メイドカフェに行った翌日、俺はみんなといつも通り部活に参加する……。そんな予定であったが、今日の部活は自分の川崎先輩の更生への作戦のため休むことになっていた。
そんな俺は夕方、タクシーに乗りあるところへ向かっていた。どこに向かうかというと、少し学校から離れたところにあるカフェである。
俺個人の意見としては川崎先輩がどのような先輩であるかは断片的にしか分からないが、俺たち奉仕部、つまり部外者の指示には従おうとはしないはずだ。家族の話さえ聞く耳を持たなかったのだから。そのため自分の中で働くのを辞めさせるという考えを捨てた。そもそも今の世の中バイトしている高校生はそれなりにいる。その中に滑り込ませることにしたのだ。
「けどまあ、かなり好条件じゃないと乗ってくれないとは思うんだよなぁ……」
かなりの時間働いているということは、今のバイト先もかなり高いところなのだろう。こちらもそれに見合う条件を持ち出さなければならない。
そんなことを考えているうちに目的の店に着いた。料金を払って降りると、30代半ばの男性の姿が見えた。
「やあ、星斗くん。元気にしていたかい?」
俺も頭を下げる。
「わざわざありがとうございます。松原さん」
彼は就労相談所の経営をしている松原さんだ。彼は以前問題が発生したときに俺のアイデアで助けるということがあった。その際のときからの縁である。何があったのかはまた別の機会に説明するとしよう。
「今日は俺が呼び出したんです。金は出します」
「いや気にしなくていいよ。高校生に奢ってもらうというのも居心地が悪いし。僕が奢るよ」
2人で向き合いつつテーブル席に腰掛けて、カフェラテとコーヒーを注文した。
「それじゃあ聞こうか。君の頼みは何かな?」
俺は奉仕部に舞い込んだ川崎先輩の依頼について話した。
「……というわけで、深夜帯じゃない時給の高いバイトっていうのあります?」
「エンジェルラダーの深夜帯の時給はそれなりに高かったはずだ。それを上回るものとなると……。難しいな」
「やっぱり厳しそうですか?」
「ああ。でも、まったくないわけではない。そこら辺は正直本人と話してみないと何も言えないな。ただ、もう一つ別の問題がある」
「別の問題?」
「ああ。扶養控除だよ。簡単に言うと高校生や大学生のバイトで一年で103万円以上稼ぐと税金で収入の一部が持っていかれるということだよ」
「だとしたら、川崎先輩はその微妙な線を計算したのかな……」
俺の言葉に松原さんは首を横に振る。
「その可能性は低いだろうね。深夜帯のバイトはそれ以外の時間帯に比べて時給が高い。それをほぼ毎日やっているとしたら103万円なんて割と稼げるからね。気づいていない可能性がある」
確かにそれを計算していれば深夜帯には入れないはずだ。長時間かつ高時給なら収入はかなり伸びる。そこをどう狙い目にしていくかが、俺の勝負どころだ。
「なるほど。ありがとうございます。かなりいい情報が聞けました。これでかなり俺の交渉もいい線いけそうです」
「お役に立てて何よりだ。また困ったことがあれば相談に乗るよ」
「それでは失礼します」
俺はカフェラテを飲み干して、席を立った。方針は決まった。あとは行動に移すのみだ。
雪姉からの電話を受けて、俺は海浜幕張駅近くのホテルに向かった。目的地はここの上にあるエンジェルラダーである。すでにそうなることを想像して、俺は駅のトイレで他所行きの正装に着替えた。さすがに制服のまま入るわけにはいかないだろう。
ちなみに由比ヶ浜先輩の「葉山先輩による色仕掛け作戦」も失敗に終わったらしい。というか、葉山先輩が振られるところとか超絶見たかったわ。惜しいことをしたものだ。
「お待たせしました、先輩」
俺はエレベーターホールで待つ比企谷先輩に声をかける。
「よう。部活も休んでたし、来ないかと思ったわ」
「由比ヶ浜先輩と雪姉のドレス姿を俺が見逃すとお思いですか?」
「お前、あの二人ほんとに大好きだもんな」
それからしばらくして、後ろから超絶美少女こと由比ヶ浜先輩に声をかけられた。
「お、お待たせ……」
