子供は善悪を大人から教わる。だが大人達が教えてくれないことは、自分で経験していかなければならない。
俺はその経験が足りてないがために、何かを間違えたのだろう。
未熟な精神は時に、正しい道からはずれてしまう。
これは俺が子供の頃の話。
今では半分消えてしまった思い出。
柊木 新(ひいらぎ あらた)。それが俺の名前だ。普通の家庭に生まれて、普通の生活を送っていた。
そんな俺だが小学5年生の時、初めての彼女が出来た。
まだ恋人だという自覚のない未熟なカップル。それにはお互いの両親が関わっていた。
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出会った切っ掛けは、たまたま同じクラスになっただけという些細なものだった。
名前は夏野 千佳(なつの ちか)。
髪は長く、健康的な細身の体。活発ではあるが元気いっぱいと言うよりは、少し脱力した部分がある。
喋り方はのんびりしているが、自分が興味のあることには積極的だった。
そんな彼女がなぜか俺に興味を持ち、男女という垣根を超えて仲良くなった。
千佳は放課後になると、いつも俺のところに来てーー
「なにしてるのー?」
「どこいく?」
と言って、俺の腕をひっぱり、2人でどこかへ遊びに行くんだ。
千佳との関係をからかう奴もいたが、それが気にならないくらい2人でいる時間が楽しかった。本当に気の合う友達だった。
ある日、千佳の母親から俺の家に電話があった。俺と千佳についての話があると言われ、お袋は喫茶店に呼び出された。
その日の晩、お袋から千佳についての話を聞かされた。
千佳は家に帰ると、俺のことばかり話していると言う。食事の時、テレビをみている時、寝る前。どんな時でも俺のことだけを話す。
それを千佳の母親が心配しているようだ。
この頃の俺には、それになんの問題があるのか分からなかった。
千佳の母親があまりに心配しているようだったから、お袋はこんな提案をした。
「あんたさ、千佳ちゃんと付き合う気ない?」
「付き合う?」
「恋人になるってこと。あっちのお母さんもぜひって感じだったし、あんた千佳ちゃん嫌いじゃないでしょ?」
その頃の俺が千佳に恋愛感情を抱いていたと言うと、そうでもなかった。だが嬉しそうにそう提案をするお袋を見て、これは良いことなのだと思った。
だから俺は答えた。
「うん。いいよ」
そうして俺と千佳の交際が、親同士の冗談から始まった。
恋人同士になってから何か変わったかと言うと、結局いつも通りに遊んでいただけだった。
変わらない毎日。
千佳も変わらず、家では俺の話ばかりしていたそうだ。そんな俺達を大人達は微笑ましく見守っていた。
しかし中学生になって、少しづつ変わり始める。
2人は恋人同士と言う立場になっただけで、千佳の両親が心配していた事の本質は、解決していなかったんだ。
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中学1年生。
千佳がよく俺に触れるようになった。俺に抱きついたり、手を握ったりしている時の彼女は、誰から見ても幸せそうだった。
千佳が友達を作らなくなった。俺以外とコミュニケーションを取らなくなり、2人でいる時間をなにより大事にした。自分以外の女子が俺に接触すると、その日はとても不機嫌だった。
千佳から毎日手紙が届くようになった。
言葉で伝えきれない愛が、紙いっぱいに綴られているラブレター。
日に日に俺に使う時間が増えていく千佳を見て、再び彼女の両親が不安を感じ始めた。
これが彼女の正しい姿なのだと思っていた。
どこもおかしいところなんてない。なにせ俺にとっては、初めての恋人だったから。
中学2年生。
千佳がよく泣くようになった。だが俺が慰めてやるとすぐに泣き止んだ。
彼女が泣く理由が分からなかった。不安の原因を話してくれなかったからだ。
千佳がクラスメイトを傷つけた。
俺は違うクラスだったから、その時の状況を知らない。千佳となにかあったであろう女子生徒は、親の意向ですぐに転校した。先生もこの件について生徒達に話すことはなかった。そして千佳は1ヶ月の謹慎となり、学校に来れなくなった。
謹慎期間に入る前、千佳は俺に、自分は壊れてしまったのだと伝えた。
何も言ってくれないまま、自分で自分を追い込んでいるように見えた。
彼女は母親に連れられて、心療内科へ行った。診断の結果、オセロ症候群という病名がついた。簡単に言うと、恋人などのパートナーに対して嫉妬心が抑えられなくなる病気だ。
俺には千佳が病気だという実感なんてなかった。俺と一緒に居る時、彼女はいつも笑っていたからだ。
医者も確証を持っていた訳ではなかった。しかし千佳は「気にする必要はない」という、周りの言葉に耳をかさなかった。病名が付いたことを重く受け止めていた。
「アラタに嫌われたくないから」
そんな理由で、千佳はこの病気と向き合い、治そうとした。
俺は彼女に協力した。
嫉妬を和らげようとしばらく距離をとってみたり、恋人らしいことを控えるようにしたりーー
しかしこれらは逆効果で、彼女は日に日に本当に病気みたいなやつれ方をしていった。頬はこけるほど痩せ細り、長い髪は無造作に乱れていた。
そんな彼女を見ていられなかった。昔の明るい彼女に戻って欲しいと思うようになった。
千佳がこうなったのは、俺と付き合っているせいだ。
そう思うようになった。
だから俺は……彼女と別れる決断をした。
中学2年生の6月。
俺の部屋で千佳と2人きり。座っている俺の胸元に顔を埋めて抱きついている彼女の頭を撫でながら、こう告げた。
「……千佳、別れよう」
いずれこうなると分かっていたのだろう。彼女の目からはひと筋の涙が流れた。
そしてそのまま意識を失った。
病院に運ばれた千佳は、3日間眠り続けた。
そして目覚めた時には、彼女は俺との記憶の一切を失っていた。
過剰なストレスによる解離性健忘。
俺が別れを告げた瞬間、彼女の精神はそれを受け止めきれなかった。過度なストレスを生命の危機だと体が判断し、原因となった俺に関する記憶を全て切り離した。
千佳の両親は、無理に記憶を思い出させないという判断をした。
俺が別れを告げた記憶が戻ることで、自殺などの行為に及ぶ可能性があると考えたからだ。
そうして中学2年生の夏、千佳は転校した。俺との写真も全て破棄され、お互い違う世界で生きることになった。
千佳は俺との記憶を全てなくした。そのことに対する悲しみもあったが、なにより自分を許せなかった。
もっと千佳の話を聞くべきだった。両親の提案で付き合ったという経緯からか、2人の関係を軽視していたのかもしれない。
悩んでも答えが出ない。
解決していない問題は、また繰り返すかもしれない。
結局答えば見つからず、誰かと深く付き合うというのが怖くなった。
トラウマなんて大層なものじゃない。ただなんとなく、その出来事が心に引っかかり、友人と呼べる人が減っていった。