ハリーポッターと代行者   作:岸辺吉影

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異文化との邂逅

ハリー・ポッターはイギリス人である。両親はイギリス出身のイギリス育ち、ハリー自身もイギリス生まれで育ちも変わらない。だが一般的なイギリス人かと言えば、そうではなかった。彼が魔法使いの素質があるかはあまり関係ない。彼はキリスト教が、驚くほど生活に根付いていなかった。

 

彼は思えば、教会なる場所にいつ行ったのだろうか。魔法使いになる前はマグルとして育った訳で、当然キリスト教にも触れている筈である。なのに彼の記憶には十字架だとか聖書だとか、キリスト教絡みの記憶はないに等しかった。彼を預かるダーズリー家は宗教絡みの話題は本当に少なかったのだ。

イングランド国教会が存在するからと言って、イギリス国民全てがキリスト教を信仰しているとは限らない。何らかの理由や意図の元で無神教を選択している人間はいるのだから。ダーズリー家もそうだっただろうか。

 

あの家族はおおよそ神というものについて、深く考えたことがあったとは考えられない。祈る時は大抵宝くじを買った時とかダードリのもらったおもちゃクーポンの当選とか、実に打算的なタイミングだった筈だ。

 

「それは珍しいですね。イギリスに暮らしているのに、実に日本人的で」

「そうなんですか?」

「私達の世代はともかく、今の日本人はあまり宗教に馴染みがないのです」

 

へぇと口にしたハリーだが、隣に座るハーマイオニーが身を乗り出して会話に参加してきた。

 

「でも日本には古くから様々な宗教が混在しているのでは?」

「おっしゃる通りです、ハーマイオニー。しかしあまりに多くの宗教と触れ合い、そしてこれは日本的というべきですが、ある種全てと迎合したわけです。

完全に拒むではなく、日本の古来の伝統に上手く紛れ込ませた。

ーここに関しては専門的な学者によっては解釈が分かれ、ややこしくなるので省きますねー

これにより宗教が生活に深く根付いた反面、特定の宗教を信仰することが減ったわけです。そこに加えて、日本の家族の在り方が変わり、各家庭で培ってきた従来の宗教感が世間と乖離し始めているのですよ」

「つまりどういう事?」

「今の日本人は意識して宗教を信仰する事が減ったってこと」

「ふーん。でも宗教っての、僕たちよくわからないんだよね。神様とか何かしっくりこない」

「そっちの世界だと魔法使いの方が偉いもんな」

「僕からしたらマーリンとかの方がよっぽど凄いと思うけどなぁ。だってそうだろ、神様とかと違ってちゃんと魔法を残してくれたんだから。マグルはどうも変だよね。クィディッチにも興味ない人多いし」

 

この手の話題になると、ハリーは頭が痛くなる気がするのだ。特段頭が悪いとも良いとも思わないが、こういった教科書的な会話は苦手な部類である。それはロンにしろ士堂にしろ同じであるが、当然と言ったらおかしいかもしれないがハーマイオニーは違うわけだ。

今も目がキラキラと輝いているのはハーマイオニーだけで、ロンはフワフワとした話をするし、士堂はしれっと会話から抜け出そうとしていた。それでもやはりダードリ家での会話に比べたらマシだと思えるのは、自分が捻くれているのだろうか。

 

ハリーは外の光景を眺めながらそんな事を考えていたが、視界に現れた遺跡に途端目が離せなくなる。それはマグルの世界について、悲しい事に疎いハリーでも知っている、あまりにも有名な、石であった。

 

「わぁ、凄いや…」

「私も初めて見たわ。本物よ」

 

遠目からではあるが、イギリスが世界に誇る遺跡が確かにあった。幼児が遊び尽くした積み木を重ねたように見えるそれは、一つの巨石の集合体である。そして無造作に見える石の配列は、実に巧妙なのだ。

 

「観光客が多いものですから、今は近くに寄れません。しかしハリーはこういった有名な場所すら来た事ないと思いまして」

「はい、初めてです。ありがとうございます」

「礼には及びません。それに貴方がた魔法を使うものにとって、あの遺跡は興味深い筈です」

「へぇ、あんな石が積み重なっているのに? マグルは本当に不思議だよ〜」

「あの石は、天文学に深く関わりがあります。夏至の日には、あの真ん中の円の中央に、最初の光が差し込むのです。円上に配置された門のような石積み、あれも暦の月を表しているとか神を模している、中には人間の器官を表現しているとも言われているのです。

