眼が覚めた。見たことのない天井と、旨そうな匂い。
少し前にも、同じようなことがあったような気がした。ただ、違うものもある。
「おう。こいつめ、明日まで寝ていればいいものを、食い意地で起きたぞ」
まず、笑い声が聞こえてきた。すぐに、笑顔の男が、視界に入り込んでくる。
この男は、水柱の
何があったのかは、はっきりと思い出すことができている。このところ、何かと気を失うことが多かった。
体を起こすと、頭がくらくらした。額に手をやると、いくらか腫れていて、熱を帯びている。
それが、瀬良の左手だった。
「一般隊士で、俺の奥の手を使わせたのは、お前が初めてだった。褒めてやる」
「水柱様のその腕、義手だったのですね」
「そうだ。生身より便利な時もある、自慢の左腕さ」
相当硬い素材でできているのか、自分の全力で放った水面斬りを平然と受け止めた。まるで岩にでも叩きつけたような硬さで、木刀が跡形もなく砕け散ったのだ。
「蛟、武仁。起きたのなら、こっちへ来い」
「わかりました、先生」
鱗滝の声がした。
腰を上げると、さらにひどい眩暈が襲ってくる。何度か呼吸を繰り返すと、それでようやく、頭の中がすっきりとした。
全員で、囲炉裏を囲った。湯気の上がっている鍋が、火にかけられている。武仁のほか、瀬良、鱗滝、錆兎、義勇だった。
錆兎と義勇は、流石に旺盛な食欲で、がつがつと飯にありついている。
武仁は食事よりも、瀬良や鱗滝と、話し込んでいた。師匠と旅を始めてからのことも、余すところなく喋った。
瀬良蛟という男は、陽気で、饒舌であり、そして口が悪かった。辛辣なことも、平然と口にする。だが不思議と、嫌な感じはしなかった。
「そうか。瑠火殿の容態は、それほどに」
煉獄家のことを話したときは、流石の瀬良も、表情を曇らせた。
「私ももう、瑠火様に会うことはない、と思います。私の、気持ちの中でのことですが、別れは済ませました」
「それも、仕方あるまい。人間、最後に待っているのは、別れと死だ。覆しようのない結末を前にして、何ができるのか。その点、瑠火殿は見事に生きている、と俺は思う」
「炎柱様は、かなり弱っているようでしたが」
「気にするな。どうせ、何か取るに足らないことでも、気にしているのだろうよ。ああいう熱のある人は、最初から硬い芯がある分、風向きが変われば、それだけで簡単に折れるところがある。俺みたいに、片腕を持っていかれても、しぶとく生きている奴もいるというのにな」
瀬良はそう言い、左手に乗せた椀を持ち上げると、箸で中身を掻っ込んだ。
肘から下が全て作り物で、鬼殺隊の刀鍛冶が鍛えた鉄で、作られているらしい。しかし一見では、見分けがつかないほど、器用に扱っている。
「お前は相変わらず、継子は取っていないようだな」
赤い、天狗の面の下から、低い声が聞こえた。
いつの間に食ったのか、鱗滝の椀は空いていた。
「先生。俺はもう継子なんてのは、ご免なんですよ。柱になるような奴は、己の才覚で上がってくるものでしょう。何も、俺と一緒に死地に飛び込む必要はない」
「水柱様は、鱗滝殿の継子だったのですか?」
「違う。ただ俺は、先生の次の代の、水柱だ。先生と呼ぶくらいの、縁はあったと思っているが」
「何が、縁だ。お前が、勝手に儂の近くを、うろうろしていたものを」
「ええ。それでも、先生のお陰だと思っています。片腕でも、柱なんてのを続けていられるのは」
食事を終えると、錆兎と義勇が、こくりこくりと船をこぎ始めた。2人は相当に厳しい鍛錬を、積んでいるようだ。夜は寝る事しかできないというのも、よくわかる。
瀬良が錆兎を、武仁は義勇を抱え上げると、家の奥に敷かれた布団まで運んだ。目覚める様子は全くない。2人とも、穏やかな息を立てて、寝入っていた。
「先生が育手として感じているものと、同じものを、今の俺も感じていると思います」
火を囲むのが、3人になった。鱗滝が茶を淹れて出してくる。
「先生が育てて送り出してきた志願者と同じように、俺の継子も、大勢死にました」
鱗滝の天狗の面が、微かに左右に動いた。
