士堂は白陶磁器のティーカップをゆっくり置いた。今は少しでも雑音を立てると、未来が真っ暗になるような、そんな気分がするのだ。
「どうじゃろ、紅茶の味は? お気に召したかな。」
「ええ、まあ。」
「結構結構。最近特といい紅茶葉が手に入りにくくなったのじゃ。このダージリンはその中でも貴重な逸品での。」
「校長。」
「ダイアゴン横丁のカフェを知っておるかの? やや小道にそれるが、ハムスター印の看板が以外に目立つのじゃ。店主のリチャードが少々遊び人なのが難点じゃが、味と知識と腕前は保証するぞ。なかでもお勧めは…」
「ダンブルドア校長。」
趣味の話に熱が入ったダンブルドア先生を、隣に立つスネイプ先生が窘める。気まずそうに長い白ひげを揺らすと、校長は気を取り直して目の前に腰掛ける士堂に問いかけてきた。
「では最初から。昨日の夜、君の記憶を詳細に、老人に聞かせてほしい。」
あの夜、士堂たちの寝室は他の部屋同様に深夜になったところで、おとなしくなる様子はなかった。小声で興奮を分かち合っていたロンたちが、疲労から寝落ちした深夜1時から2時あたりだろうか。やっとこさ眠りにつけた士堂は、突如として背中に走った悪寒で目が覚めた。彼の今までの教育上、こうして夜中に目が覚めるというのは、頻繁にあることではなくても珍しくもなかった。
「…やっと寝れたってのに…」
一人愚痴ってベッドで惰眠を貪ろうとした時だ。どこか酸味を帯びた、腐臭が鼻腔をついてきた。清潔感が特徴でもあるホグワーツの、しかもここはグリフィンドール寮だ。スネイプ先生の魔法薬学用の備品室でもない。
ゆっくりと起き上がった士堂の鼓膜に、今度は何かを割くような、斬裂音が響いてきた。ここでただならぬ予感を感じ取った士堂は、枕元に忍ばせていた黒鍵を2本取り出し、刃を展開する。
呼吸を浅く、しかし確実にとりながら音を忍ばせつつベッドの上に片膝立ちで起き上がった。音の方向はちょうどロンが寝ているベッドの方だ。カーテンの隙間からのぞき込むと、ロンのカーテンが切り裂かれているのが、見える。
両手に取った黒鍵を交差するように構えてから、士堂は侵入者を狙い定めようとした。今の状況で闇雲に投擲すれば、ロンに被害が出かねない。ロンのカーテンの裏で黒い影がうごめき、何かを高く掲げた。それが振り下ろされる瞬間、士堂の両手が解き放たれる。
右手から放たれた黒鍵は真っ直ぐに、腕らしき影に突き刺さった。が、本体にはかすらなかったようだ。同じタイミングで目を覚ましたロンが絶叫したとき、士堂の左手から放たれた黒鍵は影の胴体部分を直線的に襲う。が、これも無意味だった。侵入者は小さな舌打ちとともに、すべるようにドアから階段へと滑り逃げていったー
「これが僕の、あの晩の記憶となります。」
「ふむ…」
士堂の回顧を聴いていたダンブルドア先生は、長い白髭を梳かすように撫でていた。同じく純白の眉毛が、物憂げな曲線を描いている。その傍で立つスネイプ先生は、対照的に能面のような顔を、士堂に向けていた。
「何か言い忘れたことは?」
「思いつく限りは話したかと。」
「ふん。代行者たるものが侵入者を仕留めそこなうなど、情けない。ミスター・士柳の血を引いているとは思えませんな。」
その言葉は、十分に士堂の怒りを呼び起こした。内心気にかかっていた事実を、こうも淡々と述べられて冷静でいられるほど、士堂は大人ではない。
「まあ、セブルス。そう簡単にことが済めば、我々とて苦労はしてまい。」
「は。しかしながら、奴を捕まえることが出来たのは事実。」
