あとアフタヌーンティーって英国の文化だったという...
それでは始まります。
車窓の向こう側は真っ暗でまるで夜空を走っているような気分がした。風に揺れる黒煙は景色と同化しているほどだ。座席に座っているだけなのに臀部が痛い。鎧のせいで肩もこり、早くベッドに入りたかった。隣の座席に目を移すとジョーとエレナは寝息を立てていた。エレナはジョーの肩に頭を預けていた。隣に座るアンリは肘をついて何も見えない車窓をじっと眺めていた。視線に気が付いたのかアンリは僕の方へ振り向く。
「起きていたの」
僕は「うん」と首肯した。アンリは再び車窓に視線を戻すと
「こんなに暗くては先には進めないわね。今日は終着駅の近くに泊まりましょう。」
「そうだね。僕も列車に乗っているだけだけど少し疲れたよ」
アンリは優しく「そう」と言うと列車が止まるまで何も語らなかった。
少し先からは灯りが見え、灯りのもとへと近づいていく。列車はゆっくりと減速し、金切り音が車内に響く。僕たちは終着駅のネオブールに到着した。駅を出るとピンク色のケバケバしたガス灯の光が街を照らしていた。建物の扉は大きく解放されて煽惑するように女が裸に近い姿で肢体をくねくねさせている。二階の装飾がなされた大きな窓からも同様に痛いほどに誘惑してくる。そんな建物が大通りに数十軒も続いており、目のやり場に困った。アンリはゴミを見るような目で「汚らわしい」と吐き捨てた。
王国では買春は厳しく罰せられていた。だから娼館というものも違法操業を除けば存在せず、僕たちにとっては未知のものであった。特にアンリはこうしたものには拒否反応が強く嫌悪感を抱くのは仕方ないことだ。エレナは顔を赤くして視線を落として歩き、ジョーは好色そうな顔をして辺りを見回していた。アンリは見かねたのか柄でジョーの頭をこつんと叩いた。娼館街を抜けるとT字路に当たり、突き当たりには50mの長さはあるレンガ建ての三角屋根の大きな教会が目の前に映った。小窓からはオレンジの温かな光がポツポツと漏れており、どうやら宿舎があるようだ。アンリは戸を叩いて人を呼ぶ。暫く待つとゆっくりと戸が開かれた。
「どちら様でしょうか...」
床につくくらいあるスカート丈、黒いワンピース状の服に頭には黒いベール―絵に描いたような修道女が戸からこちらを覗く様にして立っていた。
「旅の者ですが、一夜だけ泊まらせてもらいたいのですけど」
アンリが事情を話すと修道女は合点がいったようで初めて笑顔を見せる。
「冒険者の方でしたか!どうぞ中へ。部屋は狭いですがゆっくりとしていってくださいね」
僕たちは修道女に案内され、宿舎へと入っていった。男性と女性で別れているようでアンリとエレナは別の修道女に連れられ別の階へと向かう。僕とジョーは修道女が手に持つ蝋燭立ての火を頼りに薄暗い廊下を歩いて行く。外装は立派なものだが、中は簡素、悪く言えばボロく廊下は歩くたびにギシギシと木の軋む音がした。窓からはすきま風が入り、ガタガタと木枠にガラス板が当たる音がなる。
「こちらを使ってください。」
部屋は漆喰の壁でそれ以外にはベッドしかなかった。今にも横になりたい僕にとっては十分であった。僕は修道女に軽く会釈をして扉を閉めようとした時、冷え冷えとしたこの部屋で右手に温かな感触がした。修道女が僕の手を握ってきたのだ。突然のことに僕は驚いた。
「私、セレーネと申します。お困りのことがあればいつでもお呼びくださいね」
「はぁ」と僕は間の抜けた返事をすると、それではとセレーネは帰っていった。困ったことと言ってももう寝てしまう訳で、明日の朝には旅立つのだが...なんとも変わったことをいう修道女だと思いながら寝床についた。疲れからかベッドに入るとすぐに寝付いてしまった。
「―ウ.....ユウ.....なさい.....」
甲高い声で目が覚める。ゆっくりと瞼を開けると薄暗い漆喰が塗られた天井とアンリを認めた。僕は部屋に備え付けられた食パンくらいしかない小さな窓を見つめる。朝日はまだ昇っておらず、妖艶な輝きを放っていた娼館街も水を打ったように静まり返っていた。何より鳥のさえずりも鐘も音というものが何一つなかった。
「今何時だい?」
「5時よ」とアンリは僕の首から下にかけられていた毛布をひっぺがす。一気に僕の熱を奪い、僕は身を震わせた。
「先を急ぐにしても5時は早くないかい?」
「あら、礼もせずに立ち去る気?ここはただの宿屋ではなく教会なのよ?奉仕をしなければならないでしょ。早く顔を洗って礼拝堂へ向かいなさい。私はジョーを起こしに行くから」