「どいつもこいつも、どれだけ鍛えてやっても、鬼憎しの気持ちに誘われて、どこかで必ず無茶をする。そして、満足した面で死んでいく。馬鹿馬鹿しいでしょう。格好つけて死ぬことの手助けは、柱の任務ではない」
「さっきのお前は、鬼殺隊を支えてきたのは、武仁のような隊士達だと、言っていたな」
「良いんですよ、武仁の前では」
瀬良の声が、ふいに別の感情を帯びたように聞こえた。その理由をちょっとだけ考えたが、分かるわけがなかった。
ただ、瀬良が自分を名前で呼んだことに、武仁はすこし経ってから気づいた。
「それに、俺は言ったはずですよ、先生。隊士が、生きて戦い続けたのだと。一度継子になったのなら、柱よりも長く生きる義務がある。そもそも俺は、そう思いますよ。それを分かっていない奴が、多すぎるんです」
瀬良は弱音を、吐いている訳ではない、と武仁は思った。多分、正直な人間なのだ。常に腹を割って、話している。時に辛辣な口は、その表れなのだろう。
多分、今まで継子たちを死なせたくなかった。そして、これからも。だから継子は取らない、ということなのだろうか。
しかしひとりだけ、瀬良の思惑を乗り越えようとしていた者がいた。
「
瀬良は、その自分の言葉に、即答しなかった。
横から見た瀬良の眼の周りは、細かい皴が刻み込まれ、軽く吊り上がっている。笑っていなければ、相当の威圧感を与えるだろう。その鋭い眼は、囲炉裏で立ち上る、赤い火に向けられていた。
「今更、お前に話すことは、多くはない。ただ、俺はあの娘の強くなりたいという気概を認めたし、芭澄は俺の言う通りにしようとした。そして、お前は俺の前に現れた。なら俺も、約束を守ろう。芭澄は、俺の継子だ。たとえ死んでいても、そう認める。誰にも、文句は言わせない」
「ありがとう、ございます。その言葉を、芭澄は喜ぶと思います。きっと、那津も」
「お前も、継子が何だというのか。お前が生きていることの方が、あいつは喜ぶだろう」
一瞬、芭澄の顔がよぎったが、武仁は湯飲みをぐいと傾けた。温い茶が、喉を潤していく。
瀬良はこちらを見て、また口元で笑っていたが、一言も発しなかった。鱗滝も、黙っている。
錆兎と義勇の小さな寝息と、炭がぱちぱちと立てる音。それだけが、頭上を流れている。
布団で横になるのは、悲鳴嶼邸で寝かされて以来のことだった。その温もりの中で、かなり深い眠りに落ちていたはずだ。
しかし、眼が覚めた。何かに、呼ばれた。そんな気がしたのだ。
武仁は寝床から出ると、履物に足を押し込み、音を立てないように外に出た。
月光と降り注ぐ雪の中に、人影がある。
「瀬良様」
「おう、出てきたか」
瀬良が、にやりと笑った。
黒色詰襟の隊服に、水色の羽織を引っ掛けている。羽織は左腕のところが、少しだけ長い。腰には、日輪刀を佩いていた。
「お前、自分の最終選別で遭遇した異形の鬼のことを、覚えているか?」
「はい。鱗滝殿の、志願者を狙っていると、奴は言っていました」
「錆兎と義勇は、来年の選別に行くことになっている。このままでは、戦うことは避けられまい。俺は聞いただけだが、そいつと戦ったとして、あの2人が生き残れるかどうかは怪しいものだな。才能が多少人よりあろうが、まだ小童に過ぎん」
「だから瀬良様は、あの2人を鍛えるために、来ていたのでは?」
「俺は柱だ。つまり、忙しい。隊士でもない、志願者の相手をしている時間はない。そこで、お前の出番だ。どうせ何も任務を受けてないのだろう。お前が、何とかしてやればいい」
「しかし、私にはどうすればいいのか」
「人に聞くな。自分の頭で考えられないのか」
遮るようにそう言うと、左手で肩をどつかれた。瀬良の顔はしばらく、神妙な表情を浮かべていたが、すぐにまた破顔した。
「鱗滝先生なら、そう言うだろうよ。まあ、深刻に考える必要はない。せいぜい志願者が2人、危険に晒されるだけだ。これまで最終選別で死んできた人間に比べれば、取るに足らない数だ」
「やるなら、これも人助けです。私は、錆兎と義勇のことが、取るに足らないとは思いません」
