中華ファンタジーみたいな世界に転生したら可哀想な人しかいない 作:胡思乱想
「返せ!じゃないと殴るぞ!」
何事かと目を向ければ先程の痴れ者扱いされていた莫公子が旗を胸に抱えているのが見える。それもただの旗ではない。持っている者を生きた的にする「
門弟たちを率いている
藍思追は莫公子に微笑んだ。
「莫公子、そろそろ日が暮れます。もうすぐ彷屍を捕まえるので、ここにいては危険です。早く自分の部屋にお戻りください」
莫公子は暫し藍思追を観察した後、藍思追が続きを言う前に召陰旗を地面に捨てた。
「ただの下手くそな旗じゃないか。何を偉そうに!俺ならもっと綺麗に描ける!」
莫公子は旗を捨てるとすぐさま逃げだした。それを見て、屋根の上の門弟たちはどっと笑いだした。藍景儀も憤慨しつつ苦笑いし、召陰旗を拾い上げて埃を払う。
「あいつは本当におかしい!」
「そう言わないで。それより、早くこっちを手伝ってよ。飛燕も」
そう言ってこちらに視線を寄越した藍思追に藍飛燕は肩を竦めて返す。
「あながち嘘ではないかもしれない」
「あいつの言葉か?」
きょとんとした表情で尋ねる藍景儀に藍飛燕は何も答えなかった。その目は相変わらず死んでいる。
「思追、何を手伝えばいい」
「陣形の確認とそれから___」
藍景儀を無視したことで呆れを含ませたような視線を藍思追に向けられながら、藍飛燕は言われた通りの行動を起こす。流石にもう日暮れが近いのでさぼっていられない。
大広間には思いのほか多くの人々が集まっていた。その人数はといえば、昼間集まっていた莫家荘の住民たちとほぼ同じくらいで、どうやら全ての家僕と親族たちが出てきているようであった。中にはまだ中衣[下着と外衣(外出時に着る服)の間に着用する衣服]姿の人や、寝起きなのか乱れ髪の人もいて、皆一様に顔に恐怖の色を浮かべている。
床には、胴体を白い布で覆われ、頭だけが外に出た人型の何かが横たわっている。藍思追と門弟の少年たちも重々しい表情で体を屈め、横たわった人物を調べながら小声で話し合っていた。
「・・・・・見つかってまだ一炷香[線香一本を焚く時間]経っていない?」
「彷屍の制圧が終わってから東の大広間に向かったら、その廊下で亡骸を発見しました」
藍飛燕はその少年たちに混ざって死体をまじまじと眺める。その遺体は
ふと藍飛燕は家僕たちに引き摺られてきた莫公子に視線を向ける。彼もまた藍飛燕と同様に莫子淵を丹念に観察しているようであった。その時、莫夫人が刃物を手に莫公子に駆け寄っていく。いち早く気づいた藍思追が莫公子がそれを避ける前に刃物を叩き落とした。
昼間、莫公子の暴れるところを目の当たりにし、そのあとで他の者から、莫家の庶子の捻じ曲げられた噂を聞かされたせいで、藍思追は彼に深く同情する気持ちになったようだ。藍思追は彼を庇うように莫夫人に答えている。
莫夫人は大きく息を吸い、声を荒らげた。
「見てわからない?