「セブルス。この子はまだ幼い。他の子と経験が少しばかり差があるだけの、ただの生徒じゃ。」
そういうと、ダンブルドア先生はテーブルの上に置かれた、パレットを手に取った。モスグリーンの布の上に置かれた、ちぎれかすのような薄汚れた布切れが、中に置かれている。
「検査結果はどうじゃ。」
「は。ものはそうですな、こちらの黒色の方は、ロンドンの砂が出てきました。恐らく、拾いものかと。」
「ほう?」
「しかしながら、もう一方。それは10年以上は使用されていた衣服の一部。摩耗具合から見て、疑う余地はありませんな。繊維の高級な素材と色合いから見て、シリウス・ブラックの脱獄時の衣服とみて間違いないと、小生は導きました。」
これだからこの先生は嫌いだ。己が有能さをしれっと見せつける彼を、士堂は恨めし気に睨んでいた。そんな少年に微笑みながら、ダンブルドア先生は目を軽く閉じる。
「十中八九、ブラックじゃろ。わしはそれを疑いはせん。問題は、侵入経路じゃ。」
「獅子寮の大馬鹿者の間抜けが、合言葉を教えたようですな。」
寮の入り口には、こうした状況を想定した肖像画による検問がある。用意された合言葉を言わなくては中に入れない、至極単純な仕掛けだ。しかしグリフィンドールの臨時の門番だったカドガン卿は、複雑怪奇な文言を日ごとに変えてきた。それでも記憶が命の魔法使いの卵たちは、何とか乗り越えていたのだ。ただ一人を除いて。
「ロングボトムへの処罰はどうしますかな。」
「ミネルバがこっぴどく搾り上げておった。哀れにも、お祖母さんからは、ほえメールまで届いたのじゃ。これ以上、あの子をおびえさせても無意味じゃ。」
合言葉すべてを紙にメモしていたネビルは、生憎それを落としてしまった。そのことで今彼は、ホグワーツの幽霊の仲間入りしそうなほど、死相が全身に表れていた。
「確かに迂闊な行動じゃ。だがの、セブルス。わしには不可思議な点がいくつかある。」
「拝聴しましょう。」
白陶磁器の入れ物から、黄色の飴玉を取り出すとポンと口に頬張った。口内で転がしながら、校長は口を開く。
「うむ、レモンじゃ。定番だが、故に飽きが来ない。…さて、不可思議な点というのは、どうやって奴はこうも入り込めるのかじゃ。」
「内通者がいると、吾輩は再三申し立てておりますぞ。」
「いや、それはない。もしいたとしても、ブラックはあまりにも自由にうろつきすぎじゃ。」
ピクリと、スネイプ先生の頬が引きつる。思わず士堂も、目の前の老人を見つめていた。
「というのは、ロングボトムのメモじゃ。恐らく落としたのは廊下か教室、宴会場のいずこか。じゃが知っての通り、どこも警戒を厳に強くしておる。」
「ええ。確かに。」
「とる機会はめったない。その希少なタイミングで、いとも簡単に盗って見せた。それに校内に侵入すると言っても、周りには吸魂鬼がごまんとおるのじゃ。わしが制限している為に飢えに餓えた、あの化け物をどのように?」
「手引きしたものがいれば、容易では?」
「ブラックはアズカバンに何年いたか思い出せ。50メートルは遠くても、心身ともに支障が出るはずじゃ。しかし合言葉をかいくぐり、士堂の黒鍵からも逃れる精神力と体力は、何故じゃ。」
この一連の事件、シリウス・ブラックは校内を我が庭かのように闊歩している。確かにいくら何でも向こうが有利すぎる。
「奴らは学生時代、何度も抜け出してはいたずらを繰り返していました。その浅ましい悪知恵でしょうな。」
