一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

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 この方が逝去された時期は、原作でも明記はされてなかったと思います。
 なので、ここで手を貸していただきました。


19話 煉獄家

 数日前、遠くで眼にした山並みは、うっすらと白く染まっていた。

 その様相が、少しずつ変わった。木は建物に、草花は人の姿に。陽光は、電気の灯に。

 

 帝都、東京府である。

 まず、人が多い。ものを売る店も、所狭しと建ち並んでいる。他の街とは比べ物にならない、活気や熱気に覆われていた。しかし、その何もかも全て、武仁(たけひと)の眼中になかった。

 空を飛んでいる、黒い鴉。ただそれだけを、見ていた。

 

 那津(なつ)という名前の、芭澄(はすみ)に付けられていた鎹鴉だった。

 元々がそうなのか、主が死んだからか、全く言葉を発さない。しかし、自分から離れようともしない。追い払おうという気にはならなかったが、声も掛けなかった。

 

 那津は華やかな中心街から、家が集中している郊外に向かって移動すると、ある館の前で、降り立った。

 門構えは、まるで武家の大名のようである。

 

「ここは」

 

 思わず、声が漏れた。表札には、煉獄とある。

 朱雀(すざく)が居候をしていた、炎柱の家。思わず、身を翻しそうになったが、耐えた。そして、何かあれこれと考えるよりも先に、邸内へ訪いを入れた。

 

 那津がここに連れてきた。つまり御屋形様である産屋敷燿哉が、ここへ自分を導いたということである。

 手前勝手に自裁する前に、罵詈雑言や悲嘆の声を聞け、ということなのか。しかし逆に言えば、それこそが、朱雀の死を受け入れるということだ、とも思える。

 朱雀は、自分にできた初めての友達だったのだ。その死について、全てを受け止めた時、自分も死ぬことができるはずだ。

 

 訪いを入れて、しばらくすると、正面ではなく脇のくぐり戸が開いた。

 まず眼に入ったのは、燃えるような赤い髪だった。

 出てきたのは、少年である。自分よりも、頭ひとつは背が低い。しかし、くりっと開かれた瞳が、武仁をまっすぐに見つめていた。

 

「どなたですか?」

「鬼殺隊士、御影武仁(みかげたけひと)と言います」

「あっ、武仁殿ですか! 朱雀から、話は聞いておりました。私は、煉獄杏寿郎と申します! 中へ、さあどうぞ!」

 

 言い終えるなり、杏寿郎という少年に、手を掴まれた。履物を脱ぐと、そのまま屋敷の奥へと引かれていく。

 

「話は全て、鎹鴉から聞きました。朱雀が任務の先で、上弦の壱と遭遇したのだと。それでも、武仁殿だけでも生きていてくれて、本当に良かった。朱雀は、父上への恩返しのため、誰かを守るために炎の呼吸を使うと、いつも言っていました」

 

 手を引かれながら、煉獄杏寿郎の名前を朱雀から聞いていたのを、武仁は思い出した。

 自身をいずれ必ず上回る、天稟を持っている男。そう言っていたような気がする。

 

 確かに、自分の手を引いている少年から発せられる気配は、今まで武仁が感じたこともないものだった。

 触れるものすべてを焼き尽くす大炎のような力強さと、人を守り包み込む温もり。それを、折り合いをつけることなく、しっかりと持っているようだ。

 

「折角いらしたのです。是非、父上にお会いになってください。あっ、父上!」

 

 縁側の廊下を曲がった先に、杏寿郎と同じ髪形、髪色をした男が立っていた。杏寿郎の呼びかけで、顔をこちらに向けた。

 武仁は素早く、膝をついた。

 杏寿郎の父ということは、つまりは炎柱である。しかし、寸前に見た炎柱の瞳には、荒んだ色が混じっているように見えた。

 

「父上。この方が、御影武仁殿です。朱雀が、以前話していた、選別で命を救ってくれた友人の方です」

「ああ、そうか」

 

 声を聞きながら、武仁は奇妙な感覚に襲われた。

 覇気のない、炎柱の声。それに杏寿郎の声には、どこか懸命そうな感じがある。

 確か朱雀は、今の炎柱は元気がない、と言っていた。それも、あの朱雀の表情を、曇らせる程だった。

 

「お前は、色が変わっていない、日輪刀を持っているらしいな。それに、全集中の呼吸も大して使えないと聞く」

「はい」

「なら鬼殺隊士など、もう辞めてしまえ」

「父上、それは」

 

