 

 

 

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しずかも町の人々も、同じ気持ちだった

 

ギャングへの恐怖、そして法律という物の前に、たじろいだ

誰もが不安にさいなまれ、黙って下を向く

 

そしてこの時から、事態は少しずつ、変わり始めた――――

 

 

 

 

 

「それで……みんなはなんて言ってた? 教えてのび太さん」

 

 のび太の書斎に招かれたしずかが、不安げに彼を見つめている。

 あの時、しずかは宴の席へは戻らなかった。呼びに来たのび太に「みんなで話し合って欲しい」と告げて、家で待っている事にしたのだ。

 

「うん。あれは嘘っぱちだって、みんな理解してる。だから大丈夫だよ。

 けど……警察に嘘をつく事に、罪の意識を感じるみたいなんだ。

 みんな正直者だし、悪い事なんてせずに生きてきた人達だから」

 

 しずかは「そうね」と頷き、同意を返す。

 そして覚悟を決めた瞳で、しっかりと告げる。

 

「潮時ね……町を出ていくわ。

 今までありがとう、のび太さん」

 

 諦めの色もある。だがそれよりは、どこか晴れやかさの滲む顔。

 愛する人達に、これ以上迷惑はかけまい。そんな彼女の覚悟が見て取れた。

 

「ちょ……ちょっと待ってよ、しずかちゃん! ぼくは“逆”の提案をしたんだよっ」

 

 だが狼狽えながら、のび太が彼女を手で制する。

 今にも立ち上がり、荷物の整理を始めそうだった彼女を、もう一度ソファーに座らせる。

 

「えっと……変な言い方だけど、町にとって君は、以前にも増して高くつく(・・・・)ようになった。

 手配書や賞金のせいで、君を匿う危険性が増したからね」

 

「ええ、その通りだわ。みんなを危険に晒してしまう」

 

「いや、けどね? みんな別に、出ていけって言ってるワケじゃない。

 君に居なくなって欲しいとか、迷惑だとか思ってるんじゃないよ。

 ただ……何か埋め合わせがいる。

 危険が増した分、君を匿う代償……つまり見返りが欲しい(・・・・・・・)って、そう思ってるんだ」

 

 のび太は腕組みをし、理屈臭くて、それっぽい言い方をする。

 少し不快感を覚えたしずかは、思ったままの感想を漏らす。

 

「代償。見返り。……まるでギャングのようね」

 

 のび太は一瞬たじろぐも、必死に早口で話し出す。

 まるで、自分は彼女の味方だと、心から君を思っての事だと、そう伝えようとするように。

 

「し、仕方ないよ。人は誰しも臆病なんだ。

 それにここを出ていくだなんて、現実的とは言えないよ。

 郡の全域に指名手配のポスターが張られてる。隠れる場所なんどこにも……。

 それは君も分かってるだろう?」

 

 もしこの町を出れば、山で滑落事故で死ぬか、誰かに捕まっておしまい。そんな事は充分に理解している。今は町の人々についての話をしているのだ。

 のび太の退路を塞ぐような、バカにでも言い聞かせるような口調を不快に感じつつも、しずかは続きを促す。

 

「じゃあ、みんなは私に、どんな見返りを求めてるの?」

 

「もっと長い時間働いて欲しい、と言ってるよ。

 自分たちの為に、これまで以上に尽くしてくれって。

 けど僕が提案したのは、君が一日に2回、皆の家に行くってことだ。

 そうすれば君の誠意が見せられるし、みんなの気もおさまるんじゃないかな」

 

 おかしな話だと、しずかは思う。

 自分は元々、この町にある【しても良いけど、しなくても良い事】を必死に探し、それを皆にお願いをして、やらせてもらっていたハズだ。

 なのに今度は、皆もっと働いてくれと言う――――

 しずかは暫し考えるが、これは一体どういう事なのか、判断が付かない。

 

「でも、それって少し変よ……。

 実行するのも、難しいように思うわ」

 

「土橋さんが、30分ごとに鐘を鳴らしてくれるってさ。

 君は今後それに合わせて、スケジュールをこなしていけば良い」

 

 のび太は飄々と告げるが、どうも納得がいかない。

 だが、しずかはその善性により、これを前向きに捉えてみる事にした。

 

