誰だって贈り物、特に自分が欲しかった物が譲られると言われたら喜ぶのが普通だ。ましてや高い値段や希少だとかで手に入らないと思っていた物ほど、手に入るとなったらその価値は計り知れなくなる。
逆に言えば、一転手に入らないとなった時の落ち込みもそれは凄いものになるのだ。
正にハリーはそうだった。彼の手は虚空を彷徨い、何もない空間で何かを撫でる様な動作を繰り返している。
「ハリー、そう落ち込むな。没収された訳じゃあるまいしさ。」
「士堂は分かっていない。あれがどれだけ素晴らしい箒なのか、知らないからそんな事言えるんだ。」
「分かってるよ。あれが一番高い箒だってのは。」
「違うね。あれはそんな言葉じゃ言い切れない。トネリコとシラカンバの小枝の組み合わせなんて、考えられてきた中で一番の組み合わせだったんだ。誰もが夢見たけど、その金額から作る人がいなかったのにー」
横槍を入れるようにロンが入ってきた。贈られてきた訳でないのに食いつくのは、いくつかの理由がある。
「それが作られて、ハリーに贈られてきた。この奇跡を士堂も真面目君も分かっちゃいない!」
「あら真面目で悪うございました。私図書室に用があるので、失礼します。」
沢山の教科書とノートを抱えたハーマイオニーはそう言い残すと、スタスタと談話室を後にした。その後ろ姿に舌を出すロンと、恨めしげな眼差しを向けるハリーに、士堂は頭を抱えるしかなかった。
クリスマスの朝、確かにハリーに炎の雷は贈られてきた。だがかの箒はものの数時間ハリーの手に収まったっきり、遠くに行ってしまう。
ハーマイオニーがマクゴナガル先生に相談し、炎の雷を点検するように進言したのだ。ハリーとロンは烈火の如く怒り狂い、特にロンが酷かった。クリスマスの日にクルックシャンクスがスキャバーズをまたも捕らえようとした事が、この怒りに油を注いでしまっている。
「士堂、マクゴナガル先生がお呼びだそうだ。」
「分かった。すぐ行く。」
「士堂、僕の炎の雷が返ってくるの? 返してくれるって言ってくれる?」
「ハリー、無茶言うな。もうフリットウィック先生は解体している筈だから、予定まで返ってこない。一応進展だけ聞いといてやるから座って待ってろって。」
パーシーからの伝言を聞いた士堂が席から立つと、ハリーは袖を掴んで箒の所在を確かめてきた。適当にあしらいつつマクゴナガル先生の元に向かうと、先生は黒縁メガネをかけながら何やら本を読んでいた。
「マクゴナガル先生、士堂・安倍です。伝言を聞いてやってきました」
「ミスター・安倍、早い到着でしたね。さあさあお掛けになりなさい。」
マクゴナガル先生の部屋は、以前罰則で訪れた時と何ら変わってはいない。古椅子に腰掛けた士堂は、先生が読んでいた本の背表紙に既視感を覚える。
「最近のあなたの変身術、成長の跡が伺えます。以前の目も当てられない所から、よくぞ此処まで持ち直したものです。」
「まさか先生に褒められるとは思いませんでした。」
「いいえ、今学期最初のあなたにははっきり言って失望しましたから。よもや針を数ミリ歪ませることしか出来ないとは、夢にも思いませんでした。」
赤っ恥をかいた、初回の講義を思い出して士堂は赤面する。あれは生涯でも一二を争う失敗談である事は間違いなかった。ホグワーツ生徒が陥りやすい、休み明けの勉強忘れにまさか自分が当てはまるとは思いもしなかったからだ。
恥ずかしさから頬が火照ってきた士堂は、なるだけ自然な動作を心がけながら先生と話すことにした。
「でも先生。そんな事伝えたくて僕を呼んだわけではないでしょう?」
「ええ勿論。恐らくあなたが私に一番聞きたい、例の事についてです。」
先生は開いていた本を閉じると、此方をじっと見つめてくる。まるで何かを見定めようとしているようだ。
「ご承知の通り、私はミス・グレンジャーからの報告を受けて炎の雷を点検しています。」
「はい。」
