ハリーポッターと代行者   作:岸辺吉影

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炎のゴブレット編
世界


リトル・ハングルトンはロンドンから300キロ離れた場所にある田舎町である。とりたてて特徴のない、強いて言えば老人が人口の大半を占めつつあるだけの、それだけの村であった。そして村を見下ろす丘に聳え立つ館は、村を何十年も前から見守ってきた。

館は屋根瓦が剥がれ落ち蔦にまみれた壁はそのままに、ボロ木で塞がれた窓に隙間風が吹き込んでいる。手入れなどされた痕跡すら残っていないボロ屋敷であるが、村どころか近隣にすら無い大きさの館だ。所有主は大金持ちで、村の人は税金対策のために壊さないと言っているが、その意味を理解できる人間は1人もいない。

 

だがこの館は今尚、50年も前の持ち主の名前をとって『リドルの館』と呼ばれていた。50年前、この館で住人3人が死亡する事件が発生したのだ。単なる殺人であろうが自然死だろうが暇な村では噂話になりうるが、これだけは毛色が違ったのである。

 

3人とも死んではいる。しかし解剖した医師が死因を特定出来なかったのだ。死因とは文字通りその死体が死に至るプロセスであるが、全く持って分からない。身体には何ら変哲もなく、毒物どころか異物すら検出されないのである。担当医師曰く、それまで健全に活動していた心臓が電池が切れた時計のように、ピタリと止まったとしか言いようが無いらしい。

そんな事が非現実的だと言う事ぐらい、ここの住人ですら理解できた。とりわけ3人の死に際の表情が、恐怖という字が描かれているかのような凄惨なものだった事が住人を恐れさせた訳だ。お陰でこのリドルの館に近づくのは悪戯好きの子供ぐらいであり、住人は遠くから暇な時丘を指さしながら語り継がられてきた怪談を怖がるだけだった。

 

だからリドルの館に真夜中灯りがついたとしても、どこかのガキが忍び込んだとしか考えなかった。館を管理する変哲な老人がいることだから、誰も館など気にも留めていない。

その館で老人が事切れた身体を投げ出していることも、村ではお目にかかることのない、奇妙な人間達が集まりつつあることも知られていない。正確に言えば知られてはいたのだが、知っている人間は既にこの世から消え去ったのだが。

 

 

うってかわってロンドンから遠く離れた郊外、西に200キロは離れた場所にソールズベリーと呼ばれる土地があった。700年の歴史を持つ大聖堂が有名だが、なんと言ってもストーン・ヘンジが有名な都市である。誰が作ったかなぜ作ったか、明確な答えが出ていないものの多くの人を虜にしてきた遺物でだろう。

ストーン・ヘンジを遠くに見る町外れの丘に、教会があった。それほど大きくもなくとりたてて特徴のない教会であるが、その裏にある森からは連日のように土煙と騒音が撒き散らかされていた。近所の住民には何一つ勘づかれていないが、素質ある者は異常な音と衝撃を感じ取る事ができたはずだ。

協会に隣接する小屋の中で、人の女性が台所の前で手を吹いている。年齢を感じさせる外観であるが、立ち姿からは老いなどみじんも感じさせないものがあった。彼女は疲労から痛む腰を手でさすりながら、裏手の森に足を運んだ。

 

「士堂、もうお上がりなさい。支度をしましょう」

 

道子が声をかけると、爆音がピタッと音を止めた。その後森から出てきた少年は下に短パンをはいているだけで、上半身には何も着ていなかった。

 

「何です行儀の悪い。上ぐらい羽織りなさいな」

「いいじゃないか、誰かが見ているわけでもあるまいし」

「そう言う問題ではありません。みっともない格好は恥ですよ」

「誰かがいるなら辞めますよ。そうじゃないなら気にする必要ないじゃん」

「屁理屈ばかりいうようになりましたね」

 

少年の背丈は同世代でも高い部類だ。その細身ながら引き締まった肉体は、汗にまみれて日光を反射させている。祖母から渡されたタオルで体をぬぐいながら、彼は小屋に帰ろうとしていた。

 

「準備はできていますね」

「何回めだよ、大丈夫」

「まあ、なんという口の利き方… 気をつけなさいな。これから行くお宅は言葉遣いで態度をころころ変えますよ」

「わかってる」

 

