遊戯王*ASTERISKs*(アスタリスクス)   作:kohatuka

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第24話 青い古傷

 藍の思考は、しばらくの間硬直していた。

 恐らくはこの大会、最大の障害となったであろうゲストチームが僅か数ターンで破れ去ってしまったその真実に、情報の整理が追いつかない。

 これだけの人が集まりながらも、吐息一つ聞こえない不気味な静寂。それは渦中の人物――ユーギ=ムトウが片手を上げて微笑んだことで唐突に封を破られた。

 ざわめきとも賛美ともつかない歓声がいびつに巻き起こり。そこでようやく、藍は自分が『伝説』の瞬間に立ち会ったということを理解した。

 

(って、呆けてる場合じゃないわ! 早く話を聞かないと――)

 

 駆け出したタイミングは、皆ほぼ同じだったのだろう。

 藍がユーギの元へ参じたときには、彼を囲む報道陣がまるで肉食獣のようにわらわらと群がっていた。

 

 一言、コメントを。

 使用されていたカードは一体何ですか。

 今のお気持ちについて、何か。

 

 本来であれば、ここでインタビューを受けていたのはペンデュラムモンスターを使用し、華やかな勝利を決めていたプロデュエリスト達だった筈だ。

 そんな報道の『プロ』達が向ける矛先は今や、正体不明のカードで青天の霹靂を打ち立てたダークホースへと向けられていた。

 

「ははは……今はちょっと疲れているので、後にして頂けませんか?」

 

 ボイスレコーダーやマイクをこぞって向けているのは、揃いも揃って美人レポーター達だ。普段の彼であれば食事にでも誘っているところであろうが、我先にと特報を狙う貪欲な眼差しに気圧され流石に笑顔を引き攣らせている。

 幾つも覗く重厚なレンズから逃れようと、あちこちに視線を泳がせるユーギ。遠巻きに様子を眺めていた藍と目が合うや否やするりと報道陣の壁を抜け、藍の足元に恭しく膝をついて見せた。

 

Quanto tempo(お久しぶりです)、黒髪の美しいお嬢さん!!」

 

 いつもに増して演技掛かった笑顔を向け、ユーギは藍の手を取る。

 かと思えば驚く間もなく、軽くその手の甲に口付けた。

 

「なっ……!?」

 

 瞬間。まるで『鬼』の役でも手渡されたかのように、渦中の人物はユーギから藍へと変わった。

 

 ユーギ選手とはどのようなご関係で?

 確か、今大会の出場選手ですよね?

 

 マイク、カメラ、ボイスレコーダー。銀色の銃口は一斉に藍へと向けられ、質問の弓矢が次々と繰り出される。

 本来なら聞く立場であるはずの決闘ジャーナリストはその迫力に気押されてしまい、あっという間に周りを囲まれてしまった。

 

「それでは、僕はこれで失礼します。Arrivederci(またお会いしましょう)♪」

「あっ!? ちょっと……!?」

 

 ぴっ、と警戒に指を切って、混乱に乗じたユーギはまんまと逃げ出していく。

 後に続く双子も、ちらりと横目を向けて

 

「がん」

「……ば」

 

 と呟くと、ちょろちょろと子猫のように姿を消してしまった。

 

(くっ……擦り付けられたわね)

 

 後に残されたのは、何やら渦中の人物と関係を持っていそうな女が1人。彼らにとっては格好の獲物だ。

 同業者の習性を良く知る藍は素直に弁解しようとして、溜め息を付きながら口を開いた……その刹那、1人の女レポーターが怪訝に眉を寄せて言った。

 

「あら? そのお顔、どこかで拝見したような……?」

 

 何気ない一言。しかし藍の背筋には、何ともいえない悪寒が走った。

 レポーターの疑問を皮切りに、周囲の報道陣へもざわめきが伝染していく。

 

 そういえば、どこかで。

 

 このまま疑問が連鎖すれば、いずれ誰かが『答え』に辿り着くだろう。

 藍は慌てた様子で頭を振ると、顔を隠すようにして俯いた。

 

