原作より色々と緩い風鳴家にクリスちゃんが嫁いだ話 作:とりなんこつ
追跡
弦十郎は夜の都内を疾駆する。
アスファルトの地面を抉り、ビルを飛び越え、形振りなど構っていられない。
間もなく見えてくるは東京スカイツリー。
弦十郎の超人的な視力は、真夜中にも関わらず展望台へと昇っていくエレベーターを捉えている。
「クリスッッッ!」
赤子を抱えた格好の妻は見間違えることなどない。
叫びながらスカイツリーの真下へ達した弦十郎は、一気に展望台を目指す。
垂直にツリーを駆け上がり、展望台に風穴を開けて飛びこもうとした時。
「ッ!?」
不可視の壁に、弦十郎の拳は弾き返された。
地面まで落下、着地。
膝を屈めて反動をつけて、再び剛腕を振るうも、やはり不可視の壁が行く手を阻む。
すぐ先の見上げる場所に、最愛の妻と娘がいるというのに。
ゆえに弦十郎は諦めない。
ただひたすら拳をぶつけ続ける。
合流
S.O.N.G.の本部である次世代潜水艦は、その日の早朝に日本へ接岸を果たす。
アメリカ艦隊との一大決戦は、弦十郎が発ってから間もなく、全ての米国籍の艦船が機能停止し、沈黙。
静まり返る旗艦には人の気配すらせず、米国の空挺部隊が乗り込んで精査が行われた。
取り合えず、この場での脅威は去ったのではないか?
その判断を、S.O.N.G.側は別角度の情報から検討する。
風鳴屋敷が襲撃を受けたとの報告を受けてから、日本国内との連絡の一切が不通。
本国で何か重大事が起きている。
司令代行の訃堂の下知により、潜水艦は全力で日本へ向けてUターン。
到着してからも通信障害は解消されず、結果、日本政府とS.O.N.G.は、緒川忍群を介した伝令でやりとりという、えらくアナログな手法に頼らざるを得なくなる。
八紘からもたらされた情報、そして風鳴屋敷に向かった緒川たちからの報告をもとに、夜を徹して見えざる壁を殴り続けた弦十郎が装者たちと合流したのは、もはや日は昇り切っている時刻であった。
装者数人がかりで止められた弦十郎が両手の手当てを受けつつ、現状の確認と情報の共有が行われたのは、急遽スカイツリー前に設けられた仮設本部内だ。
喫緊の問題は、なぜにシェム・ハにクリスが娘ごと拉致されたのか?
「おそらく、神獣鏡の光を浴びたクリスさんの…」
「バカなッ! あの時のクリスは顔に光を受けた程度だぞッ!!」
神獣鏡は、人としての原罪を浄化する。浄化された人間は、神の依り代としてのこれ以上にない適性を得る。
だが、弦十郎が叫んだ通り、クリスは顔に受けただけで、すかさず未来も放射していた腕を下げている。
光を全身に隈なく浴びなければ完全に浄化されたとは言えないはず。
弦十郎の迫力に顔を白くしながら、気丈にもエルフナインは続けた。
「ええ。ですが、神獣鏡の光は、クリスさんの身体の前面を撫でるように照らしました。
そして、もうあの時には、クリスさんのお腹の中に弦十郎さんとの子供がいたはずなんです…」
「…なんてことだッ」
弦十郎は呻く。
人として生まれ、人の原罪を浄化されたもの。
人としての原罪を浄化されたのちに、生まれてきたもの。
どちらがより神の依り代に相応しいのか言及するまでもない。
「なら、そもそものアメリカ艦隊がブラフで…!?」
藤尭が茫然とした声を上げる。
単純に赤ん坊の人格は確立されていない。依り代として乗っ取るという意味においては、これ以上の素材はないだろう。
そこまでシェム・ハがクリスの子に執着していると、考えるだけで空恐ろしい。
「ですが、現状を見るに、まだ依り代としての転生は行われていないようです」
「む…」
仮設本部のテントのを捲り上げ、エルフナインと一緒に弦十郎はスカイツリーを仰ぐ。
いまやその展望台は、彼の拳すら跳ね返す見えざる防壁とともに、どうやっても辿り着けない不可侵領域と化している。