「ではなぜ気づかん? わしらとていたずらに手をこまねいているわけではない事は、お主が分かっていないはずがない。それにな、不可思議と申すのは、城の幽霊や動物すらなんら異変を感じ取れんことじゃ。」
その言葉を聞くと、答えに窮したかのようにスネイプ先生の目線は下がった。問うかのような視線が士堂にも向けられるが、慌てて首を振る。そうか、と小さく呟くとダンブルドア先生は深々とため息をついた。
「そして、なぜハリーではなくロンを狙ったかじゃな。奴はいったい何を企んでいる?」
ほとほと疲れた士堂がグリフィンドールの寮に戻れたのは、夜も遅くだ。返されたのはもっと早くだが、その間の帰り道は酷くゆっくり帰っていたのだ。
(ブラックは何を目的としているのか、か。校長のいう【不可思議な点】ってやつ。)
10数人を虐殺したシリウス・ブラックは、ホグワーツで人ひとりどころか虫けらすら殺していない。侵入しても、狙ったのはハリーではなくロンだった。侵入までの過程は微かな抜け道を見つけ、隙間風のように自然に入り込んだのに、ロンはなぜか刃物で殺そうとした。
(魔法を使っていないのか? いや魔法を使わずにホグワーツにどうやって。)
一歩踏み出すたびに、深く考えてしまう。幸いにホグワーツはブラック襲撃の衝撃と、数日後に控えるビックイベントに頭がいっぱいで、廊下の隅を寂しく歩く士堂を気に留めるものはいなかった。
(僕がブラックなら、最善の策はどうする。)
「…う?」
(杖はいるだろう。どこかに隠していた杖でもって…)
「…どう?」
(そうだ、杖だ。魔法を使っていないのは使えないんじゃないか?)
「…士堂?」
(体力温存。ということは侵入方法は体力か魔力、いずれか若しくは両方消耗する。)
「士堂? 大丈夫?」
目の前ではハーマイオニーが、怪訝そうな顔つきで士堂を見ている。その時初めて士堂は、彼女が向かい側から歩いてきたと気が付いた。見れば両手いっぱいの鞄に、ぎゅうぎゅうに詰めた教科書や参考書を抱え込んでいる。
「何でもない。ちょっと昨日のことでね。ハーマイオニーは。」
「あー、うん。私は図書室に。新しい資料が欲しくなったの。」
士堂はハーマイオニーの返事を聞くや否や、彼女の鞄の1つに手を伸ばす。驚く彼女を無視して手首をどけて鞄をとると、肩にひもをかけた。
「いいわよ。私は持てるのに。」
「噓つけ、足取りがおかしいぞ。今だってじっとできずに微かに動いているの、知ってる?」
余りにも負荷のかかる荷物を持つと、バランスをとるために肩や膝を小刻みに動かすのが普通だ。そうやって荷物の重心と自らの重心を調整する。
まだ不満げなハーマイオニーだが、士堂が顎をしゃくると、やれやれといった感じで歩き出した。
「ハーマイオニー、君大丈夫か。」
「何が? 私はこの通り元気よ。」
「手首が細くなったよな。この前と比べて。」
「何言ってるの?あなた気持ち悪いわ。」
心外だとばかりに歩調を早める彼女にピタリと並走しながら、士堂は会話を続ける。
「手首は脂肪の減りが顕著に表れる。ハーマイオニー、君の手首は君の想像以上にか細いんだ。」
「だから何よ。貴方には関係ないわ。」
「確信はないが、ハグリッドの裁判にも手を貸していやしないよな。」
突然ハーマイオニーの足が止まる。まさかとは思っていたが、士堂は呆れるしかなかった。
「ハーマイオニー、君には無理だろ? 僕たちでも理解不可能な量の授業を受けてまだ足らないのか?!」
「無理なんかじゃない。じゃあ誰がハグリッドを助けられるのよ! やっと手に入れた教職よ、それなのにこんなのって!」
