ハリーポッターと代行者   作:岸辺吉影

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未知なる存在

橙子の人差し指がハリーの傷に触れた途端、世界が歪んだ。ハリーの意識は渦を巻くように撹乱し、まるで自分の額の傷に自分の身体が吸い込まれるようである。

掃除機がゴミを吸い込むようにハリーの意識が消えていく中、紅の閃光が矢のようにハリーの傷に吸い込まれるのを、ハリーは確かに感じとった。

 

それは不思議な空間だった。七色のーしかし赤や青といったありふれた色ではなく、赤紫や群青といったあまり見かけない色が多いようだー

光が煌めきながら、渦を巻くように中心に流れ込んでいる。ハリーの体というか意識は、その光と共に吸い込まれていくのだ。

 

(君の過去は想像通りと言った所だ。ありがちな話ではあるけれども、当事者からしたらたまらないものよね)

 

何処からともなく、橙子の声が聞こえてきた。ハリーが振り返ると、青崎橙子はこの幻想的な空間の中で、平然と立って正面を見据えていた。そのまま家の中を歩くかのように真っ直ぐに歩き始めるではないか。ハリーはこの状況もそうだが、目の前の女性の異常さに勘づき始めていた。

 

(君、まだ寝ているのかい?ここは君の過去の記憶なんだ。君自身がしゃんとしてくれなきゃ困るんだがね)

(な、何を言って…)

(君でもビデオは見たことがあるはずだ。あれを巻き戻した時、画面が早送りのように戻るから、虹色の歪みが見えるだろう?

正しくそれなんだ。今ここで君の過去を巻き戻しているところだ。私が気になることがあるから、少しばかり覗かせてもらうつもりだったんだが… 主人たる君はどうしたって入り込んでしまう訳だ)

 

ハリーは橙子が眼鏡を外している事に、今更気がついた。そして橙子の口調と言い纏う雰囲気といい、明らかについ先ほどまでの彼女ではない事が分かる。口調が物々しいというか、男らしさが滲み出ているというのだろうか。彼女であるのは確かなのに、彼女とは言い切れない形容し難い感覚だった。

 

(何にしても、私が見たいのはここでは無い。君の、君達の始まりの話だ)

 

壊れたビデオのように流れる映像は、どんどんハリーの記憶にない幼少期に近づいているようだ。チラチラ見える養父母は、今より脂が乗って肌艶も良く、憎たらしさだけ変わりないように思える。そんな彼らも消え去り、辺りが真っ暗になった。

 

聞こえてくる。蛇のような掠れた声がー それは扉を開ける呪文だ。ハリーは今更その事に気がついたー した後、扉が軋みながら開く音が。

ハリーの知る生前の父の声、母の叫びが。夢で見た、あの恐ろしい日の事が、臨場感を増して彼の目前で蘇っている。

 

(へぇ。姿は異形らしくはあるが、能力等は得ていない。ならここまでの肉体の変化を齎す何かが、彼には必要だったのか?

魔力も中々なものだ。ー何て事だ。どうやら君の父はこの事態を想定していなかったようだね。反撃がかなりお粗末だ、呪文の質からして彼の実力はこの程度でない事は明らかだがー)

 

ハリーの心境など興味がないのだろう、橙子はジェームズが呪文を放つシーンを冷静に分析していた。そしてジェームズの肉体に緑の呪文がぶつかった時も、ただただ見ているだけだ。

 

(おお、流石に…だがこちらの使い手は呪文の恐ろしさを分かっているのかね。死を齎すなんて代物では済まされないんだが。大方便利な呪文程度にしか考えていないのが目に浮かぶよ。

…君の母君は、杖を持たないのか。ああいや、これは母の本能だね。結末からすればどうとは言えないが、恐らく賢明な判断だったかもしれない)

(ど、どういうことですか)

(君、いじめっ子を見たことがない訳無いね。彼等からすれば、か弱き人間の必死の抵抗ほど、心くすぐられるものはない。それも例えば子を守ろうとする母の反撃なぞ、こういった人種にとっては好物みたいなものさ。

なまじ変に反撃でもしていれば、君の母親は生前の姿そのまま残っていなかったかもね)

 

教科書を読み上げるように橙子は言った。ハリーは何と言えばいいか分からない。ハリーの母は反撃しなかったから、良かったのか?

