一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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序幕・立身編
1話 寺で出会う


「見ろ。あの峠を越えたところに、村があるはずだ。武仁」

「はい、師匠。日が暮れる前には、たどり着けそうです」

 

 武仁(たけひと)が物心ついたときは、もう、その男と旅をしていた。

 

 終わりのない旅だった。

 主に、山嶺や谷でほとんど外と隔絶されたような、小さな町や村を訪れる。そこで、人助けをするのだ。山菜採り、薪割り、家の修繕の手伝い、獣の退治など、それが罪でさえなければ何でもやる。その対価は、ほんの僅かな銭だった。

 

 武仁は、14歳だった。師匠、と呼んでいる男との人助けの旅は、5歳から続けている。

 それより以前、自分がどこで、どんな生活をしていたのかは、ほとんど覚えていない。

 何故か両親の下を離れ、北方の町の貧民窟にいた自分を、師匠が拾った。

 

「お前は、今日から私と旅をするのだ。これまでのことは全て忘れて、私と共に来い。忘れられなくても、別人の出来事だと思え。今日から、武仁(たけひと)と名乗るのだ。必要な時が来れば、姓は自分でつけるといい」

 

 出会ったとき、師匠にそう言われた。

 詮索しなかったが、自分がどこで生まれ、両親がどこにいるのか、気にならないわけではなかった。だが、自分よりも幼い子供が、親を失い、飢えで痩せ細っている。獣に襲われて怪我を負う。そんな光景を、旅の中で何度も目撃した。

 家族がいないのは、自分だけではない。この旅は、そういう人を助けるためのもの。武仁はそう思っていて、むしろそれができるということは、喜びでもあった。

 

 平坦な山道から、登りに差し掛かる。途中、背負っていた荷物を下ろし、休憩した。

 自分の荷物の中から、握り飯を取り出した。一昨日に泊まった村で、作ってもらったものである。冷えて硬かったが、食えなくはなかった。

 

「足りないだろう、それだけでは」

「師匠が、お礼をもっと多く貰っていれば、この倍はあったと思いますが」

「だが、そんなことはしないのさ。銭や米の為に働くのは、私は好かん」

「私も、馬鹿ではありません。腹一杯食べたければ、師匠と旅などしていませんよ。だから今はこれで、十分ということです」

「いいや、馬鹿な弟子だよ、お前は。師匠が馬鹿だと、弟子も馬鹿になるのさ」

 

 師匠が、けたけたと、声を上げて笑った。

 

 年齢は知らなかったが、9年前からほとんど見た目は変わっていないと思えた。笑うと、意外と若いような気もする。闊達な性格が、その感じを強くしていた。

 外見は華奢な印象を受けるが、むしろ、意外なほどの力がある。武芸の腕もかなりのもので、一度山間の道で絡んできたやくざ者を4人、道に落ちていた木の枝で、瞬く間に打ち倒したことがあった。

 ただ、人に見られるところでは、決してその技を見せようとはしない。

 

 山中で野宿する時など、武仁も稽古をつけてもらえる。師匠と呼んでいるのは、そのためだった。

 ただ、自分にはあまり武芸の素質はないようだった。それは、稽古の中で自然と感じたことだ。

 どうしても先に手が届かない、もどかしいような感覚。それを時々感じるのだ。自分の限界が見えている、ということなのかもしれない、と武仁は思っていた。

 

「自分に才能がない。それを知っている者と知らない者は、全く違う」

 

 武芸の話をしていたら、ある時、師匠は真面目な声でそう言った。だから、師匠との稽古をやめようとは思わなかった。

 それに自分には、別の才能があるかもしれない。足腰や体力には、いくらか自信があるのだ。

 

「さて、行こうか。登りきるまで、あと一息だぞ」

「はい」

 

 硬い飯を水筒の水で流し込み、武仁は木箱を背負い直した。

 荷の中身は、塩や薬、釘や包丁などの金物など、時によって変わる。歩荷を生業にしていた爺が腰を悪くしていて、その代わりに山奥の村に荷を届けるのが、今回の仕事だった。

 

 軽くはないが、動けなくなったりはしなかった。丸太運びの手伝いなど、比べ物にならないほどの苦行を、数日にわたって続けることもあった。

 一歩一歩を確実に歩き、息を乱さない。視線は高いところに置く。山道を登るときは、それだけに集中する。

 荷はあらかじめ2つに分けていた。より重い方を武仁が背負っている。それが、自分の務めなのだ、と思っていた。

 

 登りきると、眼下に村が見えた。立ち並んだ家から、炊事の煙がいくつも上がっている。

 あとは下りで、村の入り口までは早いものだった。

 入る前に、互いの身だしなみを整える。師匠は上下黒色の羽織と袴で、武仁は灰色だった。人前に出る時、落ち葉や蜘蛛の巣が服に引っかかっていることを、師匠はみっともないと言い、許さない。