 特に必要もない仕事。これをみんながもっとして欲しいと願うのは、自分の事を好意的に思ってくれているからだと。

 ちょっとした話し相手や、軽いお手伝いが欲しいと思うのは、自分にもっと会いに来てほしいという気持ち、その現れなのかもしれない。

 

 それは、自分を必要としてくれている証。

 この町に居て欲しいと思ってくれている、という事なのだと。

 

 しずかはこの件をそう解釈し、考え込んでいた意識を戻して、彼に向き直る。

 

「わかったわ。……他には何かあった?」

 

「うん、君に支払う賃金を減らそうって言ってるよ。

 これはあくまで象徴的な事で、君にお金を払いたくないとか、そうゆうのじゃない。

 ただ、それでみんなの気が済むんなら、僕は良いと思うけど」

 

 しずかは肩をすくめ、少しだけ眉に皺を寄せる。

 だが今は、誠意をもって人々に接することが大事だ、と考えた。

 少し不可解で、拭いきれない違和感はあるが、町の人々は勇気を出して、自分を匿ってくれると言うのだから。それに応えなければならない。

 誠実さこそ、彼女の愛する美徳だ。

 

「きっと私は、町の人達の口から『出ていけ』と言われるのには、耐えられない。

 自分で行くのならともかく、愛する人達から拒絶されるのは、耐え難い苦しみなの」

 

「もちろんだよ。そんなこと言わないさ!」

 

「だから……報酬なんて減っても構わない。今までよりたくさん働くことも。

 この町に置いてもらえるなら、喜んで受け入れるわ」

 

 真剣に訴えるしずかに、どこかほっとしたような表情ののび太。

 きっと彼は今「うまくやった。上手に説得できた」とでも考えているのだろう。

 

「のび太さんは……これが最善だって、そう思うのよね?」

 

「ああ、そうさ。これが一番いい方法だよ」

 

 飄々と言ってのける彼に一抹の不安を覚えつつも、しずかは口を閉じる。

 自分の為に奔走し、いつも寄り添ってくれる彼は、しずかにとってまごう事なく大切な人。彼を信頼しているし、彼の顔を立ててあげたい。

 

 口出しをせず、言う通りにしよう――――

 これはしずかの、彼に対する誠意だ。

 

「じゃあ、今日はもう帰らなくっちゃ。

 明日から忙しくなるし、ちゃんと眠らないと」

 

「あっ……そうだねしずかちゃん。ごめん……」

 

 のび太が優しく、しずかを抱き寄せる。

 そして少ししてから、彼女はその手を振りほどき、玄関に向かった。

 

「……」

 

 本当は、のび太がキスをしたがっていた事は、分かっていた。

 彼は不器用だが、なんとか雰囲気を作ろうとしているのは、見て取れたから。

 

 だがそれに応える余裕はなく、しずかは疲れた表情で楡通りを歩き出した。

 きっと、いま胸にある釈然としない思いが、彼女を少しそっけなくさせたのだろう。

 

 

「…………!」

 

 しかし、とつぜん彼女は踵を返し、来た道を戻り始める。

 ツカツカと早足で歩き、どこか不安げな顔で扉を開ける。そこには戻ってきた彼女を少し驚いた顔で迎える、のび太の姿があった。

 

「えっ、しずかちゃん?

 どうしたのさ? もう帰って寝るんじゃ……」

 

 やっぱり戻って来て、自分の想いに応えてくれる気になったのだろうか? のび太はそんな事を期待して椅子から立ち上がるが、彼女の表情は冴えない。

 とてもそんなロマンチックな様子ではなく、まるで縋り付くような瞳でのび太を見つめているのだ。

 

「ねぇのび太さん……。あの車の男が、渡した名刺だけど……」

 

 彼女は葛藤し、躊躇いつつも、小さな声で問う。

 

 

「誰かに見せた……? ちゃんと、捨ててくれた……?」

 

 

 怯えるような瞳。かすかに震える声。

 のび太はそれを消し去るように、ハッキリと告げる。

 

「見せるもんかっ! ちゃんと捨てたさ!

