今日の放課後はアルバイトがあるらしく、千佳は先に帰った。彼女が学校近くのファミレスでバイトをしていることは、学校では結構有名らしい。
丁度千佳もいないことだし、泉さんに昨日のことを説明しよう。
部室に行くと、泉さんはいつもどおり、図書室で借りた本を読んでいた。
俺が部室に入っても、挨拶などはしてこない。しかし俺達にはそんな決まり事はなく、彼女の心境は汲み取れない。
しばらく泉さんの様子をうかがうと、彼女はひたすら読書に集中していた。昨日は少し不機嫌に見えたが、今日はそうでもないらしい。邪魔するのも悪いし、昨日のことは後で話そう。
俺も席に座り、読書に勤しむ。
今日は晴れていて、カーテンから差し込む光が、ほど良い照明となっている。まさに読書日和だ。
1時間ほど経っただろうか。
俺たちはまだ一言も言葉を交わしていなかったが、唐突に泉さんが口を開いた。
「……あの子と付き合ってたのね」
その言葉は窓からふく微風のように、耳を通り過ぎそうになった。しかしパタンという本を閉じる音で、それが突風だと気づく。
「嘘つき」
「違っ……」
「あなたを信じて、口を出さないでいたのに……!」
泉さんはそれ以上、言葉が見つからなかったのか、手に持っていた文庫本を投げつけた。俺の胸元にぶつかった本は、空中で開いたことで力なく地面に落ちた。
やはり昨日のことを気にしていた。
いや、薄々分かっていた。怒っている可能性への臆病風で、誤解を解くのを後回しにした。また彼女に甘えてしまった。
「付き合ってない。同じ中学のやつが、俺と千佳が付き合っていたことを教えたんだ」
そう、俺が別れ話をしたことは、限られた人しか知らない。だから伝わった情報が欠けていた。
その後も、泉さんの質問に正直に答えて、なんとか誤解を解くことは出来た。しかし、彼女の目線は下を向いたままだった。
「そう、分かったわ。でも、もう貴方に協力はできない」
当然の結果だろう。
俺を好きだと言った泉さん。彼女にとって千佳は、決して快い存在ではないはずだ。
それなのに、黙って見過ごしてくれていた。
泉さんはそのまま立ち上がり席を離れる。流石に今回は許してくれないだろう。
これで彼女との関係も終わるかもしれない。
結局俺は何も変わっちゃいなかった。深く関わった相手は、俺のせいで去っていく。
しかし彼女の足は部室の外へは向かわなかった。
机の横を通り、俺の席の横に立つ。
数秒見下ろしたと思うと、すっと屈んで唇を重さねた。
軽く唇が触れて、離れる。
そして俺の膝にまたがるよに座ると、今度はさきほどとは違い、激しく唇を合わせた。
目眩がするほどの濃厚なキス。追い回すかのように舌同士が絡まり合う。
「ん……ちゅ……」
小さく漏れる声と、快楽を表すとろけそうな表情は、今まで押さえつけられていた何かが外れたようだった。
「言ったはずよ。こうなったら、私はもう止まれないって」
そしてもう一度顔を近づけてくる泉さん。
一旦離れたことで冷静さを取り戻していた俺は、泉さんの肩に手を当てて押し返そうとした。
しかし彼女は、抵抗しようとする俺の首を押さえつけた。
「ぐっ……!」
「あなたは、あの子との訣別を望んでいると思っていたわ。だから協力だってした。でも、見ていて分かったのよ。あなたはあの子を切り捨てられない。だったらもう、私は遠慮なんてしないから」
やばい。息ができない。女性の力でも、器官を塞がれると、力が入らず抵抗できない。
彼女の手に更に力が込められるのを感じた刹那、急に目の前が暗くなった。
体の力が抜け倒れ込む俺を見て、泉さんの手からも力が抜けた。そしてうっすらと「ごめんなさい……ごめんなさい……」という啜り泣く声が聞こえた。
その後俺は、保健室に運ばれたらしい。