その間、リリーは緑の呪文を受けて絶叫しながら死に絶えた。そして奴が、ヴォルデモートが杖を振り上げてハリーに呪文を向ける。

 

鮮やかな緑だ。エメラルドに例えたくなるような、鮮やかな光だ。ハリーに向けられた緑の閃光は直撃するが、迸る閃光がヴォルデモートにも降り注ぐ。

彼の地を割るような絶叫と身体が溶けていくかのように輪郭が乏しくなっていく映像の最中、橙子が軽く右手を挙げた。

ビデオの一時停止のように、記憶の再生が止まる。彼女はハリーの記憶に歩み寄るとー表現がおかしいかもしれないが、実際そう見えるのだから仕方がないー 橙子はかざした右手で触れた。

 

(…これは一体…)

 

 

それはハリーには全く分からなかった。ハリーとヴォルデモートの丁度中間、緑の閃光が一際強い箇所だ。橙子の細い指がなぞるようにそこに触れた時だ。

 

例えるなら、針で開けた穴だ。それよりも小さな、肉眼では認識できない程に小さな穴だ。ハリーも薄ぼんやりとしか覚えていないが、マグルの世界で物理という講義で習うはずの、原子だとか素粒子だとか、そのレベルで小さいと言うものだ。

だがハリーは、橙子は分かった。橙子が指し示した途端、それまで全く分からなかった穴に気がついたのだ。

 

 

その穴を認識した途端、ハリーはゾッとした。

 

何かが見ている。

 

 

 

ハリーははっと息を呑んだ。彼はさっきまで同様、士堂家の地下室でくつろいでいた。

 

「どうしたのハリー。変な顔してるわ」

「えっ、そ、そうかな」

「ええ。お化けでも見た顔してる。顔も青いし、寒いんじゃなくて?」

「それはいけません。暖炉の火を強くしましょう、湯たんぽも用意しましょうか。すぐ持ってきます」

「そんなに冷えるかの。ロン君、どうじゃろ」

「僕は全く。全然大丈夫、こんなに快適な部屋はホグワーツ以外なかったぐらいなのに」

 

おかしい。周りにいる皆は何事もなかったのように寛いでいる。自分は妄想でもしていたのかと考えたが、それは間違いだった。橙子はいつの間にか椅子に腰掛けている。彼女は煙草をユラユラとくぐらせてはいるが、ハリーはわかった。

橙子の手元にある灰皿には、真新しい煙草が一本無理やり押さえつけられたように捨てられている。

 

「はいハリー。これを腹のあたりに抱えておけば、冷えもすぐ良くなります」

「生姜湯も作って置いた。檸檬も入れてあるから、身体が温まるはずだわい」

「まるで病人の介護でもしているようだ。大袈裟な夫婦だこと」

「お前さんはそこらで寝転んでも平気じゃろうが、何せ青崎の家のものだからな」

「そりゃどういう意味合いだ、爺様」

「何じゃい、青崎を嫌っているのか?それとも妹君の事がまだ引きずっているのか? ったくこれだから魔術師とやらは付き合いを考えねばの。執念深いと言ったらありゃしない」

 

口の中で小さく舌打ちをしながら士柳が愚痴ると、橙子は何も言わずにライターの蓋を何度も開け閉めした。甲高い音が部屋に響くと、嫌な緊張感が漂い始める。

 