 なに言ってるのさ、しずかちゃんっ!」

 

 

……………。

……………………………。

 

 

 しずかは、自分を恥じた。

 きっと疲れていた、心が不安定になっていたのだ。

 いつも自分を想ってくれた彼を、こんな風に疑ってしまうなんてと。

 

「……ごめんなさい。私……」

 

 言葉に詰まる。

 彼を傷つけた、彼の心を疑ってしまったと、情けなさで胸がいっぱいになる。

 

「いいよ、いいんだって。大丈夫だから」

 

「ごめん、なさい……。

 私がバカだった。どうか、許して……」

 

 のび太に肩を抱かれながら、唇を重ねる。

 感謝と、信頼と、謝罪を込めて。

 

 短い時間だったが、二人は初めてのキスをした。うぶで、不器用な口づけだった。

 だがしっかりと気持ちを交わし、しずかは晴れやかな顔で、自分の家に戻るのだった。

 

 

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町の人々は、口では“反対”と言った

 

だがしずかの労働は、のび太の提案した通りに行われた

 

藤木だけは今まで通りを望み、彼女の負担が増すのを拒んだ

たとえ酔って言ったのだとしても、しずかにはありがたい事だった

 

だがこの労働の正否はともかく、彼女の頑張りが成果を上げたとは、言い難い

 

労働が増えたにも関わらず

町の人々は満足どころか、その正反対だった――――

 

 

 

 

 

 

 それからの日々は、まさに目が回るほどの忙しさだった。

 今までとは打って変わり、膨大な数となった仕事量に、彼女は翻弄された。

 

 土橋さんの鳴らす鐘に従い、町の家々をせわしなく周って働き続ける彼女の姿は、まるでカラカラと滑車を回すネズミのよう。

 

 

 朝日が昇る前に起き出し、藤木のガレージに向かい、朝食の支度。

 

 その後はみぎわさんの家を訪ね、娘さんの排泄の世話をする。

 

 終わったら髪を振り乱してまる子の店に駆けつけ、彼女が前日に仕込んでいたグーズベリーパイを焼き上げる。

 これは以前は野口さんの役目だったが、今では椅子に座ってこちらの様子を眺めているだけだ。

 

 パイが焼きあがった後はスネ夫の家に走り、自慢話を聴かされながら床をピカピカに磨く。

 

 それも終わればすぐ伝導所に向かい、土橋さんのオルガンの練習に付き合い、ペダルを踏みながら譜面めくりを担当。

 

 さらには永沢家のグラス作りの手伝い、自身のグーズベリー畑の管理、はまじの家庭教師、たまちゃんの家事の手伝いと子供の世話、果樹園のサポート。

 

 これらを夕方になるまでこなした後、再びスネ夫の家を訪ねていき、彼の隣で夕日を眺めながら、また自慢話に付き合う。

 夜になればはまじのSHOUGI指南役を務め、仕事から帰ったみぎわさんの靴磨きをし、丸尾との医学的な会話などをこなす、などなど……。

 しずかは30分ごとに鳴らされる鐘に追い立てられながら、一日中せわしなく働いた。

 

 してもいいけど、特に必要のない事――――それは何故か、日を追うごとに増えていく。

 

 一息つく暇さえ無い、忙しい時間の積み重ね。

 それはそのまま、忙しい日々の積み重ねとなった。

 

 

 

「ちょっと! 何やってるのしずかちゃん! ちゃんと気を付けてよっ!」

 

 しずかの美しかった手は、日々の過酷な労働によって痛々しくひび割れて、すでに指先の感覚が無くなっていた。

 ある日のグラス加工の作業中、彼女はその疲労と次の仕事への焦りから、つい磨いていたグラスを取り落としてしまった。

 

 床に叩きつけられ、粉々に砕けるグラス。小さく悲鳴をあげて立ちすくむ彼女。

 そんなしずかを、笹山さんが血相を変えて叱咤する。

 

「せっかく加工したのに、台無しじゃない!

 この家の誰も、どんなに不注意だったとしても、グラスを割ったりはしないよ?

