部室ではいつも、泉さんと2人で机を挟んで座っていた。しかし今日は、隣にぴったりとくっついている。
「泉さん……近くないか?」
「そうかしら。でも新くん嫌がらないから」
泉さんにはいつもお世話になっているから、好きにさせていた結果こうなった。肩にもたれかかってきて、そのまま俺の腕を抱え込んだ。
当たってる……。
「これもいいんだ。どこまでやっていいのかしら」
何をされても気にしないふりをしていたせいで、泉さんの行動はエスカレートしていた。
彼女の気持ちを知っているから邪険に出来ない。なにか話題を振ることで、一時的に意識をそらすことにした。
「泉さんは昨日、何してたんだ?」
「部室に居たわ。新くんは、どうして昨日来てくれなかったのかしら?」
そう答えた泉さんの表情に影が落ちる。昨日来なかった事を怒ってるのかもしれない。
後ろめたい事なんてないから、正直に話す。
「一昨日、部活の見学にきた奴いただろ。そいつといろいろ話してたんだ」
「そうなの?どこで?」
「ファミレスだけど」
泉さんは目を合わせないまま、小さな声で問い詰める。
細い指に力が入り、絡まれた腕に痛みが走る。
「……私は新くんとデートするのに1年もかかったのに」
「昨日のはそういうのじゃないさ」
そもそも千佳を俺に押し付けたのは、泉さんじゃないかーー
そう言い返そうと思ったが、それで場が収まるとも思えないのでとりあえず謝った。
結果、次の休日に一緒に出かけるという約束で手を打つことになった。
____________________
昼休み、教室のドアから俺を呼ぶ声がした。
「あ、いたいた。ご飯いこー」
千佳だ。
ずかずかと別のクラスの教室に入っては、座っている俺の手を引っ張ろうとする。
「なんで一緒に飯を食うことになってる」
「だってー、私たち仲良しだし」
「ほとんど初対面だろう」
千佳を無視してもよかったが、クラスの連中が俺達に注目し始めた。
「分かったよ。今回だけだからな」
「やった。じゃあお弁当買ってベンチで食べよー」
こいつ本当に記憶が戻ってないのか。
俺がこういう押し切られ方に弱いのを、知っているみたいじゃないか。
結局こうして、二人で中庭のベンチに座って昼飯を食べている。
「そう言えば柊木くん、友達いないんだってねー」
「……それ本人に言うか普通」
「あ、本当だったんだー。じゃあ今度からは、私と一緒にお昼食べよう」
「悪いけど俺は、昼は部室で食べるって決めてるんだ」
「私も部活入るから大丈夫」
大丈夫じゃない。
千佳が部活に入るのだけは阻止しないといけない。
いっそここで突き放す事を言ってしまえばいい。完全に拒絶してしまえば、もう会おうだなんて思わないだろう。
『お前なんか嫌いだ』
そう言おうとしたが、声が出なかった。あの頃みたいに、また彼女を傷つける様な事は、俺には言えなかった。
「唐揚げもらいー」
くそっ、油断するとすぐこれだ。
千佳は華麗な箸さばきで、俺の弁当に入った唐揚げを持っていった。
だが、彼女のこういう悪戯には慣れている。
悪戯に成功した直後は油断する。その瞬間を狙って、千佳の箸から直接唐揚げを食べてやった。
「私の唐揚げが……」
「元は俺のだ」
そんなくだらないやり取りで、何故だか2人して笑ってしまった。
「やっぱり柊木くんと一緒にいると楽しいなー」
そう言って目尻に溜まった涙を小指で拭った後、ベンチに両手をついて首を傾けて見せた。
風になびく日の光に透けた長い髪を、軽く手で整える。そんな仕草に、子供っぽかった昔と違う女性らしさを感じて、つい見惚れてしまった。
「どうしたの?」
お互いに見つめ合っていたのに気付いて、動揺してしまう。
そんな俺を見て楽しそうにしていた千佳だったが、なにかに気付いて固まった。
何事かと思い観察すると、彼女の目線の先には、先ほどから弁当を食べていた箸があった。
そういえば唐揚げを取り返す時に、俺が口を付けてしまっていたな。
「悪い。嫌だったよな」