「もう2人ともおよしなさい。子供達が怖がりますでしょうに」

「…ふん」

「何でこう頑固なんでしょうねぇ… 御三方飲みたいものを飲んでくださいね。ハーマイオニーとロンは何を飲みます?」

「あー…あたし紅茶を」

「…僕はじゃあココア! あっ、クリームとかって乗っけて貰えます?」

「勿論です。アイスなんかは如何?」

「わぁお。信じられるかハリー? ママは夜中にココアとアイスなんか一緒に出してくれた試しがないよ」

 

躊躇いが見えたハーマイオニーに対し、ロンは現金なものですぐに注文を出すようになった。だがロンにしても首筋に汗が滲んでいることを考えれば、あえてなのかもしれないが。

士堂は緑茶を祖母に頼んでから、ハリーと橙子の2人を視界に納める。さっき橙子が立ってハリーの傷に触れたかと思えば、すぐに席に戻ったのだが、それ以来2人の雰囲気がおかしい。ハリーは目線がおぼつかないし、橙子にしても先ほどまではあんなにイライラしているようには見えなかったのだから。

 

「おい、ハリー。一体全体何があったんだよ」

「何がって?」

「とぼけるなよ。橙子さんが額の傷に触れてからおかしいって」

「そうかな? 気のせいだと思うけど」

「ロンもハーマイオニーも薄々勘づいてはいるんだ。何か…」

「なんでもないよ。なんでもないから」

「おい」

「大丈夫。僕は大丈夫」

 

これだ。どう考えても大丈夫ではないが、ハリーは頑として話してはくれない。ハリーはどうも自分の問題で他人を巻き込みたくないという意志が強いのだが、士堂等からすれば笑い話である。

そもそもハリーの友人として一緒にいる時点で何かしらの出来事はあると覚悟しているからだ。士堂はかなり早い段階でー ハリーの過去を知った時点でー 覚悟したわけだが、ロンにしろハーマイオニーにしろ明確な時期は知らないし知るつもりはないが、ある程度は了承しているのはずである。それでもハリーは中々打ち明けてくれない。

しかしハリーの抱える問題は魔法界にとってかなり大きな問題である事が多い。ハリーの気持ちは分からなくはないが、どうにもやり切れない思いをする事を、ハリーに知ってほしい士堂である。

 

 

結局その日は夜遅くまで内容のない話をしていたような気がする。朝早くに出発しなくてはいけないのに夜更かしを決め込んだ訳だが、そこは腐っても千年の歴史を持つ安倍家であった。

 

「んー… よく寝たなぁ。目覚めはスッキリ、頭はバッチシだ」

「本当にスッキリ起きれたわ。ハリーはどう?」

「最高。頭の重い感じもないし、本当に昨日3時まで起きていたなんて信じられない」

 

日本に伝わる秘薬を子供達は処方されて眠りについた。それは睡眠薬の一種であるが、効果は全く違う。睡眠薬は脳を麻痺させて睡眠に近い状態にするものであるが、この秘薬は本格的な睡眠状態に一瞬で導くものだ。それも数時間分の眠りを数十分で得られるというのだから、優れものとしか言いようがない。

 

「残念だわ。あの薬さえあったらもっと勉強時間が確保できそうなのに。ねぇ士堂、どうにかお祖母様に頼んで分けてもらえないかしら」

「そりゃ無理だろう」

「少しでいいのよ。そうねぇ、2ヶ月分で十分よ。ねぇお願いだから」

「ハーマイオニー。多分お祖母さんは君には分けてくれないと思うな。2ヶ月が少ないと思う君には特に」

 

ハリーが呆れ気味に首を振ると、士堂とロンも同意する。ハーマイオニーは実に心外だとばかりに腰に手を置いた。

 

「あのね。いくら私でもあの秘薬の危険さは十分に理解しています。毎日飲まないことも、数日間は普通の睡眠を取らなくては効果が期待できないことも承知した上で、今後の為に必要だと言っているのよ」

「ホグワーツの談話室であの薬をがぶ飲みしているハーマイオニーが目に浮かぶよ」

「士堂、それは甘いな。僕だったらピンス司書の目を掻い潜って図書室で飲む姿まで想像できるね」

 