そして何より、あの石の中央にはイギリス屈指の霊脈の中心点が存在します」

「霊脈というのは巨大な魔力の源よ。魔術の世界ではマナと呼ばれているの。地球上様々な場所で観測され、ある程度は一定でも時折量に変化が生じる事から地球の呼吸として考え、地球に意志があるとするガイア論の根拠にもなっているわ。

その土地土地に存在する霊脈の中心点には、大抵有名な遺跡とか宗教の建物が建造され、土地の有力者や第一人者の魔術師によって管理されているのよ。魔術師は人工物の神秘と自然のマナを用いて、魔術行使のための魔術基盤を、より確固たるものに改良し続けるんですって」

「丁寧な御解説、恐悦至極の極みに尽きる。ありがとう、我らがミス・ハーマイオニー・グレンジャー先生のよくわかる魔法講座でした!」

 

ロンがすかさず皮肉を口にすると、むすっと頬を膨らませてハーマイオニーは知らん顔をした。既にストーン・ヘンジは見えなくなったが、ハリーはもしかしたらホグワーツの地下にも、霊脈というものがあるのかも知れないと思った。それならスリザリンが秘密の部屋を地下に作った訳が分かるような気がするのだ。何だか少し賢くなった気がして、ハリーは口元を思わず緩めてしまう。

 

アストン・マーティンは黒い車体を駆りながら郊外へと出た。やがて前方に白い壁と屋根に乗った十字架が特徴的な建物が見えてくると、徐々に車の速度が減速し始める。建物横の小屋のシャッターが自動で開き、車は静かにその中へと姿を消した。

 

「長旅ご苦労様でした。ここが私達の住処、ソールズベリー大聖堂第5分院です」

「じゃあ降りて荷物を中に入れよう。俺腹減った」

 

士堂はそういうとそそくさと車を降りてしまった。ハリー達も後に続いて降りるが、いつになく士堂がゆったりとしているように見える。やはり彼でも我が家にいれば安心するのだな、と友人達は妙な感想を抱いた。彼は世間にいる時は、若干猫をかぶるところがあるように思えるからだ。

 

「士堂達はここに住んでるんだね」

「厳密にいや、教会には住んではいない。教会を挟んだガレージの反対側に、住居というか別館がある。俺達は普段そこにいるわけさ」

「へぇー。僕マグルの教会なんて初めて見たなぁ。意外と広いんだね」

「ええ、あなたの話だともっとこじんまりしているものかと思ったけれど、立派な建物じゃない」

「ソールズベリーとどうしても比べちゃうんだな。向かうが本部みたいなものだから、どうしたって見劣りする部分が目に入るっていう?」

 

すっかり日が暮れてしまった中、ハリー達は各々荷物を持って反対側に歩いていた。先頭を歩く士堂が玄関のドアに立つと、見計らったようにドアが開く。

 

「おお、やっと来たか。ちょっと遅れてはいないか?」

「まぁ、ハリーの家でちょっとね」

「なるほど、さもあらん。 

これはこれは、皆よく来て下さった。私が士堂の祖父、士柳・安倍です」

「こんばんは、お世話になります。ハーマイオニー・グレンジャーです」

「ハリー・ポッターです。よろしくお願いします」

「ロン・ウィーズリーです。えー、父と母から、よろしく言っておいてほしいと、伝言を、えーうけた… 受け取ってきました」

「これはどうもご親切に。君のご両親とは、旧知の仲だ。おいおいその話もしたいものだ。

ささ、皆狭い家だがお入りなさい」

 

ドアの向こうに立つ士柳に各々挨拶すると、彼は皆を中に招き入れた。挨拶をしたことに若干ロンがいばり腐ってハーマイオニーを見るが、彼女は気にせずに中に入る。

 

「あー、一応なのだが靴を脱いではくれまいか」

「へ?」

「我が家は日本式なのだよ」

「?」

 

ハリーが室内に入ろうとすると、慌てて士柳が止めに入る。確かにこの家の玄関口は珍しく、一段低い場所にあるようだ。何個もの靴やサンダルが置いてあり、丁寧に並んだスリッパがトイレでもないのに用意されている。

 

「ハリー達は知らなかったか… 日本では家の中では靴を脱ぐんだ」

「だから玄関が低い場所にあるのね?」

「んー、玄関が低いんじゃなくて、居間が高くなっている、かな。慣れないかもしれないけど、靴はやめて欲しいんだ」

「士堂、別に靴でも構いやしないんじゃないか。僕たちの靴、そんなに汚くはないぜ」

「うん、後で分かる。とにかく靴じゃ駄目なんだ」

 

