「風邪、ですか?ひかりさんが?」
「はい。応急処置は済ませたので、明日には元気になると思います」
突然知らされたひかりの急病。きっかけは川遊び──ただし、凍った川の上でのソリ遊びだ。
魔法力の補助を受けて結構な速度を出していたソリが丁度氷の薄いエリアに踏み込んでしまい、そのまま真冬の川に落ちてしまった──ソリに乗っていた、直枝とニパが。
そう。ひかりは川に落ちていないにも関わらず風邪をひいてしまったのだ。
基本的にウィッチは無意識下で体を魔法力によって保護している為、風邪等の病気には掛かりにくい。だがそれにも例外はある。肉体的・精神的な疲労が蓄積していくと、魔法力の保護も弱まり、病を発症する可能性は高くなってしまう。
「やっぱり、私が朝から連れ回したせいで……」
「いえ、流石にそれだけが理由ということはないでしょう。ひかりさんのスタミナは折り紙つきですし」
「ええ。ひかりさんは元々魔法力が強くないから、並のウィッチよりも病気に掛かりやすいのかもしれないわ」
「最近、厳しい任務が続いていた事が1番大きいと思います。こちらとしても、もう少し考慮すべきでした」
サーシャの言う通り、思い返せば直近だけでも雪山での遭難に続いてペテルブルグ市街での小型ネウロイ捜索と、前線に出て来て日の浅いひかりにとって結構なハードワークの連続だった。いくら体力自慢のひかりといえど、目に見えない精神的な疲労が溜まっていたのだろう。
「なに、風邪程度で済んで良かった。どこぞの誰かのように低体温症になられても困るからな」
ティーカップ片手にそう語るラルの目線はユーリに向けられている。ユーリがペテルブルグに漂着して来た時のことを言っているのだろう。あの時のユーリも体力の低下した状態で数日間水の中にいたせいで、低体温症を発症していた。救助到着までの時間、体を温めてくれていたニパと、ジョゼによる懸命な処置によってあの時ユーリは命を繋ぐことができたのだ。
「その節はご迷惑をおかけしました……」
ユーリがバツの悪そうに頭を下げたところで、下原が本日の料理を運んできた。次々とテーブルに並んでいく皿の中身を見て、いつもなら口々に感想を言う所なのだが……今日に限っては、誰も一言も発しなかった。
「……下原ちゃん。これ、なんだい?」
クルピンスキーが掬い上げたスプーンには、色の薄い汁と、何やら練り物のようなものが乗っていた。
「ん……ニョッキに似てるわね…でも、これちゃんと煮えてる?」
「ピエロギ……じゃないよね?」
「具の無いペリメニ……?」
皆口々に覚えのある名前を挙げていく。実際、そのどれもが小麦粉を練ったものであり、味や食感も今食べているものと非常に近しくはあるのだが……
「……もしかして、これすいとんか?」
「すみません。今ある食材では、これが精一杯で……」
すいとんは小麦粉で作った生地を一口サイズにして汁で煮た扶桑料理──なのだが、今彼女達が食べているすいとんは随分味気ない。それもその筈、下原としてももう少し味を付けたかったのだが、先日のネウロイの砲撃で貯蔵庫が破壊され、食料備蓄が壊滅的になってしまったことで、それが叶わなかったのだ。
このような状況でも最低限の味は保証されている辺り、流石下原というべきだろうが、普段の食事と比べて満足感に欠けるのは、先程から何とも言えない微妙な表情ですいとんを食べ続けるジョゼを見れば明らかだった。
尚、例の如くすいとんを黙々と食べていたユーリの感想は「流石下原さん、美味しいです」だったのだが、直枝やサーシャからは「まさかこの間のクルピンスキーのスープを大量に食べた事で味覚に変調をきたしてしまったのではないか」と密かに心配されていたのは余談である。
そんな食事を済ませた後のブリーフィングでは、ロスマンの主導で現在502部隊が置かれている状況の確認を行っていた。
「先日砲撃を受けた際は、ユーリさんの活躍で被害を最小限に抑えられました。しかしムルマン港からの補給ルートが絶たれたせいで、物資不足である状況に変わりはありません」
「スオムスからの援軍は?」
「要請はしましたが、あちらも残っている補給線は北海経由の陸路のみで、余裕が無いようです」
「補給線奪還作戦を立案中ですが、とにかく食料の備蓄が足りません」
「補給の目処が立つまでは、ずっとアレ食べることになるのかぁ……」
「現状打開策は無し。補給が改善するまで待つしかないということか」
幸い燃料や弾薬類の貯蔵庫は無事だが、こちらから遠方へ出向いて物資を受け取る、というわけにも行かない。とにかく耐えの期間を強いられる事になりそうだ。
「明日は基地恒例のサトゥルヌス祭が予定されていますが……」
