ハリーポッターと代行者   作:岸辺吉影

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死神犬

「まぁ、おめぇさんも大変なこった。毎度毎度、碌に学園生活を送れちゃらん」

「諦めたよ、こうなるとね」

「ううむ… いやしかし、せっかくのホグワーツなのに、そないなこっちゃ可哀想だわい。俺もお前さんには迷惑かけちゃるしな…」

「気にしてないって。で、実際どうだバックビークは。あれから」

「変わりねえ。でも気づいてはいるだろうな、賢い子だから… 今度、ノクターン横丁に出かけて泥キャベツでも買ってこようと思っておる。値がはるが、こんくらい安いもんだ…」

 

ハグリッドがしわくちゃのシーツで鼻を噛み、涙を拭く。もう何日も洗っていないと思われるシーツで顔を拭うから、その後には薄汚れた跡が残っていた。しかしハグリッドは気にすることなく、身体に見合った大きなジョッキを傾けて、勢いよく葡萄酒を流し込む。

 

「あまり飲みすぎない方がいいんじゃ? 気持ちは分かるけどさ」

「でも飲んでなきゃやっとれん。あのルシウスのクソ野郎の思い通りに事が進んじまったてのが、どうにもこうにも諦めつかんのだ」

 

空になったジョッキに葡萄酒を注ぎながら、ハグリッドは数えるのも馬鹿になるほど聞かされた溜息を吐いた。やや呆れかけてきた士堂は、岩のように硬いビスケットを紅茶でふやかしながら、その様子をぼんやりとみていた。

 

「しかしな。ハーマイオニーはどうしちまったんだ。あんなに荒くれる子じゃなかろうて」

「なぁ。ハグリッドの裁判が上手くいかなくて、勉強漬けになっているのはわかるけど、まさかね」

 

 

どうやら士堂やハグリッドの想像以上に、ハーマイオニーは追い詰められているらしかった。ロンとの仲直りを果たして大きな悩みが消えたと思っていたのだが、それは予想だにしない言動で覆された。

最初は毎度の如くのスリザリンの三馬鹿だった。

 

「なあハグリッド。元気出してくれ。そんなに泣いたって、ね?」

「ハグリッド、僕が悪かった。今度は僕が裁判に協力するよ。告訴だろうが控訴だろうが、僕に任せりゃ大丈夫!」

 

通告の葉書が届いてから気落ちするハグリッドをロンや士堂が慰めていた時、丁度魔法生物学の講義を受ける他生徒がゾロゾロ横を通った。その中には三馬鹿もいた訳だ。

 

「見ろよ。あのけむくじゃら、鼻水垂らして泣いてラァ」

「汚い」

「見たくもないね」

「らしいこと言うじゃないかゴイル。まあ、あんなのに教わる僕らの身にもなってくれたまえ。奇怪な生物の次はお父様に奴を処刑してもらおうか」

 

冗談では過ぎないマルフォイの言動に、男3人の血がたぎったのは言うまでもない。全員がローブに手をやり、思いつく悪戯呪文を唱えようと口を開きかけた時だった。

 

『エヴァーテ・スタティム! 宙よ踊れ!』

 

ハーマイオニーの絶叫が長閑な平原に響き渡る。途端三馬鹿の身体が宙に浮いたと思えば、リズム感のかけらも無い貧弱な踊りを始めた。呆気に囚われた周囲の人間達は、何が起こったのかさっぱり分からなかった。

 

「や、やめてくれぇ! 」

「ど、ドラコぉ、僕宙に、宙に浮いたぁ!」

「うるさい黙れ、そんなこと分かってる! おい、お前なにを、ぬぁ?!」

 

マルフォイは当たり前だが、ハーマイオニーの方に顔を向けて憤慨してきた。すると瞬時にハーマイオニーの杖が舞い、マルフォイの身体は哀れにも宙ぶらりんにされてしまう。これで手足を水に落ちた虫のようにばたつかせているのだから、あまりに滑稽な光景だ。

周囲を取り囲むグリフィンドール生が歓声を上げるものの、男トリオはそうもいかない。今何が起こっているのか全く理解できなかった。

 

