偽ギル様のありふれない英雄譚 作:鼠色のネズミ
「……うわぁ……」
無我夢中から正気に戻った時、ハジメは思わず自分にドン引きしてしまった。
熊の魔物は真っ白な毛並みが血に汚れていない箇所は無い程出血していて、首の骨が右に左にとぐにゃぐにゃになっている。鉄臭いまでに血の臭いが充満していて、鼻が慣れるまでその生臭さに悶える様な気分だった。
「一応、食料だからな……でもどう食べれば良いんだ?」
獣を仕留めた際、血抜きをしなければならないと言う知識はある。しかしあるのは知識だけで、どうすれば良いのかは全く知らない。異世界の生き物の可食部も知らないし、毒があるのかすらも知らない。少し迷ったが、ハジメは取り敢えず出来る範囲で熊の解体を行う事にした。皮を剥いで、臓腑を取り出す。悪臭で鼻が折れそうだったが、必要な事だと自分に言い聞かせて熊を分解する。
暫くして、ハジメは2キロ程に切り分けたブロック肉を手に入れる事に成功した。他にも切り分けた肉はあるのだが、持てる量は限られているし長居していれば他の魔物が来るかもしれない。
「錬成!ふぅ……」
ハジメは[錬成]をして洞窟の窪みに入り、蓋をした。意味もなく壁にタックルする様な魔物が居ない限り、ハジメの居る場は安全圏になるだろう。
それにしても酷く疲れた。体に痛くない所は無いし、特に熊に裂かれた腹と歪な握りをしていた掌が酷い。熊との対峙中こそアドレナリンの分泌で気にしなかったが、落ち着いて一息をついている今、アドレナリンの分泌は停滞しているだろう。それに加えての急激な運動による筋の痛み、魔力不足の頭痛。誰がどう見ても満身創痍である。
「水……そう言えば喉乾いたな」
ふと、ハジメの視界の端に、岩の隙間からから水がひたひたと溢れているのが見えた。それを見て、ハジメは自分に水分が不足している事を思い出す。迷宮に入り込んだ時には水筒を持っていた筈だが、いつの間にか落としてしまった様だ。少し休んでから水を飲もうと思ったが、一度喉の乾きを覚えると中々辛くて結局は水を飲みに壁際へ寄っていく。そして水の落下点に座り込み、口を大きく開けて水が口に入るのを待つ。
一滴一滴、少しずつ口に入る。そして、その一滴が口に入る度に心が和らぎ、体に活力が戻る。そして不思議な事に魔力すら回復した。
この水は普通の水ではない。
そう確信したハジメは岩の隙間を錬成でこじ開け、水源に向かってゆったりと歩き出す。錬成を何度も行ったが魔力が尽きる様子は無く、自分の思うがままに岩を動かして向かう。
水源は、一つの鉱石だった。バスケットボール程の青白い光を放つ鉱石で、イタリアの青の洞窟から一つ、石を取り出した様な美しい色をしている。
その鉱石の元から、一滴一滴と水は流れ、小さな水溜りが出来ているのだ。試しに口を付けてみれば、先程と同じ様な充足感が得られた。ハジメは錬成を駆使して鉱石を取り外し、それを砕いて程良い大きさにした。こうすれば回復作用のある水を少しずつ得られるからだ。
「そういや……もう1日近く飲まず食わずか。道理で腹が減る訳だな」
ふと思い出した様に口に出す。一日と数えられる訳でも無いし、昼夜の感覚も分からない奈落の底なのであくまで体感1日と言う訳なのだが、ハジメの体内時計は割と的を得ていた。
懐から先程の熊の肉を取り出し、そのまま一口齧る。血抜きもしていない野生の臭みや苦味、えぐ味が嫌と言う程口の中を走り、思わず吐き出しそうになってしまう。慌てて鼻を摘み、どうにかして口内の風味を誤魔化した。
「ぐっ!?――ッ!?あが……!」
その瞬間、何の前触れも無く全身に痛みが走る。繊維が、組織が、細胞が、一つ一つが侵食されて行く様な耐え難い痛み。全身の一片一片にその痛みは雷流の如くに流れ、自分の何もかもを壊している様にハジメは感じた。
