千佳から「休日どこかいこー」なんて言われて、半ば強引に約束をとりつけられた。
デートの場所は、家から2駅離れたところにある湖のある大きな公園だ。
休日に家族がピクニックを楽しむような、そんな自然が豊かな場所だ。
「あっ、きたきたー」
待ち合わせ場所でそうやって子犬が尻尾を振るみたいに、元気に手を振る千佳。
その光景を見て、昔の記憶がフラッシュバックした。
ここは昔、千佳とよく遊んでいた公演だった。
家族ぐるみの付き合いだった俺たちは、お互いの両親に連れられてここにきていた。
「早く行こー。あ、そうだ、せっかくだし腕くもー」
千佳はそう言って俺の腕に手を回した。そして引っ張るように歩き出す。
せっかちな彼女は歩くのがはやい。だからこうやって引っ張られると、景色の流れが変わって見える。
千佳のペースで歩くことで、ようやくこの公演になつかしさを覚えるのだった。
「今日は暑くもないしちょうど良かったね」
「そうだな」
木々に囲まれた道を二人で歩く。今日の千佳はずっと楽しそうで、なんだか機嫌が良いようだ。
「それで、クラスの子がねー、こんな……」
「どうした?」
「……ちょっと、ふわっと来た」
そう言って彼女は、すんすんと鼻を動かす。
釣られて匂いをたどるが、周りに出店などはないし、特別な匂いがするわけではなかった。
そうして彼女は「ここか!」っと言って俺に顔を近づけた。
「俺臭うか?」
「ちがーう!」
組んだ腕に力を入れて、俺の体を引き寄せる。
「アラタ、なんかいい匂いする……」
「そうか?香水とかの匂いは苦手だから、使ってないけどな」
「じゃあこれ、アラタ自身の匂いなんだ。私すごく好きだな」
そんなことを言われたことがないから、恥ずかしくなって顔をそむける。
それでも嫌な気分ではないことを伝えるために、千佳の頭をそっとなでた。
そうすると、彼女もまた照れたようにはにかんだ表情を見せた。
一緒にいると強く思う。本当は離れたくなんかない。
もう一度昔みたいに、近くで笑っていてほしいい。
しかしそれはもう俺には出来ない。だから千佳には早く、この笑顔を向けられる相手を見つけてほしい。
そして幸せになってほしいと思った。
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こうやって千佳と1日遊んだのは久しぶりだった。
公園の大きな池の周りを歩いたり、足漕ぎボートにも乗った。
売店のソフトクリームを交換したりして食べた。
どれも昔2人でやったことだ。
千佳が少しも変わっていないことが、なぜだか嬉しかった。
いずれ消えてしまう2人の思い出を、振り返ったような1日だった。
転校するまでの最後のひととき。そう吹っ切れていたせいか、純粋に楽しむことができた。
そうして夕方、少し赤みがかった空の下、フェンスにもたれかかって空色を映す公園の池を見ていた。
「やっぱだめかー。記憶全然思い出せないや」
千佳はそう言って、両手を上にして大きく伸びをした。
「アルバム見たんだー。私とアラタが写ってる写真。お母さんに見せてもらっちゃった」
ちょっと待て。
アルバムのように俺との関係を疑わせるものは、処分する約束を千佳の両親としたはずだ。
思い出すきっかけを少しでも減らすために。
しかし冷静に考えてみれば、いつも千佳を気にかけているような彼女の母親が写真を捨てるなんてことができるだろうか。
きっとできなかったのだろう。
そして千佳は記憶を諦めないと決めた。だから彼女の母親はその意見を尊重したのかもしれない。
「アルバムにあった公園、2人で写ってたところをめぐってみたんだ。でも思い出せなかった」
「……そうか」
だから昔一緒に行った場所ばかり回っていたのか。
千佳は俺の首の後ろに腕を回した。顔を見上げながら、今日一番の笑顔でこう言った。
「今日楽しかったね。また一緒にお出かけしようね」
そして自然な動作でそっと唇を重ねた。
前回の制欲に任せたものとは違う。純粋に好意をあらわす口づけ。
それが胸の奥をかき乱す。
見えている景色がぐるりと変わったような、
まるで初恋のような。
初恋?
俺の初恋はいつだっただろうか。
昔の千佳との関係は、まだ子供だったこともあり友達の延長でしかなかった。
泉さんは、いちばん一緒にいてほしい時にそばにいてくれた。これからも一緒にいたいと思う。
だが今の千佳ほど、異性として強く意識しただろうか。
このまま彼女と一緒にいたら、自分の中の何かが変わってしまいそうだった。
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家に帰り自分の部屋に戻っても、まだ千佳のことが頭から離れない。
こんなことは初めてだ。
気をまぎらわそうと読書をしたりテレビを見たが、内容が頭に入ってこない。
ふと帰り際に千佳から渡された手紙が目についた。
千佳からもらった手紙は、ひとつも読んでいない。彼女に対し余計な情は持ちたくなかった。
いつも通りその手紙を読まずに引き出しにしまおうとした。
しかし今日はその手が止まった。
ほんの気まぐれ。読んでみようという気になった。
女の子らしい、かわいらしい封筒を丁寧に開けて、手紙を取り出す。
その手紙には、予想通り俺への愛がつづられていて、そして最後にはこう書かれていた。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
私やっぱり思い出したい。アラタのことどんどん好きになって、今だけじゃ嫌だなって思った。これからもずっと一緒にいたい。でもそれよりも今は、過去を取り戻したい。
アラタとの幸せな記憶は1秒でも諦めたくない。
だから頑張るね。
好きだよ、アラタ。
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
千佳らしいゆるい口調の文章だ。だがそれが余計に彼女の言葉なのだと実感させる。
『くそっ……勝手なことばかり言いやがって……!俺は……俺は覚えてるんだよ!全部覚えてるんだ!!』
千佳は悪くないことは分かっている。
しかし言いようのない怒りが湧いてきて、気づけば手紙を握りつぶしていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
今日1日、アルバムでアラタと私が映っていた公園を歩いた。
それでも何も思い出せなかった。
焦っても仕方ない。とにかく明日わたす手紙を書かないと。
何を書こうかと考えながら、私は今日のデートを思い出していた。
すてきな1日だった。
アラタとただ公園を一緒に歩いただけ。それでもいっぱい笑ったし、すごく幸せな時間だった。
こんな記憶を忘れるはずがない。
私はアラタとの記憶を絶対に思い出せるはずだ。
そんなふうに考えていると、思ったよりも時間がたっていることに気がついた。
……あれ?私なにか書いたっけ。
まだ紙とペンを用意しただけだった気がしたけど、無意識に何かを書いていたみたいだ。
そこに描いてあったのは普段私が書くものよりも、少しだけ幼い字だった。
~~~~~~~~~
アラタ、私を好きになって。
そしたら
~~~~~~~~~
おかしいな。
アラタはもう私のことが好きなはずだ。
私が求めるのは自分の記憶。アラタは今のままでいいはずなのに。
私はこの文章に何も疑問を持たず、丸めて捨てた。
そう言えばアラタのことでいっぱいで、すっかり忘れていたことがあった。
石塚泉(いしずかいずみ)という先輩。
正直彼女には腹が立つ。でもアラタが好きなのは私だ。だから心配はしていない。
記憶をなくしてもずっとそばにいてくれる彼が、今更他の女の子になびくなんて考えずらい。
だから彼女のことは、あまり考えないようにした。
だというのに、私の口は無意識にこんな言葉を吐いていた。
「……あいつ邪魔だなぁ」
単なる無意識。
この頃の私は、そう思っていた。