「き、きっと気のせいです!! あと、さっきの彼とは何の関係もありませんから!!」

 

 フリージャーナリストの組合証を盾のように顔の前に突き出し、声を張り上げる。

 なんだ同業者か、と報道陣から僅かばかりの嘆息が漏れ出たその一瞬の緩みをついて、藍は逃げ出すようにその場を立ち去ったのだった。

 

 

(参ったなぁ……まさかこんな所で……)

 

 結局。藍はそれ以上ユーギに接触することは叶わず、騒ぎの裏でひっそりと退場したプロチームにもペンデュラムモンスターについて情報を引き出すことも出来なかった。

 チームに貢献できなかった落胆と自分自身への憤りが重なる最中、藍の『悪寒』は未だに背中を這っていた。

 

 ――まさか、『再び』カメラを向けられることになろうとは。

 

 他人のスキャンダルを食い物にしておきながら、自分自身はカメラを向けられることが怖いだなどと……虫の良い話だとは思うが、今更この生き方を変える訳にもいかない。

 それが、『彼女』達への――。

 

「さっきは危なかったですね、先輩?」

 

 聞き覚えのある、透き通ったガラスのような女の声。

 背後から掛けられたその声に驚いた藍がばっと振り向くと、そこに立っていたのは……。

 

「カメラなんて向けられるの、久し振りなんじゃないですか?」

 

 白地に青い花の刺繍が彩られた、細身のドレスを纏った美少女だった。

 藍と比べても引けを取らない見事なプロポーションに、目鼻の整った可愛らしい顔立ち。よく手入れされた黒髪は左右で輪を描いており、その絢爛な出で立ちから彼女がどこかの『商品』であることが容易に窺えた。

 

「……あなた、どうしてこんな」

「どうしてこんなところにって? それはこっちの台詞ですよ」

 

 少女が口元に手を当てて妖美に笑う。

 あくまで、笑っているのは紅に染まった唇だけだったが。

 

「ひょっとして『他人の粗探し』、もう飽きちゃったんですか?」

 

 その深い碧色の目は、責め立てるように藍を縛り付けている。

 藍も何か言い返そうと一瞬口を開きかけたが、罰が悪そうに目を伏せるとそのまま黙り込んでしまった。

 

「いいですよ。先輩がドコで何をしようと、私たちには関係ないんですから」

 

 ただ、と一言付け加えて、少女は低く呟く。

 

「私は絶対に、あなたを許しませんけど」

 

 何かがピッと鋭く風を切る。

 俯いたままの藍の頬に、冷たい痛みが走った。

 

「それ。もういらないんでお返しします」

 

 藍の頬を切り裂いたソレがパタリと足元に落ちる。その正体は、古ぼけた1枚のカードだった。白い肌にじわりと赤い線が浮かび上がるも、藍はそれを袖で拭うことすらしない。

 

「捨てようかとも思ったんですけど。イライラしたとき結構ストレス解消になってたんですよね、それ」

 

 見れば、裏向きに落ちたカードには無数の小さな穴が空いていた。

 何度も、何度も、何度も。恨みを込めて針か何かで刺されたのであろうソレには、ある種のおぞましさが伝わってくる。

 

「そうだ、情報大好きな先輩にイイコト教えてあげます。先輩が戦う次の相手、私たちなんですよ。私は先発で出る予定なので、よろしくお願いしますね?」

 

 カツカツと靴音を鳴らして、少女は立ち尽くしたままの藍の横を通り過ぎた。

 去り際に、ふと耳打ちを残して。

 

「……まぁ、そんな度胸があればのお話ですけど」

 

 少女の言葉は、カードに穿たれた針穴のようにプツリと藍の心に痛みを打ち付けた。

 

「…………」

 

 涙も、怨嗟も、怒りすら無く。ただ黙って足元のカードを拾い上げる。

 カードをしばらく見つめた後、藍がゆっくりと歩き出すことが出来たのは、少女の靴音が遠のいて完全に消え去った後だった。

 