「ここからはボクの推測になりますが、転生が行われるまでに、まだ時間は残されているのではないでしょうか?」
展望台にて
「てめえ、何を考えてやがる…?」
愛し子を胸に抱きながら、クリスは油断なく目前の女性を睨みつける。
風鳴屋敷でヴァネッサらを切り刻み、クリスを捕獲して脱したそのシェム・ハの容姿は、一般的な白人女性だ。
だが、向けてくる黄金の瞳は猫のようで、クリスの身体を強張らせる。
『愚問である。全ては貴様の娘を、我の完全なる依り代とするため』
「んなことさせるかよッ!」
吠えるクリス。そのタイミングで泣き出す娘。
「あ、ごめん。ほら、ママは怒ってないから。よしよし」
必死であやすクリスに、シェム・ハはそっけなく告げてくる。
『努々ここからは逃れられぬと知れ』
そのままスッと脱力したように椅子にもたれる姿に、クリスは思う。
ここにイチイバルがあれば全力で鉛玉をぶち込んでやるのに。
だが、現実としても、娘を抱えたまま逆撃は困難だろう。
ぐずる娘はおしめを汚していた。
綺麗にしなきゃ、とトイレに赴く途中でエレベーターを発見。
スイッチを押すも、案の上、うんともすんとも言わなかった。
緊急の非常口も開かなかったので、クリスはいよいよ覚悟を決める。
「ちょっと大人しくしててくれよ…」
なおぐずる娘をそっとテーブルの上に横たえ、クリスは金属製の椅子を抱える。
それを全力で窓ガラスへと叩きつけたが、手ごたえはまるで見えない壁を殴ったかのよう。
もちろん窓ガラスにはヒビ一つ入ってなかった。
『徒労である』
座ったままのシェム・ハが冷笑を投げかけてきた。
さんざん超常を相手にしてきた経験からクリスは悟る。
ここには、決して逃げられないような結界が施してあるということを。
だからといって、怖気づいたりはしない。自分には頼れる仲間に、最強の夫がいる。
希望はある。ありすぎる。
きっと今この瞬間も、自分と娘を助けるためにあらゆる手段を講じてくれているはずだ。
同時に、クリスの中に沸き立つ疑問。
シェム・ハは、自分の娘を依り代にするのが目的といった。
過日、神獣鏡の光を浴びたことによることをクリスは理解している。
けれど、こうやって攫ってきたのに、どうしてすぐにでも依り代にしようとしないんだ…?
検討
仮設本部内での作戦会議は続く。
「取り合えず、あの不可視の防壁を突破しないことには…」
エルフナインと藤尭が、ノートPCにデータを打ち込みながら頭を悩ませている。
現在、日本国内のあらゆるネットワークが原因不明のまま寸断されていた。
仮設本部周辺には
「…あの~、エルザちゃんたちは?」
おずおずと響が手を挙げて質問。
友里が黙って首を振り、弦十郎がポツリと言う。
「彼女たちは、クリスと娘を護るために命を張ってくれた…」
「そんな…ッ!」
響は絶句。その瞳に見る見る涙が盛り上がったが、キッと眉を怒りの形に歪めると、仮設本部のテントを飛び出していく。
「おい、どこへ行く立花ッ!」
翼の声に、ガングニールの聖詠が答える。
「神様だかなんだか知らないけれどッ! エルザちゃんたちのことは絶対に許さないッッ!!」
ガングニールを纏った響が飛ぶ。彼女の拳は『神殺し』の哲学兵装。
相手が神であるならば、いかなる防御も貫けないはずはないッ!
「えッ!?」
だが、響の拳も、あえなく弾き返されてしまう。
だけではない。
他の装者たちも弦十郎と合流した後に幾つもの攻撃を放っていたが、不可視の壁はびくともしていなかった。
「これは…もしかしたら『神の防壁』かもしれませんッ!!」
エルフナインの発言を、一瞬誰もが聞き間違いかと思った。
『神』の防壁に関わらず『神殺し』の拳が通用しないのは矛盾ではないのか?
