雪姉のクッキーを試食したのち、由比ヶ浜先輩のクッキー作りが再開した。雪姉のクッキーへのコメントがなぜないかって? それをコメントしてたら自分のシスコン度を見せつけるだけで、話がまったく進まなくなってしまうからだ。ただ一言言うとすれば、超絶美味しかった。以上。
さて、現在の家庭科室では雪姉の懸命な教えが降り注ぐ。しかし、由比ヶ浜先輩の絶望的な料理スキルのなさにより、雪姉の疲労の色がどんどん濃くなっていく。雪姉体力ないから大丈夫かな。あとで思いっきり甘やかしておこう(何目線だ)
「なんか違う……」
由比ヶ浜先輩が項垂れる。
「先輩、もうこれでいいんじゃないすかね」
俺の声に由比ヶ浜先輩は首を横に振る。
「どうせなら美味しいものを食べてもらいたいし……」
雪姉も頭を抱えているようだ。
「どう教えれば伝わるかしら……」
俺も雪姉もアイデアは出し尽くした。ならば、残ったもう一人の先輩に託そう。その思いで比企谷先輩をチラリと見た。それに小さく頷き、比企谷先輩が言う。
「あのさぁ、さっきから思ってたんだけど、なんでお前ら、うまいクッキー作ろうとしてんの?」
「はぁ?」
由比ヶ浜先輩が聞き返す。比企谷先輩は悪口で答えた。
「お前、ビッチのくせに何もわかってないの? 馬鹿なの?」
「だからビッチ言うなっつーの!」
それな。由比ヶ浜先輩がもしビッチだったら俺にもダメージがくる。
「男心がまるでわかってないな」
「仕方ないでしょ! 付き合ったことなんてないんだから! 友達には付き合ってる子とか結構いるけど……そ、その子達に合わせてたらこうなってたし……」
よかった。由比ヶ浜先輩が誰とも付き合ったことがないことが分かっただけでも十分ありがたい。比企谷先輩、ナイスです。
「別に由比ヶ浜さんの下半身事情はどうでもいいのだけれど、比企谷くんは何が言いたいの?」
雪姉、下半身事情って言葉はどうかと思うよ……。
「比企谷先輩には何か考えが浮かんだんですか?」
俺の疑問に軽く笑って答える。
「ふぅー、どうやらおたくらは本当の手作りクッキーを食べたことがないと見える。十分後、ここへ来てください。俺が本当の手作りクッキーを食べさせてやりますよ」
「上等じゃない。楽しみにしてるわ!」
由比ヶ浜先輩は雪姉を引っ張って廊下へと姿を消した。
男2人となった家庭科室で俺は言う。
「比企谷先輩、もしかして……」
「ああ。お前の思ってる通りのことをするつもりだよ。とりあえず、まあ期待して見とけよ」
そう言って、黒ずんだクッキーに手を伸ばした。
七、八分経ったのち、比企谷先輩は俺に、
「そろそろいいかな。二人を呼んできてくれ」
と言った。そして、俺は家庭科室のドアを開ける。
「雪姉、由比ヶ浜先輩。完成したみたいっすよ」
「遅かったわね。何をしていたのかしら?」
「見てみりゃ分かると思うよ」
由比ヶ浜先輩は比企谷先輩をこき下ろす気満々のようだ。
「絶対、美味しくなかったら馬鹿にしてやるんだから!」
うーん、それを俺に言っても可愛いだけなんだよなぁ。そう思いながらドアを開けて中に入った。
「これが『本物の手作りクッキーなの? 形も悪いし、不揃いね。それどころか焦げてるのもある。これって……」
クッキー(由比ヶ浜先輩の)を見て雪姉が言う。由比ヶ浜先輩は、
「ぷはっ、大口叩いたわりに大したことないとかマジうけるっ! 食べるまでもないわよっ!」
と爆笑している。それに比企谷先輩も余裕の笑みを崩さずに答える。
「ま、まあ、食べてみてくださいよ」
二人に合わせて俺も一応手を伸ばす。独特な味が口の中に広がる。比企谷先輩は二人に何かを伝えるつもりで由比ヶ浜先輩のクッキーをテーブルに置いたのだろうが、俺には由比ヶ浜先輩への好感度が増すだけである。
「別に特別何かあるわけじゃないし、ときどきジャリッてする! はっきり言ってそんなに美味しくない!」
由比ヶ浜先輩が叫ぶ。せっかく俺がモノローグで隠してたのに、超あっさり伝わっちまったじゃねぇか。事実だけど、自虐は勘弁してほしい。
「そっか、美味しくないか。……頑張ったんだけどな」
比企谷先輩が悲しげに言う。なんだか大根芝居を見ている気分だ。
「あ、……ごめん」
由比ヶ浜先輩が気まずそうに言う。
「わり、捨てるわ」
「待ちなさいよ」
「……何だよ?」
由比ヶ浜先輩が比企谷先輩の腕を掴んでいた。羨ましいな、比企谷先輩。まあ、頼んだら由比ヶ浜先輩ならしてくれそうだけど。
