しずかちゃんのえんげきぶ。~I'll do a play Dogville~   作:はせがわ

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Chapter SEVEN ~In which Sizukachan finally gets enough of Dogville~(前編)

 

 

 照明が落とされた暗闇の中。突然ガタッと、誰かが立ち上がる音が聞こえた。

 キテレツが横を振り返ると、トンガリがわなわなと口元を押え、潤んだ瞳で席を立つ所だった。

 

「俺がついててやるよ。お前らは劇みとけ、あいつら頑張ってんだ」

 

 そう告げて、ブタゴリラも席を立つ。彼を追って出入口の方へ駆けていく。

 

「……」

 

 彼の背中を見送った後、キテレツは視線をみよちゃんへと向ける。彼女は膝元でぎゅっと両手を握っていて、口を真一文字に閉じ、じっと前を見ている。

 

 みよちゃんは、ある程度内容を把握していた。だから心構えが出来ていた。

 しかし、いま目の前で観た静香の演技、胸が潰されるような光景を前に、衝撃を受けているのが見て取れた。

 

 あれは見知った顔、仲の良い友達だ――――

 それが今、哀れな程に身体を震わせ、小さく床で縮こまっている。そしてこれをやったのが、同じく自分たちの良く知る友達。ジャイアンその人なのだ。

 “他人事”を決してを許さない生々しさ。まるで直接心を抉られるような衝撃。

 

 これは演技、お芝居よ――――みよちゃんはそう自分に言い聞かせ、必死に耐えている。

 いま目の前に突き付けられた物を前に、身を硬くしている。

 

 

『しずかちゃん、あの子は本物だよ?』

 

 

 直前に聴いたまる子の言葉を思い出す。確かに彼女の演技は迫真で、この劇に賭けた想いも並々ならぬ物がある。それをまざまざと見せつけられた思いだ。

 けれど……。

 

(どこまで真面目なんだ。……どこまで誠実なんだ、君は)

 

 キテレツは考えざるを得ない。なぜ静香がこれをやろうと思ったのか。

 そして、何故ここまでするのかを(・・・・・・・・・・・)

 

(うん、僕も考えるよ静香ちゃん。……この劇を通して、君と一緒に)

 

 それが誠意だと思った。

 いま自分に出来るのは、この劇をしっかり見届け、ちゃんと考える事。

 この劇の意味を、彼女の姿を。そして想いを。

 

「……キテレツぅ」

 

 ふと横を向けば、コロ助が、こちらの服の袖をちょこんと掴んでいるのに気付いた。

 コロ助は不安げな顔、そして劇だとは理解していても、心から静香を心配しているのが分かる。

 

「コロ助、大丈夫かい? ……トンガリ達と一緒に、外に出ているかい?」

 

「ううん……大丈夫ナリ。わがはい、しっかり観てるナリよ……」

 

 手を握ってやる。心に寄り添うように。

 そして改めて二人で、前を見つめる。

 

「静香ちゃん……大丈夫ナリか? 心配ないナリか……?」

 

「ああ、大丈夫さ。彼女は最後までやり切る。

 だから応援しようね」

 

 

 

 やがて舞台を照明が照らし、ベッドの上に横たわる静香の姿が現れる。

 

 暫しの暗転の演出が終わり、この場にドラえもんのナレーションが響いた――――

 

 

 

 ………………………………

 ………………………………………………………………

 ………………………………………………………………………………………………

 

 

 

夜遅く、のび太はしずかの家を訪れた

彼女は身体を丸め、ずっとベッドに横たわっていた

 

彼の方を見ようともせず、ただ目を硬く瞑るばかり

のび太はその様子から、やはり何かがあったのだと確信し、ようやく認めた

 

のび太は現実と向き合わなくてはならなくなった

小動物のように怯える彼女を、長い時間をかけて説得した

 

そしてやっとの事で、予想通りだった答えを、彼女から引き出した――――

 

 

 

 