しかし、エルフナインの説明は続く。
「この場合の神は、唯一神という意味での神なんです」
元々の神殺しも逸話も、いわば神々という複数の神が登場する神話に由来するものが多い。
しかし、世界に冠する基督教と回教は唯一絶対神を信奉している。
悪魔と呼ばれる存在も唯一神の造りたもう存在で、多くの悪徳や誘惑も、全て神の手の中の予定調和だ。
唯一神は全にして一。神が存在しないということは無であると同義である。
神を殺した瞬間に全てが無に帰すとあれば、神を殺したと認識できるものもまた無に帰すだろう。
唯一神に対し、神を殺すという概念をぶつけること自体が大いなる矛盾であり、無意味なのだ。
「ならば、この障壁は絶対に突破は不可能だというの!?」
半ば叫ぶマリアに、エルフナインは首を振る。
「いえ、不可能ではありません。人々の認識を変えれば、あるいは…」
エルフナインは語る。
人々の認識を書き換え、シェム・ハという神が唯一神ではないと齟齬を起こさせる。
だが、過日のシェム・ハは、全世界に宣戦布告するにあたり、己が唯一の神であるかのごとき言動を繰り返している。
それらは、人類の多くに膾炙しており、その哲学設定が『神の防壁』となってスカイツリーを覆っているのだろう。
ならばさっそく人々へ訴えかけようにも、現在の全世界のネットワークは寸断されている。
かつてマリアがアップルの歌を唄ったような世界中継も不可能な状態だ。
「全てはこの日を目的にした布石だったというわけか…?」
誰もが戦慄に震える中、本部のテントを勢いよく跳ねあげたものがいる。今のいままで完全に黙していた訃堂だ。
「親父、どこへ?」
「鎌倉だ」
言いおいて、さっさと本部を出ていく訃堂。
弦十郎は止めはしなかった。
決して多くは語らぬが、訃堂にも何かしらの考えがあるに違いない。
風鳴家も歴史は浅からぬものがあるので、ひょっとした鎌倉の本家に聖遺物でも秘匿されているのかも知れなかった。
訃堂の動向を脳裏から除外し、弦十郎は本部内のモニター越しにスカイツリーを見やる。
放たれたドローンからの映像は、クリスらしき人影がせわしなく動いている姿を捉えていた。
(きっと娘をあやしているのだろう)
まだ自分はろくに娘を抱いてすらいない。
ギリギリと胸を締め付けられる感覚に襲われつつ、弦十郎はクリスと同じ疑問に行き当っている。
「なあ、エルフナインくん。転生の儀式とやらを行うにしても、なぜに未だに行う素振りが見えないのだ?」
「おそらく、タイミングを測っているのではないでしょうか」
「タイミングとな」
「はい。一般的な魔術儀式にも言えることなんですが、月の力を使うことが多いはずです」
エルフナインの説明は、単にオカルト話に終始するだけではない。
科学的に解説するならば、月の存在そのものが人間のバイオリズムに密接に関係していると言えるだろう。
「そして今の月は、その姿を大きく変えています。なので、依り代へ転生するタイミングは、非常に限られた時間の中でしか行えないのでは…?」
実は、このエルフナインの推測は全く正しい。
現在の崩壊した月の影響下で実行できる時間は、真夜中の0時から数分のみ。
過日のシェム・ハは、本来であれば拐ってきたクリスの娘に、すぐに転生の儀を施す予定だった。
しかし、ヴァネッサら三人が立ち向かってきたのは全くの誤算。
結果としてタイミングを逸し、儀式は翌日へと持ち越しになる。
三人と一緒に始末するはずだったクリスを拐ったのも、儀式の時刻まで面倒を見させるため。
ヴァネッサたちは、確かにクリスとその娘を護り切れなかった。
しかし、文字通り命を賭して、宝石よりも貴重な時間を稼いでくれていたのである。
回天
何よりも貴重な時間が、刻一刻と過ぎ去っていく。
弦十郎たちも検討に検討を重ね、どうにか深淵の竜宮とも連絡を取り、何かしらの聖遺物の使用を画策したが、全てが無為に終わっていた。
「やはり時間が足りないのか…ッ!」
弦十郎は包帯に包まれた拳をデスクに叩きつける。
エルフナインが言及した通りに、人類の認識を変えれば神の防壁は崩せる。
だが、そのためにはネットワークを再構築し、多くの人類に発信できるだけの環境を整えなければならない。
それを実行に移すには、どうあっても時間がかかり過ぎるだろう。