 永沢くんが苦労して削ったのに! グラスが薄くなってて割れやすいから気を付けてねって、ちゃんと教えたでしょ?」

 

 永沢が軽く諫めるが、笹山さんはヒステリックにしずかを責め立てる。

 傍で雑誌を読んでいた城ケ崎さんは、口を出すでもなく、ただ意地の悪い目で見つめるだけ。

 

「ごめんなさい、笹山さん……もう同じ失敗はしません。

 あの……グラスの弁償をさせて下さい」

 

 可愛そうなほどに怯えた表情で、しずかがおずおずと申し出る。

 その顔を見て、そしてお金の話が出た事によって、笹山さんがハッと我に返る。なんでもないかのように態度を軟化させる。

 

「あぁ、いいの弁償なんて。

 ほら、もう忘れましょ? 作業を続けて」

 

 この場の空気の悪さを感じたのか、ひとり怒っていたことが恥ずかしくなったのか、それとも己の優しさを見せようとしたのか。

 笹山さんはいつもの笑顔に戻った後、部屋を去って行った。

 

 

………………………………

………………………………………………………………

 

 

 鐘の音に急き立てられ、しずかはグラスの破片を大急ぎで掃除した後、楡通りを走った。

 次はジャイアンの所へ行かなければならない。枯れ木を取り除いて、農園にネズミが入らないようにしないといけないのだ。

 

 しずかは息を切らせて走り、グーズベリー畑の茂みを通り抜ける。例のベンチへの近道だ。

 

「ちょっとぉ! しずかちゃぁん?!」

 

 だがしずかが通り抜けた途端、傍で作業をしていたまる子が、彼女を呼び止めた。

 

「もぉ~! せっかくクワを入れたのにぃ~!

 やめて欲しいもんだよ、まったく!」

 

 しずかは立ち止まり、まる子の方を振り返る。

 急いでいて気が付かなかったが、いま通った道には、点々としずかの足跡が付いていた。

 

「あっ……ここにもクワを入れたの?

 ごめんなさい、気が付かなかったの。ついいつもの癖で……」

 

「いつもぉ? ここは別に通り道じゃないよ?

 無精しないで、ちゃんと回り込んでよ。畑が荒れちゃうじゃん」

 

 しずかは困惑し、丁寧に柵で仕切られた道と、張られているチェーンを見やった。

 

「そのチェーンは、茂みと通り道を分ける為にあるのかと、ばかり」

 

「それは茂みを守る為にあるのぉ! 通り道じゃないのぉ!」

 

「でも……あの、みんなここを通ってしまってるわ。だから私……」

 

「ああ、通ってるねぇ~。まったくぅ!

 でもみんなは昔から住んでるけど――――あんたは違うじゃん」

 

 睨みつけ、突き刺すような言葉。

 しずかは自分の耳を疑い、激しく動揺する。

 

「あいつらはもう、前々からそうなんだし、言ってもしょうがないんだよねぇ~。

 でも後から来たあんたまで、同じことしないでよ。……ちょっと図々しくないかね?」

 

 まる子には、よくしてもらっていた。だから友達だと思っていた。

 確かに辛辣で頑固なところはあっても、今までずっと、笑顔を交わしてきたのに。

 

「住人ではないから……通ってはダメ?

 私には、その資格がないの……?」

 

「そうじゃないけどさぁ。

 でもあんたは、ここの人間じゃない。あたし達とは違うでしょ?」

 

 返す言葉がない。

 しずかはもう、黙り込むしかなかった。

 理屈や損得じゃなく……ただまる子は、しずかがここを通る事が気に入らないのだ。

 なぜお前に、自分達と同じ扱いをしなければならないんだと――――

 

「はぁ……もういいよ。行きなよ」

 

 言葉なくうなだれるしずかに、ようやくまる子が許しを出す。

 しずかは茂みから離れ、それでも自分の誠意を伝えるように、大きな声で告げる。

 

 

「また午後に来ます。

 これからは、今までより丁寧にクワを入れます。がんばりますから。

 ごめんなさい、まる子さん――――」

 

 

 

 

 

 

 まるで、奴隷のように卑屈だ。

 

 果樹園へと走りながら、しずかは今の自分を、そう感じた。

 

 

 

………………………………

………………………………………………………………

 

 

 もう辺りがすっかり暗くなった頃。

 しずかがジャイアンと共に、沢山の薪を背負って、果樹園から戻って来た。

 

「あの枝は、残念だったわね」

 

「ああ、やっぱ切っとくべきだったよ。つい欲が出ちまったんだ」

 