 

 

「許せない……許せないよ! ジャイアンの所に行ってくる!」

 

 話を聞き終わった時、当然のようにのび太はいきり立ち、椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がる。

 嵐のように感情が乱れ、胸に怒りが湧く。そしてえも知れぬ嫉妬が燃え上がった。

 

「……いけないわ、のび太さん」

 

 だがしずかは、弱々しく首を横に振り、それを諫める。

 

「なんで?! なんで止めるんだよしずかちゃん! ジャイアンを問い詰めないと!」

 

「ダメ、やめてちょうだい……いかないで」

 

「アイツがした事は、最低だ! こんなの放っておけないよ! 絶対!」

 

 今にも扉を蹴破って出ていきそうな彼を、しずかが手を握って諫める。ベッドに丸まったまま、必死に手を伸ばすその姿は、この上なく哀れだ。

 ――――アイツがしずかちゃんをこんな風にしたんだ!

 のび太の胸に、また怒りがこみ上げてくる。

 

 そんな彼の手を握り、しずかは弱々しく、悔いるように声を絞り出す。

 

「彼は強い人じゃない……強そうに見えても、そうじゃないの。

 孤独で、行き場のない悲しみを抱えた、弱い人……」

 

 なぜあんなヤツを擁護するんだ、今すぐにでも殴って来てやるのに。

 のび太はやりきれない想いだが、いま辛いのは自分ではなく彼女の方。優先すべきは彼女の気持ちであると思い直す。

 

「私はこの町に期待を……幻想を抱いてた。

 綺麗な景色や、純朴な人々に憧れを。

 ……愚かな先入観だったわ。……私は馬鹿だった」

 

 しずかはベッドに顔を伏せて、声を殺して泣く。のび太は暫くの間、ただその姿を見降ろしていた。

 

「逃げよう、しずかちゃん。

 なんとか君を、ここから連れ出す方法を考えるから……」

 

 

 そしてしずかは、のび太も強くない(・・・・・・・・)という事に、もう気が付いていた。

 あの時、床ですすり泣いていた時に、彼女はのび太がジャイアンと会話を交わす声を聞いていた。そして彼が、家のすぐ前までやってきた足音も。

 だがのび太は、扉を開けずに去って行った。現実を受け入れる事を恐れ、逃げだした。

 

 全ては幻想だったのだ――――楽園と思ったこの町も、のび太の愛情も。

 ただしずかが信じたかっただけの、ありもしない幻。

 

 今やしずかは、自分自身を呪っていた。

 誰を恨むでもなく、無知と愚かさからこの町に飛び込んでしまった、自分自身を悔いた。

 

 まるで殉教者のように耐えても、奴隷のように尽くしても、ここで得られる物など無い。

 腹を空かせた獣は、弱みを見せた獲物を貪欲なまでに食い漁るだけ。腹が破れる時まで。

 

 

「待ってて、しずかちゃん。

 きっと良い方法を考える……僕が助けるから」

 

 

 しずかの身体に優しく毛布をかける。

 だが彼女は顔を伏せ、のび太の方を見ることは無かった。

 

 

 

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 暑かった夏も終わりに近づいた頃、のび太は以前の習慣であった夜の散歩を再開するようになった。

 静かな夜の町をあてもなく歩きながら、時にひとりベンチに腰掛けながら、思考に埋没していった。

 

 いま彼が思い悩むのは、しずかをどう逃がすかについての事。

 例の事件に加え、ここ最近の町の人々変化。現在のしずかの危機的な状況は、当然ながら彼も把握している。

 “観察者”を自称する彼は、町の人々を諫めたり、彼女へのフォローをおこなう事は無い。ただただ全体的な視点で状況を把握し、時にアドバイスであったり方針であったりを伝えるだけ。

 