早めに目が覚めて良かった。泉さんが先に真相を話していたら、問題になるところだった。俺は保険の先生に、前の日に夜更かしをしたせいだと説明した。
泉さんは今までも取り乱すことはあった。しかし今回は、泉さん本人も、自分の行動に戸惑っていたようだった。
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次の日、俺は部室に顔を出さなかった。泉さんとどう接したら良いか分からなかったからだ。
昨日の泉さんは、昔の千佳に重なるところがあった。一つ接し方を間違えるとどう転ぶかわからない。
放課後は下駄箱に直接向かい、校門を出た。
駅に向かって歩いていると、いつの間にか後ろに千佳がいた。
懐かしいな。昔千佳がよくやっていた悪戯だ。
途中までついてきて、後ろから驚かすつもりだろう。
しかし泉さんのことがあったばかりで、こんな悪戯にかまってやれるほど、心に余裕がなかった。だから無視することにした。
電車に乗って、最寄駅に着く。そして家に向かう頃には、千佳のことをすっかり忘れていた。
家の玄関を開けようとすると、鍵を忘れたことに気付いた。インターホンを鳴らし、お袋が玄関のドアを開ける。
「もう、また鍵忘れたの?」
そう言ってドアを開けたお袋は、俺の後ろを凝視して、血の気が引いたような表情になった。
何事かと思い、後ろを振り返ると、そこには千佳がいた。
「千佳……ちゃん?」
「あ、どうもです」
千佳は即座にお辞儀をして、お袋に挨拶をした。
そんな彼女の表情は、悪戯が成功したのだという満足げなものだった。
「家まで付いてきたのか……」
「だってアラタ、全然気づかないんだもん」
そう言って俺に抱きついてくる千佳。
その光景にお袋は、見てはいけないものを見たかの様に、そっと目をそらした。
「あなた……記憶が」
「いえ、記憶は戻ってません。でも私のこと、知ってるんですねー」
突然記憶喪失になったはずの千佳が突然現れて驚いたのだろう。お袋にも後で説明が必要だ。しかしお袋を見る限り、何か違う事情がありそうな気がした。
千佳は俺をど突きながら、恋人だった事実を再確認できたことを喜んでいた。
「ねーアラター、せっかく来たんだしお部屋入れてー」
「駄目だ。いきなり来られても困る」
はっきり断ろうとした。お袋の様子もどこかおかしい。
「ねー、おばさん、入れてくださいよー」
「え、ええ、いいんじゃないかしら」
そう返事をするお袋は、少し怯えているように見えた。
仕方がないから、千佳を家にあげる。お袋があまり歓迎しているようには見えなかったから、そのまま2階にある俺の部屋に連れて行った。
「へー、ここがアラタの部屋なんだ」
「こら、タンスを開けるな」
興奮気味に部屋を物色する千佳を止めるのに苦労した。
ベッドに潜り込んだ千佳を追い出すことは成功したが、抱きかかえた枕は返してもらえなかった。
しかし、幸いアルバムを見せろとは言ってこなかった。千佳自身が提示した、昔については詮索しないという条件を遵守してのことだろう。
「ゲームやろー」
次に千佳が興味を持ったのはテレビゲームだった。
「お前ゲーム苦手だろ」
「アラタが好きなゲームなら、多分私も好きだし」
千佳はもうコントローラーを持って、やる気満々という感じだ。
まぁ、これで大人しくなってくれるならいいか。
ゲーム機をテレビにセットして電源を入れる。
枕を抱き抱えたまま、コントローラーを握った千佳は、なぜか俺の膝に座った。
「どけ。尻が痛い」
「やだ」
座布団をひいていても、2人分の体重がかかるとまじで尻が痛い。
何か言っても余計に深く座られるだけで、結局千佳は膝からどかなかった。コントローラーを持つスペースがないから、結果的に千佳の腹の前に腕を回すことになってしまう。