「おお、おいこの女! 早く僕を、」

「た、助けてぇ!」

「足が、足がうぼになっちゃう〜!」

「黙るのはあなた達よ!」

 

『シレンシオ! 黙れ!』

 

三馬鹿が喚き散らしていたのが嘘のように、静まり返る。三馬鹿の口は固く閉ざされ、石化呪文を食らったかのように薄青い色の光を放っている。

 

『ディセンド! 落ちろ!』

 

グシャという音とともに、三馬鹿の身体は地面に文字通り落ちた。自由落下を更に加速させる呪文のお陰で、三馬鹿の意識は呪文と同じスピードで暗闇に消え去った。

ビクビクと身体を痙攣させる三馬鹿にスリザリンの女子生徒が駆け寄る中、ハーマイオニーは一瞥することなくその場を後にした。すっかり涙も溢れきったハグリッドが肩を叩かなくては、トリオはいつまでもその場を離れなかっただろう。

 

 

続けてその日の占い学での講義だった。トレローニ先生が最もらしく水晶玉について語っている時、ロンは握り拳を口に入れなくてはならないほど笑いそうになっていた。辺りを見渡せば大半の生徒が、水晶玉の内部に漂う薄煙のように、ぼんやりと先生の話を聞いている。

如何に摩訶不思議な世界に生きる魔法使いの卵とて、胡散臭さには個々人の定義が大なり小なり備わっている。トレローニ先生は、そのラインを超えることに関しては、学校1の才能を持っているようだ。

 

「さぁーさ〜。玉に挟む遥かなる神秘を読み解く、手助けを求める子羊はどこかしら?」

「当ててみせる。今夜は霧が深くなるでしょう、だ。貴方の悩みと同じようにってな。」

「なんと! あなたは神聖なる予兆を軽はずみに扱うのですか? なんとなんと!」

 

この先生は、しかしホグワーツの他の先生同様の地獄耳だけは持ち合わせているようだ。仰々しい物言いで、腰をクネクネと捻りながら、一歩やや外気味に踏み出した足を跨ぐように次の足を踏み出す、珍妙な歩き方で此方に寄ってきた。

 

「見ろよ。ありゃパリコレビックリのモデルウォークだ。感動で泣けてきた。」

 

士堂が小声で隣に座るハリーに呟くと、彼も小さく頷き返してくる。近寄る先生に関係ないとばかりに視線を逸らした2人だが、なんと先生に対して毅然とした態度を取る生徒がいた。

 

「ご覧なさい、この水晶玉の内に潜む白煙を。これは不吉な予感を示している… 皆さんよくご覧あれ。これは正しくあの」

「死神犬なんて言ったら笑いもんだわ。阿呆らしい!」

「あなた! この教室に入ってきた時から、いえ初めて目にした時から感じ取れましたわ。貴女には予兆を読み解くのに必要な、高貴な精神が備わっていないようですね。ここまで俗な生徒は初めてですわ。」

 

ハーマイオニーが我慢できないかのように叫ぶと、トレローニ先生は寧ろ憐れむかのように彼女に話しかけた。まるで善意で忠告していると言わんばかりの彼女の態度に、ハーマイオニーは一瞬沈黙した後、指定教科書の【未来の霧を晴らす】を大きな鞄に詰め込みながら言い放った。

 

「結構よ!! 何の根拠もなく、ただ煙だけ見てるだけで未来が読み通せるなら苦労しないわ! 大体あなた達の予言なんて、ありそうな事を適当に挙げておいて、似たような事実が起こったらさも的中したかのようにはしゃぐだけじゃない!! こんな事を分からないなんて、魔法使いが聞いて呆れるわ!」

 

ハーマイオニーがまたも、振り向く事なく教室を後にすると、彼女と対極な立場のラベンダーがトレローニ先生の予言について語り出した。先生もそれに乗って彼女が言ったらしい「この場から1人永久に立ち去る」なる予言を詳細に語る中、やはり男トリオは目にした事実を受け止められずに、顔を見合わせるしか無かった。

 

 

