錬鉄の赤龍帝 作:ら・ま・ミュウ
それは、兵藤一誠がまだ単なるエロガキだった頃の話。
「――Fate/stay night?」
親のパソコンを借りて自室に引きこもりエロサイトを検索しては下腹部の膨らみを大きくしていた時の事。
とある情報サイトの一覧にある特集が組まれていた。
『これはエロゲであってエロではない』
『まじかアーチャー!!!』『必中????』
『魔力供給ww↑とか無粋な事言ってすいません……桜ァ』
『ギルぅ~オノレオノレオノレオノレ!!!』
『やっと終わった』
そのゲームの名は『Fate/stay Night』
ネットで無料配布されているノベルゲームの一つで、中々に評判の良くエロゲーであるもののエロの要素はついでか、分岐によっては芸術の域にあるという一風変わった作品だった。
「この……紫髪の子可愛いなぁ」
スタイルのよい間桐桜という登場人物に惹かれた彼。
純粋であり穢れたエロスに侵食された一誠は総プレイ時間など目もくれずゲーム画面を開く。
「――――貴方が私のマスターか」
それが深淵よりも深き沼の表層である事も知らずに。
それから数年後―――駒王町の駒王学園。
「度々すまないな兵藤君」
「大丈夫すっよ、機械弄りは得意なんで!」
生徒会室に呼び出された彼――兵藤一誠は随分と使い込まれ、黄ばみのみられるエアコンを手慣れた様子で分解しながらそう答える。
「会長~毎度毎度、いい加減新しいエアコン買いましょうよ~
一誠に頼りきりはよくないですって。」
当然高校二年生たる彼が機械弄りを本職としている訳ではなくバイトなどで経験を積んだ訳でもない。ましてや、そのようなクラブ活動に参加もしていない為、その道の玄人からすれば荒の目立つ作業に映るのだろう。
しかし、実を言うとこの光景は生徒会の一員にとって見慣れた物となっている。匙と呼ばれる青年はジロリと彼を見つめ、一誠は困ったように頭を掻いた。
「別に俺も好きでやってるだけだからな、そう言われると弱い」
「匙君、モテない男の僻みなんて見るに耐えないわよ」
「ちょっ!違いますって!」
彼が秘かに会長に想いを寄せているのはその生徒会メンバーにとって周知の事実である為、何かと頼られるこの男の事に少々厳しくあたってしまう匙は、周りから落胆のため息と共にそんな暇があったら自分磨きに性を出せと諭される。
「――う~ん。断線してたようだから新しいのに変えときました。これで大丈夫だと思いますよ」
「本当か、最近は何かと経費が掛かるから匙の言うように容易に買い換える訳にもいかなくてな。ありがとう兵藤君。感謝する」
「いえいえ……また何かあったら連絡下さい。じゃ、俺はダチと帰る約束があるんで!」
丁寧に頭を下げて生徒会室を後にする兵藤一誠。
会長――支取蒼那は窓の外から彼と友人と思わしき三人組の男女の和気あいあいとした美しい交流を見つめ、息を吐く。
「兵藤一誠。真面目で人当たりが良く、頼まれた事を基本断らない。機械弄りが趣味で中学の頃に弓道の大会で何度か優勝経験あり……そして神器保有者。
やっぱりダメですね。彼をこちら側に引き込むにはあまりにリスクが高い」
「それに彼、結構モテますからね。本人は全く興味なさそうだけど」
「男としての機能が死んでいるのかしら。優良物件なのに勿体ない」
チェスのような駒を転がす支取蒼那とそれを見つめる生徒会メンバー。
「匙……君は彼が悪魔になるのは反対していたが、何も色恋敵としての面ばかりじゃないだろう。何故、彼に構う?」
「アイツは……なんて言うかこっち側に来ちゃいけない気がするんです。予感ってヤツなんでしょうか?
あぁいうタイプの人間は周りに擂り潰すまで利用されて誰も知らない場所で死んで行く……だから、会長。アイツを眷属にするのは考え直してくれませんか!」
会長に必死こいて土下座する匙に他のメンバーはざわついた。
まさか恋慕を募らせた故の醜い嫉妬かと思えばこのような思いがあったなんて。
「顔を上げなさい。君は私がそんな外道に見えるのですか?」
蒼那はこの子はきっと自らが人間だった頃と今の一誠を無意識に重ね、過剰に反応していたのだろうと考える。
「『神器保有者は全て管理下に置かなければならない』……なんて、古くさい考えには私は反対です。彼が眷属になってくれれば心強いとは思いますが、私は決して強要はしません。彼が眷属でないからという理由で、突き放したり冷遇したりもしない。君が失ってしまった人としての幸せを彼が歩む事を願うなら私はこの名にかけて彼を守護する事を誓おうではないですか」
「会長ぉ~」
支取蒼那は涙ぐむ匙にハンカチを渡して、旧校舎を見る。
(最近、はぐれ悪魔の発生が目立つ。堕天使の妙な動きも気になりますし、リアスとは今後の対策について近い内に話し合わなければなりませんね)
──地獄を見た。
──地獄を見た。
──地獄を見た。
何れ辿る地獄を見た。
「本当に行かないのか?」
「やっぱり私達も残ったほうが……」
「大丈夫だって、お袋達は旅行を楽しんできてよ!」
ある日の事。お使いを頼まれた一誠少年は何となく参加した福引き大会で二人分の旅行券を引き当てた。
喜んだ両親は一人分は自腹で家族旅行に出掛けようと提案するが、少年にとって何処とも知れない秘境の温泉に二泊三日というのはあまりに退屈な話であった。
幼い自分にとっては特に興味をそそられる物ではなく、彼はその間、友人の家にお世話になるからと両親に譲ったのだ。
そして、両親は息子の仲良くしている少女が近々遠い外国に引っ越してしまう事実を知っていた為に不安に思う気持ちを押し殺して、それを承諾。
その翌日だった。
―――速報です。○○県、駒王町にてガス会社での事故により、ガスが漏れる事故が発生しました。それにより多くの人が意識不明の重体に陥っている模様です。繰り返します。○○県、駒王町にてガス会社の事故により漏れ出たガスが原因で、多くの意識不明の重体者が病院に運び込まれています――
それは歴史的な大事故であったが、幸いにも死傷者はゼロであり後遺症を負った者はいない。
奇跡の事故と呼ばれた。
それでも兵藤家にとってそれは、不幸な事故だった。
「――アンタ、誰?」
その日、兵藤一誠は確かに死んだのだ。
「――一誠君、一誠君!」
微睡みから目が覚めると馴染み深い栗毛の少女が困ったように自身を見下ろしている。
「……紫藤か」
駒王学園の制服を纏う彼女の姿に、はて?と一誠は首をかしげて辺りを見渡す。
そこは見慣れた学校の屋上の上だった。
「昨日は遅くまで生徒会に呼ばれてだけど……もしかして疲れが取れてないんじゃない?」
「……ん?
