名残凶蝶   作:ヤエ・ニンジャ

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主のもとへ

 落ちる、墜ちる、堕ちていく、ただひたすらに真直ぐ下へ。

 

 高所から落ちた夜見の体は地面に向かって吸い寄せられるように垂直に落下していた。

 それは戦い――かつての同僚である折神紫親衛隊の二人とのもの――に敗れた結果であった。

 別に彼女らにとどめにと落とされたのではない。落下は夜見自身の意思だった。

 

 二人の前で倒れれば、連れ戻されると思ったから。

 ――夜見の帰るべき場所はあの温かい場所ではない。

 

 そうしなければ、二人に手を差し伸べられると思ったから。

 ――こんな自分をまだ仲間だと言ってくれる彼女たちの手を払いのけるのは嫌だった。

 

 気が付けば地面はすぐそこだった。

 ほどなく夜見の体が固い地面に激突する。骨が砕け、肉がひしゃげる鈍い音がした。

 

「……っ、ぁ……!」

 

 体が動かない。立ち上がることはおろか、上半身を起こすことすら敵わない。

 首だけの動きで周囲を見回そうとするも、真っ赤に染まった視界は世界をかろうじて半分映すだけだ。

 

(だめ……私は、まだ……)

 

 それでも往生際悪く、制服のポケットに忍ばせておいたはずのノロのアンプルがどこかに落ちていないか、動く左腕で探る。右腕は既に肩から先の感覚が喪失していた。恐らくもう付いてはいない。

 ついさきほどまで自分の一部だった肉片が手先に触れる。手袋越しでもはっきり感じるその不快感を無視してさらにもぞもぞと手を動かしていると割れたアンプルのガラス片が指先に突き刺さった。

 

(そんな……これでは……)

 

 焦りと絶望と共に意識が急速に遠のいていく。自分が消えていくような感覚に夜見は恐怖した。

 

 ――――――――

 

『夜見、今貴方は幸せ?』

 

 いつか誰かにかけられた問いが脳裏に響く。

 果たして自分は幸せなのか?問われた時答えられなかった気がするし、今も答えはわからない。

 わからないが、ただひとつ言えるのは――。

 

『選ぶがいい。このまま朽ち果てるか、それとも刹那でも煌めき、その輝きをお前を見捨てた者に焼き付けるか』

 

 また別の声が聞こえてきた。

 よく知る誰かに似た口調。だがその淡泊な声色の中に、どこか悲しげな感情が含まれている、そんな気がした。

 

「私は――私が――選ぶのは――!」

 

 目の前に差し出された紅くもやもやした光に手を伸ばす。

 その瞬間、首筋に熱い何かが侵入した。ソレは体内で膨張し、活性化し、骨を造り、肉を繋いでいく。

 仄暗く沈みつつあった視界が赤熱し、色を取り戻していく。それがあまりに眩しくて夜見は思わず目を瞑った。

 

 ――――――――

 

「あ……う、ぁ……」

 

 目を開くとぼやける視界の奥にダークグレーのスーツを着た人影が小さく映った。

 遠ざかる背中に「何故」と問う余裕はない。動けるならば行かなければ、あの方の元に。

 ――自分の、還るべき場所に。

 

 なんとか動けるようにはなったが体は鉛のように重い。喪失したはずの右腕で愛刀を杖代わりに突いて立ち上がる。

 両目を見開き、自分の行くべき道を探す。回復した右側の視界は真ん中で真っ二つに裂けたように左側とずれ、まるで自分のものではないようだ。

 とにかく前へ進もうと一歩踏み出す。その瞬間、視界が歪み、脳が揺さぶられ、まるで自分ではない何かに侵食されるような感覚に襲われた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 必死に呼吸を整えて自分自身の意識を保とうと努める。

 荒魂の侵食がひどい。たった一歩、歩を進めただけでこれでは、果たして自分はあの方の元に辿り着けるのか。辿り着けたところでその時自分はまだ“皐月夜見”でいられるのか。

 ――わからない。ぼーっと赤熱した頭は立ち止まって冷静に思考することを許さない。

 

「それでも……還りましょう、あの方の元へ」

 

 幽鬼はゆらりとその異形の体を揺らしながら、主を求めて彷徨い始めた。

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