一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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本作のコンセプトその1:基本的に柱は強い

ちなみに、今更ですが私の作品は視点変更をする場合があります。
1話中では1度だけ、それに読んで数行で視点主が分かるように作ります。
もし分かりにくければ、申し訳ありません。



11話 岩柱

 眼を開けると、見たこともない天井が広がっていた。次に、旨そうな匂いが鼻腔をくすぐった。どこかの家の中で、寝かされているようだった。

 

 腹が減った。武仁(たけひと)は最初にそう思い、身を起こそうとした直後、体中を痛みが駆けまわった。声は出さなかった。横になったまま、しばらく鈍い痛みに耐えた。

 だが、痛みを感じている。自分は死んではいない、と思った。

 

「起きていたか」

「師匠」

 

 首を回し、部屋の前に立っている男を見て、武仁は思わずそう呟いた。

 

「落ち着け。私は、お前の師匠ではない」

 

 低い声で言われた通り、人違いだった。よく見ると、全く似ていない。

 大柄で、いかつい顔をした男。詰襟の隊服に、襟に南無阿弥陀仏と刺繍のある羽織を着ている。

 不意に、思い出した。あの家で、鬼の頸を叩き潰した隊士。弦次郎(げんじろう)は最後に、柱と言っていなかったか。

 男が近づいてきて、武仁の枕元に座した。なんとか起き上がろうとしたが、動けない。

 

「動くな、傷に障る。岩柱、悲鳴嶼行冥だ」

「階級壬、御影武仁(みかげたけひと)です」

「もう違う。先般、鎹烏の知らせが届いた。お前は、辛に昇進した」

 

 鬼殺隊には階級制度がある。だが武仁は、その制度自体、あまり自分に縁があるとは思っていなかった。

 自分にとっては、生きていることの方が第一で、昇任はその結果に過ぎない。癸から壬への昇進を告げられた時にも、そう思ったものだ。

 

「あの家にいた、娘たちは?」

「無事だ。隠たちが、親戚の下へ連れて行った」

 

「そうでしたか。感謝します、岩柱様。岩柱様が来てくださらなければ、多分、あの娘たちは死んでいた」

「よくやったのは、君達の方だ。弦次郎という君の鎹烏は、夜闇の中でも私の下にたどり着いた。そして私が到着するまでの一刻以上の時を、君は死なずに戦い抜いた」

 

 岩柱。目の前で正座している男は、鬼殺隊最高位の9人の剣士のひとりということだ。

 柱合会議というものが半年に一度、鬼殺隊の本部で行われているという。武仁は、あまり気に留めていない。柱が誰だろうと、顔を見ないことの方が多いのだ。

 しかし今は、その柱のひとりに、褒められている。褒められるためにやったものではないが、やはり嬉しかった。

 

 喋っている悲鳴嶼の顔。どこか、見覚えがあるような気がした。

 悲鳴嶼の眼。白濁して光は見えない。武仁の体に、稲妻が走った。

 数年前の寺での惨劇。そこで生き残った、盲目の若い僧。その男を、悲鳴嶼と師匠は呼んでいた。それに額の傷は、師匠が治療していたものではないか。

 

「先に、師匠、と言ったな。私の記憶の中のとある子どもは、武仁と呼ばれ、ある男と共にいた。まさか、ここで会うことになろうとはな」

「岩柱様が、あの時の和尚だったのですね。あの晩、師匠と私は、藤の花を届けるために、寺へ向かっていたのです。しかし、間に合わなかった」

「今更気に病んでも、仕方のないことだ。沙代だけは、生き残ることができた。私はそれから、縁あって、鬼殺の道を歩んでいる」

 

 縁、と言った悲鳴嶼の言葉に、異様な雰囲気がある。良縁もあれば、悲しみや苦しみから生まれる縁もある、と言っているようだった。

 

「君の師匠は、今はどこにおられる」

「わかりません。最終選別を終えて戻ると、いなくなっていました。私も、あの寺での出来事を、一つでも減らしたい。人を助けたい。そう思い、師匠から稽古を受け、鬼殺隊に入りました」

 

 悲鳴嶼は何も言わず、しばらく沈黙していた。その眼から、涙が一筋流れ出てきたのを見て、武仁は眼をそむけた。男でも女でも、他人の涙など見るものではない、と思っている。

