その事件は、突然起こった──
某日の朝。起床時刻を報せるラッパが鳴り響く501の基地は、隊員の大部分が寝坊するという珍事に見舞われた。慌てふためく者もいれば、普段と変わりない様子の者もいる中で、いつも通りの時間に起きていたユーリは独り基地周辺を走っていた。
「はっ、はっ、はっ──ふぅ……」
「──精が出るな。ユーリ」
「あ…坂本さん。おはようございます」
足を止めて一息ついていたところへ、同じく1人で朝練に励んでいたらしい美緒がやって来た。手には鞘に収められた扶桑刀が握られており、どうやら自分のメニューは既にこなしてきたようだ。
「今日はお1人ですか?宮藤さん達は……」
「リーネはミーナの付き添いで外に出ているんだが…宮藤はどうも寝坊したらしい。全く、今日の訓練は一段と厳しくいかねばな」
「お、お手柔らかに……」
ヒィヒィ言いながら訓練メニューをこなす芳佳の姿を想像し、思わず苦笑いしてしまう。
「お前がここに来て暫く経つが…変わったな。最初の頃とは大違いだ」
「そう、でしょうか?」
「ああ。随分と表情が豊かになった。配属初日のお前に、今のお前を見せてやりたいもんだ」
「そうなったら、当時の僕ながら困惑するでしょうね──あ、宮藤さんが来ましたよ」
「──す、すみませ~ん!おはようございます~っ!」
木々の間を駆け抜けて来た芳佳が合流し、美緒の訓練が始まる。当然ユーリも一緒にどうかと誘われ、お言葉に甘えることに。
「「せいっ!──やぁっ!──せいっ!──やぁっ!──」」
「宮藤、腰が入っていない!ユーリは足運びが疎かになっているぞ!」
「「はいっ!」」
美緒の指示の下、海を目の前にした崖の上でひたすら木刀を素振りする2人。
「宮藤、引手の力が足りてない!──いいか、剣禅一如だ!お前たちが今握っているのは、敵を倒す剣ではないぞ!分かるか?」
「やぁっ!──わかりませんっ!」
「──右に同じくッ!」
「そうか。2人共、素振りをあと100本だ!」
「「はいっ!!」」
因みに剣禅一如とは──剣の道を極めることは、禅の道を極める事と同義──どちらも雑念を完全に捨て去り、無我の境地に至るという事を意味する言葉である。
余計な思考を捨て去れば、より高いパフォーマンスを発揮することができる。今ユーリと芳佳が振るっている剣は、言うなれば自らを縛る雑念を斬る剣というわけだ。
剣を振りおろして戻る。その単純な反復動作をフォームを崩さないように繰り返していく内、段々とそれ以外のことが頭の中から抜け落ちていく。今のユーリはその事すら自覚できていないものの、着実に無我の境地への階段を上りつつある。
「──ひぇあっ!?」
そんな絶妙な精神の均衡を、短い悲鳴が崩した。
「あっ、ペリーヌさん!ルッキーニちゃんも!」
「ヤッホー、芳佳~!」
声の出処は、木の陰からこちらを見ていたらしいペリーヌだった。その前には逆さになったルッキーニがおり、どうやら昨晩はあの木の上で寝ていたようだ。
「あっ、ああああの少佐っ!ワタクシも──!」
「おお、訓練か!うむ、いい心がけだ。来いペリーヌ!ルッキーニ、お前もだ!」
「うぇええええッ!?」
予てより芳佳に対して嫉妬していたペリーヌと、とばっちりを食らったルッキーニも交え、美緒の訓練は一層厳しさを増すのだった。
「──本当にいいのか?私たちもそれ程時間はかけないよう努めるが……」
「道具を片付けてから、もう少し周辺を走って時間を潰します。ごゆっくりどうぞ」
あれから暫く訓練を続けた所で、ユーリを残した女性陣が一足先に抜ける。訓練でかいた汗を流すためだ。この501の基地には大浴場が設置されているのだが、これまでそこを利用していたのはウィッチ達──全員女性だ。
当然混浴など出来るはずがないし、かと言ってユーリ1人の為に男用の浴場を新設する予算も無い。風呂に入らないなど以ての外だ。一応、整備士用の宿舎にもシャワースペースがあるものの、建物が基地とは別になっているため移動が手間。というのはミーナの言。
最終的な着地点として、各入浴時に入口のカーテンを閉め、裏表で男女を示すパネルを掛けておくことで話は落ち着いた。
美緒達が去った後の森を、そよ風が吹き抜ける。残されたユーリは、足元に転がっていた小石を拾い上げると、魔法力を発動させた。次第に小石が青白い光を纏っていき、魔法力が付与される。