他の誰かが動く前に、莫公子は真っ先に近寄り、死体を覆う白い布を頭の方から一気にめくった。
確かに莫子淵の死体には、足りないものが一つあった。彼の左腕が、肩の先から全部消えていたのだ。
莫夫人がなおも怒りと悲しみを周囲に撒き散らしている間、藍飛燕は考え込んでいた。これは姑蘇を出て鍛錬したのがたった数回の自分たちには手に負えない邪祟だ。何せ前世暗殺者の藍飛燕をもってしても気配がわからないのだ。救難信号を発する信号弾は大広間に入る前に藍景儀が既に打ち上げている。
(不味いなぁ。嫌な予感はあるけれど、どこから来ているのかが分からない。精気を吸う邪祟だとして、まだこの近くに潜んでいるかも。だとしたら、気配を追えないのは相当危険な状態だ)
「あんたもだ!使えない奴らめ、何が仙門だ。何が退治だ。子供一人すら守れなかったくせに!阿淵はまだ十代なのよ!」
莫夫人の金切り声にはっとして藍飛燕はとっさに藍思追を庇うように立った。藍家の少年たちもまだ幼い。それに何しろ名門世家の公子たちだ。今まで誰からもこのように理不尽に一方的に叱責されるようなひどい仕打ちを受けたことなどなかった。
姑蘇藍氏の指導は恐ろしいほど厳しく、無力で抵抗できない一般人に手を出すのはもちろん、失礼を働くことも許されない。本音ではどれだけ彼女の言い分を不快に思っていても、表には出せず、我慢のあまり顔色はどんどん青褪めていく。見かねた藍飛燕が口を開くよりも先に莫公子が捲し立てる。
「あんた、誰に向かって怒鳴ってるんだ?彼らを自分の家僕だとでも思っているわけか?遥々遠くからここまで来て、タダで彷屍を退治してくれているっていうのに、彼らに何か貸しでもあるようなその態度はなんだ?そもそもあんたの息子は何歳だって?十七にはなっているよな?それを、まだ『子供』だって?だったらいったい何歳になればちゃんと人の言葉を理解できたんだ?昨日あれだけ西の離れには近づくな、何も触るなってきつく言われていたよな?それでもあんたの息子は夜中出歩いて物を盗んだ。それが俺や彼らのせいだって?」
(気が触れていたという割には随分とまともそうだ)
莫公子がつらつらと並べ立てていく言葉たちに藍飛燕はすっかり関心してしまった。こちらを庇うような言い回しもそうだが、咎める意味で挙げ連ねた事実は客観的なものである。言われた莫夫人の方は口を開閉させ、金魚のように見える。藍景儀たちも鬱憤が多少の晴れたのか顔色はましになった。
そうしているうちに莫夫人とその夫が仲違いを始め、夫が家僕の一人に連れ出されると、それ程の時間も空けずに誰かの甲高い絶叫が庭の方から響いてきた。
大広間の中から人々が一斉に飛び出す。庭には痙攣した二人の人間がいて、一人はその場に座り込み、もう一人は地面に倒れていた。
座り込んでいるのは家僕の男だ。彼は生きている。そして倒れているもう一人は誰だかわからないが、まるで全部の血肉を吸い取られたかのように肌がしわしわに乾いている。さらに左腕が一本なくなっていて、その傷口からは一滴の血すらも出ていなかった。干からびたみたいに変わり果てているが、おそらくこれは莫夫人の夫だ。死体は莫子淵とまったく同じだった。
「何を見たのですか?」
藍思追が家僕の男に問いかけるも、よほど恐ろしいモノを見たのか、口を開けることもできず、しばらく何も言えないまま、ただひたすら首を横に振るばかりだった。
ふと藍飛燕は強烈な死臭を感じて首を傾げる。まだ近くにいることは分かるが、姿が見えない。敵が霊体なら厄介なことこの上ない。
他の門弟に運ばれる家僕を眺めながら藍飛燕は違和感を拭えずにいた。生身の人間相手ならば文字通り一騎当千してみせる自信がある藍飛燕だったが、如何せんこのような妖魔奇怪に対する場数は藍家の少年たちと変わらなかった。