 まだ十分に育っていなかったので、木の枝を間引きするのを躊躇った。

 だが風によって枝が折れてしまい、そこに生っていた林檎がダメになってしまったのだ。

 町に戻った二人は力なくベンチに腰掛け、収穫用の籠から傷ついた林檎を取り出し、悔しそうに見つめる。

 

「仕方ないわ。家族を養うためだもの。

 ちっとも欲張りなんかじゃない」

 

 そう慰めるも、彼の表情は冴えない。

 しずかは遠くに見えるドッグヴィルの家々を眺めながら、暫し静寂に浸っていた。

 

「――――なぁ、なぜ俺を嫌うんだ?」

 

 ジャイアンの放った、唐突な一言。

 しずかは少し当惑しながら、彼に向き直る。

 

「嫌う……? えっと、なぜそんな事を訊くの?」

 

「俺が近づくと、いつも逃げるじゃねぇか。なんでだよ?」

 

 しずかは今、彼と少し離れた位置に座っている。

 のび太といる時のように、すぐ隣に座ったりはしていない。

 彼女はその言葉を受け、ちゃんと彼の顔を見られる、すぐ隣に移動する。

 

「まさか……。考えすぎよ、たけしさん。

 私、そんなこと」

 

「今日も作業してる時、俺が手に触れようとしたら、逃げただろ?

 あれは作業を教える為だったのに」

 

 しずかは息を呑み、口ごもる。

 だが暫くして、か弱い声でそれに反論する。

 

 

「…………キスしようと、したわ」

 

 

 

 ……………。

 …………………………。

 

 少しの間、気まずい沈黙が続いた。

 

 これはジャイアンだけの事ではない。

 今日もスネ夫は隣に座る彼女の膝に、さりげなく手を置いていたし、ブー太郎の態度も以前にも増して怪しくなっている。

 他の男達の目にも、前とは違う良くない色が宿っている事を、彼女は感じていた。

 

 明らかに、自分の立場は格下げされている。

 あの手配書が来た夜から、少しずつ時間をかけて、しずかの立場はどんどん弱くなっていた。

 

 

「女房は、リンゴに興味を示さなかった。

 教育だの神の教えだのに熱心になるばっかで、俺の仕事には見向きもしねぇ。

 だからしずかちゃんは、俺にとって初めての理解者だって思えて、それがすげぇ嬉しかったんだよ」

 

 小さく、すまなかったと。

 彼からの詫びの言葉に、しずかは胸を撫でおろす。

 

「いいわ。もう気にしないで」

 

 女神が慈悲を与えるように、明るい笑顔でしずかは告げた。

 しかしジャイアンはどこかイラついた顔で、ベンチから立ち上がる。

 

「いや、良くねぇ。どうせあんたも口先だけなんだ。

 良く思われたくて、取り入ろうとして、いやいや林檎の世話をしてるんだろ?

 女房と同じだよ、喜びを分かち合うことなんか……」

 

「そんなことない。分かち合えるわ」

 

 しずかは穏やかな声で言うも、ジャイアンはさらに怒りに顔を染めて、言い募る。

 

「女房は何も分かってない。木の事なんて見ずに、ただ実を摘めば良いと思ってやがる。

 物事には手間と順序ってのがある。

 しっかり手をかけて、大切に見守る。それが愛情ってモンなんだよ。

 こいつが何を求めているのかを考えて、知って、しっかり応えてやる。

 あんただったら、そういうのを分かってくれるって、そう思ってたのに……」

 

「分かるわ、理解できる。

 私も貴方と同じ考えだもの、たけしさんと」

 

「でも俺が近づくと逃げる! ……なんでだ?! そんなに俺が嫌いか?!」

 

 感情をぶちまけるように、ジャイアンが激しく憤る。

 しずかは少し弱気になるが、彼を刺激しないよう、優しく語り掛ける。

 

「違うわ、そうじゃないの……。

 どうか怒らないで。貴方に不信感を与えてしまった、私が悪い。

 ごめんなさい、たけしさん。もう逃げたりなんかしないわ。約束するから」

 

 じっとこちらを見つめながら、ジャイアンは立ちすくんでいる。

 今しずかから受けた言葉を、頭の中で吟味しているようだった。

 

「逃げたりしないだと? ……俺だったら、そんな約束はしねぇけどな。

 今日な? あんたに避けられた時、俺の頭に“ある考え”が浮かんだんだ。

 ……知ったら俺を憎むぞ? きっと軽蔑するよ」

 

 暗い顔でうつむき、重い声色。

 

「それは……何?