「先生達の間でも話題になっちょる。幸いハーマイオニーはええ子だから、庇ってくれる先生も多くてな。スネイプの野郎がネチネチいってきおったが何、マクゴナガル先生が反論してくれておる。大丈夫だ」

「にしても、ちょっと危なかっしいと思わないか?」

「付き合っちょる友達の影響だろうな」

 

意味ありげに伸び放題の眉を動かすハグリッドに、士堂は不服そうにそっぽを向いた。ふやてけて噛み砕けるようになったビスケットを口にする士堂に、ハグリッドはお代わりの紅茶を注いだ。

 

「何にせよ、お前さんがいてくれりゃあの子は平気だ。目ぇ離さんといておくれ」

「ん、分かった」

「ハリーの事もあるし大変だろうが、ハリーの方は先生やグリフィンドールの子達も気にしてるから、ちょっとぐらいは構わねぇ。でもハーマイオニーは、特に最近1人な事が多いから」

「そのハーマイオニーがな、最近講義を受け過ぎだと思うけど、なんか知ってる?」

「いや、何も分からん。そういうこたはさっぱりだ。どうした?」

 

士堂の脳裏に、最近の彼女の姿が思い浮かんだ。隣にいたと思ったら姿を消し、いないと思ったら先にいる。まるで瞬間移動でもしているかのように神出鬼没な彼女の行動は、士堂としては気にかかるものだ。

 

「ハグリッドがわからないってなると、先生達の中でも情報が遮断されているのか?」

「ん? 何の話だ? さあさあ食ってくれ。ハリーに前食わせたんだが、その時腹が減ってないのか手をつけなんだ」

「ん、じゃあもらうよ」

 

ドップリとビスケットを紅茶にくぐらせつつ、士堂は更なる悩みの種が増えたような、厄介な予感がしていた。

 

 

イースター休暇は、悲しい結末を迎えた。生徒の安全のために外出が制限されたからなのか、先生達の課題は文字通り、一日中机と教科書と睨めっこできるほど膨大な量だった。各々が口から泡を吐き涙を流し、時には錯乱して悪戯花火をぶっ放す中、士堂は部屋の片隅で教科書の山を形成する生徒の横に椅子を持っていった。

 

「はぁい、ハーマイオニー。ご機嫌いかが?」

「…用がないなら出てって」

「元気そうで何より」

 

士堂はこちらを見ようともしないハーマイオニーを気にすることなく、自分の教科書を広げる。中に挟んでおいた紙を取り出して、魔法薬学の課題を解き始めた。

 

「なぁハーマイオニー。飯は食べてる?」

「その節は心配かけたわね。でも大丈夫」

「そうか」

 

暫くカリカリと羊皮紙に羽ペンが走る音のみが、耳に聞こえてくる。紙を撫でる音とインクにつける音ぐらいしか、他の音は聞こえてこない。時間の経過も忘れるほどに集中して取り組んだお陰で、意外なほど士堂の課題は早く終わりを迎えた。

 

「ふぅ、終わった」

 

ポキポキと首を鳴らして背伸びする彼を無視するかのように、ハーマイオニーは眼前の課題をこなす。

 

「聞いていいかわからないけどさ、何を使った?」

「…」

「ロンも心配してるんだ。ハーマイオニーがいたらいなかったりするからな。これは勘違いじゃないって僕たち思ってる」

「…そう」

「ホグワーツの事だから、何かがあるんだろうな。いくら君でも1人で魔法を使いこなせるとは思えない。となれば何かの魔法具を使っている」

「…」

「ハグリッドが知らないって事は、先生達の間でも君について知っている人とそうでない人、2種いるってことかな。その観点でいくと、図書室に行ってまず探すとしたら、魔法具の目録。その中で特に、講義とかそう言った単語に関係ある欄を見れば何か分かるかもな」

 

ハーマイオニーの忙しなく動いていた手がぴたりと止まった。教科書の山から覗いてくる視線には、驚きと同時に懇願の色が見える。

 

「…時間も時間だし、おさらばするか」

 