既に日はとっぷりと暮れていた。
ネットワークが寸断されたということは、インフラもほとんど稼働していないことと同義だ。
都内の公共機関はほとんどが停止しており、信号も稼働しないため迂闊に車で移動することも出来ない。
だが、どういうわけか、電気と水道だけはきちんと供給されており、今のところは国内で大きなパニックは起きていなかった。
それでもインターネットは繋がらず、テレビも映らないとあっては、人々は家で大人しくしているか、外へ情報を求めるしかない。
自然と出歩く人たちが増え、彼らの視線は、今や都内で唯一煌々と光を放つスカイツリーへと注がれていた。
展望台から盛大な光を放つさまも相成って、スカイツリーはまるで巨大な十字架のように映えている。
この様相に、弦十郎たちはシェム・ハの周到さを見ずにはいられない。
異常な状況下で、十字架を見た人たちは、ますます神への認識を強くすること請け合いだ。
証拠に、スカイツリーの元へ、多くの人たちが集まってきていた。まるで聖地を目指す巡礼者のように。
それら道に溢れた人たちに向けて、牧師姿で辻説法をするような人間も出てきている。
彼らに感化されればますます唯一神としての哲学は補強されるわけで、分かっていても弦十郎たちには阻害することは困難だった。
「…司令ッ」
藤尭の小さな声。
あまり他人に聞かせたくない報告だと察した弦十郎は、さりげなく近寄る。
「どうした?」
「アメリカ方面からの極秘情報なのですが…」
困惑仕切った顔の藤尭曰く、以前に響がデヴァインウェポンと一体化してしまったときと同様に、日本国首都に向けて反応兵器の使用を検討しているとのこと。
「…艦隊を乗っ取られたことに懲りていないのかッ」
弦十郎は言下に吐き捨てた。
いや、だからこそだろう。凋落したアメリカの威信を回復するためにも、どうやってもシェム・ハを屠ったという実績が欲しいと見える。
実行されれば、首都は間違いなく蒸発する。そして、その業火と灼熱の中にあっても、神の防壁は健在だ。
完全な暴挙を知って、しかし説得するための回線は回復しておらず、こちらから出向くという選択もなしえない。
「…エルフナインくん。もし仮に、転生の儀式が完了した場合、神の防壁はどうなる?」
弦十郎の声は、煩悶と呼ばれるものを練り上げて作ったように苦渋に満ちていた。
「は、はい! おそらく、一瞬だけは消え去る可能性が…」
それは、いわばアップデートに伴う再起動の僅かな時間。
「ならば、その隙を狙い、シェム・ハを倒すのみッ!」
「し、師匠!? それって…ッ!」
いつもは能天気な響とて一瞬で察する。
弦十郎の言わんとすることは―――親の手による子殺しだ。
「そ、そんなの! 絶対に駄目ですよッ!」
「分かっているッ! だからといって、我が子を守って人類を滅ぼすわけにはッッッ…!!」
弦十郎は血を吐くように言う。事実、口の中は、唇を噛みしめた血で溢れていた。
そのまま血涙すら流しそうな目を見開き、弦十郎は心の中で絶叫する。
誰か。誰でも構わない。
他に方法があるなら教えてくれ。
俺に妻と娘を救う術を授けてくれ。
人類最強の男は、生まれて初めて祈っていた。
神を倒すために、神へと祈りを捧げるという矛盾。
されど、神はいつだって無慈悲だ。
人の願いは、常に聞き届けられることはない。
ゆえに弦十郎には何の天啓も下らない。神の声さえ聞こえはしない。
だが、その替わりに―――。
「…何の音だ?」
ズシン、ズシン、と凄まじい重量が移動するような音が聞こえる。
テント内の装者たちも揃って耳を澄ます。その音は、徐々にこちらに近づいてくるように思えた。
「…これは!? この数値はッ!?」
エルフナインが何かを叫んだが、その時にはほぼ全員がテントから飛び出している。
迫りくる重量級の物音は、大きな歓声を伴っていた。
それは、まるで鯨波のようにスカイツリーへと迫ってくる。
「一体何が…?」
弦十郎の視線の先に、巨大なシルエットが見える。
人波が割れた。
ズシン、ズシンと更に重低音を響かせて、スカイツリーの光に照らし出されたそれは巨大な阿弥陀如来像。
通称、鎌倉の大仏と呼ばれる国宝の土台を支え持って歩いてくるのは、もろ肌を脱いだ風鳴訃堂だった。