 

   ** 

 

 

 陽も落ちかけた夕刻のシガマ。

 この地にふさわしく橙色に染まった街を、ユウは昨夜と同じように眺めていた。

 

「……来たか」

 

 絶え間なく飛び去っていく旅客機が夕陽を返し、ユウの背中を見つめるベルの顔を照らす。その表情はどこか複雑で、どう話を切り出そうか迷っているようだった。

 

「……ユウさん。あの、昨日の話のことなんですけど」

「ユーギ=ムトウ。奴の話だろう」

 

 途切れ途切れに呟かれたベルの問いは、先回りをしたユウの言葉に遮られた。

 ユウが先日に語った、彼の世界では伝説とまで呼ばれる決闘者。その彼と同じ名前を名乗り、プロデュエリスト達をも易々と葬ったブロンド髪の男。

 他にもベルが聞きたいことは山ほどあったが、色々と整理を付けてまず最初に飛び出したのはそのことだった。

 

「それじゃあやっぱり、あの人はユウさんが言ってた……?」

「……いや、奴は違う」

 

 ベルの予想に反して、ユウは静かに頭を振った。

 

「黒衣の魔術師を従え、神と呼ばれるカードですら自在に操ったとされる伝説の決闘者……彼の姿を写した記録を見たことはあるが、奴とはまるで別人だ」

 

 ふっと振り返ったユウはいつものポーカーフェイスで、驚きに歪んだ先刻の彼はもうどこにもいない。

 

「そう、なんですか……」

「あの名前が単なる偶然なのか。偽名だとすれば奴にどういう意図があるのか。それも分からないが、な」

 

 ユウの口から小さく溜め息が漏れる。

 唯一、今日の出来事についてキーワードを持っている筈のユウが戸惑いを見せたことで、ベルの不安にも濃い霧がかかっていく。

 言い知れない悪寒を拭うように、ベルは日和見的な意見を口にした。

 

「誰も『伝説』を知らないのに偽名を使う意味は無さそうですし、単なる偶然なんじゃ……?」

 

 それを受けたユウは即座に首を横に振って、否定の意を示す。

 

「そう思いたいのは山々だが、奴は『ムトウユウギ』の使用していたカードの他にも『伝説』と呼ばれた決闘者の用いていたカードばかりを使用していた。アレは俺のいた世界でも、いわば『おとぎ話』の世界の産物だというのにだ」

「おとぎ、話……?」

 

 夢、幻、架空の存在。クラドやアンリエール達の反応、そして何よりユウの表情を思い返せばそんな事実にも頷ける。

 

「同じような存在だった筈の《No.(ナンバーズ)》をこっちで見たときも驚いたが……奴の持っていたカードはその中でも別格だ。どうやって奴らがそんなモノを手に入れたのか知らないが、もしアレが本物だとすれば……俺達のような並みの決闘者ではまず勝ち目は無い。わざわざそんなモノまで用意しているところを見ると、奴にはやはり何かしらの意図があるのだろう」

 

 ユウの実力を持ってしても勝ち目が無いとまで言わせる伝説のカード達。

 双子の決闘者が従えていた3体の白き龍、その名前をヒヨリが口にしていたことを思い出し、ベルの中ではこれまでのユウの話が真実味を帯びてきていた。

 

「……それじゃあ、あの人もユウさん達と同じ世界の……ってことですか?」

「恐らくは。それにこの大会に出場していることと《アスタリスクス》を所持していることを考えると……色々と話を聞く必要がありそうだな」

 

 そう言い切ったユウの目は、鋭く細められた。

 勝ち目が無いと言い切った相手にすら平然と挑みに掛からんとする、そんな険しい表情だ。

 大切なものの為に。その表情が意味することに、ベルの胸が僅かな痛みが走る。

 

「……そう不安そうな顔をするな。もし奴と相見えることになっても、それは俺の役目だ」

 

