一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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 本作のコンセプトその2:人間側の登場人物は、ほとんどが覚悟をキメています。


18話 死に場所はいずこに

 体が、揺れている。

 

 また、担架か何かで、運ばれているようだった。目隠しだけでなく、耳栓もされていた。自分がどういう状態なのか、武仁(たけひと)には全く分からなかった。

 どうにでもなれ。そういう気持ちがある。殺気を向けられれば、体が勝手に反応するだろう。反応しなければ、それまでの命ということだ。

 

 ぼうっとしているうちに、どこかから声が聞こえてきた。

 最初は何を言っているのか分からなかったが、聞き覚えがある声だ。声の主は、徐々に近づいてくる。

 聞こえてきたのは、師匠の声だった。

 

「お前は、その選択を後悔することになる。死ぬことなど、本当は生ぬるい。生き地獄を、お前は味わうことになる」

 

 あの時、師匠が言っていたことは間違っていなかった、と武仁は思った。

 朱雀(すざく)芭澄(はすみ)が、死んだ。才能溢れるあの2人が、大して強くもない自分を庇って、死んだのだ。それは、とても受け入れられることではなかった。

 

 人助けのために、鬼殺隊に入り、戦うことを選んだ。そのはずだった。しかし自分は、あの2人を助けもせず、生き残ってしまった。

 

 死ぬべきでない人間が死に、死ぬべき自分は死に損なったのだ、と思った。これが生き地獄なら、確かに、いま自分は地獄を味わっている。

 

 悲鳴嶼行冥の屋敷で目覚めてからは、苛烈な訓練を自分に課した。

 そうすれば、強くなれる。強くならなければ、死ねると思った。少なくとも、常中ができれば強くなれる、などと甘えた事を考えていた自分を、まず捨ててしまいたかった。

 

 鎹鴉の弦次郎も、死んでいた。それを、隠の後藤から聞いた時も、武仁には最早、何の感情も湧き起こらなかった。

 いつか、俺もそっちへ行く。そう思っただけだ。

 

 それでも、何もせず死ぬことは、できなかった。悲鳴嶼と立合った時も、自分から鉄球や斧に身を晒したりはしなかった。

 戦いもせず、何も為すことなく死ぬ。それも、許せないのだ。

 頭の働きも、どこか鈍く、揺らいでいるようだった。生きたいのか死にたいのかも、判然としない。そういう自分を、俯瞰してもいた。

 

 奇妙な時間が、しばらく続いた。

 ふと、揺れが止まり、耳栓が取られた。

 

「起きろ」

 

 声に続けて、目隠しも外された。日の光が、眩しい。

 

 しばらくして、まず眼が捉えたのは、陽光の眩しさを映したような白い砂利だった。枝葉の整えられた松や藤の花。庭石。澄水が引かれた、池すらもあるようだ。

 見たこともないほど広大な屋敷の庭に、連れてこられていた。

 

「君が、御影武仁(みかげたけひと)だね」

 

 声。屋敷の縁側から、声をかけられた。

 男がひとり、立っていた。

 

「御屋形様の御前だ。何を、突っ立っている。控えろ」

 

 低く腹の底に響くような、悲鳴嶼の声。ほとんど反射的に、武仁は膝をついて、頭を下げた。向かって右側に、悲鳴嶼の巨体が鎮座している。

 

「そんなに、畏まらなくてもいいよ。いきなり連れてきて、すまなかったね。私は、産屋敷燿哉。武仁達とは、確か最終選別の時に、一度会っていたかな」

 

 言われて、最終選別の場に来ていた若い男の事を、武仁は思い出した。それに、悲鳴嶼は御屋形様、と呼んでいた。鬼殺隊の柱からそう呼ばれる人間が、それほどいるとは思えない、

 では自分は今、鬼殺隊の中枢にいるということなのか。

 

「下弦の参に続けて、上弦の壱と遭遇した、と聞いているよ。朱雀と芭澄の事は、本当に残念だった。弦次郎も、精いっぱい戦ってくれた。でも、武仁と鎹鴉の那津だけでも、生きていてくれて良かったと思う。鬼殺隊を率いる者として、礼を言わせてほしい」

「御屋形様。私はただの、死に損ないの隊士です。礼を、いただける立場ではありません」

 

 自然と、言葉が出ていた。言葉遣いが正しいのかどうかは、よくわからない。

 燿哉の眼は、武仁をじっと見つめている。改めて顔を見ると、燿哉は御屋形様と呼ばれつつも、自分と年恰好が近いのが分かった。

 しかし、それを思わず忘れさせる程の、風格がある。

 

 事態が飲み込めて、ひとつ気づいた。

 自分がここに連れてこられた理由は、ひとつしかないのだ。そう思うのと同時に、探していたものを見つけた、とも思った。

 自分の為すべきことと、死に場所である。

 

「私がここに呼ばれたということは、上弦の壱について詳しく報告するため、ということで、よろしいのでしょうか」

「怪我が癒えてから、改めて、ここに来てもらおうと思っていたんだよ。他の柱たちはすぐに話を聞きたがっていたけど、武仁が重傷だと、行冥からも報告を受けていたからね」

「では、この場にて、報告いたします」

 

 そして、報告の後に屋敷の外で、腹か首を切って、死ぬ。

 その選択が、眼の前に唐突に現れた。そしてそれが、実に甘美なものに思えて、仕方がなかった。

 

 朱雀と芭澄があの場で死んだのは、自分に上弦の壱について報告させるためだったのだ。その役目さえ果たせば、今度は何の迷いもなく、自分から死ねるだろう。

 無為に死ぬわけでもなく、無駄に生きながらえることもない。

 

