原作より色々と緩い風鳴家にクリスちゃんが嫁いだ話 作:とりなんこつ
休日
テーブルの前に胡坐をかき、新聞を広げる弦十郎がいる。
そこに、洗濯物を干し終えたクリスが茶器の載ったお盆を手にやってきた。
ポットからお湯を急須へ入れ、コポコポと大小の湯のみへと注いでいく。
「はいよ」
「うむ。ありがとう」
大きな湯のみを受け取った弦十郎は、グビリと一口。
クリスはクリスで菓子鉢からせんべいを取り出してバリバリと齧っている。
麗らかな日差しも暖かい日曜日の午前中。
久方ぶりに夫婦でのんびりと過ごすクリスの手元に、小さな影が歩み寄る。
「にゃあ」
なんとも可愛らしい鳴き声は、白い毛並みの子猫だった。
「お、来たな」
笑顔を浮かべたクリスが指を差し出すと、スンスンと鼻をこすり付けてから舌でペロリ。
そのまま彼女の膝の上に登って丸くなってしまう。
うっとりと目を閉じたその額やあごを撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らしてくれるので、クリスはますます笑み崩れていく。
そんな風にしばし猫と戯れていたクリスだったが、不意に旦那である弦十郎へ水を向けた。
「なあ、ちょっと…」
「ん? どうした?」
「あのさ。爺様は、大丈夫なのか…?」
クリスが視線を向けた先。
開け放しの縁側には風鳴訃堂が腰を下ろし、ぼんやりと庭先へと視線を送っている。
そこにはかつての覇気がまるで感じられず、並外れた巨躯も随分と小さく見えた。
「むうう…」
弦十郎は思わず唸る。
日本の黒幕、裏世界の総帥と呼ばれた訃堂は、凄まじいまでの権勢と威容を誇っていた。
齢100を超えて矍鑠とした容貌から、永田町ではそのまま『妖怪』と畏怖されていたほどである。
そんな実父に引退という形で引導を渡したのは、他ならぬ弦十郎だ。
高齢であることはもちろんだが、あまりにも巨大になり過ぎたカリスマ性と偶像性を排するために動いたのは、決して間違いではなかったと思っている。
しかし、そんな化け物染みた父がここまで大人しくなってしまうとは、全くの想定外であった。
「いわゆる燃え尽き症候群というやつなのか…?」
弦十郎は顎先の髭を撫でる。
「言いたかないけど、ちーっとばっかボケてきてんじゃねえの…?」
クリスが心配そうな声で言う。
現在の訃堂は、日がな一日ボーっとしているかと思えば、ふらりと散歩へ出かけて夜まで戻ってこないこともある。
そのついでに、猫なんぞを拾って帰ってきたりして、いまクリスの手元にいる一匹に、縁側に寝そべる二匹目も、いずれも訃堂が連れてきたもの。
この猫に関しては、クリスも苦言を呈することなく受け入れていた。
もともとペットを飼ってみたかった彼女は、ちょうどいい機会とばかりに、猫に首輪をつけて予防接種に避妊手術の手配と甲斐甲斐しく世話を焼いている。
二匹とも非常に食欲旺盛なため、バカ2号、バカ3号と名前をつけて可愛がっていた。
バカ1号が誰であるかは記すまでもない。
「実際に徘徊なんぞされたら、車を跳ねないか心配しきゃいけないだろ?」
一般家庭と真逆の心配は、風鳴家では日常的なもの。
クリスの懸念は弦十郎も十分に心得ている。
どうしたもんかな、と腕組みをする弦十郎の目前で、すくっと訃堂は立ち上がっていた。
「―――少々出掛けてくる」
そのまましっかりとした足取りで出ていく姿は、壮年の男性と見劣りしない。
「おい、親父…!」
弦十郎の声も聞こえているのか無視しているのか。
その大きな背中がたちまち見えなくなったと思ったら、今度はクリスが立ち上がっていた。
「おい、出掛けようぜ!」
「なんだ、どうした?」
「爺様が何をしているのか、後をつけてみるんだよ!!」
街中を訃堂が颯爽と歩いていく。
白い総髪の容貌も怪異な訃堂であるが、まるで目立っていなかった。かつての威容が減退していることに関係があるのだろうか?