「結婚……。いえ、めちゃくちゃ似合ってますね……」
危ねぇ。危うく結婚してくださいと言ってしまうところだった。こんな場所で勢いじゃなくちゃんと考えた上で伝えたい。
「ありがと、せーくん……。なんか、ピアノの発表会みたいなんだけど……」
「せめて結婚式くらいのこと言えないの? さすがにこのレベルの服をピアノの発表会と言われると少し複雑なのだけれど……」
その横から漆黒のドレスの似合う雪姉が声をかける。
「だ、だってこんな服着たの初めてだもん。ていうか、マジでゆきのん何者!?」
「大袈裟ね。たまに着る機会があるから持ってるだけよ。それより星斗もちゃんと来てくれてホッとしたわ」
「もちろん。こんな面白い……、じゃなかった、大事なことで俺がサボるわけじゃないですかぁ」
「本音が隠せてねぇぞ……」
比企谷先輩が呟いたところで俺たちはエレベーターに乗り込み、上に向かう。
華やかな最上階には一般市民が立ち入れそうにもない雰囲気が漂っていた。こういうときにビクビクしてはならない。自分もここの人であるかのように堂々と歩かなくてはならない。
そう思いながら雪姉の横を歩く。比企谷先輩や由比ヶ浜先輩は慣れていないらしく、めちゃくちゃに緊張しているようだ。
そしてようやく目標の人物を見つけた。学校で会ったときとは全く違う凛とした姿。それに対して雪姉が声をかける。
「捜したわ。川崎沙希さん」
「雪ノ下……」
この2人には何か因縁があるのだろうか。いや、雪姉からは敵意は感じられない。川崎先輩が何かしら思うところがあるのだろう。
「ど、どもー……」
「由比ヶ浜か……、んで、君は確か雪ノ下の弟だったっけか。もう一人は……」
覚えてもらえるとは光栄だ。それなら話が早い。
「あ、うん。同じクラスのヒッキー。比企谷八幡」
「そっか、バレちゃったか」
川崎先輩は苦笑いする。その後俺たちはペリエとジンジャエールを注文した。なお、比企谷先輩はMAXコーヒーを注文しようとして雪姉によりジンジャエールに変えられていた。
「それで、何しに来たのさ?」
「お前、最近家に帰るの遅いんだってな。このバイトのせいだよな? 弟、心配してんぞ」
「そんなことわざわざ言いにきたの? あのさ、見ず知らずのあんたにそんなこと言われたくらいで辞めると思ってんの?」
小馬鹿にしたように笑う彼女に対して俺がニヤリと笑う。
「別に俺はそう思ってはないですけどね。だって先輩頑固でしょうし。でも、そう思わない人もいるわけなんですよ」
「最近やけに周りがうるさいのってあんたたちのせいか。大志が何か言ってきた? どういう繋がりか知らないけど、あたしから言っておくから気にしないでよ。……だから、もう大志に関わんないでね」
彼女は冷たく突き放す。
「ですから、それだけじゃないんですってば。ですよね、雪姉?」
「ええ。十時四十分……。ここであなたの魔法は解けたみたいね」
「魔法が解けたなら、あとはハッピーエンドがあるんじゃないの?」
「それはどうかしら。あなたに待ち構えてるのはバッドエンドだと思うのだけれど」
十八歳未満が深夜に働いてはいけないという労働基準法を年齢詐称でかいくぐってることを言っているのだろう。
「辞める気はないの?」
「ん? ないよ。ここを辞めてもまた別のところで働けばいいし」
「んじゃ、質問を変えます。川崎先輩、なんでここでバイトしてるんです? こんな時間帯に年齢詐称してまで働くことにデメリットもあるはずでしょう?」
「別に……。お金が必要なだけだし」
比企谷先輩が小さく答える。
「あー、いや、それは分かるんだけどよ」
「分かるはずないじゃん……あんなふざけた進路希望書く奴が分かるはずはないよ」
どんな進路希望を書いて、それがどうして川崎先輩に見られてるんですか、先輩。
「別にふざけてねぇよ……」
「ふざけてないってことはガキってことでしょ。人生舐めすぎ」
そして彼女は比企谷先輩を睨みつつ続ける。
「あんたも、……いや、あんたたちも分からないよ。別に遊ぶ金欲しさに働いているわけじゃない。そこらのバカと一緒にしないで」