「でも君の限界を超える必要はない!」
「私は平気よ!」
すると士堂はハーマイオニーを強引に引っ張ると、近くの柱陰に引き込んだ。まるで風船のように彼女の体は、いともたやすく士堂に引っ張られた。
「じゃあ聞くが、一昨日の晩御飯は何が出た?」
「え?」
「一昨日の晩御飯だ、君が一昨日の出来事を忘れると?」
今士堂とハーマイオニーの顔の距離は、かなり近い。普通なら噂になる光景だが、夜も更けこんだこの時間帯、人気のない図書室に向かう廊下に、人気らしい人気は幸いなかった。
「え、えっと… ライ麦パンにソーセージ、あとクリームシチューよ。」
「やっぱりな、ハーマイオニー。」
「何よ、何は言いたいのよ!」
「それは5日前のメニューだ。君、ご飯をそこそこに勉強をしているから、こんなことになる。」
ハーマイオニーは信じられないといった表情を浮かべている。見れば眼頭に透明な液体が滲み、今にも零れそうだ。
「私は、私は…」
「お、オイオイハーマイオニー?! 何で泣くんだ?」
「私はやらなきゃ… ロンのスキャバーズも、ハグリッドのビックバーグも私が頑張らなきゃ駄目なの…」
限界まで抑え込まれた抑圧が、一気に噴出したようだった。ポロポロと涙がこぼれ落ちはじめたハーマイオニーを、士堂は彼女を軽く抱きしめる。士堂は泣いている女性の扱いなど習った事はないが、これが最善だと信じてやるしかなかった。
柱影の中で涙したハーマイオニーが落ち着いたのは、どれほどかかっただろうか。肩をひくつかせる彼女が落ち着きを取り戻すと、ローブの裾で顔を拭って上げた。
「…ありがとう、もう大丈夫。」
「なあ、今日は課題はいいんじゃないか。じゃなきゃ次会うのはマダム・ポンフリーの元になっちまうぞ。」
「それは嫌ね。でも明日古代ルーン文字の課題出さなきゃいけないわ。だから無理な話かも。」
図書室に着くと、2人は山のような教科書が詰まった鞄を抱え直した。すると図書室司書のピンス先生が、何とも言えない顔をして待っていた。
「ミス・グレンジャー。貴女が特例だから、この処置を認めているのです。その事を理解していただくことは出来ませんか。」
「ピンス先生、申し訳ありません。でも必要なんです。」
「はあ… 勉強しない生徒は論外ですが、し過ぎも問題ですね…」
司書用の机に鞄を置くと、入れ替えるようにピンス先生は教科書の山を置いた。背表紙に書かれた題字を見た士堂は、教科書を詰めるハーマイオニーに聞かれないよう子声で質問した。
「先生、何ですかこれ。【上級魔法数学】なんて聞いたことないですよ。」
「ええ、そうでしょうね。文字通りあと2、3年後にならなくては触れない書物です。上級生も難解さから手放したりするほどですよ。」
「うひゃー」
ロンのような素っ頓狂な声が出たが、大袈裟ではなかった。
「あんなの必要ですかね。」
「私の立場からすれば、ミス・グレンジャーの方が正しいと思います。自ら学ぶ者をこの部屋と管理人は拒みませんから。」
「肝に銘じておきます。でもハーマイオニーは異常ではないですか。」
「その理由を私は全部は知りません。大方予想はつきますが、例え正解だとしてもあなたに教えるつもりは、ないと言っておきます。」
「はぁ。」
納得できない士堂に、ピンス先生は何も言わない。そのまま帰れと言わんばかりに、手をヒラヒラと振ってきた。頭に疑問が残るものの、たしかにもう時間は遅い。肩にずしりとのしかかる鞄の重さに辟易しながら、空いている手は自ずと黒鍵と杖のしまってあるポケットに置いてある。