そして、そのあとを追う風鳴夫妻。ともあれば、サングラスなんぞをつけたこちらの二人の方が訃堂より目立っていた。
もと公安警察に所属していた弦十郎には尾行術の心得があったが、クリスの方はそういう手管は持たない。
結果として、なんとも凸凹なコンビと他人の目には映ってしまう。クリスの容色が際立っていることもあって尚更だろう。
「なに? 映画の撮影?」とかいう行き交う人の声が聞こえたが、クリスは完全無視。
実態は紛れもない夫婦なのであるが、一般人に声高に主張するような趣味はない。
「こっちの方に何かあったっけ?」
曲がり角で足を止めた弦十郎へ囁く。
「さてなあ。老人クラブは方向が違うし」
若い女子にチヤホヤされたい。実父の要望に十二分に配慮したつもりだったが、過日の訃堂が偉く機嫌を損ねていたことを弦十郎は思い出している。
「しっかし、そもそもが一人で出歩いても大丈夫なもんかね…」
今更ながらクリスが呈した疑問。
日本国の要石と評された風鳴訃堂は、国内外の様々な組織から命を狙われていたのは公然の秘密というやつである。
「まあ、要職を解かれたのだから、地位に伴う価値がなくなったということだろうよ」
かつての訃堂であれば、鎌倉の奥深くに座し、緒川忍群の手練れを周囲に配し隙を見せなかった。
しかし今や護衛は一人も存在せず、なのに奔放に出歩いて無事なのは、弦十郎の指摘に十分な説得力を持たせている。
ゆえに、どこに出かけているかをまるで把握できていなかったのは、少々皮肉が効きすぎていたが。
「ぬう?」
弦十郎が足を止める。
見上げた先には一棟の大きなビル。
訃堂の姿はその中へと吸い込まれていた。
「…こん中で、何かあるのか?」
少しだけ息を切らせて追い付いてきたクリスも並んでビルを見上げた。
「わからん。が、まずは入ってみるか」
「そうだな。虎穴に入らずんば、ってヤツだ」
互いに頷いて、二人は揃ってビルの中へと足を踏み入れる。
…思えば、ビルに入った時点で違和感に気づくべきだったかも知れない。
周囲から注がれる奇異な視線。同時に覚える息苦しいような圧迫感。
完全なアウェイに突入してしまった印象を胸に、クリスは頼みの弦十郎へと縋りつく。
弦十郎もそんな雰囲気を察したらしく、守るようにクリスの小柄な肩へと手を添えていた。
そんな風鳴夫妻だったが、背後から突然声をかけられる。
「あ、参加者の方ですか? あちらでエントリーシートを書いて頂いて…」
「参加者? い、いや、俺は別にそういうものでは」
スーツ姿の男は、言い返す弦十郎に目を細める。
「そうなんですか? 勿体ない気はしますけど、今回は不参加ということで?」
「は、はあ…」
曖昧に弦十郎が応じていると、
「では、観客席はこちらです」
有無を言わせず案内されたのは、すぐ隣の多目的ホール。
数百人は座れそうなそこに、席を埋める客の数は決して多くない。
しかし、ビルに入ったときに感じた圧はますます強くなっているように思える。
おまけに凄い熱気が立ち昇っているようで、室内は酷く蒸し暑い。クリスは思わず額の汗を拭っている。
「な、なあ。これは一体何の大会なんだよ?」
不安そうに弦十郎を振り仰げば、
「む。これは…」
その返答をかき消すようなファンファーレ。
次々と壇上に姿を現すシルエットに、クリスは目を剥いて絶句する。
そこに立つは、むくつけき―――いや、鍛えに鍛えた筋肉をバルクアップしたゴリマッチョの群れ。
それぞれがブーメランパンツ姿でポージングを決める光景に、周囲の観客からはどよめきと歓声が飛ぶ。
おそらく、女性数が絶対的に少ない会場内で、赤面していたのはクリス一人だけだったろう。
「ななななんなんだよ、これはッ!?」
「うむ。いわゆるボディビル大会というヤツだな」
答えつつ、弦十郎は自身が参加者へと間違われたことに納得していた。
クリスはクリスで、自分の旦那に比肩するマッチョの群れを目の当たりにし、眩暈がするような感覚に襲われている。
おそらく筋肉酔いとでもいうべき症状を起こしたクリスを気遣う弦十郎の耳に、司会らしき声が飛び込んできた。
『次のエントリーは、匿名で参加の防人仮面だッッ!!』
「ッ!?」