 武仁が身を硬くするのと同時に、別の声も上がった。杏寿郎の声だった。

 

「黙れ、杏寿郎。いいか、全集中の呼吸を使っている者でも、鬼相手では所詮、大したことはできん。雑魚鬼の頸を、何百と飛ばそうとだ。それは、お前も良くわかっただろう、御影武仁とやら」

「父上。朱雀は、炎の呼吸を使って、武仁殿や多くの人を助けたのです。それは、大きなことだと、私は思います」

「だから何だ。結局、炎の呼吸だろうがなんだろうが、上弦の鬼にすら勝てんのだ。朱雀の戦いなど、結局は無駄な事だった。だから、杏寿郎。お前も、鬼殺隊になど、入るのは止めろ」

 

 朱雀の戦いは無駄だった。炎柱の口からその言葉が放たれた瞬間、武仁は立ち上がっていた。

 俯いた杏寿郎の顔も、自分に向いている。

 

「いま、無駄、と言われましたか。朱雀のしたことを」

「ああ、そうだ。無駄だった」

「炎柱様のお言葉ですが、撤回していただきたい」

「なんだと?」

「朱雀は、炎柱様への恩返しのために、刀を振るったのです。それに、あいつは炎柱様のことを、心配していました。今は元気がないが、いつかかならず元に戻ると。そのために、自分が鬼を狩り、人を助けるのだと。その朱雀の戦いを、無駄とは言わせません」

「ふん。無様に逃げ延びておいて、偉そうに抜かすな」

「私のことは、何と言っていただいても結構です。すぐに、死ぬ身です。しかし朱雀を、悪し様に言うことは、許せません」

 

 体に走った衝撃が、その返事だった。外へ蹴飛ばされたのだと、すぐに理解した。武仁は空中で身を回し、同じ膝をついた体勢で、庭に着地した。

 腰のあたりが、痛みの中心である。しかしむしろ、痛みがあることが、心地よいほどだった。死ねば、痛みすらも感じないだろう。

 

「どうか、撤回して下さい」

 

 しばらく、炎柱の眼と視線が交錯した。

 燃えるような眼。しかし意外なほど、そこに力はなかった。情熱をかき消すほどの、別のものがある。諦念。武仁がそう感じた瞬間、炎柱は身を翻していた。

 

「失せろ。俺がお前と話すことなど、なにもない」

 

 炎柱の姿は奥の部屋に消え、障子がぴしゃりと大きな音を立てて、閉じられた。

 

                       

 

「申し訳ありません、武仁殿。お怪我は、ありませんか」

「気にしなくていい。私も、ひどい口の利き方をした。だが、朱雀の戦いを無駄と言われて、かっとなってしまった。相手が誰であっても、同じことを言ったと思う」

 

 縁側から下りようとする杏寿郎を、武仁は押しとどめ、再び屋敷に上がった。予備の足袋は、様々な道具と一緒で、いつも身に忍ばせてある。

 

「朱雀は友達だ、と言っていました。武仁殿のことを」

 

 その友達を、俺は見捨てて生きている。口をついて出てこようとした言葉だが、出てこなかった。

 杏寿郎の笑顔を見ると、それができなかったのだ。

 

 お前は、俺を恨んでいないのか。武仁はむしろ、そう思った。

 朱雀は杏寿郎が成長するまで、一緒にいるつもりだったのだ。父親である炎柱は、あの有様である。朱雀がいれば、どれほど杏寿郎は心強かっただろう。それを奪われた時の衝撃は、いかほどのものだったか。

 しかし、考えてもどうにもならなかった。自分は、朱雀の代わりには、絶対になれないのだ。

 

「杏寿郎」

 

 不意に、細い声が聞こえた。

 杏寿郎が、すり足である部屋に近づき、障子を少しだけ開けた。

 

「母上。どうなされましたか」

「御父上の、声が聞こえました。どなたか、いらしているのですか?」

「はい。御影武仁殿です。朱雀が、話していた鬼殺隊士の方です」

「あの、武仁殿ですか。もし、よろしければ、私も話したいと思います」

「しかし母上、お体は大丈夫なのですか?」

「大丈夫です、杏寿郎」

 

 声は聞こえている。杏寿郎の顔だけ向いたので、武仁は黙って頷いた。

 もう少しだけ、開けられた障子から、その部屋に入った。四方の鉢で炭が焚かれていて、中は暖かかい。

 