「ねえ士堂。その、ハリーの地図のこと。」
「ああ、あれね。どうかした?」
「あれ、ほっといていいのかしら。私、先生に伝えた方がいいと思うわ。」
帰り道、ハーマイオニーが思い出したように、あの古ぼけた地図のことを持ち出した。その話題が出た途端、士堂の顔に翳りが見える。
「あれはハリーがご執心でさ。こっちも取り上げようとしたんだけど、泣きそうなほどにしつこいんだ。」
「そう… でもハリー、今度のホグズミード行きにまた行こうとしているわよ。」
「まさか。いくらなんでもこれで行ったら馬鹿だよ。」
「ハリーはやるわよ。多分、お馬鹿だから。それにロンもいるじゃない。」
確かに自覚なき悪ガキはハリーを甘い誘惑で、さしたる考えもなしに誘う事はありありと思い浮かぶ。
「でもどうしようもない。止めようにもね。」
「どうして? 止めなきゃハリー死んじゃうわ?!」
「そのハリーに、ホグワーツでの楽しみを奪うのかって言われてみろ。心休まるのは此処しかないって。僕は分からないよ。」
そう言われたハーマイオニーは、気まずそうに口を閉ざす。悲しいかな、士堂もハーマイオニーも親の愛というものは存分に浴びてきた。その彼らがハリーにそう言われると、どう返せばいいのか検討がつかなかった。
「それに僕も、守護霊の呪文を研究したい。暫くは本と睨めっこだな。」
「手伝うわ。私も必要に…」
「駄目だ。まず寮に戻ったら何か食べなきゃならない君は。こっちは助っ人もいるから、心配しなくてもいい。」
「ハリーを放っておくの? 大丈夫?」
「僕は信じるよ。ハリーが馬鹿な真似はしないって。」
ずしりと肩にかかる教科書の重みが、随分と増したようだ。それは歩き続けていたからでもあるが、心境からでもある。
「確かフレッド達がお菓子を前のホグズミードの時、大量に買い込んでいたよな。余っていると思うから分けてもらおう。」
「うーん、気が乗らないわ。あの人達が渡すもので、まともなものなんてあったかしら。」
土曜日の朝、まだハリーが寝ているのを確認してから士堂はこっそりベッドを抜け出した。規則正しい寝息を立てる友人の枕元に何かを置いた後、音を立てないように着替えて部屋を出る。
向かった先は、普段は使われていない教室だ。実はとある考えを持った士堂が、ルーピン先生にお願いして用意してもらった部屋だ。室内は取り立てて他の教室と変わった点はないが、机や椅子の数が極端に少ない。中央に大きなスペースが設けられ、ぽつりと案山子が置いてある。
「これが魔法界の案山子ね。」
それは日本の案山子とは似ているようで違った。日本の案山子が十字に交差した木の棒に服や帽子を被せたものだとすれば、これはもっと人形的だ。下半身のない人形のやつであるが、直線的に伸びた手と胴体から、太い棒に衣服を着させていることが分かる。
「何だっていい。今日で終わらせるぞ。」
強い口調で呟くと、彼の右手には黒鍵が、左手には杖が握られていた。
『天にまします我らの父よ。願わくは御名をあがめさせたまえ。』
胸の辺りに白い光が集まり、杖から白い靄が漏れ出てくる。床に散乱している汚れた砂や埃が、風が流れているかのように蠢いていた。
『魂の名の下に、我が父とその子達へと告げる。我が目にすは、御名を汚すモノ。モノが汚すは、魂と御心。』
次第に高らかになる声ととともに、辺りを蠢く白い光が輝きを増す。彼の目に写るのは、布切れでできた案山子ではない。あの黒い、自らを脅かす輩ー!!
