ある日のある朝、晴嵐はいつもどおりに覚醒した。普段の起床時には、あまり新しくない我が家の我が部屋の我が天井に年季が入った結果として顕現している茶色い染みが一番に目に入る。しかし今朝は、染みなどとは比べ物にならないほど現実からかけ離れた光景が飛び込んできた。
「あら、おはよう」
「な、や、八雲様……? おはようございます……」
眼前でこちらをじーっと見つめていたのは、目も覚めるほどの美女である。しかし晴嵐には姉や妹などはいない。ましてや幼なじみなんていうのはいない。晴嵐は小さいころ友達がいなかったからである。ではなぜ起きがけに美女から顔を眺めていただくというご褒美にありついているのかと言えば、この女性が変な妖怪であることが最大の理由である。神出鬼没のスキマ妖怪、八雲紫。彼女は、晴嵐が目を覚ましたのを見届けたにもかかわらず、変わらず晴嵐を見つめ続けていた。全く意味が分からず、とりあえず晴嵐も見つめ返すことにした。
紫の顔を眺めつつ冷静になって状況を確認してみれば、寝ていたはずなのに座布団に座っている自分が確認できた。よく見れば、自室どころか自宅ですらない。しかし晴嵐にはこの部屋に見覚えがあった。いつだったか先代巫女とともに訪れたことのある、八雲邸であった。
一分もすれば冷静に状況を飲み込むことができた。晴嵐はなぜか八雲邸の茶の間に着座しており、眼前には晴嵐を見つめ続ける八雲紫、視界の片隅には、紫の式である八雲藍がきりりとした表情で座っていた。
「や、八雲様?」
「晴嵐がここにくるのは結構久しぶりね。藍。お茶とお菓子持ってきて」
「すぐに」
大きな尻尾を、不便そうな様子も見せずにもっふもっふと揺らしながら藍は退出していった。
「突然どうされたんですか。驚きましたよ」
「ごめんなさいね。ちょっと会いたくて」
「それなら、いいときにスキマでちょっと出てくればいいんじゃ」
「女が会いたかったって自宅に招いているのだから黙って喜んでいなさい」
「はい(喜んでいるポーズ)」
たったそれだけの会話を交わしたところで、藍がお茶とせんべいを持ってきた(一体どうやって今の時間で入れたのかは分からないが)。
「藍さんとは会うのもお久しぶりで」
「そうだな。たまには遊びに来て顔を見せてくれよ。私はお前を息子のように思っているのだから」
「ここがどこかも分からないのにどうやって来るんですか」
以前先代とともに訪れたといっても自発的に遊びに行ったのではなく、紫に招かれスキマを通り、過程をすっ飛ばして到着していたので、いまだにこの家がどこに建っているのか分からない。そのうえ、紫も藍も教えてくれない。まぁ幻想郷の超重要人物の家が簡単に割れても良くないのだろう(博麗神社の場所は皆知ってるけど気にしてはいけない)。
「藍との乳繰り合いはまたあとにしてもらえる? 結構重要な話だったりするんだけど」
「重要な話なら僕なんかに話さないほうがいいのでは」
「人里の話なのよ。人里で一番信用できるのはあなただから」
「そうですか? 慧音先生とかのほうが信用できるのでは」
「あなたそれわざとなの? あの半獣は幻想郷が大事なんじゃなくて人里が大事なのよ。ただ人里が守られればそれでいいと思ってる。今回の話はそういうのとはちょっと方向が違うのよね」
「つまり妖怪側に関するお話ですか。まぁ八雲様に頼まれてはどうしようもないですね。聞きましょう」
なぜか偉そうに胸を張る晴嵐であった。
「最近、とある鬼が調子に乗ってるんだけどね。まぁ萃香のことなんだけど」
「伊吹様ですか? 特に気になるというほどの行動は無かったように思いますが。毎日色んなところでさりげなく宴会に参加してるぐらいで」