あぁ、そう言えば昼寝してたんだったな、忘れてた」
普段は早寝早起きを心がけている一誠だが、昨夜は久しぶりに《あの夢》を見て寝つけなかった事もあり、昼頃になって眠気がピークに達したのだ。
「――ねぇ、一誠君。昨日は生徒会で本当に何もなかったんだよね?」
「ふぁあ、何回も言ってるだろ。ただ壊れたエアコンの修理をしに行っただけだって」
心配そうにこちらの顔を覗き込む彼女に安心を告げるように彼はそう答える。
(本当に大丈夫なの?あんな奴らに君がいいように利用されているなんて事はないよね?)
「――だったら早く戻りましょう。もうすぐ午後の授業が始まっちゃう」
「うわっマジかよ!」
慌てて汚れのついた学ランを払う一誠に彼女――紫藤イリナはクスリと笑い、早くしないと遅れてしまうと陽気な声で早したてる中で、
――これ以上、私から一誠君を奪わせて堪るものか
――私は絶対に悪魔を根絶やしにさせてみせる
――一誠君。君がもう悲しい思いをしない為に。
瞳だけが暗い光を宿していた。
放課後、弓道部に頼られて古い備品を旧校舎まで運ぶことになった。
籠に使えなくなった矢筒や折れた矢を積んで倉庫室の鍵を取った一誠はふと思い出す。
「そう言えば、紫藤は旧校舎には近付くなって言ってたけど」
この辺りは治安が良い筈なのに妙な話だ。花色のように笑う彼女が珍しく険しい顔をして注意するものだから印象に残っていたが、一誠は振り返ってやっぱり何一つとして怪しい物なんてないじゃないかと息を吐く。
「―――あら、こんな所にどんな用かしら?」
「ッゥ!?」
一誠は驚いて再び振り返る。
つい数秒前に人の影など何処にもなかった事を確認したのに、そこには紅色の長髪を揺らす豊満な胸をした女性が佇んでいた。
「誰だアンタ。どうやって現れた」
思わず構えてしまう一誠に女は苦笑し、自分の胸元に手を当てる。
「見て分からない?この学園の生徒なのだけど」
女性はこの学園の制服を着ていた。
「さっき振り返った時には人の気配なんてしなかったぞ」
「貴方、達人か何か?
後ろに目がある訳でもあるまいし、普通に見落としていたのではなくて?」
そう言われると反論しようがない。
薄く微笑む女性に、罰の悪い顔をした一誠は素直に謝罪するしかなかった。
「すまない」
「別に良いわよ。気にしてないもの、こちらこそ急に驚かせたみたいでごめんなさい。
――あ、そうよ。旧校舎は私が部長を務めるオカルト部の部室として利用させて貰っているのだけど、何のよう?」
「何の用って弓道部に頼まれて使えなくなった備品を倉庫に運んでいる途中なんだが」
「……文芸部の私だからおかしく感じるのかしら?そう言うのって、普通部活生の仕事じゃない?」
「そうかもしれないけど、頼まれたんだ」
「その頼んだ人は別の仕事をしているの?」
「いや、皆でカラオケに行くっていってたな」
「……………」
一誠の話を聞き、無言で腰のポケットからメモ帳を取り出して何か文字を走らせる彼女。
「おい、ちょっと何をして」「何でもないわ」
「いや、でも何か書いて」「何でもないわ」
発せられる無言の圧力にごくりと唾を飲み込む。
一誠は言い知れない恐怖を感じて背筋から汗を流した。
「そう言えばこの後用事が出来っ……ごほんっ。あったんだわ。貴方、名前はなんて言うの?」
「兵藤一誠、二年生だ。」
「私はリアス・グレモリー。三年生よ」
一陣の風が吹く。
夕暮れの空に照らされ、長髪を靡かせる彼女はとても生き生きとした笑みを浮かべていた。
「」
「」
「」
次の日・早朝。
「――――
兵藤一誠は自らの目の前にプラスチック製のコップを置いた。
そして瞳を閉じ、かなりの集中力を注ぎながら詠唱のような言葉を口ずさみ、左手を赤く光らせる。
「――――構成材質、解明――――っ、基本骨子、変更――――構成材質……補強!」
淡く光る左手に翳されたコップに青色の筋が走る――次の瞬間、パキッ、と罅が入った。
「ヤバッ」
一誠は慌てて手を退けて、コップの具合を確かめる。
底から蜘蛛の巣のような切れ目が走り、少し力を入れると砕けてしまうだろうという状態だ。
「……はぁ、今回も失敗か。十年以上続けて成功率が百分の一なんて……才能ないのかな」
プラスチック用のゴミ袋を取り出してそれを放り込む。
袋の中身はこれと同じコップや皿の残骸で満たされ、また両親に見つからないように捨てにいかなければと彼は嘆息した。
「私と付き合って下さい!」
青天の霹靂とはこの事か。
珍しく放課後に用事もなく一人で帰っていた一誠達の前を制服からして他校の生徒と思われる黒髪の少女が立ちふさがった。
告白されたのだろう……片手を伸ばして顔を赤く染めている。
「……えっと、あー、」
一誠は反応に困った。ここまでストレートに想いをぶつけられた経験などない。
「ダメでしょうか?」
泣きそうな声と上目遣いで此方の庇護欲を擽る彼女は、有り体に言って可愛い。美少女と言われる部類の存在だ。
だが、少なくとも此方側からすれば初対面。一誠としては容易に付き合うなどと、無責任な返答をする訳にもいかなかった。
