闘神演義   作:不知東西屋

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第2章
第6回:羿が新たな天命を受けること


 太陽を打ち落としてから3日。

 天子・尭よりあてがわれた屋敷に天帝の副官・理秤からの文が届いた。

 そろそろ、天界へと帰る準備を始めようかという時であった。

 

 羿は書状に目を通し、使者を帰してから、姮娥を呼んだ。

 

「お呼びになりましたか」

「ああ、先日の件について、天界より書状が届いた。そのことについて話をしたくてね。」

 

 言いながら手にしていた書状を差し出す。

 使者の用向きはもてなしをした姮娥も把握していた。

 

「読ませていただいても」

「ああ、かまわない」

 書状を受け取る自身の指先の冷たさに、姮娥は自分が緊張していることを知った。

 

 おそるおそる、書状を開く。

 

 そこには、先の天命・太陽たちの懲罰においてのやりすぎを責める文言と新たな命として地上に蔓延る悪獣・怪物を討伐すること。

 そして、それを完遂すれば、今回の分とあわせて十分な褒賞が与えられること。

 新たな命を達成するまで天界への帰還を禁ずるという旨が、天帝からの命にふさわしい体裁で記されていた。

 

 いかに美辞麗句で隠されていたとして、馬鹿でも真意を見抜けよう。

 つまりは、事実上の追放であった。

 

「これは」

 姮娥の声が震えた。

 

 いかに、天帝の意に背いたとはいえ、表面上は天命を遂行した羿に対しての無体な仕打ちとしか言いようがないものに思えたのだ。

「申し訳ございません。私が、貴方を巻き込んだばかりに」

 

 姮娥の言葉に羿は笑って首を振った。

 こういった事態も覚悟のうえで、非道を働く太陽たちを射落としたのだ。

 

「私は、私の意思で動いている。気にすることはない。」

 実際に気にしていない様子の羿に、姮娥が尋ねる。

「それで、これからどうされるのですか。」 

 

「私はこの書状に書かれているとおり、悪獣・怪物を討伐する。満足な扱いとは言わないが、従順にしていれば天帝陛下の怒りもいずれは解けるだろう。天子・尭殿にも面会し、引き続きこの屋敷に滞在する許可も貰うつもりだ。」

 

 地上の天子・尭にしてみれば渡りに船の申し出と言ってよい。なにせ、民草を悩ます災厄を振り払ってくれると言うのだから。

 

「そうなのですか。」

 うなずきながらも姮娥はけげんに思った。

 

 すでに方針が決まっているのであれば、自分が自分がこうして呼ばれた理由がないからだ。

 そんなことを考えていたからか。次に羿が口にした台詞の意味を一瞬正確に理解し損ねた。

 

「姮娥、君はどうする。」

 

「え、どうする。とは?」

 困惑する姮娥の様子に言葉足らずを悟ったか、羿が説明を付け加える。

 

「この悪獣退治はあくまで私に下されたものだ。だから、君まで危険な戦いに付き合う必要はない。元々の望みである太陽の異変は解決した。ここで、一旦身の振り方を考えた方がいいのではないか。」

 

 姮娥は地上では死んだことになっている。ゆえにここにとどまり続けることは難しいが、天界で修行なり、奉公なりを出来るように手配は出来る。

 そう言う羿に対して、少女は迷うことなく首を横に振った。

 

「そんな寂しいことをおっしゃらないでください。天の都で右も左も分からずに途方に暮れていた私と苦しみあえぐ地上の民に手を伸ばしてくれたのは、他の誰でもない羿様です。まだとてもご恩をお返しできていませんし、それを除いても私は貴方のお側で仕えたいと思っています。どうか、お許し願えませんか。」

 

「しかし、それは」

 いらぬ苦労をすることになると止めようとした羿だったが、姮娥の畳みかける方が速かった。

 

「それとも、私ではお仕えするのに力不足でしょうか。」

「そんなことはないが」

「それでは、これからもよろしくお願いします。」

 姮娥の笑顔。意思の固いことを悟り、羿はため息をついた。

 

「わかった。よろしく頼む。」

 こうして、羿と姮娥の2人は天帝の命に従って悪獣・怪物の退治に赴くことになったのである。

 

………。

 

 あたたかな日差しの降り注ぐ草原を2人は進んでいた。

 格好は太陽を打ち落としたときと大きな違いはない。

 

「本当に気持ちのいい日よりですねぇ。草木も青々として美しいです。」

 野道を行く姮娥が日の光につやめく草葉を眺めて、うっとりしている。

 

 かつての荒れ果てた景色と見比べているのだろう。

 いま、野に満ち満ちる生命の息吹に思わずの笑みが浮かんでいる。

 

 悪獣・怪物を退治する試練が始まりはや数か月。

 天子である尭から情報を受け、すでに3頭ほどの怪物を討ち取っていた。

 

 怪物退治の過程であちらこちらへと足をのばすのだが、姮娥ときたら行き先々で同じような台詞を吐いて感動しているのだった。

 