しかし士堂はスッと立ち上がって、教科書を抱え込んだ。首をポキポキ鳴らしながらその場を離れようとする彼に、何かを言いたげなハーマイオニーは思わず立ちあがろうと机に手をかけた。

 

「…調べやしないよ」

「…え?」

「何か有れば僕ら3人の誰かに、今度は言ってくれるだろ?」

「…いいの? 調べなくて」

「君が知られたくない事らしいし、知らなくていい事もある。そういうもんだろ?」

 

そう言って談話室の出入り口に向かう士堂の姿は、小さくなっていった。小さく溜息を溢して、ハーマイオニーはまた課題に取り組み始めた。少し課題をこなしてから、人の目がない事を確認して、ハーマイオニーは溜息程度に呟く。

 

「…ありがとう」

 

 

イースター休暇明け、ホグワーツ始まって以来有数のイベントが待ち構えていた。それはグリフィンドール対スリザリンという、クディッチの人気カードだからというだけではない。

グリフィンドールには、炎の雷を携えたハリー・ポッターと精鋭のメンバーが揃っている。ウィーズリー家の次男、チャーリーが成し遂げて以来の優勝杯獲得のチャンスなのだ。キャプテンのウッドの最終ゲームという事も相まって、モチベーションは最高潮に達している。

対するスリザリンには、個々人の恨みつらみが重なっていた。特にドラコ・マルフォイにはそれまで1番高級な箒乗りだった事を剥奪され、ハリーがホグズミードに抜け出した時、泥を浴びせられた過去がある。証拠不十分でお咎めなしだった事で、彼のハリーへの怨念は強まるばかりだ。

そしてスリザリンは、特にグリフィンドールからシリウス・ブラックについてイチャモンをつけられている。曰く闇の魔法使いを手引きするとしたら、スリザリンだと。スリザリンの方もシリウス・ブラックの出身はグリフィンドールなのだから、怪しいのはグリフィンドールの方だと面と向かっては言わないものの、陰で噂を広めている。

 

この一連の流れが齎したのは、かつてない緊張感だ。最初は単なるハリーの護衛だった筈のグリフィンドール生達だが、対抗するかのように固まって移動するスリザリン生に煽られて常に杖を手に携えている。

そうでなくても廊下で目を合わせようものなら、喧嘩を始めそうなほどに一触即発の張り詰めた空気がホグワーツ全体を覆っている。先生達も厄介ごとが増えたと悩むばかりだが、当の寮監同士が目を合わせないのだから始末が悪い。やれ点数が辛いだ逆に甘いだ、会うたびに小競り合いをするから生徒が静まる訳が無かった。

 

試合の日の前まで異様な空気が包む。それは双子のはじけんばかりの騒ぎでハーマイオニーすら勉強できないほどだった。そんな試合前の最後の夜、試合当日の早朝だった。

 

「士堂、士堂! 起きて起きて!」

「お、おお?!」

 

出るわけでもないのに寝付きが悪かった士堂が、やっとこさ惰眠を貪ろうとしていた時だ。唐突に肩を揺さぶられた彼は、咄嗟に杖と黒鍵の柄を握りしめる。

見ればハリーが真っ青な顔で窓の方を指差している。

 

「いた、いたんだ! いたんだよ、士堂!」

「な、何が?」

「死神犬だ! クルックシャンクスと一緒に! あそこの校庭にいたんだよ!」

「はぁ?」

 

焦りを隠せないような声色のハリーだが、士堂とすれば何を言っているんだというしかない。念のために校庭を見渡すが、何もいなかった。

 

「バスに乗った時、クディッチの試合の時と見たあの黒い犬だ! 間違いないよ、本当だ!」

「分かった、分かった。落ち着け」

 

士堂はハリーの肩を撫でながら、ゆっくりベッドに寝かせる。士堂の寝巻きにひしとしがみつくハリーを、あやす様に撫で回す。

 

「緊張で野犬でも見たんだろ」

「そんな事ない、本当だ! 信じてよ、嘘なんか言わない!」

「うんうん。人間緊張や恐怖であやふやなものを見ると、勝手にイメージで補完しちまうんだ。大体その黒い死神犬が、どうしてハーマイオニーのクルックシャンクスと一緒にいるんだ」