ロンが口をへの字に曲げながら顎でハーマイオニーを指す。ハリーも士堂も、ロンの想像した姿がありありと目の前で浮かんできた。真っ黒な隈を作りながら、本の山に埋もれ大量のインクと羽ペンを消費するハーマイオニーだ。昨年ほぼまんまの彼女を見知っているだけに、あまり笑える話でも無いのだが。

 

士堂達がアストン・マーティンのトランクに荷物を積め、出発の準備をしていた。これから指定されたポイントまで車で移動し、ロンの家族等と合流するのだ。わいのやいの言いながら荷物を整理する一行から離れて、ハリーは教会を眺めていた。

ハリーには凡そ信仰心なるものは、ピンとくるものでは無い。それでも今は、神というものに縋りたいと願う人の気持ちが、なんとなしにわかる気がする。まだハリーは昨晩のあの光景が、目から離れなかったのだ。

 

「ハリー、支度は終わりましたか?」

「お祖母さん。はい、僕の荷物は全て積み終わりました」

「結構です。我が孫は呆れたことに、教科書の類を危うく一式忘れるところでしたから。情けないと言ったらありゃしません」

「そうかな、士堂には助けられていますよ」

「いえいえ、あまり過大評価なさらずに。まだあの子には甘い点が幾つもある」

 

住処から出てきた道子は、エプロン姿で現れた。手をエプロンで吹きつつ、溜息を何度か吐く。ハリーは朝忘れ物で大騒ぎした友人を庇いつつも、自分の中で消化しきれない話をするかどうか迷っていた。

士堂やロンがトランクで右往左往している。どうやら荷物が上手く入りきらないらしく、一度仕舞った物を外に出して整理し直していた。手で鞄などのサイズを確かめるハーマイオニーや士柳等を見ていたハリーは、意を決して道子に質問した。

 

「あ、あの」

「なんでしょうか、ハリー?」

「あのお祖母さんは、その。士堂から聞いたんですが、マダム・ポンフリーみたいなことが出来るんですよね?」

「マダム・ポンフリー…?」

「あ、えっとなんていうのかな、傷の手当てをしてくれるんですけど」

「ああ成る程、医療者ですか。ー思い出しました、あの時に見た人かもーええそうです。私の専門は治癒魔術です」

 

 

ハリーは生唾を飲み込んだ。

 

「では傷についても詳しいんですよね?」

「ええ、普通の人よりは詳しいかと。何処か怪我でもなさいましたか?」

「その、ここで怪我をしたんじゃなくて、そのなんていうのかな。

ここの傷… なんです」

 

ハリーが髪をかき揚げ額を露わにすると、一瞬道子はたじろいだように見えた。しかし流石というべきか、衣をただしてハリーの額の傷に指を伸ばしてくる。

 

「そうですか、私は失礼ながら初めてお目にかかるもので… 」

「痛むんです。前からあったんですが最近特に頻繁に」

「傷が痛む。間隔的には、どの程度?」

「まばらです。でも変なんです、前に痛んだ時は、ヴォルデモートが近くにいた時だけでした。それなのに今はあいつが近くにいないのに、傷が痛むんです」

 

道子は何か言いたげに目を瞑りながら、ハリーの傷に触れてきた。ハリーは一瞬昨晩のような事が起こるかと思い身体を反応させたが、思い過ごしで済んだのは幸いだった。

 

「この傷については、何と言われましたか?」

「ダンブルドア校長は、ヴォルデモートとの繋がりだと。母さんの愛の魔法で死の呪文を防いだ時、ヴォルデモートと魂での繋がりが生まれたと」

「ええ。それは正しい。…ハリー、貴方は何が知りたいのです?」

「えっ?」

「この傷について私が知ることを伝えるのは容易です。しかしそれが貴方を救うか、私には確信はありません。寧ろ不安を増大させるだけだとさえ言えましょう」

「それでもいい。教えてください」

「…分かりました。私が知る話を語るべきでしょうね」

 