 中心に敷かれた布団で、女性が横になっている。病に臥せっているのかもしれない。面貌はやつれていたが、確かな気品に包まれていた。

 体をゆっくりと起こすのを、杏寿郎が傍らで支えている。

 

「このような姿でいること、申し訳なく思います。私は、煉獄瑠火。煉獄槇寿郎の妻です。朱雀が、貴方の事を、色々話してくれました」

「私は朱雀に、何度も助けられました。朱雀は本当に、強い男でした」

「もしよろしければ、話をしてもらえませんか。朱雀の事を。貴方が知っているあの子の事を、杏寿郎にも聞かせてやって欲しいのです」

「わかりました」

 

 話は、そう多くはなかった。最終選別での出会いと共闘。再会。

 瑠火も杏寿郎も、武仁が話している間、一片の口も挟まなかった。

 

 そして、別れ。武甲山の神社で、自分と芭澄を押し出し、朱雀はひとり神社の中に残ったこと。そして参道を下りている途中で感じた、凄まじい闘気のこと。それが、唐突に途絶えたこと。

 

 全てを話し終わった時、武仁の手は震えていた。部屋は熱いほどなのに、震えは止まらなかった。その手に、別の手が重ねられた。

 瑠火の手だった。

 

「まず、感謝します。貴方が生きていてくれたことに」

「それは、違う。本当に死ぬべきなのは、私でした。朱雀は、死んではならない男だった」

 

 思わず本音が、口から出ていた。

 朱雀や芭澄との時間は、何ひとつ忘れてはいない。それを、何度思い返したところで、同じ結論に達するのだ。自分は、無駄に生きている。その思いを、押さえておけなかった。

 なぜこの家の人間は、誰も自分を責めないのか。その思いもあった。

 

「杏寿郎。武仁殿の隣に、お座りなさい」

「はい、母上」

 

 杏寿郎の小さな体が武仁と並ぶと、瑠火の視線が一度、武仁と杏寿郎を行き来した。

 

「2人とも、今から私の言うことを、考えなさい。今を生きている人間の務めとは、何だと思いますか」

 

 杏寿郎はしばらくうんうんと唸り、わからない、と答えた。

 武仁は、なにも言葉が出てこなかった。これから死のうとしている自分には、関わりのないこととも思えたからだ。

 

「生きている人間の務めとは、その生で一所懸命に、己の責務や使命を全うすることです。そして生きている人間は、死んだ者の分も、その生を全うしなければなりません。たとえその生が、辛く苦しいものであっても。朱雀もきっと、貴方にそれを望んでいます」

「どうして、それが分かりますか。朱雀は、死にました。死んだ人間の思いなど、なぜわかるのですか」

「それは、私がもうすぐ死ぬからです」

 

 瑠火の言葉に、思わず息を呑んだ。

 死ぬ。そう語る瑠火の眼には、とてもそうは思えない、強い光がある。しかしまた、その光の前では、死相という影もまた、浮き彫りになっているようにも見える。

 

「夫と、まだ幼い子供たちを残して、私は逝くでしょう。その死を前にして、私もまたそれを望んでいます。たとえ私がいなくなろうとも、立派に責務を果たしてほしいと」

「しかし朱雀は、その責務を果たせなかった。あれだけ強かった朱雀が死んで、呼吸も剣技も劣る私が、のうのうと生きている。私に、朱雀と同じことは、できないのに」

「貴方が、朱雀と同じことをする必要はありません。そのようなことは、あの子も望んではいないでしょう。ただ友として、覚えているだけでいいのです。忘れてはなりません。武仁殿が覚えていれば、その想いの中で、朱雀は生きられるのですよ。だからこそ私も杏寿郎も、貴方が無駄に生きているなどとは、思いません」

 

 覚えているだけでいい。不意に、朱雀の笑顔が、眼の前を去来した。芭澄の声も、聞こえた。忘れるはずもない。

 眼の周りが熱くなり、自分の頬を何かが伝った。伝ったものは顎先へ、そして自分の手を包む瑠火の手の甲へ、ぽたぽたと滴っていく。

 自分が、泣いている。朱雀や芭澄が死んでから、絶対に涙だけは流さなかった。それなのに、泣いていた。そして、止まらなかった。

 

「これからは泣いても、辛く苦しくとも、最後には必ず立ち上がり、前を向きなさい。そして、生きなさい。まだ子供の貴方に、このようなことを言うのは、酷な事かもしれません。でも貴方は、それだけのものを背負ったのです。背負ったものから、眼を逸らしてはいけません」