「───ッ!」
無音の気合と共に、ユーリは先の風で木から舞い散った木の葉を目掛けて小石を投擲した。小石は不規則に舞い落ちる木の葉を見事に捉え、真っ二つに切り裂く。だがそれだけに留まらず、小石はその勢いのまま、その奥にあったもう1枚の葉にも命中した。こちらも1枚目と同じ末路を辿るかに思われたが、2枚目の葉は切れるのではなく、パァンッ!という控えめながら小気味の良い音と共に、小石諸共木っ端微塵に弾けとんだ。
「……ふぅ……だいぶ安定はするようになってきた、か」
ユーリは少し前から、こうして密かにある訓練をしている。ズバリ、2つの固有魔法の並行発動だ。〔射撃威力強化〕も〔炸裂〕も優秀且つ強力な魔法なのだが、この2つを同時発動したまま空で戦おうとすると、結構な神経を使うのだ。
ここで、ユーリの固有魔法についておさらいしておこう。
・〔射撃威力強化〕は銃弾となるものを魔法力で後ろから後押ししてやることで、射程の延伸と威力の強化を施す魔法。
・〔炸裂〕は、銃弾等の内部に充填した魔法力を着弾時に破裂させ、爆発を引き起こせる魔法。
〔威力強化〕は弾丸を撃ち出す
この2つの魔法を併せ持つユーリが今目指しているのは、〔射撃威力強化〕によってネウロイの機体奥深くに徹甲弾を撃ち込み、内部で〔炸裂〕を発動させるという2つの魔法の時間差発動──より厳密には、弾丸内の魔法力をキープすることで〔炸裂〕の発動タイミングを遅らせることだ。
これを会得できたなら、大型ネウロイが相手でも装甲内部での爆発によってコアを巻き込み、1撃で倒せる可能性が高くなる。
地道な自主練の甲斐もあってか、先ほどのように〔炸裂〕の発動タイミングを遅らせること自体には成功している。だが魔法力の保持に集中力を割き過ぎて、実戦で使おうと思うとまだ心許ないのが正直なところだ。
「……片付けよう」
足元の木刀を抱え直し、ユーリは訓練を終了するのだった。
それから少し経ち、基地内に戻ったユーリが脱衣所の前を通りかかると、カーテンが開いていることに気がつく。
入口にも中に人がいることを示すものは何も置かれていない。どうやら美緒達は入浴を済ませたようだ。
これ幸いと、ユーリも汗を流すべく風呂に入った。
カーテンを閉め、入口の傍に置かれているパネルの青面──男性入浴中を示す側を表に向けて外へ引っ掛けると、手早く服を脱ぐ。
男にしてはかなり白い肌を晒したユーリは、タオルを持って浴室に足を踏み入れた。
約15分後──湯気が立ち上る中、シャワーを頭から被って体を洗った泡を流す。普段はシャワーだけで済ませるところだが、たまには浴槽に浸かってみてもいいかと考えていると……
「……ん?」
シャワーを止め、静まり返った浴室の中でふと、耳に入った異音。発生源は外──脱衣場からだ。
(……風呂はまた今度、か)
ユーリは濡れた身体を拭くのもそこそこに、静かな足取りで脱衣場に向かった。音を出さないようそっと戸を開け、ドアの向こう側の様子を伺う。
(気配は……あるな)
姿こそ見えないが、何やらペタペタと足音がする。どうやら何者かが忍び込んできたらしい。侵入者を取り押さえるべく、物陰に身を隠しながら少しずつ音の方へと近づいていくと……
「──風呂場に逃げ込んだぞ!」
「……って、今ユーリの奴が入ってるじゃねーか!?」
「なんだと…っ!?お、おいルッキーニ!すぐに出てこい!今
と、風呂場の外からそんな声が。察するに、侵入者の正体は……
「……ルッキーニ、さん……!?」
「ぴぃ──っ!?ご、ごめんなさーい!!」
絶叫の尾を引きながら脱衣所を飛び出したルッキーニ。脇目も振らずにどこかへ走り去って行くその背中を、外で待ち構えていた女性陣──声からして美緒、シャーリー、バルクホルンだろうか──が追いかけていったようだ。
「一体何が……?」
ユーリは怪訝に思いながらも直ちに着替えて状況を確認しようとしたのだが……
「え……?」
そんなはずはと、脱衣カゴの中だけでなく棚の奥、他の棚まで隈なく探すも……
「ズボンが……無い」
風呂に入る前までは確実に履いていた…そしてこのカゴの中に入れたはずのズボンが影も形も無くなっていた。今まで直面したことのない事態に思考が5秒程フリーズしてしまう。
