『かもめ 喜劇四幕』は子供たちにも、おおむね受けているように見えた。原作を大衆向けにデフォルメしているのもあるが、由緒正しい『ウィーン少年少女合唱団』に入れるレベルにあるのだから、これくらいの芸術の教養は身に付いているのかもしれない。団長は貴賓室で惰眠を貪っていたが。
だが、リリィは笑いどころでも無表情のままだった。
『リリィ……』
神木が不安そうに舞台袖から様子を見ている。
動きがあったのは第二幕が終わり、第三幕に移ろうとした時だった。リリィが突然立ち上がり、そのまま後ろの出入口から外に出てしまったのだ。
「神木君……!」
スピカに言われるまでも無く、神木は急いで舞台の外に出てリリィを追いかける。リリィは誰もいない食堂に入っていくと近くにあった席に座って机に顔を突っ伏した。
『どうしたんだろう……?』
神木はしばし戸惑ったが、意を決してリリィの隣の席に座って声を掛ける。「リリィ」
リリィはビクっと肩を揺らして、そのままゆっくり顔を上げる。その顔は涙でくしゃくしゃだ。
『泣いているのか……?』
「おじさん……誰? 団長の友だち?」
歌声からは想像もつかないほど幼い声だ。
「僕は、神木裕一郎。伯林歌劇団でモギリをやってるんだ、よろしくね」
「ゆーいちろー? モギリ……?」
得体の知れない生物を見る目つきで神木を見る。
「君が、舞台の途中で飛び出してきたのを見かけてね。何かあったのかなーって思って、追っかけて来たんだ。団長とは今日初めて会ったばかりだから友だちじゃないよ」
「……良かった……」
「……? どうして、僕が団長と友だちだと思ったの?」
「……団長、ボクがいつも遊んでたり休憩したりすると、怒って、何時間も歌わせ続けるから……」
「──何だって!?」
にわかに信じられない様子の神木。
「……僕で良ければ話を聞くよ。リリィ、君のことを聞かせてくれないか」
リリィの目を真っ直ぐに見る神木。リリィはその目に偽りが無いことを悟ったのか、とうとうと話し始めた。
「……ボク、小さい時から歌うことが大好きで、一緒に住んでたおじいちゃんやおばあちゃんの前で歌うと、いつも喜んでくれたんだ。それでもっと上手くなりたい、もっと歌いたいと思って、『ウィーン少年少女合唱団』に入団しようって思ったんだ。先生たち皆、ボクの歌を褒めてくれて嬉しかった。でも──」
リリィの顔が暗くなる。
「ボクが入団して半年ぐらい経った時に、前の団長からカラジャン団長に変わって……。カラジャンは、ボクの歌をすごく気にいってくれて、ボクを合唱団の目玉にすると言ったんだ。でも──」
「でも?」
「──その日以来、団長はボクに厳しくなったんだ。他の子よりも倍近い時間練習させて、遊びの時間はまったくくれなくなって……。他の先生は庇ってくれる人もいたけど、僕が長い時間歌い続けても声が全く枯れないことを理由にさらに練習時間を増やして、公演のスケジュールも増やして……。ボク、いつからか、歌うことに楽しさを見出せなくなっちゃった……」
「リリィ……」
「あんだけ好きだった歌が、今は、苦痛で仕方ないんだ。──今日だって、この芝居を見終わって戻れば、また真夜中まで練習させられる。それが辛くて──抜け出してきたんだ」
「……そうだったのか……」
神木はリリィの顔を見る。幼くして、ショービジネスの世界の汚い部分を知ってしまった少女。それがどんなに冷酷なものかは想像に絶する。
「おかしいよね。十時間も歌い続けても、まったく喉も枯れないし、むしろ、歌声にキレが増すというか……」
「──リリィ。君のその特性には、霊力が関係しているんだ」
「……霊力?」
「あぁ。普通の人には見えないが、僕たちのように霊力を持つ人間は、君が歌っている時に体から白いエネルギーのような光がほとばしっているように見える。それが霊力だ。おそらく、体内に溜まっている霊力が君に素晴らしい歌声を作り出しているんだ」
「霊力……ボクに……?」
「……リリィ。僕たちの仲間にならないか? ──伯林華撃団・四季組の仲間に」
「──えっ?!」
戸惑いの顔を見せるリリィ。
「伯林歌劇団は舞台で人々を魅了するだけでなく、伯林華撃団として魔と戦い、人々の平和を守っている。僕たちと一緒になれば、一度は嫌いになった歌も、きっとまた好きになれるさ!」
「で、でも、団長が……」
「カラジャンのことはどうでもいい。大切なのは君の気持ちだ。人間は誰しも職業選択の自由を持っている。君の本当の気持ちを僕は知りたいんだ。リリィ、君の気持ちを聞かせてくれ」
「ぼ、ボクは……」
リリィが口をもごもごさせた次の瞬間、
ブーーーーブーーーーブーーーーブーーーー
劇場内に警報音が鳴り響く。
「何? 敵か?!」