道子はそういうと、ハリーの額の傷をゆっくりなぞりながら、話し始めた。

 

「ハリー。貴方は『傷』を何と考えますか」

「傷を、ですか」

「『傷』の持つ意味は何に刻むか、そこが重要なのです。古来、特に私達救世主を信じる者からすれば、肉体は神からの贈り物とされてきた。

その身体に『傷』をつけるとは、何を意味するか」

「…」

「つまり神への一種の反逆ともいえます。古来から人々は身体に傷をつけ、色をつけました。それは敢えて傷をつけることで、刻まれた傷が持つ意味を強調する意図があった訳です。刺繍、刺青と呼ばれる物ですね。

貴方の世界に神はいないとされる。しかし肉体が神ないしはそれに準ずる高次元のモノから与えられたとする考えは、概ね変わらないでしょう」

「はぁ…」

「つまりですね。傷をつける行為の持つ意味の深さも、同じという訳です。貴方の傷は、例えヴォルデモートが意図していなかったとしても、向こうとの深い繋がりを意味している。その傷は敢えて言ってしまえば、ヴォルデモートそのものと言えます。ヴォルデモートの感情や魔力が爆発する度に、傷は疼くことでしょう」

「で、でもそれはあいつが近くにいた時だけでした。今あいつは近くにいないのに、どうして傷が痛むんですか?」

「それは…」

「教えて下さい」

「…ヴォルデモートの力が以前よりも強まっているからでしょうね」

 

ハリーは金槌で頭を殴られたような、激しい衝撃を受けた。よもやそのような指摘を受けるとは、ハリーは考えもしなかったのだが。

 

「…ハリー。一つ尋ねたいのですが、貴方は何故衝撃を受けるのです?それほど驚くことではありません」

「だ、だってヴォルデモートが力を増してるなんて…」

「復活したとは申しておりません。ただ以前よりも出来ることが出来た、私の知る話から推察するに仮初の肉体は得ている筈です」

「そんな、そんなの不味い! だってクレル先生に取り憑いていた時、あいつはゴーストのようだった」

「ハリー。厳しいことを申しますが、それは想像できたはずですよ。仮に貴方がヴォルデモートだとして、何年もそのゴーストのような状態に甘んじますか? しかも復活しかけた時、よりによって元凶たる貴方に邪魔されたというのに」

「それは」

「ヴォルデモートは我々の想定を超す執念を持っていることは、想像するに困りません。彼が仮初の肉体の純度を上げながら、真なる復活を目論みつつあっても、それは不思議ではない」

「…」

「だから申し上げました。私には貴方の不安を解決することはできません。これはもう単なる魔術師が介入できる代物を当に越しているのです」

 

ハリーの顔からみるみる血の気が無くなってきた。そんな不安に苛まれる少年を道子は抱きしめながら、背中をさすっていく。

 

「ハリー。一つ言えるのは、覚悟を決める必要があるということです」

「…覚悟、ですか」

「近い将来、貴方はヴォルデモートと相対することになる。これは間違いない。その予兆が傷の痛みなのですから。

受け止められない現実は、もしかしたら5年後だとか、夢みる時間はないのです。だから、覚悟はしておいた方が賢明ですよ」

「…近い、と思いますか」

「貴方は分かっている。でも認めたくないのではないですか」

「僕は…」

「かまいません。貴方の年頃なら、そんな事を考えずに他の事を考えたくなって当たり前です。私とて、酷な話をしているのは重々承知しています。

しかし、もう猶予はないのです」

 

ハリーの手は自然と額の傷に延びる。彼とてどこかで分かってはいた。これまでの経験から言っても、流石に想像できる事だから。それでも彼は、認めたくないと思った。

 