祖母と並んで歩きながら小屋に戻った士堂は、まっすぐ台所の冷蔵庫に向かった。背後から祖母の叱りの声が聞こえてきたから、肩をすくめて手を洗うことにする。軽く手を流水で注いでから、冷蔵庫の中身を物色し始めた。中から麦茶を取り出した士堂は茶色い液体をグラスになみなみと注いでは、一思いに飲み干していく。2杯3杯と立て続けに飲み干してから、空の容器とグラスを台所の流しに置いて2階に上がっていった。

自室でトランクの中身を確認した士堂が荷物を玄関口に置いていった。最後にフギンの籠を抱えて下に降りると、化粧をした祖母が玄関口に立っている。

 

「士堂、飲み終わったら自分で洗いなさいな」

「いいじゃないか、たいした量じゃないし」

「よくありません。まったく困った子ですね…」

 

道子は右を向けといったら左を向くようなものいいの孫にあきれつつも、それ以上何も言わなかった。彼女は黒のワンピース、それもゆったりとした袖がついたくるぶし丈のものを着ていた。裾の大きいベール上の頭巾をかぶり、革の腰ひもには十字架のネックレスがつけられている。いわゆるトゥニカ・ウィンプル・ロザリオと呼ばれるカトリックのシスターの正装だった。

 

「なんでまた修道服なんか来てるんだ?」

「あちらの家は警戒心が強いですからね。こうした格好の方が都合がいいでしょう」

 

対する士堂の格好は赤のtシャツに灰色のパーカーを羽織った程度の、何の変哲もないものだ。祖母と並ぶと指導された子供のように見えなくもないが、言ったところでどうにもならない。士堂は玄関先に止めてあるアストンマーチンDB5のトランクを開くと、次々に荷物を放り込んでいった。

 

「祖父さんは来ないのか?」

「ええ、今は客人とお話し中です。話すと長くなるそうですから、私達だけで行きますよ。

ーまあ、早くお乗りなさい! 時間が無くなってきましたわよ!」

 

祖母が首に下げている懐中時計を見たとたん、慌てて運転席に乗り込んだ。無駄話はしているつもりはなかったのだが、案外時間を悠長に使っていたようである。だが既に助手席に乗り込んでいた士堂にとって、それは馬鹿げた話だった。彼は祖母がMTのレバーをガチャガチャと動かし、急発進する車体の中で今年も波乱の一年が待っていることを確信するのだ。

 

 

士堂の住む教会には、いくつかの地下施設が存在する。あまり広い土地を持てない祖父母が生み出した苦肉の策であったが。強いて言えば、地下に近くなるにつれて霊脈と呼ばれる強大なマナの効能を、より効率的に活用できるメリットがある。大地が自然の営みの中で得た莫大なマナは、今ストーンヘッジの中心部に向かって伸びているそうだ。古代の民は霊脈を用いるために、あの遺跡を建てたという魔術師が一定数いるのはそのためである。

地下施設は個々に特性があり、一つとして同じものはない。マナを浴びた粘土質の壁が剥き出しとなっているこのトンネルは、古代の民が築き上げたものを士柳が再利用させて貰ったものだ。ともすれば張り付くようなマナを感じるトンネルを下に降っていくと、大きな部屋に辿り着く。奥の壁中央に暖炉が置かれており、地下特有のひんやりとした空気を赤々とした木炭が灯りと熱を放ちつつ、暖かく包み込んでいた。

 

「さてはて、このクッキーで挟み込んだアイスはいつ食べても格別じゃな。ワッフルコーンのほれ、上にチョコがかかったあれもの。暖炉の前に座るとついついアイスが進むのぅ。残念なのは炬燵(東洋の発明品)と今日はご対面できんことじゃ」

 

暖炉の前には大机と深椅子が置かれており、まるでホグワーツの、それもグリフィンドールの談話室と似た構図であった。深椅子に腰掛けつつ最中アイスを口いっぱいに頬張りながら、ダンブルドア校長は次のアイスの袋を破っている。

 

「アルバス、食べすぎるとまた腹を壊す。髭に細かい屑が沢山」

「ん? あっはっはっ。一々細かいことを申すな。ちょっとぐらい老い先短い老人のデザートタイムを楽しませては、くれんかの」

 

熱い紅茶でアイスを流し込むと、今度はチョコレートで全面をコーティングされたアイスを口にする魔法使い。士柳が呆れ気味に額に手を置くと、彼の隣でパチリと音がする。

 

「そこの痴呆老人。私はアンタとは違ってまだまだ先があるんだ」

「チッチッチ。そう慌てなさるな、減りゃせんわい」

 

