あしからず
第1回:女丑が雨乞いを行うこと
燃えるような炎天の下、乾ききった大地に民草の怨嗟がむなしく響いている。
空には雲一つない。
史上稀にみる干ばつのさなか、人々は必死に雨を祈るが、天にその祈りは届いていない。
代わりとばかりに、眩く輝く太陽が死体に鞭打つように更なる日差しを投げつけてくる。
それも、ただ一つではない。
空駆ける太陽は全部で十。
はしゃぎまわる子供のような無軌道さで天空を動き回り、思うさま光を投げつける。
地上はまさしく灼熱の地獄と化していた。
川も泉も枯れ果てて、草も木も立ったまま渇き朽ち果てる惨状。
一杯の水のために兄弟が争い。親子が殺し合う。
そんな、人の尊厳さえ奪われる未曽有の危機に一人の巫女が立ち上がった。
その力は天地に通じ、一度祈祷を行えば降らぬ雨はなく、癒えぬ病もないと言われた。
自他ともに認める当代随一の巫女。
名を
この日のために建てられた祭壇とその遥か上空で輝く10の太陽を前にして、巫女は傍らの侍女に言う。
「もしも、私が仕損じた場合には、すぐさま櫓に火を放ちなさい。」
年の頃、十六か七。
いまだあどけなさの残る顔には、不釣り合いな確固たる意志が宿っている。
生来の巫女の家系ではない。
ある年、加持祈祷を生業とする家の門前に放り出されていた赤子が彼女である。
以来、十六年。
自らを養育してくれた父母、一族への思いはすこぶる篤い。
多感な年頃でもあった。
日々に積み上がる悲劇に湧き上がるものもある。
彼女にとって、これは恩返しでもあり、義挙でもあった。
力及ばず、雨を呼べなかった場合には、自ら生贄となる覚悟。
「そんな、女丑さま。おやめください。」
火付けを命じられた侍女の表情は蒼白である。
女丑より十ばかり年長で、付き合いも長い。
娘とも妹とも思い世話をしてきたのだ。
その主人を自らの手で火刑にかけよと言われれば、無理もないことといえた。
狼狽える侍女とは対照的に、女丑はむしろ落ち着いて、幼い娘を教え諭すように言う。
「心を痛めるにはあたらないわ。死ぬなどと考えないで。私はただこの肉の身体を捨てるだけ。煙とともに昇天すれば、直接天帝陛下に我らの窮状を奏上することができるでしょう。」
「それでも、私には出来かねます。」
いやいやと聞き分けぬ侍女に女丑は困った顔。
そこに横合いから声をかける男があった。
「そのように己が身を粗末に扱って、従者を困らせてはいけないよ。」
「尭様」
色あせて、擦り切れたような服を着た痩せた男。
目の下には濃い隈がベッタリと張り付いている。
はっきり言ってみすぼらしいことこの上ないが、彼こそが当代の天子・尭であった。
寒さに震えるものあれば自分の衣をかけてやり、飢えるものあれば自分の皿から分けてやる。
さらには寸暇を惜しんで政ごとに取り組み、錦の衣も豪華な食事も縁遠い。
もとより口数の多い人物ではないが、普段よりもさらに言葉につまる様子なのは満足に水の飲めない現状に合って、舌が回らぬせいだろう。
「確かに今回の干ばつは尋常ならざる事態だ。しかし、だからといって自ら命を捨てるような真似はしないでほしい。仮に今日の雨ごいが上手くいかなかったとしても、お前の力がなくなるわけではないのだ。また、それが必要とされるときはいくらもあろう。くれぐれも短慮を起こすのではないぞ。」
噛んで含めるように穏やかな口調で説き伏せられ、女丑はうやうやしく頭をさげた。
「かしこまりました。ありがたいお言葉、恐悦至極。この女丑、必ずや風雨を呼び寄せて御覧に入れましょう。」
巫女の返答に侍女は明らかにホッとして、尭は満足げに頷いた。
しかし、文武の百官、近隣の民、そして天子である尭。
数多の人が見守る中で、今から少女が挑むことの困難と過酷さを真に理解しているのはただ1人。
女丑本人だけであった。
1つきりでさえ人智の及ばぬ力を持つ太陽。
それが今や10個。
いずれも我を忘れたように荒ぶっている。
これから巫女は1人きり、それに立ち向かおうというのだ。
決死の覚悟は、むしろ必然であった。
「それでは、行ってまいります。」
女丑は笑みを浮かべた。
磨き上げた翡翠の小刀のように硬く澄んだ強い表情だった。
日よけのための
日陰でさえとどまることのなかった汗は、吹き付ける熱風と押し寄せる日差しによって瞬く間に塩の結晶と化した。
少女は青い衣をはためかせて一段ずつ祭壇へ登っていく。
そのさまは、青ざめた空の色と相まって天空へ溶けていくかのような錯覚を見る者に与えた。
(ここが、私の戦場。私の死地)
巫女が頂上の円座に腰かける。
高まる緊張感に周囲がシンと静まり返る。
ジリジリと大地の焦げる音が聞こえるようであった。
