史上最大のピンチとはこのことをいうのだろう。弟である自分が大好きな姉の家で片思い中の先輩と一夜を共にしかけているのだから。何を言ってるのか自分でもよく分からない状況だ。
ホテルから外に出たのち、とりあえずはこの状況を作ったであろう元凶に電話をかける。
「もしもし、比企谷先輩」
「ん、星斗か。どうした?」
「由比ヶ浜先輩に雪姉の家で泊まるよう指示したのは先輩ですよね」
「まあ、そうだが……。それがどうかしたのか?」
比企谷先輩の悪気はなさそうな声に、俺は思わずため息をつく。
「あのですね、先輩……。俺、今雪姉の家に住んでるんですよ……」
「知らなかったが、何か問題でもあるのか?」
「由比ヶ浜先輩と同じ所で寝るなんて、俺のメンタルが保つ訳ないじゃないですか!」
雪姉ですら、誘われたら危ない瞬間があるというのに、由比ヶ浜先輩で耐えられるとは到底思えない。
比企谷先輩は心底どうでも良さそうに答える。
「役得じゃねぇか。それじゃ明日な」
「待ってくださいよ! 止めないんですか!?
部活仲間がいろいろ卒業するかもしれないんですよ!」
「止めねぇよ。つーか、雪ノ下が真っ先に止めるだろ。誰が弟と親友のイチャつきを自分の家で見たい。あと、お前は少し落ち着け」
「これが落ち着けるなら、どうかしてますよ。なら、先輩は耐えられますか?」
「それは分からんけどよ……。仮に帰らなくてお前はどうすんだよ」
実家に戻るにしても荷物を取りに行かなくてはならない訳で、結局由比ヶ浜先輩とは会うことになってしまうだろう。かといって、ネカフェなどで過ごそうとすれば、雪姉にめちゃくちゃ心配をかけてしまうに違いない。
「……今回は先輩も悪意はなかったし、仕方ないとします。でも、次からはこういうのはやめてくださいよ。こっちもいろいろ準備があるんですから」
「分かったよ。にしても、お前、普段はまともなのに由比ヶ浜が絡むと途端におかしくなるよな」
「小町ちゃんと戸塚先輩狂いの先輩にだけは言われたくないっす。それじゃあ、また明日」
俺はそう答えて電話を切った。さあ、今から俺が目指す雪姉の家は天国となるか地獄となるか。
「ただいまー。ごめん、遅くなった」
ドアを開けて中に入った俺に2種類の声が答える。
「遅かったわね、星斗。おかえりなさい」
「ちょっ、な、なんでせーくんがいるの!?」
雪姉は安心しているようだが、由比ヶ浜先輩は驚きまくっているようだ。しかし、俺も時を同じくして由比ヶ浜先輩の可愛らしさに驚かされることとなる。
ピンク色のパジャマに身を包んだ由比ヶ浜先輩の姿に危うく意識が飛びそうになったが、事前に比企谷先輩と雪姉から聞かされていたため、どうにか意識を保つことができた。
「いや、ここは俺の家でもありますし……」
「星斗は一人暮らしの私を心配して、最近ここで手伝ってくれてるのよ」
雪姉もそう言うと、由比ヶ浜先輩は納得したように頷いた。
「なるほどね。やっぱりせーくんは姉想いなんだね」
「そりゃそうなりますよ。先輩も自分の立場になったら、そうすると思いますよ」
「なんていうか、せーくんってヒッキーとは違う感じのシスコンだよね」
「褒められてるのかそうじゃないのか分からないっすね……」
俺の声に由比ヶ浜先輩は慌てて答える。
「いや説明はしにくいんだけど、好感がもてるというか……」
「日頃の行いというのもあるのかもしれないわね。それより星斗早くお風呂に入ってきなさい」
雪姉に従って俺も風呂に入る。確かに俺のシスコンレベルを考えたら雪姉と一緒に風呂に入ってるって言っても通じそうだ。
そんな風に風呂の中で湯に浸かっていると、頭が冷静になってきた。改めて考えると、ヤバくね、この状況。このあと寝なきゃいけない訳で、どうすればいいんだろう。普段なら姑息な作戦とかが頭に浮かぶのに、由比ヶ浜先輩が絡むと何も浮かんでこない。癪だが比企谷先輩の言う通りなのだろう。
結局まともな考え一つ思い浮かばない俺は風呂を出た。この際成り行きに任せるしかない。
「星斗、早く寝るわよ。明日5時に出なくちゃならないし」
「うん。でも、どこで寝ればいいかな? 由比ヶ浜先輩と雪姉でベット使うんでしょ?」
「星斗も一緒に寝ればいいじゃない」
「でも、それは……。由比ヶ浜先輩は大丈夫なんですか?」
「えっと、あたしは……。せーくんなら大丈夫かな……」
え? マジで? 大丈夫なのかよ……。
「先輩、本気で言ってます、それ……?」
「ゆきのんもいるし、せーくんなら信頼できるから……」
あらやだ、この子、俺への好感度高すぎじゃない?
