昆虫の中には、動物の体毛にしがみつく事で自分の体力消費を最小限に抑える種類が多数報告されている。植物も動物の糞に種子が残るように創りを変化させ、己が生息領域を全世界へと自ら動く事なく広げていくのだ。つまりこの地球において、移動手段なるものは何かで代用するのが摂理であると言えなくもない。
そして人間が得た移動手段の中で、現在地上移動で最も有効であり使用頻度が高い代物に、士堂は身を預けていた。窓の外では茶色の煉瓦でできた家々が視界から消えたと思うと、窓ガラスで覆われたビルが目に入る。節操もない光景が連続的かつ秩序なく流れる様を、彼はただただ眺めるだけだった。
アストンマーティンは黒の車体を実に滑らかに走行している。1960年代のオールドカーであるが、年代を感じさせない走行ぶりから如何にこの車に手入れが施されているかは、素人目にも明らかだ。
「あなたはハリーの育ての親と会ったことはありましたか?」
「見ただけだな。話しかけづらいというか、向こう側が話したくない雰囲気を出していたよ。祖母さんもそうだろう?」
「ええ。会釈しようとしたら、とんでもないぐらいに睨みつけられました。粗相があったかどうか分からぬままに、彼等は消えていきましたもの。あの調子だと考えると、ハリーがよく耐えていると思いますよ」
完全には耐えてはいない。思わず反論しそうになるが、士堂は言わずにいた。ハリーは年々ダーズリー家の扱いに慣れを見せつつあり、最近では親戚のダイエットに付き合わされて困っているという手紙を寄越してきた。直ぐに日持ちする乾燥食物を送ったが、他にも友人達から援護の物資が彼の部屋に届いている筈だ。もうハリーも子供じみた反抗をするだけでなく、こうした隠れた抵抗ができるようになった。それでもハリーの心も身体も、限界のラインぎりぎりを彷徨っているであろうことは、簡単に想像できてしまう。
ならばさっさとハリーを連れて帰ればいい。結論は意外なほどまで単純であるが、士堂が考えられる手段はこれ以外思いつかなかったのも事実である。そんな士堂の決意を知ってか知らずか、祖母が駆るアストンマーティンは着々と目的地へと近づいていた。
プリベット通りはサリー州はリトル・ウィンジングにある通りの一つだ。煉瓦造の戸建てが建ち並ぶ、イギリスでは何ら珍しくもない平凡な通りであった。4番地にある戸建てもまた、外観は他の建物と大差ないとしか言いようがないのである。
だが中に住まう人達は、朝から落ち着きのない生活を送っていた。住居に住む4人は用もなくその場を歩き回り、壁に立てかけてある時計をチラ見しては、溜息をついたり苛立ったりしている。不快な形容詞を付けたくなるほど肥えた大男と子供、彼等に栄養を奪い去られていると推察してしまいそうな線の細い女性は、どうやってこの時間をやり過ごすかで頭が一杯のようだ。
対してリビングの片隅で鞄を抱え込んで床にしゃがみ込む少年は、一見すると時間のやり繰りに困っているようだ。しかし彼は時間が早く過ぎてくれる事を待ち望んでいるのだ。ダースリー家から離れられる千載一遇のチャンスなのだから。
ハリーがこれほどの高揚感をこの時期に覚えた事は、一昨年以来だったであろうか。昨年はつまらぬ意地でー ハリーからすれば全く許しがたく、つまらなくもないがー 家を飛び出してしまった。一昨年はロン達が不遇なハリーを助けに来てくれたのだ。あの時の高揚感を、また味わえるとは夢にも思わなかった。しかも今年は真正面から、ダースリー家からお別れすることができる。
元々ハリーはロンから、今年開催されるクディッチ・ワールド・カップに招待されてはいた。だがあくまでも可能性の話であり、ロンの父のアーサーがチケットを確保してくれなかったら御伽噺にしかならない。ハリーは期待をあえてせずに、ロンからの吉報を自室で待つ事にしていた。
チケットが無事に取れたとロンから連絡が来た時、ハリーは飛び上がらんとする自分を抑えるのに精一杯だった。学期前の休暇を忌々しい自室で過ごさずに住む事に感謝した訳だが、問題があったのだ。
