中華ファンタジーみたいな世界に転生したら可哀想な人しかいない   作:胡思乱想

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莫家荘

 彷屍(ほうし)のせいか、(モー)家荘は決していい雰囲気とは言えないと藍飛燕(ランフェイイェン)は思った。

 

 藍思追(ランスージュイ)は率先して道を訊ねると一門を連れて、ここの地主である(モー)家の屋敷へと向かった。門弟達を纏めるのはいつも藍思追の仕事だ。

 

 

 大広間に通された姑蘇藍氏の門弟達は皆一様に礼儀正しく、育ちが良いことが一目で分かる。

 

 上座には一人の中年の女性が座っていた。手入れの行き届いた肌に仕立てのいい綺麗な服を着た、家主の(モー)夫人だ。すぐ隣の下座には婿養子なのであろう彼女の夫がいて、一門はその向かい側に座っていた。

 

 藍思追が代表して莫夫人と話している間、藍飛燕は背筋を伸ばした綺麗な姿勢のまま目だけで辺りの様子を伺っていた。

 

「…実は(モー)家にも、昔仙門とご縁のあった若輩者が一人おりまして…」

 

「来たよ来たよ。ここ、ここ!」

 

 突然、莫夫人の言葉を遮る大声が聞こえてきて藍飛燕は興味深そうに眉を上げた。

 

 野次馬の中から急に薄汚れた身なりの変人が現れたせいで、人々はしんと静まり返った。その変人は周囲の様子には少しも気づかないようで、恥ずかしげもなく叫んだ。

 

「さっき誰か俺を呼んだ?仙門と縁があるといえば、この俺しかいないでしょ!」

 

 その人物は白粉を顔に塗りすぎているせいで、笑うとひびが入ってボロボロと落ちてしまう。それを見た藍景儀(ランジンイー)が「ぷっ」と危うく吹き出しかけたので、隣にいた藍思追が窘めるように一瞥した。藍景儀はすぐに堪えて真顔に戻る。

 

 藍飛燕はそのやり取りを横目で見た後、その闖入者をしげしげと眺める。白粉と紅を塗りたくった首つり鬼のような化粧をした変人は、表情が非常に分かりづらいが、こちらを見渡して微かに驚いたようだった。

 

 

 姑蘇藍氏の門弟である自分達の纏っている服は、襟袖がふわりとしているのが風雅で、少し近寄り難い雰囲気があって非常に美しい。この校服を見る人が見れば、姑蘇藍氏から来た者だと一目でわかる。しかも藍家の血筋で本家の弟子だと。

 

 何故なら門弟達は皆、額に指一本分の幅の同じ巻雲紋(けんうんもん)抹額(まっこう)[鉢巻きのように額に結ぶ装飾品]を結んでいるからだ。

 

 姑蘇藍氏の家訓は「雅正」。雅で模範的で正しく、その抹額は「自らを律する」という信条を表している。巻雲紋は藍家の家紋だ。大世家に頼っている別姓の門弟や客卿(かっけい)達は無地で家紋のない抹額を結んでいる。

 

 

 莫夫人は一瞬呆然としていたがすぐに我に返ると、この変人が何者か思い至ったのか、「誰が出したの?早く戻してきて!」と潜めた声で自分の夫に命じた。夫の方はすぐさま作り笑いで「わかった」と答えると、とばっちりを食らった顔でやむなく立ち上がる。

 

 だが、捕まえようとするなり、その変人は突然その場に倒れ込み手足を広げて床にぴたりと張りついた。

 

 一体何歳(いくつ)だよと藍飛燕は呆れ混じりにそれを眺める。

 

 

 莫夫人の顔はどんどん険しくなっていく。引きずろうとしても全く動かない変人に、夫は額に汗をびっしょりかいて自棄になって怒鳴った。

 

「この阿呆が!早く戻らないと容赦しないぞ!」

 

 大広間にいる他の野次馬がひそひそと話し合うのを聞いて、藍飛燕は莫夫人の息子の他にもう一人痴れ者の公子がいることを知った。恐らくこの変人がその公子なのだろう。

 

 周りの反応を見るに普段からろくな扱いを受けていないのだろう。

 

 (モー)公子は「戻ってもいいけど」と前置きをしてから莫夫人の息子の莫子淵(モーズーユエン)を指さして言った。

 

「先に、彼が盗んだ物を返してくれれば」

 

 それを聞いた莫子淵(モーズーユエン)は顔を真っ赤にして逆上した。

 

「でたらめを言うな!この俺がお前如きの物を盗むはずないだろう?」

 

「そうそうそう!盗んだんじゃなくて、奪ったんだ!」

 

 その様子を見て、莫夫人は頭に血が上ったようだ。

 