(毒っぽいか?落ち着け……何とか……出来る筈だ……)
一先ずハジメは口内に残っていた肉塊を吐き出し、喉を通り過ぎた物も無理矢理嘔吐して吐き出した。しかしそれでも痛みが止む事は無い。
幸い、直ぐ側に回復作用のある水がある。ハジメはその場所まで痛みを堪えて這い、手で掬わずに直接大口を開けて水に噛み付く様に飲み込んだ。
「はぁ……はぁ……もう絶対に食わねえ……!」
全身に走る苦痛に顔を歪め、ハジメは誰にでも無く悪態をつく。
そもそも、魔物の肉は種類を問わず人間には総じて毒なのだがハイリヒに来て浅いハジメはそれを知らない。ただ分かりきった事はあの熊の肉は口にする物では無いと言う事。
奈落の底に陽は刺さない。今頃、日の目の見える外界ではどうなっているかも分かりはしない。
昼夜も分からず、星も、月も、一寸の先も見える事は無い。
ハジメが
ハジメが居る奈落から遥か頂上、地上。
丁度ハジメが熊肉に当たり、髪を一部白化させた頃の話だ。
勇者一行が滞在している場所はハイリヒ王国でも屈指の高級宿、地球でも例えるなら一泊で6〜7桁もの料金を取られる様な、そんな一地。
そこの一室に白崎香織は死んだように眠っていた。近づいて彼女の鼓動、もしくは呼吸音が聞こえなければ、多くの者はそれが完成された精巧な像と勘違いしてしまうだろう。それほどまでに美しく、静かに眠っている。
「―――!」
「香織!?聞こえる!?香織!」
覚醒、白崎香織の数日ぶりの目覚めは唯一無二の親友、八重樫雫に見守られた形となった。
自分の名前を懸命に呼ぶ親友、途切れ途切れで夢と現実の境界も曖昧な記憶。彼女の中でそれらは勝手に動き、勝手な憶測で結果を作り出す。
「うん、私だよ。雫ちゃん」
「香織……ああ、良かった……!」
数日間眠りっぱなしの体には何にも残っていなくて、八重樫の感激の抱擁を受け止める事は出来なかった。
記憶の最後に残るのは薄暗い洞窟の中、掠れに掠れた日差しだけが照らす闇の中。絶望の象徴とも言えるモンスター。
―――それに立ち向かう、一人の少年。
その記憶は、香織の中のもう一つの記憶と被って見えた。不良から小さな子どもを守った時と全く変わらない。彼の優しさだ。
「心配させてごめんね、雫ちゃん。みんなはどこ?南雲くんは?」
「っ……それは」
どう伝えれば良いのか、雫には理解が及ばなかった。親友の唯一にして無二の想い人、彼が既にこの世を去ってしまったと、どうして直接伝えられようか。
しかし、言い訳は通用しない。嘘なんて吐いたら真実を知った時のダメージが大きくなってしまうだけ。ただの未来に痛みを先送りしている事に変わりない。
「……嘘だよ、ね。そうでしょ? 雫ちゃん。私が気絶した後、南雲くんも助かったんだよね?」
「香織……違うの」
「やめて、離してよ。南雲くんにありがとうもごめんも言えてないの。だから、やめてよ」
「香織……分かってるでしょ?……もう駄目なの、もう駄目なのよ」
「違う!駄目じゃない!生きてる!南雲くんは生きてるの!生きてるのよお!!」
現実逃避、そう呼ぶのに相応しい思考だった。感情は抑えきれず、目の前にある酷な真実を受け止める事が出来ない。雫は同情する事が出来ない。誰かを一途に愛して、恋して、喪う一連の動きを過去に体験した訳ではない。だけれど、彼女が悲しく、苦しく、折れてしまいそうだと言う事は心から理解出来た。
同情は出来ない。だけれど憐れむ事は出来る。
雫は、暴れ回る親友を何時までも胸の中に留めさせていた。
「……悔しいわね」
「うん……」
誰よりも弱いと思っていた。そう思い込んでいた。
けれども見ただろうか、彼の勇姿を。己の持つ無力さを知りながらも、知恵と言う平等に与えられた武器で最善を尽くしたその功を。