そもそもの問題の根底は、ハリーの実の両親が魔法で殺害された故に、彼を魔法を使えぬ一般人の家庭で保護している事にある。これでハリーを実の子のように大切に育ててくれるのであれば問題ないのだが、育ての親はハリーを、邪魔者扱いしていたのだ。そして魔法という名に対して、過剰なまでの拒絶反応を示すのである。
これが困った。ハリーは今すぐにでも飛び出したいのであるが、ロンとその家族は純然たる魔法使いである。正面から挨拶しようもんなら、猟銃でも使われかねない。しかもマグル(非魔法使いの事だ)に関しては先見の明があるアーサー・ウィズリーにしても、適切な対処が出来るとは思えなかった。彼のことは非常に好いてはいるのだが、マグルの特に道具に対する好奇心には若干引くような目で見ることがあったからだ。
その彼が典型的なマグルの家を訪れて何もないはずがない。混乱は目に見えていた。
解決策がハリーの元に届いたのは8月中旬の夜だっただろうか。ダースリー家の長男、ダドリーのダイエット食に付き合われたハリーが辟易しながらグレープフルーツを口にしていた時だ。既に食事を終えた主人のバーノン叔父さんが、届けられた郵便物を仕分けしていた。
チラシや手紙の中に埋もれた一封の封筒を手に取った叔父さんが、封を開けて中身を確認したときだ。
「…ハリー。お前小学校の時、教会なんか行っていたのか?」
「えっ?」
「教会からお前宛に手紙が来ている」
「教会? …ああそうか、そうだね。うん、知り合いが教会にいるんだ」
「知り合い? お前なんかに知り合いなんか…まさか、この前来た詐欺まがいの手紙と関係あるとは言わせんぞ、そんなことは認めやせん!」
叔父さんは一旦ハリーに手渡そうとした手紙をひったくると、自分で読もうとした。叔父さんの座る座椅子の背から覗き込んだ手紙には、几帳面な筆記体でツラツラと文面が記されている。その字を見た時、ハリーは何故かハーマイオニーを思い出した。
[主の御名を讃美します。バーノン・ダースリー様。突然の手紙の送付、ご無礼だと存じます。
私はソールズベリー大聖堂・第5分院所属シスター、道子・安倍と申します。
今回私どもの教会で、御不幸などでご家族を亡くされた遺児達への、支援プログラムを実施する事になりました。内容としてはイギリスで行われるサッカーの試合を生観戦しつつ、周辺地域の観光をする事で子供達のストレスを発散し、養父母方との円滑な生活をお送りできる手助けをしたいと考えています。
対象となるイギリス全国の遺児達へと送付しておりますので、当日は全国から少年少女が参加する事になります。この機会に新たな交友関係を築いてみては如何でしょうか?
主の御下命のままに、イギリス国教会とバチカンの遺児救済募金と遺児救済積立金の御補助により、保護者の方々が負担する費用は全くありません。
参加をご希望されるようでしたら、郵便でご返答ください。専用の通信士を用意させていただきましたから、当日の朝までご対応できます。
良い返事をお待ちして、貴方に御国が来ますことを]
「9月1日? この前、うちに来た頭のおかしい連中の祭りも9月1日だったな?さてはお前何か企んだか?」
「そんな訳ない。僕は教会に知り合いはいるけど、手紙をワザと送ってくれなんて頼まないし。それに僕がクディッチのワールドカップに行くなんて分からないよ」
「わしの、前で、その名を、言うな!!」
バーノン叔父さんは頭がおかしくなりそうなほどに、怒りまくっている。ペチュニア叔母さんはいつもなら叔父さんと2人でハリーを責めるものだが、今は宥めるのに必死でハリーの事は放っておいていた。学校に押し付けられた、不本意なダイエット中のダドリーが親の目がない隙に、お菓子やホットスナックを求めてその場を這いずり回るのにも気にせずにハリーは叔父さんに話しかけた。
「でも叔父さん、考えた方がいいよ。もし僕がこれに参加したら、叔父さんが嫌いなほではじまる学校に行かなくて済むかもね。だって予定表を見たら結構長い日数かかるみたいだし、もしかしたら列車に乗り遅れるかも」
「そんな言葉信じられるか! お前はわしを騙そうとしている!」
「でも普通にこの手紙は届いた。普通の郵便物として。もし魔法使いならこんな手は使わないし、何処か変な形で送ってくるよ。宛名に変な点はないし、信用できるんじゃない?」
