エレミアはベルカの名家である。しかし、名家であるとはいってもベルカという国は既になく、かつてのベルカの王、聖王を信仰する聖王教会と、その管轄下にあるベルカ騎士団のみが今のベルカの勢力となっている。
次元世界の安定を司る時空管理局に一定の影響力を保持しているとはいえ、主流であるとは言い難く、現存するベルカの血を受け継ぐ家系同士の結びつきを強固にしようとするのは当然の流れであった。
それは家名と共に受け継がれてきた特殊な能力や、魔法技術を散逸させないためであるし、これ以上ベルカという勢力を弱体化させないためでもある。
そして、肉体面において9歳を迎えたジークリンデも、そうした結びつきを深めるための行事への出席を少しずつではあるが行うようになっていった。
寡黙に過ぎるとはいえきちんと受け答えを行い、しかも、普通ならば持て余してしまうことが通例の<殲拳>を、既にその年齢で使いこなせている事実を鑑みてのことである。最も、ジークリンデから言わせれば、かつての自分が使っていた力は、<殲拳>など足元に及ばないレベルで剣呑であったので、使いこなせるのは当然の結果だと思っている。
「……初めまして、ジークリンデ・エレミアだ」
そんなわけで今日もまた、ささやかなお茶会という名目でとある名家の屋敷に訪れたジークリンデは、自身に出来得る限りの柔らかい態度で以って自己紹介を行うが、やはりというべきか、無愛想極まった鉄面皮、といった感じになってしまった。
かつての彼を知る者からすれば、自発的に会話を交わしている時点でかなり態度を軟化させていると感じるのだが、ジークリンデという少女しか知らない者にしてみれば、単なる無愛想としか映らない。
「ヴィクトーリア・ダールグリュンですわ。本日はこちらの御誘いを承諾してくださってとても感謝していますわ」
そんなジークリンデと相対するのはジークリンデと同じ年ごろの金髪碧眼の美少女だった。折り目正しく快活に自己紹介を返す様子は、その髪の色と相まってジークリンデと正反対の印象を与えていた。
しかし、どうやら頭抜けたジークリンデの無愛想に内心怒り心頭のようであり、その口元が怒りでかすかに震えていた。
「……こちらこそ、誘ってくれて感謝している」
その震えは勿論、ジークリンデも気づいてはいたが、そんな些事で心動かす筈もなく、数秒の沈黙の後、必要最低限度の言葉だけの返答を変わらない無愛想で返すのだった。
■■
――――奈落の底、というのが初めて抱いた印象だった。
エレミア家の跡継ぎである自分とほぼ年の変わらない少女を初めて見たとき、ヴィクトーリア・ダールグリュン――ヴィクターが初めて抱いた印象はそのようなものだった。
名家の生まれということもあり、同年代の気を置けない親友が少ないヴィクターにとって、同じ目線で付き合えるだろうエレミアの子供に、彼女は期待を抱いていた。
どんな子が来るのだろう、果たして自分はうまく付き合えるだろうか。年相応の期待と不安に胸躍らせ、そうして出会った女の子は彼女の想像を遥かに超えていた。
背格好、髪型、容姿、身に纏っている衣装、そんな外見ではなく、ただその瞳が雄弁に、この少女は何かが違っていると感じさせた。
まるで底の見えない谷底を覗いたかの様な、そんな足元を揺らがせる不安を突きつける青い瞳だった。
正直に言えば、ヴィクターはその瞳を覗いた瞬間、気圧される自分を自覚していた。
それは事実、彼女の生存本能とでもいうべきものが、無意識のうちに鳴らした警鐘であった。
それほどまでに眼前に立つ少女の剣呑ならざる気配は濃厚で、ヴィクターはその時、今日の会合を前にして自分専属の執事であるエドガーから聞かされた言葉が真実であったのだと確信した。
――――これから会う少女は、家族からも恐れられ、距離を取られている、と。