「聞きたいのは、あなたの考えです。あなたはあの箒の贈り主がシリウス・ブラックだとお思いですか?」
炎の雷は、最高級の箒である。ハリーは一年生の頃マクゴナガル先生からニンバス2000を贈られているが、桁数は全く話にならない。つまり「可哀想なハリー、この箒で自由に飛び回りなさい。」などと善意で譲るには、あまりに高価すぎるのだ。
恐らく魔法界でもかなり高給と言えるホグワーツ教師陣だろうと、月の給料数ヶ月分は吹っ飛ぶ。そのような大金を使いこなせる、蓄えているのはかなり数が絞られるのだ。
「私が考えるに、ポッターにあの箒を贈れる資産家は数少ない。ポッターの今の状況を正確に把握できる者は、もっと少ないでしょう。」
「そうだと僕も思います。」
「ブラック家は魔法界では有数の名家です。その一族は今や没落し、シリウス・ブラックの他にその血を継ぐ者はいません。残された資産の全容は知り得ませんが、シリウスが保有していてもおかしくはない。」
マクゴナガル先生の目は、とても澄んでいた。士堂はダンブルドア校長と話す時と、同じ印象を覚える。此処で隠し事をするのは得策ではないし、する意味もない。やましい事があるわけではないが、覚悟を決めて考えを話すことにした。
「僕はあの箒を贈ってきたのは、シリウス・ブラックだと言う考えに反対するつもりはありません。」
「続けて。」
「しかし賛成するつもりも、またありません。」
「何故です?」
これでは士堂の尋問である。そう捉えて少々むかっとしてきたのは、彼がまだ少年だと言うことであろう。
「確かに何かしらの細工をした箒を届け、ハリーに使われる手は悪くありません。ハリーはシーカーとしてそれなりのプライドがあるから、そんじょそこらの箒で満足はしないからです。あの箒を使わずにいるはずがない。」
「そうでしょうね。」
「しかし問題は贈ってきた箒が炎の雷である点にあります。あれ程高価で最高級な箒。当然盗難や妨害対策は万全な筈です。そもそも普通の箒でさえ、第三者が妨害するには闇の魔法に秀でる必要があります。」
膝頭で握りしめる手に、じわりと汗が滲んでくる。友人の為とはいえ、此処まで緊張しなくてはならないのか、士堂の中でシリウス・ブラックに対する八つ当たりに近い怒りが湧いてきた。
「そもそも炎の雷を贈った時点で、相当な額が使われた。そのお金さえあれば、逃亡に必要な家や資材を必要以上に調達できます。作戦失敗のリスクが成功のリスクを上回っているのではないでしょうか。」
「そして箒に細工できる闇の魔法に秀でていたと仮定します。そのような使い手なら、単純にハリーを仕留めた方が簡単では? 回りくどいやり方で標的を仕留める犯罪者はいますが、シリウス・ブラックがそう言う人なのかは僕は分かりません。」
マクゴナガル先生は、何も言わなかった。士堂の話が終わった時から、じっと目を閉じている。何か考えを推挙しているのか、部屋に静寂が訪れようとも先生は口を開かなかった。
「…あなたの考えに概ね賛同しましょう。私があなたに聞きたかったのは、私自身疑問が多すぎるからでした。」
「先生もですか?」
「ええ。これがニンバス2000なら何も考えはしません。しかし炎の雷ですからね。念には念と言いますでしょう。」
士堂は先生が読んでいた本を、やっと思い出した。ハリーがクリスマスの日に読んでいた、『箒の選び方』だ。
「先生、単純に製造元に聞けばいいのでは? そうしたら買った人物もお金の出どころも分かる筈では?」
「そこが難しいのです。あの箒の材料は、魔法界でも希少性が高い素材。その保護の為に幾つもの法による規制がかけられています。
今回は製造元が、更に保険をそれはそれは厳重にかけてきました。その法と保険の中には、ゴブリンが関係しています。」
「ゴブリンというと、あのグリンゴッツが?」
「ええ。彼らは例外を認めることなく、規則を守ります。故に銀行を任される程信頼されている。