「仕方あるまい。今年の祭りは中止だな」
「ええええぇぇ───!?」
中止というワードが聞こえた途端、突然立ち上がったニパ。何やら酷く落胆している様子だ。
「……どうかされたんですか?ニパさん」
「えっ、あ、いや……なんでも、ないです」
尻すぼみになっていく言葉と共におずおずと席に戻ったニパは、以降ずっと顔を俯けたままだった。
ブリーフィング後。直枝、ニパ、ユーリの3人はひかりの様子を見に彼女の部屋へ向かっていた。
「──ったく、何が"えぇー!?"だ。大方、祭りでひかりを喜ばせようってンだろ?」
「分かってるなら協力してよ」
「協力っつっても、物資も補給も無い今の状況じゃ祭りなんて無理だろ」
ここで、黙って2人の話を聞いていたユーリが口を開く。
「あの、サトゥルヌス祭とはどういうものなんですか?」
「お前、サトゥルヌス祭も知らねぇのか……?」
「勿論知識としては知っていますが……具体的に何をするのかまでは」
「お前がいた部隊ってのはどんだけ血の気の多いとこだったんだよ……」
サトゥルヌス祭とは12月の中頃~下旬にかけて行われる、豊穣神サトゥルヌスを祝う祭事だ。毎年この時期になると街や部隊をあげてのパーティーが行われ、笑い合いながら飲み食いしたり、親しい者同士がお互いに小さなプレゼントを贈り合うのが風物詩となっている。
「ま、お前も大概ツイてないこったな。初めてのサトゥルヌス祭が中止なんてよ」
「だから何とかしようって話をしてるんだろ」
「お2人共そのへんで。ひかりさんの部屋に着きますよ」
ドアを軽くノックしてみるが、返事はない。まだ寝ているようだ。
「……少しはマシになったみたいだけど、まだ熱はありそう」
食堂へ水入りのポットとコップを取りに行ったユーリを除き、2人は椅子に腰掛けひかりの容態を見守る。
「何とかは風邪ひかないって言うが、ありゃ嘘だな」
「何とか、って……どういうこと?」
「別に知る必要ねーよ」
「ん…──あれ、菅野さんとニパさん。どうしたんですか……?」
目を覚ましたひかりに事情を説明したところ、一番驚いているのはどうやらひかり自身だったようだ。
「私、小さい頃からあまり風邪ひかない質だと思ってたんですけど……」
「ごめん。私がソリに誘ったりなんかしたせいで……」
「そんな!私の気が緩んでたせいですよ。──ホント、ただでさえ役立たずなのに。風邪ひいて倒れちゃうなんて……」
「っ──早く元気になって、また一緒に飛ぼうよ!」
悔しげに布団を握り締めるひかりを勇気づけるニパ。そんな彼女を押しのけた直枝は、起き上がったひかりの額を軽く小突いてベッドに寝かせる。
「暖房点いてるとはいえ、燃料節約で温度は下がってんだ。暖かくしてとっとと寝ろ」
「はい…ありがとうございぁ──ヘックシュ!」
「うぁっ!?汚ねぇ──ッ!」
「ず、ずびばぜん~!」
ひかりのくしゃみを至近距離で浴びた直枝は文句を言いながら部屋を出ていく。そんな彼女と入れ替わりで戻ってきたユーリは、ベッド脇に移動させたテーブルへポットとコップを置いた。
「汗もかくでしょうし、水分補給はこまめにしてください」
「ユーリさんも、ありがとうございます……」
「いえ。──では、僕達はこれで。お大事にしてください」
部屋を出たユーリとニパは、廊下で待っていた直枝と合流する。
「……ねぇ。やっぱりサトゥルヌス祭はやろうよ!私、ちょっとでもひかりを元気づけたい。この基地に来て良かったって、思って欲しいんだ」
「言うと思ったぜ。──まぁ、バカだけが取り柄のアイツがあんなしょぼくれてたら、こっちも調子狂うしな」
「……とはいえ、実際問題どうしましょう?お祭りは隊長が中止してしまいましたし、食べ物もあのすいとんくらいしかありません」
「それでも、やれるだけの事はやろうよ。他の皆にも相談してさ!」
──ということで。まず訪れたのは、格納庫にいたサーシャの元だった。
「なるほど……ひかりさんの為に」
「その、隊長には秘密にしてもらえますか……?」
「ふふっ、分かりました。──ひかりさんの所にも、冬じいさんと雪娘がプレゼントを持って来てくれればいいのにね」
オラーシャの古い言い伝えでは、毎年この季節にはいい子にしていた子供達の元に冬じいさんと雪娘が現れ、プレゼントをくれるのだそうだ。
「あの、私達で用意できそうなプレゼントって、何か無いですか?」
「そうね……あっ──小さい頃、朝起きたら枕元に木彫りの人形が置かれてたことがあったわ。おばあちゃんが作ってくれた物だと思うんだけど、嬉しかったなぁ……」
「人形か……」
「それって、私達でも作れます!?」