 ベルの表情を違った意味で受け取ったらしく、僅かに口元を緩めたユウは不器用な言い回しで宥めて見せた。

 目的の為にただカードを振るう姿も、強敵との出会いを喜ぶような先程の姿も。こうして自分を思いやる優しい姿も……無表情の仮面の下に隠れた同じ男の姿。

 

「……すいません。こんなときに変なことを聞きますけど、いいですか?」

 

 普段は無口な師の『優しい姿』に今は甘えることにして、ベルは思い切って訪ねることにした。

 

「ユウさんは今日のデュエル……『楽しかった』ですか?」

 

 唐突なベルの問い掛けに、ユウ目が僅かに丸くなる。

 

「……何故、そんなことを?」

「ユウさんにとって、この大会は絶対に負けちゃいけない筈……ですよね? でも今日のデュエルは、とても楽しそうに見えたんです」

 

 真剣に戦って欲しいと責められているのだろう、とユウは考えたのだろうか。

 ユウが頭を下げようと僅かに腰を下げたところで、ベルは更に言葉を続けた。

 

「……わたしは、今日のデュエルは凄く『楽しかった』んです。だから今日の試合を終えてみて、ずっと分からなくて。デュエルの本当はどっちなんだろうって」

「デュエルの、本当?」

 

 首を傾げたユウに、ベルは目を伏せたまま答える。

 

「これまでずっとデュエルって辛くて、怖いものだと思ってました。負けたら何かを取られたり、誰かが傷ついたり。でも今日のデュエルはアンリさんと一緒に頑張って、お客さんから声を貰って……」

 

 思い返せば頭に響く観客の声援。どちらの勝利も敗北も、惜しみ賞賛する。

 熱が渦巻く中でお互いに全力を出し切り、ほんの僅かな運の差で勝利を手にした。

 

「……戦い終わった後も、サラさん達と仲良くなれた。それが凄く嬉しかったんです」

 

 思えば、ベルにとってデュエルはずっと「生きるための目的」だった。敗北とは何かを失うことで、大きな力を持った決闘者は力無き者を虐げる畏怖の象徴。

 だからこそ、今日の大会は彼女に変化をもたらしたらしい。

 

「でも、もし負けていたら。ヒヨリさんに繋がる手掛かりがなくなっちゃったかもしれない。それはユウさんだって同じ……いえ、それ以上だった筈です。でも今日はユウさんも、デュエルを楽しんでいるように見えたんです。だから余計に分からなくなっちゃって」

「だから……俺に?」

「はい。今のわたしの気持ちが間違っているなら、全力で叩き直さなきゃいけないと思って。ヒヨリさんのことも、ユーギさん達のことも……このままじゃきっと、足手まといになっちゃいます。だから教えて欲しいんです、デュエルを楽しんで良いのかどうかを」

 

 デュエルとはどういうモノなのか、おぼろげになってしまったその輪郭をはっきりさせたい。ベルの真剣な眼差しを受けて、ユウは少し考え込むように目を伏せると、そのままぽつりぽつりと言葉を吐き出した。

 

「……悪いが、俺にその答えは出せない」

 

 きっぱりと言い切られたその言葉を受けて、ベルは目を伏せた。

 

「そう、ですか……」

「今日の試合も、悪いが俺には『楽しみ』を感じることは無かった。だからデュエルの姿がどうあるべきか……それはお前自身が向き合い、決めるべきことだと俺は思う」

 

 自分自身で決めろと言い切って、しかしユウは自分自身の言葉を取り繕うように言葉を続けた。

 

「……参考までに、俺が出した答えを話そう。あちらの世界にいた頃は、俺もデュエルを楽しいと感じていたことがあった」

 

 言葉を切って、遠い目を虚空へと向ける。

 その脳裏に過ぎる記憶はいつの頃なのか。他ならぬヒヨリとの思い出だと理解して、ベルは僅かに目を伏せた。

 