「あんた、わざと暴れるために来たわね?そうでしょう!?」

 

「俺の物を奪われたから、取り戻しに来ただけなのに。これのどこが暴れるためなんだ?」

 

 厚顔不遜な振る舞いの莫公子に、藍飛燕は違和感を覚えて細かく観察する。

 

 困り果てたふうに答えた莫公子に、莫子淵が焦って飛びかかり蹴り上げようとする。だが、その前に藍飛燕が指を微かに動かすと、莫子淵の足が強張り、宙を蹴って逆に自分が転ぶ羽目に陥った。

 

 それなのに莫公子は後ろに転がりまるで本当に彼に蹴飛ばされたように見せかけた。しかも襟を開けて見せれば、胸元には踏みつけられたような足跡がくっきりと残っているではないか。

 

 

 藍飛燕はとんだ茶番だと彼らに白けた目を向ける。

 

 莫夫人はなんとかこの場を切り抜けるためにやんわりと説得にかかった。

 

「盗むとか奪うとか、人聞きが悪いわね。家族じゃないの?ただちょっと借りただけよ。阿淵(アーユエン)[莫子淵の愛称]はあなたの従弟(おとうと)なのよ。ちょっとくらいいいじゃない?返さないとは言ってないでしょう、年上なのにケチケチして、こんな小さなことで子供みたいに暴れるなんて」

 

 門弟達は互いに目を見合せ、お茶を飲もうとしていた一人は危うくむせるところだった。姑蘇藍氏で育った弟子達がこれまで見聞きしてきたのは雪月風花のような雅で美しいものだけで、こんな茶番を見たこともあんな自分勝手な言い分を聞いたことも初めてだろう。もちろん、藍飛燕には当てはまらないことだが。

 

 莫公子はずいと手を差し出して言った。

 

「じゃあ返してよ」

 

 莫子淵は真っ青になって、「母さん!」と叫び、視線で彼女に訴えるも莫夫人は落ち着きなさいとばかりに睨み返す。

 

 そこにさらに莫公子が続ける。

 

「盗みに来るだけでも悪いことなのに、真夜中に来るなんてもっと最低だ。本当に破廉恥だな。俺が男好きってことは皆知ってるのに、わざわざ誤解されるような真似をするなんて!」

 

 これには藍飛燕も吹き出しそうになった。余りにも適当なことをすらすらと述べる様は滑稽としか言い様がない。

 

 裾で口元を隠した藍飛燕に藍思追が咎めるような視線を寄越す。

 

「この恥知らずが、皆さんの前でなんてことを!阿淵(アーユエン)はあなたの従弟(いとこ)なのに!」

 

 莫夫人の非難の声に莫公子は堂々と答えた。まるでこの際だから思いっきりやってやろうと言うかのように。

 

「彼こそ従兄弟同士だってわかっていて来たんじゃないか。いったいどっちが恥知らずだよ!?俺に罪を擦りつけるなよな!俺だってもっといい男と結ばれたいんだから!」

 

 莫公子の余りの言い分にとうとう藍飛燕の肩が揺れるが、ちょうど莫子淵が莫公子に椅子を投げつけたので、誰も気付くことはなかった。

 

 莫公子は素早く立ち上がって椅子を避けたが、それに驚いた野次馬は蜘蛛の子を散らすように逃げた。唖然とした顔で見ていた藍家の門弟達の後ろに隠れた莫公子は彼らに訴えた。

 

「皆見たな?見たよな?物を盗んだ上に暴力を振るうだなんて、ひどすぎる!」

 

 莫子淵が追いかけてきてさらに殴ろうとしてきたため、藍思追はすぐさま彼を止めた。

 

「公子、落ち着いてください」

 

 この門弟達が莫公子を庇うつもりだと気付いて、莫夫人は無理やり笑顔を作った。

 

「その子は私の妹の息子で、実は…ちょっとおかしくて、(モー)家荘の人なら皆、その子が痴れ者だと知っています。いつも妙なことばかり言っていて、何もかも事実無根なんです。なにとぞ…」

 

 言い終わる前に莫公子は門弟達の後ろから頭を出して反論した。

 

「事実無根だって?今度また俺の物を盗んでみろよ。誰であろうが、一回盗んだらその代わりにそいつの腕を一本斬り落としてやるから!」

 

 それを聞いて既に父親に押さえつけられていた莫子淵はまた暴れだす。

 

 莫公子はといえば、「ららら〜」と歌いながら、魚みたいにするりと外に逃げた。それを見た藍飛燕はさっと出口を塞ぐように立つ。

 

 藍思追は厳しい顔をして莫夫人と向き合うと本題に入る。

 