 憎んだりしないわ、たけしさん。どんな考えなの?」

 

 優しく問いかけるが、ジャイアンはこちらを見ようとしない。

 言うか言うまいかを、深く葛藤しているようだった。

 

「怒りをおぼえて当然よ。私は貴方に冷たくしたんだもの……たけしさん?」

 

 やがて少しの時間をかけ、彼が口を開く。

 

 

「通報してやろう、と思った。

 お前が俺に敬意を払うように、脅そうって――――」

 

 

 しずかは、頭を銃で撃ち抜かれたような衝撃を受けた。

 目を大きく開き、信じられないという顔で、ジャイアンを見つめた。

 

 はっきりと、胸に怒りが湧いた。唾棄すべき、批難すべき浅ましさ。

 ――――なんて卑劣な男なの! 女を脅して身体を奪おうだなんて!

 のび太さんは必死に理性を保ち、私に誠実であろうとした。それなのに貴方は!

 

 一瞬視界が白く染まり、怒りで我を忘れそうになる。

 だが彼女は生来の冷静さ、そして良識と矜持をもって、口をついて出ようとした言葉を飲み込んだ。

 

 彼は今、正直に罪を告白している。きっと黙っている事だって出来たのに、そのまま密告する事も出来たのに、それをしなかった。

 ならば許すべきだ。正直さは掛け替えのない美徳で、懺悔は受け入れられるべき物なのだから。

 

 責めるのは簡単だ。ただ怒りのままに口汚く罵り、感情を発散させれば良い。

 だがそれをするのなら、動物となんら変わらない。自分は人間なのだ。

 彼女は自身の良識に従い、難しい方を選択する。

 

「そんなに……怒っていたのね。知らなかった……」

 

 しずかは自愛の瞳でジャイアンを見つめ、優しくこくりと頷く。

 

「ずっと、孤独だったのね……。理解してくれる人も、慰めてくれる人もいなかった。

 どうか許してちょうだい、たけしさん。私が悪かった」

 

 しずかは明るい笑みを浮かべ、まっすぐジャイアンの前に立つ。そして彼に向かって右手を差し出した。

 

 

「これで、仲直りね?」

 

 

 

 

 その後、仲良く言葉を交わしながら、二人は家路に着いた。

 

 晴れやかな顔で。家までの短い時間を、笑いながら肩を並べて歩いた。

 

 しずかは、彼と心が通じ合ったのを感じる。

 この所は沈みがちだった心に、再び自信が満ちてく事を、感じていた。

 

 

………………………………

………………………………………………………………

………………………………………………………………………………………………

 

 

 

しずかの家の棚には、あの陶磁器の人形が5つ、大切に飾られてれていた

これは今の彼女にとって、心の支えであり、唯一の慰めだった

 

しかし、残りの2つは当分の間、買えそうにない

仕事は劇的に増えたが、受け取る報酬はずっと少なくなってしまったから

 

かつては埃にまみれ、薄汚れていた人形たち

だが今はしずかによって綺麗に磨かれ、以前よりもよほど愛らしい

彼女の愛情、そして真心を込められ、輝いて見える

 

今も人形たちは、疲れてベッドに横たわる主人を、優しく見守っている――――

 

 

 

 

 

「ごめんよ、眠ってたかい?」

 

 彼女がうとうとしていると、のび太が入り口の階段を上がり、中に入って来た。

 しずかはすぐに彼が来たと分かったが、あまりの疲労の為に、ベッドから起きて出迎える事が出来なかった。

 

「いいえ、起きてるわ」

 

「そっか、お疲れだねしずかちゃん。……帰った方がいいかい?」

 

「大丈夫、休んでいただけ。

 ドッグヴィルには、もうやる事が沢山あるの。

 みんな、何も望まないハズなのに……」

 

 ブー太郎はすぐ膝に乗りたがるし、たまちゃんは情緒不安定だし、苦労も多いわ。

 しずかはようやく目を開けて、疲れた声色で告げる。だがやはり起き上がる事は出来そうになかった。

 