しかし今回はそれが裏目に出ているのですよ。魔法省に問い合わせてみましたが、正規の手順を踏まなくては誰が購入したのか明かさないそうです。シリウス・ブラック逮捕の為という理由も通用しない。恐らく数ヶ月はかかるとのことでした。」
先生は本を開くと、とあるページを指差してきた。そのページの見出しには『箒の材料』と書いてあり、多種多様な素材が事細かな説明を添えて記載されている。炎の雷に使われていた素材には一番多い数の星が添えられているから、先生の説明も頷けた。
ようは分からないということだった。先生は士堂が、別の考えに辿り着いた可能性を感じたのだろうか。
「先生、僕の考えは既に考えていたのではないですか?」
「はっきり言ってしまえば、答えはYESです。もしかしたら、と思いましたがあなたに期待するのは酷なことでした。結構です。」
先生がそう言うと、後ろの扉が一人でに開いた。士堂は古椅子から立ち上がり、談話室に戻ることにする。先生に会釈してから部屋を出ようとした時、背後から声をかけられた。
「フリットウィック先生は、箒の扱いに慣れておられます。炎の雷は、寸分の違いなく、ハリーの元に帰ることは保証しますよ。」
「じゃあ何かい? ハリーの箒は木っ端微塵にされているのか?」
「んなわけない。ちゃんと元通りに返してくれるってマクゴナガル先生が言ってるんだぜ。ちょっとは自分の寮監を信用しろよ。」
「君は本当に分かっていない。あの箒の素晴らしさ、考えただけで頭がとろけてくるよ…」
談話室でロンと顔を寄せ合いつつ、士堂は黒鍵の柄を磨いていた。息を吹きかけ、ハンカチで微かな汚れや手脂を綺麗に拭き取っていく。綺麗にすることよりも、磨いている時の方が頭がスッキリしてくるのだ。
ロンは士堂の反応に向かっ腹が立つのか、教科書を乱雑に机に置いた。クディッチにかける思いの強さは、士堂達マグルのそれとは、桁が違う。
「次の試合がいつか分かっているのか? いくらハリーだからと言っても箒の扱いに慣れなきゃいけないんだ。」
「そのぐらい分かっているよ。」
「それなのに三週間だぜ。全くマクゴナガルも頭がイカれているよ。サッサと調べりゃいいのにさ。」
不満げなロンだが、その顔が少し歪んだ。士堂が訝しげに眉を顰めたその時、背後から強引に手が伸びてきた。トロールに匹敵するかもしれない、恐ろしい怪力によって彼は強制的に振り替えざるを得ない。
「士堂、よーく聞くんだ。いいか、ハリーの炎の雷はマクゴナガルの元にあるというのは本当か?」
「う、ウッド。急にな…」
「あの箒なのか?! これはハリーだけではなくグリフィンドールの問題だ! さぁ答えろ。 あの箒の場所はマクゴナガルか?!?!」
血走った眼に、荒々しい鼻息。オリバー・ウッドは興奮を隠すことなく士堂の肩を揺さぶりながら、ハリーの箒について問いただしてきた。士堂の首が前後に大きく揺れようと気にすることはない。驚く暇もない士堂が何とか首を縦に振ると、揺さぶっていた手を力強く叩いた。
「そうか… ならハリーの箒はーー ヨシヨシ。 ハリー、今から俺はマクゴナガルの所に行ってくる。これは試験よりも大事な事だーー
それならフォーメーションを変えなきゃいけない。死ぬことはないだろうからーー」
ブツブツ言いながら大股で談話室を後にするウッド。急に頭を揺すられた士堂が痛めた首筋を摩っていると、ウッドの影に隠れていたハリーが尋ねてくる。
「大丈夫? 実はウッドから箒について聞かれたんだ。おすすめを買えって言われたからつい言っちゃった。」
「…首を痛めはしなかったんだな。」
「まぁ、うん。点検されているって言ったら興奮しちゃって…」
頬をひきつかせつつ、何とか笑みを浮かべるハリー。彼は首を伸ばす士堂と哀れみの視線を向けるロンを見つつ、ウッドの死ぬとか死なないとかいう呟きについて考えることを、止めようと脳内で格闘していた。