その言葉を聞いた時は、ベルカを背負って立つ家の者が何を軟弱な、と憤慨を抱いたのだが、自分の想定が甘かったのだと認識する。しかし、
「……初めまして、ジークリンデ・エレミアだ」
そうして恐怖を抱いた存在の無愛想に、その恐怖が苛立ちへと瞬間的に切り替わった。ひょっとして自分は舐められているのではないのか、と。
大体この子は自分の一つ下の子であり、むしろ少しぐらいは敬いを向けられるのが当然なのではないか。勿論年齢だけを武器に居丈高に振舞うなど、ヴィクターにしてみれば馬鹿の極みだが、だからといって年下に舐められるつもりは毛頭ない、と、脳内で稲妻の如き速さで理論武装を行い、ヴィクターは自分自身を叱咤する。
「ヴィクトーリア・ダールグリュンですわ。本日はこちらの御誘いを承諾してくださってとても感謝していますわ」
というよりも、気圧されそうになる自分を自覚して、半ばやけっぱちで強気な態度をとっているだけなので、ちょっとつつけば剥がれ落ちそうなメッキに等しかった。
隣でエドガーがそんなヴィクターに苦笑を向けていたが、それも気にせず強気な態度をとり続けた。
「……こちらこそ、誘ってくれて感謝している」
眼前の少女もまた、そんなヴィクターの態度などどうでもいいといった感じで、変わらず無愛想を貫いている。
――――ま、負けるものですかっ!!
対抗するように脳内で気炎を迸らせるヴィクターであったが、それは哀しいぐらいに一人相撲の様相を呈していた。
■■
そんなこんなで冒頭から不穏な空気を漂わせていた茶会であったが、正しくその空気を裏切らない形で進行していた。
…………く、空気が重いですわ。
答えは単純、まるで質量を持っているかのように重苦しい空気がテーブルの周りを包んでいたからだった。
その原因は無論のことジークリンデにあった。
茶会が始まり、値の張る茶葉を使ってエドガーが丁寧に淹れた香り高い紅茶と、ミッドチルダの高級菓子店の新作の菓子が供され、仮にこれが普通の女の子同士ならば、紅茶の香りや上質な甘味に会話が弾むであろうことは想像に難くない。
現にヴィクターはエドガーの淹れた紅茶の味に満足しているし、新作の菓子の味わいには出来得ることなら存分に語り合いたかった。
だがしかし、ジークリンデ相手にそんな情緒あふれる会話を繰り広げようなど、土台無理な話であった。
別に無視を貫いているわけではない。出された紅茶と菓子にはジークリンデもヴィクターと同じように手を付け、口にしている。
「エドガーが淹れた紅茶の味はいかがかしら、ジークリンデさん?」
「あぁ、悪くない」
「……そ、そうなの?」
そしてヴィクターがそれらについての感想を求めれば、二言三言、簡潔極まる言葉で答えを返す。
だが、それだけなのだ。広がりがない。
例えばどこの茶葉を使っているのだとか、どんな風に淹れているのだとか、どこの店の菓子なのか、そんな極々当たり前の会話の広がりが全くないのだ。
かと言って、こちらがそうした話を振ったところで、簡潔極まる相槌だけを返すジークリンデがヴィクターにもありありと想像できるので、打つ手がないといった感じだった。
「……済まないが、紅茶のお代わりを頼めるだろうか」
そうして悶々としているヴィクターをよそに、当のジークリンデはエドガーに紅茶のお代わりを頼んでいる始末である。そこにはこの重苦しさを気にしている様子など全く無かった。
「エドガー、私にもお代わりをもらえるかしら」
ヴィクターに撃てる手など、こうして張り合う様に紅茶のお代わりを頼むぐらい。
『……お嬢様、差し出がましいようですが、ここは何か理由を付けてお開きにした方がよろしいのではないかと思いますが』
『私に背を向けろというのかしら、エドガー?』
『いえ、そういうわけでは……』
エドガーに至っては、念話でこうして進言してくるほどである。
顔繋ぎ、名家の跡取り同士が親睦を深めあうというこの茶会は、既にどうしようもないほどその目的から乖離していた。