女性だ。すらりと伸びた脚から見て分かる通り、かなりプロポーションがいい。だが紅色のロングヘアも鼻筋の通った顔立ちが与え聡明な印象も、気怠そうな彼女の表情が打ち消してしまう。銀色のジッポの蓋を閉じ、細い煙草を緩慢に吸っては、糸のような煙を吐いていた。

しかしダンブルドア校長は女性からの非難の視線を、軽やかにかわしてみせる。手元の小机に置いてあるクーラーボックスからアイスを幾つか取り出すが、差し出す前に女性はダンブルドア校長をこれでもかというぐらいに睨みつけてきた。

 

「そんなに睨まんでもいいじゃろうに」

「爺様。こんなボケ老人に合わせてたら頭の脳細胞が腐っていくよ」

「口が悪いの、本にお前さんは眼鏡さえしてくれりゃいい女なのにの。橙子や」

 

青崎橙子は士柳の愚痴を一蹴すると、紫煙をくぐらせながら再度魔法使いに視線を向けた。丁度彼が手にしたアイスを食べ終わった時を、見計ったかのようだ。

 

「で? わざわざ英国の地下で日本のアイスを自慢するために、私を呼んだわけじゃないだろう」

「どうじゃろう。お前さんはあまり遊びがないからの」

「もしそうなら、私は帰らせてもらうよ。まだ研究しなきゃならない資料が山積みなんでね」

 

橙子の言葉は刃のように鋭かった。常人ならたじろいでしまうほどに心の障壁を切り崩すだろうが、魔法使いは何も動じなかった。顔中に刻まれた深い皺一つもピクリとしない、岩のような魔法使いは手にしたティーカップを小机に置く。

 

「じゃがいつまでも君を揶揄うのは、大人として恥ずかしい。故に本題に入らせてもらう」

 

息を吸い込んだダンブルドア校長は、深椅子に背中を預けるようにしていった。灯りは暖炉しか無い部屋で椅子に深く座り込むと、彼の身体は暗闇に半分以上飲み込まれ、辛うじて輪郭がわかる程度である。橙子もまた肘掛けに肘をつきながら、紫煙をくぐらせていた。

 

「今魔法界に、かつてない危機が迫っておる。大半の人間は信じとらんが、これは間違いなく現実なのじゃ。確かな情報筋からの知らせというものが、悉く悪い方向へと転がりこんでおる」

 

校長は指を腰の辺りで絡ませる。また背もたれに体重を預けたから、彼の輪郭すらおぼつかなくなってきた。それでも橙子は動じる事なく、小机に置いである灰皿に灰を落とす。

 

「もしわしらの懸念が回避できないとするならば、少なくない人災となってしまう。わしらはどうにかそれを回避し、よしんば出来なくとも最小限に留めたいのじゃ」

「わしも同意見じゃい」

 

士柳が会話に入り込んできたが、橙子は一瞬視線をずらしただけでまたダンブルドア校長に真っ直ぐ向き直った。

 

「ここからが大事な事じゃ。懸念が現実と化した時、少なくない悪影響が魔法界のみならず、そちら側ー魔術界にも出ると考えておる。

だからこそ、君に遠路はるばる招待させてもらったわけじゃ。どうじゃろう」

「断る。話は以上だ」

 

ダンブルドア校長が言い終わる前に、橙子は被りを振った。煙草の火が斜め下に煙を吐き出す中、彼女はそれ以上何も言わない。以外にも士柳は橙子の返答に驚くことなく、一息ついてからダンブルドア校長の方に目配りをした。

 

「…理由を聞かせてもらってもいいかな」

「一々訳を話さなくては分からないなら、そもそも論外としか言いようがない。私は耄碌した老人の後始末をしなくちゃならない道理も義理も無いね」

 

校長は深く腰掛けたまま、やはり岩のように動かない。だが腰辺りで組んだ手が小刻みに震え、互いの指の背を撫で回し続けていた。

橙子の発言から会話が止まり、薪が割れていく音と炎が燃え盛る音がBGMとなっている。橙子は限界まで吸い尽くした煙草を灰皿に押し付けると、新しい一本を箱から取り出しジッポの蓋を開けた。間抜けな乾いた音の後にチッという音がすると、濃い紫煙が部屋の真ん中に撒き散っていく。

 

「そう言わんで貰いたい。耄碌老人に、解説してくれはせんかの」

「…アルバス・ダンブルドア。それは本気で私に言っているのか?それともまだおとぼけ老人のままかい?」

「君の見立てに従うまで」

 

 