「でも、それは外れるかもしれませんよね?」

「…ええ、所詮は部外者の余計なお節介に過ぎませんから。当事者であるハリー、貴方の心に従いなさい」

「…分かりました」

「迷うならば、アルバスかミネルバに頼ってはどうです? 2人とも事情は察してくれるでしょう」

 

確かに賢明だ。だがダンブルドア校長は兎も角、マクゴナガル先生には何だか頼りたくないと思ってしまうハリーだ。単に成績の事でとやかく言われるのが目に見えているからかもしれないが。

 

「婆様。世間話は終わったかしら」

「ええ、終わりましたよ。貴女は支度を終えたのですか」

「私は荷物はコンパクトに纏めるのが自慢の種でして」

「そうでしたか?」

 

胡散臭そうに見られるのを厭わない橙子は、意味ありげにハリーにウインクする。直ぐに察したハリーは、道子に頭を下げた。

 

「ありがとうございました。お陰で悩みが解決できた気がします」

「そう、ですか。お役に立てたなら光栄です」

「あの、橙子さんと話してきてもいいですか? 学校についていろいろ相談したい事が」

「学校? ええ構いません。それならば若い彼女の方が適任でしょう。しかしもうすぐ準備が終わりますから、手短に」

「はい。本当にありがとうございます」

 

既に橙子は数メートル離れた所で煙草の火をつけようとしている。もう一度道子に頭を下げてから、ハリーは紫煙が揺らぐ場所まで小走りで駆け寄った。

橙子はハリーが近寄ってくると煙草をくぐらせながら、それとなく辺りを見渡すと、人差し指で何かを描いた。ほんの一瞬、ハリーと橙子の脚元に見慣れない文字が投影される。だがハリーは何ら気がつく事なく、息を軽く乱しながら眼鏡をはずした橙子の真横まで来た。

 

「はぁ、はぁ… 遠過ぎませんか?」

「群れるのが嫌いでね。見送りとかも性に合わないし、立ち聞きなんてもっての外だから」

「何となく分かります。そんな感じですものね」

「君、私の何を知ってるんだい? そんな口聞けるほど親しくなったつもりはないけれども」

 

満更でもない顔でそう言うと、橙子の切長の瞳が細まる。

 

「話は、察しの通りだ」

「なんなんですか? あれは一体」

「その事だが。君が見たものは幻想だ。今すぐ忘れたまえ」

「な、何を言ってるんですか?!」

「幻想だよ。君が見たものは幻想だ、いや幻想でなくてはならない。これはね、ハリー。大事な事だ。

《あれは幻想のまま、幻想として留めておかなくてはならないんだ》」

 

ハリーには、理解できない。例えるなら訳の分からない国語の問題とも言うべき、明確な解答が存在するとは思えない橙子の言葉は、ハリーから言葉というものを奪う。

だから橙子はハリーの耳元に顔を寄せると、辺りを憚るような仕草を見せた。

 

「君、ホグワーツで悪夢や夢魔について習ったかい?」

「多少は、です」

「そうか。では一介の魔術師として君に忠告する。悪夢や予知というものの対処法は幾つか存在するが、今回の場合君があれを現実だと認識することが1番の問題となる」

「現実だと思えば」

「それが狙いなんだ。君があれの存在を信じれば信じるほど、向こう側の存在にとっては好都合だ。

いいかいハリー。あれは君だから対処できないんじゃぁない。ダンブルドアだとて、対処はできない途轍もない代物だ。手軽に調べたりはしないように」

「ダンブルドア校長でも対処出来ないって、何が僕の身体に?!」

「君じゃない。君ではないが、君でもある。ハリー、これだけは他言無用だ。今回の件については、私が対処する」

 

橙子の強い口調からは、あの時見たものが自分の理解の範疇を超えた代物だと、十分理解できた。ハリーは背中に居心地の悪い寒気を感じるが、橙子はお構いなしだ。

 

「君を信用していない訳ではないが、保険として暗示をかけさせてもらう。あの件を他言しないように」

「それって魔術ですか? 魔法と似ているって士堂は言っていたけど、実際」

「ハリー。言い忘れたが1つだけ忠告しなくてはならない」

 

