翌日。神木はアンジュに頼まれてブロマイドの整理をしていた。段ボールの中に入っているブロマイドを仕分けしていくのだ。
「……それでぇー、この前ナターシャさんのブロマイド撮ったんですよ。本人は勇ましい感じでって言ったんですけど、ナターシャさんプロポーション抜群じゃないですか? だから、大胆な感じで撮ったらとっても可愛かったんですよ! ナターシャさん照れてましたけど、内心ノリノリだったんじゃないですか?」
「へぇー、あのナターシャがねぇ」
「来月入荷するんで、神木さんも是非買ってくださいね! ナターシャさんも喜びますよ!」
「ハハッ。そうするよ」
「あ、そうだ神木さん。昨日、日本大使館に行ったんですよね?」
突然の質問に面食らう神木。
「えっ? あぁ、確かに行ったけど……。それが何か?」
「実はぁ、お願いなんですけど、日本大使館にブロマイド届けてほしいんですよ」
「えぇ? なんでまた?」
「先月の『ロミオとジュリエット』の舞台に、日本大使館の方が来られてて。舞台をいたく気に入ったみたいでブロマイドを大量購入すると言ってくださったんですよ。でももうその時千穐楽で、在庫が満足に無かったから入荷するまで待ってもらうことにしたんです。かなり楽しみにしておられたので、神木さん、行ってきてもらえませんか?」
「そういうことか。いいよ。で、大使館の誰宛てだい?」
「日本人の名前って覚えにくいんですよねー。えっとー、たしか、ワケバシ・マセタケっていう名前だったような……」
「ワケバシ・マセタケ? ……それって、まさか『若林正毅』じゃないかい?」
「そうです! それです! そんな名前でした! じゃ、お願いしますね!」
アンジュはそう言うと、ブロマイドの束をどっさりと神木に渡した。
『……バタくさいのは嫌いなんじゃないのかよ』
内心呆れかえりながらも、神木はブロマイドを届けることにした。
*******
『クライナ・トーキョー』は今日も賑わっている。異国の地で日本語が日常的に聞こえてくるというのは、やはりどうも違和感を感じる。自分が伯林に馴染んでいる証だろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、『ミカド公園』内のベンチに見覚えのあるアッパッパを着た女性が座っているのを神木は見逃さなかった。
『あれは……! 間違いない!』
神木はゆっくりと女性の背後に近づき、「秋奈くん」と声を掛けた。
女性は漫画みたいに肩を上下させてから、ゆっくりと振り返る。驚きの表情を浮かべたその顔は、間違いなく昨日見たものと一緒だった。
「やっぱりそうか、秋奈くんだったか。雰囲気がまるで違うんでびっくりしたよ。それにしてもどうしてそんなカッ」
神木の台詞は、秋奈が彼の靴を思い切り踏んづけたことで遮られた。
そのまま首に腕を回すと耳元で「ちょっと、声が大きいのよ」と小声でささやく。
「『クライナ・トーキョー』は小さな街なんだから、私がこんな恰好しているなんてことがバレたらすぐにパパの耳に入るわ!」
「す、すまない……秋奈くん、苦しいよ……」
「とりあえず、場所を変えましょう」
秋奈に連れていかれたのは、『料理処 菫』と書かれた料亭だった。
「この店はエセ日本料理屋として知られているから、ここに住んでる日本人はまず入らないの。密会には持ってこいね」
「エセ日本料理屋? 外観はいかにも日本風だけど……」
「食べれば分かる」
店内は閑散としていて、ドイツ人カップルが一組、顔をしかめながら茶碗蒸しをつついている所だった。
「冷奴二つ」
秋奈はメニューも見ずに勝手に店員に注文する。
「常連なのかい?」
「まさか。豆腐なんて、不味くしようにも出来ないでしょ?」
サバサバとした口調で答えるその様子からは、昨日の大和撫子の要素は1ミリも感じられない。
「……その姿が、本来の君なのかい?」
恐る恐る尋ねてみる。キッと睨みつけてくる秋奈。
「当たり前でしょ!? あんなキツキツの着物なんか着ていたら全身筋肉痛になってしまうわ」
「そ、そうか……。でも、なんでまたそんなことを……?」
「昨日のパパの発言を聞いたら分かるでしょ?」
悲しげな表情を浮かべる。
「パパは貞淑で何でも尽くしてくれる日本女性が好きなのよ。若林家は由緒ある家柄だから、パパも私をそういう女性に育てようと腐心していた。でも時代は太正、明冶じゃないの。今や時代は女性も男性と同じように自我を持って自分らしく生きるべきなんだわ」
「……なるほど。君はいわゆる、『青踏』というやつだね?」
「『青踏』は私のバイブルよ!貞淑なだけが日本女性だけじゃないってことを私に教えてくれたの!」
「でも、お父様の前ではその『青踏』も効果が無いんじゃないか?」
「そ、それは……」
目をそらす秋奈。図星だったらしい。
「君がどんなに女性解放を叫んだとしても、肝心の身内に対して猫を被ってるようじゃ、何も変わらないんじゃないか?」
「……分かってる。それは分かってるんだけど! もし変わってしまった私を見たら、パパはきっと、私を拒絶する……。ママを3歳でなくした私にとって、パパは唯一無二の肉親なの。私は、パパを失いたくないの!」
思いがけなく大声となり、厨房にいた店主がビックリした表情を浮かべる。神木は「何でもない」とジェスチャーで伝えた後、「これからゆっくり考えていけばいいさ」と言った。
「こういうことは一人で抱え込まない方が良い。僕で良ければ相談相手になるよ。だから──涙を拭いて」
秋奈は差し出されたハンカチを手に取って、そのままチーーンと鼻をかんだ。