「それにあなた、ソールズベリー大聖堂と言ったらイギリスでも指折りの教会じゃなかったかしら。そんな所があの悍ましい学校と手を組むはずが無いわ」
「だがわしは知らんぞ、そんな場所。何で知っとる?」
「ご近所様が自慢してたもの。先月の日曜礼拝、そこにわざわざ行ったそうですよしかも毎回。あの3軒隣のキュキさん。スーパーの前で立ち話していた時、聞いてもいないのに教えてくれましたわ」
ちっとも羨ましそうには見えない顔で、ペチュニア叔母さんは言った。バーノン叔父さんは手紙と封筒を交互に見てからハリーをマジマジと見つめると、鼻息を吹く。
「…癪だが認めるしかあるまい。行ってこい」
「本当? 叔父さんありがとう!」
「だが荷物は」
「それは無理だよ。サッカー会場から学校に行かなきゃならないかもだし。それにこんなもの部屋にあったら、叔父さんの心がおかしくなるかもよ。何故かは分からないけど」
ハリーが意味ありげに眉毛を動かすと、叔父さん夫婦は顔を見合わせた。鼻穴を大きく膨らませていた叔父さんはハリーの顔、特に額に刻まれた稲妻型の傷をマジマジと見つめて、ぶるりと身体を震わせる。
「わしは、知らん! さっさと出て行けこの怪物が」
ダーズリー家は、あれからよく眠っていないようだ。ハリーが密かに学校用具をまとめている時も、玄関先に持って行きやすくする為に整理するときも、昼間だろうが夜中だろうが1日の内何処かで怒鳴り声と鳴き声が聞こえてきた。昨晩は喧騒が1番長く続き、真夜中にドアの開閉音が大きく聞こえたのが最後だったように思われる。
とにかく人生で初めて平穏にこの家から離れることが出来る、夢物語実現まであともう少しだった。
午後5時になった。外は夕焼けが沈み始めたものの、季節もあってまだまだ日が登っている。窓から指す日光が一際強くダーズリー家に入り込んだ。
ドアベルが鳴った。3回、一定のリズムで。落ち着きのなかった4人の動きがピタリと止まり、全員の視線が玄関先に向けられた。皆何か言いたげな表情であるが、手を動かすことすらない。
数分経っただろうか、またドアベルが3回鳴った。バーノン叔父さんは意を決したかのように、大袈裟なまで慎重にドアノブに手をかけた。鍵を開けつつドアノブを捻っていく叔父さんの手が後方に引かれそうになった時、ドアが自然に開いた。ハリーにはそう見えたが、バーノン叔父さんはそうとは受け取らなかったらしい。体勢を後ろに崩しながらドアを開けると、2人の人間が玄関先に立っていた。
「我らの父と神と主人より、あなたに平安と祝福があらんことを。ミスター・バーノン・ダーズリー。私、手紙を差し上げましたソールズベリー大聖堂第5分院所属シスター、道子・安倍で御座います」
道子は義理堅く丁寧にお辞儀をしてから、胸につけたロザリオで簡単に祈りを捧げた。まさか玄関先に初老の老婆と少年が立っているとは思わなかったのか、拍子抜けしたような表情の叔父さんは、ぎこちなく祈りを返す。
「後ろに居ますのが孫の士堂。今日は私の手伝いをして貰っています。ではミスター・ダーズリー。お子さんのプログラム参加、許可なさりますね」
「あ、ああ。金を払わずにあいつがいなくなるなら何だっていい。さっさと連れて行ってくれ」
プリベット通りにはアジア系が少ないからだろうか、ダーズリー家は安倍家を奇妙な面持ちで眺めていた。叔母さんなぞは頬杖をつきながら、道子の全体をしげしげと見ているのだ。
その好奇心が隠せない視線を目の当たりにしながら、道子は顔のパーツを1ミリたりとも動かさなかった。鋼鉄の人形であるかの如く、確固たるものがある。ハリーはプラットフォームで会って以来の彼女に挨拶をしようとしたが、それが出来ない空気である事に気がついた。見れば道子の背後で士堂が、しきりに首を後ろに向けていた。ハリーは戸惑いつつも、道端に留めてあるアストン・マーティンに自分の荷物を詰めていく事に専念する。
子供達が次々にトランクに荷物を仕舞うなか、叔父さん夫婦は道子に話しかけた。
「ここら辺じゃ見ない顔だな、え? ペチュニアや」
「本当に。本当に珍しいですこと」
「アジア系はこの近辺にはいませんか。私の街では珍しいものでもないのですが」
「いや、何。ここはイギリスだ。まぁ、珍しい方が当たり前じゃあないか?」