橙子の両手がハリーの両肩を掴むと、2人は正面で相対する格好となった。

 

「魔術師の前で、特に私の前で軽々しく『魔法』などと使ってくれるな」

「え…」

「君たちには実感できないかもしれないが、私達のいう『魔法』は文字通りの意味を遥かに超えている。

 

ー世界の根源から漏れ出た原初の理ー

 

大袈裟だって? 冗談じゃない。『魔法』が齎すのは、神話の世界で神々すらなし得なかった大偉業。誇張抜きで世界を塗り替える力を有するものだ。

それを受け継ぐ者は、並大抵の素質がなくては務まらない。家族や感情抜きに最適な人材が用いなくては、瞬く間に人の手から零れ落ちる」

 

橙子の言葉には、並々ならぬ想いが載っている。少なくともただの忠告ではない別の意味も含まれていることだけは、はっきりとハリーには伝わった。もしこの事をハリーが尋ねたら橙子は答えてくれるだろうか。

ハリーは質問したい気持ちも山々だったが、どういう訳かしようとはしなかった。虫の知らせなのか知りえぬが、ハリーはしない方がいいと思えたのだ。

 

「ごめんなさい。今度から気をつけます」

「分かればいい。ではハリー・ポッター。君に暗示をかけるが…最後の忠告だ」

「はい」

「君の立場、ヴォルデモートを打ち倒しただけが特別ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。心に刻んでおくといい」

 

ーまるで舞台の幕が降りるように、世界が暗くなるー

 

ーハリーには暗示などかけられたことすら認識できないー

 

ーそれでも最後に見た魔術師はー

 

ー笑っていたー

 

 

人気の多い石造りの街並みの中に、突風が吹き荒ぶ。皆コートやセーターの襟元で口を覆い、自然の猛威から逃れようとしている。街並みの一角にある古ぼけたアパートの一室で、ポットが湯気を立てていた。

 

「冷えるね」

「ふむ。私はそう思わないけど」

「君閉じこもりすぎじゃないかい。季節が変わることをもう少し肌身で感じてはみないのか」

「余計なお世話よ。季節なんて大々的な魔術を使う時以外考慮する必要がないもの。私の専門分野ではそんなものどうでもいいし」

「考古学に季節が絡まないとは思えないが。古今東西の文化文明は、歴史と地理と人間の、三すくみで成り立っているものだろうに」

「それは人間界の話。魔女は自然から隔離されるモノ。

ー嘘よ嘘よ。確かに季節は考古学では切っては切れない。でも私の専門は『解析』ではなく『発掘』。気にするのは湿度が主なもので、中身はどうでもいいから」

 

年季の入った木製の椅子に座る女性は、面倒臭そうな面持ちで髪を嵩上げながら、ポットを火から離す。ティーポットに熱湯を注ぎながら、彼女は突然の来訪者たる女性に背を向けながら問うてみた。

 

「でもあなたが来てくれるなんて、何の風の吹き回しかしら。あなたの専門分野に関して言えば、私の力になれることなんかあったとは思えない」

「そっくりそのまま返させて貰う。自分自身でも驚きを隠せないが、それでもやはり君が適任だと言わざるを得ない」

「そう。何か別なことをお探しのご様子で」

「自分で言うのも何だが、厄介なモノを引き受けてしまったことは否めないね」

「では何を探せばいいのかしら。何でもいいわよ。

どんな本でもあなたの手に」

 

 

「そうだな、先ずは思いつく所から。1431年頃フランス王国の資料だ。特にこの貴族に関して集めてくれ。名前はー」




間隔が開くことがデフォになってしまう…
何とか書けました。若干ハリポタと関係ない要素が絡みますが、ある疑問に関することなので。
上下巻となるほどのボリュームの為、気長にやっていこうとは思いますが、出来るだけ間隔は詰めたいです…
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