「俺は「――何してるの」
だから先ずは話を――その後は続かず、女性の声に被せられる。
「……紫藤?」
一誠は振り返ると自分がよく知る幼馴染が、見慣れた笑みを浮かべて此方を見ている。
「一誠君。一人で何をしてるの?」
ぞくり、と。背中を通りすぎた悪寒。
一誠が再び見たそこに黒髪の少女は居なかった。
「……紫藤、さっきまでそこに女の子が居た、よな?」
「……いいえ。きっと、疲れがたまっているのよ。はやく帰りましょう」
指差した先を見て彼女は心配そうに一誠を見る。
一誠は喉の奥まで干上がってしまったような枯れた声を溢した。
自分が今見ていた光景は白昼夢だとでも言うのか。
ジワジワと肥大化していく困惑と恐怖で若気る口を抑え、荒い息を繰り返す。
「…………そうかもな」
ひぐらしが鳴いている。
先日言葉を交わした上級生のリアス先輩のような単なる見間違いではすまないオカルト地味た体験に、一誠の脳は激しいストレスを覚え、そして思考を放棄したのだった。
「じゃ、ここまでだな」
「うん、また明日ね!」
狐に化かされたような呆けた顔をする一誠は、何も考えられずに紫藤の後ろをただ追うように歩いて、自宅まで着いた。
数年前から独り暮らしを初め、ここより少しだけ遠いアパートに引っ越した紫藤とはここでお別れだ。
「ただいま」
台所で水を流す音がする。恐らく母が皿洗いか夕食の支度でもしているのだろう。何となく顔を合わせる気になれなかった一誠は自室にこもってベッドに体を預けた。
紫藤の言うとおり疲れがたまっているのか、すぐに睡魔が襲ってくる。
そして再びあの夢を見た。
『子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた』
遠い、遠い、遠い記憶。
友人、家族、夢、希望……その全てを抹消されようと覚えていた、たった一つの誰かの記録。
日本屋敷の縁側に腰掛けた悲しい目をする男の姿を横から見上げる少年の記憶。
この一言にはきっと色々な感情が込められているのだろう。
『なんだよそれ。憧れてたって…諦めたのかよ?』
『うん。…残念ながらね』
『そっか…。それじゃあしょうがないな』
『そうだね。本当に…しょうがない』
そして、『……うん。しょうがないから、俺が代わりになってやるよ。任せろって爺さんの夢は。』
安らかな笑顔で瞳を閉じる男。
『――あぁ、安心した。』
「死になさい」
目を覚ますと、数刻前に煙のように消えた少女が扇情的な衣装を纏い紫電の走る槍のような物を構えていた。
――誓って言おう。
彼がそれを避ける事が出来たのは偶然で幸運が重なったからだ。
「わぶっ」
「あら、起きちゃったのね。寝ている間に殺してあげようと思ったのに、不幸な人」
シーツと共に顔面から床にぶつかり、鼻血を垂らした一誠は脇腹に激しい痛みを覚える。
「あ゛ッガァ!」
服を捲ると皮膚が抉れる……火傷、それもかなり重度なレベルだ。槍は完璧に避けた筈なのに……あれは、放射熱でも放っているのだろうか。全身の汗腺から汁だくのように汗が零れ――彼女は再び槍を構える。
一誠は咄嗟に後ろにとんで勉強机をひっくり返した。
「逃げろ!!!」
家族に向けて叫ぶ。出鱈目に物を投げた。
「殺人鬼だ!武器を持ってる!こっちに来ずに逃げろ!!!」
「自分の最後に家族の心配をするなんて泣かせるじゃない」
冷笑を浮かべる女の目の前に現れた魔方陣のようなモノが一誠の投げた物を反射し、彼女は槍を投擲する構えをとる。
「
一誠は椅子を盾に黒髪の少女には聞き覚えのない単語を叫んだ。
「そんな物で、防げるわけないでしょう?」
六畳の狭さの中で投擲された槍が青い筋の走る椅子にくい込む。
「――
その瞬間、椅子は爆発する。
粉塵が二人の視界を覆い、一誠は勘を頼りに扉を探り当て部屋から飛び出した。
「お袋!親父!」
転げ落ちるように階段から降りる一誠は窓をみて真っ暗な景色と月の位置から粗方の時間を推測する。
――深夜の2時ぐらい。
先程の言葉で二人とも逃げていてくれたら幸いだが、この時間ならば二人とも眠っていた筈だ。寝惚けて状況が掴めずにまだ逃げていなかったり、起きていない可能性もある。
「お袋ッ」
「――チッ、レイナーレのヤツしくじったか」
二人の寝室には灰色のコートを纏う男が立っていた。
その傍らには力なく倒れる二人。
「お前ぇぇぇ!!!!」
全身の血が沸騰するようだ。
一誠はタンスの上にあった電気スタンドをとって男目掛けて走り出す。
「
青い筋がスタンドの全体を覆い、彼はそれを振り下ろした。
硬質な金属音が辺りに響き渡る。
「――この硬さ、神器じゃないな?」
「うぉぉぉぉお!!!!」
一誠の“ソレ”は間違いなく成功した。
安い電気スタンドの硬度は何倍も膨れ上がり鋼にすら匹敵するだろう。しかし、男の突き出した手のひらに阻まれてしまう。「(構うものか!)」一誠は勢いに任せてスタンドを矢鱈滅多に振り回した。
――構成材質、補強!