ズボンが消えた理由──思い当たるのは1つだけ。先程ここにいたルッキーニだ。一体何を思っての犯行か、彼女がユーリのズボンを持っていったのなら、この状況に説明がつく。
彼女が逃げ出してからまだ時間は経っていない。今から追えば追いつけるかもしれないが……今のユーリは下半身下着一枚の状態。こんな格好で女性陣がいる建物内を走り回るのは倫理・道徳的に問題がある。
「これで大丈夫…だろうか」
少し考えた末、脱いだジャケットを腰に巻くことで何とか下半身を隠すことに成功。派手に動けば解けてしまうだろうが、現状最優先の目的を果たすには必要十分なはずだ。
最後にヘアピンで前髪を留めたユーリは、脱衣所を出て足早に移動を開始した。
「──ズボンを返せルッキーニ!」
「泥棒ーーッ!」
「ふぇえええんっ、泥棒じゃないよぉーーー!」
風呂場でペリーヌのズボンを勝手に履き、あまつさえ立て続けに芳佳とユーリ、エイラのズボンまで奪ったルッキーニは、基地内にてお尋ね者として追われている真っ最中だった。
エイラやサーニャ等、寒帯国出身のウィッチ達はズボンを重ね履きしていることも多いが、それ以外のウィッチ達は基本的にズボンの下は何も履いていない。
それをルッキーニに奪われた被害者は(サーニャのズボンを無断で拝借したエイラを除き)もれなく全員「履いていない」。今はまだ問題ないが、基地内には整備士を始めとした男性職員も出入りするし、何より同じ空間で生活しているユーリがいるのだ。直ちにズボンを取り返さねば、彼女達の心に深い傷を残しかねない。
「ひぃ…ひぃ…あわわわ……っ!」
必死に逃げ続けるルッキーニは、1階の廊下で挟み撃ちに遭ってしまった。前方からはシャーリーとバルクホルンにエイラ、後方からは芳佳とペリーヌが迫る中、ルッキーニは唯一開けていた外への道をひた走る。
そのまま外に出るのも良かったのだが、出口手前に扉があるのを発見すると、素早くその中へ逃げ込む。後から追いかけてきたルッキーニ捜索隊の面々は、それに気付かないまま外へと走り抜けていくのだった。
「──ああクソ。どこ行った!?」
「まだ廊下を抜けてから時間は経ってないはずだが…逃げ足の速い奴め」
「まだ近くにいるはずです!手分けして探しましょうっ!」
芳佳の提案で、一同が再び散らばろうとしたその時だった。基地内にけたたましい警報音が響き渡る。
「えぇっ、こんな時に!?」
「くっ…出撃準備だ!」
バルクホルンを始めとした履いてる組は真っ先に格納庫へ向かう。対する芳佳達履いてない組は、戸惑いながらもその後に続いた。
一方その頃──
「──警報……予報では暫く襲撃は無いと出ていたはずなのに。敵の行動パターンが変わってきてるのか……?」
警報を聞きつけたユーリも、格納庫へ急いでいた。階段を飛び降りることでショートカットし、最寄りの出口へ向かう。もうすぐ外に出るというところで、出口付近にハルトマンの後ろ姿を見つける。
「──ハルトマンさん。敵襲です、格納庫へ急ぎましょう!」
「んー?あ、ユーリ。出撃ならしなくて大丈夫だと思うよ?」
「……?それはどういう──」
ホラ、とハルトマンがユーリの前から体を退けると、そこには………
またも一方、格納庫では──
「あ、あの坂本さん!……スースーします……っ!」
「我慢だ宮藤、空では誰も見ていない!」
「は…ぃっええっ!?」
「し、少佐…ワタクシもその…透け透け…でして……」
「気にするな!任務だ任務!」
「ぅぅぅ……っ!」
羞恥心から出撃を躊躇う履いてない組。横にいるエイラは、勝手にズボンを借りた事がサーニャにバレて、ストライカーの上から強引に脱がしに掛かられていた。
「ちょっ…勝手に借りたのは悪かったヨ!でも今すぐ脱げってのはひどいじゃないカ~!」
「だって、私のだから……っ!」
「全く…出撃だというのに何をやっとるんだこいつらは……いいから出るぞ!全機続け──!」
シャーリーを伴い、バルクホルンが先行して出撃しようとする。そんな彼女の前に、基地へ戻ったミーナとリーネが立ちはだかった。
「皆待って──!」
「ミーナ!敵が……っ!」
「敵はいません。先ほどの警報は誤りです──出てきなさい」