「君の仕事ぶりはすごいよ、しずかちゃん。

 時間通り完璧だし、よくがんばってる。スネ夫も誉めてたよ」

 

 のび太は後ろ手にドアを閉め、自身が考案して町の人々に与えた“受け入れを学ぶための実例”を、ウンウンと満足げに見下ろす。

 

「スネ夫さん……私の脚を触ろうとするの」

 

「彼は盲目だろ? そんなの偶然さ」

 

 真面目に取り合わず、飄々と返すのび太。

 しずかはふぅとため息をつき、ジト目で彼の方を見た。

 ジャイアンとは心を通い合わせ、しっかりと友人になった。だから今日の話をのび太にするつもりは無いが、もし知ったらばどんな顔をするだろうか? そんな事をふと考える。

 

「まる子さんは……私が近道を通ったら怒るの」

 

「彼女は僕にだって怒るよ。気にする事ない。

 あの気安さは、君を受け入れた証だよ。もう町の一員だって」

 

 まるで他人事のような、楽観的な物言い。まる子が言ったのとは全く逆の意見。

 

「なんでも分かるのね、哲学者さん。

 聞いていると、もう数分で眠ってしまいそう……」

 

 少し皮肉を滲ませながら、しずかはその疲労から、深く枕に頭を沈みこませる。

 

「あれっ? ね、寝ちゃうの……?

 ぼくせっかく……その……」

 

「今日はもう、起きていられそうにないの。ごめんなさい」

 

 のび太は一日中ふらふらしているが、しずかはまさに町中を駆け回っているのだ。もう話をする余力などありはしない。

 

「あ……そうだよね。疲れているんだもの。

 うん、良いんだよしずかちゃん。ゆっくりおやすみ」

 

 けれど、その優しい声を聞いて、しずかは手だけを彼の方に伸ばす。

 目を瞑ったままだが、彼の存在を確かめるように、ぎゅっと手を握った。

 

 のび太は微笑みを浮かべて、ベッドの端に腰かけ、しっかりと握り返す。

 綺麗だったしずかの手は、もう荒れ果ててしまっているが、そんな事は気にならないようだ。

 

「好きだよ、しずかちゃん。愛してる」

 

「……うれしいわ。のび太さん。私も愛してる…………本当よ」

 

 ささやくような返事。ようやく二人に訪れた、一日の終わりの穏やかな時間。

 のび太はその心地よさを感じながら、胸にしまっていた気持ちを打ち明ける。

 

「ずっとね……? 君の事ばかり考えてる。

 離れてる時も、こうして一緒にいる時も、僕の頭の中は、君で一杯なんだ。

 もっと君に近づきたくて……君に触れたくて、たまらない。

 君の負担になりたくないって、必死に抑えてるんだ。……でも他のみんなは……」

 

「――――のび太さん」

 

 言葉を遮り、しずかがゆっくりと身体を起こす。そしてのび太の唇に、ぴとっと人差し指を当てた。

 それ以上言わないで、と。

 

 

「私たちの未来には、限りない未来があるわ。

 私に何も求めない……だから貴方が好き。

 貴方の純粋さや、誠実さを、とても尊いものだって感じるから――――」

 

 

 甘えるように、のび太の膝に頭を乗せる。

 

「いまは、こうしてるだけでいい……。

 こうして二人でいるだけで、いいから……」

 

 

 

 ………………。

 ………………………………。

 

 

 少し時間をおいて、のび太がため息を吐き出す。

 

「うん……ぼくが君を想う気持ちは、それ以上の物だ。

 ぼくも、こうしていたい」

 

 当然だが、残念な気持ちはある。だがのび太はそれを隠し、優しくしずかの頭を撫でてやる。

 それが誠実さから来た物であれ、臆病さやプライドから来た物であれ、彼は今夜も自分を押え、しずかの気持ちを尊重する。

 

 

 やがて自身の膝元から、小さくすぅすぅという寝息が聞こえてきた。

 

 のび太はゆっくりと彼女をベッドに横たえてやり、家を後にした。

 

 

 

 

 








 ――――次話の副題は『ドッグヴィルが牙を剥く』

 幸せな時は終わり、ここから物語は本性を現していきます。ご注意ください。



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