 

ハリーははっと目を見開いた。どうやらその考えはなかったらしく、何か言おうとするものの言葉になっていない。

 

「ほら、寝た寝た。例え1時間だろうが1分だろうが寝ておかなきゃならないだろう?」

 

次に士堂が目覚めると、ガヤガヤと人が入ってきていた。まるでハリーを担ぎ出すかの様に生徒がハリーを連れていったおかげで、士堂がその光景を見届けた後には誰も残っていなかった。釈然としない気持ちで身支度を整えて朝食を食べようと一階に降りると、大広間に続く廊下の真ん中で上を見上げる生徒がいた。

 

「…ルーナか?」

「はぁーい士堂。元気?」

 

レイブンクローの2年生、ルーナ・ラブグリッドは後ろに立つ士堂ににこりと振り返ってみせた。士堂がルーナの見上げていた視線の先に目を向けると、ペンダントが梁に引っかかっている。

 

「あれ、君のか」

「うんうん」

「何でまたあんなとこにあるんだ。普通置いとかないだろ」

「うん、同級生の子とおしゃべりしたの。あなたにはオカミーが仲良くしたがってるって。そしたらその子、私のペンダントをポイって」

「はぁん。なるほど」

 

士堂が杖を一振りすると、ペンダントはゆっくり梁から落ちてきた。士堂がタイミングよく落ちてきたそれを掴み取ると、ルーナは曲芸を見たかのようにパチパチと拍手をする。

 

「すごいね〜。流石だなぁ〜」

「朝食を食べるんだろ。もう皆食べてる頃だ」

「うん、ありがと。じゃぁね〜」

 

そういうと焦りを微塵も感じさせない歩き方で、ルーナは大広間へと歩いていった。その向かいからチョウ・チャンが早歩きで此方に向かってきている。2人はすれ違いざまに2、3の言葉を交わして、直ぐに離れた。そのまま帰るかと思ったチョウだが、どうやら士堂に用があるらしい。

 

「士堂、朝からごめんね。迷惑かけたかな」

「大した事ない。というより、レイブンクローはルーナをどうしてるんだ。あの調子じゃルーナはいつもこんな目に遭ってるんじゃないか」

 

若干強い口調の士堂に、チョウの細い眉が哀しげに弧を描いた。

 

「分かってるよ。でもほら、見ての通り不思議ちゃんでしょ。正直、レイブンクローの中でも持て余してるっていうかな」

「おいおい」

「あまり気の合う子がいない様なの。でもグリフィンドールの同級生に友達がいる様だし、あなたも好いているみたいだから、よろしくね」

「いや、そりゃ」

「うん。だからこっちでも何とかするけど、お願い」

 

手を合わせて軽く頭を下げると、チョウは真っ直ぐ大広間へと歩いて向かって駆けていった。その後ろ姿を見ながら、士堂は内に潜むモヤモヤとした感情の向かう先を定めきれず、苛立ちをぶつけるかの様に大きく床を踏み抜いた。

幸い大広間では朝食が賑わいを見せつつあって、廊下に響いた振動は聞こえていなかった様だ。それでもお付きのポルターガイストの連中が物珍しそうに士堂を見るものだから、彼は懐の黒鍵をチラつかせる事で彼らを追い払うことにする。

 

「やなもん、見ちゃったな」

 

1人浮かれない気分の士堂は、朝食もそこそこにクディッチ会場へと向かう。悲しいかな、ロンやハーマイオニーさえも今はスリザリンの敗北を今か今かと待ち望んでいるから、士堂の気分など詮索することすら考えていない。まるで嵐の様な騒ぎが会場へと続く道から観客席にまで続いている。

かつてない熱狂ぶりに選手の表情が強張るのを遠目に見ながら、士堂は何気なく視線を観客席全体に向けていた。観客席全体の半数以上が、グリフィンドールかそれを応援するハッフルパフとレイブンクローの生徒達だ。全体の総数には劣るものの、スリザリンはプライドがなせる技かホグワーツに響き渡る様なブーイングを途切れる事なく続けている。