こうして2人してテレビゲームをやることになった。
なんだか懐かしい光景だ。千佳は昔と変わらず軽いままだった。ウエストは細く、回した腕に彼女の体がすっぽりと収まっている。
しかし昔は、彼女からこんなに良い匂いがしただろうか……。
しばらくゲームをしていると、思ったより白熱した。2人でボスを倒した時は、ついハイタッチなんてしてしまった。
新しいステージに入ったところで、千佳の手が突然止まった。
「おい、どうした。ダメージくらってるぞ」
その声が聞こえているのかいないのか、しばらく動かない。
そしてなにを思ったか、突然枕とコントローラーを放り投げて俺の方を向いた。
膝に乗ったまま体ごと振り返ったたため、千佳の顔がすぐ側にあった。
「……お前」
空気が凍りつく。
俺をどこまで愛おしそうに見つめる、目の前の少女。そこに居るのは紛れもなく、俺の知っていた千佳だった。
彼女はそのまま顔を近づけ、口付けをした。
その瞬間、千佳は目を見開いて距離をとった。俺は目まぐるしく変わる千佳の表情に驚いていたが、千佳自身も自分の行動に戸惑っていた。
「私今……アラタに、キス……したよね」
口元を押さえて、恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女は、ついさっきとは明らかに別人だった。
「あはは……なんか、キスって凄いね」
そう言って、また顔を近づけてくる。だが今度はそれを首を逸らして回避する。
「やめろ」
「なんで?私たち恋人なんだから、キスくらい良いじゃん」
確かにキスはした事がある。だからこそ、千佳にキスを覚えさせてはいけないことも知っている。
キスを最初にした日から、こいつは所構わずそれをせがむよになった。
「いいからどけって。ゲームの続きをするぞ」
千佳は少し拗ねて見せて、最後は「うん」と返事をした。
しかし、退く様子が見られない。
「あれ……変だな。下半身に力が入らない」
下半身のあたりに手を当てて、体の異変を訴える。
「なんか……ん、お腹のところがきゅってなって……!」
全身を熱らせ、荒い呼吸は熱くしめっぽい。瞳に涙が浮かぶほどの体の反応。
嘘だろ……。
まだその段階に行くには早すぎる。これは後半の千佳に出ていたとある兆候。
性欲。
これは本当にまずい。今すぐ千佳から距離をとらないと本当にまずい。
「アラタ……これっ……私の体……」
悶えるよに俺の胸元にしがみつく。自分の体の異変に驚きながらも、その欲求を理解していた。
「恋人だしいいよね……私の体、こんなに赤ちゃん欲しがってるし」
「待て!お袋だっているんだぞ」
そうだ、お袋だ!
俺は目の前にあったコップをわざと倒した。
「麦茶こぼしちまった!お袋!ちょっと来てくれ!」
そんな息子の助けを聞きつけ、お袋の俺の部屋へ向い階段を登ってきた。
近づいてくる足音で、流石に千佳も我をとり戻し急いで俺から離れた。
部屋に入ったお袋は、だいたい事情を察したようだ。
布巾で麦茶を拭きながら、千佳にこう言った。
「ごめんね千佳ちゃん。お父さんから、早く帰るって連絡があったの。だから今日はもう帰ってちょうだい」
さすがに大人の言うことには逆らえず、千佳はそれに素直に従った。それにこの状況で他人が入って来たのは、流石に気まずかったようだ。
帰り際、千佳は俺に言った。
「今度は、私の部屋で遊ぼうね」
それの意味するところは分かっている。さっきの続きをしようと言うのだろう。だから俺は返事をしなかった。そんな俺に、千佳はにこりと笑いかけたあと、手を降って帰って行った。
千佳が帰った後、部屋に戻るとやりかけのゲームがあった。そこには『ゲームオーバー』という文字だけが映っていた。