部室での一件以来、俺は泉さんと千佳の衝突を避けるような立ち居振る舞いをしていた。
昼休みは早めに教室を出て、千佳と会い。放課後はすぐに部室へ向かう。
千佳とは『距離を取らない代わりに、記憶をなくす前のことは言及しない』という約束があった。
泉さんについては、なんとなく距離を取ってはいけないと思った。杞憂(きゆう)かもしれないが、千佳との経験がそう啓蒙をならしていた。
バランスを少しでも崩すと、2人の内どちらかが不安定になる。
そんな張り詰めた日々を送っていたある日の放課後、俺のげた箱に小さな封筒が入っていた。
可愛らしい封筒にはオレンジ色のシールが貼ってある。
その封筒には
__千佳より
そう書かれていた。
千佳からのラブレター。
俺はこれを知っている。
ラブレターは通常、告白の手段として使われる。しかし昔に彼女から渡されていたそれは、ただ俺に対する思いを無造作につづったものだった。
会って話す時間、そこからあふれてしまった言葉がこの手紙に詰め込まれる。中学時代はこれが毎日届いた。
愛をささやく赤信号。1枚1枚たまっていくカウントダウン。
そうしてあの日、千佳の心が限界を迎えた。
今の彼女もその状態に近づいているかもしれないという焦りから、転校について考えることが増えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
放課後、人の少ない廊下。
私は腹部の痛みに堪えながら、ばらけた筆で線を引くようなおぼつかない足取りで歩いていた。
痛いし、泣きたい……。
石塚先輩に蹴られた肉体的痛みは、そのまま精神的な痛みへとなっていた。
頭によぎるのはつい先ほど突きつけられた言葉。
『あなた都合がよすぎるのよ!』
どうして私がそんなことを言われなくちゃいけないんだろう。アラタは私の恋人なのに。
『記憶を失ったからって、全部なかったことになんかならないわ!』
好きで記憶がない訳じゃない!
そう言い返そうと思ったけど、自分の立場に甘えてるみたいで言えなかった。
今はとにかく家に帰りたい。
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家に帰った私は、電気も付けずに制服のままベッドに寝転がった。
自室で一人。静寂のせいでさっきのことを思い出して涙があふれた。
自分がこれからどうしたらいいのか。アラタはどうしたいのか。
もうずっと分からないままだ。
過去を知らないことがこんなに怖いと思ったことはなかった。
そうやって沈みゆく感情に逆らえず、ただ体を丸めて泣いていると閉ざされたドアの前に気配を感じた。
「千佳、どうした?」
「お母さん……」
不思議。お母さんの声を聞いただけで、少しだけ落ち着いた。
「新くんのことでしょ?あなたが泣く理由なんて他にないしね」
「……うん」
お母さんは壁に寄りかかって「そっか」と言った。
そして私の涙が引くまで待ってくれた。
「あなたと新くんのこと、全部は教えられないけど少し話そうか」
「お母さん、昔の私たちのこと知ってたの?」
「もちろん。だってあなたたちが付き合うのを提案したのは私だしね」
そうだったんだ。
私とアラタをつなげてくれた人。その話はきっと単なる過去ではなく、気持ちの部分で知りたいことが知れる気がした。
そうして私とお母さんはリビングへ行き、テーブルに向かい合って座った。
「どうして隠してたの?」
「ごめんね。それは今も言えないのよ」
分かんないよ。どうしてみんな隠そうとするの?
結局お母さんからも何も聞けないんだと思い、少しがっかりした。
これ以上何を話したらいいか分からない。
そう思って出された紅茶にただ口をつけていると、お母さんは一冊の大きなアルバムを持ってきた。
「本当はこれも処分するって話だったんだけどね。私にはできなかった」
「これって……」
アルバムの表紙には私とアラタの名前が書かれていた。
「じゃあまずは。あなたと新君が出会った時のことから話そうかな」
そうしてお母さんは、アラタと私の過去を話してくれた。
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私とアラタが出会ったのは小学生のころ。
そのころの私は今と同じで落ち着きがなく、いろいろなことに手を出しては飽きての繰り返しだった。
そんな時、とある男の子と出会った。
名前は柊木新(ひいらぎあらた)。
彼はいつも一人だった。当時の私にはそれが寂しそうに見えたそうだ。
最初は興味本位で話かけただけだった。
でもそれが毎日続き、飽き性だったはずの私はすっかり彼に夢中になった。
私は家でもアラタのことばかり話すようになった。
その時にはもう私の中に小さな恋心が芽生えていた。そのことにお母さんは気づいていた。
だからアラタの親と直接会って、私とアラタが恋人になることを提案した。
そうして小学5年生同士のカップルが誕生した。
アラタはあまり他人と関わるのが得意ではなかった。
でも私と一緒にいるようになって、日に日に明るくなった。友達だっていっぱい出来た。
この頃のわたしたちは、大人たちから見ても幸せそうだったみたいだ。
でもその幸せは長くは続かなかった。
中学に入ってすぐ、私はいじめを受けた。
主犯はアラタのことが好きな女の子だった。その子をリーダーとしたグループが私にちょっかいをかけてきたのだ。
アラタには、私がいじめにあっていることがバレないように振る舞った。
たぶん心配をかけたくなかったんだと思う。
もともと協調生のなかった私へのいじめは、そのグループから派生してどんどん大きくなった。
女子のいじめは怖い。男子や先生には絶対にバレないようにやるんだ。
それでも私は負けなかった。
こんな陰湿なやつらにアラタを渡すものか。そんな正義感と、彼と過ごす時間の幸福が勝っていた。
しかし不安定な状態が長く続くはずもなく。
私の心は徐々にすり減り、ついには私へのいじめの発端となった女子生徒とトラブルを起こしてしまった。
私はそれが原因で自宅謹慎となった。
そしてオセロ症候群という病名がついた。恋人などのパートナーに対して、大きな嫉妬心を持ってしまう病気だそうだ。
お母さんの話はそこで終わった。この先は話してくれないみたいだ。
ただ私の記憶喪失はその病気に起因しているのだと聞いた。
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「話せるのはこの辺までかしらね」
私はその話を聞きながら、過去をさかのぼるようにアルバムを見ていた。
ただの昔話だった。
正直途中からあまり頭に入ってこなかった。
アルバムに映っているアラタが笑っている。
そのことが過去の話よりも、私の心に深く突き刺さった。
今の彼はこんなに幸せそうな顔をしていない。
私と出会う前に戻ってしまったかのように、孤独で寂しそうなんだ。
悔しい気持ちでいっぱいだった。全部私の心の弱さが招いたことだ。
「私……取り戻したい」
そう言った私の手に、お母さんはそっと手を重ねた。
「自分で思い出すしかないの。それに……覚悟がいる記憶よ」
「大丈夫、頑張る」
「じゃあ、お手紙からはじめましょうか」
「手紙?」
「昔は毎日書いていたのよ。新くんへのラブレター」
今の時代手紙なんてって思った。
でも今やるべきことは昔の自分に近づくことだ。
だからまずは一通書いてみることにした。
一歩づつでいい。止まっていた時を後ろに戻していこうと思った。
お母さんとの話が終わり、私は早速手紙を書き始めた。
いざやってみると、思っていたより伝えたい気持ちがたくさんあって、すぐに紙が埋まってしまった。
アラタに伝えきれていない気持ちがこんなにあったんだ。これなら毎日書くのも苦にならなそうだ。