 

 武仁はこれまで、自分の事しか考えていなかった事を、初めて恥じた。

 ずっと、死にたがっていた。しかしそれは、自分が楽になりたかったからではなかったか。

 

 もし自分が願った通り、逆の立場ならどうだろう。自分は死んで満足したかもしれないが、その後で朱雀と芭澄に、同じように苦しむことを願うのか。そんなことは、あり得ない。

 自分ならば、生きていてくれることを、願ったはずだ。

 

 手の震えも、涙も、いつの間にか止まっていた。

 瑠火の手が外れて、武仁は居住まいを正した。

 

「瑠火様、ありがとうございます。見苦しい所を、お見せしました。多分朱雀は、怒っているでしょう。芭澄も。こんな無様な私を見て」

「朱雀が言っていました。貴方は、師匠からもらった笛で、見事な音を奏でるのだと。私も、聞きたいと思ったものです」

「あの笛は、壊れてしまいました。私を、矢から庇って」

「そうだったのですか。しかし、武仁殿には、まだ行かなければならないところがあるのでしょうね」

「すべてが終わったら、また参ります。その時は、笛を持って」

「楽しみにしています。朱雀とは、とうに別れをしたつもりでした。もう、任務から帰ってくるまで、私は持たないだろうと。それでも、武仁殿が訪ってくれました。朱雀が生きられなかった分も、これからは精いっぱい生きるのですよ」

 

 武仁は、ただ頷いた。あれだけ自分の中に渦巻いていた死への憧憬が、いつの間にか、遠いものになっている。

 

「杏寿郎。武仁殿をお見送りしなさい」

「はい、母上」

 

 瑠火に一礼し、部屋を出た。外は、冷たい空気が満ちている。

 しかし、震えはしなかった。

 

 廊下の奥で、人影が動いた。見ると、炎柱の後ろ姿が、部屋の中に消えていくところだった。

 その姿が見えなくなる寸前、鼻をすするような音を、武仁は確かに聞いた。

 

「武仁殿、ありがとうございました。母も、少し元気になってくれたと思います」

「礼を言うのは、私の方だ。今まで見ようともしてこなかったものを、教えてもらった。私はただ、死ぬことだけを考えていた。朱雀の事も考えずに」

「武仁殿は、もう大丈夫です。また、いらしてください。武仁殿の笛を、母も楽しみにしています」

「承知した」

 

 答えとは裏腹に、もう瑠火には会えないだろう、とも思った。

 死んだ朱雀が、ここへ自分を導いた。根拠などなにもないが、武仁はそれを確信していた。自分が立ち直るためではなく、朱雀を煉獄家へ連れて帰るために、自分はここへやってきた。

 自分の役割は、終わった。笛が壊れていたことは、巡り合わせのひとつだろう。

 

「最後に聞かせてくれ、杏寿郎。朱雀は、君にとって、どんな男だった?」

「強く、優しく、炎のような男でした。私も、朱雀のことは、決して忘れません!」

「そうか。ありがとう」

 

 きょとんとした表情の杏寿郎の頭を、武仁は片手で撫でた。

 掌に、熱が伝わってくる。杏寿郎の心が燃えているのだ、と思った。

 

「また、会おう。どうか元気で」

 

 武仁は、杏寿郎に背を向けて、走り出した。

 心の中で再び、瑠火に別れと、感謝を告げた。

 

                       

 

 那津は、今度は東京府から離れる方へ、飛んでいた。やはり、本部へ帰還するわけではないらしい。

 夕刻。指笛を吹くと、那津は武仁の腕へと、降り立ってきた。音は、以前聞いた芭澄の指笛と、ほぼ同じだったはずだ。

 

「那津、すまなかった。お前も芭澄を失って辛かっただろうに、ずっと私の傍にいてくれた。ただ死んでいこうとしている人間を、見守ってくれていた。それなのに私は、お前を芭澄に頼まれたことも、忘れていたよ」

 

 穢れのない、黒い瞳。芭澄の瞳も、同じような綺麗な色をしていた。見ていると、吸い込まれそうな気持ちになったものだ。

 

「教えてくれ。俺は、次はどこへ行けばいい。多分、何かしら芭澄に、縁のある場所なのだろうと思う。何も知らずに連れられて行くなんてことは、したくない」

 

 しばらくして、那津が小さく声を発した。

 狭霧山。それが、初めて聞いた那津の声だった。




 いよいよ原作キャラとの絡みが増えて参りました。

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