 

「ここは私の屋敷だ。快適とは言い難いが、傷はここで癒すといい」

 

 悲鳴嶼はそう言い、武仁の前から姿を消した。

 足音ひとつ、立てていなかった。

 

                       

 

 眼が覚めた翌日には、起きて、立ち上がれるようになった。

 胴体への傷は深いようで、意外と浅かった。隊服が胴への攻撃をかなり軽減していたのだ。事実、履物だけだった左足は、鬼の触手が完全に貫通していて、そちらの傷の方が治りは遅そうだった。

 手当はしっかりされていて、傷が膿んだりはしていない。あとは、自分の回復力次第だった。

 

 数日経ってから、左足を動かさない方法で武芸の鍛錬を始めた。呼吸も、同時に鍛える。深い呼吸を、乱さず、できるだけ長く続けること。朝まで戦い続けるとは、そういうことだ。

 

「私が、稽古の相手になろう」

 

 悲鳴嶼の屋敷に逗留しはじめて数日後、悲鳴嶼がそう声をかけてきた。

 

「良いのですか? お忙しいようですが」

「何もしていなくても、同じこと。それに、隊士に稽古をつけるのも、柱の勤めのひとつだ」

「では、お願い致します」

 

 一礼し、武仁は棒を構えたが、悲鳴嶼は無言で日輪刀を投げてきた。

 何を言いたいのか、直ぐにわかった。武仁が日輪刀を佩いたとき、悲鳴嶼は鎖付きの鉄球と斧を持っていた。

 

「参る」

 

 低く言った瞬間、悲鳴嶼の姿が、武仁の前から音もなく消えた。

 どこだ。そう思った瞬間、頭上からとてつもない気配を感じ、武仁は右足で跳躍した。

 

 

  全集中 岩の呼吸・弐ノ型 天面砕き

 

 

 さっきまで立っていた地面を、鉄球が打ち砕いた。背丈以上の、土煙が上がる。その中から、今度は鉄球と斧が同時に飛んできた。

 驚いている暇も、与えるつもりはないようだ。

 

 

  全集中 岩の呼吸・壱ノ型 蛇紋岩・双極

 

 

 咄嗟に、斧の方へ身を晒す。まず鉄球を躱し、斧には鞘ごと日輪刀を叩きつけた。全力で打ったが、軌道を逸らすので精いっぱいだった。むしろ日輪刀を握っていた掌の方が、痺れたほどだ。

 

 武仁は踏み込まず、更に跳んで離れた。鉄球と斧は、鎖でつながれているのだ。下手に間合いに入れば、鎖に絡めとられるか、後ろから飛んでくる鉄球や斧を食らう。

 

「いつまでも逃げ回っていても、私には勝てない」

 

 土煙の中から、悲鳴嶼がゆっくりと歩いて近づいてくる。鉄球と斧を、鎖で振り回しながらだ。見ていて恐ろしいほどの、筋力だった。

 それに、呼吸も凄まじい。全集中の呼吸を使っているようだが、呼吸から技を放つまでの間隙が、ほとんどない。

 

「岩柱様。私は、弱い隊士です」

「だから、鍛えているのだろう」

 

「しかし弱いなりに、生き残ることはできます。私はこれから、自分を鬼と思って戦います。鬼ならば、岩柱様の攻撃をどう避けるか、どう凌ぐか。それだけを考えます」

「君は、鬼殺隊士だ。私が鬼だったときは、どうする」

 

「相手が鬼なら、夜明けまで戦えば、生き残れます。少なくとも、応援が来るまでは、何としても生き残ります」

「良かろう。では私も、君を鬼と思って戦うこととする」

 

 悲鳴嶼の気配が、唐突に暴力的なものを帯びた。

 弾かれるように、跳んで、走った。鉄球。斧。自在の動きで、間断なく襲い掛かってくる。

 

 本当に元僧侶か。武仁は内心で思った。思いつつ、悲鳴嶼がかつて鬼を素手で殴り殺していたのを、思い出した。

 