「確かに。太陽もあれで懲りたらしいな。以来、わずかの乱れもなく天道を進んでいる。私も骨を折ったかいがあったと言うものだ。」

 そういったのは羿だ。従者の浮ついた様子に苦笑しながらも、口調は朗らかだった。

 

 天界より半ば追放されている状況だが、すでに吹っ切れているからか。2人の表情に暗いところはなかった。

 

 しかし、のどかな空気も目的地、悪獣・鑿歯(さくし)の住むという森に着くまでのことだった。

 

「さて、まもなく話に聞く鑿歯の出没地点にさしかかる。話をしていたいのはヤマヤマだが、気を引き締め直してくれ。」

 宣言するような声音で羿が言えば、姮娥の視線にも緊張感がまし、長い耳はわずかな異音も聞き逃さないとばかりにピンと立った。

 

 行く先には森が広がっており、細道が木々の間をぬうように奥へと続いている。

 森は山の麓に広がっているため、細道も自然と緩やかな上り坂になっている。

 

鑿歯(さくし)。姿は人に似ていて、巨体で鋭い歯を持っていると言うことでしたよね。」

 確認するように姮娥が言う。

 

 答えたのは羿である。

「そうだ。とは言っても、生き残った者は混乱していたのか証言がまちまちだ。馬のような後ろ足をしていたという者もあれば、虎の爪を持っていたと言う者、あるいは前脚も人の手に似ていたと言う者もある。さっき姮娥が言ったのは、その中でも複数の証言に共通する部分を抜き出した信ぴょう性の高い部分だな。」

 

「と、言うことはつまり、」

 姮娥が形の良い眉を下げて困った顔を作る。

 羿がうなずく。

 

「「よく分からない。」」

 2人の声がハモった。

 

「まあ、いつも通り。油断せずに行くとしよう。」

 最後を締めたのは羿。

 

 軽いやりとりに2人の顔には薄い笑みが浮かんでいた。

 気が緩んでいるのではない。

 高まる鉄火場の匂いを感じ取り、無用に硬くなるのを防ごうとしているのだ。

 

 そのまま進んでいくことしばし。道がさらに細くなり、今にも消えそうになっているあたりで羿が口を開いた。

「とまれ。」

 

 命じられ、姮娥の足が止まる。。

「かすかだが血なまぐさい気配がある。恐らくだが、ここから先は本格的に鑿歯の縄張りだろう。一層、気をつけてくれ。」

 

 姮娥は羿の言葉に小さく肯く。

 本音を言えば、姮娥には都の屋敷で待っていてほしいと思う羿だったが、その問題は既に何度も議論を重ねた後である。

 

 それも連戦連敗の後であれば、いまさら姮娥の同行に異論を唱える気概はなかった。

 さらに集中力を高めながら、再び前進を開始した2人だが、進むほどに森はうっそうとし、道はいつの間にか消え去っていた。

 

 漂う空気も徐々に陰鬱で不吉なものに感じられてくる。

 

 そんな中にあって、姮娥の態度は緊張しつつも平静であった。

 一歩前を歩く羿がいればこそ、自身の無事を確信しているのだ。

 

「ただならぬ気配は間違いなく感じます。でも、のこのこと姿を現すでしょうか。羿様の姿を見て、武威を恐れて隠れてしまうかも」

 

 それは実際、以前にあったことだった。

 羿の武威を本能的に察したのか、怪物が雲隠れしてしまい見つけ出すのに非常に苦労したのだ。

 

 尋ねられた羿の口調も落ち着いている。百戦錬磨の武神は不必要な緊張などすることはない。ただ、必要な時に必要なだけ集中するのだ。

 

「いや、どうやら相手はやる気らしい。場所までは分からないが忌々し気にこちらを窺っているのを感じる。文字通り、血に飢えた野獣だな。大人しくしている気はないようだ。」

 

 この台詞に姮娥の緊張感がいや増した。

 長い耳が怪物の位置を探るようにピョコピョコと動く。

 

 そのまま、じりじりとした緊張感の中を進むことしばし、

「何にも起こりませんね。」

 沈黙に耐えかねたのか。姮娥が言った。

 

「ああ、だがやはりいるよ。臆病で手が出せないでいるのか、それとも狡猾にこちらの消耗を待っているのか。」

 羿は油断のない表情でゆっくりと先頭を進んでいる。

 

 その問答に、一瞬注意がそれたのか。

 地面を波打つ古木の根に姮娥の足が引っかかった。

 

「あっ」

 小さな声。

 

 瞬間、森が震えた。

 

「姮娥ッ!!」

 羿がつまずいた巫女を抱きすくめて跳躍する。

 刹那、巨大な影が殺到した。

 

 轟く地響き。

 落ち葉が盛大に舞い上がる。

 視線を遮る落ち葉の壁を突き破り、怪物が咆哮とともに羿へと追撃する。

 

「チィッ」

 腕のうちの姮娥を支えながら羿は再び跳躍する。

 

 紙一重、襲い来る怪物の爪牙を身をひねってかわし、横面に強烈な蹴りを放つ。

 

 弩ッ!!