新学期が始まり、ハリーは一つの補講を受けることになっていた。それは罰ではなく学期休みになる前、ルーピン先生と約束したものだ。木曜日の夜に『魔法史』の教室で行うことになった。
「でもルーピンの病気は治ってないみたいだよな。何か知ってる?」
「あら、分かりきってるわ。」
ロンがハリー達に疑問を投げかけると、答えたのは別の人間だった。通路に置かれた鎧の足元に座り込みながら、今にも溢れそうな教科書を鞄に詰め込みつつ、ハーマイオニーは澄ました顔を見せてくる。
「君、何か知ってるのかい?」
「何でもないわ。」
「何でもあるだろ。ルーピンがどこが悪いって言った君はーー」
「知ってると思ったの。」
癪に障るような優越感を隠さない彼女に対し、ロンも不快感を隠さなかった。
「教えたくなかったら言わなくてもいいんだぜ。」
小さな舌打ちを打ってから足早に去っていったハーマイオニーを、ロンは憤慨しながら睨みつけていた。
「僕たちと話したいんだろうけど、僕はやだね。」
どうやら友人関係はこじれに拗れてきたようだ。士堂は2人のやりとりに、思わずため息を漏らさざるを得ない。
木曜日の夜、士堂はハリーと共に教室に向かった。教室には既にルーピン先生が待っており、荷造り用の箪笥を机に置いている。
「やぁやぁ。2人とも時間通りだね。」
「先生、それは?」
「また真似妖怪だ。フィルチさんの書類棚に潜んでいるのを、火曜日に偶然見つけた。ハリー、君なら吸魂鬼に変化するだろうから、いい練習道具になる。」
先生は箪笥を叩きながらそういうと、自らの杖を取り出した。
「士堂、君は練習台は用意できない。呪文についてどこまで知っている?」
「本で調べた程度なら。」
「よろしい。ハリーの練習をよく見ておくんだ。どこが大事なポイントか、分かると思う。」
先生は杖をハリーに向けると、優雅に先を踊らせる。
「ハリー、私がこれから君に教えようと思っている呪文は、非常に高度な魔法だ。――いわゆる『普通魔法レベル(O・W・L)』資格をはるかに超える。『守護霊の呪文』と呼ばれるものだ。」
「どんな呪文ですか?」
ハリーの顔にみるみる不安の色が浮かび上がる。
「守護霊、つまり君を守る保護者のようなものが現れる。吸魂鬼と君との合間で盾になってくれるよ。」
ルーピン先生は、そこで言葉を躊躇した。それは適切な表現を頭の中で探し求めているようだった。
「守護霊は一種のプラスのエネルギーで、吸魂鬼はまさにそれを貪り食らって生きる――希望、幸福、生きようとする意欲などを。――しかし守護霊は本物の人間なら感じる絶望というものを感じることができない。だから吸魂鬼は守護霊を傷つけることもできない。ただし、ハリー、一言言っておかねばならないが、この呪文は君にはまだ高度すぎるかもしれない。一人前の魔法使いでさえ、この魔法にはてこずるほどだ」
「守護霊ってどんな姿をしているのですか?」
ハリーは知りたかった。 彼の脳内では、一年生の頃に見た鈍間なトロールが棍棒を振りかざしているからだ。
「それを創り出す魔法使いによって、一つひとつが違うものになる」
「どうやって創り出すのですか?」
「呪文を唱えるんだ。何か一つ、一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめたときに、初めてその呪文が効く」
ゆっくり目を閉じると、ハリーは手探りで幸せだった記憶を追い求める。ダドリー一家を忘れ、ホグワーツでの思い出を遡っていった。
「…大丈夫。オッケーです。」
「よろしい。呪文の詠唱はこうやるんだ。」
『エクスペクト・パトローナム。守護霊よ来たれ。』
小声で何度か口ずさむと、ハリーは大きく息を吸い込んだ。その横で見ていた士堂も、手に杖を構えてコクリと頷く。
「ハリー、今から扉を開ける。僕たちは一旦後ろに下がるよ。手順は覚えたね?」
「はい。」
「よし… 3カウントでいく。」
「3・2・1!」
勢いよく開かれた扉から、おぞましい瘴気が立ち込めてきた。肌に突き刺さる冷気が、途端にあのホグワーツ特急の記憶を呼び覚ましてくる。