「……ですわ」
「お嬢様?」
「……もう、我慢の限界ですわ」
「お、お嬢様?」
――――そして、切れた。
元より気の長いほうではない性格をしているヴィクターにとって、この状況は秒単位でストレスが溜まりまくるものだった。
むしろここまで暴発しなかった方がおかしいぐらいであった。
「ジークリンデさんいやあなたなんてジークって呼び捨てで十分ですわというかちょっとは会話を広げようとは思いませんの!? そもそも一歳だけとはいえこちらが年上なのですから少しは私を立てようとか思わないのかしらっ!! こうして一人虚しくから回ってるこっちが馬鹿みたいじゃありませんの!! だいたいあなただって名家の跡取り娘なのですから少しぐらい愛想よく洒脱な会話を繰り広げる努力ぐらいしたらどうなのおおおおおおおおおおおおおぉっ!!」
そしてものの見事に暴発、いや、――――爆発した。
長広舌を息継ぎ無しに言い切り、肩で息をしながらヴィクターを睨みつける。その瞳にはもうどうなっても知るか、と開き直った意思がありありと現れている。傍らで慌てふためいているエドガーなど素知らぬ顔だ。
そして、その感情の爆発を叩きつけられたジークリンデはというと、
「――――それも、そうだな」
鉄面皮は変わらず、奈落の底の様だと感じた瞳にも感情の動きは見受けられず、しかし、それでも、ほんの僅かに、髪の毛一本分ほどの微量な揺らぎがあったかのように、ヴィクターは感じた。
気のせいだ、とでも言えばそうなのだろう。表情は変わっておらず、簡潔極まる返答も変わっていない。
それでも、――――先ほどの怒声に何かを感じた様に見えたのだ。
■■
その怒りに、酷く懐かしい気持ちを覚えた。
まだ、一人の兵士、ただの人間として、誇りを持って戦場を駆け抜けた時。
その合間、刹那の様に過ぎ去った一時に、同じようなことを言われたのを思い出したからだ。
――曰く、愛想が足りない。
――曰く、少しは洒脱さを身につけろ。
――そして、心まで化け物になるな、と。
言われてすぐにできるほど、そして、思い返してすぐにできるほど彼は器用な性格ではない。
繰り返された戦場で鍛え上げた精神は、そうした余裕を消し去っている。
一部の余地もなく鍛え上げるということは、他の何かに変わることを出来無くしているということだ。
それでも、例え変わることができずに歩み続けるのだとしても、思い返したこの刹那を、心の片隅に留め置くことはできるだろうと、彼は思ったのだ。
それはきっと、永劫の闘争から解放されたその心に、ようやく訪れた安堵の感情なのだろう。
■■
果たして、その安堵が原因なのか、ジークリンデの無表情に僅かに変化が生じた様に見えた。
少なくともヴィクターはそう思いたかった。あれだけ怒って見せたのだから、何がしかの変化ぐらい見てみたかった気持ちがある。九分九厘駄目もとであったが。
しかし、その表情の変化はまるで――――
「……何だ、あなたでも笑えるのね」
「俺が、か?」
「そうよ、きっとそう。多分今のあなたは笑ってましたわ」
「そうか、……ならきっと、そうなのだろうな」
「そうでなければ私があれだけ怒って恥をかいた甲斐がありませんわ。そういうことにしておきなさい。――あぁ、全く、また喉が渇きましたわ。エドガー、もう一杯お代わりをお願い」
「了解いたしました、お嬢様」
ヴィクターどころか、当のジークリンデですら確信の持てない変化だったが、二人はそれを良しとして、茶会を続行したのだった。
そんなわけで、オカンことヴィクトーリア・ダールグリュン、ヴィクターの登場回でした。
四コマ漫画では色々と、ジークリンデに対して業の深いキャラですが、果たしてこの作品ではどうなることやら。
そして、魔力変換資質で体ごと雷に変化させて「雷速剣舞・戦姫変生!!」とか叫ぶヴィクターさんを想像したけど、……さてどうしようか。