 毎夜のように家を訪れ、過酷な労働に疲れた彼女を慰めはするも、しずかとは違い町の一員であり、安全な立場にいるのび太の言葉は、どこか他人事のように響く。

 彼女ひとりではなく、町全体のことを考えている彼の態度は、たとえ優し気ではあってもどこか一線をひいた、親身になりきれていない物でしか無かった。

 

 

 一方でしずかは、まるで殉教者のような心境で、自らが招いてしまった運命を粛々と受け入れていた。

 

 以前の優しかった人々の面影は、もうどこにもない。

 この町の誰もが、どうしずかを利用するか、どう“得をするか”を考えている。

 ストレス発散や、嗜虐心、欲望の対象、自尊心の回復……そんなあらゆる欲望を満たすための、都合のよい慰み者。

 誰もが彼女を少しずつ傷つけ、代わる代わる奪っていった。

 

 しずかはこの過酷な日々の中、ちょっとした喜びを見出していく事により、己の心を守っていた。

 たとえばつい昨日、食料品店の店先にある人形を購入し、ついに7つ全てを揃えたのだ。

 これを買うには、しずかの低い賃金だけではとても足りなかったので、のび太が協力を申し出てしてくれた。彼女の心をつなぎとめる為、そして罪悪感による体の良いご機嫌取りだったが、それでもしずかは満足だった。

 

 この半年、ずっと目標にしていた事を達成し、大きな喜びを感じた。

 今もずかの家の棚には、よく磨かれた7つの愛らしい人形が並び、やさしい笑顔を見せている。

 

 そしてしずかは、これまでより熱心に、自身のグーズベリー畑の手入れをするようになった。

 植物が見せる日々の小さな変化や、確かな成長。自らの愛情を受けて立派に育っていくグーズベリーの姿に、深い喜びを感じた。

 

 その日もしずかは茂みに這いつくばり、荒れた手で精一杯雑草抜きに励んでいた。

 畑の土は残暑の熱で熱く、決して楽な作業では無かったが、植物と己の心に向き合えるこの時間を、彼女は何よりも愛していた。

 

 だが彼女が無心で身体を動かしている時、ふと遠くの方からたまちゃん、そして城ケ崎さんが連れ立って歩いてくるのが見えた。

 

 

「しずかちゃん、ちょっと良いかしら?

 たまちゃんが話があるんだってさ」

 

 ここ最近で、すっかり見慣れてしまった城ケ崎さんの意地悪な顔。冷淡で攻撃的な声色。

 しずかは手を止めて立ち上がり、傍に立つたまちゃんに向き直る。

 

「えっと、たまちゃん。どうしたのかしら?」

 

「……」

 

 そう問いかけるが、たまちゃんの表情は冴えない。

 ただしずかを睨みつけたまま、押し黙っていた。

 

「……なんで、あんな事したの? ……あの子が黙っててくれるって、思ったの?」

 

 感情を押し殺すような声で、たまちゃんはようやく口を開いた。

 しずかはすぐ、それがブー太郎に関する件だと気付く。

 

「ぶったん……だよね?

 貴方にぶたれたって、ブー太郎が言ってたの……」

 

 言い訳や嘘を許さない、たまちゃんの真剣な表情。

 怒りと共に、どこか悲しみの色さえ滲む、悲痛な顔だ。

 

「ええ、叩いたわ――――」

 

 それを受けて、しずかはハッキリと告げる。

 彼女の母としての心情や、子供に対する深い愛情を理解しているからこそ、誠意を込めた。

 

「ひどい……。なんでそんな事が出来るの……?!