そして吸魂鬼がゆらりとハリーの眼前に現れると、それはより鮮明になってきた。
『エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!』
ハリーは腹の底から声を出した。杖から白い靄が漏れ出てくるが、まるで線香の煙のようにか細い。全神経を杖の先に集中しようとしても、ハリーの頭は箒に初めて乗った時の興奮ではなく、記憶の片隅に追いやられた母親の叫び声で一杯になったーー
【ハリーだけは、ハリーだけはーー お願い、私はどうなってもーー】
【邪魔だ、小娘ーー 失せろ、失せろーー】
「…リー、ハリー!ハリー!」
視界に入ってきたのは、高い天井だった。冷や汗が体中に滲み、息が走った後のように乱れている。震える手で机を掴むと、反対の肩を担いで、士堂がハリーを座らせた。
「ハリー、これを食べて深呼吸しなさい。落ち着いたらもう一回だ。」
「先生、声が益々聞こえてくるんです。母さんやあいつの声がーー」
何かが床に落ちたような大きい音がした。ルーピン先生の顔は青白く色褪せ、目はどこか虚ろだ。先生は慌てて床に落としたランプを拾い上げると、躊躇いがあるような口調になっていた。
「ハリー、これは大変きつい練習だ。君が辞めたいというなら僕は止めはしない。」
「ダメです、続けます!」
蛙チョコレートを噛み砕きながら、ハリーは力強く杖を握りしめる。
「もう後がないんです! レイブンクローとの試合であいつらが来たら、僕はまた堕ちちゃう! 負けられる試合なんかじゃないんです!」
「ハリー、今日じゃなくてもいいんだ。先生だって時間は作ってくれるさ。」
士堂がそう言っても、ハリーはもう一度箪笥の前に立った。
「ハリー、僕が思うにいい思い出が薄すぎる。もっと最近の、印象的な思い出が必要だな。」
ハリーは士堂の助言を受けて、また頭を整理しているようだ。その姿を見て、士堂はこの呪文の最大の難点を、強烈に意識せざるを得ない。
「…いけます。お願いします、先生。」
「よし、いくぞそれ!」
また部屋が冷気に包まれる。辺り一体のランプが消え、嘘のように静かだ。箪笥から皺まみれに枯れ果てた、細い手がにょろりと伸びてくる。
【リリー、ハリーを連れて逃げろ!】
『エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!』
【あいつだ、行くんだ早く! 僕が食い止めるー】
『エクス、ペクト…パトローナム…』
【ハハ、フハハハハハハハ!!!】
『エクス……ペクト……』
倒れ込むハリーを抱き抱えると、士堂は直ぐに杖を振った。ボォと明るい火が灯り、優しくハリーを照らしていく。しかしその彼の表情は、一寸の隙間なく苦痛に埋め尽くされていた。
真似妖怪を箪笥に押し込めたルーピン先生が、白髪が混じった髪を乱暴に掻きむしる。
「ああ、くそ! もっと他にいい練習台があれば!」
「先生、そうは言っても他に手立てなんかないでしょう?」
「そうだな。そうだがこの練習は私にはきつい。心臓が痛くなるよ。」
心配そうにハリーを覗き込むルーピン先生は、ハリーが目を覚ますと安心したかのように、大きく息を吐き出した。だがハリーがぽつりと呟いた言葉に、再び息を呑むことになる。
「父さんの声だ…」
「ハリー。」
「初めて聞いた。父さんは僕と母さんを逃がそうとして、独りでヴォルデモートに立ち向かったんだ…」
「ジェームズの声を聞いた?」
息を呑んでいた先生の声には、どこか不思議な響きを感じさせた。
「はい、でも先生は父さんのことは」
「わ――私は――実は知っている。ホグワーツでは友達だった。さあ、ハリー――今夜はこのぐらいでやめよう。
この呪文はとてつもなく高度だ……言うんじゃなかった。君にこんなことをさせるなんて……」