初めて知る異国の文化に3人は戸惑いつつ、士堂の見様見真似をしながら靴を脱いで上がった。中に入ると、そこは普通のーイギリス風のー家であった。どちらかといえばダーズリー家の間取りに近いだろうか。

恐る恐ると言った感じでハリー達は中を進む。ハリーは最後に中に入った道子が靴を綺麗に揃える光景を、不思議な感じで見ていた。

 

「先に荷物を置いてもらった方がいいのではないかね。食事まで少しばかり時間がある」

「じゃあ、2階で良いんだな」

「うむ、そうしてくれ」

「皆こっち来てくれ。部屋に案内する」

 

士堂が先導するままに階段を上がると、部屋がいくつか連なっていた。ハリー達が2階に上がると、奥の部屋の前で士堂が待っている。彼の目の前には白い引き戸があった。

 

「何これ。ドア…だよね?」

「襖。引き戸だ。白い部分は紙で出来ている」

「冗談やめてくれ、僕たちの部屋は紙で出来ているっていうのかい?

もうちょっとマシな場所に泊めさせてくれよ」

「日本式の部屋が我が家の寝床なんだ。まぁ気にいるかはさておき、悪くは無いと思う」

 

士堂が器用に脚で襖を開けると、室内が目に入ってくる。

 

「わぉ。こいつは…」

「凄いわ、初めて見た!」

「うん、こんな場所見たことないや…!」

 

そこは魔法とは違う、異文化が醸し出す異世界というべきだろうか、ある種異質な空間が待っていた。ハリーが最初に驚いたのは匂いだった。引き戸が開いた途端鼻をついたのは、干草のような香りだったのだ。干草というとダードリーが持ってきた馬用のそれを思い出すものだが、この部屋から漂うのはもっと陽の光を感じる匂いだった。

部屋は思いの外広く、大人3人は十分な程だ。壁には横板が設けられており、板の上に花瓶やら文字が書いてある巻物らしきものやら引き戸がついた戸棚やらが備わっていた。窓は半円状のものが1つ上部にあり、その下に大きめの窓が3つばかし並んでいる。その窓には木の棒が格子状に張り巡らされた引き戸のようなものがついていた。

天井を見れば木の太い棒が規則的に張り巡らされており、機能美というものを感じさせる。

 

初めて見る和式の部屋に興味津々のハリー達を横目に、士堂は乱雑に荷物を置いた。

 

「ハーマイオニーは向かいの部屋使ってくれ。俺達は3人ここで寝る」

「ベッドはないの? 机もないじゃない?」

「下が畳だからベッドは使わない。床に布団ひいて寝ることになる。机が欲しかったらちゃぶ台が箪笥の中に入っているから」

「床で寝るの?」

「布団は敷くって。それに畳は藺草という草を編んで作る床板みたいなもので、消臭効果もあるって話だ。慣れない匂いかもしれないけど、案外良いもんさ」

「へぇー。君達の国についてはクィディッチぐらいでしか聞かないから、初めて知るものばかりだな」

「桜がトレードマークなんだろ」

「そうそう。試合前、なんかこう腕をこう交差する真似をして、レースを始めるんだ」

「桜は日本の有名な木だ。春になるとピンク色の綺麗な花を咲かせる。うちの庭にも植えてあるよ。腕を交差するのは武士の儀式を真似たんじゃないか」

「武士って言うと、にんじや?」

「忍者。違うんだけど、説明がややこしくて… また今度するよ。下降りよう、小腹減った」

「士堂、机を出したいんだけど手伝ってくれないかしら?」

「ああ、ごめんハーマイオニー… 君まさか勉強するきかい?」

「当たり前よ。学ぶべき事柄は山ほどあるわ」

「…物置から大きいちゃぶ台持ってくる。ハリー、ロン手伝ってくれ」

「…関心するよ。ハーマイオニーなら魔法省に今から入れる」

「ロン、ハーマイオニーがすごい顔してるよ」

 

ハリー達がひいこらいいながら大きめのちゃぶ台をハーマイオニーの室内に運び終わった時、彼女は既に下に降りていたようだ。3人ともなんだか納得できないような、何とも言えない気分のまま下に降りる。

リビングは一転して見慣れたイギリス式だった。要は1階がイギリス、2階が日本だということなのか。分ける意味がハリーとロンには分からなかったが、考えても無駄だろう。小腹がすいたという士堂を追って台所へと歩いていた。