 貴方は優しい人だって! 子供への愛を持ってる人だって! そう思ってたのに……!」

 

 いつも子育てや夫婦仲に悩むたまちゃんの話を聞いていた。親身になり、彼女を支えてきた。

 だからこそ、たまちゃんにはそれが信じられず、深く傷ついていた。

 どれだけ町の人々が辛辣であろうと、彼女だけはしずかを“理解者”として、いつも信頼してきたのだ。

 

 彼女の悲痛な顔と、瞳から零れる涙を見て、しずかは胸が切り裂かれるような想いがした。

 今はただ、彼女にありのままを話す事しか出来ない。

 

「ブー太郎くんに、叩いてくれと頼まれたの……。

 ごめんなさい、こんなのとても信じられないと思うのだけど……」

 

「あぁ、それは本当だと思うわ。

 だって私も、前に同じことを言われたもの」

 

 意外にも、城ケ崎さんが肯定してくれる。

 駄目だと知りつつも、せめてもの誠意だと思っていたしずかは、思わぬ援護に驚く。

 

「なんのつもりか知らないけど、叩け叩けって煩かったわ。

 あの手この手でワガママを言って、困らせてくるの。

 あーあ、いっそ私も叩けばよかったかしら?」

 

「城ケ崎さんっ……!」

 

「なによ、貴方が甘やかすからいけないんでしょ? まったくもう」

 

 自分も同じ、そして“自分は叩かなかった”。

 これはしずかの為ではなく、ただそう主張したいが為の、彼女のプライドから来た発言。

 しかし険悪な雰囲気になりつつある二人の姿を見て、しずかは慌てて口をはさむ。

 

「待って! 私が悪かったの!

 貴方がどんなに子供を愛しているか、ちゃんと知っていたはずなのに……。

 ごめんなさい、たまちゃん。もう二度としないから……」

 

「うん、そうだろうね。だってもうしずかちゃんに預けたりしないもん。

 何をされるか……分かったものじゃないから」

 

 思わず善意から止めに入ったが、鋭く切り返される。たまちゃんはしずかを睨みつけ、眼鏡を外して涙を拭う。

 その姿に申し訳なさを感じ、否定の言葉が出てこない。今はただ、心を込めて謝罪する以外には無いと思えた。

 

「ごめんなさい、私はあの時、冷静じゃなかった。

 どんな事があっても、子供に手を上げるだなんて、どうかしていたわ。

 とても疲れていて、心に余裕が無かったんだと思う。ほんとうに……」

 

 そんなつもりは無かった。だがそれは不用意な言葉だった。

 思わず出てしまった言い訳めいた言葉は、彼女たちの格好の餌食となる。

 

「疲れてた……?

 それじゃあ夜はしっかり寝るべきだよ(・・・・・・・・・・)

 そうだよね、しずかちゃん?」

 

「え、それってなんの事?」

 

 批難の目を向けるたまちゃん。そしてキョトンと聞き返す城ケ崎さん。

 

「土橋さんが見てたんだって。

 今日の朝早く、のび太くんがしずかちゃんの家から、こっそり出てくるの――――」

 

 そう言い捨てて、怒りを滲ませた足音を立てて、たまちゃんが去っていく。

 汚らわしい、口に出したくも無い――――最後にしずかを見た瞳には、そんな嫌悪がありありと浮かんでいた。

 

「……ふ、ふぅ~ん! そうなんだぁ~」

 

 動揺からか、暫しのあいだ黙り込んでいた城ケ崎さんが、改めてしずかを見る。

 

「あの子をぶつのは当然よ。

 それに、スケベなのび太を私から遠ざけてくれた事も、感謝してるわ。

 もうホントに私、うんざりしてたし?」

 

 屈辱感や、強がり。そんな様々な想いが滲んだ顔で、城ケ崎さんが忌々し気にしずかを見下ろす。

 

「でも、そんな女だとは思わなかった――――

 将来町のリーダーになるのび太を、身体を使ってたらしこむなんて。

 ……お綺麗な貴方なら簡単よね、田舎者を騙すことなんて。

 さぞ上手くやれたでしょう」 

 

 尻軽。売女。恥知らず――――

 ありとあらゆる侮蔑を込めて、しずかを睨みつける。

 

「誤解だわ……。私はのび太さんとは、何も……」

 

