「隊長、入ってもいいかしら?」
「マレーネか。どうぞ、カギは開いているよ」
部屋に入ってきたマレーネは、なぜか微笑んでいる。
「ど、どうしたんだい、マレーネ?」
「隊長、明日からの冬休み、何か日程はある?」
「い、いや。まだ決めていないけど」
「そう。──じゃあ、私と一緒に紐育に行かない? せっかくの長期休暇だから、久しぶりにブロードウェイ時代の同僚にも会いたいと思って」
マレーネの提案に目を白黒させる神木。
「にゅ、紐育?! ──お邪魔にならないかな、僕なんかが行って」
「あら、隊長には是非とも来てほしいわ。それに、知見を広げることは軍人にとっては大切なことでしょう?」
「そうだな……。じゃあ、お言葉に甘えて一緒に行くことにしよう」
「ありがとう。明日の朝8時にロビーに集合。その後空港に出て10時発の紐育行きに乗るわよ」
「何だか、話が大きくなってしまったなぁ。──じゃあ、また明日」
「おやすみなさい、隊長」
マレーネはさっと手を挙げながら部屋を後にした。
*******
翌日。先にロビーに来た神木は、現れたマレーネの艶やかなドレス姿に思わずドキッとした。
「どうかしら、隊長?」
「美しいよ……マレーネ」
「ふふっ。良かったわ。さぁ、行きましょう」
空港には、春に来たばかりで久しぶりだった。二人は、10時出発紐育行きの便のチケットを買って、飛行機に乗り込む。
「到着予定時刻は19時30分か……ちょっと遅い時間だな」
「ブロードウェイの皆には、その翌日の昼に会った方が良さそうね。その時間帯はたぶん舞台やっているでしょうし」
「そうだね」
「それにしても、まさか隊長と二人きりで紐育に行くなんて、まるで夢のようだわ」
「ま、マレーネ……」
思わぬ台詞に照れる神木。
二人を乗せた飛行機は、事故も無く定刻通りに紐育に到着した。現地はすでに夜だ。空港内は大勢の旅行客で溢れかえっている。
「とりあえず、ホテルに移動して夕飯を取って、今日はもう休むとしよう」
タクシーを拾いながら神木が提案する。マレーネもそれに同意する。
紐育の夜は、昼のような喧噪だった。
翌日。二人でダイニングの朝食を取りながら、今日の予定について話し合う。
「今日は休演日だけど、明日からまた公演があるからみんな劇場には来ていると思うの。行けば誰かしらに会えると思うわ」
「マレーネの知り合いって、どんな人たちなんだろう」
「ふふ、曲者揃い、といった感じかしら?」
「曲者か。でもマレーネには敵わないだろ?」
「あら。ご挨拶ね」
そう言ってマレーネは微笑を浮かべた。
食事が終わって支度をしてから外に出る。紐育は快晴。神木はタクシーを拾うと、マレーネがかつて在籍していたブロードウェイへと向かった。
ブロードウェイには無数の劇場が乱立しているが、その中でも特に大きな規模を誇るのが、マレーネがいた劇場『ムーンライトシアター』だ。劇場の看板には、でっかく【クリスマスキャロル】の文字が出ている。おそらく今上演している演目だろう。
「さ、入って」
マレーネは、関係者用の出入り口のドアを開ける。
「お、おい。大丈夫か? ちゃんと、警備の人に挨拶してから……」
「大丈夫よ。私は顔パスだから」
そう言ってずんずん奥に入っていく。
「まったく……」
神木も慌てて後を付けていく。
マレーネは複数ある部屋の中から「待機室」と書かれた部屋を開ける。中では複数の役者が私服のまま談笑していたが、マレーネの姿を認めると皆一様に固まってしまった。
「どうしたのみんな、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
神木がマレーネの後ろからひょっこり顔をのぞかせる。皆美形揃いで、いかにも舞台に映えるといった感じだ。
「──マレーネ。本当にマレーネなのか?」
俳優の一人がやっと声を出す。マレーネはふふっとほほ笑む。
「この世界に私と同じ顔は二人もいらなくてよ」
「本人だ……! みんな、マレーネが帰ってきたぞー!」
あっという間にわっと囲まれる。
「久しぶりだなぁ。伯林に行ってたんじゃなかったのか?」
「休みをもらったから帰ってきたのよ。みんなも変わってないのね」
「そりゃあもう! いやぁ、それにしてもまた会えるなんて」
「俺らに黙って行っちゃうんだもんなぁ」
「ごめんなさい。未練なく伯林に行きたかったから」
旧友たちと会えた喜びからか、マレーネの表情がとても柔らかい。
「それより、マレーネ。こちらの方は?」
一人の俳優が神木の存在に気づいて尋ねる。
「あら。彼は私の恋人よ」
「こここ、恋人?!」
マレーネの爆弾発言にざわめく一同。神木は顔を真っ赤にして否定する。
「ち、違いますよ! 僕は伯林歌劇団で、モギリをしている神木裕一郎です。今回はたまたまお呼ばれしただけで……」
「あら、いいじゃない。減るもんじゃなし」
面白そうに乗っかってくるマレーネ。ますますどよめく室内。
「へぇー。そうかぁ。ついにマレーネにも恋人が出来たのかぁ!」
「おめでとう! おい、神木さんとやら。マレーネを幸せにしてやれよ」
「結婚式の余興は任せておいて!」
劇団員たちが口々に神木に声を掛ける。神木はてんやわんやになるだけだ。
「確かに、マレーネ。表情柔らかくなったもんなぁ」
一人の俳優が感慨深げにつぶやく。その言葉に神木は反応する。
「えっ? どういうことですか」
「マレーネは、『氷の微笑』という愛称そのまま、本当に笑顔を見せることは少なかったんだ。俺らは長い付き合いだから彼女の機嫌が良いか悪いかは何となく察することが出来たけど……。プライベートであれだけ表情豊かな彼女を見るのは初めてかもしれないな」
確かに、伯林華撃団に打ち解けてから彼女の笑う回数は格段に増えている。笑っている彼女はさしずめ聖母といった感じだ。
「だからよ、神木さん! 彼女を泣かせるようなことをしたら、俺らが許さないからな!」
「──心得ておきます」
と、ここで神木のアイフォトロンが鳴り出す。出てみると、スピカからだった。
「もしもし、副支配人?」
『神木くん? 良かった、今どこにいる?』
「マレーネと紐育のブロードウェイにいますよ」
『今すぐ戻ってきて。大変なことが起こったの!』
「えっ? 大変なことって……?」
『ワケは後で話すから、とにかく、急いで戻ってくること!』
通信はそこで途切れた。
「隊長」
マレーネが真剣なまなざしで神木を見る。
「事件なのね?」
「あぁ。すまない、もっとゆっくりしたかったと思うんだけど」
「構わないわ。──みんな、急用が出来たから私はこれで戻るわ。クリスマスキャロル、頑張ってね」
口惜しそうにする一同。マレーネはウィンクを一つ投げると、神木と共に紐育を後にした。