「あの…今晩、西の離れをお借りします。先ほどご説明したことを必ず守ってください。夕方以降、扉と窓をしっかり閉め、決して外を出歩かないこと。そして、西の離れには絶対に近づかないこと」

 

 莫夫人はまだ憤りを隠せなかったが、藍思追を押しのけて追いかけることは出来なかったので、「はい、どうぞお願いします…」と答えるしかなかった。

 

 その言葉に莫子淵はとっさに口を挟む。

 

「母さん!あの痴れ者が俺をあんなに侮辱したのに許すのか!?母さんが言ったんじゃないか、あいつはただの…」

 

「黙りなさい。話はあとでいくらでも聞くから!」

 

 と莫夫人が潜めた声で一喝する。それを受けた莫子淵は吠えるように声を上げた。

 

「あの阿呆、今晩絶対に懲らしめてやるからな!」

 

 莫子淵のあんまりな発言に藍飛燕は頭を抱えたくなった。彼は先程の藍思追の夜は絶対に出歩くなという忠告を聞いていたのだろうか。

 

 人を救う道に進みたいと思った藍飛燕だったが、残念ながら莫子淵のことは助けたいと思わなかった。むしろ、藍飛燕の最も嫌う傲慢な愚か者で、彼の生死などどうでもよくなってしまった。

 

 

「思追」

 

 藍飛燕は短く友の名を呼ぶ。

 

「飛燕?」

 

「気になる事があるから調べてくる」

 

 藍飛燕は用件だけ告げると返答を待たずに大広間を出ていく。途中で莫家荘の住人に莫公子が普段どこに住んでいるかを訊ねる。噂好きな住人は莫公子の話を詳しく教えてくれる。

 

 曰く、とある有名な仙門世家の庶子だとか。曰く、莫玄羽(モーシュエンユー)((モー)公子)は断袖(だんしゅう)[男色のこと]で大胆にも同門の弟子に付きまとって、せっかく迎られた一門を追い出された。曰く、莫家に戻った時にはまるっきりおかしくなっていた。曰く、それはまるで何か恐ろしいものを見て精神をやられたかのような___。

 

 それらの話は藍飛燕にはただの噂ではなく真実に思えた。本人に確認するのが一番良いのだろうが、如何せん莫公子がどこへ向かったのか全く分からなかった。取り敢えず、莫公子が住んでいる離れに行ってみることにした。

 

 

 離れには莫公子の姿はなかったが、とにかく酷い有り様だった。内側から蹴破ったように扉は壊れていたし、室内もかなり荒らされていた。きっと莫子淵が派手に暴れていったのだろう。

 

 室内は広いが物が少なくみすぼらしい。ふと床に丸い呪術陣が描かれていることに気付く。見るからに怪しい。それは赤黒く、円も歪で、おそらく血を使って素手で描いたものだろう。

 

 陣の中に書かれた呪文も歪に乱れていて、擦れて所々消えているが、残った図形と文字からは邪気が漂い、不気味さが溢れている。

 

 

 藍飛燕は玄門[正統派の術を研究し修行する世家]なので、このような正道とはいえない呪術陣の類に疎かった。とはいえ、一目で複雑で珍しく高等なものだということは分かった。

 

 魔道を極める者もそう居ない。藍飛燕には田舎の、しかも仙門世家を追い出された者が、それ程に高度な呪術を扱えるとは思えなかった。

 

 近くにそのような書物がないか漁ったが、莫子淵に持ち去られたのかそれらしきものは見当たらなかった。

 

(だが、それもおかしな話か。仙門を追い出され戻ってきた時には狂っていて、こんな所に押し込められた人間が一体何処でそんなものを手に入れられるというんだ。そうなると彼が迎られたという世家が怪しいが…)

 

 そこで思考を止めると藍飛燕は懐から紙と筆記具を取り出してその呪術陣を書き写した。自身の血で描かなければ効力を発揮しないものだと推測したうえでの行為だ。

 

 

 他に室内で気になったものといえば、一度丸めて捨てられたのかぐしゃぐしゃの紙で、歪な筆跡でびっしりと何事かが書かれていた。莫玄羽(モーシュエンユー)が鬱憤を晴らすために書き残したものだろう。ざっと目を通した時にこの呪術陣に関する文言は見当たらなかったので深くは読み込まなかった。

 

 普段も決してにこやかとはいえない藍飛燕の顔は今や完全に表情が抜け落ち、その眼は薄暗い色を帯びていた。

 

 深い溜め息を吐いて気持ちを切り替えると、やることは終わったとばかりに門弟達のいる西の離れへと足早に向かった。その背中はいつも通り、真っ直ぐだがどこか気怠そうな雰囲気を纏っていた。

 

 

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