「ただそれは、あくまで自分のために戦っていたからかもしれない。腕を磨き、熟考を重ね……(ヒヨリ)に近づいていく自分自身に喜びを感じていたからだ」

 

 自分の成長を実感する喜び。それは恐らく、今のベルと同じだったのだろう。

 

「だが今、俺がカードを切るのは自分の為じゃない。だからどんな強敵と正々堂々、死力を尽くして戦ったとしても……そこに喜びも楽しさも無い。だが――」

 

 ふとベルが顔を上げると、ユウの真剣な眼差しがあった。

 

「デュエルが好きであること。それは恐らく、今までもこれからも変わらない。それが俺の出した答えだ」

 

 その言葉に、偽りの陰りは無かった。

 かつて横暴に力を振るうデュエルが嫌いだと言っていた自分が、今や戦うことに楽しみを見出している。そのことに今更気が付いたベルは、どこか雷に打たれたように目を丸くした。

 

「楽しむことも、ひたすらに相手を倒すことも……どちらもデュエルの在り方だと思う。新しい在り方を見つけたのなら、その度に考えて悩み、自分の信じるデュエルをすればいい。他人の在り方に左右される必要はない。どんな形になろうとも、そう思えるだけの魅力がデュエルにはある筈だ」

 

 きっかけこそ切羽詰まった事情があった。しかし今は、違う一面を見出せるほどにデュエルを『好き』になっていた。

 敗北の許されない真剣勝負も、勝敗に関わらず全力でぶつかり合える今日のような戦いも……どちらもデュエルが持つ魅力の1つ。

 

 好きなものを楽しむ。

 そんな当たり前なことだって、決して間違いではない。

 

「……どうやら、ひとまずの『答え』は見つかったようだな」

 

 ユウは口元を緩めてそう言うと、くるりと背を向けて再びシガマの空へと目を向けた。

 鉄の翼が飛び交う茜の空には、既に群青の色が落ちかけていた。

 

 

   ** 

 

 

 ――メイ、お前なら分かるだろう!? 今がどんなに大事な時期か!!

 

 乱暴に肩を掴まれた黒髪の少女は、その剣幕にビクリと肩を振るわせた。

 今朝方、仕事へ向かう前にそっと頭を撫でられたあの優しい時間が、今は遠い昔のようにも思える。

 

 ――お前達は、俺達は……ここで終わる訳にはいかないんだ!! 分かるだろう!?

 

 血走った目。紫色に染まった震える唇。

 そこには彼女が良く知る、スーツの似合う頼れる男の姿は無かった。

 

 ――お前は、何も見なかった。良いな?

 

 肩を掴む男の華奢な手は。これまで自分達を支え、押し上げてきてくれた両手は。

 罪という汚れで、真っ黒に染まっていた。

 

 ――良いな?

 

 何度も何度も、念を押すように男が呟く。

 少女は正義感が強かった。到底、見逃すことなど出来ない。

 だが彼女の脳裏に過ぎったのは、共に階段を上って来たチームメンバーの笑顔だった。

 

 ――頼むよ、メイ……!!

 

 今、彼を失えば彼女達が、自分達がどうなるか……想像するに難しくない。

 泣き崩れた男を見て、少女は遂に首を縦に振った。

 

 ――ありがとう、メイ……!!

 

 それは正直に、真っ直ぐに生きてきた彼女がついた、最初の嘘。

 嘘は、決して一度だけでは済まされない。

 一度ついた嘘を隠すために嘘を付き。その嘘を隠すためにまた嘘を重ねていく。

 それから先の人生で『真実』を求める彼女が嘘で塗れる原因となった、その日の出来事だった。

 

 

   ** 

 

 

「……上がってきませんわねぇ」

 

 ベルの調整相手をしていたアンリエールが、痺れを切らしたように呟いた。

 サラのデッキを拝借して早速、夢中でデッキの調整を行っていたベルだったが、言われて初めて気が付いた。藍が風呂場に入ったきり、上がってこないのだ。

 2人とも先に入浴を済ませて、今は簡素な寝巻きに着替えている。なので待ちぼうけという訳でもないのだが……それにしても遅過ぎる。

 