あいも変わらず、幻想郷には謎の宴会ムードが漂っていた。それに乗じるように、萃香は毎日を楽しんでいるようだった。その大妖怪とは思えぬほどの存在感のなさを持って、人間の宴会にすら顔を出すようになった。
「その宴会なんだけど、実は萃香が誘発してるのよ」
「……いや、どうやって。人を操ってるんですか」
「間接的にはそうね。密と疎を操る程度の能力を使えば」
(レミリアさん、幽々子さんに続きまた化物みたいな能力を……いや化物なんだけど)
「萃香のやり方によっては、幻想郷が崩壊する危険もあるの。そこで晴嵐に協力してほしいんだけど」
「霊夢に頼んでは?」
「異変になるんだから霊夢は勝手に動くわ。なるべく味方は多いほうがいいと思って」
「なるほど。一つの保険ですか。ちなみにどんなことをすればいいんで?」
「普通に萃香をぶっ倒せばいいわ」
「ははは。鬼に勝てるわけないじゃないですか。いやだなあ」
鬼は妖怪の中でも最強クラスの力を持つ。そう簡単に勝てる相手ではない。昔は鬼退治の秘伝などもあったようだが、今の世ではすっかり忘れ去られてしまっていた。
「なら私と一緒に行動すればいいわ。私は失敗するわけにはいかないの。幽々子にも少し話はしてあるし、魔理沙やレミリアは勝手に動くだろうから放っておけばいいわ。あなたは放っておいたら黙ってる人だから」
「わかりました。まぁ足手まといにだけはならないよう頑張ります」
「こちらには藍もいるわ。私、藍、晴嵐で最強タッグよ」
(トリオじゃん)
「まぁ萃香は本気で幻想郷を壊すつもりは無いだろうけど、暴走しないようにってところね。気楽に本気で行きましょう」
「了解です。そこまで信用されても困りますけどねぇ」
「信用もしてるけど、信頼もしてるのよ。昔馴染みでもあるし、あなたも私のこと信頼してくれていると思っていたのだけれど」
「信頼というか、八雲様の考えてらっしゃることはよくわかりませんからね。こちらとしては信じようもないし疑いようもないってだけで」
「悲しいわね。いいわ。手伝ってくれるなら、必要なときにスキマで呼びに行くわ。お風呂には入らないでね。スキマで現れたら入浴中で『キャー、晴嵐のエッチ!』なんて展開はもう飽きたわ」
「いや入りますよ。そもそも風呂にこなきゃいい話でしょうに」
「わかったわよぉ。それじゃ、お願いね」
「はい」
ふっと気がつくと、自室の布団で寝ていた。どうやら少し遅い朝となってしまったようだ。ほとんど出勤も何もない仕事なので、そこまで動じることもない。ただあんまり遅くなると気分が悪いので、それなりの速度で起きだし、着替え始める。突然呼び出されたり、突然場所が移動していたりすることは、紫と関わっているのならばそこまで驚くようなことではない。晴嵐はいつもどおりの日常を過ごすことを決めた。
結局、紫から言い含められていた伊吹萃香についてだが、晴嵐が関わることはなかった。霊夢、魔理沙、紅魔館や白玉楼などの主戦力が、日々宴会を続ける不思議な異変を解決しようと動き出したころ、時を同じくして紫も藍を引き連れて晴嵐のもとへと向かったのだが。なんと晴嵐は、日々の宴会がたたって寝込んでいた。どうやら、春雪異変のときの風邪がぶり返したらしい。紫は少し不安に思ったが、あくまで保険の一つとして掛けていたものが潰れただけである。使えないのならば切り捨てていけば良い。見舞いの言葉もそこそこに、紫は萃香の元へと向かった。そして、様々な思惑が交錯してはいたが、晴嵐からすればこの異変は風邪を引いている間に終わった他愛無い異変として認識されることになる。ちなみに、のちに博麗神社へ遊びに行った際、萃香が住み着いていて驚いていたようである。
基本的に主人公足りえるには一番重要な『なにか』が足りない晴嵐であった。