まだ感覚が戻ってないので遅くなりました。
取り敢えず調子を取り戻すまでもう暫くお待ちください。
――――咄嗟に身体が動いたというのはこの事を言うのだろう。
降り頻る雨の中、車道に出た猫を助ける為に飛び出した少女は、自分に迫る車を眺めながら思わずそう考えてしまった。
車は凄まじい速度で走行している。法定速度よりも上だろうか。これでブレーキをかけていればまだ話は違ったのかもしれないが、信号が赤であるのにも関わらず速度が遅くなる気配は全く無い。
この速度で轢かれれば死ぬ。仮に死ななくても命の危機に瀕する大怪我を負う事は確定的に明らかだった。
「あ…………」
少女は小さく声を漏らす。
別に死ぬことに対して恐怖が無いわけでは無い。だがそれ以上に、これでようやく楽になれるという思いの方が強かった。
家族との仲も決して良くは無く、むしろ悪い。友達は一人も居ないし、自分が死んで悲しんでくれる人も居ない。それどころか死んだ方が済々するに違いない。
――――どうせ誰も悲しむ者なんて居ないのだから。
元々厭世的な人間だ。これで終われると思ったのならほっとする。
心の中でそう思いながら少女は全てを諦め、襲い来る衝撃に少しでも備えようと瞳を閉じる。
耳を劈くような轟音が鳴り響く。固い物が高速で何かとぶつかった時に鳴るような激しい音だった。
だが、衝撃が少女の身体に襲い掛かる事は無かった。
「えっ?」
何時まで経っても痛みがやって来ない事に違和感を覚えた少女は目を見開く。
眼前に居たのは自分を轢こうとしている車ではなく、一人の少年だった。
重力に逆らうような髪型ながらも柔らかそうな琥珀色の髪。同年代の少年にしては小柄で顔立ちは優し気ではあるものの何処か頼りなさげな女性寄りの顔立ち。
その身体は酷く傷だらけで血だらけだった。
「…………大丈夫?」
少年は身体が痛むのか、顔を顰めながらも笑みを浮かべる。
酷く不器用な笑みだった。だけど、それ以上に優しい微笑みだった。
それが少女――――凪にとっての運命の出会いだった。
+++
「――――それで、怪我をしたわけですね」
「はい…………仰る通りです…………」
病院の個室にあるベッドの上、今月で二度目の入院をする事になった経緯を綱吉は説明していた。
おつかいの帰り道、偶然にも車に轢かれそうになっている少女を見つけた事。それを見て思わず身体が動いてしまい少女を庇った事。死ぬ気になって車を止めようとしたものの、死ぬ気になる事が出来ず、結果怪我をした事。
その全てをユニに話した。
「沢田さん。貴方のやった事は美徳ですし褒められる事です」
「はい…………」
「ですが、もう少し自分の行動を考えた方が良いと思います」
「本当に申し訳ございませんでした」
自らに非難がましい視線を向けるユニから目を逸らしつつ、消え入りそうな声音で謝罪する。
包帯を巻いている怪我をした箇所、特に一番の深傷である腕。そこから感じる痛みよりも、ユニから向けられる視線の方が痛いと感じるのはきっと気のせいではないだろう。
「見た目ほど大した怪我でなくて良かったですよ」
「は、ははは…………その通りだね。車に轢き逃げされてるのに腕の骨に罅が入っただけで済んで、本当に良かったよ」
怪我をした箇所に目を落とす。
自分を、正確には自分達を轢いた車はブレーキを掛ける事なく、そのまま突っ切って轢き逃げした。そんなのと正面から衝突すれば普通は死ぬかもしれない。いや、普通に死ぬ可能性もあった。それでも命に別状が無かったのは奇跡、もしくは修行の成果が出たと言う事だろう。
こんな事で修行の成果を実感するとは思わなかったが。
「沢田さん。勘違いしているようですけど、骨の罅は骨折ですからね」
「えっ、そうなの?」
「そうなんです。なので完治までに二、三ヶ月ぐらい時間が掛かります。くっつくのはそれよりも早いですけど」
「そ、そんなぁ……………」
ユニからの説明を聞いて綱吉は項垂れる。
