一般隊士の数奇な旅路   作:のんびりや

23 / 43
 自分なりに原作と向き合った結果、錆兎より先に、この人を何とかする必要があると思いました。


22話 水の子ら・冨岡義勇

 瀬良(せら)を見送った翌朝、武仁(たけひと)は朝食の後、鱗滝に声をかけた。

 

「しばらく、ここでお世話になっても、構いませんか?」

「お前は、御屋形様の御依頼で来ているのだ。儂が、何か言うこともない。好きにするといい」

「錆兎と義勇の、稽古の相手をします。隊士として、彼らに教えられることも、あるかもしれません」

 

 鱗滝が、手鬼のことを知っているかどうかは、分からない。お前がやれ。そう言っていた瀬良のやり方なら、稽古はつけても、具体的なことは何ひとつ伝えていないような気もした。

 弟子を付け狙っている鬼。それを、そのまま鱗滝に伝えるほど、単純とは思えない。ただ、鱗滝の方も何か感じてはいるだろう。

 

 赤い天狗の仮面は、何も言わず、ただ頷いた。

 

                       

 

「瀬良様は、忙しいとのことだ。俺で良ければ、君達の相手をしよう」

「そういうことなら、俺は武仁とも戦ってみたい」

「俺も。よろしく、お願いします」

 

 武仁は木刀で、錆兎や義勇の打込みの相手をした。

 この2人は、やはり強い。実際に向かいあうと、そのことがよく分かった。自分が2人の歳だった時には、こんな武術は身に付けてはいなかった。

 

 ただ、気になるところも、少しずつ見えてきた。

 錆兎は、膂力も剣技も優れたものを持っていたが、力任せなところがある。それに、自分の実力に対して、相当の自信を持っていた。

 

 義勇は実際に戦ってみると、いくら何でも守りに傾きすぎている。それも、剣士との立合いでの話だ。

 選別で相手にするのは、鬼である。その攻撃を防ぐというのは、剣士の斬撃を捌くのとは訳が違う。得物など持たない雑魚鬼であれば、それはなおさらの事だった。

 

 さらに数日、錆兎と義勇の稽古を見ていた。その間に何度か、鱗滝が直接指南している。それでも、2人に対して抱いた気がかりは、少しも消えていかなかった。

 

 その間も、雪は絶えず降り続けていた。瀬良が立ち去ってからずっと、雲は重く垂れ込めていて、払われる様子はない。

 

 年の瀬が、迫っていた。来春までには本部に戻らなければならないし、この2人は最終選別がある。

 

 錆兎を動とすると、義勇は静。最初の印象はそのまま、戦い方にも表れている。しかし、それは2人の長所である反面、互いに高めあった結果生じた、癖のようなものとも思えた。

 

 このままでは、義勇は鬼との戦闘で、不意の一撃を喰らいかねない。それに錆兎は、なまじ強いだけに、突っ込んだ挙句、あっさりと死ぬかもしれない。そんな気がした。そうでなくとも、手鬼と戦うことになるかもしれないのだ。

 

 今の2人では、勝てない。水柱である瀬良は、それを見抜いた上で、そう言い残したのかもしれない。

 

 自分はあの2人に、何をしてやれるのか。

 歴代の弟子たちをつけ狙っていた鬼の存在を伝えたところで、怒りで眼が曇るだけだろう。人が、簡単に強くなることはないのだ。それは、芭澄(はすみ)に言われたことだった。

 

 ならば他に、何ができるのか。

 自分は、どうだったか。まず、それを考えた。師匠は立合いの中の癖や隙を、決して見逃さなかった。そして、容赦なく木刀や拳で、打ち据えてきたのだ。挙句、一度は、死すれすれまで追い込まれたこともある。

 

 自分も同じように、あの2人を鍛える。それしか、思いつかなかった。

 今ならまだ、自分の方が強い。全集中の呼吸の技では比ぶべくもないが、体力や膂力については、圧倒しているはずだ。

 

「今日の夕刻、私はここを発とうと思う」

 

 ある日、朝食の前に、武仁からそう切り出した。

 錆兎と義勇が、大きな声を上げ、見上げてきた。鱗滝は囲炉裏の反対で、ちょっと視線を投げかけてきただけである。

 

「俺も義勇も、選別が終わるまで、武仁は居てくれるかと思っていた」

「すまないな、錆兎。春までには、行かなければならないところがある。そういう約束で、今の私は隊の任務を外れているんだ」

「約束なら、しかたないな。今日は、武仁に稽古をつけてもらいたい。本気の武仁と、俺は立会ってみたいんだ。なあ、義勇」

「うん」

 

 錆兎はその気になっているようだが、義勇はそれほどでもないらしい。錆兎ほど、戦うことが好きなわけではないからだろう。そういう反応の違いも、言われる前から分かる。

 それくらい、2人の人となりは、掴めていた。

 