意地の悪い笑みを浮かべたおじさんは、道子に顔を寄せた。道子は前で組んだ手の指で、気づかれないように一回ローブを小突いた。
「あまり私達とは似ていないな」
「血縁関係はございませんでしょう? ミスター・ダーズリー」
「おお、すまぬすまぬ。まだ英語が苦手なようだ。ハハ…」
「あなた失礼よ。英国のブラックジョークは高度な教育が必要だもの」
ペチュニア叔母さんがこれまた意地悪そうに口を挟んだ。あらかた荷物を詰め終えた子供達が玄関先に振り返ると、まだ夫婦は話し続ける。その間にも、道子は小さく1回指でローブを小突いた。
「やはり何だな、ペチュニア。あのハリーが仲良くなるのは、いつだって日陰ものなのかもしれないな」
「あなた言い過ぎですよ、日陰ではなく物陰かもしれませんもの」
「あいつら…!」
はっきりとした侮辱だ。ハリーが杖を構えようとしたとき、士堂が背後から羽交い締めにしてハリーを抑え込んだ。
「な、何するの士堂?! 君のお祖母さんが…」
「まぁ黙って見とけ」
ハリーが玄関先を再度振り返った時、道子はまた1回小突いていた。
「…3回でしたね」
「ん、何だよく聞こえん?」
「3回。今の会話で酷く特徴的な物言いは、私の換算では3回でした」
道子はにこりと微笑みながら、胸元のロザリオを手に取った。それはあまりに自然であり、違和感のかけらも持たせない。
「酷く、特徴的な物言いでしたね。私達家族と、その友人に対して」
「な、何を言っている?」
「変な人ね、あなたもう中に入りましょう」
道子が話す内容に薄気味悪さを感じた夫婦が中に入ろうするが、何故かその場で立ち止まり、道子の持つロザリオを凝視していた。道子の右手がロザリオの下を優しく持っている。ロザリオは純銀で出来ていて、その中央部と辺の頂点に計5つの宝石が埋め込まれていた。
「貴方がたは酷く、酷く、特徴的な、物言いだった」
「な、な、」
「あ、ああ…」
道子の左手が5つの宝石を順に撫でていく。それにつられるように、夫婦が言葉を話せなくなっていくではないか。
|『Secundum revelationem a DeoSunt 10 verba, quae homines debent custodire』《神からの啓示に曰く 人には護るべき10の言葉あり》
『
道子は挨拶することなく、その場を離れた。両親の目が離れた途端、性懲りも無くハイカロリーの食べ物を探し求めていたダドリーは、両親の様子が変だと言う事には気が付かなかった。
「…お前はいつだってそうだ。可愛いダドリーをお前はなんとも思っていない!」
「…第一あなたがもっと稼いでいれば、可愛い坊やがダイエットなどしなくて済んだのです!」
「…パパ、ママ?」
玄関先で立ち尽くすバーノンとペチュニアは、ぎこちない動きで向かい合うと、堰を切ったようにお互いの不満をぶつけ合い始める。およそハリーの事や自分のダイエットぐらいでしか争わない両親の喧嘩に、ダドリーはただならぬ予感を感じた。
「五月蝿い、この楊枝女が! 細ければいいなんて浅はかな考えしか持たん癖に!!」
「ー低脳がー 何を今更! あなたのー立場がー 上でしたら、あんな栄養士とっくにクビにできていますわ!!」
「パパ、ママやめて! どうし…」
「ー五月蝿いーお前は果物でも食べていろ!」
あろうことか、止めに入った息子を突き飛ばしてまで夫婦は喧嘩を始めた。あまりの恐怖と事態の飲み込めなさにその場で座り込んだままのダドリーは、アストン・マーティンが水冷直列6気筒のDOHCエンジンを唸らせながら道路を走り去ったことも、ドアが開けっ放しのままなせいで近隣住民が冷やかしに集まっている事にも頭が回らなかった。
「ここいらじゃ、あなたのせいで私の立場が低く見られていること、自覚したらどうなんです?! そのーでっぷりでたお腹ー をもう少し使って、坊やの為に働く気はないのですか?!」
「大した仕事をせん女にとやかく言われたくはない! 栄養士を言いくるめることが出来んかったのは、お前のー言葉足らずと気の弱さー からだろうが!! 全くあの女の姉なだけある!」
「何と言いましたか、今何と!!!」
「私は何度も言ってやるさ、何度もな!」