瀬良のような開き直りは、自分にはできない、と武仁は思った。錆兎や義勇とは、わずかだが共に時を過ごし、人となりを知ったのだ。
それにもし、今ここで何もしなければ、自分が生きる意味は本当に失われてしまう。立ち直った意味も、失われる。そんな気がした。
「なるほど、人助けか。錆兎と義勇の命が惜しいなら、俺が今から藤襲山に行って、鬼共の頸を全て刎ねれば、それで済む話だ。だが、そんなことに何の意味がある。人を助けるとは、そういうことではあるまい。それに、錆兎と義勇以外の志願者はどうなる。その顔も知らない志願者まで、お前は守れるのか」
「何もかもから守る。そんな必要はない、ということですか」
「お前に、それができるのであれば、俺は何も言わん。だが、できまい。これも芭澄に聞いたことだが、お前が最終選別でやったことと、その結果を、思い出してみろ」
瀬良の言いたいことが、少しわかってきた。
自分は
それでも、結局生き残れたのは、4人だけだった。だが、それ自体に後悔はない。
「俺がお前の立場だったとして、同じことをするつもりはない。だが、お前たちがやったことが、無駄だったとも思わん。お前は、自分にできる事を、全力で為せばいい。それで、錆兎や義勇が死んだとして、誰がお前を責められる。もし責める者がいれば、それは水柱である、俺が許さん」
不思議な、心持ちだった。瀬良の言葉は時に厳しく、こちらを強く突き放すようで、優しさもまた感じるのだ。
「わかりました。錆兎と義勇のことは、私ができることをやってみます」
「それでいい。お前がやりたいように、人を助けてみろ」
そう言い、瀬良は背を向けた。その大きな背中に、武仁は声をかけた。
ひとつ、聞きたいことがあったのを、思い出したのだ。
「瀬良様は、私のことを、本当にご存じなかったのですか?」
「どういう意味だ。俺は、お前などに、会ったことはない」
「先ほど、私のことを、武仁と呼ばれました。知っている人間に、呼びかけるように聞こえたのです。無論、気にしすぎたのかもしれませんが。しかし、他に私に会いたがる理由が、全く見つからないのです」
するとまた、逡巡するような顔になった。何か思うときは、笑顔を浮かべなくなる。瀬良には、そういう癖があるのかもしれない。あるいは、こちらが素顔なのか。
しばらくして、瀬良が口を開いた。
「お前と同じ名前で、同じく呼吸法の適性がなく、色が変わっていない日輪刀を持っている。そういう男を、俺はひとり知っていた。尤も、武芸の腕は、お前とは比べ物にならん程、長じていたがな」
「それは、誰なのですか?」
その言葉を聞いて、勝手に声が震えはじめた。だが、聞かずにはいられなかった。
「名は、武人と書いて、
「その方は、今はどこに?」
「知らん。ある日、鎹鴉ごと姿を消した。だがそれは、鬼殺隊では珍しいことではない。行方不明になった柱など、大抵どこかで死んでいるのだ。俺も、あの男は死んだと思っている」
瀬良から聞いた話は、明確に武仁の中でひとつの男の像を結んでいた。
武人という、元鬼殺隊士。それが、自分の師匠の、正体なのか。正式な育手ではない。それは、薄々とだが感じていたことだった。
「芭澄から、お前のことを聞いて、まさかと思った。俺がお前に会いたかったのも、それが理由だ。あるいは、奴が帰ってきたのか、とな」
まあ、似ても似つかない小僧だったが。再び、そう笑いながら言うと、瀬良の姿は忽然と消えた。去る前の、僅かな呼吸音だけが、耳に残った。
外は、降り続けている雪が他の音の全てを吸い込んだように、静かだった。独りになると、静寂を色濃く感じる。立ち尽くしていると、自分だけが宙にでも浮いたような、そんな感覚に包まれてくるほどだ。
武仁はしばらくの間、その感覚に身を委ねた後、家の中に戻った。
規則正しい寝息が2つ、よく聞こえている。
拙作でも、原作キャラクターの生存を、可能な限り試みていきます。
なお、元々は鱗滝さんに手鬼がいるから後よろしくぅ!するだけでした。
書けば書くほど、プロットがぼろぼろになります。