しかし士堂の視線はその人間が蠢く場所にはなかった。丁度最上段の観客通路、人がいない場所。そこにオレンジの毛玉がフリフリと動いているのが見えた。

 

(クルックシャンクス? でもあの隣…)

 

問題はその隣だった。黒い、毛並みがボサボサの塊がじっとその場に佇んでいる。黒い塊は丸っこいクルックシャンクスとは対照的に、か細い形状である。その中央にはギラついた光を放つ薄灰色の目があった。

 

(犬? じゃああれがハリーの言っていた、死神犬か)

 

試合が始まり、お馴染みのリー・ジョーダンの実況が聴こえてくる。

「さあ、グリフィンドールの攻撃です。グリフィンドールのアリシア・スピネット選手、クアッフルを取り、スリザリンのゴールにまっしぐら。いいぞ、アリシア! あーっと、だめか――クアッフルがワリントンに奪われました。

スリザリンのワリントン、猛烈な勢いでピッチを飛んでます――ガッツン!――ジョージ・ウィーズリーのすばらしいブラッジャー打ちで、ワリントン選手、クアッフルを取り落としました。

拾うは――ジョンソン選手です。グリフィンドール、再び攻撃です。行け、アンジェリーナ――モンタギュー選手をうまくかわしました――アンジェリーナ、ブラッジャーだ。

かわせ!――ゴール! 10対〇、グリフィンドール得点!」

リーの喉から絞り出す様な声が、スリザリンの野太いブーイングでかき消される。しかし士堂にはそんな事はどうでもよく、あの死神犬から目を離せない。

 

(たしかにおかしい。野犬があんなにじっとクディッチを見るものか?)

 

ハリーが知る限り、黒い犬をペットとして飼う生徒は聞いたことがない。だとすれば野犬で、なるほど魔法界に生きる野犬ならクディッチの試合を観に訪れても、ここの魔法使いは特に疑問を持たないだろう。

だが士堂はあくまで魔術使いだ。彼にとって、あの死神犬は尋常のものとは思えない。

隣で騒ぎ立てるロンとハーマイオニーに声をかけることなく、士堂は忍足で階段を降りていった。そして以前ハーマイオニーがやった様に、席の下側にある狭い空間を通り抜けつつ、クルックシャンクス達がいる反対側に向かう。

 

これは想像以上の難易度があった。試合が白熱しているのか、観客はー当たり前なのだがー 席で飛び跳ねるわ地団駄を踏むわ忙しない。まさか自分達の足元で人が必死に移動しているなど考えるのは、それこそ頭がイカれているとしか言いようがない。

だが士堂とすれば、厄介きまわりない事だった。探す対象が人より小さい生物なのだ。足の隙間から時折覗き込んでは、観戦用の双眼鏡で例の生物を探す。幸い死神犬は薄灰色の眼を一点に向けたまま、暫くその場を動いていなかった。

 

(勘違いであります様に…)

 

ここまでして本当に不味い事だとすると、いよいよ笑えなくなる。せめて考えすぎであることを祈りつつ、士堂はしゃがんだまま着実に距離を縮めて行っていた。

 

「このゲス野郎!このカス、卑怯者、この――!」

 

試合はスリザリンの面目躍如、違反スレスレどころかど真ん中の違反行為の連発で、波乱の展開を見せている。普段はリーを嗜めるマクゴナガル先生が身を乗り出してスリザリンの選手を非難しているから、相当酷いようだ。一応想定されていたのであろう、グリフィンドールとスリザリンは席を離されて観戦していたが、彼らの中間地点にいたハッフルパフやレイブンクローの生徒すら、2分割に意見が割れていざこざを、始めた。それを見た近場の2寮の生徒が言い争いを始め、コート内だけでなくコート外でもライバルの衝突が巻き起こってしまっている。

 

しかしこの喧騒は、士堂の影を限りなく薄いものにしていた。お陰で時間はかかったものの、士堂はクルックシャンクスらがいる近辺に移動することができた。

 

(さて、死神犬は何を見ている?)

