闘神演義   作:不知東西屋

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第7回:姮娥が森の中に怪しい声を聞くこと

「…、あれ?」

 鑿歯討伐の証として、特徴的な前歯を抜き取るという血なまぐさい仕事を手際よくこなした後のこと。

 姮娥の長い耳が森の中から1つの音を拾い上げた。

 

「どうかしたか?」

「いま、赤子の声が聞こえたような」

 足を止め、耳を澄ます。

 

「やっぱり、聞こえます。」

「ああ、確かに。かすかだが私にも聞こえた。」

 2人は顔を見合わせた。

 

 深い森の中である。

 普通であれば赤子の泣き声などするはずもない。

 

 人心惑わす、魑魅魍魎の仕業か。

 

 しかし、可能性は低いが、

「鑿歯がさらってきたか、それとも親の方が犠牲になって子供だけが残されたとか」

 

 姮娥の言葉に羿は弓の弦を検めながら応じた。

「ありえないとは言い切れないな。念のため、確認しに行くとしよう。」

 

 そうして途切れがちな泣き声を頼りに歩くことしばし。

 2人はこぢんまりとした集落にたどり着いた。

 

 いや、より正確に集落跡と言うべきか。

 すでに人の気配は絶え、うち捨てられた籠や桶が砂埃にまみれて転がっている。

 森に住む狩人、木こり、そういう者たちが住まう小集落だったと見えた。

 

 しかし、それも今や過去の話だ。

 小屋の壁、集落の広場。そこ、ここに残された血痕と周囲に漂う生臭い臭気。

 

「鑿歯の、しわざでしょうか」

 姮娥が心当たりを口にする。

 

「可能性は高いが、分からないな。なにか、他の獣かもしれない。」

 羿はあくまで慎重な態度で答えた。

 

 ほにゃあ、ほにゃあ、ほにゃあ…。

 

 まるで2人を誘うように再び赤子の泣き声が響く。

 声の源は集落の奥。倉庫か何かに使われていたらしい、一番大きな小屋だった。

 

 扉、というよりはただ大きな板で塞いだだけの入り口。

 その目前まで近づいたとき、赤子の泣き声がピタリと止んだ。

 

 濁った空気が深くなる。

「姮娥はそっちに」

「ハ、ハイ」

 

 指図の通り、姮娥が近くの木の陰に控える。

 それを確認してから、羿は小屋の入り口に向き直った。

 

 左手に弓の代わりに短剣を握り、静かに歩を進める。

 入り口の脇に立ち、右手の拳で板を叩いた。

「誰か、いるか?」

 

 蛮ッ!!

 羿が後ろへ跳びすさる。同時に板が内側から弾けとび、褐色の獣がとび出した。

 

「ッ!回刃飛刀、剣よ奔れッ!」

「駄目だッ!!」

 とっさに姮娥の放った飛刀を、間にとびこんだ羿が空中でつかみ取る。

 

「!?」

 混乱の中、姮娥の目が獣の姿を捉える。

 

 その獣は全体的には巨大な馬に似ていた。

 だが、比ぶべくもなく汚らしく、おぞましい腐臭を身にまとっている。

 

 褐色の身体は馬に似て、後脚には頑強な蹄。前脚には虎のような獰猛な爪。

 人の赤子を思わせるつるりとした頭部。その中で口は耳まで裂け、そこから真っ赤な舌とさびた釘のような無数の牙がのぞいている。

 

 醜悪な獣は、なかでも一等おぞましい部分である口から、耳障りな声を発した。

「キキ、キキキ。コロセル?ネェエ、コロセル?」

 挑発するかのように前脚が何かを身体の前にぶら下げた。

 

「な!?」

 思わず、姮娥はうめいた。

 

 それは人の子供。

 まだ、10にもならないだろう、少女だった。

 

「ぅ…、…ぁ…」

 吐息とも、声ともつかぬ音が紡がれる。

 

 まだ、息があった。

 

(危なかった)

 姮娥の背中を冷や汗が伝った。

 

 もし、羿が止めてくれなければ、自分の放った短剣は獣の代わりにあの少女の身体を切り裂いていただろうことに気がついたのだ。

 

「キキ、キキキキ。コロセナイ、コロセナイヨォ。ネェ」

 赤子の声で、獣が啼いた。

 

 人質の子供を挟んで、獣と羿の視線が交差する。

 場の圧力がギリギリと音を立てて高まっていく。

 

 にらみ合いながら、羿は逡巡していた。

(どうする?)