女丑は祭壇の上から周囲を見渡した。
(そして、私の守るべき人たち)
眼下の人々はいずれも飢え、渇き、落ちくぼんだ眼で、すがりつくように女丑を見つめている。
手を合わせ、跪いている者も多かった。
あたりは一面、茶褐色の荒れ地が広がり、彼方では岩山が力なく横たわっている。
ほんの一月前までは草木が茂り、湖沼や小川もちりばめられた美しい平原であったのに。
息を吸えば、熱気と砂埃を含んだざらついた空気が押し寄せてくる。
視線をあげ、女丑は黒ずむほどに青ざめた忌々しい晴天を見据えた。
(いざ、参ります。)
手にした
一度、二度、三度。
虚空に韻々と漂う残響と呼応するように、祭壇周辺の陰陽が整えられる。
鐸の余韻が消え去る間際、乙女の淡い唇から朗々と祝詞が流れ出す。
10個もの太陽にあぶられ続ける地上にあって、その声はただ1つ澄み切って涼しげだった。
尭をはじめとした貴人、そして見物の民草が皆聞き惚れ、それぞれに祈りを捧げる。
皆の思いを背中に受け、女丑は必死の祈祷を続ける。
遮るものなき日差しと熱風が容赦なく体力を奪う。
乾ききった空気に喉が切り裂かれるように痛んだ。
血の滲むような思いに天地が呼応したのはおよそ一刻の後。
おりから、湿った風が吹きはじめ、一同の中に期待感が高まっていた時、不意に見物人の1人が空を指さした。
「く、雲だ!」
小さく、
雲は湿った風が大地に吹くたびに僅かずつ、薄絹を一枚ずつ纏う様に大きくなっていく。
どよめきが広がる。久方ぶりに希望を見た思いで、涙を流す者さえあった。
その矢先。
斬ッ!!
唐突に、皆の願いそのものである白い雲が寸断される。
「「「!?」」」
群衆が状況を理解できずに固まった。
雲を切り裂いたのは太陽から放たれた十本の光熱線。
子供が遊び場に転がる邪魔な石を蹴り飛ばす無邪気さと迷いのなさで、雲が細切れにされた。
やはり、駄目なのか。と、周囲が絶望の嘆きで埋まる中、女丑は闘志を失ってはいなかった。
(まだ!!)
あらかじめ、このような事態も予期していた。
限界を超えた喉から出る音は既にかすれて聞き取れない。
しかし、ありったけの力をこめて巫女は祈った。
(慈雨よ、あれ。喜びよ、来たれ。)
巫女の祈りに感応し、一際、長く風が吹いた。
そこから生じた薄い膜が散らばり行く雲をまとめ上げ、さらに大きく成長させていく。
ポツリ、と
「あ、雨だ。雨だぞ!」
「お、おぉぉおぉぉぉぉぉ。雨だぁー!」
ポツリ、ポツリとまばらに降り注ぐ。
それはまさしく慈雨だった。
群衆が歓声を上げ、涙をこぼす。
当代随一の巫女というにふさわしい力。
しかし、それゆえに遥か天空の太陽に己が存在を知らしめてしまう。
焦ッ‼
再度、十個の太陽から熱線が放たれた。
九本は先程と同じく雲を寸断し、最後の一本は女丑を襲った。
「ッ!」
巫女の細いからだが雷に打たれたかのように反り返る。
「女丑様っ!」
櫓の下で侍女が悲鳴をあげる。
巫女は、倒れなかった。
祭壇に踏みとどまるかのように、胸を張った。
大丈夫とでも言うように片手をあげて侍女を制止する。
だが、無事ではなかった。
熱線に焼かれた両の瞳は白濁し、目の前にはただ暗闇が広がっていた。
背後を振り返らないのは、無残な両目を見せぬため。
歯を食いしばったのは、苦痛の悲鳴を漏らさぬためだ。
我が物顔で飛翔する太陽をにらみつけるが、その目には既に何も映っていない。
(ごめんなさい。私は、届かなかった。)
女丑はこれから自身に降りかかるであろう事態を正確に理解していた。
十個の太陽に直に相対したために、分かったのだ。
それらが抱える幼稚性が。
一つ一つが強大な力を持ちながら、その行動には意味が感じられない。
ただ、解き放たれた嬉しさにむやみに力を振るっているだけなのだ。
故に乞うべき慈悲、窺うべき意図、そんなものは存在しない。
つまり、相手は道理の通じぬ子供で、自分は彼らの遊び場に迷い込んだ虫けらのごときもの。
子供が面白半分に虫を踏みつけにした後、相手がまだ息絶えていなかったらどうするか。
もう一度、足を振り下ろすだろう。それもより念入りに。
(東方の天帝たる帝俊陛下。願わくば、皆に慈悲を。)
最後の祈りを捧げる女丑の上に十本の熱線が降り注ぐ。
業ッ!!
女丑のいる祭壇、青い衣、黒い髪、そしてその肉体全てが一瞬にして炎に包まれる。
「女丑様っ!!」
絶叫し、祭壇に向けて駆け寄ろうとする侍女を尭配下の兵が推しとどめる。
消し止めるための水もない。
助ける術は皆無だ。
乾ききった空気と皆の悲嘆の中、当代随一の巫女を乗せた櫓はものの半刻で燃え尽きた。
書き溜めてある所までは毎日更新、それ以降はまとまったところまで書けたら順次投稿します。