 

息を潜めて忍び寄る。木製の床や梁がその度に軽く軋むのが、こんなにも恨めしく思えるのか。早る気持ちを押し殺し、かの生き物がいる段の右下から覗きあげる位置に着いた士堂は、死神犬に近い目線を手に入れた。

 

(おいおいやめてくれ…)

 

死神犬の目線の先には、高速で飛び回るハリーの姿があった。偶然かと思ったが、他の生徒には目も暮れずに、ひたすらハリーの飛行を見つめている。細かく動く薄灰色の目は、鷲寮の切り札をしっかり見据えていた。

 

(でもこいつはなにもんだ。使い魔、若しくは式神? この距離で何も感じないとすれば、相当高度だ。これはちょっと本腰入れるぞ)

 

手に持っていた杖をローブの細い輪に通してしまい込むと、代わりに中指を中心として左右の手、2本ずつ計4本の黒鍵を手に取る。そして静かに息を吸い込むと、床下から階段へと抜ける隙間をしっかりと確認する。

 

(3.2.1!)

 

カウントを数えてから、士堂は足を強く蹴って階段へと躍り出た。弾丸の様に飛び出た士堂の姿は、ハリーを見つめていた死神犬も直ぐに気がついた様だ。クルックシャンクスが威嚇の鳴き声をあげる中、黒犬は背後の壁をするすると駆け上る。

士堂は着地した右足を軸に、身体を斜めに傾ける。階段へと飛び出た方向から、右後方へ鋭角に30度ほど急激に傾けた。そして左足を静かに下すと間髪いれずに、次の踏み込みに入る。魔力を込めた右足が士堂の身体を、今度は斜め前方へと跳ね上げた。強化魔術で通常よりも数倍の跳躍力を手にした彼の身体は、正確に死神犬と同じ方向に消えた。

 

ハリーがスニッチを追ってマルフォイと名チェイスを繰り広げて会場を虜にする中、一匹と1人は会場外へと逃走を始めた。高さ30メートルはあろう最上階から飛び降りた犬の直ぐ後で、士堂もまた地面に舞い降りる。着地の瞬間に強化魔術を足裏に展開するものの、衝撃は完全には殺せなかった。一瞬うめき声をあげるものの、視線は細長い黒い塊から離れていない。

直ぐに駆け出し始めた士堂は、強化魔術を施し直す。

 

『加速せよ、我が脚! Accelerate pedibus meis!』

 

視界に入る木々が、まるで水を溢した絵の具の様に溶けていく。と同時に犬の後ろ姿もまた、どんどん近くになってきた。気合と共に投げ飛ばす2本の黒鍵は、犬の左右に音を立てて突き刺さった。衝撃で砕け散る刃が辺りに散らばるが、犬は気にする事はない。

黒犬は会場から禁じられた森へと続く小藪の中に突き進む。その後を追う士堂だが、何如せん小枝などをかわさなくてはならず、一気にスピードが落ちてしまった。薄暗い木々の中で徐々に獲物を捉えきれなくなっていった士堂は、残り2本の黒鍵のうち1本を、引き絞る様にして解き放つ。

『corvus volant quoque nihil mons sheng (鴉は飛び立ち、山々を超える)』

『主よ、この不浄を喰い改め給え!』

『鳥葬式典!』

黒鍵は命中する事なく、ジグザグにステップを踏む黒犬の横にまたもや突き刺さった。しかしその破片が鴉となって犬に襲い掛かろうとするや否や、ぐじゃっとした鈍い音が聞こえてくる。

 

「や、やったか?」

 

魔術強化を解除した士堂が側に近寄ると、鴉達も黒い霧となって霧散した。彼の目の前に落ちていた黒い塊を見た途端、胸糞悪い感情が湧き上がってきた。

 

「…何? マジか?これ?」

 

しかし目の前には犬の死体があったわけではない。黒いビニール袋が、鉄の破片で食い破られた無惨な姿を晒しながらその場に落ちていた。

犬は、死神犬は逃げ延びたのだ。




気分的に乗れたのか、今回は比較的早く書けました。また不定期的に書くことになると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
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