 あまりに一方的で身勝手な物言いに、しずかは放心してしまう。

 このような言いがかりをつけられたのは、彼女にとって初めての事で、どう言葉を返せば良いのか分からずにいた。

 なんとか弱々しく否定をするも、それが城ケ崎さんに通じるはずもない。

 

「手を繋いでたじゃない、あの宴会の席で。バレてないとでも思った?!」

 

 もう嫉妬を隠そうともせずに糾弾され、しずかはもう返す言葉も無い。

 彼女は潔白だ。しかしたとえそうだとしても、いまの城ケ崎さんを納得させられる自信などなく、無駄な行為に思えたから。

 

 やがて、たまちゃんと同じように城ケ崎さんも、この場を立ち去っていく。

 もうしずかに出来るのは、俯きながらその背中を見送ること。それのみだった。

 

 

 

 ………………………………

 ………………………………………………………………

 

 

 

 翌日、ドッグヴィルの町は、山から降りてきた霧に覆われた。

 視界は悪く、外を歩くには危険が伴うが、それでしずかの仕事が減ることは無い。

 

 いつものように藤木の朝食の世話をし、みぎわさんの娘の介護、土橋さんのオルガンの補佐、永沢家でのグラス作り。

 その間は何度も男達の好色な視線に耐え、女たちの嫌悪の目に晒された。

 

 スネ夫の家に行けば、夕日など見えないにも関わらず隣に座らされ、その間ずっと膝に手を置かれたまま。

 彼はそれがなんでもない事かのように、とぼけたまま自慢話を続け、しずかの控えめな抵抗など全く意に返さなかった。

 

 そして今は収穫の時期となり、しずかはジャイアンと共に果樹園で過ごす事が多くなっていた。

 彼は以前、自らが語った通りの事をした。あれからも欲望のままにしずかの身体を求め、決して満足する事なく、獣のように貪り続けた。

 

 近頃のしずかは、彼と収穫について議論することを止めていた。

 豊穣、耕す、果実といった言葉が、彼に肉欲を連想させてしまうから。

 

 しずかはただ無心で働き、そしてあの日の約束を頑なに守るように、無抵抗であり続けた。

 それは決して誠意ではなく、ただ彼を怒らせないようにという、恐怖からだった。

 

 

 

「……?」

 

 その夜、身も心も疲弊しきった彼女がベッドに横たわっている時、ふいに誰かがやってくる足音が聞えてきた。

 それは聞き慣れたのび太の物ではなく、複数の足音だ。

 

「……どうかしたの?」

 

 未だ眠りから覚め切る事が出来ず、疲労できしむ身体に鞭を打って、顔をそちらに向けるだけ。

 いまドアを開けて部屋に入って来た、たまちゃん、土橋さん、城ケ崎さんに対して。

 

「どうしたの、こんな夜中に」

 

「……」

 

 なんとか目を開けてたまちゃんに問うも、彼女は押し黙るばかり。

 まだよく頭が働かないしずかは、ハッとして起き上がり、慌てて三人に問いかける。

 

「まさか、また警察が? 呼びにきてくれたの?」

 

「ううん、そうじゃないよ。……今日は女同士の話で来たの」

 

 慌てて枕元のランプを着ける。部屋がぼんやりとした光に照らされる。

 しずかの目に映るのは、未だこちらを見降ろすように立ち尽くす二人の女性。そして真剣なまなざしでこちらを見る、たまちゃんの姿だった。

 

「話? ……私に?」

 

「うんそう。座ってもいいかな、しずかちゃん……」

 

 しずかはしっかりと起き出し、ベッドに腰かける。その隣にたまちゃんが座った。

 “女同士の話”なんて言われて、思いつく物など、ひとつしかありはしない。

 

「今は、収穫の時期だね。

 しずかちゃんも、よくあの人と一緒に果樹園に行ってるでしょう?」

 

「……ええ」

 

「綺麗だよね、あの果樹園。今の時期は特に。

 私はよく知らないけど、昔から画家さんは、収穫を題材にして絵を描くんだって。

 豊穣の素晴らしさとか、美的感覚だけじゃなく、エロティシズムとかも表現出来るって」

 

