体が、揺れている。
また、担架か何かで、運ばれているようだった。目隠しだけでなく、耳栓もされていた。自分がどういう状態なのか、
どうにでもなれ。そういう気持ちがある。殺気を向けられれば、体が勝手に反応するだろう。反応しなければ、それまでの命ということだ。
ぼうっとしているうちに、どこかから声が聞こえてきた。
最初は何を言っているのか分からなかったが、聞き覚えがある声だ。声の主は、徐々に近づいてくる。
聞こえてきたのは、師匠の声だった。
「お前は、その選択を後悔することになる。死ぬことなど、本当は生ぬるい。生き地獄を、お前は味わうことになる」
あの時、師匠が言っていたことは間違っていなかった、と武仁は思った。
人助けのために、鬼殺隊に入り、戦うことを選んだ。そのはずだった。しかし自分は、あの2人を助けもせず、生き残ってしまった。
死ぬべきでない人間が死に、死ぬべき自分は死に損なったのだ、と思った。これが生き地獄なら、確かに、いま自分は地獄を味わっている。
悲鳴嶼行冥の屋敷で目覚めてからは、苛烈な訓練を自分に課した。
そうすれば、強くなれる。強くならなければ、死ねると思った。少なくとも、常中ができれば強くなれる、などと甘えた事を考えていた自分を、まず捨ててしまいたかった。
鎹鴉の弦次郎も、死んでいた。それを、隠の後藤から聞いた時も、武仁には最早、何の感情も湧き起こらなかった。
いつか、俺もそっちへ行く。そう思っただけだ。
それでも、何もせず死ぬことは、できなかった。悲鳴嶼と立合った時も、自分から鉄球や斧に身を晒したりはしなかった。
戦いもせず、何も為すことなく死ぬ。それも、許せないのだ。
頭の働きも、どこか鈍く、揺らいでいるようだった。生きたいのか死にたいのかも、判然としない。そういう自分を、俯瞰してもいた。
奇妙な時間が、しばらく続いた。
ふと、揺れが止まり、耳栓が取られた。
「起きろ」
声に続けて、目隠しも外された。日の光が、眩しい。
しばらくして、まず眼が捉えたのは、陽光の眩しさを映したような白い砂利だった。枝葉の整えられた松や藤の花。庭石。澄水が引かれた、池すらもあるようだ。
見たこともないほど広大な屋敷の庭に、連れてこられていた。
「君が、
声。屋敷の縁側から、声をかけられた。
男がひとり、立っていた。
「御屋形様の御前だ。何を、突っ立っている。控えろ」
低く腹の底に響くような、悲鳴嶼の声。ほとんど反射的に、武仁は膝をついて、頭を下げた。向かって右側に、悲鳴嶼の巨体が鎮座している。
「そんなに、畏まらなくてもいいよ。いきなり連れてきて、すまなかったね。私は、産屋敷燿哉。武仁達とは、確か最終選別の時に、一度会っていたかな」
言われて、最終選別の場に来ていた若い男の事を、武仁は思い出した。それに、悲鳴嶼は御屋形様、と呼んでいた。鬼殺隊の柱からそう呼ばれる人間が、それほどいるとは思えない、
では自分は今、鬼殺隊の中枢にいるということなのか。
「下弦の参に続けて、上弦の壱と遭遇した、と聞いているよ。朱雀と芭澄の事は、本当に残念だった。弦次郎も、精いっぱい戦ってくれた。でも、武仁と鎹鴉の那津だけでも、生きていてくれて良かったと思う。鬼殺隊を率いる者として、礼を言わせてほしい」
「御屋形様。私はただの、死に損ないの隊士です。礼を、いただける立場ではありません」
自然と、言葉が出ていた。言葉遣いが正しいのかどうかは、よくわからない。
燿哉の眼は、武仁をじっと見つめている。改めて顔を見ると、燿哉は御屋形様と呼ばれつつも、自分と年恰好が近いのが分かった。
しかし、それを思わず忘れさせる程の、風格がある。
事態が飲み込めて、ひとつ気づいた。
自分がここに連れてこられた理由は、ひとつしかないのだ。そう思うのと同時に、探していたものを見つけた、とも思った。
自分の為すべきことと、死に場所である。
「私がここに呼ばれたということは、上弦の壱について詳しく報告するため、ということで、よろしいのでしょうか」
「怪我が癒えてから、改めて、ここに来てもらおうと思っていたんだよ。他の柱たちはすぐに話を聞きたがっていたけど、武仁が重傷だと、行冥からも報告を受けていたからね」
「では、この場にて、報告いたします」
そして、報告の後に屋敷の外で、腹か首を切って、死ぬ。
その選択が、眼の前に唐突に現れた。そしてそれが、実に甘美なものに思えて、仕方がなかった。
朱雀と芭澄があの場で死んだのは、自分に上弦の壱について報告させるためだったのだ。その役目さえ果たせば、今度は何の迷いもなく、自分から死ねるだろう。
無為に死ぬわけでもなく、無駄に生きながらえることもない。
燿哉は、こちらを見据えたまま、深い湖面のような表情を浮かべている。返事はいつまでもなかった。
焦れるような気持ちで、武仁から声を発しようとしたが、手で制された。