「とは言っても、さすがに3人は私のベットでも寝れないわね。そもそも一人用のものだし」
「そうだね……。なら、俺が来客用の布団を敷くからそれでどう?」
俺は頷き、来客用の布団を取りに行く。もちろん、それを敷く場所は雪姉の寝室である。つまり、雪姉と由比ヶ浜先輩がベットで俺がその下の布団で寝るという訳だ。
部屋の電気を消して、寝室に入る。雪姉は疲れていたのか、すぐに眠りについた。さて、俺も寝るかと思っていたところで、由比ヶ浜先輩の小さな声が聞こえた。
「ねぇ、せーくん、起きてる?」
「そろそろ寝ようと思ってましたけどね。どうかしましたか?」
由比ヶ浜先輩は雪姉を起こさないように小さな声で聞く。
「せーくんはさ、ヒッキーのこと、どう思ってるの……?」
「どう、とは?」
「あたしはヒッキーは変態で失礼だし何考えてるか分からないときもあるけど、優しいって思うな……」
「俺も似たようなもんですよ。なんです? あの人のこと、好きになっちゃいました?」
俺がからかうと、由比ヶ浜先輩はまた慌てるようだ。
「せーくんってば! からかわないでよ」
「あんまり大きい声出すと雪姉起きちゃいますよ」
「まったく、せーくんってばいじわるなんだから」
由比ヶ浜先輩は拗ねたように呟く。それからしばらくして先輩が言う。
「ねぇ、せーくん。手繋いでいい?」
「手、ですか? いいですよ」
俺は由比ヶ浜先輩の暖かくて柔らかい、でも俺の手よりは小さい手に触れる。女子に触れて簡単に動揺してしまうほど、俺は柔じゃないつもりだが、由比ヶ浜先輩だとどうなのか……。
「やっぱり、せーくんといると落ち着くね。ヒッキーやゆきのんと一緒にいる時間もとても楽しいけど、一番落ち着くのはせーくんと一緒にいるときだなって思うな」
「そう言ってもらえると、俺も嬉しいです。俺も由比ヶ浜先輩のこと、好きですよ」
俺がそう答えると由比ヶ浜先輩は黙り込む。ん? 俺なんかまずいこと言ってしまいましたかね……?
「先輩、寝ました?」
「……起きてるけど、今、好きって……?」
「え? 俺今そんなこと言いました?」
「うん、割としっかり」
マジかよ。こんな流れで告白とかマジなんなんだよ。
「えっと……。友達でって意味だよね?」
こうやって聞くと、友達として好きって便利な言葉だよな。
「そ、そうですよ。由比ヶ浜先輩が雪姉や比企谷先輩に思ってる気持ちと同じですよ」
……最悪だ。どこまでヘタレになれば済むというのか。情けなさすぎて呆れるを通り越して悲しくなる。
でも、そんな選択も悪くないなとふと思った。もちろん俺も由比ヶ浜先輩のことが大好き、否、愛してるとまで言える。だが、それを伝えるのは今じゃない。俺の気持ちが完成していたとしても、由比ヶ浜先輩の気持ちはそうじゃない。それに付き合わせるというのは筋違いだ。
そう心の中で決めて、俺は由比ヶ浜先輩の暖かい手を握り返した。俺が選んだこの答えが間違いではないと、自信を持って言えるように。
時計の針が4時を回ってすぐに俺は目を覚ました。5時間と少ししか寝れなかったが、予想外に充実した睡眠だった気がした。やはり、由比ヶ浜先輩や雪姉と寝ると少ない睡眠時間でも疲れは取れるのだろう。
そうして俺たちは比企谷先輩の待つ通り沿いのマックに向かう。そこにはすでに川崎姉弟と比企谷兄妹が座っていた。
俺たち全員が座ると、川崎先輩が大志くんを睨みながら聞く。
「大志……、あんたこんな時間に何してんの」
「こんな時間にってそれはこっちのセリフだよ、姉ちゃん。こんな時間まで何やってたんだよ」
「あんたに関係ないでしょ……」
そうやって突っぱねさせないように、比企谷先輩は俺たちを呼び出したんだろう。
「関係なくなんかないよ、家族じゃん」
「……あんたは知らなくていいって言ってんの」
そこで比企谷先輩が言う。
「なあ、川崎。なんでお前が働いていたか、金が必要だったか当ててやろう」
先輩曰く、川崎先輩が働いていたのは弟の将来のためのようだ。自分は川崎先輩が働く理由については考えもしていなかったため、そこに目をつけた比企谷先輩にとても驚かされた。確かに総武高は進学校だ。大志くんがそこに入ったとしたらその先お金がかかったとしてもおかしくない。
「大志が言ってたろ。姉ちゃんは昔から真面目で優しかったって。つまりはそういうことなんだよ」
比企谷先輩の結論に、川崎先輩が肩を落とす。