 

「よし。やはり暗くなる前に、到着できたぞ。銭もいくらか貯まっているし、今日は肉でも買って、たらふく食べるか」

 

 笑いかけてきた師匠に、武仁は頷いた。

 

                       

 

 師匠が荷物を村長に引き渡している間、武仁は、村長の家の前で待っていた。

 

 荷物と引き換えに、報酬を受け取る。師匠がその額をどう決めているのか、最初はよく分からなかったが、今は少しずつわかるようになっていた。

 村の生活の状況で、決めているのだ。だから、豊かな村の樵の手伝いの報酬が、貧しい村の熊退治より多い時もある。時には、無償で動く。師匠らしい、と思うだけだった。

 

 村長の家から、師匠が出てきた。少し、難しい顔をしている。

 

「どうされましたか?」

「すまん、武仁。今日も野宿になる。いや、泊まる事はできん。急ぎの仕事だ。これを、これから山を2つ越えた所の、寺まで運ぶ」

「珍しいですね、急ぎの荷物運びというのは。それに、これだけですか」

 

 師匠が出したのは、拳3つほどの大きさの麻袋だった。受け取った時のかすかな匂いで、中身がわかった。

 

「藤の花ではないですか。私たちも、野宿する時はよく焚いていますが」

 

 獣避けの効果がある、と師匠は言っていた。野宿では最も恐るべき事であり、欠かさず焚いている。

 

「そうだ。もう少し西の方へ行ったところで、悲鳴嶼行冥という若い僧が、寺で孤児達を育てている。一昨日我々がいた村が、そこに藤の花を届けるはずだったようだ。だが、爺さんが腰を悪くしたから、このところは届けられてはいないかもしれない。これは、村長から聞いた話だが」

「では、その寺は藤の花を切らしている、という事ですか?」

「わからん。だが、嫌な予感がする」

「出発は、すぐに出来ます」

 

 もともと、私物は少ない。服、小さな鍋や食器、筆や紙といった最低限のものしか持っていなかった。

 背負い袋に入るもの以外は、稽古で使うための木の棒があるだけである。武仁の棒に比べて、師匠の棒は、太さは四本分、高さも武仁の胸ほどの高さはあった。まるで杖かこん棒で、それを軽々と振り回す。

 

 するべき事は、水筒に水を汲むことだけで、それはもう済ましている。

 

「では行くぞ」

 

 日が暮れたが、わずかな休憩を挟む時以外は、黙々と歩き続けた。寒い季節ではないので、月明かりを頼りにすれば、夜の旅もそれほど苦ではなかった。

 師匠の歩みはかなり速く、昼間は乱れなかった息が、少しずつ苦しくなってくる。

 

 藤の花は、獣除けではないのかもしれない。息を深く吸い込みながら、そう思った。

 一度そう思うと、藤の花を寺に届けるということが、師匠にとって何か別の意味を持っているとしか、武仁には思えなくなってきた。それを聞いたところで、師匠は答えてくれないだろう、とも思った。師匠の人助けに、理由はないのだ。

 それに、獣が寺を襲うということが、全くない訳ではないだろう。

 

「少し、急ぐぞ。武仁」

 

 答えるより先に、師匠は走り出していた。一瞬遅れて、武仁も走り出す。

 いくつ山を越えたのか、ほとんど覚えていなかった。丸一日はかかる行程を、一晩で踏破したのだというのは、体で分かった。

 丘ほどの斜面を越え、そのまま駆け下った。ほとんど全速の疾走に近い。

 

「武仁、お前はここにいろ。私が戻ってくるまで、絶対に出てくるな」

 

 そう言い、師匠が荷物を捨て、棒を携えて飛び出していく。

 立ち止まって軽く息を整えると、周りの様子が分かるようになった。麓に近いところまで、降りてきていた。

 そして、微かな血の匂いが漂っている。

 

「何が起きているんだ、一体」

 

 声が出ていた。

 

 夜通し歩いて来た先で、なぜ血が流れる。藤の花を届けに来たのではないのか。師匠は一体、ここに何をしに来たのか。

 思念が渦巻いた。首を振って断ち切り、身をひそめながら移動していく。

 

 寺の位置は、さっき駆け抜けた頂上から見えていた。今いる場所は、寺の裏山にあたる。

 師匠には戻るのを待て、と言われたが、この事態である。寺の様子を見てくるだけだ、と思った。

 しばらく駆けると、寺の方向に続く裏道に出た。

 

「おやぁ、こんなところにも子供がいるとはなぁ?」

 