腕から伝う青い筋が枝分かれして数を増やす。灰色のコートの男は小さく唸った。
「ほぉ、先程より硬くなった。僅かだが、魔力の流れも感じる。だがまぁ……弱い」
男は少しだけ本気を出してやろうと両手で電気スタンドを掴み取り、男の背中から黒い翼が広がった。
「人間……じゃない」
「正解。そして死ね」
翼にある数百もの羽が鋭い刃のように尖る。一誠は息を飲んでそれに畏怖する。逃げたい。これを受けたら死んでしまう。
かつてない恐怖が全身を駆け巡り、痛む脇腹を抑えて涙を流した。
「逃げ、ろ」
「一誠……生きて」
自分の後ろにいる両親の声がする。
「こんな所でッ」
それは錯覚だったのかもしれない。自らを愛してくれた彼らがそう願ってくれたらどんなに幸せだろうと――空っぽの青年が見た最初で最後の幻想なのかもしれない。
「」
「」
「」
兵藤一誠はかつて死んだ。
所詮自分は兵藤一誠の入れ物に過ぎない。幼馴染だという女の子は自責の念で心を閉ざしかけ、消えてしまった兵藤一誠を愛した両親はこれからも永遠と悲しみに暮れるのだろう。
死んでしまった空っぽの器に何が出来るか。幼き彼が出した決断は理想の兵藤一誠を再現し演じ続ける事だった。
兵藤一誠ならこうした。兵藤一誠なら出来た事だ。
勉学も人助けも何でもやった。
その結果。幼馴染はぎこちなくも笑顔を取り戻し、両親の心の闇は少しばかり晴れたのだ。
これが正しい。だって記憶を失う前の最後の記録というべき
新たに育まれる筈だった心を殺し、いつしか彼は誰かの兵藤一誠となる事が正しいと思い込むようになった。
そんな彼が死を目の前にして欲に目覚めるとは、人の生とは何とも度しがたい。
せめて、彼らが生き残れますように。震える体を叱咤して一誠は男と両親を隔てる盾となる。
けたたましい音を立て寝具を貫通して弾丸のように迫る無数の羽の刃が認識出来る。
(これが走馬灯か)
一誠は少しだけ怖くなって瞳を閉じた。
「甘えんじゃッねぇぇ!!!!!」
そして、かっと目を見開き青年は吼える。
己が盾となって、その後明らかに余力を残したヤツが両親に危害を加えないと誰が言える。
兵藤一誠という男は一度死んだ。
紛い物の自分を彼と同じように愛を与え育んでくれた恩を報いるのに……
足りない。まだ全然足りない!
――こんな、所で。こんな所で俺は死ねない!
頭の中でプツリと何かの線が切れた。
「うぉぉぉぉぉお!!!!!!?」
それは人間として最後の感情か、それとも生存本能か。
獣のように叫ぶ彼は左腕を突き出して、その腕に幾重も絡みあった糸のように走る紫電を錯視する。
「
腕の構成材質を解明。血と肉と些細な傷跡ですら認識し、基本骨子、変更。その定められた構図を書き換え、構成材質補強。
――その左手はあり得ざる硬度を手に入れる。
途端、迫り来る黒い刃が全身に歯を立てた。
「―――ぐぅっ!!?」
(致命傷以外は捨て置け。この紛い物に『彼』の魔術を十全に模倣することなど元より不可能!)
一誠は顔を心臓を庇いながら一歩踏み出す。
肉が吹き飛び、骨が露出する所もあった。
激痛に顔を歪めながら、よろめく事はあってもその足だけは止まらない。
「……何?」
男は怪訝に眉を歪める。
心なしか射出される翼の量が増えたかのように感じた。
全身に剣を突き立てられたような苦痛。
脳には焼き焦げるような熱い痛みが何度も走り、気を抜けば意識とその命の灯火が絶えそうになった。
キングサイズのベッド一つ分。男と一誠の距離はたったそれだけ。その僅かな……たまらなく遠い目的地へ。
「う、わ…………」
後、少し……後少し……。
「チッ、魔力を使い過ぎた」
その時、翼の雨は明けた。
「……う、うぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉおおお!!!!!!!!!」
一生一代のチャンス。
既に半身死んだも同然の身でありながら青年はその一撃を叩き込むべく振りかぶる。
「舐めるな!」
青年の拳にあわせて男も拳を突き出した。
魔力で強化された人間の拳と人ならざる者の拳。
その撃ち合いは一時の均衡すら許されず、人ならざる者の圧勝で――血に濡れた青年の腕は骨の砕ける音を盛大に響かせながら衝撃に絶えきれず千切れ飛んだ。
「……馬鹿な」
そうなる筈だった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
青年の拳には紅色の光が展開し、赤銅色に輝く籠手の出現によって、
『
力の強弱がひっくり返る。
「この力は……その神器はまさか!!?」
いや、この神器だけではない。
この結果を導き出したのは十秒、二十秒と堪えて見せた青年の執念の賜物であり、
本来両者の力の差を見れば火を見るより明らかなあり得ざる均衡。
「……やはり、人間は危険だ」
男は畏怖するように顔を歪める。
そして、経過時間を得て何倍もその威力を上げていったその神器を見て―――
「……赤龍帝」
千切れ飛んだ片腕を残し、地面に浮かぶ光の中に消えて行った。
「」
「」
「」
「うがあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」
全身の神経を剥き出しにして、そこから更に塩の海に漬け込まれたような激痛だった。
黒い刃を全身に突き立てられ、更に拳と拳の衝突によってバリバリと指先から砕けていく感覚に堪らず――絶叫する。
(絶対に……負けねぇ!!!)