「飛燕」
藍景儀に呼ばれそちらを向く。
「お前の嫌な予感が当たったな」
顰めっ面の藍景儀の隣で神妙そうに藍思追が頷いた。
再び戻ってきた大広間では中と外にびっしりと呪符を張り、各方位に門弟を立たせて厳重に警戒している。
藍思追は左手で家僕の脈を測り、右手を莫夫人の背中に手を当てて霊力を送っている。両方同時に手当するには限界があり、彼が焦っていたその時、家僕が急にむくりと起き上がった。
侍女が「あ」と声を上げる。
「
彼女が笑顔になる前に、家僕はぱっと左手を上げ、あろうことか自分の首を絞め始めた。
それを見て、藍思追は彼の経穴[血液の流れや霊力の経路にあるツボ]を素早く続けて三か所突いた。あんな突き方をされれば、普通ならすぐさま身動きできなくなるというのに、家僕は何も感じていないらしい。左手は自らの首を一層きつく締めつけていて、苦痛を感じさせる恐ろしい表情を浮かべている。
(おかしいな。彼はもう死んでいる)
藍飛燕の第六感は家僕が既に死んでいると告げていた。けれど彼の左手は___。そこで藍飛燕はようやく気づいた。死臭が家僕を絞めあげる左手からするということに。
正体が分かったところでどう捕らえるかが問題である。また、藍飛燕は莫公子が先程からさりげなく自身の腕を確認しているのも気がかりだった。
間もなく、「カッ」という音とともに、家僕の首がだらりと垂れて、やっと自分の首を絞めていた手が離れた。頸椎は既に折れているようだ。それを見て侍女ががたがたと震えだした。
「・・・悪霊よ!目に見えない悪霊がここにいる!そいつが阿童に自分で自分の首を絞め殺させたのよ!」
甲高く悲惨な声音の訴えを聞いた周りの人は震え上がり、彼女の言葉を信じたようだ。
「悪霊ではない、もっと邪悪なモノだ。命が惜しいならここから立ち去った方がいいよ」
藍飛燕は静かに言うと腰に佩いた剣に手を置いた。と同時に明かりが少し揺らいだ。一陣の邪気を含んだ風が頬を掠めたかと思うと、庭と大広間の中のすべての灯籠と蝋燭の火が、一斉にふっと消える。
その瞬間、周りから叫び声が相次ぎ、男も女も押し合って逃げ惑い始めた。混乱の中に藍景儀の声が響く。
「そのまま動くな!動いた者から捕らえる!」
決してはったりではない。暗闇に乗じて騒ぎを起こし襲いかかるのは邪祟の本性だ。こんな時、むやみに取り乱したり、一人で離れたりしては非常に危険だ。だが、彼らは皆恐怖のあまり、藍景儀の言葉などさっぱり耳に入らず、理解もしていない。
ほどなくして大広間は静かになり、軽い呼吸音以外、微かに啜り泣く声しか聞こえなくなった。ほとんどの人が出ていったようで、おそらく、ここにはもう数人しか残っていないだろう。
暗闇の中、突然明かりが一筋ぽわりと浮かび上がる。藍思追が明火符[火を起こせる呪符]を燃やしてくれたのだ。
明火符の炎は邪気を含んだ風では消せないので、彼は指に挟んだそれで灯籠と蝋燭に再び火をつける。他の少年たちは怯えている人を慰めに行った。
「飛燕!なんで煽るようなことを言ったんだ!」
非難する藍景儀を一瞥することなく藍飛燕は抜いた剣をしまう。
「飛燕、何かいたの?」
「ああ、逃げられた」
藍飛燕は五感すべてで邪祟を探す。死臭のする方、違和感のある場所。
その時突然、侍女が泣きだした。
「手・・・・・手、阿童の左手がぁ!」
藍思追が明火符を家僕の死体の上に掲げた。やはり、彼の左手も消えている。
藍飛燕は藍思追に小声で話し掛ける。
「思追」
「どうかした?」
「この邪祟は既に
莫公子は突然「ぷっ、ハハハ!」と笑いだした。
藍景儀は顔を顰め、「このバカ、こんな時まで笑うなんて!」と言い放ったが、考えてみれば彼はもともと虚け者なのだから、気にしても仕方ないと思い直す。
