「義を以って勝つ……義勝というのはどうだろうか」
「義勝、ですか?」
「ああ、名付けなど初めてなのでなあ、可笑しかったか?」
「いえいえ、素敵な……とっても素敵な名前ですよ」
自分は、幸せだった。
「義勝!あれほど他所の者に迷惑をかけるなと言ったのがわからんのか!」
「まあまあ、落ち着いてください。義勝は優しい子、きっと何か理由があるのでしょう。
……そうですよね?」
決して裕福な家庭ではなかったが、厳しくも立派な父と優しくも確かな強さを持った母の間に生まれ、愛情を受けて育った。
「義勝は本当に――が得意ですね」
「ああ、いずれはうちの家業を……」
自分も父のように家業を継ぎ嫁を貰い、暖かな家庭を作って生きていくのだと
そう、思い出したくもない十三の夏のあの夜……両親が鬼に殺されるまでは。
「良いか義勝、よく聞け。信じられないだろうが……鬼が出た。
そして母さんが……殺された」
夜中に急に叩き起こされた俺は切羽詰まった様子の父さんから家が鬼の襲撃を受け、母さんが殺されたと聞いた。
一体父が何を言っているのかわからなかった。母さんが死んだ?それも鬼に殺されて?
バカな、ありえない。
「ちょっと待ってくれよ、そんなこと急に言われたって――」
――信じられるわけがない。
その言葉が紡がれる前に、バキバキと壁の壊れるような音がして、何かが俺の寝室に入ってきた。
「くっ、もうここまで来たのか……!」
「ここか、手間かけさせやがってよお」
俺は父さんの言葉を信じざるを得なくなった。
すぐにわかった。こいつは確かに鬼だ。
一見人のようにも見えるがその頭からは角のようなものが生えているし、体格も人の物と思えないくらい大きい。
「さて、苦労させた分……たっぷり喰わせてくれるんだろうなあ!」
何より、その体中から嫌というほど血の匂いを漂わせているそれを、人とは到底思えなかった。
鬼を思い切り睨みつけると目が合う。鬼は少し拍子抜けしたような顔をしながら辺りを見渡し、俺と父さん以外に人がいないのを見て、
「チッ、隠してたのは男の餓鬼一人か……街から離れた家だからって来ては見たが、しけてやがる」
とんでもないことを口走った。人を一人殺して、しけている?
「何を、言っているんだ」
咄嗟に震える声で聞き返す。
「ああ?お前に答えてやる義理はねえよ、ただまあ、一つ言ってやるとしたら……」
鬼の口が歪む、その仕草一つにも嫌悪感を覚える。そしてそこから発された言葉は、
「お前の母ちゃん、美味かったぜ」
普通の人間には到底理解できない、度し難いものだった。
「……っ!!!」
その言葉を聞いた瞬間、俺は怒りのまま鬼に飛び掛かろうとして……自分の足がすくんで動かないことに気が付いた。
なんで、どうして、動かない。動けない。
憎いのに、悲しいのに、怒っているのに、この体は言うことを聞いてくれやしない。
何故かは一目瞭然だった。怖いのだ、この鬼が。
おそらくは自分も父さんをもあっけなく殺すことが出来るこの生物に恐怖を抱いていて、それが母さんを殺され、あまつさえ喰われた怒りを凌駕している。
ただそれだけ。ただそれだけのことが、今の自分には絶望的だった
「おいおい、俺が怖いのか?まあ無理もねえ、腹も減ってるし父ちゃん共々すぐに母ちゃんの所に送ってやるよ」
鬼が嗤いながらその鋭い爪と向かってくる。
いやだ、こわい、たすけて。
「義勝っ……!!」
父さんが走ってきて、俺をどんと突き飛ばした。
当然俺は態勢を崩し、先ほどまで寝ていた布団の上にしりもちをつく。
ぐさり。
次の瞬間、俺が見たものは、ほんの少し前まで俺を貫こうとしていた鬼の爪が、父さんの胸を貫く所だった。
「父さん!!」
「義勝、せめて、お前だけで、も――」
その言葉が耳に届くか届かないかの刹那、俺は全速力で駆け出した。
嫌だ、死にたくない。
その一心で寝巻のまま草履も履かずに玄関から駆け出す。小石を踏んで痛いが、なりふり構っていられない。
当然そんな自分に続いて、鬼も家から出てこちらを追いかけてきた。
走れ、走れ、走れ。
どこまで逃げれば、いつまで逃げればいいのかわからない。
そんな地獄のような、鬼相手の鬼ごっこ。
しばらく走り、体力も切れてきて少し遠くに街の明かりが見えてきたところで、走ることを一度やめ、振り返る
体力にはそれなりに自信がある。かなりの距離を走ったし、街もそれなりに近い……そんな希望を持って振り返ると、
「おー、草履も履かず結構走ったなあ、もうちょっと走り続けられてたら俺も諦めてたかもな」
涼しい顔で汗一つかかず付いてきている鬼の姿があった。
「な……」
「どうしてって顔をしてるな、よし、その脚に免じて少しくらい答えてやろうか。俺達鬼にはな……
走って逃げるなら、もっと速度と体力が必要だぜ」
なんてことだ、そんなのはもう、どうしようもないではないか。
「残念だったな。もう少し成長してからだったら逃げきれたかもしれんが」
全く残念ではなさそうにニヤニヤしている鬼を前に、もはやがくりと項垂れるしかなかった。
再び全力で走り出す。それしか、道はない。
体に鞭打ち走りだそうとした、その瞬間だった。
「しっかし、ホント手間のかかる餓鬼だ。また逃げられても面倒だしな……折角だ、
『血鬼術 影掴み』
鬼が何をしたのかはわからないが、突然体が動かなくなった。
先程の恐怖で体が動かなかったのとは違い、物理的に体が動かせない。
何かに抑え込まれているようだった。あの鬼の力なのだろう。
それをもって、いよいよ自分の詰みを悟る。
「さてと、それじゃあいただくとしますかね」
どうしようもない。俺はここで喰われて、死ぬ。それは必然のはずだった。
……しかし、その時、少し近くですごい勢いで何かが光った気がした。
そして、次の瞬間。
『雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃』
その何かはまさに光のような速さでこちらに突っ込んできて、鬼を斬った。
「な、鬼狩……」
鬼もあまりの速さに反応すらできていなかったようで、その驚いた様子のまま、呆気なく灰になって消えていった。
何が起こったのかわからなかったが、おそらく自分は助けられたのだ、鬼の頸をあっという間に斬った何者かによって。
鬼の方を再び見ると、そこには黒髪をたなびかせる長髪の剣士が立っていた。
その男も俺に気づいたようで、こちらを一瞥し、
「――怪我はないか」
これが、俺の後の師。