 男の声。人影が、いつの間にか背後に立っている。

 武仁は影に向かって、棒を構えた。

 

「向こうから血の匂いがするから急いで来てみれば、まだ生きのいいガキが、ここにもいるじゃねぇか」

 

 影が、一歩ずつ近づいてくる。

 不意に雲が晴れ、月光が数条、頭上から射した。角の生えた額、濁り切った眼、鋭く伸びた犬歯が浮かび上がる。

 鳥肌が立った。目の前にいるのは男だったが、人間ではなかった。獣でもない。化け物だ、と思った。

 

「お前は、何者なんだ。この血の匂いは、お前がやったことか」

 

 腰を抜かしそうになったが、声を出して何とか耐えた。

 

「はっ。そんなことも知らねえのに、こんなところにいたのか。まあ、今更何も知ることはねえ。俺に食われて、お前は死ぬんだからなぁ。向こうで死んでる奴らも、俺が食ってやる」

「この先には、行かせない」

「だからよ、それはお前が決めることじゃねえって言ってんだよ。ほらっ!」

 

 怪物が手を伸ばしてくる。武仁は棒で打ち払いつつ、2歩後方へ下がった。稽古通りに、体は動いた。同じことをもう一度、繰り返した。

 打ったのは、木の棒である。手の甲ならば、痣くらいはできるが、目の前の化け物は痛そうな素振りすらない。嫌な笑みを、口元に浮かべている。

 

「いいねぇ。こういうのをなんていうのかな。そうだ、そそられるっていうのかな。お前らみたいな家畜が、最後に、必死の抵抗をする。豚とか鶏の断末魔みたいだなぁ。実に、実に俺好みだよ」

「この、鬼が。お前は」

 

 怪物は、口元に不気味な笑みを浮かべて、腰を低く構えた。それで武仁は、動けなくなった。以前、山中で猪と遭遇した時のことを思い出した。出くわした時には、間近で、しかも突進の態勢に入っていた。

 次にくる攻撃は、躱せない。躱せるとは、とても思えない。

 

「ああ、俺は鬼さ。じゃあな、楽しませてくれてありがとよ」

 

 鬼。次の瞬間、目の前いっぱいに、その姿が広がった。手、足。動けなくても、倒れない。眼だけは、閉じない。それだけを思った。

 

「死ねや!」

「いや、死なせん」

 

 声。弾かれたように、鬼が飛び退くのを、武仁は棒を構えて立ち尽くしたまま見ていた。

 師匠の後ろ姿。武仁と鬼の間に立っていた。

 

「師匠」

「よく、眼を閉じなかった。倒れなかったな」

「どうして鬼狩りが、ここにいやがる。それに他にも、何匹かいたはずだ」

「もう、何も知る必要はない。お前は、ここで滅ぶのだ」

 

 師匠が、棒を八双に構えた。いや、刀だった。鬼が跳んだ。同時に、師匠の姿が消え、月光が周囲に迸った。そう見えた瞬間、鬼の首が高々と飛んでいた。師匠は、元の位置で変わらず立っている。

 頸のない鬼の体が、灰のように崩れ落ちていく。

 

「立て、武仁。付いてくるのだ」

 

 師匠に言われて、自分が腰を落としていることに初めて気づいた。

 師匠に続いて走り出す。刀は、鞘の中だ。

 

「すみません、師匠。私はなんてことを」

「今は、それどころではない。説明などしている、暇がない」

 

 師匠の声は、怒っているというより、焦っているようだった。

 

「夜明けが近い。あの化け物共は、日の光を天敵としている」

 

 小道を、2人で駆けた。本堂の形が、木々の間に見えている。道を抜けると、寺の庭先に飛び出した。

 

 異様な光景だった。

 若い僧侶が、どす黒い色の肉塊を、叫び声をあげながら何度も素手で殴りつけていた。さほど鍛え上げた肉体ではなさそうだったが、血みどろの拳を振るう様は、凄まじいものだった。

 

「もういい」

 

 僧侶は、師匠の声に反応しなかった。

 さらに殴りつけようとする腕を、さらに師匠が止めた。もう片方の腕は、武仁が止めた。凄まじい力で、両手でしがみつくようにしなければならなかった。

 

「夜が明けた。その鬼は、もう死んでいる。もう、いいのだ」

 

 朝日が射しこんできた。師匠の言う通り、鬼の体が日に照らされたところから、炎に包まれていく。すべてが灰になるのに、そう時はかからなかった。

 腰を落とした若い僧侶が、再び、獣のような咆哮を上げた。声は尾を引いて、朝の空気に、ただ吸い込まれていく。

 

 武仁は、男の叫びを聞きながら、少し俯いた。

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