 横に走った。その時には、正面から斧が弧を描いて飛んできている。動きを読まれていた。武仁は初めて日輪刀を抜いた。刀と斧が触れる瞬間、切り上げ、斧の軌道を逸らす。それで受け流せるはずだ。

 

 そう思っていると、不意に眼前に青い空が広がった。ゆっくりと雲が移動していく。いや、動いているのは自分の方だ。斧と刀が触れた瞬間、撥ね飛ばされたのだと、それで気づいた。

 身を回して着地した時、肩を叩かれた。悲鳴嶼の巨体は、背後にある。

 

 武仁は、唇を噛んだ。

 負けた。実戦であれば、死んだということだ。一刻どころか、ほんのわずかな時間しかもたなかった。自分は所詮、この程度か、とも思った。

 

「刀を納めろ。いつまでも、見せびらかしているものではない」

 

 言われて、納刀した。納める前に一通り確認したが、刃こぼれはしていない。

 悲鳴嶼は、武器を腰に仕舞いこみ、縁側に腰を下ろした。

 

 最高位ともなると、豪奢な屋敷にでも住んでいると思ったが、外から見るとむしろ質素にも思える程度の構えだった。

 どこから持ってきたのか、家の裏には悲鳴嶼の背丈と同じくらいの、大岩が置いてある。

 

 立ったままでいると、隣に座れ、と仕草で促された。

 

「剣技は、今のままでいい。私に勝てなかったことを、悔いているのなら、次に同じ負け方をしないように努力するのだ」

 

 稽古の講評は、突然始まった。武仁は悲鳴嶼の言葉に、耳を立てた。

 

「動きは、体術を基本にしたものと見える。受け流そうとする動きも、悪くはない。だが、相手にする鬼の膂力がお前を上回ることは、当然にあることだ。それを忘れるな」

「はい」

 

「それと、全集中の呼吸が使えないのだな。私も入隊して長くはないが、色の変わっていない日輪刀という話は、聞いたことがない。そういう使い手がいるということも」

「水の呼吸の、壱ノ型は使えます。それで、今日まで戦ってきました」

「たとえ流派が馴染まずとも、呼吸の深さと長さには、見どころはある。全集中の呼吸の応用に、常中というものがある。君は、まずそれを会得するのだ」

 

 曰く、全集中の呼吸を朝から晩まで、つまり絶えず続けることで、身体能力が鍛えられる。さらに、血の巡りも良くなることで、回復力の増強などの効果も見込めるようだ。

 難しいことを言われている訳ではない、と武仁は思った。深い呼吸は、常日頃から意識していることでもある。

 

 冬の山籠もりでの酷寒を耐えられたのは、全集中の呼吸によるものだった。深い呼吸をすると、体が熱くなる。そう思うと、常中に近いものは今までにもやっていたのかもしれない。

 ただ、寝る時まで呼吸を続けるとなると、無意識にできるまで、体に叩き込まなければならないということだ。

 

「全集中の呼吸は使えないが、新人隊士の割に深く長い呼吸ができるのは歪にも思える。その肺腑は、どうやって鍛えたのだ?」

「師匠との旅で、9年は山歩きを続けていました。武芸の稽古も、旅の中で多少。修行は半年でしたので、特別なことと言えばそれくらいです」

「そうか。それは」

 

 悲鳴嶼が何か言おうとした瞬間、羽音が頭上から降ってきた。

 屋敷の上で、鎹烏が一羽、羽ばたいている。

 弦次郎ではない。それは一目でわかった。

 

                       

 

 民家での戦いから、およそ半月が経っていた。その間は鍛錬の他に、飯炊きや掃除などの家事の手伝い。時には、屋敷に居ついている野良猫の世話もする。

 ただひとつ、何をしていても、呼吸だけは忘れないようにした。

 体の機能は、ほぼ回復した。傷跡は残ったが、動きに支障は全くない。

 

 全集中の呼吸の常中も、徐々に会得しつつあるのかもしれない、と武仁は思っていた。

 体の変化は、すぐに表れた。まず、傷の直りが明らかに早くなった。そして、今までよりも長く、走ったり跳んだりすることができるようになった。

 

 常中を会得し、長い間、全集中の呼吸を続けることができれば、それだけ体を鍛えることができる。自分はこの半月、常中の訓練に、熱中しているといってもよかった。

 