ハリーは後部座席で脚を揃えて座っていた。高級そうな革のシートは、ダーズリー家の乗る成金趣味な車のシートとは違う。明らかに触り心地も座り心地も別格だった。だがその感触を楽しむ余裕はなく、バックミラーに写る運転手の視線がどうにも気になって仕方がない。
そんなハリーに気がついたのか、可笑しそうに士堂が祖母の脇腹を小突く。
「え、祖母さん。ハリーが怯えてるぞ、やった事に対して」
「そんな訳がありません。全く口の… あらあらまあまあ」
ハンドルを巧みに捌きながら孫の指摘を笑い飛ばそうとした道子だったが、バックミラーに映るハリーの怯えた視線に気がつき頬を引き攣らせてしまった。
「ハリーはまだ魔術を知りませんでしたね。私が行ったのは【魅了】の魔術ですよ」
「はぁ」
「心配なさらなくても、もうじき効用は切れます。今頃は自分達が何をしていたのかも忘れ、慌てふためいている事でしょうね」
「その、なんというかえっと…」
「私は2度のチャンスを与えました。彼等は私の信仰心を理解できなかったから、当然の報いを受けたまでです。ですから自分が喜びの感情を覚える事について、罪悪感を抱くのは至極当たり前です。人は自分を虐げていた人が傷つくことを、悪いと知りつつも内心では望んでしまうものですから」
サラリとハリーの内心を言い当てた道子は、真っ直ぐ正面を見ている。ハリーは騒つく胸を押さえながら、言われた事に関して考え込んでしまった。
「しかし大事なのは、次です。ハリー、あなたは次同じ場面にあった時、一度や二度赦すことはできますか?」
「…頑張ります」
「結構。報いはあくまでも最終手段ですから。毎回やっては相手と同じ地獄の道に堕ちます。私達信者は裁きを下す資格なぞ、は本来持ち合わせていない。いわば私の行いは、許されざる罪とも言えます。その事、忘れてはいけません」
道子の話は、俗に言う説教のようなものだった。ハリーは信仰心の薄い家庭で育ったから説教なるものにはあまり関わりがなかったが、こんな感じではないかと思った。
「折角の初対面でんな事言うかね」
「迷える若者を導くのは、当たり前の事です。あなたも同じ道を歩むのですから、弁えなくてはいけません」
「へぇーへぇー」
「何ですかその返事は。大体あなたは…」
今度は士堂に説教を始める道子に、ハリーはロンの母親モリーを思い浮かべた。厳しくも愛あるその光景に、ハリーは自分の育った環境の違いというものをまざまざと見せつけられる気がして、あまりいい気分ではなかったが。
だがアストン・マーティンは憂鬱なハリーを別世界へと連れて行ってくれる。ハリーの今まで見てきた世界は、魔法界を除けばあまりにも狭かった。本や話でしか知り得なかったマグル側の世界が、こんなにも広いとは実感が湧かなかったのだ。ふと窓へと視線を動かせば、広々とした高原に伸びる一筋の道路がよく分かった。ホグワーツやウィズリー家の隠れ穴の庭とは違う、何処までも広がる草原をハリーはその目に焼き付けていく。
アストンマーティンはやがて幹線道路を外れ、横の小道に入った。入ってすぐの空き地で停車すると、士堂達はシートベルトを外し始めた。ハリーが後に続いて外に出ると、空き地の側に古い小屋のような建物が見える。近づいてみると、個人商店の跡地のようだ。古臭い剥がれた広告や埃とカビに塗れた窓ガラスは、相当前に捨てられたことが窺える。
そしてその商店の前で2人の人物が立っていた。
「ハリー! 無事だったか!」
「お元気ハリー! 心配したわよ!」
「ロン、ハーマイオニー! おーい!」
友人2人を確認したハリーはすぐ様駆け出し始める。お互いにハグをして挨拶を交わすと、数ヶ月前に別れた時より大人びた2人に驚いた。士堂もそうだが目線が上がり、抱き合う腕が背中を優に越してしまう。
「それを言ったらハリーだって。心配したぜ、あの訳わかんないマグルのせいでダイエットなんて始めたって聞いた時はさ。ママだって失敗するのにマグルの連中が上手くいく訳ないじゃないか。この前なんか氷魚のオイル漬けを熱心に食べてた」
「ええ本当よ。そんなに身体がほっそりしていなくて良かったわ」
「俺たちが贈ったお菓子を食べてたんだから逆に太ったんじゃないか」
「士堂! へいへい元気だった?!」