 

 弓をとれば、目の前の悪獣を射殺すことは難しくない。

 しかし、即死させるという条件がつくと、途端に困難になる。

 

 本能のなせる技か、それともどこかで知恵をつけたか。

 獣は子供を自身の急所をかばうように掲げている。

 

 そして、即死させることが出来なかった場合、獣は最期の力で子供の身体を八つ裂きにしてみせるだろう。

 

 一呼吸分の思考。

 迷いが、一瞬の遅れになった。

 

 轟ッ!!

 獣が足下の岩を投擲した。

 

「えっ?」

 標的は、

「姮娥ッ!!」

 

 とっさに巫女にとびつき、押し倒した羿の頭上を西瓜ほどもある岩が通過し、近くの小屋の壁を粉砕した。

 

「大丈夫か?」

 羿はすぐさま立ち上がった。

 

「はい、大丈夫です。」

 姮娥も立ち上がりながら返事をする。

 

 だが、既に集落の中から獣の姿は消えている。無論、人質の少女もだ。

「逃げられたか。獣のくせに知恵が回るな。」

 

「申し訳ありません。私がうかつに仕掛けたせいで」

 姮娥はわびたが、羿は首を横に振った。

「いや、人質がとられたままでは、どのみちこうなっただろう。」

 

 羿から飛刀の短剣を受け取りつつ、尋ねる。

「これから、どうしますか」

 

 すぐに迷いのない返事が返ってきた。

「もちろん、追う。人質も心配だし、あのような悪獣、捨て置けん」

 

「……、わかりました。行きましょう。」

 少しのためらい。

 

 失態の後である。足手まといはいらぬと置いて行かれることも覚悟していた。

 しかし、次の瞬間。姮娥の身体はひょいと持ち上げられていた。

 

「!?」

 もちろん、持ち上げたのは羿である。

 

 抱きかかえられるのは初めてではない。

 しかし、今回は以前と勝手が違った。

 

 今回は以前のような横抱きではなく、荷物のように左肩に担がれていたのだ。

 

「あの、羿様。これは?」

「いそぐから、舌を噛まないように気をつけろよ。」

 言うが早いか武神は駆け出す。

 

「~~~~~~ッ!!」

 いくら非常時でもこんな扱いは女が廃る。と、いう抗議が姮娥の口から出ることはなかった。

 

 走行の激しい揺れにより攪拌された胃の中身。言葉以外が出てくるのをこらえるのに必死にならねばならなかったからだ。

 

………。

 

 いかに獣に地の利があり、巧みな逃走を行おうとも、練達の狩人でもある羿の五感を欺くことなど出来ようはずもない。

 

 土の上の足跡、わずかに先の折れた小枝、なにより血の混じった生臭い腐肉の臭い。

 

 獲物に向かって羿は疾走する。

 追いかけながら、山の斜面をかなり登った。

 森の木々は少しずつ疎らになり、岩山の風情が強くなってきていた。

 

 その揺れる肩の上で、姮娥は途切れ途切れに問いを発っする。

「で、…ど……ハ」

(でも、どうするんですか。追いついても人質をとられていたら、結局は手が出せないのでは?)

 

 ほとんど言葉になってはいなかったが、それでも意味は通じたらしい。

 大岩を飛び越えながら、羿が応じる。

 

「あの獣は年経て小賢しい。子供が無事だからこそ、自分が生きていることも理解しているはずだ。それ故、敗北が決定的になるまでは盾にはしても手は出さない。小細工は無用。なにかする間など与えずに肉迫して、白兵戦で首をとばしてやる。」

 

 そう、羿が言い切るのを見計らっていたかのように、森が途切れ、視界が開けた。

 獣と羿が同時に互いの姿を捉える。

 

 俄ッ!邪ッ!!

