交渉とは、お互いに利害が一致しなければ成り立たない。
一方が価値を感じるものも他方には価値が無い可能性はあり、それらを価値観の相違という。価値観の相違は小さければ特段問題の無いものなのだが、それが大きくなればなるほど関係が拗れていくことが多い。
話し合いに話し合いを重ねて価値観や誓約などを擦り合わせ、その事柄について合意ができたら交渉は成功だ。
だが人間という生き物は非常に欲が深い。
一見対等な価値だと思わせておいて実は自分にだけ利益が生まれるように策略を巡らせていた、なんてことも日常的に行われる。
例えば外食をする際に食品サンプルやメニュー表を見るだろうが、その食品サンプルやメニュー表の写真には光が当てられているため非常に美味しく見えるだろう。
しかし、いざ実物を見てみると思ったよりもこじんまりしていた、写真よりも質素だったということは実体験として持っている人も多いはずだ。
しかし、果たしてそれは騙しているのだろうか。
あくまでも法の範囲内、創意工夫の中の一つとして括られる程度のものではないのだろうか。
それを見抜くためのヒントは色々とあったはずだが、そのまま料理を頼んだ時点でお店側に一杯食わされているのだ。
では逆に、その策略がバレてしまったらどうなるか。
寛容な心で見逃してくれる人もいるだろうし、交渉決裂として一切の話し合いを行わない人もいるだろう。
先程の話で例えるのなら知った上で注文をする、騙されないぞと店を出るなどだろうか。
こと交渉事においてはその策略を逆手にとってこちらに優位な条件を提示することもできるかもしれない。
しかしその程度の交渉では折角の優位性も最大限活用することはできないと俺は感じている。
だから俺は、代償を予め提示させる。
依頼の対価とは別の、契約違反の際に支払わせる違約金だ。
その代わり依頼の成功率は保証する。
あまりないが、出来ない依頼は引き受けない。
成功率百パーセントの請負人。
もし失敗するようなことがあれば、それは俺という価値が世界から無くなったことと同義である。
それが俺、
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東京都高度育成高等学校。
日本政府が作り上げた、未来を支えていく若者を育成する、それを目的とした学校。外部との接触は一切断たれているが、代わりに施設はスーパーから生活用品店、多種多様な娯楽施設等生活するには困らない程に整っている。
このような特殊な環境下に最初は戸惑っていた新入生たちも、一か月も経てば勝手に順応していくのだから面白い。その順応の度合いも人それぞれであり、授業中私語や携帯、居眠りは勿論、遅刻や欠席、早退をする者も居れば学生としての本分を全うする生徒など多種多様だ。
しかしそのどれも教員は一切関与しない。
注意をすることもなく、ただただ淡々と授業を行っていく。
その事実を知った生徒たちがどのように行動するかは言うまでもないだろう。
さらには入学当初生徒一人一人に各施設で扱える学生証が配布されており、全生徒平等に10万ポイントが付与されている。1ポイント1円の価値があり、それは学校の施設にある食品や生活用品は勿論のこと、娯楽施設の利用等あらゆるものに使うことができるものだ。そのポイントは月初めに配布されるものであり、10万ポイントは入学当初の一年生に支払われたものだ。
突如として大金を手にした生徒たちの多くは、私欲を満たすためにポイントを吐き出し、一部の生徒は月末までに全てのポイントを使い果たした。ここは天国だと、そう感じた一年生は少なくない。
そうして学年全体がどこか浮かれた気分のまま迎えた本日、五月一日。
何人もの生徒が待ち望んだその日は、その楽園のような学校生活に終わりを告げるかのように、学校から生徒たちに評価が叩き付けられた日だった。
Sシステム。
プライベートポイントと呼ばれる10万ポイントとは別にクラスポイントというものがクラス別に付与されており、それが入学当初は各クラス1000ポイント。しかしそれは四月の間だけだった。
このクラスポイントにこそ、落とし穴があったのだ。
入学当初に説明されたのはプライベートポイントのみのことであり
クラスポイントについては一切言及されていなかった。
そのクラスポイントは各クラスに属する生徒たちを評価したポイントであり、1ポイントに付き100プライベートポイントに値する。
ここまで説明したら大抵の人は勘づくだろう。
学校における評価項目は何か。
真っ先に思いつくのは中間や期末のテストや小テストだろうし、普段の授業態度なども含まれている。
ここまで言えば大方察しはついてくるだろう。
