元気よく返事をしたものの、ただでさえ自分の殻にこもっている人間に力づくで押しても逆効果だ。
『──押してダメなら、引いて見ろだ!』
二日後。神木は一張羅のタキシードを着てマレーネの部屋を訪れた。神木の格好にさすがの彼女も目を丸くする。
「……一体どういう風の吹き回しなの?」
「オペラのチケットを貰ったんだ。だけど、僕はオペラとかよく分からないから、マレーネに色々と教えてもらいながら楽しみたいなと思って」
「……それって、私を誘っているの?」
「まぁ、そんなところだ」
ここは誤魔化さずにハッキリと言う。マレーネはしばらく神木の言葉の意味を推し量っていたが、やがてフッと息をつくと「少し待ってて。着替えてくるから」と言って部屋にまた戻っていった。
再び部屋から出てきたマレーネは、艶やかな美しさを兼ね備えた彫刻のように素晴らしかった。流石の神木もドキッとする。
「さて、参りましょう」
「は、はい!」
外に出ると、道行く人々がマレーネに注目した。彼女の美しさは伯林でも1、2を争うほどだろう。
「随分と、人気みたいだね」
「あら。そんなこと、分かりきってのことよ」
オペラが開かれる会場、『伯林・ドイツ・オペラ』はすでに大勢の聴衆でごった返していた。入口には【ブリーダ・レイダー 伯林サヨナラ公演】の文字が書かれた立て看板がある。
「ブリーダ・レイダーって、ドイツでも五本の指に入るオペラ歌手なのよ」
マレーネが説明する。
「へぇー。でも、伯林サヨナラって引退でもするんですか?」
「オペラの本場でもあるイタリアの有名劇場に引き抜かれたのよ。多額の移籍金を積まれてね」
「へ、へぇ……」
席は奮発して一階のそれなりに見晴らしの良い場所を確保した。本日のプログラムは、ワーグナーの曲を中心にした内容となっている。照明が落ち、オペラが開演した。
『ビブラートの女神』と謳われているだけあって、ブリーダの歌声はまさに素晴らしいの一言だった。マレーネも真剣に見入っている。
約二時間のプログラムが終わり、二人は『伯林・ドイツ・オペラ』を後にする。
「いや、凄かったね。オペラ聞くのは初めてだったけど、また来たくなったよ」
「まぁ、リリィと良い勝負って所かしら? 良い勉強にはなったけど」
「この後だけど、レストランでディナーを予約しているから、一緒にどう?」
「もう予約してしまったのなら、断るわけにはいかないわね」
「決まりだ」
レストランは伯林市内を一望できる場所に店を構えていた。
「マレーネ、ご覧……」
席に着いた神木は広々とした窓から伯林の街を見下ろす。
「綺麗ね……。紐育を思い出すわ」
マレーネは吸い込まれるような瞳をしながらつぶやいた。