「……」

 

 しずかが黙り込む中、たまちゃんが土橋さんに視線を向ける。

 

「土橋さんがね……? 今朝キャニオンロードの方から、果樹園を見てたんだって。

 綺麗だなって、美しい光景だなって……しばらく景色を眺めてたらしいの。

 そうだよね……土橋さん?」

 

「……うん」

 

 土橋さんは沈痛な顔で、頷きを返す。

 

「それでね……? そこでしずかちゃんの姿を見たって……土橋さんが言ってたの。

 伐採して積んである木の後ろで、あの人と……」

 

 しずかは目を閉じ、深くため息をつく。

 こんな小さな町だ、隠し通せるワケがない。ついに来るべき時が来たのだと覚悟を決めた。

 

 だが、どこかで安心している自分がいた。

 妻であるたまちゃんに知られてしまったのなら、もうジャイアンも、あの獣のような行為を止めざるを得ないだろうと。

 人々に知られてしまった事は屈辱だ。でももう身と心を切り裂かれる想いで耐え忍ばなくても良くなったのなら、それは幾ばくかの救いのように思えたから。

 

 しかし、次にたまちゃんが告げたのは、しずかが耳を疑うような言葉だった。

 

 

「誘惑されたって……あの人が言ってた。

 弱みを握られて、何度も迫られたって――――」

 

 

 思わずたまちゃんの方を見る。

 彼女の愛らしかった表情は歪み、怒りに肩を震わせて、こちらをキッと睨んでいる。

 

「今日が初めてじゃなくて、何度もあったって。

 でも私の気持ちを考えて……今まで言えなかったって。

 そう私に謝ってたっ! 涙を零してたっ……!」

 

 たまちゃんが両手で顔を覆い、さめざめと泣く。

 

「あんな顔したあの人……私みたこと無いっ!

 あんな辛そうな彼を、初めて見たっ……!」

 

 崩れ落ちそうになるたまちゃんを、土橋さんと城ケ崎が駆け寄り、支えてやる。

 

「あの人は内気で、気難しいけどっ……!

 でも真面目な人だった! すごく誠実なのっ……!

 なのに……なのにしずかちゃんはっ……!!」

 

 二人に抱きしめられ、縋りつくたまちゃんを、しずかは見ている事しか出来ずにいる。

 おしとやかで、いつも理性的だった彼女が、いま子供のように泣きじゃくっている。

 夫に騙され、それを偽りの愛によって盲目的に信じ、まったく見当違いな涙を流している。

 それを愚かだと――――そしてこの上なく“哀れ”に感じてしまい、しずかはもう、かける言葉すら見つからない。

 

「しずかちゃん、軽蔑するよ……。見そこなったよ」

 

「ええ、私達はたまちゃんの味方よ。

 よくもまぁ、可愛い顔をしてやってくれるわよね。……サイテーよ貴方」

 

 たまちゃんの背中を撫でてやりながら、二人がしずかを睨む。

 

「ねぇ貴方、ジャイアンに何を望んでるの? たまちゃんの夫なのよ?

 身体を使って、弱みまで握って……いったい何のつもり?」

 

 未だ嗚咽を漏らすたまちゃんを代弁し、城ケ崎さんが問い詰める。

 しずかはせめて誠意を持って、嘘偽りのない気持ちを話す。

 

「何も望まないわ……たまちゃん。

 貴方のご主人にも、誰にも」

 

 まるで修道女のように澄んだ声だった。上辺だけでなく、心に訴えかけるような、真っすぐな言葉だ。

 しかし、即座に城ケ崎さんが、その言葉に噛み付く。

 

「誰にも……? じゃあのび太はどうなのよ!?