「別に捨てるほどのものじゃないでしょう。言うほどまずくないし」
「……そっか。満足してもらえたか?」
由比ヶ浜先輩は比企谷先輩から目を逸らす。
「まあ、由比ヶ浜がさっき作ったクッキーなんだけどな」
「……は?」
「比企谷くん、よく分からないのだけれど。今の茶番になんの意味があったのかしら?」
雪姉が不機嫌そうに言う。これは後でご機嫌取らなきゃいけないかもしれない。まあ、こちらから望んでさせてもらうが。
「こんな言葉がある。『愛さえあれば、ラブ・イズ・オーケー』」
引用元が分からないが古いのは理解できた。
「お前らはハードルを上げすぎてんだよ」
そう言ってニヤリと笑う。
「フッ……。ハードル競技の目的は飛び越えることだけじゃない。最速のタイムでゴールすることだ。飛び越えなきゃいけないってルールはない。ハー」
「言いたいことは分かったからもういいわ」
雪姉が遮る。
「つまり、比企谷先輩はさっき俺の言ったことを実践しようとしたってことですよね?」
「だいたいはその通りだ。男子はな、女子が一生懸命作ってくれてれば勝手に勘違いしてくれるんだよ」
「そんなに単純じゃないでしょ……」
「いや、その通りだよ。由比ヶ浜先輩から貰って嬉しくない人なんて逆に探す方が難しいと思う」
「せーくんが言うならそうなのかな……」
比企谷先輩が呆れたように呟く。
「おい、なんで星斗が言ったら簡単に信じるんだよ」
「日頃の行いの違いでしょう。陰鬱としてまともに人と会話できない比企谷くんと、人付き合いが完璧で男女問わず人気な私の可愛い弟。どちらが信用に足るか言うまでもないでしょう?」
雪姉の身内贔屓も大概だなぁ。自分が言えたことじゃないけど。
「と、とにかく、男っていうのは残念なぐらい単純なんだよ。話しかけるだけで勘違いするし、手作りクッキーってだけで喜ぶの。だから、」
ここで息を吸って比企谷先輩は言う。
「別に特別何かあるわけじゃなくてときどきジャリッてするような、そんなに美味しくないクッキーでいいんだよ」
「うっさい!」
由比ヶ浜先輩は怒って近くのものを比企谷先輩に投げつける。
「ヒッキー、マジ腹立つ! もう帰るっ!」
由比ヶ浜先輩はカバンを掴んでドアの方へ向かう。フォローするように比企谷先輩が言う。
「まあ、なんだ……。お前が頑張ったって姿勢が伝われば男心は揺れんじゃねぇの」
「ヒッキーも?」
「あ? あーもう超揺れるね。むしろ優しくされただけで好きになるレベル。つーかヒッキーって呼ぶな」
「せーくんは?」
「揺れるに決まってますよ。揺れるどころか爆発して血を吐くレベルっすよ」
「クッキーだけで血を吐かれたらこっちも困るんだけど……。とにかく、あとは自分で頑張る。ありがとう、三人とも」
そう言って由比ヶ浜先輩はお団子を揺らして出て行った。
「本当にこれでよかったのかしら……」
雪姉が呟く。
「いいんじゃねぇの。由比ヶ浜も満足したみたいだしさ」
ここで俺は口を開く。
「比企谷先輩」
「ん?」
俺は頭を下げる。
「比企谷先輩のこと、誤解してました。ごめんなさい」
「誤解? ていうか、頭を上げてくれ」
「比企谷先輩をずっと悪い人だって勝手に思ってたんですよ。雪姉って見ての通り可愛いっすよね。だから、それ目的でこの部活に入ったんだと」
「自主的に入ったんじゃねぇよ。平塚先生に入らされただけだ」
「それを聞いて改めて安心しました。比企谷先輩は……その、なんというか優しい人だって」
真っ直ぐに比企谷先輩を見つめて言う。
「……よせ、男に言われても何も出ねぇよ」
そこで雪姉が比企谷先輩を睨んで言う。
「あら、弟に手を出したらただじゃおかないわよ」
「出さねぇよ! 俺にそんな趣味はない!」
「はっきりそう否定されると、それはそれでムカつくわね」
「どうしろって言うんだ!」
「単純な話よ。しばらく息を止めてなさい」
「結局、死ねって言ってるようなもんじゃねぇかよ……」
それにしても罵倒のキレがすごいなぁ、今日の雪姉は。でも、比企谷先輩ならそんな雪姉を受け止めてくれそうだ。そう思いながら、俺は由比ヶ浜先輩が作ったクッキーを口に入れた。
独特な味だ。だけど、そこがまたいい。改めて俺はそう思う。クッキーも女の子も一癖も二癖もある方が面白いのだと。
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