ガチャリと音を立てた扉をくぐると、ルーピン先生は鼻を突く匂いに顔を顰めた。何かが焼けたような、それもよからぬモノを焼いたかのような、気を悪くする事に特化したような匂いだ。
鼻を詰まんで扉を急いで閉めると、中央で佇む少年に声をかける。
「どうやら。上手くいったようだね。」
少年は荒い呼吸をそのままに、首だけを回して此方を見ている。その目は獣ののように鋭く、ピンと張り詰めた糸のような、凄まじい緊張具合を表していた。
「でもその話をしにきたのではない。僕がここにー 君との約束を破ってまで来たのは訳がある。」
眉をピクピクと動かしながらそういった先生は、未だに古臭いローブから、1枚の羊皮紙を取り出した。何の変哲もない紙切れを持った先生の目には、幾つかの感情がありありと浮かんでいた。その感情の多くは、マイナスの傾向のものである事は間違いない。
「なぜ黙っていた。君がこの紙が持つ危険性を、見逃す筈がない。何故かを教えて貰わなくては、困るんだ。」
「…何の話ですか。よく分かりませんね。」
「白々しい物言いは慎んで貰おうか。この羊皮紙には、抜け穴から門番の位置まで、ホグワーツの秘密が隠されている。その秘密が他人に、この学校に危害をもたらそうとしている連中に渡ったりしたら。」
「先生、僕はこういった筈です。ハリーは抜け出す。だから止めて欲しいと。僕ではなく、貴方が。」
プルプルと震える手を抑えようとしているルーピン先生に、士堂は不自然なほどに静かな目を向けていた。先生は口から出る言葉を飲み込むかのように、首を傾げたり口をモゴモゴと動かしている。
しかし何も言わない先生を無視して教室を去ろうとする士堂に、先生はやっとこさ声をかけた。
「覚えておくんだ。君が対峙するかもしれない奴は、相当手強い。」
「ご忠告どうも。」
「あとハーマイオニーと会った時、彼女が伝言を頼んだよ。負けた、とさ。」
「そうですか。ありがとうございました。」
ルーピン先生を一瞥もせずにその場を立ち去る士堂。先生は室内にいくつも空いた、地面の凹みを眺めていた。
「どうしてこの年頃の子供は、大人の忠告を聞かないんだろうな。ジェームズ。」
焼けた石の匂いに顔を顰めつつ、先生は物憂に溜息をつく。そして重々しい手つきで杖を振り上げると、散乱した室内が瞬く間に元通りになっていった。
士堂は脇目も振らずに、談話室へと向かった。若干の早歩きで、かつ大股で歩く士堂の雰囲気は何かを警戒するかのように、ピリピリとひりついていた。早い息遣いで歩いていると、談話室から出たすぐの廊下、その柱の影に隠れるように身を潜める、最近見なかった3人組を見かける。
「ああ、どこいってたの? 僕今から君を探しに行こうとしてたんだ。」
「ちょっとね。…ハーマイオニーは?」
「うん。見ての通りって感じかな。」
肩を震わせて蹲るハーマイオニーを、ロンが優しく背中をさすりながら宥めていた。顔には困惑や憐れみといった様々な感情がみてとれるが、彼女の憔悴ぶりには心底心配しているようだ。
「ハーマイオニー、僕だ。伝言は聞いた。」
「ぐず、ううう… な、何も、何も出来なかったの。あ、あんなに頑張ったのに、あ、」
「君の努力は無駄じゃない。この処分は、もう決定済みだったてっことさ。」
士堂が彼女の隣に座り込むと、ハーマイオニーはその胸に飛び込むようにして、一段と肩を震わせ始めた。
「ハーマイオニー、大丈夫?」
「これまで頑張りすぎて、反動が出ているんだ。今はそっとしておこうか。」
「うん、僕も賛成だ。ほら、もう僕たち仲直りできたし。」
「ハーマイオニーに謝れたのか、ロン。」
「まぁね。僕も大人だし、スキャバーズもいい年とったネズミだから。いつまでもクヨクヨしてられないよ。」
そう言って呆れたように肩をすくめるロンだが、士堂にはそうとは思えなかった。大方ハーマイオニーの予想外の弱りっぷりに、意固地を張らなくなったのだろうが、ひとまず友人の仲直りを喜ぶべきだろう。
「ハリーには言いたいこと山ほどあるけど、今はいいや。」
「…バレてる?」
「バレないと思った訳が知りたいよ。ったく、ちゃんとクデイッチ優勝して貰わなきゃたまらないよ。」
やっと投稿。文章がゾロ目で書けたから、いつもより若干少ない文字数ですが。
かなり端折って書いているのですが、書きたい場面まで何とかこぎつけたいので、今後も駆け足気味に話が進むかと思います。