 手を握ってたじゃない! あいつも誘惑したんでしょ?!」

 

「――――違う、のび太さんは別。

 私は彼のことが好き。愛しているの」

 

「っ!?」

 

 目を見つめ、きっぱりと告げる。

 そのあまりの潔さに、思わず城ケ崎さんはたじろぐ。ただ一方的に攻撃し、まるで裁判官のような気分でいた彼女は、しずかの誠実な瞳に耐えられなくなり、プイッと顔を逸らす。

 

 だがその言葉は、たまちゃんにとって看破できない物だった。

 彼女は涙に濡れた瞳を憎悪に染めて、再びしずかを睨みつける。

 

「のび太くんを……? じゃあなんであの人のことまで……?!

 好きな人がいるんなら、なんで私の夫をっ……! なんでっ!!」

 

 しずかは言葉に詰まる。いや、黙秘を選んだ。

 先ほどのように、キッパリと言う事も出来る。だがそれは、妻であるたまちゃんの面子を潰し、心を踏みにじる行為だ。

 

 たとえここで真実を告げても、とても彼女には信じられないだろう。ただ悪戯に傷つけ、更に泣かせてしまうだけだ。

 何より、もうこれ以上は、たまちゃんの心が耐えられない――――以前から情緒不安定なたまちゃんを気遣い、親身になって接してきたからこそ、それがよく分かる。

 

 だからしずかは、あえて黙秘することを選び、厳かに瞳を閉じる。

 たとえどれだけ責められても、殴られても良い。その覚悟を持って。

 

「そっか、だんまりなんだ……。反省もなにも無いんだね――――」

 

 強い失望と、怒り。

 いつの間にか涙を止めたたまちゃんが、冷淡な声を出す。

 

「悪い事をしたら、罰を受ける。

 しずかちゃんには、その教訓をあげなきゃいけないね」

 

 たまちゃんが棚の前まで歩き、そこにある人形をひとつ手に取った。

 

「綺麗に磨いてあるね……。可愛らしい……。

 でも、こんなのを壊すなんて(・・・・・)どうって事ないよ(・・・・・・・・)

 

 その光のない冷たい目に、しずかはおののく。

 彼女が何をしようとしているのか、それを理解して、心が絶望に染まる。

 たまちゃんは今から、しずかの唯一の心の支えであった大切な物を、奪おうというのだ。

 

 まるで看守のように、城ケ崎さんと土橋さんが両脇に立って、しずかの腕を拘束する。

 暴れないように、そして今から行われる事を、しっかりと見せつける為に。

 

「た……たまちゃん……」

 

 動く事も出来ず、縋り付くような声。

 両隣にいる城ケ崎さん、そして土橋さんさえも、いま口元を醜くゆがめている。いつも美しく気高かったしずかが、泣き叫ぶ様。それが見たいのだ。

 

 しずかはまだ辛うじて平静を保っているが、その声は哀れなほど震えている。

 

「友達、でしょう……? いつも二人で語り合ってたでしょう?

 家事も、子供達の教育にも、協力してきたわ……」

 

「友達? 協力? ……なにそれ?」

 

 今までのしずかの献身や、育んできた友情。そんなものなど無かったかのような、たまちゃんの冷たい声。

 

「押しかけて来たよね? 私達はいらないって言ったのに、無理やりさ?

 みんなに取り入るために、匿ってもらうためにしてた事じゃない。

 厚意だったんだよ? やらせてあげたのに、家に入れてあげたのに……その結果がこれだよ。

 ……ねぇ、子供達の教育ってなに? いったい貴方が、何を教えるっていうの?」

 

「……」

 

「教育が必要なのは、しずかちゃんの方だよ。

 子供達に教えてたっていう禁欲主義(ストイシズム)だって、本当に実践してるの?