青崎橙子は視界の端に見える灰が垂れ下がってきたのを見て、煙草を灰皿の淵に落とす。指で軽く淵を叩きながら、丁度向かいに腰掛ける老人を、名状しがたい表情で見ていた。

 

「…私とアンタ達は短くない付き合いだ。爺様は元々魔術師では無いにしても、近しいものである事に変わりない。そして今は違くても、曲がりなりにも青崎の正当後継者だった私」

 

橙子は理解できなかった。

 

「私達魔術師ーつまり本当の意味でのー は、根源に至る。それが目的であると同時に、それ以外興味がない生き物さ。手段としての魔術や妖術、道術、陰陽道に世界の理。彼等に関心を向けるのは、偉大にして途方も無い、呪いにも似た目的が明確に存在するからだ」

 

彼は私達をよく知っている筈なのに。

 

「君達の懸念とやら。成る程人間として考えてみれば、迷惑きまわりないかもしれない。でもねアルバス。

たかだか数百万人死ぬ程度の重みの無い殺人鬼に、私達はどうも無い」

「数百万人が、かな」

「ああ。神秘の欠片もない気が狂った人間なぞに、付き合うだけ無駄だね。だってそうじゃないか。彼は成し遂げていない。何をした?何を変えた?」

「…奴は殺人鬼である。だが君と同じ功績を残した稀代の天才じゃ。甘く見ては」

「噛みつかれる猫は君だって? 噛み付ける度胸があるならそれでいい。14年前、あの男が私達にしたことを忘れてはいない。

あの時点で私達は、そいつを見限っているんだ」

 

魔術師は世界の平和など望まない。中には望む者もいるが、多くは先祖代々の悲願という名の、自己満足の世界から抜け出せない異常者である。そんな連中が人を殺すだけしか頭にない人間に、どうして興味を向けると思うのか。

聞けばいい。時計塔も聖堂教会もアトラス院も、工業製品のような返答を発表するに違いないのだから。

 

「人が、無垢の民の命がかかっているのだぞ。どうしてそのような事が言えるのじゃ」

「泣き落とし? 冗談じゃなく本当に耄碌し始めたのか?」

 

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士柳は隣に座る長年の友人が口を開かなくなったことに、一抹の不安を感じていた。彼自身も橙子の返答は簡単に予想できたのだが、友人はどうやら違うように見受けられた。

20年前も同じ答えだったが、何をこの友人は期待しているのだろうか。目を細めて頬杖をつく橙子と共に、士柳はダンブルドア校長に無言の問いかけをしていくのだった。

 

「…そうか。それがやはり君達の、魔術師の答えと言うわけか」

「二言はない、アルバス」

「ふぅむ。こうもはっきり断言されると、心がへし折られるようじゃ」

 

校長は椅子と同化するのではないかというぐらいに、深く腰掛けて溜息をついた。お陰で橙子も士柳も彼の表情を窺い知ることができなかったが、2人は例え見れるとしても見る気はさらさらなかった。

 

「泣き言をついでながら言わせて貰いたい。いいかの?」

「私でよければ」

「聞いてくれるのかの?」

「聞かないと言っても喋るんだろ?なら最初から聞いておくよ」

 

喉から出た掠れ声のような笑いをすると、ダンブルドア校長は語り出した。それはまるで独り言のように、誰に聞かせる訳でもないと言った具合だ。

 

「…ヴォルデモートの復活は間違いなく、迫っておる。無論に阻止するつもりじゃが、わしは止められるとは思っていない」

「予言のことが?」

「予言っていうとあの時の?」

「そうじゃ、ミス・青崎。あの予言に従うならば、あの男の復活は避けては通れない。いや避けてはならん事だと考えておる」

 

橙子と士柳はお互いに目を見合わせた。

 

「2人には言っておらんかったかの。つい最近、トレローニ先生が新たな予言をしたのじゃ」

「信用性がないな、爺様が信じていなきゃ私は彼女をどうとも思わないが」

「ハリーの前で、予言したのじゃよ」

「なんと…」

 

士柳は口元に手を置いて、眉に皺を作った。橙子の目から揶揄いが消え、真剣な色が出てくる。

 

「成る程、それなら信用性がある。で、それと魔術師とがどう関係ある」

「魔法界ではヴォルデモートはタブーじゃった。名前を出すことすら許されず、本にもまともに名前が出ておらん。わしは常々恐怖の歴史を隠すのではなく、大人達が正確に伝えていかなくてはならないと言ってきた。そして残念ながら、わしが恐れていたことが起きたのじゃ」