気力だけが最後の砦だ。
青年は心臓を起点に枝分かれする青い光をイメージし、左手まで伸ばす。
(魔力を回せ、回せ、回せ!)
生命力を魔力に変換する。やってる事は単純だ。そして『■■■■』に許された唯一の魔術を模倣し、物質を強化する。
人体に試した事はないが、今日はどうも調子がいい。
それを送る管が少ないというのなら新たに創造し、変換する生命力が少ないというのなら、それこそ寿命を使い潰す勢いで命を燃え上がらせる。
十や二十では均衡すら敵わない……ならばそれ以上多く、それよりも強固に生成するだけ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
青年の雄叫びに共鳴するように拳の亀裂は分散し、脈打つ心臓にあわせて大量の生命力が魔力へと変換される。
人ならざる男の拳の勢いはそれに相殺され“均衡”が生まれた。
兵藤一誠は間違いなく死力を尽くしていた。
――だが、まだ足りない。
後一手ではない。壁は厚くどこまでも遠い。
これを乗り越えるには――それこそ、二倍や三倍など理不尽なパワーアップでも果たさない限り不可能。
しかし、■■■■にそのような力はない。彼に出来るのは己の心を力に変えるだけ。
自分はそれよりも数段劣る精度でひたすらに耐え、愚直なまでに模倣する技量でしか扱えない。
■■■■の力を模倣するだけではダメだ。
理性と感情で理解する。
だが今さらどうすればいいのか。
己にはこの現状を覆すだけの力がない。この身は所詮
(どうすればッ!)
青年はそこで初めて、恐ろしいと思った。
負けることではなく、何も守れないことを。自分が死んで両親を救う事が出来るなら悔いはない。けれど、何も守れずにただ死に体を晒すのは恐ろしかった。
(何か、何でもいい!力を……力を!)
故に青年はその枷を外す。
『―――ようやくか』
辺りは紅く眩い光に包まれた。
「―――えっ」
青年はふと、赤い籠手を装着する左手に視線を下ろし、
夥しい鮮血を撒き散らしながら憎たらしげに言葉を残して魔方陣の中へ消えていく翼の男を呆然と眺める。
(……勝った、のか?)
あまりにも現実味がなくて理解が追い付かない。
(この籠手は……この力は)
湧き出した感情は歓喜や安堵ではなく困惑だった。
「―――っ」
そして、誤魔化しに誤魔化し続けた兵藤一誠の肉体は、遂に限界を迎えたのだろう。
景色がボヤけて、段々と視界の端から光が失われていく。足腰に力が入らなくなり、青年は半壊したベッドの中央に倒れこんだ。
純白のシーツに血のシミが広がる。
(…ダメだ。意識が)
両親の安全が確かに確保されたとは言い難い。
あの槍を持った女はまだ二階にいる筈で、片腕を失ったとはいえ再度あの翼の男が襲撃をかけてこないとは確証できない。
ただ死に体にムチをうってどうにか出来る次元の話ではなかった。
内臓は殆どを破裂か損傷させ、骨に至っては折れていない部位を探す方が困難という始末。人は20%の血を失えば生が危ぶまれると言われているが一誠はどうにもその限度を越えている。
現状では、生きているのが不思議な位だ。
下唇を噛みしめ、青年は起き上がろうとするも左手にあった謎の籠手は消失し、途端に襲い狂う痛みに脂汗を滲ませる。
あれは、痛覚を遮断か麻痺させる力があったらしい。
既に半死半生の身でありながら追い討ちをかける痛みには一誠も耐えきれず、
暗闇の中に意識を沈めていった。
―――そして夢を見る。
荒廃とした大地の上、赤い外套を纏う白髪の男。
『お前の在り方は破綻している』
男は蔑み、哀れむような瞳で此方を見る。
『自身より他人が大切だという考え、誰もが幸せであって欲しい。その願いは絵空事だと心の何処かで理解しながら、
――救う術も知らぬまま■■■■は戦場を駆け抜け、そして最後に地獄に落ちた。
あれは、君のような人間が最も忌避するような存在だ』
何を言っているのか、何となく分かる。
始まりは、誰かの為の正義の味方になりたかったわけではない。ただ少年は過去を惜しむ両親と幼馴染の笑顔を取り戻したかった。
空っぽの中に残されたその記憶は――利用したに過ぎない。
そして過程はどうであれ、幼馴染はぎこちなくも笑顔を取り戻し、両親の心の闇は少しばかり晴れた。
それだけで満足すればよかった。
心を殺し誰かの為にその命すら投げ出すなんて生き方は……その願いに矛盾している。
彼らは兵藤一誠を失えば再び失意の底に落ち、今度こそ心を壊してしまうだろう。
「それでも、俺は」
……あれ?
両親を救いたかった。だから身を投げ出して翼の男と戦う事が出来た。それはきっと紫藤でも変わらない。
兵藤一誠にとって彼らは
――けれど、それが赤の他人だとしても『俺』は翼の男と対峙したのだろう。
青年は反論しようと声を上げ、おかしいと感じた。
どうして、正義の味方になりたい…なんて思ったんだ?
『チッ、――――は、――――だ!』
ノイズが走る。男の姿がボヤけて声が聞き取れない。
『投――術――は、――――使うな!
