闘神演義   作:不知東西屋

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第8回:姮娥と逢蒙が山中を行くこと

「この策の要点はつまるところ、あの小賢しく臆病な獣の目利きを俺たちがどれだけ超えられるかだ。」

 

 明け方、羿は2人に対してそんな言葉で作戦の説明を始めた。

 

 端的な説明の後に、いくつかの質問、そして道具の配分。

 

 おおよそ全てがスムーズにすんだ。

 唯一の例外は姮娥が兎に化身するところを逢蒙に見せたときだった。

 

 生死をともにすることから、いざの際に驚かないようにとの配慮だったが、これが少女の感性に刺さった。

 

「姮娥様は山の女神だったのですね。」

 大きな目をキラキラとさせて言う。

 

 どうやら、彼女の村を含むこの辺りの信仰らしい。

 猟師に良い獲物を恵んでくれる美しい女神が山にいて、時折、鹿や兎に化身して人の様子を見守りに来ると。

 

 姮娥自身は否定しようとしたのだが、羿が「それで逢蒙が元気になるならいいじゃないか。」とささやいてきたために強く言うこともできない。

 

 その上、「実際、昇天したことで神通力も強まっている。今の君は神を名乗ってもおかしくない。」などと、姮娥自身が初耳の情報すらぽろっと出てきたのだった。

 

 そんな一幕はあったが、太陽が昇りきる前には準備が整い、3人は行動を開始した。

 

 まずは野営地を抜け出し、(このとき、初めて逢蒙は自分たちが谷底に立っていることに気がついた。)そのまま南に向かう。

 

 一里ほど歩いたところで、岩壁が低くなっているところが見つかり、谷底から脱出。

 今度はそこから北へ一里と少し。

 つまり、昨日逢蒙がアツユに放り投げられた地点まで戻ってきたことになる。

 

「ここからなら、帰り道が分かるか。」

 羿が姮娥に確認する。

 

「ええ、大丈夫です。」

「逢蒙もしっかりな。姮娥を手助けしてやってくれ。」

「は、はい」

 いささか緊張した様子の少女が答える。

 

 朝、顔や身体を拭き、ぼろの代わりに羿の火浣布の外套を身体に巻き付けているおかげでみなしごの乞食から、親のいる乞食くらいの様子になっている。

 

「それじゃあ、ここからは予定通り。私はアツユの跡を追う。2人ともくれぐれも気をつけて帰ってくれ。」

 心配からか、わずかに眉根がこわばった羿に対して、姮娥は笑みを向けて応じる。

 

「はい、羿様もご武運を」

 逢蒙も生真面目な表情でそれを真似た。

「ごぶうんを」

 

 身なりも顔つきも大きく違うが、どこか姉妹を思わせる2人の様子。

 フ、と羿の口角が上がった。

 

「じゃあ、また後で」

「はい、また後で」

 

 最後にそう交わし、羿はアツユの痕跡をたどりさらに北へ。

 姮娥と逢蒙は昨日来た道を南西に。

 2手に別れて歩き出した。

 

………。

 

 昨日はなんとも思わなかった森の中も、今日、羿と別れて行くとなると不気味で恐ろしい。

 

 月日を経た木の根が地面をぐねぐねと這い回り、野放図に伸びた枝が日差しを遮る。

 薄暗く、足場も悪い森の中を姮娥と逢蒙は最大限、注意力と速度を両立させつつ進んでいた。

 

 頼りは姮娥の記憶と昨日残した目印。

 

 ともにゆく逢蒙は気丈な様子で泣き言1つ口にしない。

 それでも、薄暗い森が恐ろしいのか。姮娥の外套のスソをぎゅっと握りしめている。

 

 本当なら手を直接にぎってやりたい。

 それどころか手に手を取って物陰に隠れていたいところだった。

 

 しかし、今この場で頼れるのは自分のみ、さらには果たすべき役目もある。

 逢蒙と自分をまもること、役目を果たすこと、両方やらなければならないのが今の姮娥のツラいところだった。

 

 ゆえに、姮娥の右手は逢蒙の小さな手ではなく、飛刀の短剣を握っているし、左手は不測の事態に備えて空けられている。

 

 慎重に歩を進め、最初にアツユと遭遇した集落まで四半里の地点。

 

 一際、樹勢が強く、暗ぼったい場所で声がした。

 耳障りな鳴き声が、木の枝の揺れる音やカン高い鳥の声に混ざって2人の耳に届く。

 

「キキキ、キキキキ」

 覚えのある声。

 

 とっさに身構えて辺りを見回すが、声の主は影も形も見えない。

 空耳か。

 怖がっているから、ありもしない声を聞いてしまうのか。

 

 姮娥はそんな風にも考えたが、逢蒙の青ざめた表情を見れば、自分だけが聞いたのではないことは確信できた。

 