 獣が足下の岩石と砂利を投げつける。

 

「無駄だッ!」

 姮娥を担いだままだというのに、羿の動きは舞うがごとし。

 

 迫る岩石や砂利を最小限の動きでかわしながら、一歩分ずつ獣との距離を詰めていく。

 一歩分ずつ、しかし、高速で。

 20mの距離が10mに。10mが5m、5mが…

 

 あと一歩で間合いに入る。

 

(一太刀で首を飛ばしてやる。)

 羿が構えた瞬間、赤子に似た獣の頭部が、一際醜悪にゆがんだ。

 

 にやりと。

 

 蟦ッ!!

 投擲。

 

 投げたのは岩でも、石でもない。

 人質の少女だ。

 

「ッ!!」

 投げつけた先では地面が唐突に消え去り、千尋の谷が奈落に向けて口を開けている。

 反射的に羿は虚空に跳び、空いていた右腕で少女の身体を抱きとめる。

 

「キキキ、キキッ!!」

 囂々ッ!!

 獣が嘲笑を浮かべながら追撃を放つ。

 襲い来る、岩石の嵐。

 

「オオオオオオオオオオオオ!!」

 羿が雄叫びを上げて繰り出した蹴撃が、飛来する岩石をはじき、さらには粉砕する。

 

 だが、両腕に守るべき者を抱えたままで出来たのはそこまでだった。

 

 一瞬の後、武神の身体は重力に引かれて、谷底への落下を開始する。

 頭上から、獣が赤子の泣き声をあげながら駆け去る音が、かすかに聞こえきた。

 

………。

 

 かまどの中で、薪がパチパチと小さく音をたてる。

 母が夕餉の準備をしていて、家の中に料理の匂いが漂っている。

 父は弓や山刀、狩猟の道具を真剣な顔で手入れしている。

 

 そして、自分は一日の疲れの中で「お母さんを手伝わなきゃ」と思いながら、うつらうつらとしている。

 目を覚ます前のわずかの間。

 少女はかつてあった生活の一場面の中で微睡んでいた。

 

 覚醒は冷たい現実への回帰を意味する。

 

 目を覚ました少女はまず最初に、一瞬前まで眼前に広がっていたぬくもりが永遠に失われたことを再認識しなければならなかった。

 

 小さな胸がねじ切れそうに痛み、息が詰まって苦しくなったが、乾いた両目から涙は出なかった。

 2度、3度、慎重に呼吸を繰り返す内、周囲の状況に目をやる余裕が戻ってくる。

 

 そこは岩に囲まれた洞窟のような場所だった。

 自分以外に、1組の男女がいた。

 どちらも若い。弓を持った青年と頭巾をかぶった女の人。

 

 青年の方は入り口付近に外を見張るように座っている。

 女の方はたき火にかけた鍋を見ていたようで、今は少女の方に優しげな眼を向けている。

 

「よかった。目が覚めたんですね。どこか痛いところはありませんか。」

 食べられますか。の言葉とともに椀に入った粥と竹筒に入った水が差し出される。

 途端に猛烈な空腹と喉の渇きが自覚される。

 

 奪い取るように受け取り、口の中がやけどするのもかまわずに、抱え込んでガツガツとかき込んだ。

 女の人はその様子に安心したのか。微笑みを浮かべていた。

 

 そのまま、粥を2杯おかわりした後でようやく話が出来るようになった。

「あの、あなたたちは?」

 少女は尋ねた。

 

「私は姮娥。あちらは羿様です。私達は天帝陛下の命で地上の悪獣、怪物を退治している者です。」

「退治?じ、じゃあ、あいつは、アツユ(けものへんに契、むじなへんに愈)は?」

 

 女の人、姮娥は申し訳なさそうな顔になった。

「アツユ、と言うのはあの、人面馬体の怪物のこと?」

 

「そう、です。」

 怪物の姿をありありと思い出し、少女の声が震えた。

 

「ごめんなさい。残念だけど、あの怪物、アツユは逃がしてしまったわ。」

 その言葉にショックを受ける少女を慰めるように姮娥は続ける。

 

「でも、安心して。貴方を街の安全な場所まで送り届けたら、必ずアツユを探し出して退治しますから。」

 そう言って、姮娥は少女にどこか身を寄せられる親類縁者の心当たりはないかと尋ねた。

 

「わからない。けど、いないと思う。」

 半ば予想していた回答だったのか。姮娥もそれ以上掘り下げては来なかった。

 