そう言われて一同の前に進み出たのは、ハルトマンに襟首を摘まれたルッキーニだった。傍らにはきちんとズボンを履いたユーリの姿もある。
「どうやら、ルッキーニちゃんが間違って警報のスイッチを入れちゃったみたいなんです……」
「……それと、コレも没収しました」
ミーナが持っている綺麗に畳まれた4枚の布──それは紛れもなく、ルッキーニが奪っていった数々のズボンだ。
「流石だな、ミーナ中佐」
「いいえ、今回のお手柄は私ではありません──この混乱の中、見事な冷静さでした。ハルトマン中尉」
「いやー、どーもど-も」
「ハルトマン……!よくやった!お前こそカールスラント軍人の誇りだ!」
「すごいですハルトマンさん!」
皆口々にハルトマンを持て囃す様を輪の外でションボリと見ているルッキーニは、どこか納得の行ってない様子だった。
一連の騒動が一旦の解決を見せた後、ハルトマンの250機撃墜を賞した勲章授与式が行われた。カールスラントの軍人が武勲を立てた証として賞与される"柏葉剣付騎士鉄十字章"は、200機撃墜で与えられる"柏葉騎士鉄十字章"共々、カールスラント軍人の誉れと名高いとても貴重なものなのだ。……ハルトマンがその勲章を自室の床にほっぽり出していた事は、本人とバルクホルンしか知らない。
美緒に名を呼ばれ、壇上に登るハルトマン。その背中を盛大な拍手で称える501の面々──後方では、今回の騒動の罰として両手に水入りバケツを持たされたルッキーニがションボリと肩を落として立っている。尚、ズボンは履いていない。
「うぅ……元々、お風呂でワタシのズボンが無くなったからペリーヌのを借りたのにぃ……」
「えっ…?てことは、まだ他にズボンを盗んだ人がいるってこと!?」
「馬鹿ですわねぇ、そんな人いるわけ無いでしょう」
「でも……」
受勲式を邪魔しないよう小声で話す芳佳達を他所に、壇上では粛々と式が進められていく。
「ハルトマン中尉。貴官は第501統合戦闘航空団に於いて、見事な殊勲、多大なる戦果を挙げた。よってこれを賞する」
ミーナの手で勲章を首に掛けられたハルトマンは、堂々とした佇まいで正面に向き直る。吹き抜けるそよ風までもが彼女の武勲を祝福しているようだ。……が、それは違ったのかもしれない。
「……あぁっ!?」
何故なら、風に煽られて軍服の裾からハルトマンのズボンが覗いていたからだ。これ自体は空を飛んでいればよくある事だし、別に何ら問題無いのだが……
「……なるほど、そういう事でしたか」
今ハルトマンが履いている青と白の縞柄ズボン──それは。普段ルッキーニが履いているものと非常に酷似している。それも当然、これはルッキーニのものなのだから。
騒動解決の立役者が一転、騒動の発端であることが露見したハルトマンだが、本人は全く動じる様子がない。
「おめでとう、ハルトマン中尉!」
「はい!ありがとうございます!」
そう言って笑顔で敬礼までしてみせる始末であった。
~余談~
事の真相が発覚し、ハルトマンがミーナとバルクホルンにお叱りを受けていた頃……芳佳はふと気になったことをユーリに話していた。
「……そういえば、ミーナ隊長がルッキーニちゃんから没収したズボンの中に、ユーリさんのもありましたよね?」
「はい。どうやら、僕がシャワーを浴びてる間に持っていったようです」
「でも、私たちが出撃しようとしてた時、ユーリさんズボン履いてましたよね……?」
「ああ、その事ですか。ズボンがなくなったことに気づいた後、急いで自室に戻って替えのズボンを履いたんですよ。というか、何故皆さんそうしなかったんですか。……流石に、ありますよね?替えの服」
服は定期的に洗濯しなければいけないのだから、全員軍服もズボンも最低2セットは持っているはず。だというのに、芳佳達は目先の事に集中し過ぎて履いてないまま基地内を走り回っていたのだ。
「あ…あぅぁぅぅううぅぅ~~ッ!!!」
その事に気付いた芳佳は、あまりの恥ずかしさと自分の馬鹿さ加減に頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
これまで毎日更新できてましたが、今後は少し更新ペースが落ちると思います。
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