 燿哉は、こちらを見据えたまま、深い湖面のような表情を浮かべている。返事はいつまでもなかった。

 焦れるような気持ちで、武仁から声を発しようとしたが、手で制された。

 

「まだ、武仁の傷は、癒えていないね」

「この通り、怪我は治っております。口さえ開けば、報告はできます」

「でも心は、傷ついたままだ」

「前線は、身も心も傷ついている隊士で、溢れています。私ごときの心と、上弦の壱の情報。どちらが大事なことか、明白であると思いますが」

 

 悲鳴嶼の足元の砂利が、僅かな音を立てた。殺気めいたものが、自分に向かって放たれている。

 別に今更、どう思われてもいい。そういう気持ちにもなっていた。どうせ、この後で死ぬのだ。

 

「武仁。私はいつだって、私の剣士たちには、死なないでほしいと思っているんだよ。たとえそれが、自決であってもね」

 

 この声を藤襲山で聞いた時、不思議な聴き心地の良さを感じたのを、武仁は思い出した。

 しかし今、改めて聞いても、あの時のような心持ちにはならない。

 ただの、男の声。何を言われようと、そうとしか感じられなかった。

 

「生きていてくれた君を、ここでむざむざ失うくらいなら、私は上弦の壱の情報など必要ない、と思っている」

「では、紙に書き残しておきます。鎹鴉にも、仔細を伝えておきます」

「御影。御屋形様に対して、無礼であろう」

「いいんだよ、行冥」

 

 燿哉の声は、あくまでも静かだった。

 

「君の気持ちは、よくわかった。それなら、私からひとつお願いがある。それを聞いてくれれば、上弦の壱についての報告を、聞かせてもらうことにするよ」

「死ぬことを禁じるものでなければ、何なりと」

「行ってきてもらいたい場所があるんだよ。行き先は、那津が知っている。来年の桜が咲くころまでには、ここに戻ってきて欲しいんだ」

「それだけで、よろしいのですか?」

「戻ってきてくれたら、報告を聞いた上で、君の願いをひとつ叶えよう。私の、お願いを聞いてもらったことへの、感謝として」

 

 無論、できる範囲だけどね。付け足すようにそう言い、燿哉は再び微笑んだ。

 

 金が欲しい。柱になりたい。そういう類の馬鹿げた願いなど、するつもりはない。

 これで誤魔化されることなく、自裁できる。

 燿哉の言葉を、武仁ははっきりとそう捉え、頭を垂れた。

 

                       

 

 武仁は再び、隠達に荷物のように担がれ、連れ出されて行った。

 悲鳴嶼はひとり、庭の池の畔でひとり佇んでいる燿哉の後ろに控えていた。武仁が去った後、残るように声をかけられたのだ。

 

 昼の日差しが降り注いでいるのを肌で感じたが、かすかな冷たさもある。季節が、冬に移りつつあるのだ。

 

「優しい子だね、あの子は」

 

 おもむろに、燿哉が口を開いた。

 

「私に、恨みのひとつでも、言うことができたのに。私が、朱雀と芭澄を死に追いやったようなものなのに。生きている自分が悪いのだと、自分を責めていた」

 

 隊士ひとりひとりの名前や来歴、死に至るまでの全てを、記憶している人だった。自分よりも4歳年少のこの方は、これまで一体どれだけの人の死と向かい合ったのか。想像するだけで、体が震えそうになる。

 

 それだけのものを背負いつつも、常に柔和な笑顔を浮かべ、口にした言葉は人の心を掴んで離さない。その様には、ある種の荘厳さすら、感じる程だった。

 

「あまり、気になされぬが、よろしいかと。煉獄家のような、代々鬼狩りを生業とする家柄のほか、あのような隊士はそういるものではありません」

「あの子は、人助けのために鬼殺隊に入ってきてくれた、と聞いた。私はね、思うんだよ、行冥」

 

 燿哉が振り向き、悲鳴嶼の方に向き直った。やはり、微笑みを浮かべているのだろうか。

 優し気な視線を向けられていることは、肌で感じた。

 

「武仁のような隊士が、ひとりでも居てくれれば、それだけで私たちは救われるのではないかな。恨みや憎しみを晴らすために鬼殺を為す剣士(子ども)たちが多い中で、純粋に人を助けるために刀を振るってくれる。そういう剣士を、死なせるべきではない。死なせてはならないのだと」

「お言葉ですが、御屋形様。あの隊士は、死にたがっております。死ぬことこそが、唯一の希望であると、思っています」

「そうだね。でも、武仁もまた、救われなくてはならない。死にたがっているあの子を、こちら側に引き留められるのは、私ではなかったみたいだ。でもあの子を、待っている人がいる。そしてあの子に、救える人もいる。私はね、行冥。武仁に、人を助けて欲しいんだ。私が、何もできない分も」

 

 悲鳴嶼は、体ではなく、心が震えるような思いがした。

 この御方は、ほとんど顔を合わせることのない一般隊士に対してすら、こういう想いを持っている。鬼殺隊が今日まで潰滅することなく、鬼との絶望的な戦いを戦い続けられた理由のひとつが、この人の存在であるのは間違いないだろう。

 

 不意に、冷風が吹きつけてきた。

 

「御屋形様。体に障ります故、そろそろ御屋敷の中へ。あまね様も、心配なされます」

「そうだね」

 

 歩き出した燿哉の後ろを、悲鳴嶼はついて歩いた。

 鎹鴉の鳴き声が、遠くに聞こえている。




 次回の更新はちょっと遅くなります。

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