それ――――――――貴さ――――殺―――、』
答えをださなけれはと青年は視線を彷徨わせ、
『―――シロウ』
耳障りの良い声が『彼』を呼び掛ける。
「うわぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!」
誰かが泣いていた。
顔の知らない少女が己の膝下で泣いていた。
「だい、丈夫か?」
少年は躊躇いがちにその手を動かし、少女の頭を撫でる。
「イッセー君!よかった!」
「……いっせい?」
「――――えっ、」
――思えば、あの時の選択は最悪だった。
「誰のことかは、分からないけど……ごめんな。おれはそのいっせいって人を知らない」
ただ、泣いている彼女を慰めたくて。その悲しみを少しでも分かちかい、楽に出来るのならと子供ながらに甘い考え。
「イヤだ、イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだよ!」
絶望した人間の顔というのは、これほどまでに他者の心に影響を与えるものかと少年は衝撃を受けた。
彼の胸に飛び込み――亡き『イッセー』を求めて嗚咽を漏らす少女に訳も分からず、ただそのままにしてしまえばとても良くない事が起きるような気がして咄嗟に―――残酷な嘘をついた。
「うそだよ、おどろいたか?」
「」
「」
「」
「――良かった」
目が覚めた時。彼女の安堵する言葉に青年は己の生存を知った。
「……紫、藤?」
周囲を確認しようと体に力を入れて、全身を包帯で固められる事に気づく。
どうやらここは病院なのか、鉄格子のあるベッドと吊るされた点滴を見て(あんな状況でよく助かったな)と、青年は思う。
「オヤジ達はどうなった?」
「頭を少し打った程度なそうよ。入院するまでもなかったわ」
「そっか……。」
全身の力が抜けた。
ちゃんと守り切るが出来たのだと、そこで初めて青年は安堵を覚えた。
「悪いな。お見舞いなんかに付き合わせちまって、この埋め合わせはいつかするよ」
心が軽い。笑顔でそう話す一誠とは違い、彼の幼馴染は心痛な顔をしてポツリと言葉をひねり出す。
「――ねぇ、もう嘘はつかないって約束してくれたよね」
「……おぉ?」
「正直に言って……何があったの」
青年は言葉を詰まらせる。
翼を生やした化け物に襲われた――などと、危険な事件に彼女を巻き込める訳がない。
だが、
まさに二律背反という場面に青年はどう答えるのが正解かと頭を捻らせる。
「あれから、一週間だよ?
一緒に通学しようって玄関前にいったら扉が壊れてて――兵藤さん達は床に倒れてるし、イッセー君は血まみれで倒れてて……あの時は本当に頭が可笑しくなりそうだった!
ねぇ、お願い……貴方に何が起きたの?」
か細い声で青年の服の裾を掴む。
一週間も昏睡し続けてきた幼馴染、彼が目覚めるこの日まで彼女がどのような気持ちで見守ってきたか。
「―――言えない」
「えぇ?」
「ごめん!」
きっと、この男は■■■■よりも不器用だった。
嘘はつきたくない。けれど危ない目に彼女を逢わせなくない。
方法は沢山ある筈なのに、こういう選択しか選べなかった。
「――――そっか」
彼女はそっと立ち上がる。
「ッ紫藤、俺は!」
「大丈夫だよ、分かってる。君は優しい人だもの」
『イッセー』でなく『君』と、言葉を変えて、家族すら知らない紛い物の自分を見て彼女ははにかんだ。
「私を危ない事から遠ざけようとしてくれているのよね。
だってあんなの、普通の人間には起こせないもの」
一歩、二歩と彼から距離を起き、それでも……心の距離というヤツだろうか。彼女はまるで悪びれもせずその境界を、たった今から踏み越えようとしているような予感がする。
「――舐めないで。
私だって、貴方を守る為に努力してきた。確かに今回は間に合わなかった……これほど、神を恨んだ日はないわ。けど、貴方は生きてくれた」
怒気を含ませ、頬をつり上げる。 笑っているのに怒っている。
青年は言い知れぬ狂気をその合間から見て、思わず後退り――壁に押し返される。
「貴方は言った。もう私を悲しませないと、
貴方からイッセー君を奪ったこの大罪人を許すと言ってくれた。その言葉に私がどれほど救われたか!」
目の前の女は誰だ。
血走る目をして、病室という場所を憚らず大声で歌うこの女を俺は知らない。自分が知る『紫藤イリナ』という幼馴染は人柄が良くて、おてはんばで、笑顔がとても素敵な自慢の友人ではなかったのか。
「―――ねぇ、セックスしましょう」
するり、と服を落とし頬を高揚させ下着姿を晒す彼女。
「手遅れになるまで、私に溺れさせてあげる」
妖艶に笑うその姿に、一誠はごくりと唾を飲み込んだ。
―――廃墟と化した教会
神の加護から見放され、鴉の巣となり、
陰湿とした裏世界に生きる者達の仮宿として利用され、間もなく英国から訪れる魔女の祭壇としての準備が着々と進められるそこで――片腕の男は倒れこむ。
「随分と手酷くやられたわね。覚醒して間もない神器保有者に腕を奪われるなんて情けない」
扇情的な衣装を纏う女――レイナーレ。
とある事情により寝込みの兵藤一誠を襲い、また強者の傲りによって彼をみすみす逃してしまうという失態を犯した彼女であるが、彼よりも一足先にこの根城へと戻り、微笑を浮かべ、その尻拭いで重傷を負った彼を嘲笑う。
「あの男とて、瀕死だった筈ッ
此度の件は貴方に責があるだろう!」
黒い翼を生やす異形の存在『堕天使』。
人間である兵藤一誠を終始圧倒していた彼であるが、その種族の中では……お世辞にも強いとは言えず、最たる能力もなければ堕天使としての力も基礎の基礎か扱えない。背伸びしてせいぜい下の上といった所だろう。
端的に言って雑魚。しかし片腕は奪われたが、瀕死まで追い込んだのだ。
何故、止めを刺さない?
何故、己よりも先に戻っている!