教師たちは前述したような劣悪な授業態度を無視していたのではなく、それも実力だと評価していたにすぎないのだ。
その結果が今黒板に貼り出されている各クラスのポイントであり、学校から叩き付けられたクラスに対する評価だ。上から順番に、Aクラス940ポイント、Bクラス650ポイント、Cクラス490ポイント、Dクラス0ポイント。
一学年定員百六十名、一クラス四十名から成り、見て分かる通り各々の実力によってAからDまでにクラス分けされている。
Aクラスは歴代最高ポイントを残したのに対して、Dクラスは史上初の0ポイント。遅刻や早退、欠席が当たり前だったDクラスに対して、Aクラスは入学早々にSシステムの存在に気が付き、二人のリーダーを擁して授業態度の徹底を行った結果だと言えよう。
お互いのリーダーの勢力は完全に五分。
Aクラスはどちらかの派閥に属して水面下での戦いが繰り広げられている―――というのがこの五月までに俺の周りで起きた出来事だ。
そんな俺の立場はクラスでただ一人の中立。
決して孤独という訳では無く、どちらの勢力に対しても一定数の友好関係は築けている。
だがその存在というものは、良くも悪くも非常に目立ってしまうものだ。
出る杭は打たれるという言葉があるが、俺も例に漏れることなく二人のリーダーから毎日接触されていた。
「坂田、相談があるのだが是非とも俺たちと―――」
「断る」
「―――そうか、意味は無いと思っているがもし気が向いたら声をかけてくれ。こちらはいつでも歓迎しよう」
「葛城も毎日飽きないね。俺の気持ちは変わらないよ」
一人は葛城康平。
病気により若くしながらも頭髪を失ってしまった過去があるが、非常に優れた頭脳を持っている二大巨頭の一人。早くからSシステムについてある程度の理解を示した聡明さ、先日行われた小テストのうち、高校二年生以降に修学予定の三問のうち二問を解いて学年三位に輝く程の知能を兼ね備える大柄な男子だ。
こちらの勧誘は日によってばらつきがあるとはいえすぐ引いてくれるが、もう一対はそうもいかない。
「坂田君―――」
「嫌だね」
「―――私はまだ何も言ってはいませんが、本当に断ってもよろしいのですか?」
「ほーん。派閥の勧誘以外だったら話は聞くよ、坂柳」
「それは残念です」
もう一人は坂柳有栖。
先日行われた小テスト難解三問全てを解いて学年一位を獲得した秀才。先天的心疾患を持っているため激しい運動を禁じられており、日常生活においても杖が手放せないという虚弱な身体をしているが、その頭脳と圧倒的なカリスマ性でAクラスのリーダーとなった才女。
そして小柄な体躯からは想像が出来ない程に攻撃的な面を覗かせるその瞳は、正しく支配者に相応しい貫録を兼ね備えていた。
加えるなら、非常に打算的だ。
残念と言いながらも一向に退く気配が無い。
「ではどうしたら派閥に入っていただけるのでしょうか」
「どうしたって入らないよ。対価さえくれるなら力は貸す。それで満足してくれ」
言い残し、席を立った。
場を離れたい事実は存在するが、そのために立ったのではない。
授業前にトイレを済ませるという全うな理由だ。
「では今日のところは一つだけお伺いして退かせていただきます」
「そのまま明日以降も退いて欲しいところだね」
本音だった。
葛城は基本的に朝の一回のみだが、坂柳は一日最低一回。日によっては二回、三回と誘ってくるのだ。
だが残念なことに、その想いが届くことは無く無視されてしまう。
しかし、どうやら今日はいつもとは気の入れ方が違ったようだ。
「派閥に入って頂けたら毎月十万ポイント差し上げますと言ったら、どうでしょうか。必要なら書面に記しましょう」
「坂柳!」
俺は足を止めて振り返った。
視界には微笑を浮かべながらこちらを見詰める坂柳と、思わず立ち上がった葛城が映る。あくまで正攻法を貫こうとした葛城には、坂柳のポイントで引き入れようとする行動は看過できなかったのだろう。慌てた様子で俺を見ていた。
プライベートポイントは何にでも使えるポイントだ。食品や生活用品は勿論のこと、娯楽や情報交換、テストの点数や退学の取り消しだって例外ではない。人を引き入れるためにポイントを行使するのは至極全うな使い方と言える。どうやら坂柳はここにきて本格的に俺の価値を見極めようと動いているようだ。その点だけは非常に好ましく思う。
「残念ながら答えられないね。その答えには一定の価値があると俺は判断している。もし聞きたいのであれば、相応の対価を求めるよ」
俺は止めていた足を動かし、幾重もの視線を感じながら教室を出た。
一話だけ先行。
既出の作品を完結させてから取り組みますが、我慢できなくて書くかもしれません。