「いそぎましょう。はやく、森を抜けないと」

 励ますつもりで握った少女の手はまるで真冬の風に吹きさらされた様に冷え切っていた。

 

 それでも、逢蒙は決意の籠もった表情でうなずきを返してくる。

 

 追い立てられるような焦燥の中、再び歩き出す。

 深い藪の中から粘つくような視線が向けられている気がして、どうにも恐ろしい。

 

 知らぬ間に早足になり、そのせいで木の根につまづきそうになりながら、どうにか集落の寸前までたどり着いた。

 

「キキ、キキキキ。ハナレタナぁ。アイツとハナレタナアッ」

 声との距離は至近。

 走る悪寒。

 

 とっさに逢蒙を抱いて横っ跳びしたのは、半ば以上に当てずっぽう。

 しかし、功を奏した。

 

 そこに樹上から怪物の巨体が落ちてきたからだ。

 

「走って!!」

 

 戦っても勝ち目はない。

 逢蒙を叱咤し、自分自身も駆け出す。

 

 意外なことに怪物・アツユはすぐには襲いかかってこなかった。

 

 代わりにスンスンと鼻を鳴らし、2人を値踏みするようにぎょろと視線を巡らせながら、余裕のある駆け足で姮娥たちを追い込もうとしてくる。

 

「キキキキキキキ、」

 漏れ出た嗤いは、自身の勝利を確信しているが故だろう。

 

「くっ!」

 姮娥は歯を食いしばった。

 

 気を抜くと、恐怖で奥歯がガタガタと鳴ってしまいそうだった。

 逢蒙の前で情けない姿は見せられない。

 必死に足を動かす。

 

 集落の外縁部を抜け、中央の広場へ、その先には頑丈な倉庫が見えた。

「あの倉庫の中に!」

 

 立てこもれば、少なくとも時間稼ぎは出来る。

 姮娥の意図を察してくれたか。逢蒙も返事を返す。

「はい!」

 

 だが、たまった疲労か。それとも気がはやって足下がおろそかだったか。

 不意に逢蒙の足がもつれ、小さな身体が転倒した。

「ッア!!」

 

 倉庫まで、あとほんの1丈(3m)ほど。だが、致命的な停止だ。

 

「立って、はやく!!」

 呼びかけながら、姮娥は逢蒙をまもるように立つ。

 

 腰の短剣に手をそえ、いつでも抜き放てるようにして後方から迫る怪物を威嚇する。

 それは傷つき追い詰められたネズミが必死に相手を威嚇する様にも似ていた。

 

「キキ、ッキキキキキキ」

 彼我の距離、おおよそ2丈。

 

 アツユは嗤いながら足を止め、猫が弱ったネズミをいたぶるような声音を発した。

「キキキ。ネェエ、タスケてヤロウカ?」

 

 言葉の意味がとっさに理解できず、返答しそこねた姮娥にむけて怪物はさらに言葉を投げる。

 

「コドモをクレタラ、オマエはタスケテヤルヨォ?」

 

 背後で逢蒙の身体が、おびえるように震えたのが分かった。

 同時に、自身の芯がカッと燃えるように熱くなる。

 

「コドモぉ、ステナヨォ?」

 

 姮娥の口が、考える前に動いていた。

「黙れ化け物!命ほしさに子供を捨てるような大人になどなるものか!」

 

「回刃飛刀、剣よ奔れ!!」

 繆!!

 

 裂帛の気合いとともに放たれた短剣は今までで最高の鋭さで眼前の敵へと襲いかかった。

 

 だが、不意打ちでもない、ただ正面からの攻撃を受けるほどアツユも油断はしていなかった。

 

 齦!

 怪物の虎のごとき爪に阻まれて、飛刀の短剣は力なく斜め後方の地面へと墜落する。

 

「キキッキキキキキ!!」

 化け物は一際高い声で嗤いながら、クンクンと鼻を鳴らし、ぎょろぎょろと姮娥たちを舐めるような眼で見る。

 

 ゾっと姮娥の背筋が凍る。

 化け物が匂いと身なりから姮娥たちの武装を、化け物を絶命しうる武器を持っていないかを見定めようとしていることを察したからだ。

 

「ハガネノニオイがナイ。モウ、ブキハナイヨネ。ネーェ、キキキキキキ」

 

「ッ!」

 反応してはいけないと分かっていたにもかかわらず、小さく喉が鳴った。 

 事実、あとは作業用のごく小ぶりな短剣が1本あるだけだ。

 

 その反応で確信を得たのか。化け物の口がつり上がり、汚らしい牙の隙間から生臭いよだれがこぼれ落ちる。

 

 ジリ、と半ば無意識に半歩後退する。

 泣き叫びながら逃げ出さなかったのは、背後にいる逢蒙をかばおうとしたおかげだ。

 

 湧き上がる恐怖と涙をこらえて姮娥はなおも化け物をにらみつける。

「来なさい。化け物。あなたなんかちっとも怖くない。」

 

「キキキキッ!!」

 駄ッ!!