「全く……帰って来るなり鼻を膨らませて『デッキ調整お願いしまぁす!!』とか言い出す芋メイドといい……今日はどなたも、どこか変ですわねぇ」

「わたしそんな変顔してませんよ!? 失礼な!!」

 

 アンリエールの顔芸にツッコミを入れてみるが、備え付けの風呂場からは何の返答も無く、ただシャワーの流れる音だけが響いている。

 

「……反応なし、ですね」

「流石に気味が悪いですわ。見てきなさい、ベル」

 

 何でわたしが、と言い掛けたものの、何か大事があったのではという不安も拭えず、ベルはそろりそろりと風呂場に近づいていった。

 決して広くは無い部屋の床を、爪先がぎしぎしと鳴らしていく。

 

「ら、藍さぁ~ん……?」

 

 ばこん、と脱衣所の扉を開けると、シャワーの音が一回り大きくなった。

 曇りガラスの向こうに見える藍のシルエットに違和感を覚え、脱衣籠に『何も無い』ことを確認したベルは、跳ね上がる心臓の鼓動を合図に勢い良く浴室のドアを開け放った。

 

「藍さんっ!?」

 

 飛び出してくる白い湯煙が晴れる。

 ゆっくりと振り向いた藍は、ベルの姿を見ると驚いたように目を丸くしていた。

 

「……ベルちゃん?」

 

 聡明で、物腰の柔らかな黒髪の美女は、まるで壊れた人形のように座り込み。

 衣服を着たまま、ざあざあと頭からシャワーを被っていた。

 

「な、何やってるんですか!? もしかしてずっと……!?」

 

 驚くベルを見つめながら、藍自身も自分の身に何が起こっているのかを把握していないようだった。ずぶ濡れになった自分の身体を眺めて、不思議そうに小首を傾げている。

 

「どうしましたの……って!?」

 

 ベルの声に驚き、駆けつけたアンリエールも仰け反って驚く。

 

「ええっと……あはは」

 

 情けなく笑って見せる藍だが、その目元が赤く腫れていることに気が付いたベルは怪訝に眉を寄せたままだ。

 

「藍さん、あの……何かあったんですか?」

「ごめんね、少しぼーっとしちゃって。大丈夫だから……」

「はぁ……もう呆けてるってレベルじゃありませんわよ?」

 

 よろよろと壁に手をついて立ち上がり尚も虚勢を張ろうとする藍だったが、その声は擦れて僅かに潤んでいる。

 帰って来たときに服装の乱れも無かったことから、乱暴をされたという訳でも無いだろうが……精神的にかなり参っているようなのは明白だった。

 

「しっかりして下さいまし? 貴女がそんな様子では――もご!?」

「アンリさん、ちょっとチェーン挟みますね」

 

 アンリエールなりの心配なのだろうが、小言が始まりそうな気配を察したベルが口元を塞いだ。

 こほんと咳払いを1つして、ベルは笑顔を作って言った。

 

「藍さん、これから一緒にお風呂行きましょう! 3人で!」

「……え?」

 

 驚いたのは、口を塞がれていたアンリエールも同じだった。

 

「ぷはっ……って何を言ってますの!? もう私たちは湯浴みを済ませて……」

「入り直ししましょう! 下に皆で入れる大きなお風呂があるってクラドさんが言ってましたし、折角ですから!」

「折角って、そんなの貴女と藍が行って来れば……」

「まぁまぁそんなこと言わずに、今更ですけど女3人で親睦を深めましょう! ね?」

「ちょ、ちょっと!?」

 

 さぁさぁ準備してきて下さいねー、とアンリエールの背中を押して浴室から押し出すと、ベルはくるりと向き直ってバスタオルを藍へと渡した。

 