 

「あれ、ハーマイオニー?何してるんだ?」

「あ、しまった…」

「祖母さん、何でハーマイオニーがここに?」

「…何故でしょう?」

「…まさか用意がまだ済んでいなかった?」

「…作り終わってはいました」

「…ハーマイオニー呼んだ理由は、これ?」

「…あなたは家事ができませんから」

「盛り付けを手伝っているだけよ。そんなに怒らないで」

「怒りはしません。私何も出来ない孫でございますから。じゃあ、失礼」

 

罰が悪そうな道子を庇うハーマイオニーをあしらい、士堂はテーブルに置かれた皿を一つ持ってそそくさとリビングに戻る。

 

「…僕たちも手伝おうか?」

「ロン、あなたが家事ができるなんて初耳ね」

「僕手伝うよ」

「ハリー、あなたまで良いのですよ。私のわがままにハーマイオニーを巻き込んだだけですから」

「いえ、やらせてください。ダードリのところで散々やってきたし」

「ですから」

「こっちの方が美味しそうだから、僕やりたいです。それに見たことのない料理がたくさんあるし。これ、何ですか?」

「私も気になっていたんです。初めて見るわ」

「申し訳ないことです。客人の手を煩わせるなんて… それは鴨です。こういった薄く切って食べることはイギリスでは少ないかもしれませんね。薄く切った鴨の身をこの鍋で煮て食べるのです。この鍋の中身は醤油という豆から作った調味料で…」

 

 

「放っておいていいのかな」

「俺たちに出来ることは料理を美味しく食べるだけさ。そうだろ、我が友よ」

「もちのロンさ。そこに関してはホグワーツでも負ける気がしない」

 

爪楊枝に刺さったアスパラのベーコン巻きを頬張りつつ、士堂とロンはちゃっかり小腹を満たしていた。広い机にはナイフとフォーク、そして箸が几帳面に置かれており、成程必要な準備は料理だけだろう。

するとリビングの奥のドアが開き、士柳と共に女性が入ってきた。

 

「何じゃ、行儀の悪い。皆が揃っていないのに先に摘みおって」

「いいじゃないか… あれ、橙子さんですよね。

橙子さん、お久しぶりです! 来ていたとは知りませんでした」

「野暮用があってね。本当はすぐにでも帰ってしまおうか迷った訳だけど、君たちが来ていると聞いたものですから」

「士堂? この女性は誰?」

「ロンは知らないか。この人は…」

 

面識のある士柳の横にしれっと立っている赤髪の女性に対して、訝しげな視線を向けるロンに士堂が紹介しようとすると、奥から道子達が料理の乗った台車を持って現れた。道子は橙子を見てすぐに微笑むが、ハーマイオニーは違った。橙子を見た瞬間。口元に手を置いてワナワナと震え始めたのだ。

 

「ハーマイオニー?どうし…」

「…もしかして、ミス・青崎では?!」

「ええ、そうですわ。失礼、あなたは」

「ハーマイオニー、ハーマイオニー・グレンジャーです! 魔術協会1992判基本学書!ルーン文字の変遷と復活の過程、ルネサンスにおける人体錬成研究! あなたの書かれた論文、全て拝読させてもらいました!」

「あ、あら、そう? 私の記憶が正しければあなたは」

「ホグワーツ生です! でも友人である士堂が示す通り、魔法使いだからといって魔術が使えない訳ではないと考えました!

私達にもつまり無意識的な魔術回路が備わっており、そして」

「…嘘つきイケメンの次は何だい、東洋のミステリアスな美人さんかい?ハーマイオニーは案外、節操がないんだな」

 

ロンが呆れたように溜息をつく間、ハーマイオニーは文字通り橙子を押し倒そうとする勢いで捲し立てている。その光景を時計塔の人間が卒倒するのではないかと思えるほどに、橙子という人間を知っている人からすれば珍しい光景であった。

 

「ははは、さっきは面白かった。あの橙子嬢があそこまで狼狽えるとは、中々見れない珍妙なものよ」

「酷いですわ、爺様。か弱き乙女を虐めるなんて」

「そうです。ご覧なさい、あなたの無神経なからかいでハーマイオニーが困っていますわ」

 

顔を真っ赤にして俯くハーマイオニーが力無く被りを振る姿を見て、ロンとハリーは笑いを堪えるのに必死だった。ハーマイオニーがとてつもない眼光でこちらを睨んできたから、目の前の食事に食らいつくふりをして何とか誤魔化す。