 私からしたら、それって冗談みたいな話だよ」

 

 小さな人形を強く握りしめながら、しずかを睨みつける。

 本当は、しずかを殴りたいに違いない。髪の毛を掴んで引きずり回してやりたい、殺してやりたいと、そう目が言っている。

 だがたまちゃんは、まるで高潔な審判者を気取るように、しずかに対して宣言する。

 

「でも……分かったよ。じゃあしずかちゃんにチャンスをあげる。

 どんな人にだって機会を与えないと、公正じゃないもん。……私は貴方とは違うんだから」

 

 手に持った人形を、しずかに見せつけるようにして、前に出す。

 

「まずは、ふたつだけ人形を壊すね?

 床に叩きつけて、粉々にするから、ちゃんと見てて。

 ……もしその禁欲主義が本物なら、しずかちゃんは我慢できるよね?

 こんなのが壊れたって、なんとも思わないハズだよ。しっかり実戦してるんでしょ?」

 

 たまちゃんも、この場の二人も、どれだけしずかがこの人形を大切にしていたか知っている。

 少ない賃金の中から苦労して貯めて、いつか全てそろえて見せると嬉しそうに語っていたのを、しっかりと憶えていた。

 

 だからこそ、これが一番効果的。

 “教訓”を与えるという、その大義名分を持って、彼女の心を引き裂く為には。

 

「もし、しずかちゃんが泣かずにいられたら、そこで止めるから。

 いいよねしずかちゃん? それじゃあ、いくよ――――」

 

 一度だけ、まるでこの人形がしずか本人かのように睨みつけた後、腕を振りかぶる。

 

「――――ッ!!」

 

 心臓が止まるような、陶磁器が砕ける音。

 床に叩きつけられ、原型を失くした人形の破片が、床に散乱する。

 

「――――ッ!!」

 

 様子を確認するように、一度だけしずかの方を見た後、たまちゃんはふたつめの人形を掴み、即座に叩きつける。

 

 憎悪を込めて、何の躊躇もなく。

 あんなにも愛らしかった人形を、無残に粉々にした。

 

 

 

 

 

 

しずかは子供の頃から、感情を抑圧して生きてきた

だが、今の気持ちを抑えることは、難しかった――――

 

あの人形は、ただの小物ではない

彼女と町の人々の出会いが、結実したものだ

 

これまでの思い出、彼女の想い、人々との絆、そして苦しみまでも

その全てが“形”として昇華したのが、この人形だった

 

陶磁器が聞くに堪えない音をたてて、砕け散る

それはしずか自身の身体が切り裂かれるかのようだった

 

床に飛び散った、大切な想いの欠片を、ただじっと見つめる

 

しずかは、堪える事が出来なかった

嗚咽を漏らし、子供のころ以来はじめて、涙を流した――――

 

 

 

 

 

 

「ふん、何が禁欲主義(ストイシズム)よ。馬鹿馬鹿しいったら」

 

 しずかの泣き声が響く中、城ケ崎さんが呟く。

 あれほど高潔だった、美しく誇り高かった彼女が、いま子供のように泣いている。声を殺すように、哀れに涙を流している。

 

 しずかから目線を切り、再びたまちゃんの方を向く。

 その口元を、愉悦に歪めながら。

 

 それを確認したたまちゃんが、無言で三つめの人形を手に取り、床に叩きつける。

 間を置かずに手を動かし、四つ、五つ、六つ……。

 その度にしずかの肩がビクッと震え、止めどなく涙が零れていく。

 

「――――ッ!!」

 

 渾身の力をもって、最後の人形が砕かれる。その途端しずかは、まるで我が子を失った母親のように、床に崩れ落ちた。

 両腕をだらりと下げ、力なくペタンと座り、涙を零し続ける。

 彼女の言葉にならない悲痛な声だけが、部屋に響いていった。

 

 そんな彼女を残して、やがて三人は満足したかのように、ドアへと歩き出す。

 言葉をかける事なく、ただ愉悦の浮かぶ瞳でしずかを一瞥した後、この場を去って行く。

 

 決別を表すように、たまちゃんが強くドアを閉める音が、夜のドッグヴィルに響いた。

 

 

 

 

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