力はきっと彼よりあった。守られるんじゃなくて守らなきゃいけなかった。
それだと言うのに―――彼は黙って立ち向かえるヒトだった。
その後、香織の感情が落ち着くのにそれほど時間は必要とされなかった。
雫の
「〜♫〜〜♫」
そんな先程の悲しみや何にも言い難い怒りは何処へ行ったのか、寧ろ上機嫌と言わんばかりに香織は鼻歌を浮かべる。悲しみが消えた訳では無い。悲しみが薄れた訳でも無い。ただ、目の前にあるちょぴっとした良い事に一旦忘れる事にしただけ。
香織は今、大浴場へと足を運ぼうとしている途中だ。
数日間、タオルで体を濡らしたり汗を拭き取ったりはしてもらった物の、体を浸す様な入浴はしていない。そこで急遽、大浴場を使わせてもらう折になったのだ。
衣服を適当に投げ捨て、湯船までノンストップで向かう。
日頃はみんなが使うのでキチンと順序を守っていたが、貸し切り状態の今は気にしなくて良い。バスタオルも持たずに裸一貫で湯船に駆ける―――
「ん、来たか。漸くだな」
否、急ブレーキが採択された。
湯船には先客が居た。その事自体、既に可笑しな話だがその人物が男性であると言うのなら尚更。本来であれば公然わいせつで即座に逮捕、と言うのが流れだが香織には目前の光景を理解するのに時間を要した。
金細工の様な一本一本の存在感がある金髪に真紅の眼。そして体を覆う筋の束々。理想的な八頭身の体のこの持ち主は―――
「王様!!??」
「如何にも、我だが」
「如何にもじゃないですよね!?ここ、お風呂ですよ!?女湯ですよ!?」
「周知の事実だが」
会話が全く噛み合わない。通常、お風呂と言うのは性別によって入る場所は変わるもの。その認識は日本でもこの世界においても変わらない。互いの裸を堂々と晒す様な真似をする文化はどちらにもない。だと言うのにこの人物は、ギルガメッシュは威風堂々と裸体を晒し、剰え「見惚れても良いのだぞ?」とまで言ってくる始末。香織は目眩すら覚えた。
「せ、せめて隠して下さい……」
「何故だ?我に隠さねばならん部分などあるまい」
「下です!見てないからセーフですけど!早急にお願いします!」
香織の言葉に不服そうな態度を現したが、そうしなければ話は進まない。渋々と言った様子で下半身にタオルを巻き、浅い湯船に腰掛けた。
「この風呂は良いな、中々に良い材質で出来ておる。まあ我の純金風呂には敵わんが」
「あ、あのう……王様?」
「ん?何だ?まさか上も隠せと言う気か?」
「いやーそれ以前に……男の人はちょっと……」
おずおずとした香織の態度にギルガメッシュは怒る気は無い。根からの我様主義では無く、本来は型月をこよなく愛する元地球人。流石に目的はあれど自分のしている事は褒められた事では無いと言う自負はある。
「そうか、ではこれで問題はあるまいな?」
黄金の波紋が一つ、空に浮いた。おなじみの王の財宝だ。それに片手を突っ込んで何やら引っ掻き回していると、漸く目当ての物を掴んで取り出す。
それは、二錠の薬だった。それを躊躇い無く飲み込むと、ギルガメッシュの体から筋が幾分か抜け、髪が伸びる。そして胸元に豊かな二つの丘を作り出した。
「流石は吾だ、性が変わった所で美を妨げる理由にはならんな。うむ」
「えぇ……」
香織は絶句している。目の前の力強さ溢れる英雄の王が、妖艶さを醸し出す女帝へと変貌したのだから。驚きを通り越して呆れの感情が強かった。もう何でもアリだ、この王様。
「さて、なぜ吾が此処に居るか気になっている事であろう」
「は、はい」
「まあ貴様には伝えた方が良いかと思ってな、軽く予定の変更点を説明してやろう」
ギルガメッシュはそのまま香織に、戦闘への参加が志願制となった事、戦争参加継続のメンバーと離脱のメンバーなどと言った眠っていた間の事を聞かされる。数日とは言え、大きな動きがあった様だ。特に南雲殺しの犯人が判明し、処罰を待つ状況にあるというのは小さな喜びだ。