 アツユが嗤いながら、姮娥と逢蒙に躍りかかる。

 

 怪物の爪が襲いかかる刹那。

 姮娥は懐の内から、1つの呪具を抜き放つ!

 

 羿より託された秘策。

 

 長さ三尺。軽くしなやかで何処までも神々しい燐光をまとう黄金色の羽根。

 その正体は羿が打ち落とした太陽、金烏の羽毛。

 

『来たれ黎明!!』

 嘩ッ!!

 

 ほとばしる閃光が森の暗がりになれたアツユの眼を強かに焼く。

 

「ギャンっ!!」

 眼を押さえ、悲鳴を上げる怪物。

 

 対して姮娥は追撃の手を緩めない。

『止刃帰刀。剣よ戻れ!』

 

 後方で地面に転がっていた短剣を息を吹き返したように主の元、その前にいる化け物へと飛翔する。

 

「俄アアアアアアアアア!!」

 野獣が咆哮し、しゃにむに振り回された爪が飛来する短剣をはじきとばす。

 

 弩ッ!!

 瞬間。怪物・アツユは絶命した。

 

 閃光に眼を焼かれ、短剣に気をとられたその刹那。

 雷光のように空気を裂いて飛来した神鉄の矢がその胴体を貫いたのだ。

 

「ア、ァア?」

 混乱する内心のまま、虚空に視線を漂わせたアツユ。

 

 神鉄の矢は野獣の肉体を完全に貫通し、今は地面に尽き立っている。

 

 渺々と生臭い血が傷口から吹き出し、続いて化け物がドウっと大地に沈んだ。

 

「姮娥さま、終わったのですか?」

 背後からの逢蒙の声に姮娥も我に返る。

 

「ええ、策の通り、羿様がやってくれました。」

 ほう、と息を吐いた瞬間。足の力が抜け、その場にへたり込んでしまう。

 

 金烏の羽根も取り落としてしまったのか、地面に転がっている。

 拾おうとするが、手が震えて上手くつかめない。

 

「姮娥さま、どうぞ。」

 そんな姮娥を見かねたのか。逢蒙が小さな手で羽根を拾い上げてくれる。

 

「ありがとう」

 なんとか受け取りながら礼を言うが、言われた少女は顔を伏せてしまう。

 

「ごめんなさい。私がムリを言ったから、こんな無茶を」

 ここ数日の苦難にやつれ、汚れているがそれでも子供らしい柔らかな頬をポロリポロリと涙が落ちていく。

 

 姮娥は小さな身体を抱きしめた。

 

 背中を優しく叩いてやりながら言う。

「無茶でも、ムリでもないんですよ。貴方に言われなくても私達はアツユを討つつもりでした。むしろ、手伝ってくれて、ありがとう。おかげで無事討伐が出来ました。」

 

 抱きしめられた温かさに、逢蒙のかみ殺した泣き声が、次第に号泣へと変わる。

 羿が合流するまで、二人はそのまま身を寄せ合っていた。

 

………。

 

 眼下、遙か下方に逢蒙たちの集落を一望できる山頂に羿は独り立っていた。

 いましがたアツユを仕留めた天虹の弓が吹き抜ける風を受けて韻々と鳴っている。

 

「なんとか、首尾良くいったか。」

 独りごち、小さく息を吐く。

 

 もとより並外れた視力を神通力でさらに底上げした羿は、姮娥と逢蒙の無事とアツユの絶命も見てとっていた。

 

 2人と別れた後、急いでここに陣取って待ち伏せを仕掛けたのだ。

 狙いは2人を囮にした超長距離からの精密射撃。

 

 己の腕と2人の覚悟を侮った獣が罠にかかるか、それとも彼我の力を見切られて逃げ出されるか。

 雲を霞と逃げ散られれば、それが一番厄介だったが、幸いにも無事に片がついた。

 

「さて、はやく2人に合流してやらなければな。他の獣に襲われでもしたらことだ。」

 つぶやき、走り出す。

 

 天下に武神の矢から逃れる術なし。

 怪獣・アツユの討伐。ここに完了。

 




武器とか、術とか

 天虹の弓:虹が七色の光を放つように、その時々、使い手の望みに応じて強さや大きさを変化させる。

 金烏の羽根:使用者の望みに応じ光を放つ。光量は調節できるので、閃光による目潰しにしたり、松明の代わりにしたり。『来たれ黎明』『薄暮よ過ぎ去れ』

 飛刀の短剣:宙を舞い、使用者の敵を切り払う。熟達するほど自由に使えるようになる。『回刃飛刀、剣よ奔れ』『止刃帰刀。剣よ戻れ』

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