「……話せないことでしたら別に構いません。暖かいお風呂に入って、少し落ち着いて。ほんの少しでも話したくなったら、そのときはわたし達に話してください」

 

 悩みのモヤモヤは吐き出すに限る。

 つい先程、ユウと話したことで胸のつかえが取れたばかりのベルはそう思っていた。

 今日は色々な事があって、皆何か抱えていることがある筈だ。恐らくはアンリエールも。

 短絡的な方法だとベルも我がことながらに思ったが、今はそれ以外に思いつかなかったのだ。

 

「軽く身体を拭いたら、一緒に行きましょう!」

 

 ベルが笑顔で首を傾けると、藍は黙って頷いたのだった。

 

 

   **

 

 

「ふぅ……ペンを持ってきて正解でしたわ」

 

 湯船の中で優雅に脚を伸ばすアンリエールが、溜め息と共に呟いた。

 今日の試合が終わるまで、アンリエールがプロデュエリストだと知らなかった客も多かったのだろう。すれ違う何人かからサインを求められることも多くなった。

 ソレを見越していたのか、準備万端であったアンリエールは戸惑う2人を尻目にサラサラとファンの要望を書き流して、鼻歌混じりに浴場まですんなりと到着したのである。

 

「人目があるからと遠ざけていましたけれど、やはり湯浴みはこうでなくては。あんな脚も伸ばせない湯船では浸かった気にもなれませんわ」

 

 旅の間はシャワーを浴びれるだけでも大変だ。これまでにも色々と不満はあったのだろうが、高貴な幽霊姫も今は随分とくつろいでいる。

 一番乗り気でなかった彼女が満喫している様を見て、ベルはくすりと微笑んだ。

 

「……なんですの? はしたなくプカプカと肉を浮かべてからに」

「他のお客さんも居るんですからそういうこと言わないで下さい!!」

 

 ぱちゃん、とたわわな胸を隠すベルだが、見渡せば他の女性客たちからジロリと鋭い眼差しを集めてしまった。アンリエールの言う『慎ましき』体型の女性ばかりであったことが災いしたらしい。

 

「これ、騒ぐんじゃありませんわ。周りの方に迷惑ですの」

「ぐうう……」

 

 ちらり、と隣で浸かっている藍を横目でみやるも、物憂げに瞼を伏せたままで特に反応は無い。普段なら過敏に反応しているところなのだが。

 何か反論をしようと両脇の2人を眺めると、2人とも長い髪はタオルでくるりと巻いて纏め上げていた。普段は隠された白い肌に彩られたうなじが、何とも言えない女性の色香を醸し出している。

 対する自分はと見比べてみるも、セミロングで癖の強い髪はわざわざタオルで巻いてやる必要すら無い。メリハリの無いボディラインも子供っぽく、胸だけがバカみたいに張り出しているだけだ。

 自分よりもよっぽど、ここにいる女性達の方が魅力的じゃないか……と心中で毒づいたベルは、ぶくぶくと顔を半分鎮めた。

 

「……ありがとう、ベルちゃん。ここまで私を連れ出してきてくれて」

 

 不意に、藍がぽつりと言葉を漏らした。

 

「いえいえ。わたしも、さっきまではちょっとウジウジしてましたし」

「そうでしたの? 今日は折角、華々しく勝利を飾れたというのに」

「……そう言うアンリさんは、何も思わなかったんですか?」

 

 勿論、彼女達はユウやユーギ達の事情を知らない。

 ソレを考えれば無理は無いのかもしれないが、話を振られたアンリエールは僅かに声のトーンを落として、答えた。

 

「……先行きが不安でないと言えば嘘になりますわね。あの殿方が使われていたカードのこと。私の知らないエクシーズ。《アスタリスクス》のペンデュラムモンスター……正直なところ今は考えても仕方が無いと、なるべく考えないようにしているだけですわ」

 

 ちゃぷん、と伸ばしていた脚を抱えて、アンリエールは続ける。

 