「で、だな。吾としては貴様には伝えておくべきかと思って来た。南雲ハジメの事だ」
「南雲くんは……きっと生きてます!」
ハジメの名前を出された事で、香織は咄嗟にそう答えてしまう。彼は死んだのだと言われるのは辛い。心のどこかで必死に戦っている二人の自分が居るのだ。現実を受け入れるべきという非情な自分と、希望を抱きたい自分。その自分が戦い続けていて、やっぱり後者の自分は優勢を築いているのだ。
「……少し話すがな、吾には未来が見える。尤も、そこまで便利では無い。吾が見る未来は確定しておらん未来、未来の選択肢と確率のみだ」
「未来……ですか?」
「左様、技能の一種だと思えば良い。吾の眼には起きる未来の分岐、そしてどの分岐が起きるかを見る事が出来る。南雲ハジメを行かせたのは、行かせた場合に貴様等の生還確率が上がるからだ」
滔々と、諭すわけでも無く事実だけを並べていく。彼……今は彼女だろうか、その人物が持つ未来を覗くと言う技能は強力無比と言っても良いだろう。
絶対がない状況で最良の道を選んだその選択は、きっと「間違い」では無いのだろう。しかし香織にとってはそれは最も嫌な選択だった。ハジメだけを喪って自分だけが生きると言う選択は。
「私は……!自分が生きてても南雲くんが死んじゃったら嫌なんです!可能性とか確率とか!そんなのじゃなくて南雲くんに死んで欲しく無くて……っ!」
「はぁ……傲慢だな、小娘。現に貴様等は南雲ハジメを除いた多くで生存を果たしておる。結果で言えば南雲ハジメが居なければ今の貴様等は居らんだろう。」
「分かってます!分かってますけど……!」
そうだ、分かっている。自分が、クラスメイトが今も生きているのは間違いなくハジメのお陰だ。こればっかりは認めざるを得ない。それに、ギルガメッシュは冷酷であっても残虐では無い。未来を見通すと言う力を活かし、己の利と相手方への利を擦り合わせて選択をしているのだ。
「しかしな、可能性と言うのは便利な言葉だ。敢えて教えておこう。貴様等がベヒモスと遭遇する確率は南雲ハジメが生きているのと殆ど変わらん」
「南雲くんが生きて……」
「後は貴様の勝手だ、剣を置くも握るも貴様の好きにするが良い。後者の方が、吾には幾分が都合が良いがな」
ギルガメッシュは再び黄金の波紋を浮かばせると、今度は琥珀色の酒を取り出して口に含む。未成年には届かないその慣れた流れが、どこか「大人の女」を思い浮かばせて関心するが、慌てて「そう言えば男だった」と思い出す。
ハジメが生きている確率。それは大方、ベヒモスと遭遇する可能性と殆ど変わらないと言った。その言葉に香織は剣を握り続ける事を既に決めている。決して高くない可能性だが、存在しない訳では無い。藁をも掴む思いで千切れなかった藁だって存在する。
そう意気揚々と意気込む香織だが、何日間も食事をしていない所為で
―――くうっとお腹が鳴りました。
この音にギルガメッシュの背筋が一瞬ビクッとしたのは少し違うお話。
後日、再び挑んだ迷宮でベヒモスと再遇し、香織がちょっと嬉しかったのもまた、後のお話だ。
(桜じゃ)無いです。ヘブンズフィール再上映、神だから見てない兄貴達は見てみてどうぞ
エレちゃん、イシュタル様を出す方法が有るのですが…弱体化します。それでも良いですか?
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私は一向に構わんッ!
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判らぬか下郎、出さなくて良いと言ったのだ