「ええ。1日あれば作れるわよ。材料は用意しておくから、明日皆で作りましょうか」
「やった!ありがとうサーシャさん!──よし、次行こう!」
続いて訪れたのはキッチン。こちらには下原とジョゼの姿があった。
「サトゥルヌス祭…?ガリアでは、よく"ブッシュ・ド・ノエル"を食べるの。薪みたいな形をしたケーキなんだけど──」
「ガリアじゃ薪を食うのか……?」
「あくまで外見を似せたものでしょう。恐らく、チョコレートケーキの一種ではないかと」
「うーん……探してるけど、ケーキの材料になりそうなものは無いですね……」
他にも、ジョゼの家の風習としてツリーの下にトナカイへのご褒美として人参を置く、という案も挙がったが、やはり食材を必要とする時点で今の基地では不可能だと判断された。
「あ、食材なら前にニパさんが採ってきてたキノコはどう?アレなら、森で調達できるんじゃないかな」
「確かに…!今晩の内に、レシピを考えてみます!」
「2人共ありがとう……!」
「──これで、食事とプレゼントの当ては付きましたね。他に必要なものはありますか?」
「どうせやるなら、もっと何かやりてぇよなぁ……」
「そうだね──クルピンスキーさんに相談してみようか?」
「あいつかぁ……」
ボヤきながら訪れたクルピンスキーの部屋では──
「──え?祭りでひかりちゃんのハートをゲットしたい?」
「耳イカれてんのかてめぇ」
早速雲行きが怪しくなってきたが、この基地で道楽事に関しては彼女の右に出る者はいない。何かいい案を出してくれるのではないかと期待していると、クルピンスキーは「いい話」と称してこんな事を教えてくれた。
「実はこの基地にはね、サトゥルヌス祭の夜になると、銀髪のキツネ女が現れるんだ──」
「キツネ女……?」
「身長151センチ、19歳って本人は言うけど、本当はサバを読んでる婆さん狐でね。夜な夜な若いウィッチの生き血を啜りに来るんだよ……」
「い、生き血……!?」
「そ、そんなんいるわけねーだろ……!」
「そう……?──ほら後ろにィ──!」
「「ぎゃあああああぁぁぁ──ッ!」」
突然大声を出したクルピンスキーに驚かされ、恐怖の余りニパと直枝は部屋を駆け出していった。虚勢を張りながらも真っ先に部屋を出た辺り、直枝は意外と怖がりなのかもしれない。
「アッハハハハ──!可愛いなぁホントに!──あれ、ユーリ君はこういう話、信じないタイプだった?」
「いえ、信じないというか……」
ユーリの頭の中では、4つのワードがぐるぐると回っていた。
「銀髪…キツネ…身長151センチ…19歳……クルピンスキーさん、そのキツネ女というのはもしかして──」
「──私もこの基地に来て結構経つのだけど……初耳だわ、そんな言い伝え?」
その瞬間、ユーリの背筋に冷たいものが走った。いつの間に背後を取られたのか考える余裕もなく、恐る恐る振り返った先には……
「ご…ご覧、ユーリ君?これがキツネ女ことエディータ・ロスマ──ぎぃやああああああぁぁぁ──ッ!」
クルピンスキーの断末魔を背に、ユーリは部屋を出て急ぎ扉を閉める。やがて叫び声が止み、胸の中でクルピンスキーの生存を祈りながらその場を立ち去ろうとしたユーリだったが……
「……待ちなさい」
僅かに開いたドアの隙間から伸びる手が、ユーリの腕をしっかりと掴んでいた。
「……私、そんなに年上に見えるかしら?」
「は……!?」
「私、19歳よね?」
ドアから覗く魔法力を発動させたロスマンの表情はにこやかなれど、その内からは有無を言わさぬ迫力が感じ取れる。
──答えをしくじれば、命はない。
自らの命の危機を察知したユーリは、内心パニックになりながらも持てる国語力を総動員して最適解を模索する。
(こういう時……そうだ!坂本さんは確か……)
かつて美緒はこう言っていた──「相手を褒める時は、変に飾らず、素直な感想を言えばいい」──と。その教えに則り、ユーリは一瞬の内に組み上げた回答を確認する暇すら惜しく、即出力を行った。
「……ロスマン先生は、年相応──いえ、年齢は関係なく、見目麗しい、美しい女性であります」
数秒間に渡る沈黙の後、ユーリの腕は解放された。伸びていた腕は室内に引っ込められ、静かにドアが閉じられる。
……どうやら命を繋ぐことに成功したようだ。ユーリは再び扉が開く前に、そそくさとその場を後にした。
一方、ドアの内側では──
「……き、機嫌が直ったようで、良かった──ユーリ君ナイス」
最後に小声でそう呟いたクルピンスキーの見る先には、ドアに背を預けてご機嫌そうに微笑むロスマンの姿が。年下とはいえ異性であるユーリに容姿を褒められたのが嬉しかったのか、腰から伸びるキツネの尻尾が大きく左右に揺れていた。