しかしハリーにしろロンにしろハーマイオニーにしろ、目の前の食事は珍しいの一言についた。もっぱらハリー達が食べる食事はトマト味かバターが定番なのだから、醤油や味噌と言った発酵食品は馴染みが深くない。生の魚を薄く切った刺身などは、初めは中々手が伸びなかったものだ。

 

「どうかな、ハリー君。日本の味は」

「はい、とても美味しいです」

「うん。それは良かった良かった。本当ならもっと美味い料理があるのだが、いかんせんここはイギリスなのでな。食材が中々思うようにいかない」

「そうなんですか?」

「いや、手に入らぬ訳ではないのだが、高くつくのでな。今日は皆が来るから張り切って作って貰ったが、常日頃は食べやしない。わたしたちでもパスタやサンドイッチと言ったイギリス料理はよく食べるしの」

 

士柳が大根と鮭、ジャガイモに人参を甘辛く醤油で煮たものを皿によそってハリーに渡してくれる。空になった茶碗にお櫃の御飯も添えてくれた。ピカピカと光る白米は、普段食べるパンとは違う未知なる世界をハリーに教えてくれる。ロンは牛肉の時雨煮をそのご飯にかけてスプーンでかきこみ、ハーマイオニーは以外にも器用に箸で鴨しゃぶを食べていた。

 

「ハーマイオニー、いつのまに箸なんか使えたんだ?」

「ええ、前に使う機会があったの。その、パパのお友達が、箸を使うものだから」

「上手いもんだな。中々そこまで綺麗に箸を持てるのは日本でも多くはないんじゃないか」

 

士堂が関心したようにいうと、ハーマイオニーは口をパクパクさせて何事か呟いた。言わんとする事を士堂が聞き返そうとしたものの、ハーマイオニーは鴨の切り身を10枚ほど掻っ攫い、豪快に口に放り込んでしまう。

 

「士堂、君達の国は最高だな! 麺を音を立てて食べていいなんて! ママにもいってやりたいよ、いつも煩いんだ。

ロナルド、音を立てて食べるのはおよしなさい。行儀が悪い、恥ずかしい」

 

士堂の横でそう言いながら、ロンは蕎麦をフォークで掬って食べていた。実はさっきまで箸を使って食べようとしていたのだが、慣れない箸にフラストレーションが溜まったのか、投げ捨てるようにフォークを使って蕎麦を食べ出したのだ。だが安倍家の人々はハリー達が箸を器用に扱えるとは思っていなかったから、フォークやスプーンを使おうが美味しく食べてくれればそれで良かった。

ロンが食べているのは、小さいざるに小盛りの蕎麦を入れ、鴨しゃぶの中で軽く湯掻いたものだ。うどんだとか素麺だとか、一口大の麺を鍋で湯がいて食べるのは士柳の好みであり、季節問わず節目の日には頻繁に食事の席に出される。

ロンが蕎麦を気に入ったようで良かったと士堂が胸を撫で下ろしている頃、士柳は茶碗によそったご飯にカレーをかけて食べようとしていた。

 

「あら爺様。食事のしめはまだカレーなのですね」

「ん。若い頃からの癖じゃからの」

「お身体に障りますよ。若くはないのだから、刺激物はお控えなさった方が宜しいのでは?」

「三つ子の魂百までじゃ。今更変える気はない」

 

仏頂面で答える士柳は、脇目も振らずカレーを口にしていく。何気なく橙子がテーブルの面々を見た時、道子と視線が合った。何も言わずにロンの皿に胡瓜の山葵漬けと蕪の酢漬けを載せていく道子を、橙子は実に楽しそうに眺めている。

 

「本当に。三つ子の魂百まで、ですわね」

 

日本食のおもてなしを存分に満喫したハリー達は、次に安倍家の地下室を案内された。ハリーとロンは地下への通路を下っていく時、ポリジュース薬を飲んで潜入した、スリザリンの寮を思い出す。スリザリンの寮からは無機質な冷たさを肌で感じたが、安倍家の地下室からは地面の温もりのようなものを感じる気がした。少なくとも逃げ込むなら断然こっちの方が嬉しいに決まっている。

 

地下室の一室、団欒室のような部屋に腰を下ろした彼らは、改めて自分達の自己紹介をすることになった。ハリー達は自分の家族について簡単に話したが、それは皆知っている。3人とも自己紹介とは名ばかりの、一言二言で終わる説明を口早にしただけで、自分の椅子に前のめりで腰掛けた。