しかし、莫公子は藍景儀の袖を引っ張ると、首を横にぶんぶんと振った。
「違う、違う!」
「何が違うんだ?自分がバカじゃないってことか?大人しくしてろよ!あんたの相手をする暇なんてないんだ」
莫公子は床の上に横たわった莫子淵の父親と阿童の死体を指さした。
「これは彼らじゃない」
「『彼らじゃない』とは、どういう意味ですか?」
「これは莫子淵の父親ではないし、あれも阿童じゃないんだ」
答えが出ている藍飛燕もその回りくどい言い方には首を傾げる。
莫公子のその白粉塗れに口紅を引いた厚化粧の顔は、真面目に答えれば答えるほど、一層虚け者に見える。しかしうす暗い明かりの中では、その言葉にはなんとも言えない恐ろしさがあった。藍思追はしばしぽかんとしてから、続けて問いかけた。
「なぜですか?」
「手だよ。彼らは左利きじゃない。俺を殴る時、いつも右手を使っていたことくらい覚えてるよ」
「そんなに自慢気に言って!調子に乗るな!」
「景儀」
莫公子に向かって吐き捨てた藍景儀に対して、藍飛燕が珍しく咎めるように名前を呼んだ。
「飛燕?」
藍飛燕は正直かなり驚いていた。それは莫公子が頭のキレる人物だったからではない。わざわざ分かりやすい助言までくれたからだ。悪い人ではないのかもしれないが、藍飛燕は莫公子、正確にいえばその中にいる者を測りかねていた。
莫公子の方へじっと視線を向ければあちらも見つめ返してくる。へらりとした笑みを浮かべてはいるが、その瞳から読み取れる感情は、焦燥、困惑、感心と興味だろうか。気まづくなって視線を逸らす。
「飛燕、この邪祟は四人殺したって言ったよね?」
はっとしたように藍思追が振り向く。莫公子は面白そうに、藍景儀は説明を求めるようにこちらを見ている。
「そう、四人だ。逃げられたって言ったろ。さっきの暗闇で家僕の男から取り憑く対象を変えている。邪祟の正体は凶屍の左腕」
淡々とした口調で告げる藍飛燕の目線の先には莫夫人が倒れている。
彼女の腕は真っすぐ下に垂れている。その大半は袖の中に隠れていて、指の半分しか外に出ていない。右手の指は雪のように白く華奢で、まさに裕福な環境で暮らし、身の回りの世話を全部人任せにしている夫人の手だ。
しかし、左手の指は右手の指より少し長くて太かった。関節も曲がっていて、なんとも力強い手だ。あきらかに男の手であった。
「彼女を押さえろ!」
藍思追が声を張り上げると、数名の少年たちがすぐさま莫夫人を押さえつける。藍思追は「失礼」と言ってから、一枚の呪符を急いで彼女に張りつけようとした。だがその時、莫夫人の左腕があり得ない角度で捻れて、いきなり彼の首を掴もうとしてきた。
彼女の手は非常に素早く、もう少しで藍思追の首に届く寸前だった。助かったのは、藍飛燕が藍思追の体を強く引いたからと、藍景儀が「うわ!」と叫びながら彼の前に飛び込んできて庇ったからだ。
一瞬明かりがぱっと閃き、莫夫人の左腕が藍景儀の肩を掴む。その瞬間、彼の服から緑の炎が燃え上がり、夫人はすぐに手を引っ込めた。
藍景儀の校服の半分は既に燃え尽きて灰となっている。半分だけ残った校服は実に不格好で、慌てて脱ぎながら、カッとなって振り向くと怒鳴った。
「俺を蹴ったな!この痴れ者め、殺す気か!?」
「景儀」
またも藍飛燕が制するように名前を呼ぶ。
「蹴ったりしてないよ!」
莫公子は頭を抱えてあちこち逃げ回りながら声を上げた。本当は莫公子が蹴ったのだろう。
藍家の校服の外衣は、その内側に服と同じ色の細い糸でびっしりと呪術と真言が刺繍されていて、守護の効力がある。しかし、今回のような強力な相手には、一度使ったらもう終わりだ。
(緊張感がないなぁ)
藍景儀の言動に内心で大きな溜め息を吐いた。事の重大さを理解していないのか、まだ子供だからなのか。藍飛燕は姑蘇に戻ったら