これは大層お怒りのようだ。さて、次はどのカードを切るか。そう考えていると由比ヶ浜先輩が言う。
「やー、でもさ、話してみないと分からないことってあるじゃない? もしかしたら、何か力になれるかもしれないし……話せば楽になるかもしれないし……」
「言ったところであんたたちにはわかんないよ。力になる? 楽になる? それじゃあたしのためにお金を用意できるんだ。うちの親が用意できないものをあんたたちが肩代わりしてくれるんだ?」
「そ、それは……」
由比ヶ浜先輩が俯きつつ口籠る。
「そのあたりでやめなさい。これ以上吠えるなら……」
雪姉もマジ切れしてるな、これ。この場で冷静なの、もはや俺しかいないんじゃないのか。
「ねぇ、あんたの父親さ、県議会議員なんでしょ? そんな余裕がある奴に……」
「はい、その辺にしといてもらえますか」
川崎先輩の声を遮ったのは俺だった。俺が何を言われようと大して気にならない。だが、由比ヶ浜先輩と雪姉が悲しむのは訳が違う。それだけは全力で抗わせてもらう。
そう感じたのは俺だけではなかったらしい。
「ちょっと! ゆきのんとせーくんの家のことなんて今は関係ないじゃん!」
由比ヶ浜先輩が叫ぶ。俺と雪姉のために怒ってくれたことが少し嬉しかったのはここだけの話だ。
「なら、あたしの家のことも関係ないでしょ」
「そうかもしれないけど、ゆきのんに」
「由比ヶ浜さん、落ち着いて。別に大丈夫だから気にしないで」
この状態でまともに話せそうなのは俺と比企谷先輩くらいだろう。さて、どうしたものか。
「今日はもう帰ろうぜ。正直眠い。これ飲み終わったら帰るわ」
「そうっすね、俺もそれに賛成です。雪姉と由比ヶ浜先輩もそれでいいですか?」
2人とも頷き、お金を払って席を立つ。2人を見送ると、比企谷先輩が聞く。
「お前は帰らないのか?」
「ええまあ、俺の方も用事あるんで。すぐ戻ると2人に伝えてください」
比企谷先輩は頷き、川崎先輩に言う。
「川崎、明日の朝の時間くれ。五時半に通り沿いのマック。いいか?」
「はぁ? なんで?」
「少し大志のことで話したいことがある」
「いったい何を……」
「それは明日話すよ。じゃあな」
そう言いつつお金を置いて彼は出て行った。
さあ、ようやく俺の出番だ。比企谷先輩が出て行ったのを確認して、俺は聞く。
「さてと、川崎先輩、さっきの比企谷先輩の話に乗りますか?」
「は? そんなわけ……」
「ないですよね、分かってますよ。んで、一つ相談があるんですけどね……」
そう言って俺は先ほど松原さんと話したことを言う。扶養控除のことと別のバイト先を見つけるべきということだ。
「てな訳なんですけど、どうします? 現状先輩が俺の話に乗るなら、それはそれでいいです。でも、それにあたって一つ頼みがあるんですけど、どうします?」
「頼みって?」
「比企谷先輩の話を聞いてあげてください。俺からの頼みはそれだけです。仮に比企谷先輩の話を断るのなら別にいいんです。でも、そうした場合、家族じゃなくてお金を取るってことになりますけどね」
「なんでそういう話になんのよ……」
「比企谷先輩なら確実に大志くんを連れてきますよ。その意思が、大志くんの気持ちを裏切る可能性があるってことですよ。そうなったら、もう俺にはどうにもできないですけどね。最終的な判断は川崎先輩に任せます。ま、先輩からしてみれば、年下の俺の指示に従うなんてムカつくことだと思いますけどね」
軽く挑発して、俺は立ち上がる。
「……少し考えさせて」
「分かりました。明日会えることを楽しみにしてますね」
そう言って俺はお金を置き颯爽と店から出る。よし、これで俺のやるべきことは完璧に終わった。あとは比企谷先輩に期待するとしよう。そう思って携帯を開いたときだった。ちょうどメールが届いてきた。雪姉からである。
『今晩由比ヶ浜さんが泊まるみたいなのだけれど、どうするかしら?』
颯爽と立ち去るイケメンのメンタルがボロボロになって崩れ去る瞬間であった。
今回はここまでです。今後もよろしくお願いします