 

 鈍い音が響き、怪物がギィッと呻く。

 質量差ゆえに吹き飛ぶ形になったのは羿の方だったが、それも狙い通り。

 

 地に足がつくまでのわずかな間に武神の目が怪物を観察する。

 身の丈は1丈(3.3m)に及ばんとし、毛のまばらな上半身と長い前脚は証言の通り人の形に似て見え、鋭い爪が光っている。

 

 下半身は強いて言えば、カモシカのよう。岩をも砕きそうな頑健な蹄を備えたつま先。大の大人でも抱えきれない太さの大腿部にはミミズ腫れのように血管がのたくっている。

 首から上は毛のないネズミか。殊更長い前歯は長方形で、鑿のような鋭さを見せていた。

 

「なるほど、“鑿歯(さくし)”とは分かりやすい名前だな。」

 独り言ちて着地する。

 

 早くも衝撃から立ち直りつつある怪物と目があった。

 野獣の殺意。

 

 姮娥を抱えることで、羿が両手を封じられていると察したのか。

 退くつもりは毛頭なさそうだった。

 

 もっとも、羿も退くつもりなどない。

 腕の中の花を抱きしめなおす。

 

 振り回されたせいか。

 やや髪の乱れた姮娥はそれでも悲鳴も上げず、羿を信じきった瞳をしている。

 羿と姮娥の視線が一瞬ぶつかり、意思が疎通される。

 

 完全に蹴りの衝撃から立ち直った鑿歯が咆哮をあげ、さらなる攻撃に移る。

 この時点で怪物は2つの判断ミスを犯していた。

 

 1つは羿という、完全な上位者に勝負を挑んだこと。

 もう1つは羿の腕の中に納まった姮娥を守られるだけの無力な足手まといと断じたことだ。

 

 故に、ツケを払うことになる。

 

「回刃飛刀。剣よ奔れ!」

 姮娥の白魚のような指が流れるように動く。鈴のごとき音が鳴り、白刃がきらめく。

 

 惨ッ!!

 

 ギャンッ、と鑿歯が犬のような悲鳴をあげる。

 放たれた短剣は野獣の鼻面を深々と切り裂き、羿はそれによって生じた隙に余裕を持って突進をかわす。

 

「止刃帰刀。剣よ戻れ!」

 姮娥の声に応じて、短剣が空を舞い、自ずから鞘に収まった。

 

 神鉄の短剣に巫女たる姮娥が(まじな)いをかけ、式となす。

 主の命に従い、自ずから敵を討つ“飛刀の術”だ。

 

 何が起きたか鑿歯が理解するより先に、羿は姮娥を地に降ろし、手にした弓に矢をつがえていた。

 

 天虹の弓に神鉄の矢じり。放つのは武神たる羿。

 

 邪ッ!!

 本能的な恐怖に苛まれ鑿歯が森の中へと逃走を試みる。

 

 木々が縦横に枝を張り巡らした深い森だ。

 一度逃げ込めば追跡できる狩人などいはしない。

 

 だが、それは3つ目の判断ミス。

 

 勝ち目がなければ逃げる。

 確かに、それはある意味で正解だっただろう。

 

 しかし、いままで鑿歯が対峙した者の中にはいなかった。

 そう、武神たる羿はいなかったのだ。

 

「お前の隠形は中々のものだ。あのまま隠れられていたら、俺でもおいそれと見つけることは出来なかっただろう。」

 むしろゆっくりとした動作で羿は弓をひき絞る。

 

「だが、これだけ暴れ、血を流し、あまつさえ恐慌を起こして逃げ惑う。もはや見失うことはない。」

 

 吟ッ!!

 

 弦が鳴り、矢が放たれる。

 無数の木の葉と枝をかすめて。

 

 一呼吸の後、森の奥から野獣の断末魔が聞こえてきた。

 

「これで討伐完了ですね。お疲れ様でした。」

「ああ、それにしても助かった。よくあそこで飛刀を使ってくれた。」

 羿が笑いかける。

 

 姮娥はやや大げさに得意げな表情を作って応じた。

「あれくらい当然です。これでも、東方一の武神の従者ですので」

 

 ふ、ふふ、と笑みが交わされる。

「さて、骸を検めて都に帰るとしよう。」

「そうですね。はやくしないと日が暮れてしまいます。」

 

 鑿歯の死骸があるであろう鬱蒼とした森の中へ歩を進めながら、羿が姮娥に向けて手を差し出す。

 先ほど、木の根に躓いた彼女を思いやってのことだろう。

 

 一瞬のためらいの後、姮娥はその手をとった。

 筋張った大きな手。その体温を感じ、頬が熱くなる。

 

(薄暗くて良かった。)

 熱さの理由は考えないことにした。

 

 

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