男――ドーナシークは彼女を糾弾した。
元はと言えば、この女が一誠の暗殺を二度に渡り失敗した事が全ての始まりであり、未覚醒状態とは言え、ターゲットが
立場上、上司に当たる彼女は指揮官でもある。
部下より早く帰還する行為など、それを怠った故の失敗なのだから、組織上問題があるのは彼女の方だ。嘲笑れるいわれはないと彼は怒号を上げた。
「――神器保有者の殺害なんてあくまで保険でしょう。
私は魔女様を迎えいれる準備をしないといけないのだから、今さら神器保有者なんかに構っている暇はないの」
ヒラヒラと手を払い何処までも見下すような態度を取る彼女にドーナシークは信じられないと言った顔を向けるが、そんな物に興味すらないと彼女はその場を後にする。
この時、ドーナシークの口から青年の神器が赤龍帝である事は終いぞ語られなかった。
「」
「」
「」
そして場所は変わり、兵藤宅から最も近い大病院の病室の一幕で二人の男女が性の契りを交わそうとしていた。
恍惚とした笑みを浮かべる少女に冷静な判断力は期待出来なさそうになく、全身をギプスと包帯でぐるぐる巻きにされた青年はベットという狭い空間の中で逃走不可避であることを悟ると口早に説得を試みた。
「お、落ち着け紫藤!俺たちがそういう関係になるなんてッ――第一ここは病室だぞ!?」
原因は分からないが今の紫藤は何か変だ。
日本に侍や忍者がまだ存在すると本気で思っていたり、ゴジラが実在上の怪物だと…太平洋戦争で核の落とされた理由を説明する教師に反論する声を上げたり、サブカルチャーに毒された観光外国人ばりに世間知らずな所はあるが、いきなり半裸になって性交渉を持ちかけるような人間ではない。
「そんなの関係ないわ。それに私たち、裸を見せあった仲じゃない……大丈夫。初めては優しくするから」
「俺とお前が裸を見せ合ったって、ガキの頃の話だろ!
そんな簡単に男に体を委ねるな!自分を大切にしろ!」
一誠の言葉を右から左に横流し、まるで聞いていない。
手をワキワキとだらしなく涎を溢すイリナの瞳は爛々と輝いて、どうしようもなく淀んでいる。……それは、狂人の目だ。
「グヘヘ……やっと一つに。
男の子ならシンジ、女の子ならレイってどうかしら?」
「止めッ本当にこれ以上は!」
ついに一誠のズボンに手をかけるイリナ。ひんやりとした指先が下腹部に当たり、不覚にもビクっと震えた一誠に彼女はニンマリと笑みを浮かべ……勢いよくズボンを下ろ―――
「―――ていっ」
「あうっ!」
前触れなく後頭部に落ちる手刀。
その一撃は見事にイリナの意識を刈り取り、ぼさりっとベットに倒れこんだ。
目を閉じて身構える一誠は、その足下に伝わる衝撃に恐る恐る薄目を開き、視線をぐるぐる回転させ泡を吹くイリナになんとも言えない顔になる。
「貴方が、兵藤一誠さんですか」
「君は……?」
顔を上げた一誠の前には、思わず頭を撫でたくなる猫のような目をする銀髪の女の子がいた。この子がイリナに手刀を加えたのだろうか。
一誠は辺りを見渡し、この子以外の部外者がいない事にほっと息を吐く。
「なんか……ありがとな」
「いえ、いくら親しい仲とは言え重傷人に馬乗りになるのは見過ごせませんでしたから」
一誠の通う学園の制服を着ているのをみるに下級生か。
見覚えはないが、悪い子ではない気がする。
「――申し遅れました。一年の
「俺は……その様子だと知ってて会いにきたみたいだけど兵藤一誠。気軽に兵藤って呼んでくれ」
個室ではないようだが、現在この病室には俺たちしかいない。
その事を一瞬不審に思ったが、入院患者の数によってはあり得ない事ではないだろうと思考の角にやり、目の前の小猫と言う少女を見る。
紫藤は先ほど、会話の中で一週間俺が眠り続けていたと言っていたが、その間に起きた何らかの事情でここに来たのだろう。少し解せないのは俺が目覚めて直ぐにこの病室に訪れた事だが、それは今、直接聞けばいい。
「では、兵藤先輩」
「なんだ?」
「私はもし、貴方が目覚めた時に立ち会ったのならと、リアス先輩から言伝てを預かってきました」
……リアス?
一瞬誰の事かと“はてな”を浮かべ、特徴的な名前なだけあって直ぐに思い出す。リアス先輩とはあの旧校舎で出会ったオカルト部の部長をしているらしい三年生だ。
「“大事に至らなくて本当に良かった”」
それは何の捻りもない労いの言葉だった。
「リアス先輩は貴方の無事を心から喜び、またいつ覚めるとも分からない貴方の下へ毎日のように通いつめていました。本当なら本日もお見舞いへと来られる予定でしたが、やむを得ない事情により、代理の私がここに」
「……リアス先輩が?」
「はい」
「………………」
険しい顔を作る。
果して、たった一度しか話した事がない相手の為に毎日お見舞いに来るものだろうか。
立場や役職による理由もなければ……普通ではないだろう。
生徒会との繋がりで一応、上級生との関わりはあるがリアス先輩の存在は、あの旧校舎の一時で初めて知覚したのだ。
『気配なく背後に立たれた』『出会ったその夜に槍の女と翼の男に襲われた』そして『不自然に誰もいない病室』
個々では偶然だと片付けられてもここまで重なると、不信感を募らせる材料には十分なり得た。
「一先ず、ありがとうございますと伝えてくれ。
……それで、リアス先輩は他に何か言ってたのか?」
異形の怪物に襲われたばかりのこともあり、少々疑り深くなっている己に嫌悪感を覚えつつ、自然と眼前の少女からイリナを庇い、一誠は問い掛ける。
「いえ。ですが一度兵藤先輩には謝罪しなければならないとリアス先輩はおっしゃっていましたので、遅くとも今週中にはここへ訪れるかと」
「……謝罪?