アンリは勢いよく部屋を出ていった。僕は欠伸をひとつかき、のそのそと廊下を歩いて外にある井戸へ向かった。戸を開けると冷たい空気が身体に染み込んでいく。少し歩くと井戸には先にエレナが水を汲んでおり、どうも持ちあがらないようで綱を必死に引っ張っていた。僕は見かねて井戸に駆け寄ってエレナの後ろから綱を引っ張る。するすると綱は地面へと運ばれて水の入った桶があがってきた。
「あ、ユウさん。おはようございます....それとありがとうございます」
「おはようエレナ。君も顔を洗いに来たのかい?」
「いいえ。アンリさんからバケツに水を汲んできてと頼まれまして」
エレナの足元を見るとバケツがあり、僕は桶の水をバケツに移し残りの水で顔を洗った。桶から溢れた水が地面を黒く染めていた。
「昨日はよく眠れたかい?」
「はい...列車の中でも眠ってしまって..きっと緊張していたんだと思います」
「今日からやっと冒険らしい冒険の始まりだ。頑張ろうエレナ」
「はい、ユウさん」
エレナは決心のついた顔で返事をすると、遠くから「ユウ!」と怒号がした。この声はアンリだ。アンリの背後にはまだ眠そうにしているジョーが瞼を半分閉じた状態で立っていた。
「何油を売ってるの!礼拝堂に向かいなさいと言ったでしょ。さっさと行きなさい!」
アンリに怒鳴られ僕とエレナは礼拝堂へと走る。僕とエレナは走りながら顔を合わせて笑いあった。
礼拝堂には大きな十字架が立っており、壁面には聖書に倣った宗教画が施されている。十字架の下には刺繡の入ったテーブルクロスが敷かれた教壇にその前を規則正しく整列されたベンチが並べられていて、見るに20数列はあるだろう。
僕は一つ一つ丁寧に雑巾で拭きまわっていった。木の繊維が雑巾に引っかかってザラザラと音が鳴る。後ろの列から拭き始めているが、ベンチや本立ては埃を被っており使われていないことが窺えた。
「そんな調子じゃ日が暮れるわよ」
アンリの声が礼拝堂に響く。まるで修道院長かのように僕たちを使役する。本当の院長であるセレーネは別に頼んでもいないのだが、奉仕をして帰らねばならないとアンリが言って聞かずこうして僕たちは礼拝堂の掃除に勤しんでいる。ジョーは箒を掃き、エレナははたきを持って埃を払っている。アンリは指示と水汲みをしている。
僕はやっと5列まで拭き終えるが、まだまだ拭き終えていないベンチが前に立ちはだかっていた。ため息をつかなければやりきれない。腰を拳で叩いて再び中腰でベンチと本立てを拭き始めた。そんな作業は30分ほど続きやっと終えると、アンリは
「終わった?じゃあ、ジョーと一緒に地面を掃きなさい。ジョー、手が止まっているわよ!」
と新たな苦役を与えてきた。僕は「うん」とうなだれながらアンリから箒を受け取り、残りの力を振り絞って地面を掃く。これでは冒険に出かける前に体力を消耗してしまうような気がした。しかし、手を抜くとどこからともなくアンリの活が入る。早く朝が来ないかと待つばかりだった。
6時前にセレーネが礼拝堂へと入ってきた。掃除をしている僕たちを見て驚いていた。他に奉仕を買って出るパーティーなどいなかったのだろう。
「まぁまぁ旅のお方にこのようなことを...別によろしいですのに」
「いいえ。昨日一日泊まらせて頂いたお礼です。何もせずに出ていくのでは神に失礼ですので。今日の朝には出発するので大したことはできないですけれど...」
セレーネはアンリの話を聞いて「はい?」と顔をゆがめた。
「もしかして、橋のことをご存知ないのですか?」
「橋のこと?」
「はい。実は先月の大洪水で隣町に抜ける石橋が決壊いたしまして。まだしばらくは渡れないのです..」
「そうなのですか」とアンリは手を顎に添えて考えていた。予期せぬ事態にさすがのアンリも動揺しているようだった。ジョーやエレナも手を止めて深刻そうな顔をしている。先へと進みたい焦燥とは裏腹に道を分断させた天災―早くも冒険の艱難に出くわしてしまったようだ。
「ええ。ですから橋が修復するまで泊って行ってください。私どもは歓迎いたします」
その時、朝を告げる鐘が真上で鳴り響き、陽がステンドグラスに当たり極彩色の影が真ん中を通る赤い絨毯へと差してきた。そんな偶然が重なってかセレーネが急に天使に見えた。
「旅の方にだけでは申し訳ありません。わたくしもお手伝いしますわ」
セレーネは僕の手に持っていた箒を取って掃除を始めた。その瞬間アンリの顔が少し険しくなった。
この日を境に数日間に渡る奇妙な修道院での修行のような生活が始まるのだった。
閲覧ありがとうございました。
今週はもう一本バレンタインに関する小説を書くので次週更新できればと思います。次回はヤンを強めようと