続いて、壇上に姿を現した黒覆面の筋骨隆々たる大男に、弦十郎は茫然と呟く。
「…親父……」
果たして、褌を翻して壇上で颯爽とポージングを決める防人仮面。
見事なまでに盛り上がった筋肉に、観客から圧倒的な歓声と盛大な掛け声が投げかけられた。
「背中に鬼神が宿ってるッ!」
「大胸筋が走ってるッ!」
「肩に98式戦車載せてんのかいッ!」
「二頭が富士山麓!」
「足が本州みてぇだなッ!」
防人仮面もとい風鳴訃堂。
大会オープンクラスD優勝。
日曜午後の長寿番組のアレ
「新婚さん、いらっしゃ~い」
「はい、まずは御歳とお名前を」
「東京都内在住、風鳴弦十郎。年齢は未設定です」
「つ、妻クリス。歳は17…もうすぐ18歳ですッ」
「なんや、旦那さんは偉いでかい人やなあ」
「本当、凄い体格ですね~」
「恐縮です」
「ほんで奥さんは…? はあんッ? 現役女子高生かい、君はッ?」
「うわ、ハーフなんですって? 可愛い。肌が若い~」
「…う、え。は、はい…」
「ほ~。しっかし旦那さんとはずいぶん歳離れているみたやけど。どういう経緯で知り合ったん?」
「…まあ、妻は俺の職場の部下でして。仕事を手伝ってもらっていたというか、アルバイトをしてもらっていた関係というか…」
「職場恋愛というヤツかあ。ほな、奥さんの方はなんでそこでアルバイトを?」
「…さ、最初は邪魔するっていうか、営業妨害してたんだよッ! でも、たまたまというか、成り行きというか手伝う感じに…」
「ふうん? …ああ、君は可愛らしいからなあ。ライバル店の看板娘やっとって、引き抜かれたって感じ?」
「ま、まあ、そんなもんかな…」
「旦那さんは、奥さんへの第一印象は?」
「む。それは…小さくて可愛らしいな、と。これは大人として守ってやらねばと思いました」
「ほうほう。まあ、せやろね。そんで奥さんは、旦那さんのどこに惹かれたん?」
「う、あ…。……全部」
「はい?」
「…全部だよ、コンチクショウ!」
「す、すみません、妻は外国で暮らすことが多かったので、少々言葉遣いが…」
「ほうほう。お熱くて結構ですなあ。しっかし、凸凹カップルにもほどがあるで君たち」
「ははは、よく言われます」
「………」
「傍目にも、カップルゆーより、親子に見えるわな~」
「それも良く言われますな」
「………」
「手ぇ出した旦那さんにも甲斐性があるんやけど、奥さんの方も大概やで?
ほんで、まだ高校に通ってるんかいな? 友達とかどういう反応?」
「…とりあえず、祝ってもらってますケド」
「いや本当、美女と野獣? むしろ巨人とコロボックルみたいな見た目やな、ガハハハ」
「…るせぇ」
「あん?」
「うるせぇってんだよ!」
立ち上がるクリス。
すかさず渾身のドロップキックが司会者へと炸裂。
「なんだよ、さっきから黙って聞いてりゃ、こっちのことをベラベラベラベラとッ!!」
「い、いや、それがこの番組の趣旨で…」
「喧しいッ! 見た目とかどうとかてめえには関係ねーだろうがあッ!」
「だから、それはブベラッ!?」
―――ただいま映像に乱れがありました。しばらくお待ちください―――
映像が回復。
司会者の席は不在で、クリスの座っていた席にはうたずきんちゃんのぬいぐるみが。
「今日いらしてくださった風鳴夫妻には、副賞としてあんぱん1年分が贈られます。
それでは来週も、新婚さんいらっしゃ~い」
笑顔を引きつらせた女性アシスタントの挨拶で番組は終了。
拾った
その日、散歩から帰ってきた訃堂が腕にぶら下げているものを見て、弦十郎とクリスは揃って目を剥いた。
「お、親父、どうしたのだ、それは?」
「拾った」
無造作に言ってのける訃堂が持っているものは、どう見ても女の子である。
手足も顔を真っ黒に汚れていたが、歳の頃は十代くらいだろうか。
だが、弦十郎夫妻が真に驚いた理由は、その少女の頭部から耳らしきものが生えていたことだ。
加えて、お尻からは猫のような細いしっぽが伸びていることも見取れる。
「…それ、人間? 動物なのか…?」
クリスが茫然とした視線を向ける先。
いまなお訃堂に摘まみ上げられたままの黒い塊から、弱々しい声がこぼれ落ちる。
「お、お腹が空いたであります……」