「まだ、武仁の傷は、癒えていないね」
「この通り、怪我は治っております。口さえ開けば、報告はできます」
「でも心は、傷ついたままだ」
「前線は、身も心も傷ついている隊士で、溢れています。私ごときの心と、上弦の壱の情報。どちらが大事なことか、明白であると思いますが」
悲鳴嶼の足元の砂利が、僅かな音を立てた。殺気めいたものが、自分に向かって放たれている。
別に今更、どう思われてもいい。そういう気持ちにもなっていた。どうせ、この後で死ぬのだ。
「武仁。私はいつだって、私の剣士たちには、死なないでほしいと思っているんだよ。たとえそれが、自決であってもね」
この声を藤襲山で聞いた時、不思議な聴き心地の良さを感じたのを、武仁は思い出した。
しかし今、改めて聞いても、あの時のような心持ちにはならない。
ただの、男の声。何を言われようと、そうとしか感じられなかった。
「生きていてくれた君を、ここでむざむざ失うくらいなら、私は上弦の壱の情報など必要ない、と思っている」
「では、紙に書き残しておきます。鎹鴉にも、仔細を伝えておきます」
「御影。御屋形様に対して、無礼であろう」
「いいんだよ、行冥」
燿哉の声は、あくまでも静かだった。
「君の気持ちは、よくわかった。それなら、私からひとつお願いがある。それを聞いてくれれば、上弦の壱についての報告を、聞かせてもらうことにするよ」
「死ぬことを禁じるものでなければ、何なりと」
「行ってきてもらいたい場所があるんだよ。行き先は、那津が知っている。来年の桜が咲くころまでには、ここに戻ってきて欲しいんだ」
「それだけで、よろしいのですか?」
「戻ってきてくれたら、報告を聞いた上で、君の願いをひとつ叶えよう。私の、お願いを聞いてもらったことへの、感謝として」
無論、できる範囲だけどね。付け足すようにそう言い、燿哉は再び微笑んだ。
金が欲しい。柱になりたい。そういう類の馬鹿げた願いなど、するつもりはない。
これで誤魔化されることなく、自裁できる。
燿哉の言葉を、武仁ははっきりとそう捉え、頭を垂れた。
武仁は再び、隠達に荷物のように担がれ、連れ出されて行った。
悲鳴嶼はひとり、庭の池の畔でひとり佇んでいる燿哉の後ろに控えていた。武仁が去った後、残るように声をかけられたのだ。
昼の日差しが降り注いでいるのを肌で感じたが、かすかな冷たさもある。季節が、冬に移りつつあるのだ。
「優しい子だね、あの子は」
おもむろに、燿哉が口を開いた。
「私に、恨みのひとつでも、言うことができたのに。私が、朱雀と芭澄を死に追いやったようなものなのに。生きている自分が悪いのだと、自分を責めていた」
隊士ひとりひとりの名前や来歴、死に至るまでの全てを、記憶している人だった。自分よりも4歳年少のこの方は、これまで一体どれだけの人の死と向かい合ったのか。想像するだけで、体が震えそうになる。
それだけのものを背負いつつも、常に柔和な笑顔を浮かべ、口にした言葉は人の心を掴んで離さない。その様には、ある種の荘厳さすら、感じる程だった。
「あまり、気になされぬが、よろしいかと。煉獄家のような、代々鬼狩りを生業とする家柄のほか、あのような隊士はそういるものではありません」
「あの子は、人助けのために鬼殺隊に入ってきてくれた、と聞いた。私はね、思うんだよ、行冥」
燿哉が振り向き、悲鳴嶼の方に向き直った。やはり、微笑みを浮かべているのだろうか。
優し気な視線を向けられていることは、肌で感じた。
「武仁のような隊士が、ひとりでも居てくれれば、それだけで私たちは救われるのではないかな。恨みや憎しみを晴らすために鬼殺を為す
「お言葉ですが、御屋形様。あの隊士は、死にたがっております。死ぬことこそが、唯一の希望であると、思っています」
「そうだね。でも、武仁もまた、救われなくてはならない。死にたがっているあの子を、こちら側に引き留められるのは、私ではなかったみたいだ。でもあの子を、待っている人がいる。そしてあの子に、救える人もいる。私はね、行冥。武仁に、人を助けて欲しいんだ。私が、何もできない分も」
悲鳴嶼は、体ではなく、心が震えるような思いがした。
この御方は、ほとんど顔を合わせることのない一般隊士に対してすら、こういう想いを持っている。鬼殺隊が今日まで潰滅することなく、鬼との絶望的な戦いを戦い続けられた理由のひとつが、この人の存在であるのは間違いないだろう。
不意に、冷風が吹きつけてきた。
「御屋形様。体に障ります故、そろそろ御屋敷の中へ。あまね様も、心配なされます」
「そうだね」
歩き出した燿哉の後ろを、悲鳴嶼はついて歩いた。
鎹鴉の鳴き声が、遠くに聞こえている。
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