 武仁は、2人の光るような視線を受け止めながら、昨晩決めた覚悟を、思い返していた。

 心を、鬼にする覚悟。それで、この2人を強くする。

 鱗滝の鍛錬では、まだ足りない。限界まで追い込むことは、しないのだ。無口だが、鱗滝左近次という育手の優しさが、滲み出ていた。

 ここは、自分が鬼になるしかない。

 

「食事が終わったら、まず義勇からだ。木刀を持って、いつもの稽古場に来い。ただし、独りでだ。私は、先に行っている」

 

 それで構わないか、と鱗滝に視線を投げた。天狗の面が軽く上下する。それを確認してから、手早く食事を腹に入れ、武仁は鱗滝の家を出た。

 

 狭霧山。その裾野の森にある、丸く拓かれた場所。日々の稽古で雪が踏み固められ、かなり足場は硬くなっている。

 その片隅で、座禅を組み、瞑目した。武仁は呼吸をさらに深め、心気を研ぎ澄ました。

 

 結局のところ、どれだけ鍛えても足りないのだ。そう思った。朱雀や芭澄は自分とは比べ物にならないくらい強かったが、上弦の壱には負けた。

 錆兎も義勇も、強くなれる。いつかは、朱雀達よりもずっと、強くなれるかもしれない。ただ、それも生きていてこそだ。いつか強くなれるのと、いま強いのかは、別のことなのだ。

 

 足音が、近づいてくる。それを感じて、武仁は眼を開いた。

 すぐに、葡萄色の着物が、木々の間から姿を現した。武仁から離れたところに、義勇の小さな体が立つ。その表情は、強張っている。

 

 武仁は既に、木刀を低く構えていた。雰囲気が違うのは、自分でも分かっていた。そうでもしなければ、自分の中の覚悟が、緩んでいきそうになる。

 

「義勇。これは、ただの稽古ではない。私は、お前たちは強いと思っている。だが、弱いところもある。それを、今から教えてやる」

 

 義勇は硬い表情のまま、こくりと頷いた。

 木刀。綺麗な所作で、正眼に構えている。

 

「では、行くぞ」

 

 武仁から踏み込み、木刀を振り上げた。それに打ち合わせた義勇の木刀を、力任せに跳ね上げる。受け流しなどさせなかった。さらに身を寄せると、義勇の襟元を掴み上げ、投げ飛ばした。

 義勇は小さな体を回して着地したが、武仁も既に眼前に立っていた。まず、木刀を弾き飛ばす。そこから、さらに打ち据えた。

 うずくまっている義勇が、呻くような声を上げている。その眼の前に、木刀を放り投げた。

 

「立て、義勇。鱗滝先生の下で修行して、覚えたのはそんなことか。お前の力は、そんなものか」

 

 どこかで、聞いたような台詞が、自分の口から出てくる。義勇の手が木刀を握りしめ、立ち上がってきた。眼の光。そこは、まだ死んでいない。

 

 何度も、ぶつかる。その度に、義勇は木刀で防御しようとしていたが、武仁はそれを許さなかった。立ち回りは、剣技だけでなく、体術も織り交ぜる。義勇もそこそこ体術の心得があるようだったが、それは攻撃に転ずるほどのものではなかった。

 

 何度か、全集中の呼吸を使おうともしてくる。呼吸音が聞こえる度に、即座に木刀を打ち落とした。技は見事なものだが、放てなければ何の意味もない。

 

「全集中の呼吸を使えば、何とかなる。強くなれる。そんな甘い考えは、鬼には通用しない。私ごときにできる事は、鬼にもできると思え」

 

 義勇は自分の言葉に、何も言わなかった。恨み言も、弱音も、一切ない。唇を噛みしめて、じっと見据えてくるだけだ。その眼が放ってくる光も、どこか弱々しくなりつつある。

 よろよろと立ち上がった義勇と、しばらく向かい合った。

 

「攻撃してこい、義勇。その木刀で、私を殺してもいい。こちらはその覚悟で、お前を打っている」

 

 しかし、義勇から攻撃してくる気配は、まったくない。構えるので精いっぱい、という感じだ。それを見て、また武仁から打ち込んだ。

 

 2合、木刀が触れた。3合目。競り合うのと同時に、義勇の木刀に手をかける。大した力はなく、簡単に木刀は武仁の手に収まっていた。

 

 義勇の表情。何が起きたかわからない、という驚き。そして、僅かな恐怖が浮かんだ。

 なぜ俺は、こんな幼子を痛めつけているのだ。人助けが、したかったのではないのか。不意に、心がどうしようもなく痛んだ。

 その心を、鬼にすると決めた。痛みなど、感じる必要はないのだ。その覚悟を再び奮い立たせ、木刀を振り上げると、また打ち据えた。

 

 死ぬことなど、本当は容易いのだ。それは、師匠の言う通りだった。

 自分のような、生きながらの死。そんなものを、この少年に感じさせたくはなかった。それには生きて、勝つしかないのだ。

 

 躱そうと身を屈めた義勇を、足から掬い上げ、さらに柄で突き飛ばした。軽い体が、何度か雪面を転がった。また蹲る。木刀を、投げ渡す。

 