(別に何かされた訳でもないのに……)」
益々怪しい。ここで『謝罪』とは、翼の男達の事を暗に仄めかしているようではないか。
「失礼しました」
暫く、他愛ない会話を続けて小猫は病室を後にした。
「……たくっ、訳分からねぇよ」
おかしくなった幼馴染に裏のありそうな後輩と先輩。
一週間分の眠気覚ましには充分過ぎるほど心臓に悪い。
乱雑に髪を掻き荒らした一誠はベットに横になり、瞳を閉じる。全然眠れる気はしなかった。だからといって魔術の鍛練をする気にもなれない。
あれは、かなりの集中力を必要とし、失敗した術者へのフィードバックは下手をすれば死すら招いてしまう。
このような精神的に不安定な状態でやろうとするほど一誠は命知らずではなく、左手を天に掲げてあの籠手は何だったのか……考える。
あの翼の男は籠手を見てジンギと言った。
意味までは分からない……けれど魔術とは別の力ではないかと一誠は推測を立てる。
己自身、使える魔術は強化魔術のみで、魔術を行使する為に一々魔術回路を造らなければならない半端者だが、これだけは分かる。魔術とは過程があり対価を用意し、決められた方程を構築、接続――そして結果を現す物だ。
それに対してあの籠手は出た瞬間に痛覚を遮断し、あまりに全力だったせいで時間の感覚が曖昧だが、
周囲の魔力を取り込んだ様子もなく、俺の魔力が奪われるような感覚もなく、爆発的なエネルギーを生み出して翼の男の左手を吹き飛ばした。
無からの創造。流石にそれはないとは思うが、過程をすっ飛ばして結果だけを生み出すなんてものは最早魔法の域だ。
兵藤一誠の模倣する■■■■が扱う魔術にも似たような物はなく、彼の記憶でしか魔術理解のない一誠には知るよしもない。
「あれは、本当に何だったんだ」
もう一度使えれば、兵藤一誠は頑固とした守る力を手に入れるのだろう。
だけど、この力が何足るか一誠には理解出来ない。
「成る程、あの夢魔の起こした事件の被害者が赤龍帝だったのか……」
「アザゼルの人工神器が起こした唯一の失敗事例だ」
「上手くやれば、奴等に一泡……いや、赤龍帝にかかれば超越者など取るに足らん」
今は、まだ。そちらの世界に踏み入れるまでは。
兵藤一誠
魔術回路/質A
魔術回路/量E
魔術系統/強化魔術
魔術師としての才能は無きにしも非ず。
特殊な才覚はないが優秀な師に習えば、魔術使いとして将来大成を為す。魔術師としては肌に合わず、仮にその道を生きる事になれば…いずれ己の原点を見失い、異形の怪物に落ちぶれ不老不死を追い求めるナニカへ変貌するだろう。
また■■■■に習い十年に及ぶ、
また■■■■の魔術鍛練法に疑問点を覚え、独自の方法で強化魔術の鍛練を積んでいった結果、若干強化成功率上がった。
「」
「」
「」
ミンミンと蝉の鳴き声が鼓膜を揺らす。
夏の風物詩として数えられるこれも貴重な夏休みの間……四六時中こうだとうんざりする。
兵藤一誠は全身複雑骨折と内臓損傷の負傷により、数度の手術と長い通院期間を経て――夏休みに突入していた。
「今日は風が気持ちいいわね」
このまま順調に回復すれば、夏休みが終わる頃には退院出来、出席日数こそ足りなくなってしまったものの生徒会の計らいあって条件付きで留年を免れるらしい。
『君には何度もお世話になっています……本当なら条件なしで認めて貰いたかったのですが、私の力不足を嘆くばかりです』
『いえいえ!こちらこそ復帰したらこき使っちゃってください!』
一月ほど前の面会を思いだし、一誠は支取先輩には一生頭が上がらないな……などと、思いつつ、「イッセー君が留年することになったら私もそうするから大丈夫よ?」
さも当然と言ったように真顔で訴えるイリナを見て(紫藤……本当にどうしちゃったんだよ……)と心配になった。
「そう言えば……リアス先輩はあれから来てないよな?」
「そうね。約束を取り付けておいて連絡もないなんて……失礼な人」
屋上のデッキの上。
車椅子に腰掛ける一誠は、あの小猫という後輩から遅くとも今週中、リアス先輩が面会に来る。そう聞いていたのに三ヶ月以上経っても音沙汰なしである事を唐突に呟いた。
「支取先輩なら何か知ってたかも……しまった。あの時聞けば良かったのに」
あの化け物関連かと勘繰り、当初こそビクビクしていたものの……よく考えれば、俺が目覚めていない間に何度もこの病室を訪れた筈で、相手に殺す気があったのならとっくに殺されていた事実に一週回って気づいたのだ。
小猫が訪れた時だって、殆ど動けない俺と気絶した紫藤のみ。
ナイフ一本でも持ち出されれば何の抵抗も出来ずに死んでいた。
殺す以外に目的があったのならどうしようもないが、少なくともあの化け物と仲間であるようには思えない。
「なぁ、リアス先輩のこと紫藤は知らないのか?」
「……うん、知らない」
「そっかー、なら仕方ないな」
素っ気なく流された言葉のキャッチボール。
この時俺は、リアス先輩が学園を去って、
故国に帰っていただなんて想像もしていなかった。
わたしはわるいこ
だって、かれをたすけたから
わたしは、わるいこ
だって、
わたしはけがれてしまった
かみさまもわたしのようなわるいこには、あいそがつき
わたしはつみびと
になったんだ。
わたしは、あくま。
「―――なぁ、アーシア。少しお使いを頼まれてくれないか?」
そして――この人の“どうぐ”なんだ。
一章(完)
この作品は『正義の味方になれたなら』の再修正作品です。