祖母と並んで歩いてきた士堂にロンが挨拶代わりのハグをかます。元気そうなロンのハグをあしらってから、ハーマイオニーともハグを交わした。
「お久しぶり、士堂」
「おう。ハーマイオニーもそんなに変わってないな。前よりかは背伸びた?」
「ええ。5センチぐらいかしら、ちゃんとは測っていないけれど」
ふーんと軽い相槌をしながらハーマイオニーと話すと、彼女とロンの足元に置いてある荷物を手に持つ。
「これハーマイオニーのだろ? じゃあ運ぶぞ」
「僕はそんなに持ってきてないから、ハーマイオニーのを手伝うよ」
「あら、悪いわ。荷物ぐらい私だって持てます」
「お久しぶりね、ハーマイオニー。そして初めましてではないかもしれませんが、ロナルド・ウィズリー。挨拶しておきますね。士堂・安倍の祖母、道子・安倍です。どうぞお見知りおきを… さてハーマイオニー、貴女には頼みたい事があるんです」
ハーマイオニーが自分の荷物を手に取ろうとするが、道子に呼ばれる。ハーマイオニーは突然の呼びかけに驚いた様子だったが、直ぐに道子に挨拶をした。だがロンはというとハリーの身体を確かめるように、叩いたり何やら測ったりしている。
「ミス士堂、ご挨拶が遅れました。今回はどうもありがとうございます。 ロンあなたも挨拶しなきゃ駄目じゃない!」
「あ、初めまして!ロン、ロン・ウィズリーです。僕もえっと、ありがとうございます!!」
「ふふ、お気になさらず。ささ、こちらに来て手伝ってくださいな」
慌ててロンがペコリとお辞儀をするが、ハーマイオニーに脇腹を小突かれていた。ロンの恨めしげな視線を無視してハーマイオニーは道子と共に廃屋の裏手に消えていく。
アストンマーティンのトランクに荷物を詰めながらも、士堂とロンは廃屋の裏手に関心を向けていた。
「このトランク、僕たちの車と同じやつだね!」
「そう。俺はてっきり魔術で拡張していると思っていたけど、どうやらアーサー氏が魔法をかけたらしい」
「なんてこった。パパ、きっとママに言わずにやったなこれ。あれ以来ママはマグル絡みの魔法に、前以上に五月蝿くてさ」
「当然だろ? 車が暴走して森の中に消えたなんて聞いたことないしな」
「でも面白いからいいじゃんか。…そういえば、ハーマイオニーと君のお祖母さんは何を話しているんだろう?」
「さぁ? 用って言うけどんな事あったかなぁ。今日はハリー達を迎えるぐらいしかないはずなんだが…」
「女の人が話すことって怖くない? ママとジニーがコソコソ話すとさ、大抵僕か双子が怒られるんだ。お陰で2人が陰に隠れると嫌な汗が流れちゃう」
「ロン、それは君達が悪戯ばかりするからじゃない? ジニーもモリーさんも悪くないよ」
「ハリーはいい子ちゃんだな。何だかパーシーみたいだよ、勘弁してほしいな」
「パーシーと言えば僕の手紙に書いてあったよね。変な質問するなって」
「そうなんだ。聞いてくれ、ハリー士堂。知っての通り我らがパーシーは」
ハリーが思い出したかのようにロンに質問を投げかけると、ロンは待ってましたとばかりに飛びついた。荷物を詰め終わったトランクの蓋を勢いよく閉じると、士堂とハリーの肩に腕を回して引き寄せてくる。どうやら随分と言い分や鬱憤が溜まっているようだったが、話し始めた正にそのとき、道子とハーマイオニーが戻ってきた。
「お待たせしました。ささ行きましょう。荷物は詰め終わりましたでしょう?」
「ああ。そういや何の用があったんだ?今日は皆を連れてくるぐらいしか用なんかなかっただろう?」
「あなたには関係ない事ですよ」
「ハーマイオニー、一体何の話してたの」
「教えません」
「何でさ、教えてくれたっていいじゃないか」
「お喋りなロンには絶対教えないわ。早く乗りなさいな」
有無を言わさぬと言ったハーマイオニーが後部座席に座り込む。男3人は一同目を見合わせるが、全く何が何だか分からなかった。
「またハーマイオニーの奴、逆転時計でも使うつもりなのかな?今度は授業じゃなくて他の勉強をしたいとか言い出しそう」
ロンがハリーに小声で嫌味を言うが、その光景をハーマイオニーはすごい形相で睨みつけていた。
若干日にちが開きました。本のボリュームが増えた事で、描写などが中々浮かび上がらないですね。ぼちぼちやっていきます。