「別にー。でもちょっと、ドキドキしてる……っぽい」
千佳は口元を押さえて、耳まで真っ赤になっていた。
初々しい反応だ。昔はキスだってしていたが、今の彼女にとっては、こんな些細な事も初めての経験だった。
小さなやり取りから、彼女の中から俺が消えてしまったのだと実感してしまう。
胸が締め付けられる。やはり会いたくなかった。
「なんかキミ、時々悲しい顔するね」
「……気のせいだ」
心配そうにしている千佳を見て、心の底から思った。もう千佳とは会わないようにしよう。
だが俺だけでは、どうにか出来る気がしない。
やはり泉さんに相談する必要があるだろうか。
____________________
その後千佳は、何度か部室を訪ねては、泉さんに断られていた。
「あの子、また来たわ。それに新くんもどこか変よ……」
じっと目を見てそう問いかける泉さん。
俺が何かを隠しているのを分かっているのだろう。
最近の千佳は、廊下ですれ違うたびに声をかけてくる。部室にまで来て、一緒に帰ろうと言ってくる始末だ。
「正直に話して。何か悩んでることがあるんじゃないの?例えばあの千佳って子に付き纏われてるとか……」
「いや、そうじゃない」
もともと泉さんには、千佳のことを話そうと決めていた。
「実はな、前に話した記憶を失った恋人は、千佳のことなんだ」
「………え」
泉さんは数秒固まった後ーー
「ま、待って……え?どういうこと?アレ……じゃあ新くんは、あの子とまた恋人に……」
激しく取り乱した。
呼吸が荒く、頭を抱え目を見開いている。まるで強烈な頭痛に襲われているようだ。
話が唐突すぎたかもしれない。
「泉さん。大丈夫か」
まさかここまで取り乱すとは予想外だ。落ち着かせようと泉さんの肩に手をかけようとするが、彼女は怯えたように体を逸らせてそれを拒んだ。
「い、嫌……聞きたくない……!」
このままではまずい。
俺はなりふり構わず現状を話した。千佳がまだ記憶喪失のままだと言うこと。そして俺はもう、彼女とどうこうなろうという気がないことを。
「そう……だったのね」
説明し終える頃には、ほとんど落ち着きを取り戻していた。
「ごめんなさい。あなたが居なくなってしまう気がして……いえ、やっぱり忘れて」
普段冷静な彼女だが、時々こうやって取り乱す。告白の時も最後に泣き出してしまった。何が切っ掛けでそうなるのかは、まだ俺には分からない。
「本当に記憶をなくしたままなのかしら。だって偶然再会なんてありえないでしょう」
「ああ。俺もそこは気になったが、どうも本当に偶然らしい」
お互いの情報を完全に遮断していた。どこの学校を受験したかなんて分かるはずがない。
「それで、新くんはどうしたいの?」
「俺は……もうあいつとは関わりたく無い。あいつにとって俺が悪影響になることは、もう昔に分かったことだ」
このまま何もなかったことにして、また別々の生活に戻ればいい。俺の存在は、いつか千佳を苦しめる。
「分かったわ。部室は鍵を掛けるようにしましょう。あの子が来ても、私が対応するわ」
「いつもありがとう泉さん」
泉さんはこうやって、俺に逃げ場所を作ってくれる。
あまり彼女に甘えても悪いと思うが、今回は俺が頭を使ったところで裏目に出るだけだ。
「羨ましいわ」
泉さんはそう言って俺の方にもたれかかった。
「まだその千佳って子のこと、心配しているのね。1年以上経ってるのに、私じゃまだそこを埋められないんだもの……」
「そんなこと……」
そこまで言って、口を噤む。
こんなに良くしてくれているのに、まだ受け入れるのが怖い。正直今の俺は、男として最低なのかもしれない。それでも、千佳の泣き顔を思い出してしまうんだ。
「ねぇ、デートの約束覚えてる?」
「ああ」
「楽しみね」
千佳との再会。その出来事は6月の雨みたいに、重い冷たさで時を鈍らせる。
でも泉さんは、やさしく傘を差し伸べて、ゆっくりとした歩幅で一緒に歩もうとしてくれていた。