 

「ええ。皆さんの思っている事はよく分かります。私の事は、ハーマイオニー嬢は兎も角、少年2人はよく存じ上げない筈ですね」

 

士堂の祖父母についても気にはなるが、やはり彼女が、今不敵な笑みを浮かべる東洋の麗女を、どうしても無視できない。くくと小さく笑ってから、青崎橙子は深く椅子に座り直した。

ハーマイオニーが目を見開き、士堂が自分の指の爪を噛み始める。ハリーとロンは思わず生唾をゴクリと飲み込んで、彼女にありったけの視線を注ぐ。

 

「私の名前は、青崎。青崎橙子。フリーの魔術師にして、人形師よ」

「人形師? あの玩具の?」

「いえ。貴方が考えているのは、文字通りの人形。人を模して作られる道具。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()7()()()()()()()()()()()()()()()よ」

「はぁ…」

 

ピンとこない。ハリーもロンも、橙子が自分達をいいように言いくるめ、煙に巻いていることぐらい察しがついた。

 

「申し訳ないけど、今の貴方達に初めから言うつもりはないの。貴方方は純粋な学生であり、根源を目指す追求者ではないのだから」

「つまりハリーや僕が魔法使いで、ホグワーツに通っているから教えてくれないって事ですか?そんなのおかしい!」

「一つ言っておくわ。私の前で『魔法』と言う言葉、軽々しく使わないでほしいわね。私達にとって、『魔法』とは特別な意味を持つのよ。

この世において、神と救世主のみに許された奇跡の再現。太古、人間のみならず生きとし生けるもの全てが追い求め、追い続ける永遠の希望(テーマ)を叶えうる文字通りの悲願。

()()()()使()()()()()()()()と、同一視されては困るのよ」

 

瞬間、橙子が放つ柔らかな雰囲気が一変し、針のような殺気がハリーとロンに降り注がれる。隠れ穴で教わった魔法について思い出しながら、ハリーとロンは首振り人形のように首を縦に振る。

橙子はゆっくりと眼鏡を外すと、手元のテーブルに置いていたタバコの箱を手に取り、火をつけた。道子とハーマイオニーが顔を顰めるのも気にする事なく、橙子は男性的な口調で話を続ける。

 

「さっきも言ったと思うが、ハリー。ハリー・ポッター。私は君に興味があって、今宵この英国の古びた地下室の埃を肺に吸い込んでいる訳だ」

「貴女の煙草のせいではなくて?」

「ハリー・ポッター。君はヴォルデモートを打ち破った事でそちら側の世界では英雄となり得ている。だが君の存在の本質的な意義は、そんな場所には存在しない事を、良く理解しておいてほしいんだ」

 

道子が横目で鋭い視線をぶつけるのも無視して、橙子は深く座り込んでいた椅子から立ち上がった。そしてハリーの正面へと一歩一歩近づいていく。

 

「君は、ヴォルデモートから受けた『死の呪文』を母親の『愛の呪文』で退けた。成程、私とてこの事実にケチをつけるつもりはない。

現にこうしてここに君は確かに生きているのだから。私の眼に、狂いはない」

 

橙子の赤みがかった瞳が、俄に光ったようにハリーは思えた。まるで合わせ鏡のように光が反射を繰り返すかの如く、刹那の輝きを放ち続けている。

 

「そして。ここに呪文の名残が残っている。名残というよりも、()と言った方が正しいだろう。この世の理。魂。抽象的で曖昧だが、しかし確実に在る何かへの」

 

橙子の煙草を持っていない右手がゆっくりとハリーに向けられる。彼女の手に嵌められた茶色の手袋が実に良く、ハリーは見えた。その上級そうな材質の革や微かに見える縫い糸、見えないが纏わりついている力。

 

「君の肉体に。そう、ここだ」

 

ゆっくりと近づく橙子の右手が形を変えていく。まるでそれは、エレベーターのボタンを押すかのように。

 

ハリーの、あの忌々しい家族を奪った印である稲妻型の傷に。

 

橙子の右手人差し指が触れた。




連続投稿する作者さんは本当に凄いです。
実は諸事情で電子書籍が読めず困っていたのですが、今回と次回の話はオリジナルなのだから本要らないんじゃね?と今更気がつきました。
ですので今回と次回はオリジナルの描写が出てきます。
原作者は日本についてあまり詳しくなさそうなので、ハリー達も予備知識ほぼゼロではないかと思っています。

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