「義勇!」

 

 不意に、声が上がった。首を回すと、木刀を握った錆兎が、飛び掛かってくるところだった。

 宍色の髪が、宙を舞う。唸り声をあげて襲い掛かってきた一撃を躱し、襟首を掴むと、飛び込んできた森の方へ、投げ返した。

 錆兎は動じる事なく、見事な着地をして見せた。

 

「あんた、何のつもりだ!」

「錆兎。今は、義勇に稽古をつけている所だ」

「これが、こんなものが稽古か。ふざけるな」

「お前が言いたいことが山ほどあるように、私もお前に言いたいことがある。だが、お前は後だ」

 

 錆兎の表情が歪み、右頬の傷がひきつっていた。怒り。それが強く表情に出ている。

 もとより、正義感の強い男である。豹変した自分に対して抱いているものは、困惑よりも、憤りの方がずっと強いだろう。

 

 再び跳ぶ構えを見せた錆兎を、唐突に現れた鱗滝が、手で制した。

 

「鱗滝先生、止めないでください。この男は義勇を痛めつけているだけです。俺は」

「静かにしろ、錆兎」

 

 天狗の面の奥から放たれた言葉は、相も変わらず低く、耳の奥に響くようだった。錆兎が立ち止まると、天狗の面は、次に武仁へと向いた。

 

「義勇を殺せば、お前も殺す。分かっているな」

「無論、その覚悟もできています」

 

 そう言い、武仁は義勇に向き直った。錆兎と鱗滝は、気に留めない。

 義勇はまだ、雪に突っ伏していて、何度か激しく咳き込んでいる。さっき突いた柄は、腹に入ったのだ。呼吸を立て直すだけでも、苦しいだろう。

 

「お前には、私にはない力がある。それは、錆兎に決して劣ることはない。己の敵を討滅することができる、強い力だ」

 

 義勇が、顔を上げた。眼の端で、光っているものがある。泣いていた。そこから視線を逸らすことなく、武仁は正面から向き合った。

 

「己の力を、奮い起こせ。敵を殺す、覚悟を持て。それができなければ、お前は大事なものを、また失うぞ。いまのお前の剣技は、お前ひとりを守ろうとしているだけだ。鬼殺隊に入ってまで、そんな生を、お前は送りたいのか」

 

 たったひとりで、生き残る。その筆舌に尽くし難い虚しさは、誰に言われるまでもなく、よく知っていた。

 

 義勇が一度、激しい息をつくと、木刀を掴んで立ち上がった。そこから2度、武仁は、義勇を打ち倒し、投げ飛ばした。

 

 唐突に、義勇が跳ねるように跳び上がる。その姿と向かい合った瞬間、思わず足が下がりそうになった。先ほどとは、比べ物にならないほどの気が、義勇の小さな体から放たれている。

 

 そして、斬りかかってきた。まず、その斬撃を、武仁は受け止めた。おや、と思うほどの力が込められている。横へ流そうとしたが、義勇は木刀を引き、即座に2撃目を見舞ってきた。どちらも、剣筋には何の歪みもない。

 

 3撃目。振り下ろされてくる義勇の木刀を、撥ね上げ、さらに首元に振り下ろした。当たれば、確実に倒せる。しかし寸前で、義勇は流れるように身を捌いて、木刀を躱し、間合いの外へと姿を移していた。

 追撃する、暇はなかった。その回避と同時に、深い呼吸音が聞こえている。

 

 

  全集中 水の呼吸・肆ノ型 打ち潮

 

 

 全集中の呼吸の技。身を転がして斬撃を躱したが、その先にも木刀が迫ってくる。義勇の動きに、淀みや迷いは全くない。

 膝をついた姿勢で木刀を構え、軌道を逸らしたが、すぐに刃が返ってくる。

 

 横薙ぎだった。明確に、自分の首を狙っている。見て取った瞬間、武仁は木刀を手放し、掌底で義勇の手元を打った。1度で動きを止め、2度目で木刀を吹き飛ばした。

 

 互いに、無手。まず、義勇が木刀へと跳躍した。その裾を掴んで引き寄せ、地に叩きつける。ほとんど、全力に近い。それでも、義勇は起き上がってくる。

 最後は着物の襟で首元を締め上げ、ようやく動かなくなった。

 

 気を失った義勇を、抱え上げ、鱗滝に渡した。顔も着物も、全身がぼろぼろだったが、その表情はどこか穏やかだった。

 

 攻撃に転じてきた義勇には、もう手加減する余裕はなかった。もし最後に、木刀を握っていたら、負けていたのは自分の方だったかもしれない。そう思えるほどの力を、剥き出しにしていたのだ。

 

 武仁は雪上から木刀を拾い上げ、切っ先を錆兎へ向けた。

 

「次は、お前の番だ。かかってこい、錆兎」

 

 錆兎の眼は、怒りの炎が燃え盛っているようだった。




 なお主人公は、指導力については皆無です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。