藍景儀はさらに怒鳴ろうとしたが、莫夫人が急に倒れ込んできたので、とっさに口を閉じた。
莫夫人の顔の血肉はすべて吸い取られ、皮一枚だけで覆われた髑髏となっていた。左腕は彼女の肩から抜け落ちているにもかかわらず、五本の指は未だに気味悪く蠢いている。まるで何かの準備運動をしているかのようで、その手には浮き出た血管が脈打っているのがはっきり見えた。
呪符が効かない代わりに校服が効くと気づくと、皆で一斉に外衣を脱いで放り投げた。その外衣を莫夫人から離れた左腕に覆い被せ、何重にも重ねると、腕はまるで厚くて白い繭に包まれているようになる。しばらくして、白い服の塊はボッと音を立てて燃え始め、緑色の炎は異様なほど高く燃え上がった。
しかし、これも長くは持たないはずだ。校服が燃え尽きたら、左腕はまた灰の中から出てくるだろう。
藍飛燕は莫公子が隙を突いて西の離れの方へ向かうのを横目で見ながら、少年たちに剣欄[封じたい目標を囲み、剣を地に刺して作った結界]を作るように指示をする。
莫公子が大広間へ戻ってくる頃には、あの左腕は剣欄の中であちこちぶつかって暴れていた。少年たちはそれが出てこられないように剣の柄を押さえつけるのに必死だった。
突然大広間から鋭く凶暴な叫び声が聞こえてきて驚いたのか、一人が押さえる力を弛めると、左腕はその剣を打ち壊して剣欄から出てきてしまう。藍飛燕は近くにいた少年を庇って剣で左腕と打ち合う。酷く頑丈な左腕は一撃もそれなりに重く速い。普通の子供ならば初撃で死んでいただろう。
「!」
藍飛燕は何度か打ち合ってから飛び退くと代わりとばかりに三体の凶屍が左腕に飛びかかった。
ずっと必死に堪えていた少年たちは、その様子を見て驚きのあまり唖然とした。彼らは今まで、書物の中や噂だけでしか凶屍同士が戦う様子を知らなかった。初めて自分の目でこのような血肉が飛び交う場面を見て驚愕し、食い入るように見つめる。その迫力に圧倒され、内心で驚嘆した。
目の前でぼろぼろになっていく三体の凶屍を長くは持たないだろうと眺めながら藍飛燕は次の手を考える。
その時遠い空の方から、弦を弾く音が二回鳴った。
清らかで透き通ったその音は、まるで冬の風が松林を吹き抜ける時のような冷涼さがあった。
庭で一塊になって激しく戦っていた凶屍たちもその音を聴き、一瞬動きを止める。
姑蘇藍氏の少年たちは瞬時に顔を輝かせた。藍思追は顔についた血の跡を急いで拭うと、ぱっと頭を上げて嬉しそうに叫んだ。
「含光君!」
また弦が弾かれる音が一音響く。今度の音程はやや高めで、微かなもの寂しさを帯びている。琴の音は雲を貫き、空を破った。
三体の凶屍はどんどん後ずさり、同時に右手で必死に耳を塞ぐ。だが、姑蘇藍氏の破障音がそれくらいで防げるはずもない。数歩しか下がれず、逃げ場を失った三体の凶屍の頭から、軽い爆裂音が聞こえた。
あの左腕も、先ほどまでの激戦で疲弊していた上にこの破障音を聴いて、力を失ってぼとりと地面に落ちた。指はまだぴくぴくと痙攣しているが、腕そのものは沈黙して動かなくなった。
藍飛燕は含光君の琴の音が聞こえた瞬間に立ち去った莫公子の後ろ姿を呆れた目で眺めていたが、腕が弱っていくのを見計らって懐から取り出した封印具を巻き付けていく。
ふいに藍思追に肩を叩かれて藍飛燕は顔を上げる。
「莫公子ならもう立ち去ったよ。離れにもいないと思う」
「・・・お礼を言いそびれてしまったから」
「思追。また近いうちに会えるよ」
少し困ったに眉を下げる藍飛燕の目には相変わらず光がない。けれど仲間の為に行動できるとっても優しい子だと藍思追は知っている。
藍思追には本当に藍飛燕の言った通りになるような、そんな予感がした。