そう言うと、ルーピン先生は箪笥に手をかけた。慌てて士堂に抱き抱えられていたハリーは、立ち上がって杖を構えた。
「やります!」
「ハリー、僕は。」
「やります。今までの僕の記憶は弱かっただけです。もっといい記憶を呼び覚まして見せます。」
ハリーは箪笥に向けて杖を構えたまま、ピクリとも動かなかった。
ルーピンの視線が士堂に向くが、こうなったらハリーは頑固なのを知っている士堂は、被りを振る。
「いいんだね?気持ちを集中させるんだ。」
「ハリー、呼吸を止めるなよ。いつも通り、息吸って吐けばいいから。」
ガタガタと窓が揺れる。3度目の冷気は、窓の三分の一強を凍てつかせていた。
『エクスペクト・パトローナム!! 守護霊よ来たれ!!』
その冷気に負けぬよう、ハリーは今ある全ての力を込める。ダドリーの元を去り、初めてホグワーツに来ることがわかった日。ハグリッドと見たダイアゴン横丁、初めてのホグワーツー
あの喜び以上のものがあるわけが無い。心の底からそう思うと、杖が応えるかのように淡い光を放つ。微かに漏れ出てきた銀色の霞が、その勢いを増していった。煙ではなくまだ弱々しいものの、ハリーの目の前に広がった銀色の霞は、小さな円盤状に広がる。
その時ハリーは、胸の辺りが妙に暖かいことに気がついた。暖かみは次第に腕に伝わり、杖にまで達する。すると円盤状に広がる煙が段々と形を形成し、よりはっきりとした盾のようになっていった。そして少しずつではあるが、吸魂鬼を奥へ奥へと押し返していっている。
『リディクラス! バカバカしい!』
ハリーを押しのけるように出てきたルーピン先生は、すぐに杖を振った。
力なく飛び上がる風船を器用に誘導すると、ルーピン先生は真似妖怪を箪笥に戻した。バタンと箪笥を閉める音と、ハリーがその場に崩れ落ちる音が重なる。士堂が杖で火を灯すと、ハリーは彼の肩に手をかけて何とか立ち上がった。
「無理すんなよ、椅子に座った方が良く無いか?」
「大丈夫、ありがとう。」
「よくやった!」
先生はやや興奮気味にハリーに近寄る。机に置いてあった鞄から、ハニーデュークスの最高級板チョコを手に取ってハリーに渡した。
「素晴らしい出来だ、お見事だ! ここまで出来るとは想像以上だよ!」
「先生、もう一回お願いします。もう一回やればもっと出来る気がするんです。」
「駄目だハリー。もう消耗具合から見てこれがラストだ。」
ハリーは悔しそうに俯くが、納得したのか板チョコの包装に手をかけた。チョコを食べるハリーを尻目に、士堂は後片付けに入るルーピン先生に歩み寄った。
「先生、僕はやはり何もなしになりますか?」
「まさか本物は使うわけにはいかない。君が真似妖怪で吸魂鬼を出せるかは不確定だし、そうだとしてもお勧めはしないな。私がカバーできるか不安だ。」
「そうは言っても…」
ルーピン先生は士堂の肩に手を置くと、ゆっくり首を横に振る。
「君は理論については知っているし、恐らくだがある程度は出来るのでは無いかな。」
「まぁ、ハリーよりは。」
「ならいい。大抵の魔法使いは、ハリー以下の場合が大半だ。あれ以上の完成度なら、今のところ問題はないよ。」
「今のところは、ですか。」
士堂がその先について若干匂わすと、ルーピン先生はなんとも言えない顔になった。その時、チョコを食べていたハリーがふと思い出したように声をかけてくる。
「先生はシリウス・ブラックを知っているのですか?」
「な、何故そう思う。」
「いえ… 父さんとシリウスが友達だったと聞いて。父さんの友達だったルーピン先生は、シリウスについても知っているのでは?」
あぁ、と小さく声を漏らす。ルーピン先生は鞄のファスナーを閉じながら、ハリーの方に向き直った。
「そうだね。知っていた。」
その目は酷く澄んでいた。しかしダンブルドア校長のそれとは違う、何処か空虚な澄み具合だ。
「知っていると思った、かな。」
原作では誰も入手経路を調べなかった、炎の雷。考えられるとしたら、こうでは無いでしょうか。