 

ダンブルドア校長は深々と溜息をついた。それは力のない、落胆の溜息だった。

 

「ミス・青崎はクディッチは知っておるかな? クディッチのワールドカップが今年、それもあと数日で始まろうとしておる」

「…へぇ。そちらさんも酔狂な催しをするもんだね」

「防犯対策はしておる。じゃがわしら魔法使いは能天気なところがあっての、マグル対策を講じても平気で破る輩がおる。ウィズリーのように好奇心からやるのとは違い、単なる奢りからじゃ、マグルには分かるまいというな」

「私にはどっちも理解できないが。どう転んでも大勢の利益にはならない」

「そうだろうとも。魔術師の秘匿性は関わりづらくて敵わないが、ことこういう時には羨ましくてならない」

 

魔法使いだろうと魔術師だろうと、関わりのない一般人から隠れようとはする。しかし個々の繋がりが乏しい魔術師と比べ、魔法使いは一つの世界を形作る程に縦横の繋がりが深い。つまり誰かが秘匿してくれるから、自分達は気にする事はないと考える魔法使いは一定数存在するのだ。

普段なら問題ない彼らだが、こと魔法使いが一番熱狂するスポーツの祭典において、この能天気さは自分達の首を絞める行為になりかねない。更に残念な事に、普段は弁えている魔法使いまでも浮かれ気分でマグルからの視線を考えなくなってしまう。

 

「そんな時に、防犯などできん。策を練っていない訳ではない。それは当たり前じゃが、マグル対策の方に人員を避けなくてはならないのじゃよ」

「そんな馬鹿な事があるか? アルバス」

「ミス・青崎。さっき話した弊害というのはの。魔法使いの連中はヴォルデモートが復活するとは考えていないのじゃよ。いや正確には、考えたくないのじゃ。子供だけでなく大人すら怖がっているものだから、そんな物騒な不安など、頭から消し去りたくてたまらないのじゃ」

 

ワールドカップは文字通り世界から観戦客が集まる。ヴォルデモートが復活するならば、この機会は滅多ない。普段なら警戒される遺跡も使いやすくなり、大規模な魔法陣も余裕を持って準備できる。例え復活の儀式でなくとも、何らかのアクションが起こる事は容易に想像できた。

しかし魔法省はヴォルデモートのヴの字も出さなかった。出そうものなら降格処分が下されかねない雰囲気なのだ。警戒対象はあくまでも魔法犯罪や魔法泥棒の類で、ヴォルデモートのことなど想定すらしていないのだ。

理由は繰り返す事になるが魔法省、つまりは大人が考えたくないという一心で警告を握りつぶしているからに過ぎない。

 

「だから君達が必要だったのじゃ。どうかな、これでもまだ」

「関わりはないね。正直目の前で大虐殺が起きても、手元にある失われた原書に気を取られるのが私達だ。目の前や世間の災害から目を逸らして、夢追いという名のマスターベーションに走る、それが魔術師の本性」

 

魔術師は秘匿に絶対的ではあるが、外界と接触しない訳ではない。アトラス院という例外はあるにせよ、何らかの形で外界と結びついている。

外界から断ち切る事ができず、さりとて深く関わろうとはしない。青崎橙子は魔術師の、己が弱さをはっきりと自覚していた。

 

「ふむ… これは無理だろう。わしとしたら優秀な人材は猫の手も借りたい程に欲しているのだが。その調子では知人関係を頼るのも脈なしじゃろう。

やれやれ、わしらだけでやるしかないわい」

「爺様は助けるんだろう?」

「根源に興味はないからな。旧友が困っているのであれば、老ぼれでも出来ることはするさな」

 

橙子はふっと笑うと、ジッポの蓋を閉じた。ダンブルドア校長が肘掛けに手を置いたのを見て、彼女は咥えていた煙草を灰皿に押し付ける。ゆっくり立ち上がった校長が暗い通路を登ると、背後から士柳と橙子の2人が続いた。

地下通路を登り切った3人が地上に出ると、教会の背後の森だった。森から教会の目の前に走る道路まで歩きながら、3人は別れの挨拶を交わす。

「では詳しくは手紙に書いておいた。何か疑問があればフクロウ便を飛しておくれ」

「分かった。どうせワールドカップには行くことになりますし、誰か信用できる人間を推薦してもらえると助かる」

「手配しよう。ではまたいつか、ミス・青崎。君の書く論文も非常にわしの関心をひかせるが、どうだろう。今度は是非ホグワーツに来るといい。わし自ら案内しましょうぞ」

「岸の向こう側の学校は少しばかり興味があるね。暇が出来たら呼んでくれ、それでいい」

 