 悲鳴嶼は、屋敷にいないことの方が多かった。鴉からの指令だけでなく、柱其々に割り振られた区域での鬼狩りなど、やらなければならないことは多いらしい。稽古をつけられたのも1回だけである。

 

 怪我から完全に回復した。そう思った頃、悲鳴嶼が帰ってきた。

 任務に行くときも帰ってくるときも、悲鳴嶼の様子には全く変化がない。ちょっと、そこらに出てきた帰り。任務に出たことを知らなければ、そんな風にしか見えない。

 傷が癒えたので、明日ここを発つ。夕食で、そう切り出そうと思った時だった。鎹烏の弦次郎が、窓から飛び込んできた。

 

「伝令、伝令ィ! 御影武仁に任務ゥ!」

 

 武仁は箸を止め、弦次郎に向き直った。

 

「武甲山周辺デ、人ガ次々ト消エテイルゥ! 隊士2名ト藤ノ花ノ家紋ノ家で合流シィ、共同デ調査ニ当タレェ! 鬼ガ居レバ、コレヲ滅殺セヨォ!」

「承知した。明日早朝、出立する」

 

「武仁ォ! 笛ェ! 笛ェ! 笛ェ!」

「分かった」

 

 弦次郎は満足げにひと鳴きすると、武仁の肩に止まった。

 

「岩柱様。お聞きの通りです。長らくお世話になりましたが、指令に従い、明朝出立します」

「わかった。武運を祈る」

 

「岩柱様も、ご武運をお祈りします。1曲、縁側でよろしいですか。お耳汚しであれば、打ち倒してください」

「構わない」

 

 武仁は一礼し、縁側に座った。

 見上げると、月が輝いていた。降り注ぐ月光で、見えるものすべてが白く透き通っていくようだった。

 

 武仁は、笛を構えた。

 半月前の民家での戦いが、蘇った。鬼の頸こそこの手で取れなかったが、俺は人を守ることができたのだ。自分の戦いは、決して無駄ではなかった。そして岩柱である悲鳴嶼行冥と再会して、これからさらに、強くなることもできるのだ。

 朱雀と、芭澄に会いたい。武仁は、強く思った。俺はあの2人の同期として、恥じない剣士に必ずなる。

 渦巻く高揚感が、音となって流れ出ていた。そして、吹き切った。

 

 笛を置くと、弦次郎が夜空に飛び去って行く。満足してくれたようだ、と武仁は思った。

 

                       

 

 夜が明けると、武仁は出立していった。

 悲鳴嶼は玄関まで送ったが、改めて別れの言葉などは言わなかった。向こうも同じ気持ちだったのだろう。一礼だけして、出発していった。

 

 鬼殺隊士はどんな別れも、今生の別れなのだ。再会できるという保証は、どこにもない。鬼と戦うとは、そういうことでもあるのだ。

 

 武仁の気配が遠くなっていく。唐突に、その気配に不吉なものを悲鳴嶼は感じた。感じたが、言葉にはしなかった。口にすることで、現実のものになってしまうものある。

 そのまま、武仁の気配は山中に消えた。

 

 9年間、師匠と呼ぶ男と旅をしていたという。逆に言えば、御影武仁はそれだけの時間を、全集中の呼吸の鍛錬に費やしていたとも言えるのではないか。そうでもなければ、半年で鬼殺隊士としての修行が終わるはずがない。

 

 何の才能もなければ、鬼殺隊に入ることはなかっただろう。どこかで、見事な笛を吹いていたかもしれない。そう思うと、武仁という隊士がいること自体が残酷であり、鬼という存在の悪辣さの証だった。

 

「武運を祈る」

 

 悲鳴嶼はそう低く呟き、館へ身を翻した。あの隊士に運があれば、自分が感じた不吉なものも、不吉でなくなるかもしれない。

 

「あの」

 

 館に入った悲鳴嶼に、不意に声をかけてくる者がいた。

 

「悲鳴嶼行冥様のお宅ですね」

 

 何をしに来たのだ。まず、そう思った。

 半月前、民家で助けた少女達が、門の前に立っていた。




こういう、すれ違いが好きです。
だから視点変更をやめられないのです。

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