「姉ちゃん……。お、俺が塾行ってるから……」
「……だから、あんたは知らなくていいって言ったじゃん」
このまま終わりかと思いきや、川崎先輩が鋭く言う。まあ、このまま終わってもらっても困ると言えば困るのだが。
「けど、バイトは辞められない。あたし、大学行くつもりだし、そのことで親にも大志にも迷惑かけたくないから」
その声に大志くんは言い返せなかった。
「あのー、ちょっといいですかねー?」
小町ちゃんが空気を変えるかのように言う。
「やー。昔からうちも両親共働きなんですよね、それで小さいころの小町、家帰ると誰もいないんですよ。ただいまーって言っても誰も応えてくれないんです。それで、家に帰るのが嫌になっちゃって小町5日間ほど家出してたんですよ。そしたら両親じゃなくてお兄ちゃんが迎えに来て。で、それ以来兄は小町よりも早く帰るようになったんですよー。それで兄には感謝してるんですねー」
比企谷先輩、いいお兄ちゃんじゃん。そんなことを言っても比企谷先輩のことだから、アニメ見るためだけとか言って否定してきそうだから言わないけど、昨日由比ヶ浜先輩が言っていた先輩への評価はほぼ当てはまるのだろう。
「結局何が言いたいわけ?」
「ダメダメな兄でも、小町に心配かけたりは絶対しないんです。それだけでも妹としては助かるし嬉しいものなんですね」
「なるほどね。俺からも一ついいですか。俺も雪姉が一人で悩んでるとしたら、助けたくなるし、弟ってそういうものなんですよ。姉のことが大好きなのが弟だし、そういうのが俺の考える姉弟なんですよ。もちろん、みんながみんなそれに当てはまるとは思わないんですけど、少なくとも大志くんはそんな風に思ってるんじゃないんですかね」
俺がチラリと大志くんを見ると、彼は小さく呟く。
「……まあ、俺もそんな感じ」
彼は俺ほどシスコンでもないだろうが、これをきっかけに2人が再び仲良くなれれば何よりだ。でも、比企谷先輩が用意したものはそれだけではないだろう。
「比企谷先輩、まだあるでしょう?」
彼は小さく頷く。
「なあ、川崎。お前さ、スカラシップって知ってる?」
そう言い、彼はある種の錬金術を語り始めた。
朝焼けが差し込める中で、川崎姉弟を見送っていると、雪姉が呟く。
「兄妹ってああいうものなのかしらね……」
「どうだろうな。結局人によりけりじゃねぇの。一番近い他人って言い方もできるしな」
「一番近い他人、ですか。少なくとも俺は雪姉を他人とは思いたくないし、思われたくはないですけどね」
「こういう特殊なやつもいるけどよ」
「一番近い他人ね。……それはとてもよく分かるわ。もちろん私も星斗のことをそう思いたくはないけれど」
彼女はそう言って俯く。垣間見せた雪姉の憂いは陽姉に向けられたものだろう。その感情はあくまで雪姉だけのものであり、俺がどうこうしてどうにかなるものでもないだろう。
「ゆきのん?」
由比ヶ浜先輩が心配そうに聞く。
「さ、私たちも帰りましょうか。あと三時間もすれば登校時間だし」
「う、うん……」
由比ヶ浜先輩は釈然としない表情で頷き、歩き始める。比企谷先輩も眠そうな小町ちゃんとともに自転車に乗り込んだ。
「じゃあ、帰るわ。お疲れ」
「うん、また明日、じゃないか。また今日学校で」
由比ヶ浜先輩が言うと、雪姉も続ける。
「二人乗りは感心しないけれど……。また、事故に遭ったりしないようにね」
「ああ、じゃあな」
彼はそう言い去っていった。その姿を見送っていると由比ヶ浜先輩が呟いた。
「せーくんはさ、ヒッキーのことどう思ってるの?」
「昨日答えたでしょう。優しいし、信頼していると。でも、いつかはそれに答えなくちゃならないんですよね。答えられなくても向き合えないと」
その声に由比ヶ浜先輩が下を向く。
「ま、でも俺はそんなに急ぐことでもないと思いますけどね。由比ヶ浜先輩が俯く必要もないですし、そんな先輩も俺は支えます」
「星斗、姉の前で由比ヶ浜さんを誘惑するものじゃないわ。見ていて恥ずかしい」
「はいはい。雪姉も言ってることですし、この辺りにしときますか」
これ以上は俺の心臓のバクバクが保ちそうにないですし。でも、俺もいつかは由比ヶ浜先輩と向き合う必要があるんだろうな。そう思いつつ、朝霧を進んでいくのだった。
今回はここまでです。今後も感想、お気に入り登録などよろしくお願いします