橙子は別れの挨拶をしながら何処からか出した眼鏡をかけた。するとそれまでの緊張感ある男性的な雰囲気が、一気に変わった。融和的な、本来の女性らしい丸い印象が前面に出てくる。

 

「それでは、またいずれ。ミスター・アルバス・ダンブルドア。貴方の輝ける魂に幸がある事を」

「ああ、ありがとうミス・青崎。論文とご来訪、待っておりますぞ」

 

道路を背にして手を振るダンブルドア校長に、軽く会釈する士柳と橙子。和やかに微笑むダンブルドア校長は、最後に手元に持った杖を一振りした。

 

 

「これは君の優秀なる頭脳と未来への投資です。どうかお楽しみいただきたい」

 

言うや否や彼の身体はその場から消え去った。橙子は手元に現れた大きな箱を抱き抱えながら、その場に立っている。

 

「それはなんじゃろう? 彼がこんな無粋な箱を贈るとは考えられんのだが」

「…もしかしたら」

 

箱は古ぼけた段ボール箱で、側面には中国語で何かが書いてある。インクの途切れ方や雑な印字からして、年代は多少遡るようだ。橙子は何を思ったか贈り物の箱を無造作に開封して、中身を漁り始めた。

 

「それはもう作成されていないのではなかったか?」

「ええ。恐らく何らかのー 方法を使ったのでしょうね。全くつくづく面白い」

 

煙龍という名のこの煙草は、台湾の職人から箱一箱だけ橙子が受け取った特別な品である。彼女曰く不味いで終わる煙草だが、コレクションの中でも片手に入る程度には気に入っている品であった。ダンブルドア校長は魔法を使い、それを丸々一式同じものを彼女に贈った訳である。

 

「この量があるなら、誰かに多少譲っても支障をきたさない。まぁそんな人間は少ないでしょうけれど」

「わしが入っているようでよかった」

 

段ボール箱から取り出した小さな箱を一つ、士柳に手渡すと彼は苦笑いを浮かべた。

 

「わしは吸わんけれども、気持ちだけ貰っとこう」

「あら、息子さんは吸うのに、爺様は吸わなかったんでしたっけ」

 

途端士柳の顔が、苦々しくなった。表情の見事なまでの裏返りに、橙子はコロコロと言った感じで笑い始めた。

 

「いい顔しますね、相変わらず」

「よくもまぁ、触れてくれるな。普通なら空気を読んで触れんところぞ」

「爺様が面白いのがいけないんです」

 

その笑いは魔術師特有の、常人ではない笑いだった。つまり人間らしい感情の起伏であったり五感の反応、それが発現したことに対する一種の嘲笑に近い。魔術師は異なる理を進むが故に、常人の思考というものを排除するのだ。正確には一見普通の人間らしく振る舞うものの、実態は空虚な仮面を場面に応じて使い分けているのに過ぎない。

人間らしさが魔術師の中では強い橙子であっても、これなのだ。士柳が関わってきた魔術師は、皆何らかの方法で彼の感情を揺さぶろうと一度はしてきた。全て観察によるインスパイアを得ようとしたものだったが。

 

「魔術師は凡人には気を配らぬ筈だろうに」

「貴方の人徳でしょう。でもあまり気にしてはいないようですね。息子さん達の件」

「気にしてどうなるものではない。2人は死んだ、それは未来永劫変わる事はない」

 

橙子が言うのは、先日訪れた来訪者の事だ。士柳は詳しく語ってはくれないものの、先の大戦での会話だと言う事を橙子は推察していた。その反応を見るに、彼なりに思うことがあった筈だが、橙子には1ミリも話す機会を与えてはくれない。

 

(まぁ、死人の思い出話を掘り返したところで私に益はない)

 

橙子は大事そうに段ボール箱を抱えると、まだ口をモゴモゴと動かす士柳と共に、教会に向かって歩き出した。

 

「そう言えば、そろそろハリー達を連れて士堂が戻ってくる頃だろう。どうだい、会ってみないか?」

「よろしいので?」

「とって煮るような真似はしまい。それに単なる子供ではなく、『死を乗り越えた人間』と言えば、会いたくもなるだろう」

「『死を乗り越えた人間』 興味を惹く言い回しですこと。一度お目にかかっても損はしないでしょう」




4章開始。やっと青崎橙子登場です。
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