 一旦、途切れた会話。

 再開したのは少女の方だった。

 手を握りしめ、意を決して口を開く。

 

「あの、わたしも。わたしにもアツユ退治を手伝わせてください。」

 姮娥は驚いた顔をした。

 

「おねがいします。わたし、お父さんが猟師で、その手伝いもしてたし、なんでもやりますから」

 すがりつくように、たたみかける。

 

 驚いた顔が、困った顔になり、入り口付近に陣取った羿の方を助けを求めるように振り返った。

 

 その時、はじめて青年が正面から少女を見た。

 射貫くようにまっすぐで、しかし、とがったところのない強いまなざし。

 

 少女の喉が鳴った。なかば無意識につばを飲み込んでいた。

「どうして、手伝いたいと。危険なことは分かるだろう。わざわざ、怖い思いをする必要もない。」

 

 責めているのではなく、確かめる口調。

 どうして?そんなの、決まっている。

 少女の感情が一気に高ぶった。

 

「だって、…アイツは。アイツがッ!お父さんも、お母さんも殺された。それで、私の知らないところで勝手に退治されても、そんな。そんなの納得できない。できるわけないッ!!」

 乱れる少女の言葉。

 

 対する、羿の言葉は端的で短い。

「アツユを殺したところで、父も母も戻っては来ないぞ。」

 

「それでも、私はアイツを殺したいんだッ!!」

 少女が吠えた。

 幼い双眸におよそ不釣り合いな憎悪と殺意がみなぎっている。

 

「復讐に意味があるかどうか。それを決めるのはお前自身だ。だから、私はお前の気持ちを否定しない。その上で言うが、」

 少女の顔を羿はまっすぐに見据えて、眼をそらさない。そらすことも許さない。

 

「今のお前に、アツユを殺す力はない。」

 

「ッ、」

 言葉に詰まる少女。

 

「そして、私はお前が成長して力をつけるのを待つ気もない。その間に、何人が犠牲になるか分からないからな。」

「で、でもッ」

 

 うつむきそうになるのを必死にこらえ、少女は顔を上げ続ける。

 羿は変わらず、まっすぐに視線を向けている。

 

 悠々たる威厳の虎に、生まれたての子猫が必死に毛を逆立てている様子に似ていた。

 

「………、いくつか条件がある。それを守れるのなら、連れて行ってもいい。」

「!!」

 しばらくのにらみ合いの後、根負けしたかのように羿が言った。

 

「1つ、私と姮娥の指示には必ず従うこと。2つ、自分でアツユを殺そうとは考えないこと。代わりに、目の前でアツユの息の根を止めてやる。守れるか?」

「守る!守りますッ!」

 

 勢い込んで肯く少女に羿はわずかに表情をゆるめた。

 そして、今度は姮娥の方へと向き直る。

「すまない。君の負担が増えるが、面倒を見てやって欲しい。」

 

 姮娥も肯く。正直、この武神に頼りにされるのはまんざらでもない気分だ。

「任せてください。でも、良かったんですか。羿様のおっしゃったとおり、たとえ仇をとったところであの娘の苦しい状況が良くなるわけではありませんよ。」

 

 台詞の後半は声を落とし、少女に聞こえないようにささやくものになった。

 両親を亡くし、頼れるものはない。少女を待ち受ける未来に明るい予測はできない。

 羿もそれは否定しない。

 

「それでも、生きていかねばならない。そして、苦難の多い人生の中で、この復讐によって取り戻した何かが彼女の支えになるかもしれない。私は、闘うしか能のない武神だ。だからこそ、闘うことに意義があるのなら、手助けをしてやりたいと思う。」

 

 姮娥は笑みを浮かべた。

「わかりました。私も精一杯お手伝いをさせていただきますね。」

「ああ、よろしく頼む。」

 

「ところで、気になっていたのですが、」

「どうかしたか。」

 姮娥がくるりと少女に向き直る。

 

「あなたのお名前は?なんとお呼びすればいいでしょうか」

「あッ」

 命の恩人に名乗りもしていなかったことにうろたえながら少女は口を開く。

 

「猟師・逢啓の娘、蒙と申します。よろしくおねがいします。」

「ああ、よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

 

 こうしてアツユを追う一行に猟師の娘・逢蒙が加わったのだった。

 

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