「……藍、貴女は強い女性です。あの殿方の取材に失敗したからといって、気に病むような性格ではないでしょう。その貴女がそこまで気に掛けていることが何なのか、深く尋ねることはしませんが……それがこの先、私やユウ様を困らせるようなら、今ココで吐き出してしまいなさい。今日が終わって不安なのは皆同じ。貴女を笑ったり責めたりする者など、ここには居ませんわ」

 

 長いまつげをそっと閉じながら。アンリエールは最後、囁く様に言い切った。

 

「……ありがとう。それじゃあ1つだけ、聞かせてくれる?」

 

 歳の離れた少女2人に気遣われ、藍の声色が僅かに潤む。

 

「……大切な人達に、昔『嘘』をついたの。その人達はすごく傷ついたし、私はもちろん嫌われた。けど……その人達に謝れるとしたら、ちゃんと私の『真実』を伝えられるなら。2人だったら、どうする? ちゃんと向き合える? それとも逃げ出してしまう?」

 

 しばらく口を噤んでいたベルとアンリエールだったが、やがて口火を切ったのはアンリエールだった。

 

「私なら逃げますわ。そのような度胸も、面倒事を処理できる力もまだありませんもの」

 

 決闘組(デュエルマフィア)のお嬢様らしい答えだと、藍は思わず苦笑したが。

 

「でも貴女は、藍の答えは違うのではなくて?」

 

 ぴくり、と。身体のどこかが僅かに跳ね上がる。

 アンリエールの鋭い視線に続くように、ベルも口火を切る。

 

「わたしは多分、ちゃんとその人たちと向かい合うと思います。今日のこともそうですけど、一度抱えたモヤモヤってどこかで解決しないと気が済まないみたいで……それは藍さんも同じじゃないですか?」

 

 アンリエールのように、初めから『逃げ』の選択肢があるのなら。あんなに壊れてしまうまで自分を追い詰めることもなかった筈だ。

 向き合うことしか回答が無かったから。その重圧に耐え切れなくなって、崩壊してしまったのだろう。

 だから、今の藍に必要なのは迷いの解決ではなく――。

 

「藍さん、ここは自分に『嘘』をついちゃいませんか? 怖がってる本当の自分に嘘をついて、その人達と決着をつけるまで。わたしと最初に戦ったとき、あんなに怖ーいセキュリティの人を演じてた藍さんなら出来る筈ですよ!」

「自分に、嘘を……」

 

 嘘を隠すためには、また嘘を重ねなくてはならない。

 それなら、もう一度嘘を重ねよう。

 

「……2人とも。もう一度だけ私のお願いを聞いて貰える?」

 

 瞳に輝きを取り戻した藍を見た2人は、笑顔でこくりと頷いた。

 

 

   **

 

 

「おお、何だ何だ? 湯上り女性陣が男部屋に何の用だ?」

 

 ふわりと漂う甘い香りに戸惑いつつも、クラドは引け腰気味に3人を中へと招いた。

 適度な清潔感が保たれた男部屋には、やはりというべきかユウが机を占領してカードを広げているところだった。

 

「……ユウ君、クラド君。ちょっと相談があるのだけど」

 

 部屋の隅に膝をついて、藍が真剣な眼差しを向ける。

 いつの間に用意したのか、ユウの傍らには飲み物の入ったコップを持ったアンリエールが待機していた。

 

「ど、どうした、姉ちゃん?」

「……随分と物々しいな。何かあったのか?」

 

 只ならぬ様子に、ユウもクラドも小首を傾げる。

 少しの間を空けて。本当に数秒迷うような仕草を見せてから、藍は意を決したように切り出した。

 

「次の試合は、私を先発で出して欲しいの」





遅れましたが新年初更新。明けましておめでとうございます。

コミケに参加された皆様、当日はお疲れ様でした。
もし僕のところに来て頂けた方がいらっしゃいましたら、重ねてありがとうございます(深々

年明け早々、何やら説教臭い回になってしまいましたが、今年も何卒よろしくお願い致します。
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