「とはいえ、今の沢田さんなら完治までに一ヶ月も掛からないとは思いますけどね。今の沢田さんは死ぬ気の炎が使えますし、普通の人より治りが早いと思いますよ」
「よ、良かったぁ…………」
「良くありません。沢田さんのお母様、奈々さんも心配してましたよ」
「うっ、それを言われると弱いなぁ…………」
ユニの言葉により、綱吉の脳裏に母の顔が過ぎる。
ついさっきまで病室に来ていたが、その時の顔は心配半分呆れ半分といった感じだった。
「日帰りで帰れるとはいえ、大怪我をしたのは事実なんですから。沢田さんも気を付けて下さいね」
「は、はい…………と、そういえば、オレが助けた女の子は大丈夫だった?」
綱吉は話を逸らそうと別の話題を出す。
「ええ。怪我は沢田さんのおかげで特に無かったらしいです。今奈々さんがその家族の方と話し合っているみたいですね」
「そっか」
取り敢えず怪我が無くて一安心だ。
綱吉はほっと一息つき、安堵の表情を浮かべる。
「轢き逃げをした犯人はまだ捕まってませんが、多分一般人でしょうし捕まるのにそう時間もかからないでしょう」
「えっと、ごめん。車のナンバーとか見れるだけの余裕無かったから」
「大丈夫です。沢田さんが助けた人が覚えていましたから。ただ――――」
「ただ?」
「沢田さんが撃退しているとはいえ殺し屋に命を狙われている状況ですからね。ボンゴレファミリーの人が何かやらかさないかちょっと心配です」
「ああ…………」
ユニの言葉に綱吉は遠い目をする。
確かに言われてみたらその通りだろう。相手が殺し屋でなく、リングや
ボンゴレファミリーを継ぐつもりが欠片も無いとはいえ、彼等からしたら大事な後継者候補の一人だ。マフィアは面子というものを大事にする。今回の事故で相手側が謝罪する気があったならばまだ話は違ったのかもしれないが、謝罪する気等欠片も無く轢き逃げをするような奴だ。
被害者である自分からしたら轢き逃げをやった犯人を庇うつもりはない。
だが同情せずにはいられなかった。
「や、やり過ぎないようにお願いできるかな?」
「…………後で相談してみますね」
罪は償わないといけないものだが、だからといってやり過ぎてもいけない。
「さて、と…………荷物の整理も終わりましたしそろそろ帰りましょうか」
「そうだね」
これ以上この病室で話し合う事は無い。
話を打ち切り、荷物を持って病室から出ようとする。
その時だった――――沢田奈々が病室に入って来たのは。
「えっ、母さん?」
急に病室に入って来た母親の姿に綱吉は思わず困惑の表情を浮かべるが、すぐに様子がおかしい事に気が付く。
怒っていた。控え目に見てもかなり激怒していた。
表情こそ笑顔であるものの、身に纏っている空気が明らかに張り詰めていた。
「ど、どうしたの、そんなに怖い顔をして…………?」
怒る事はあれど基本的には天然で温和で優しい母。
そんな母親が今までに見た事無い程に怒っている姿に綱吉は恐れ戦く。
もしかして自分が何かやらかしただろうか。いや、ここ最近は目立った失敗も無い。
成績はユニのおかげで少しずつではあるものの少しずつ上がっていっているし、テストの点数だって赤点は無い。
だから怒られることは無い筈。そう考える綱吉に奈々は優しく告げる。
「大丈夫よツっ君。ツっ君には怒ってないから」
それはつまり、別の人に対して怒っているという事なのだろうか。
母親の態度に綱吉が訝しんでいると、奈々の背後から一人の少女が姿を現す。
ぱっちりと見開かれた大きい瞳を持っており、率直に言って美少女である。そしてその少女はついさっき綱吉が助けた人だった。
「その娘は――――」
どうしてその娘がここに居るのだろうか。
ユニが尋ねるよりも先に奈々はその答えを言う。
「今日から家で暮らす事になった凪ちゃんよ。ツっ君、よろしくお願いね」
「え、えっと…………よろしく、お願いします」
「「…………えっ?」」
奈々の口から告げられたその言葉に、綱吉とユニの二人は揃って言葉を失った。